ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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ナノハナの一件

 アルバーナで煙が上がってからそう時も経たず。

 海に近い位置にある町、カトレアにて、一人の男が走っていた。

 比較的近いとはいえ、到着まで数時間かかるアルバーナの異変を感じ取った訳ではない。空に上がった黒煙を視認できるような距離ではなかった。

 

 男は隣町であるナノハナで起こった異変を耳に入れたのである。

 まだ自分の目で見た訳ではない。しかしその話を聞いてじっとしていられなかった。

 

 反乱軍の一員は、自分たちが拠点としているテントへ急ぎ、飛び込むようにしてそこへ入った。中には当然仲間たちが居て幾分驚いた顔で彼を迎え入れる。

 差し出される水筒も受け取らず、彼は奥に座ったリーダーへと叫んだ。

 

 「ハァ、ゼェ……コーザ! 大変だ! 今すぐ来てくれ!」

 「どうした?」

 「ナノハナに映像電伝虫が……国王が喋ってる!」

 

 ガタッと大きな音が鳴った。

 リーダーであるコーザが身を乗り出して椅子を倒しかけたらしい。彼だけでなくテントに居る他の者たちも驚愕していたようだ。

 コーザは入ってきた男を見つめ、冷や汗を垂らしながら恐る恐る報告を聞く。

 

 「国民から雨を奪ったのは自分だと言ってた……!」

 「なんだとっ!?」

 

 思わず立ち上がって椅子を倒す。コーザの顔色は見るからに変わっていた。

 

 「それを、国民に聞かせたのか!?」

 「今まさにだ! ナノハナに居た奴らから連絡が入って、わざわざ人を集めて話してるって!」

 「馬鹿げてるっ! コブラ、一体なぜそんなことを……!」

 

 じっとしてはいられずコーザが駆け出した。

 慌ててテントから抜け出し、仲間の制止も聞かずに馬のところへ向かう。

 

 「待てコーザ! 今から行ってももう遅い!」

 「見過ごせるか……! お前がそれを言っちゃならねぇはずだぞ、国王っ」

 

 馬の背に飛び乗り、素早く駆け出す。

 向かう先は隣町のナノハナ。一度砂漠に出なければならないが距離はそう離れていない。

 間に合うかどうかは微妙だろう。話が始まっているのなら全てをもみ消すことなどできるはずもなかった。だがそれでも、その凶行を無視していいはずがない。

 

 コーザは険しい顔で馬を急がせる。

 胸の内を占めるのは巨大な怒りのみ。かつては王に向けていた尊敬などゼロに等しい。

 しかしそれでもゼロになっていないのは、幼い頃、彼と話した時間を忘れていないからだ。

 

 今までにないほど早くコーザはナノハナへ到着する。

 町中を馬で走り、問題が起こっているだろう場所を探して走り続けた。

 

 町の中心へ近付けば近付くほど、もう久しく聞いていない声が届いてくる。その声が何を語っているかが理解できる頃には痛いほどに歯を食いしばった。

 角を曲がって港へ通じる大通りへ入る。

 すぐに映像電伝虫を連れた国王軍の兵士たちが見えた。

 設置されたスクリーンにはでかでかと国王コブラの顔が映し出され、怒りはさらに燃え上がる。

 

 「国王ッ!!」

 

 足を止めていない馬から飛び降りて、コーザはスクリーンの目の前へ立った。

 武器を持った兵士たちが振り返るものの、気にしていられない。

 今、いつ振りかでコブラと目を合わせていた。記憶にあるより少し老けた顔を見て、コーザは静かに怒りながら冷静に話そうとする。

 

 「今……何を話していた」

 《コーザか。ちょうどよかった。お前にも聞いて欲しいと思っていた》

 「おい、バカなことを考えるな。お前は、お前だけはそれをやっちゃいけねぇはずだ」

 《コーザ、私は――》

 「やめろって言ってるんだ!」

 《この国から雨を奪った。その結果、多くの国民が死んだ。全て私の責任だ》

 

 コーザの絶叫も空しく、言葉は再び吐き出された。そして多くの国民が聞いている。

 その言葉だけは口にしてはいけないはずではないのか。

 

 《ダンスパウダーを使って、エルマルやスイレンが枯れて――》

 「やめろッ! 性質の悪ぃ冗談だ! 皆聞くな!」

 《アルバーナでは今も変わらず雨が降り続け》

 「お前が認めていいことじゃない……! たとえ真実がどんな形でも! お前だけはそれを口にしちゃいけねぇはずだ!」

 《一時の感情でこの国を滅茶苦茶にしてしまったのは……》

 「おれは、心の底では、あんたのことを信じてたッ!!」

 《他の誰でもない。私だ》

 

 血が滲むほど拳を握りしめたコーザは、映像電伝虫を止めようと走り出す。しかし構えていた兵士が即座に彼を止め、二人の兵士が腕と肩を掴み、拘束する。

 大通りに居た人々が息を呑んでいるのが伝わった。

 コブラの表情は一切変わらず、反対にコーザは我を忘れるほど激昂していた。

 

 「枯れた町に倒れた奴らがどんな気持ちで死んだか、お前にはわからねぇのか!? お前に怒りや恨みを持ってた奴なんていやしない……! “王様のせいじゃない”、“あの人は立派な人さ”と……どいつもこいつもお前を信じたまま死んでいったんだ!!」

 《わかっている。だからこうして謝罪を――》

 「お前がやってることはあいつらを侮辱するだけだ! 真実がどうかじゃねぇ、せめてウソでもお前が無実だと言わなきゃ、彼らの気持ちはどうなるんだ!!」

 

 必死に前へ進もうとするコーザを見て、コブラは目を閉じて小さく嘆息した。

 

 《一時の感情による暴走だったと反省している……もう二度とこのようなことは起こらないよう努めるとも。死んでいった者、生きている者に、心から深く謝罪したい》

 「トチ狂ったのか……!? そんなことが誠意だとでも思ってるのか、お前はァ!!」

 《今回のことは私の汚点だ。長い時間をかけてすまなかった。考えて考えて、考え抜いて、そしてようやく決心することができたんだ》

 

 目を開いたコブラが淡々と告げる。

 その一言に、コーザは背筋が凍り付く感覚を覚えた。

 

 《私の汚点を、このまま残しておきたくはないのだ》

 「なっ……!?」

 《ひょっとしたらこの出来事を知っている者が国内に居るかもしれない。誰かが話してしまうかもしれない。国外にまで悪評が伝わってしまうかもしれない。それがひどく恐ろしい》

 「何を言ってるんだ、国王……?」

 《よって全てを無かったことにしようと思う》

 

 突然の発砲。コーザの肩が撃ち抜かれた。

 国王軍の兵士が放った一発は国民たちの悲鳴を生む。

 それは果たして痛みのせいか、それとも信じられない言葉を聞いたからなのか。体の力が抜けて倒れていくコーザは何も考えられなくなっていた。

 

 《この町で見つかった、あの忌々しいダンスパウダーの事件を忘れるために、この町を消し去ろうと思う。皆、すまない。私のために死んでくれるか》

 

 十数名の兵士が一斉に銃を構えた。

 向けた先に居るのは武器すら持たない市民。一切の躊躇いもなく引き金が絞られる。

 

 「やめろォ!!」

 《やれ》

 

 いくつもの銃声が重なった。

 それよりも多く悲鳴が発せられ、町は人々が逃げ惑う様相となり、血を流した人間が倒れる。穏やかな日常が一瞬にして崩れ去った。

 

 隠れていた兵士がぞろぞろと姿を現し、次々発砲を行った。倒れる人々は次第に増え、町が血に汚れていく。老若男女を問わず目に付いた者は撃たれてしまう。

 まるで地獄のような光景であった。

 肩の痛みすら忘れ、うつ伏せに倒れたままだったコーザは頭を抱える。

 

 目頭が熱くなるのは決して勘違いではない。

 こんな結末を望んでいた訳ではなかったはずだと、後悔や絶望に苛まれる。

 

 「なぜ……どうしてこんなことになった……」

 

 何の罪もない人々が悲鳴を上げている。為す術もなく傷つけられて倒れていく。

 コーザは何もできずにその光景を見ていた。

 己の無力さが恨めしい。自分たちの覚悟や行いが、今までの犠牲が、全て無駄になってしまった気がしてならず、心の中は言いようもないほど荒れている。

 

 「国が……本当はみんなが……その答えを知りたかったから……! だからおれたちは戦ってたんじゃなかったのか!?」

 

 銃声は止むこともなく鳴り続ける。

 全てを諦めたかのようにコーザが視線を下げた時、反乱軍の兵士も到着する。ナノハナに居た者ばかりでなくカトレアからコーザを追ってきた者まで。皆が武装し、町の状況を見て即座に戦闘を開始していた。

 その結果、ナノハナの町と国民たちはさらに傷ついていく。

 

 「大丈夫かコーザ!?」

 「くそっ、国王軍の奴ら、町に火を……!」

 「少なくとも、おれはそうさ……」

 

 駆けつけた仲間たちがコーザを起こすが反応がない。

 その間にも町の被害は広がっていく。

 兵士たちが建物に火を点けて回り、至る所が燃え始めている。不思議と火の回りが早く、まるで最初から油か何かを撒いていたかのように、町は一瞬にして炎に包まれた。

 

 逃げる者、戦う者、消火しようと試みる者など様々だが、皆は一様に泣いていた。表情や涙が流れているかという話ではない。皆の心が泣いているのだ。

 不思議とその声が全て聞こえてくるようで、コーザは自らの足で立ち上がる。

 

 「国王……それがお前の答えなんだな」

 

 スクリーンにはまだコブラの顔がある。

 コーザの鋭い眼差しが彼を捉え、コブラもまた彼の視線に気付いた。

 

 「お前は、お前を信じた国民を裏切った。お前はもう王なんかじゃない……」

 《コーザ、本当にすまないと思っている。だが私にはこうするしかない》

 「この国を、終わらせよう」

 

 今までになかった力が湧いてきていた。

 途方もない憤怒。全てを壊したいという衝動。同時に彼に裏切られた全ての国民を救いたいという慈愛までもが生まれている。

 コーザは肩の痛みを忘れて、自らが傷つくことを厭わず大声で叫んだ。

 

 「武器を取れ反乱軍ッ!! もはやこの国に王など居ない! これまで血を流し倒れた同胞たちのためにも、おれたちが終わらせる必要がある! 兵士を倒せ! 国民を救え! おれたちは今日、アルバーナを攻め落とすぞ!!」

 「待て、コーザッ!!」

 

 拳を突き上げ、声を張り上げ、混乱する町中で人々を導こうとした時だ。

 新たな声が乱入したことに気付き、それと同時に状況が変わる。

 

 港から走ってきた一団が突如国王軍に襲い掛かったのだ。

 白いマントを身に着け、フードを被り、素顔を隠した者たちが兵士たちを倒していく。隠してはいるが彼らは魚人であり、人並み外れた身体能力で敵を圧倒していた。

 目的をしっかりと定めた迅速な行動。組織的な動きである。

 ただの旅行者にはあり得ないその動きに、戦闘中だった反乱軍は驚いて手を止めた。

 

 それと同時に、振り向いたコーザの視線の先、懐かしい顔を見つける。

 行方不明だと聞いていた。なぜここに居るのかわからない。

 コーザの前にイガラムが立ち、その向こうに見えるコブラに動揺することもなく口を開く。

 

 「イガラム……あんた、なぜ」

 「武器を納めろ反乱軍! この者たちは国王軍ではない! そして国民よ、今しがたお前たちに言葉を発したあの男は本物のコブラ王ではないのだ!」

 

 周囲でフードを被った魚人たちが国王軍を制圧する一方、イガラムは真剣に語る。

 嘘を言っている様子はないが、あまりにも唐突過ぎて理解ができない。

 それでもコーザは話を聞こうとしていた。今日の今日まで数年間姿を消していたイガラムが何を語るのか、純粋に気になっただけでなく、この状況を打開する何かを言ってくれるのではないか。そんな淡い期待を持っていたのかもしれない。

 

 国王の乱心に理由があるのだとしたら。

 熱くなった頭と体でも、コブラを信じたいというわずかな心が彼を冷静にさせた。

 

 「どういうことだ……本物だと。あれが偽物だと言うのか」

 「そうだ。この反乱は最初から仕組まれたものだった。コーザ、お前が――」

 

 語ろうとした瞬間、イガラムの胸に銃弾が突き刺さり、彼の体が派手に飛ぶ。

 大量の血液が胸から飛び出し、その軌跡を目にして再びコーザの心が怒りに支配された。

 

 即座に振り向き、犯人を探す。

 大通りに居る国王軍は全員魚人たちに倒されている。今となっては立ち上がる者は居ない。そして彼らはサーベルや槍こそ持っているが、銃は奪われて一人も持っていない。

 

 犯人は別に居るはずだ。

 コーザが建物の上を見た時、マントを翻して逃げる人影を発見する。

 その体に着ているのはどう見ても国王軍兵士の鎧。

 やはりコブラ。国王軍がやったことなのだ。

 

 イガラムが地面へ倒れる。コーザを始めとして、戦闘を中断していた反乱軍の兵士が彼の下へ駆け寄った。慌てて傷を見るが、どうやら弾を防ぐほど頑丈な服をスーツの下に着ていたようだ。それでも皮膚にまで届いているとはいえ、命を落とすほどの傷ではない。

 だからといって許せる行いではないだろう。

 倒れたイガラムの傍に膝をつき、コーザはスクリーンに映るコブラを睨む。

 

 《イガラム、唐突なことですまない……真実を知られたくはないのだ。お前も私に忠を尽くすのならば、悪評を広めることなく死んでくれ》

 「自分を支えた臣下ですら切り捨てるのか……! コブラッ、貴様は人ですらないッ!」

 「ちがっ……コー……たたか、てはっ」

 

 必死に喋ろうとするイガラムだったが、なぜか口が上手く動かない。口だけでなく腕や足もだ。体が麻痺して思うように動かない。

 真実を伝えなければ。そう考えて口を動かすのだが荒い息だけが出ていく。

 

 (なぜだ、力が入らない。喋れないっ。伝えなくては、Mr.2の能力を……国王様はこんなことをするお方ではないと。コーザ、間違えるな! 頼む! 戦いを止めてくれ!)

 

 必死に喋ろうとしても無駄な努力に終わってしまう。

 真実を伝えることができずに、コーザが大きな怒りに呑み込まれていくのを止められなかった。

 イガラムは霞む視界の中、必死に彼の顔を見つめ、何とかして真実を伝えようとするものの、やはり言葉が無くては意図を汲み取れず。コーザは医者に彼を任せて傍を離れてしまう。

 

 そんな光景を、すでに逃げ出した二人は確認しようともしていない。

 国王軍兵士の格好をした二人の男女は素早く町の外へ出てF-ワニに乗り込んでいた。

 

 「ゲロゲロゲロ、ねー聞いてMr.7。あたしのスペシャルな弾は当たった人間の筋肉を痺れさせて動けなくするの」

 「オホホホホ、そういうスンポーだね。あれに当たったイガラムは喋れないってスンポーだね」

 「つまり真実は闇の中ってことね。ゲーロゲロゲロゲロ」

 「もう誰にも止められないってスンポーだね。もうすぐ反乱が始まるよ。我々も早くアルバーナへ向かって次の作戦に移らなきゃってスンポーだ」

 

 誰に止められることもなく、彼らは混乱するナノハナを離れていく。

 辛うじてその姿を見ることができた、というよりも敢えて見せられたコーザは、コブラが命令したのだと信じて疑わない。

 国民だけでなく忠誠を誓った護衛隊長まで。

 度重なる裏切りに、もはや彼を止める術など無くなっていた。

 

 「コブラッ!! おれは今からアルバーナへ行くぞ……貴様の首を獲り! この国に真の自由と平和を取り戻す! 首を洗って待っていろ!!」

 《それは困ったな。そうなれば我々も黙ってはいられない》

 「上等だ。長かったこの戦いを今日で終わらせる!」

 (コーザ、戦うな……! 奴らの思い通りになるな……!)

 「カトレアに居る全ての反乱軍へ伝えろ! 武器を取れ! アルバーナを目指せ! 最後の戦いを始めるぞ!!」

 

 ナノハナに立つ全ての国民が吠えていた。

 反乱軍が、武器を持たない市民が、国王軍を倒せと叫んでいる。

 この時、少なくともこの場所では戦いを望む者しか居ない。狂った王を倒すべしと、武器を持つことを、暴力を認めて、戦いに行けと望んでいる。

 イガラムの耳には励ます医者の声すら聞こえず、彼らの嘆きだけが聞こえていた。

 

 とんでもない結果になった。

 すぐ傍で成り行きを見ていたアーロン一味の一部は狼狽している。戦いを止めるべく町を襲えと言われていたが、どうやら彼らが想定していた状況ではない。

 

 フードで顔を隠したまま、はっちゃんは呆然と狂気に魅入られた町を見る。

 国王を殺せ。国王を殺せ。国王を殺せ。

 人々の叫びで胸が痛くなる。耳を塞いでしまいたくなる。

 国を傷つけた痛みをわからせろ。人を殺した罪を償わせろ。この世で最も辛い苦痛を。想像を絶する絶望を。怒号が辺りに響き渡る。

 大勢の怒りが一つに混ざり合って、今や町の全てを包み込んでいた。

 

 この時はっちゃんは、初めて人間を恐ろしいと感じていた。

 だからだろう。すぐ隣に居たチュウの声が聞こえず、彼に肩を叩かれて初めて気付く。

 

 「ハチ! ぼけっとすんな! 電伝虫を繋げ!」

 「ニュッ!? わ、わかったぞ……アーロンさんにだな!」

 「違う! そっちじゃねぇ! 紙使いの方だ!」

 「キリに? え、えっと……」

 「奴にこの状況を伝えろ! 全てだ! 急げ!」

 

 はっちゃんは慌てふためいて子電伝虫を取り出し、ダイヤルを回す。

 時を同じくして、確かに動き始めていた反乱軍を止めるかのよう、砲撃が始まった。海から飛来した砲弾はナノハナの町へ落ち、火に包まれた家屋を強引に吹き飛ばす。

 アーロン一味本船から攻撃を開始したのである。

 

 指揮を執るのは当然アーロン。

 遠目に確認していたのであろう。町に異変が起こったことを知ってそれでも作戦通りに動いた。

 

 「町を壊せ! 向かってくる奴ァ薙ぎ払って構わん! ただし殺すな!」

 「オオオッ!!」

 

 キリバチを振り上げて指示を出した後、アーロンを先頭にクルーの一部が海へ飛び込む。少々の距離なら船で接近するより泳いだ方が速い。

 少数精鋭。イガラムの護衛とは別に攻撃用のメンバーを選んでいた。

 また、船からは今も絶えず砲撃を続けて、反乱軍の注意を引いている。

 

 予想していた通り、突然の攻撃に反乱軍は気圧される。市民も再び恐怖のどん底に落とされた。

 市民を見捨てることはできないと、アルバーナへ向かおうとした彼らは足を止めてしまう。

 

 アーロンたちはすぐさま港へ到着した。

 武器を振り上げ、大声を発し、攻撃的な姿勢をわかりやすく見せて走り出す。

 市民は悲鳴を発して逃げる一方、武器を持つ反乱軍は反射的に身構えた。

 

 「行くぞォ! 金品を奪え! 手あたり次第に壊せェ!」

 「海賊か!? なんでこんなタイミングで……!」

 「チッ、少しの間でいい、耐えろ! 海賊が相手ならきっと砂漠の英雄が――」

 「クロコダイルなら来ねぇぞォ!」

 

 港の近くに居た反乱軍の兵士が、アーロン一味と戦い始める。

 国王軍との決戦を前に無駄な犠牲は出したくない。彼らは敵を倒すためではなく、時間を稼ぐために戦おうとする。しかしそう覚悟を決めた時、どこかから声が聞こえた。

 

 おそらくは建物の向こう側。家々が燃える音にも負けずに声が届く。

 戦いながらも兵士たちは、或いはコーザはその声を聞いた。

 

 「クロコダイルはここには来ねぇ! みんな逃げろォ~! 海賊に殺されるぞォ~!」

 「なんだ……誰が言ってる? クロコダイルが来ないだと?」

 

 走り回っていたのはチュウに子電伝虫を渡したはっちゃんだ。

 自身が魚人であることがバレないよう気を付けつつ、逃げ惑う人々の間を駆け抜け、叫ぶ。

 どれだけ粘っても助けは来ない。その真実を伝えれば反乱軍がどう動くのか、彼にはもはや想像もできない。ここで時間を稼いでもきっと反乱軍はアルバーナを目指すだろう。それでも、ほんの少しでも時間を稼げれば何かが変わるかもしれない。

 

 子電伝虫の通信を切ったチュウは表情を歪める。

 いつの間にかはっちゃんにつられた仲間たちが同じく叫びながら走っていた。

 正体がバレればどうなるかはわからない。そう考えれば確かにこの混乱は吉だろう。

 

 なぜ自分たちがこれほど従順に作戦を守らなければいけないのかわからない。しかしこの時の彼らはアーロンに言われたからではなく自分の意志で動いていた。

 プライドを傷つけないためか、それとも負けたくないのか。

 誰に負けないためかはわからないが、チュウもまた彼らと同じように駆け出す。

 

 建物が燃えて黒い煙が視界を遮り、砲弾が家を壊して、ナノハナはひどい状態にある。

 いつ死んでもおかしくないような町中を走りながら、チュウははっちゃんの後を追った。

 

 「バカ野郎、ハチ……おれたちが言ったって誰も信じやしねぇよ。おれたちゃ魚人で、こいつらは人間。一体誰が信用するってんだ」

 

 そう呟きながらもなぜか落ち着かず、終いには彼も叫び出した。

 

 「とっとと逃げろバカ野郎どもォ! チュッ♡ 海賊に殺されちまうぞォ!」

 

 国王に傷つけられた町が、さらに海賊に壊されていく。

 なぜこうなってしまったのだろう。

 立ち尽くすコーザは燃え盛る町並みを見ながら呆然としていた。

 

 「何がどうなってんだ……おれたちが何か間違えたのか? 神様ってやつがよ、おれたちに罰でも与えたがってるってことなのか?」

 「どうするコーザ! 応援を呼ぶか!? 本隊はまだカトレアだぞ!」

 「だとすりゃ、おい、神様よ。罰を与える相手を間違ってんじゃねぇのか……?」

 「おいコーザ、しっかりしろ! 呆けてる場合じゃねぇ! クロコダイルが来るか来ねぇかは置いとくとしてもだ! このまま見過ごしていいはずねぇだろ!」

 「よーくわかったぜ、神様。お前もいつか殺してやる」

 

 仲間の一人がコーザの肩を掴んで、顔を覗き込んだ時、思わずぞっとした。

 怒りに支配された彼は以前とはまるで別人。

 国王軍の兵士が落としただろう銃を手に取り、全身から怒りの念を発していた。

 

 「町の連中を逃がせ! 一人も見捨てるな! 反乱軍、海賊どもを叩き潰せェ!!」

 「おおおおおっ!!」

 

 少数でしかないとはいえ、反乱軍は本格的な姿勢でアーロン一味へと挑みかかる。アーロン一味は彼らを殺さぬように戦闘へ臨んだ。

 業火に包まれたナノハナで、また多くの血が流れる。

 誰が、なぜ始めたかもわからない戦い。その中で人々は怒り、悲しみ、平和を求めて叫ぶ。

 

 それら多くの叫びを、イガラムは耳にする。

 応急処置を受けた後で医者が運んでくれているらしい。目を閉じた彼は想像していた。

 体は痺れているが思考は止まらず、自らの無力を嘆きながら想いを馳せる。

 

 (なんと情けない……彼らの暴走を止められないどころか、私がやられたことで反乱の意思が強まってしまうとは。もはや私にできることはない……あまりにも、不甲斐無いっ)

 

 涙を流したい気分であるのに、痺れた体はそれさえもできない。

 彼は今傍に居ない仲間たちの顔を思い浮かべる。

 

 (あとは君たちに任せるしかない。ビビ様、どうかご無事で。ルフィ君、必ずクロコダイルを倒してくれ。キリ君、皆を守ってくれ……)

 

 今はもう願うことしかできない。

 

 (皆、どうか無事でいてくれ……)

 

 イガラムは強く願い、心の中で仲間たちを応援する。

 一日はまだ始まったばかり。

 早くもナノハナの空の色が変わっていた時、仲間たちは、すでに砂漠を走っているはずだった。

 

 

 *

 

 

 ヒッコシクラブという、巨大で足の速い生物が居る。

 これはアラバスタでも珍しい種類で、見つけることがひどく難しいことから“幻の生物”とまで語られているほどだ。

 

 現在、麦わらの一味はこのヒッコシクラブの頭に乗り、アルバーナを目指していた。

 ナノハナで国王の演説が始まる少し前、声が聞こえる前に砂漠へ出ている。

 それもこれも、アラバスタ到着と同時に、先に到着していたMr.9、ミス・マンデーとの合流を果たしていたからに他ならない。彼らがヒッコシクラブを捕まえていたようで、詳しい説明をする暇もなく頭の上へ乗り、誰よりも早く駆け出していた。

 

 そして少しの時間が経ち、ナノハナからの連絡。

 子電伝虫の通信を終えたキリは難しい表情で眉をひそめた。

 

 「やられた。Mr.7ペアか。まさかあの二人を町から離すとは」

 「イガラム……」

 「大丈夫。頭を抜かれて即死じゃなかったんなら死ぬことはないよ。どこから攻撃があってもいいように防弾チョッキを着てたんだ」

 

 通信の声が聞こえていたのだろう。心配そうなビビへ安心させようと告げる。

 しかし気になるのは狙撃されたイガラムの容体ばかりではない。

 ウソップが恐る恐るキリへ質問した。

 

 「なぁキリ、Mr.7ペアってのは確か……」

 「狙撃手ペアだ。アルバーナで重要な任務があるから前線に出てくる可能性は低かった。読み切れなかったボクのミスだ」

 「ひょっとして、まずいのか?」

 「いや、彼らが出てきたことによって不安要素の一つが隙だらけになってるはず。アレは大勢に知らせていいものじゃない。先にボクらが出てる以上、相手より遅く着くとも思わない。それならひとまず不安要素は一つ消せるはず……」

 「その不安要素ってのは?」

 「それはボクがやる。みんなはエージェントの排除に集中して」

 

 多くは語らず、キリはそう締めくくった。

 さらに聞くべきか、終わらせるべきか。迷いはしたがウソップは素直に頷いた。

 キリを仲間として信頼している。任せろと言うのなら任せて構わないはずだ。逆に深く聞き過ぎることが彼を信じていない行動になってしまう。

 

 アルバーナまでの道のりは長い。

 ラクダの脚ならおよそ8時間。ヒッコシクラブはそれより速い。

 

 なんとしても王国軍と反乱軍の接触を防がなければならない。そのために準備できる時間はそう多くないだろう。どれだけ時間を稼いでも、必ず反乱軍はやってくるからだ。

 その上、バロックワークスの邪魔は必ず入る。時間はいくらあっても足りない。

 

 イレギュラーは必ず起こるとキリは言った。

 誰もが緊張している。意識していなくてもつらつらと考え事をしてしまい、到着までの時間、全く心を休めることができない。

 この緊張感を持ったまま数時間の移動を行うのか。

 ウソップは深く鼻息を出した。

 

 「みんな緊張してんな……よし! ここは元気の出る“ウソップ応援歌”で!」

 「やめとけ。無駄な体力消耗すんぞ」

 「そもそもお前の歌で元気付けられたことがあったか」

 「何をーっ!? おれはよかれと思って……!」

 「はいはい、わかったから叫ばないでよ。ただでさえ暑いのに疲れちゃうでしょ。本番はこれからなんだから、できるだけじっとしてなさい」

 

 サンジやゾロの軽口を跳ね除け、ナミが場を引き締めるように言う。

 全員、紫外線に耐えるためマントを身に着けている。それでも熱に耐えられる訳ではない。

 特に辛そうだったのは毛皮を持つチョッパーだ。大量に持ってきた水があるため、頻繁にそれで喉を潤し、シルクが団扇で扇いでやりながら心配する。

 

 「砂漠って暑いんだな……おれ暑いとこダメだ」

 「大丈夫チョッパー? アルバーナまで距離があるから、頑張って」

 「うん。おれ、頑張るよ。ビビのためだもんな」

 

 ぐったりして舌をだらしなく出したまま、チョッパーは諦めようとはせずそう言った。

 その声を聞いたビビは俯き、わずかに表情を変える。

 

 キリがMr.9とミス・マンデーに目をやった。

 彼らもまた砂漠の縦断に耐えるためマントを身に着けている。それでも相変わらずMr.9はキラリと光る王冠を被っていて、暑そうなスーツを着ていた。

 普段ならば軽口の一つもあるだろうが今はそんな余裕もなさそうだ。

 真剣に二人を見るキリは笑みを見せずに伝える。

 

 「二人はビビの護衛だ。常に彼女と行動を共にして、守ってくれ」

 「了解。それはいいけどよ、おれたちはお前らの作戦ってやつを知らないんだが」

 「細かいことはこっちでやる。とにかくビビを守ってくれればそれでいい。彼女が死んだらそれこそ全て水の泡。ボクらの負けだ」

 「わかった。私たちの命に代えてもあの子を守るよ」

 「そ、それはだめっ!」

 

 ミス・マンデーが決意を固めて言った時、咄嗟にビビが止めるように言う。

 大きな声だったせいか、全員の注意が彼女に向いていた。

 

 「全員、生きて戦いに勝つの。そしてその後は、みんなで思いっきり宴して騒ぐんでしょ? 命に代えてもなんて言わないで」

 「宴?」

 「そう。何も考えずに思いっきり騒ぐの。楽しいのよ、海賊の宴は。二人は海賊じゃないけど協力してくれるんだもの。参加してくれなきゃ寂しいわ」

 

 ビビは笑顔を見せ、ぎこちなさを感じさせたが、努めて明るくそう言う。

 きっと心中は不安でいっぱいだろう。どうにもできない恐怖心があるのだろう。

 仲間が、国民が、家族が、誰かが死ぬかもしれない。そんな恐怖と向き合い、無理にでも心の奥へ押しやって笑おうとしている。戦おうとしている。

 ミス・マンデーとMr.9はそんな彼女を見つめ、一緒に居た頃とは違う何かを感じた。

 

 「あんた……変わったね」

 「え? そうかしら」

 「OK、わかったぜミス・ウェンズデー。いや、今はビビ王女か。おれは海賊じゃないが王族でもないしな。下品に騒ぐことには全く抵抗感はない」

 「ミス・ウェンズデーでいいわ、Mr.9。今更王女なんて呼ばれるの、くすぐったくて」

 

 今度こそビビの笑顔からぎこちなさが消える。

 仲間たちも安堵した様子で、元は仲間であった三人の会話を見守った。

 

 機を見て、キリがルフィへ話しかける。

 ルフィは振り向き、彼と正面から向かい合った。

 どちらもいつになく真剣な顔で、そう大きくはない声で話し出す。

 

 「ルフィ、これ」

 「ん?」

 

 手渡したのは樽型の小さな水筒だった。

 首から提げられるようになっており、ルフィは不思議そうに受け取る。

 

 「なんだこれ? 水か? 水なら樽で持ってきてんのに」

 「飲む用じゃないよ。もしもの時のために緊急用としてね」

 「ふーん……わかった。持ってく」

 

 簡単な説明を受けて深くは聞かず、ルフィは首に紐をかけて水筒を提げる。

 

 「ルフィ」

 「なんだ?」

 「アルバーナに入ったら、常にボクが傍に居る訳じゃない。というより多分、ほとんど傍には居られないと思う。クロコダイルは任せた」

 「わかってる。見つけてぶっ飛ばせばいいんだな」

 「それから」

 「うん」

 

 キリは一度目を閉じ、言葉を区切った。

 数秒を置いてから目を開く。

 

 「約束する。何があっても生き残るよ。だから心配はしなくていい」

 「しっしっし、当たり前だろ。それならおれもおんなじだ」

 「これが終わったらやっと、胸を張って君の仲間だって言える」

 

 キリが右腕を伸ばして、ルフィに向けて拳を掲げた。

 

 「生きて会おう。宴、楽しみにしてるからさ」

 「おう!」

 

 ルフィも拳を掲げてキリのそれに軽くぶつける。

 約束は交わされた。

 絶対に死なないと彼は言う。しかし逆を言えばそれは、わざわざ言葉にしなければならないほど重い覚悟であることを告げており、それほど危険な戦いであることを示している。

 聞いていた仲間たちにとっても聞き流していい言葉ではなかった。

 

 それからしばらく無言の時間が続く。

 緊張感は増す一方で、アルバーナへ近付くにつれて明らかに空気は変わっていった。

 

 ヒッコシクラブは全速力でアルバーナへ向かう。

 到着した時、仲間とは一時的に別れて、戦いが終わるまで会えないかもしれない。

 それを理解しながら、仲間が死ぬかもしれないとは疑わず、彼らは前へ進む。

 


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