ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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はっちゃんの海底散歩

 アーロンは一億の賞金首を討ち取った。

 だがその激闘によって彼は深い傷を負い、全身に包帯を巻き、眠り続けている。

 すでに一日が経過した。しかし彼はまだ目覚めず、船上では心配するのか重苦しい空気が漂う。

 かつてない雰囲気にはっちゃんは顔をしかめ、困惑した顔で呟いた。

 

 「ニュ~……みんな元気がねぇな」

 「無理もない。アーロンさんが倒れちまったんだからな」

 

 傍に立っていたクロオビが呟き、その隣ではチュウが溜息をつく。

 彼らも普段ほど元気がない。幹部であるが故にアーロン不在の船上を取り仕切るのだが、やはり心配する心が大きく集中できていなかった。

 

 このままでは一味はバラバラになってしまう。

 甲板を見回したはっちゃんはなんとかしなければと考えた。

 

 「このままじゃいけねぇなぁ。なんとかしねぇと」

 「チュッ♡ なんとかってどうする気だ。そりゃなんとかできるならして欲しいもんだが」

 「う~ん、そうだなぁ……」

 「とにかくアーロンさんが目覚めることだ。士気の回復にはそれだけでいい」

 

 溜息交じりにクロオビが言った。

 確かにアーロンは仲間たちからの信頼を集める存在。気性の荒さで怖がられることはあっても仲間には優しい人物だ。彼が目覚めただけで彼らも笑顔を取り戻せるはず。

 しばらく考えたはっちゃんが突然笑顔になる。

 何かを思いついた様子だった。

 

 「よし! わかったぞ!」

 

 突然の大きな声にクロオビとチュウが揃って顔を上げ、はっちゃんの顔を見た。

 

 「アーロンさんを目覚めさせるのは無理だけど、怪我を早く治すことはできるだろ。おれが精のつく物を獲ってくる。アーロンさんが起きたら食ってもらおう」

 「精のつく物って」

 「突然何を言い出すかと思えば……」

 

 果たしてそれは現状の打開策なのだろうか。

 呆れる二人だが幼馴染であるため強く否定もしない。

 こうした状況は初めてではなかった。止めるよりもやらせてみればいいと考えていたのだろう。

 

 「確かに、栄養のある物はあった方がいいとは思うが」

 「チュッ♡ どうせアーロンさんは寝てんだ。好きにやってみたらどうだ」

 「ニュ~、ありがとな二人とも。それじゃおれ、ちょっと海に潜って探してくる」

 「一人で大丈夫か? 良い予感はしないぞ」

 「大丈夫だ。すぐ戻ってくるぞぉ~」

 

 そう言ってはっちゃんは欄干に駆け寄り、軽い動作で跳んで、上に飛び乗った。

 直後には手を伸ばし、頭から海へ飛び込むのである。

 

 魚人族は水中でも呼吸が可能。当然泳ぎは得意中の得意であって、彼らが海戦で異様な強さを発揮するのはこれが理由でもあった。

 海中でぱっちり目を開けたはっちゃんは周囲を見回す。

 とりあえず移動してみるか。そんな程度の気持ちで泳ぎ始めた。

 

 海の中は穏やかで、心が安らぐほど静かだった。

 陸や海上での戦いを忘れさせてくれる平和がある。世界がずっとこうならいいのにと思った。

 はっちゃんは海を泳ぐこと自体を楽しみつつ、笑顔で辺りに目を向ける。

 

 「ニュ~、アーロンさんが元気になる物はねぇかなぁ~」

 

 当然ではあったがスイスイ泳いで、彼は見る見るうちに船から離れていく。どうやって帰るのかを考えていなさそうな姿であり、幼馴染の二人が感じた不安は早くも的中していた。

 帰り道も考えず、はっちゃんはどんどん海底へ、船から離れて前へ進む。

 

 様々な魚とすれ違った。

 別段はっちゃんを怖がった様子もなく、中には興味を持って近付いてくる魚も居る。

 はっちゃんも彼らに目を付け、興味を持って観察したものの、アーロンの好みには合わなそうだと思って手を出すことはしなかった。

 

 目的がはっきりしており、元々の性格が優しいこともあって無駄な殺生はしない。

 彼はにこやかに魚たちへ挨拶し、先を急いだだけだった。

 

 目的があっても目的地がないため、その泳ぎはどこを目指していたのか。

 なんとなく気になる方向へ進んだり、海面近くへ上がったり、海底付近へ下がったり、規則性のない動きでしばらく気ままに散策を続ける。もはやどの方角に進んでいるのかすら曖昧だったが船が遥か彼方になっていることだけは確かだった。

 そうとは気付かず、はっちゃんは呑気に泳ぎ続ける。

 

 探し物ではなくただの散歩ではないのかとさえ思い始めた頃。

 彼自身が知る方法はなかったが二時間近く経っていた。

 それほどまでに何も見つからないと流石に困る。はっちゃんは眉間に皺を寄せる。

 

 「ニュ~、困ったなぁ。何も見つからねぇぞ。早くアーロンさんのために美味しくて栄養のある物を持って帰ってやりてぇのになぁ」

 

 溜息をつきながらまた少し海面に近付いた時だった。

 はっちゃんの視界に、おかしな泳ぎ方をする一匹のパンサメが映る。

 

 「ニュ?」

 

 首を傾げながら泳いで近付いた。

 パンダのように白黒の模様を持つパンサメは、くねくねと身を捩って暴れている。周囲に獲物が居る訳でもなく一匹で勝手にそんなことをしているようだ。

 訳が分からず、その前で泳ぐのをやめたはっちゃんは彼へ問うように呟いた。

 

 「何やってんだろうなぁ。踊ってんのか?」

 

 聞いてみるとパンサメは反応する。自身のヒレで口元を指したのだ。

 よく見ると口に釣り針が刺さっている。

 おそらく餌に噛みついたら針が刺さって、自分では抜けなくて困っていたのだろう。事情を理解したはっちゃんは笑みを浮かべ、もう少し彼へ近付くと手を伸ばした。

 優しく声をかけつつ、針を取ってやろうというつもりのようだった。

 

 「そういうことか。わかった、今取ってやるぞ」

 

 そう言ってやるとパンサメは嬉しそうに頷く。

 じっと動いて我慢し始めた彼に触れ、もう片方の手で釣り針を掴み、できるだけ痛みを感じさせないようにと配慮しながらもぐいっと引っ張る。すると針はあっさり抜けた。

 

 その瞬間にパンサメはくるりとその場で回って、笑みを浮かべながらヒレで彼の手を取る。

 少し照れながら後頭部を掻くはっちゃんも嬉しそうにしていた。

 

 「いやいや、いいんだお礼なんて。おれもお前が助かって嬉しいぞ」

 

 物凄く喜ぶパンサメにそう語り掛けると、いやいやと顔を振って、踵を返した彼はヒレで手招きしながら泳ぎ始めた。ついて来いと言っているらしい。

 気になったはっちゃんは彼の後ろについていく。

 どうやら現在地よりも海底に向かっているようだった。

 

 海底に辿り着き、辺りが少し暗くなる。

 比較的浅い場所のようだがそれなりに風景は変わっていた。

 

 パンサメは海底にある大きな岩、そこへぽっかり空いた穴へ入っていく。

 近付いてみればよくわかる。その場所には様々な物が置かれて、まるで住処のようだ。パンサメが日頃暮らしている場所へ案内されたのだろう。

 

 はっちゃんは感心して置かれている物を眺める。

 海上の物が多かった。人間が使う食器、ランタン、ボールや壺、錨や大砲まである。

 中には巨大な冷蔵庫も置かれていて、パンサメは意気揚々とその扉を開き、中から大きな肉の塊を取り出してきた。おそらくは海獣の肉なのだろう。両手で持たなければいけないサイズである。

 パンサメはそれをはっちゃんへ手渡した。

 驚くはっちゃんだが彼の笑顔を見た後、嬉しそうに頬を緩める。

 

 「いいのかぁ? お前の食い物じゃねぇか」

 

 パンサメは両方のヒレでどーぞどーぞと伝える。それではっちゃんは頭を下げた。

 

 「悪いなぁ。それじゃあ有難くもらっていくよ」

 

 せっかくの好意を受け取ることに決め、はっちゃんはパンサメにお礼を告げて泳ぎ始める。

 家の前で手を振る彼に別れを告げ、ひとまずその肉を船に運ぼうと考えた。

 

 とはいえ、帰り道を考えず能天気に泳いでいた彼である。

 船に戻るのも簡単ではない。

 ひとまず海上に出ようと考えて上を目指した。

 

 「ニュ~、それにしてもなんで釣り針なんて刺さってたんだろうなぁ。猟師でも居るのか?」

 

 海面から顔を出して辺りを見回してみた。

 すでに興味は他の事柄に移っており、少しだけでも確認してみたいと思っている。

 二本の腕で肉を抱えながら、バシャバシャとバタ足で進む彼は思いのほか近くに島を見つけ、思い切ってそこへ近付いてみることを決める。

 

 「ん~?」

 

 よく見るとそこはずいぶん小さな島だった。

 全長にして十メートル程度しかないが一個の島であり、数本の木が立っていて、そのすぐ傍には難破船がのしかかるようにして海上へ顔を出しており、船の残骸で焚火が作られている。すぐに見つけられたのも空へ黒い煙が上げられているためだった。

 

 その島に薄汚れた一人の男が居る。

 彼は釣りをしているようで、気になったはっちゃんはさらに近付いた。

 

 船が壊れて遭難したに違いない。

 釣りに没頭しているらしい顔は疲れ切っており、腹が減っている可能性もある。

 近くまで行き、はっちゃんは声をかけた。

 

 「おいお前ぇ、ひょっとして遭難したのか?」

 「んっ? だ、誰だお前は」

 「ちょうどでかい肉をもらったんだ。これ食いてぇか? 欲しいならやるぞ」

 「ハッ!? 肉だとっ!」

 

 疲弊した様子の男は突如表情を輝かせ、はっちゃんに笑顔を向ける。

 両手で抱えなければならないほど大きな肉を見せるとさらに嬉しそうな声が聞こえた。

 取引もせず、あっさりと彼に手渡してやる。

 男は涙を流して喜びを表現し、はっちゃんには土下座せんばかりの勢いで頭を下げ、ともすれば涙でつっかえそうになる言葉を必死に絞り出して礼を言った。

 

 「うおおおおぅ、お前はおれの救世主だ……こんなに美味そうな肉は今まで見たことない!」

 「ニュ~、それはよかったぞ。火はあるみたいだからよく焼いて食ってくれ」

 「ありがとう! この恩は一生忘れない!」

 「大袈裟だなぁ。別にいいのに」

 「そ、そうだ、一緒に食っていくか?」

 「いいよ。お前の方が腹減ってるだろ? それは全部自分で食ってくれ」

 「おおおおぅ……こんなに優しい奴ぁ、おれぁ、今まで会った事ねぇよぉ~。魚人っていい奴らだなぁ~。ありがてぇ、ありがてぇ……!」

 「ほんとは助けてやりてぇんだけど、おれも仲間のために探し物があるんだ。これくらいしかできねぇんだけどな」

 「いいや、十分さ! おれは人生に絶望していたが、この肉があれば生きていける!」

 

 男はよっぽど腹を空かせていたようで、受け取った肉を掲げると大声でそう言い切った。それほど絶望していなたら助けてやりたい気もするが、笑顔になったので良しとしよう。

 はっちゃんは軽く手を振り、再び海中へ潜ろうとする。

 

 「それじゃあ頑張ってくれよ。おれは応援することしかできねぇけど、無事を祈ってるぞ」

 「ま、待ってくれ! この島には何もねぇがせめてこれくらいは!」

 

 去ろうとしたはっちゃんを止めて、男は慌ててポケットから何かを取り出し、差し出した。

 それはきれいな指輪である。

 

 「これは?」

 「釣りをしてたら釣れたんだ。昔なら質屋にでも売ったかもしれねぇが、今のおれには何の価値もねぇ。本当に釣りたいのは魚だったわけだしな」

 「ニュ~、それじゃせっかくだし頂いとくぞ」

 「ありがとうタコ! おれは一生お前を忘れないぞ!」

 「おれははっちゃんっていう名前なんだ」

 「ありがとうはっちゃん! いつか必ず礼をさせてくれ! それまでおれは生きてみせる!」

 「それはいいなぁ。じゃあ今度会うまで絶対に死ぬなよ」

 「もちろんだ!」

 

 希望を見出して大きく手を振る男に見送られながら、はっちゃんは再び海中へ入る。

 せっかくもらった肉をあげてしまった。だが代わりに指輪を受け取って、これは食べれないので別の食べ物を探さなければならない。

 はっちゃんは次の獲物を求めて泳ぎ始める。

 

 海中はまたも静かで穏やか。

 二つの出会いによってなんだか楽しくなり、素直な笑顔で呟く。

 

 「今日は色んな奴に会うなぁ。ひょっとしてまた誰かに会うのかな?」

 

 手に指輪を持ちながら優雅に泳ぎ、辺りの風景を楽しみながら、今やまさしく散歩となる。目的は当然アーロンのためである一方でこの時を楽しんでもいた。

 久しぶりに心が安らぐ一時で、やはりこういう時間がなければいけない。

 できればアーロンを含む仲間たちにも、一時でもいい、戦いを忘れて昔のようにバカ騒ぎをする時間を感じて欲しい。それこそ、以前の一味に居た頃のように。

 

 はっちゃんは笑顔で海中の風景を見回した。

 すると、またしても海底付近に少し変わった誰かを見つける。

 

 気になって近付いてみると多種多様な魚が集まっていることがわかった。

 その中にさめざめと涙を流す金魚の姫を見つけた。

 何があったのだろうと近付いて、一匹の魚に話を質問する。

 

 「何があったんだ? 姫様はなんで泣いてんだ?」

 

 問いかけてみると魚はパクパク口を動かし、何かを喋っているらしい。それは人間には聞こえない声だが、はっちゃんは彼の言葉を理解していた。

 本来は人魚族が得意とする魚との対話である。

 粗暴だと勘違いされ易い魚人には似つかわしくない能力であるものの、優しい性格がきっかけだったか、彼は昔からそうして魚と話すことを得意としていた。

 

 ふむふむと頷いて理解する。

 どうやら金魚姫の大事な指輪が無くなってしまったらしい。

 あっと声を出して、はっちゃんは持っていた指輪を彼らへ見せた。

 

 「それならおれ、さっき見つけた指輪があるんだ。これは違うのか?」

 

 キラリと光る指輪を皆が確認して、一斉に喜びの声を上げる。

 探していた金魚姫の指輪だったようだ。

 涙を流しながら、しかし今度は嬉しそうにしている金魚姫へ近付いていき、彼女へ直接手渡してやる。金魚姫は大層喜んで深々と頭を下げた。

 

 「いいんだ、いいんだ。おれももらっただけだから、気にしなくていい」

 

 みんなが喜んでくれて嬉しいはっちゃんはそう言った。

 しかし金魚姫を始めとして、ぜひお礼がしたいと多くの魚たちが言う。

 

 その場でぼけっと待っていると、執事のような帽子を被った一匹の魚が近付いてきて、彼にお礼の品を渡す。それは見事な、黄金で出来た矛である。

 やはり姫。お礼の品も素晴らしい物だ。

 思わず受け取ってしまったはっちゃんは返すのも悪い気がして、有難く頭を下げる。

 

 「これもらってもいいのか? ありがとう。もう指輪失くすなよ」

 

 笑顔で言って見送ってくれる彼らに手を振り、はっちゃんはまた旅に出る。

 良い事をした後は気持ちが良い。

 魚たちの声を背に受けつつ、またしても彼は当てもなく泳ぎ出した。

 

 「海には困ってる奴が多いんだなぁ~。人を助けるのは案外気持ちがいいもんだ」

 

 人助けは自分まで気持ちが良くなる。相手の笑顔を見るのが嬉しいのだ。

 きっかけこそアーロンに美味しい物を食べさせたいという想いだったものの、これはこれで良い事をしている。たまには船を離れて散歩もしてみるべきだろう。

 そんな想いで黄金の矛を肩に担ぎ、彼はどこへともなく進んでいた。

 

 それはいいのだが、黄金の矛は食べられない。

 これでまた何か美味しい物を収穫できればいいのだが。

 気楽に考え、彼は視線を彷徨わせる。

 

 それからしばらく泳いだ後のこと。

 唐突に大きな影が接近していることに気付いて、咄嗟にはっちゃんは身構える。

 

 なぜかは知らないが突然、向こうの方から猛スピードで海イノシシが泳いできて、その後ろからは大口を開ける海王類が彼を追っていた様子だ。

 何が何とはわからないとはいえ、はっちゃんは海イノシシの悲しそうな顔を見る。

 つい突発的に動いてしまって、黄金の矛を握り締めた。

 その選択はつまり、海王類と戦うという意味である。

 

 本来ならば選んではいけない選択肢。海王類に勝つことは簡単ではない。

 しかしこの日、はっちゃんは困った人を助け続けていた。

 その結果、海イノシシの悲しい顔を見て、そんな顔をさせたくないと思ってしまい、彼を笑顔にしたいと素直に思う。困っている顔を変えてみたかった。

 

 「ごめんなアーロンさん、もうちょっとだけ待っててくれ……!」

 

 二本の腕で矛を握り、全く気付いていない海王類へ接近した。

 見た目はどことなくカメレオンに似ている気がしないでもないが、丸々とした歯が大きな口に並んでいて、その中には長い舌があり、長い尻尾が丸められている。

 

 海イノシシを見るばかりで気付く気配がない。

 はっちゃんは猛然と攻撃を開始した。

 

 「ニュアアアアッ!」

 

 頬の辺りへ矛をブッ刺す。

 ずぶりと刺さった矛は確実に海王類に血を流させ、痛みで体をよろけさせた。

 このままでは自分が狙われる。そこではっちゃんは矛から手を離し、反射的に拳を握った。

 

 「タコ焼きパ~ンチッ!」

 

 刺さった矛の柄をぶん殴り、勢いよくさらに矛先を埋める。ずぶりと入り込んだことで海王類はそれを無視できず、取れと言わんばかりにヒレをバタバタ動かした。

 あっと呟き、悪いことをしてしまったと思う。

 咄嗟の判断で、考えようとすらしていなかったが、そりゃ痛いに決まっている。

 はっちゃんは矛を抜き取った。抜く瞬間にも痛みはあったが贅沢は言えない。抜かれた瞬間に海王類は踵を返して、その場を去ってしまう。ひどく悲しそうに逃げ帰る姿だ。

 

 すっかり落ち込んでしまった海王類に謝りつつ、視線は先程の海イノシシへ。

 彼もまた感謝している顔ではっちゃんへ近寄ってきた。

 

 なんだか複雑な気もするがとりあえず感謝されているのである。

 海イノシシは食われずに済んで、海王類に殺されることも殺してしまうこともなかった。

 ひとまず一件落着だ。

 

 「ニュ~、大丈夫かお前。すげぇ奴に狙われてたなぁ」

 

 命を助けたことで仲良くなった気がして平然と話しかけた。

 その瞬間に、海イノシシは苦しげな顔で口元を押さえる。

 

 「なんだぁ? どうした?」

 

 唐突に苦しそうになった海イノシシは、なぜか腹の中の物を吐き出した。

 はっちゃんは目が飛び出さんばかりに驚愕する。

 海イノシシの口から、人魚とヒトデが飛び出してきたのだ。

 

 「で、出れたぁ~! 外だぁ~!」

 「やったぁ~!」

 「ニュ~っ!? 人魚とヒトデ出てきたぁ~!?」

 

 現れたのは人魚とヒトデ。助かったことを心底喜んで抱き合っている。

 人魚は女性。緑色の短髪で、Tシャツを着てリュックを背負い、涙を零しながら笑っている。

 もう一方のヒトデは一応男であるらしく、声は低くて、帽子を被り、そこらの魚とは違って人間が聞き取れる言葉を使っていた。それで人魚と喜び合っている。

 はっちゃん自身も魚人で珍しいのだが、彼女らを見て驚きが隠せなかった。

 

 魚人島出身である彼は人魚にも海の生物にも見慣れている。しかし海イノシシに食われてしかも吐き出されたそれらは今まで一度も見たことがない。

 あんぐり口を開けて声を出すことすらできなかった。

 そうして固まっていると人魚が気付き、彼に笑顔を向けてくる。

 

 「あっ! あなたが助けてくれたんだね! ありがとう!」

 「ニュ?」

 「おおおぅ、お前はおれたちの命の恩人だっ。なんと礼を言ったらいいかわからねぇ……!」

 「ニュ?」

 

 別に助けたつもりはなく、勝手に飛び出してきただけだ。

 今回ばかりはそのお礼の言葉を受け止めることもできずに、はっちゃんは首を傾げる。しかし二人は彼が命の恩人だという考えを変えなかったようだ。

 

 「……ニュ?」

 

 人魚の女の子に手を握られ、勢いよくぶんぶん振られながら、はっちゃんは不思議そうにする。

 ともかく助かったとならよかったと、そう考えるしかなさそうだ。

 


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