島が大きく揺れていた。
地震ではなさそうだ。しかしそれではなぜ揺れているのかがわからない。
バトラーとモバンビーは互いに理解が及ばず、意識が途切れそうになりながらチョッパーもその異変に気付いていて、どこへともなく視線が辺りを彷徨った。
音の出所はすぐに判明する。
遠くから丘を駆け上ってくる者たちが見えた。
数え切れないほどの動物たちが全速力で丘を駆け上ってくる。多種多様の珍獣が肩を並べ、誰もが必死の形相で真っ直ぐ走って、向かう先にはモバンビーが居る。
彼らはきっと仲間を助けに来たのだ。
「モバンビー!」
「あっ……カラスケ! みんなぁ!」
先頭集団の一角にカラスケが居た。
笑みを浮かべたモバンビーは不思議と安堵し、一瞬であっても緊張感から解放される。
丘の頂上付近、四方八方を囲んで彼らは足を止める。
総勢、数百匹では利かない、数千匹の島中の動物たちが集っていた。
その中にはハゲオウムや森の番人たちの姿もあり、見回せば頼りになりそうな顔つきで、以前とはまるで違う印象。モバンビーにも勇気が与えられる。
彼も先程とは顔つきを変え、自信を感じさせながらバトラーに向かい合う。
唐突な登場で、取り囲まれてはいた。
見渡せばおかしな動物ばかり。その中にバトラーの仲間は居ない。
それでも笑みが崩れないのは絶対の自信を持っていたからなのだろう。
吊り上げられるようにチョッパーの体が掲げられる。いの一番にモバンビーがあっと声を出して表情を歪め、周囲で状況が分かっていない動物たちも厳しい顔だ。
その行動一つで敵対する意志を持つには十分。
バトラーは数多の敵意を一身に浴びながら笑っていた。
「貴様らの王は今から死ぬ。その次はおれ様が王になってやろう。従う者は居るか?」
問いかけてみて、返答は沈黙。誰一人鳴き声一つ発さない。
しばらく待ってみたがやはり何もなく、バトラーの笑みが消える。
そうなってからすかさずモバンビーが言う。
「お前に王様なんかできるわけがないっ。チョッパーを返せェ!」
「そうか……所詮は動物。天才の発想は理解できんらしい」
低く呟いてバトラーが怒りを露わにしていた。しかし今更その程度で反応する者は居ない。
この場に集った時点で全員が覚悟を決めていたようだった。
「みんな! 僕はチョッパーを助けたい、だけど一人じゃどうしようもなくて……みんなの力を貸してよ! お願いだ! チョッパーはもう、僕らの仲間だ!」
モバンビーが力一杯叫ぶ。
ドン、と動物たちが一斉に地面を強く踏みつけ、足音を鳴らす。
それぞれ特徴的な鳴き声を次々に発し、辺りは一気に騒々しくなる。
全てが肯定の意思。そこに居る全ての動物たちが同じことを考え、モバンビーに賛同し、見ず知らずのよそ者を助ける決意を固めた。
辺りは一瞬にして騒音に包まれる。
苛立ったバトラーはあらゆる方向に顔を向けて叫んだ。
「やかましいぞォ! 叫んだところで貴様らに何ができる! 文字すら読めねぇ低能どもが!」
耳障りだと喚き散らして、見るからに平静を欠いた彼は見方によっては隙だらけ。
開戦は唐突に。
意志が固まって何をすべきかわかった以上、黙っているつもりなどない。森の番人たちが一斉に動き出してバトラーへと殺到していく。
妙な色のシマウマ、肩にテナガザルを乗せたゴリラ、獰猛そうなライガーが敵へ向かう。彼らは島の中で比較的戦闘に慣れている様子を窺わせ、動きに迷いがない。
気付いたバトラーは接近してくる集団に振り返る。
まず最初にライガーが襲い掛かった。
チョッパーを吊り上げ、油断していた彼の首筋に噛みつき、鋭い牙を肉に埋め込む。
悲鳴が発されるのは当然だった。
その瞬間にテナガザルが彼の腕にチョップを当てて、チョッパーの体が離される。あらかじめそれを目的地に動いていたシマウマが彼を背に受け止め、即座に方向転換。モバンビーの下へ戻っていく。自身が受け止めたチョッパーを彼に任せたのだ。
これでひとまず救出は成った。あとは敵を倒すのみである。
首筋に噛みついていたライガーが頭を殴られ、思わず地面へ転がってしまう。
しかし次から次へ殺到し、素早く接近したゴリラが腹を殴って、テナガザルが石を投げた。
胴体にパンチを、頭に投石を受けて、堪らずバトラーが悲鳴を上げた。
「ぐぉおおおおおっ!? なんなんだ貴様ら! 社会の役に立たないゴミどもめェ!」
バトラーは大ぶりで腕を振り、ゴリラを殴ろうとするが軽快なステップで避けられてしまい、ただ苛立ちを募らせるのみ。それでまたしても隙を見せてパンチが叩き込まれた。
手が届かない位置からはテナガザルが石を投げ続け、彼の動きを邪魔し続ける。
非常に苛立つ攻撃だった。
だからこそ勝利のためには有効で、彼らは協力して攻撃を続ける。
チョッパーを抱きしめたモバンビーは仲間たちに促され、群れの後ろへ移動する。
全身に傷を負い、目を開けることすら億劫な彼はモバンビーが近くに居ると気付き、些か驚いている様子である。モバンビーは優しく声をかけ続けた。
「チョッパー、大丈夫!? ごめんね、僕のせいで……!」
「謝らなくていいよ……おれは、自分のやりたいようにやっただけだから」
力なく笑ってそう言うチョッパーに涙が溢れた。
ぎゅっと抱きしめ、モバンビーはさらに決意を強くする。
彼だけは絶対に死なせない。
自身が悪いと思うが故に意志は揺らがず、たとえ自分が死ぬことになっても守る気でいた。
「ごめん。もう君だけを頼ったりしないよ。この島は僕らが守るんだ!」
「みんな……気をつけて。怪我をしたら、おれが治してやるから」
「チョッパーっ」
自身が傷だらけになっているというのにまだ他人を心配する。彼はどこまで優しいのだろうか。死ぬのが怖いとか、痛いだとか辛いだとか、弱音は一切吐かない。
彼は自分が思うよりもずっと強い人物だ。尊敬すらできる。
モバンビーがそう思った時、一際大きい鳴き声、おそらくは悲鳴が聞こえた。
咄嗟に振り返るとやはりバトラーによる攻撃だった。
鋭い爪に脇腹を貫かれ、片腕でテナガザルの体が持ち上げられていた。
ぐったりした彼は腕が振るわれた拍子に投げられて地面に転がる。
仲間が傷つけられたことで鳴き声が一層大きくなっている。
中でもゴリラが怒りながら駆け出し、バトラーに向けて拳を振り抜こうとした。しかし、怒り狂っているのは相手も同じ。バトラーの動きにはもう慣れすら感じる。
拳を振り上げていたゴリラに頭の角を向け、自分から懐へ飛び込んでいった。
驚愕した一瞬、迎撃が遅れる。
角の鋭い先端がゴリラの腹を突き破り、彼の巨体すらを持ち上げて、テナガザルの時と同じように勢いよく投げられてしまった。その結果悲鳴も出さずに地面を転がり、動かなくなる。
着実に、一体ずつ仲間が倒れていく。
森の番人だけでなく彼へ襲い掛かる者、近くに居た者は次々傷つけられてしまい、抵抗しても大した邪魔にすらならず、血を流しながら倒れた。
やはり生まれ変わった彼はバケモノだった。
ダメージを与えられ、痛みを覚え、疲労は溜まっていくはず。しかし後から後から湧いてくる力がそれらを忘れさせるのか、いつまで経っても彼の動きは精彩を欠かない。
今度は妙な色のシマウマまで牙の餌食となり、倒れる。
怒ったライガーが他の動物を押しのけてバトラーへ襲い掛かった。
「何をやろうが無駄なんだ! 貴様らとは生物としての格が違うッ!」
再び首筋へ噛みつこうと飛び掛かったライガーだが、その体は両腕に捕まって止められた。
至近距離から見て異変に気付く。
先程噛みつき、抉り取ったはずの肉がすでに再生を始めている。ぐじゅぐじゅと気味の悪い音を立てて肉が蠢くと徐々に傷が塞がっていこうとしているのだ。
珍獣だらけの島であってもそんな生物は居ない。
ライガーは驚愕して、その一瞬は殺意を忘れて呆けてしまっていたようだ。
「このパワーがあればおれは死なない! おれこそ最強だ!」
引き寄せたライガーの首筋に噛みつき、悲痛な叫び声が響き渡った。
肉を引き千切り、体を投げ捨てれば彼は倒れてしまい、危うく意識を失いかけて動かなくなる。
バトラーは噛み千切った肉をその辺りに吐き捨て、すぐ周囲の動物に目を向けた。
森の番人たちが次々倒されている。
動物たちは怯み、それでも退く訳にはいかず、恐れを抱いたまま戦いを強いられる。
皆を激励すべくカラスケが空を飛びながら大声を発していた。
確かに被害は大きい。勝ち目がないことは最初から分かり切っている。だが、今はモバンビーが彼らの後ろに居て、傷だらけになったチョッパーも居た。
一度ならず二度までも彼らを裏切る訳にはいかないと思い、全員が必死になっていた。
「みんな、踏ん張れ! あいつだって無敵じゃない! ずっと動いてりゃ疲れてくるんだ、おれたちが勝てるチャンスがきっとある――!」
「そんなもんはねぇんだよォ! おれに勝てる奴はもう存在しない!」
怒声を発したバトラーが首を伸ばし、天へ角を向けた。
何をするつもりだと見ていれば、なぜか角が発光を始め、力が溜まっていくらしい。
夕日とはまた別の光。輝き出した角を振り下ろしたバトラーは巨大な丘その物に攻撃する。
「カァアアアアアッ!!」
岩を砕いて地面に突き刺さり、角から謎の光が迸る。
それらは広大な丘へ一瞬にして広がっていき、数多のひび割れとなって発光した。
次の瞬間、光の部分から爆ぜる。
それは丘全体が爆発したような衝撃だった。辺りに強い閃光が走り、砕けた地面が岩石となって宙を舞い、数千と居た動物たちも弾き飛ばされる。
モバンビーとチョッパーもまた気付けば宙に居た。
受け身を取る余裕もなく地面へ落ちて、辺りは土石流でもあったかのように荒れている。先程の丘とは思えないほど破壊し尽くされた姿であった。
吹き飛ばされた動物たちは大小様々とはいえ傷つき、倒れ、顔を上げることすらできない状態。もはや敵を取り囲んでいるとは言えずに敵の獲物となるのみだ。
チョッパーを抱きしめたまま、モバンビーは苦しげに顔を上げる。
どちらを向こうと、彼の目に映ったのは怪我で苦しむ仲間たちの姿だけだった。
丘の頂上でバトラーは笑う。
たった一撃で数千匹を一網打尽。その力は彼の大いなる自信となった。
「素晴らしい! これだ! 私はこれを望んでいた! 今こそ世界の王となる時なのだァ!」
「そんな……カラスケ、みんな……」
立っている者は一人として居ない。
そこに立っていたのはバトラーのみ。
その様は、さながら彼が勝者だと告げるかのようで。
「ウオオオオオッ!!!」
夕日を睨んで笑顔で叫ぶ彼は、もはや人間であったことすら忘れたようだった。