なのでまた少しだけ。
ついでに、この作品では今年一発目です。ことよろ。
東西南北に分かれたアルバーナの町。
その東ブロック、対峙している四人の姿があった。
短くなった煙草を手に取り、携帯灰皿に押し込んだサンジは、冷静に敵を見据えた。
隣に立つウソップは必死に膝の震えを抑えて、手にはパチンコを握る。
彼らの前に立つのは敵。それだけは間違いない。
外見的特徴とキリから聞いた情報を照らし合わせて誰であるかを確認しようとしていた。すでに持っている情報を利用すれば、勝利の確率はずっと高まるからだ。
サンジは特に必要としていた訳でもないが、ウソップには必要不可欠だろう。そういった考えもあって戦う前の会話に付き合っている。
敵はまだ動く素振りを見せない。どうやら余裕の態度という様子だった。
「黒のモジャ毛、サングラス。それと黄色い服のミニスカートで脚が眩しく、愛らしい帽子を被っていて、優雅に傘を持ち、まるで太陽にも負けないほどの美しく輝く笑顔が特徴的な美女だ。ウソップ、情報だと誰になるかわかるか? 残念ながら男の方はおれはわからん」
「お前情報量が偏り過ぎだろ。多分Mr.5って奴だ。その隣はミス・バレンタイン」
「ミス・バレンタイン……恐ろしい。なんて可愛いんだ。あの笑顔で見つめられただけでおれの膝は震え出し、今にも崩れ落ちそうになっている。あぁ、おれは恋をしてしまったようだ……」
「安心しろ。お前はいつも通りだ。それと男の方は?」
彼らの前に立っていたのはオフィサーエージェントでは最下位ナンバー。
Mr.5とそのパートナー、ミス・バレンタインの二人だった。
一番下のナンバーとは言ってもそれはオフィサーエージェントの中での話。バロックワークス全体で見れば彼らは十分強者として判断されており、厄介な能力を持っている。
キリの情報を聞いていて正解だった。
対峙している二人が悪魔の実の能力者だということは理解している。如何なる能力か、どんな使い方をするのか、弱点は何か。それらも全て理解していた。
一時は驚きもしたが、キリが味方でよかったとこれほど思ったことはない。
初戦が最下位ナンバーだったことも幸運に思え、ウソップは歯を食いしばって覚悟を決める。
「よ、よぉし……こいつらを倒さねぇと色々引っ掻き回されるんだな。つまり逃がす訳にはいかねぇし、逃げちゃいけねぇってことだ」
「ったりめぇだ。今更何言ってやがる」
「わかってんだよ、そんなことはっ。か、確認だ。一応な」
ウソップがゴーグルを装着して戦闘態勢になる。
それを見たサンジも笑みを浮かべ、爪先でトントンと軽く地面を叩いた。
対峙して、二人の様子を見ていたMr.5とミス・バレンタインは余裕を醸し出している。
「聞いたか? おれたちを倒すんだと」
「キャハハ、バカな考え。さっさと逃げればいいのに。どうせ逃げられないけど」
「あーミス・バレンタイン。君に一つ言っておきたいんだが、僕のハートは君を一目見た瞬間から幸せと恋のビートを――」
「うおいっ!? おめぇこそいい加減にしろ! こいつら敵なんだぞ!」
戦う前とは思えないほど妙な雰囲気でも、その時が来れば空気は緊張する。
Mr.5が身じろぎした時、ふざけた態度だったサンジや怯えていたウソップの表情が変わった。
「金髪の方は蹴り技を使う。鼻のなげぇのは狙撃手だったな」
「地の利はこっちにあるわ。二人でやる?」
「いいや、そう時間もかからねぇだろう。おれが金髪だ」
「じゃあ私が長鼻ね。キャハハ」
彼ら二人を見てあらかじめ知っていたかのような発言。
当然ウソップとサンジの警戒心は増して、すでに知られていることを理解した。
そう不思議でもない。彼らは広い情報網を持つ秘密結社であり、キリが居ることによって当初からマークされていた。ここまでの航路で調べられたのだろう。
人の居ない島もあれば数え切れないほど人が居た島もある。
どこで調べられていてもおかしくない、と改めて考えた。
「お互い様ってことか。こっちが有利って訳でもねぇな」
「くそ~、やっぱそう簡単じゃねぇか……」
「となりゃ実力勝負だ。おれはあの爆弾野郎をやる」
サンジも腹を決めたようで、指名された通りにMr.5と交戦することにした。
「だからウソップ、お前はあの可憐なミス・バレンタインを、掠り傷一つつけずにそっと優しく倒すんだ。できるな?」
「できるかァ!? アホなのかお前はッ!? ただ勝つだけでも難しいっつうのになんでより難しくなってんだよ! しかもおれだけ!」
「いいかウソップ、おれはレディを蹴ることができない。それに、ビビちゃんのためにお前が死ぬならおれは後悔しない」
「おれがするわァ!? 死ぬこと前提で進めんなッ!」
「それじゃあ行くぞ」
「待てっ、それならせめて危険な時は助けるという約束を――!」
歩き出したサンジはポケットに手を突っ込んだまま顎を動かし、Mr.5を呼びつける。
意図は伝わっただろうが気に入らないのか、Mr.5はわずかに眉を動かした。
「てめぇの能力でミス・バレンタインを傷つけたくねぇ。相手してやるから来やがれ」
「ほう。自分の死に場所くらいは選びたいか」
「言ってろ。ザコにゃぴったりのセリフだぜ」
「いいだろう……お前は五体バラバラにして始末してやる。おれのボムボムの能力で」
「上等だ。三枚にオロされてなきゃいいがな」
相手を挑発しながらも戦わずに、二人は歩いて大通りを離れていく。
ぼけっと見送っていて残されたのはあとの二人。
傘を差したミス・バレンタインがウソップに視線をやり、気付いた彼が肩を震わす。
「それで、あなたが私の相手ってこと?」
「ハッ!? そ、そそそ、その通りだコノヤロー! おれの名はキャプテ~ン・ウソップ! 麦わらの一味の狙撃手で、魚人の幹部を倒したことがあるんだぞ!」
「ふーん、そう。それで?」
ミス・バレンタインが歩き出したのは二人の背が見えなくなってからだった。
あっさりと一歩目を踏み出し、迎撃があるかもしれない、という恐怖心を一切持つことなく正面からウソップへ向かっていく。
唐突なことでウソップが後ずさるものの、一歩目の後に踏みとどまった。
ここで逃げれば仲間が死ぬ。
そう考えた時、自分の意思など無関係に体は止まった。
気付けば震えもなく、強い眼差しでミス・バレンタインを睨みつける。
少しは骨のある男だと判断したのだろう。
しかしミス・バレンタインの歩みが止められることはない。正面からゆっくり接近する。
「怖いのを無理やり我慢してるってわけ? キャハハ、無駄な努力ご苦労様」
「無駄なんかじゃねぇぞ……おれはスロースターターなんだ。その気になるまでちょっとばかし時間がかかるんだが、おれが本気を出す前に仕留めるべきだったな。本気になったおれは誰にも止められねぇ! そう、おれの名は! キャプテ~ン――!」
「ウソップって言うんでしょ? もう聞いたわよ」
そう呟いた時、ミス・バレンタインはすでに目の前に居て、ふわりと軽い姿で低空を跳んでいるらしく、振り上げた右脚がウソップの顔を蹴ろうとしていた。
急に風を感じてウソップが絶句する。
ミス・バレンタインはくすくす笑っていて、さらに能力を使用した。
「加重2000キロ」
ぐるりと腰を捻って繰り出される蹴りが繰り出される最中に、体重が一気に重くなる。
埋め込まれるように顔面への一撃を受け、ウソップの体は軽々宙を舞い、着地した直後に勢いよく地面を滑った。ごろごろ転がって土煙を上げ、自然に止まるまで数メートル移動する。
鼻の骨が折れたのではないかとすら思う重い一撃だ。
彼女は、移動の際には自分の体重を限界まで軽くして、地面を蹴ってジャンプするだけで高速移動を行った。その後、攻撃の瞬間にのみ全身を重くしている。
まるで砲弾。それ以上かもしれない。
鼻血を流すウソップは仰向けに倒れたままミス・バレンタインに目を向ける。
これで最下位など、笑えない話だ。
自分の体重を操作するキロキロの実の能力の使い方や、戦い方まで聞いて、さほど戦闘が得意なタイプではないと聞かされていたのに、とんでもない。キリは自身の能力を使った勝ち方を見つけているのかもしれないが、初めて見る人間からすれば十分驚異的。
女だからといって彼女は戦闘が苦手な訳ではない。
たった一撃でもそう判断して、ウソップは戦慄する。
顔の痛みに耐えながら必死に立ち上がる。
それほど重い一撃を受けても気絶しなかったのはきっと、ウソップも強くなっているから。
確かに殴り合いは得意ではない。だがその分、他人に誇れる武器がある。
キリと何度も話して、打ち合わせをして、勝機は得た。彼は全く怯まない。
「あら、意外にすぐ立ち上がるのね。今ので終わるくらい弱いと思ったけど」
「ありがとよ……今の一撃で、やっとおれの本気モードが見せられそうだ」
「何それ。ダサっ。本気になったら私に勝てると思ってる?」
「ああ思ってるね。なぜって、こっちにゃ頼りになる仲間が居るからよ」
唇まで流れてきた鼻血を腕で拭い取り、その後弾を握ってパチンコに番える。
戦うための姿勢を見せながらウソップは焦らず語った。
「仲間が、キリがおれを強くしてくれた。もうそんなに時間はかけねぇぞ」
「あんたムカつくっ。完全に舐めてるわよね!」
再びミス・バレンタインが体重を軽くして、軽い動きでその場で跳ねる。
キロキロの実は自分の体重を1㎏から1万㎏まで変化させることができる能力。今、1㎏まで軽くなった彼女は常人には不可能な動きすら実現させる。それも能力の鍛錬を続けた結果、瞬時に自分の体重を操作し、全体重を利用する蹴りまで慣れていた。
女でありながら人体を骨まで粉砕しかねない格闘術。
ここで逃す訳にはいかないと考える。
幸い、ウソップは自分が弱いと判断しているからこそ、全てのオフィサーエージェントの情報を頭へ叩き込んだ。そして余裕を見せているミス・バレンタインには油断を感じる。
勝機はある。
相手が自分より強いからこそ、ウソップは自分が勝てると判断できた。
「あんたなんか全く怖くないの。せっかくなら一瞬で決めてあげようかしら。それともじっくり骨を折って欲しい? 私の能力ならどっちでも簡単なのよ」
「お前はよ、確かに強そうだからさ……だからわかんねぇんだろ」
「はぁ?」
「強ェ奴の天敵は、臆病で弱い人間なんだぜ」
ミス・バレンタインがムッとした顔を見せる。
彼の発言を不愉快に思ったのだろう。もはや待とうとはしなかった。
「何それ。意味わかんない。あんた、ムカつく」
「へへっ、怖がってんのはお前の方じゃねぇのか?」
「ハァ!? バカじゃないの! びびってんのはあんたの方じゃない!」
「そうか? なんでだろうな、おれにはもうお前が怖く見えなくなってんだが……」
全て、ハッタリである。
本当は膝が震えるほど怖いが口先だけは自由に動く。
弱いと決めつけた相手にこれだけ言われるのは屈辱でしかないだろう。簡単な挑発だが確実に効果は出ているようで、ミス・バレンタインは見る見るうちに顔を赤くして怒り出した。
平静を失えば失うほど良い。
ウソップは空元気とバレないよう気をつけ、大声で笑った。
「ハ~ッハッハァ! どうやらやっとキャプテン・ウソップの真の恐ろしさに気付いてきたようだなァ! そう、おれこそが! 難攻不落のナバロン要塞を攻め落とし! あの伝説の巨兵海賊団を傘下に納め! 島を喰っちまうほどバカでけぇ金魚を倒した! キャプテ~ン・ウソップ!」
「うるっさい! どうせそんなの全部嘘でしょ! バカバカ、バ~カ!」
嘘は大きければ大きいほどいい。
ミス・バレンタインは見る見るうちに怒りを募らせていく。冷静さを欠き、油断と合わさって隙が生まれてくれれば御の字だ。
「減らず口はもう十分! あんた、とっとと死になさいよ!」
ただ、恐ろしいのは冷静さを欠いても強いことだ。
地面を蹴って真っ直ぐ接近してきたミス・バレンタインは驚くほど速い。体重の軽さが影響しているらしく、風に乗って空を飛べるほど軽い彼女は常人のスピードではない。
気付けば目の前に居て、反応する暇もなく足を振り上げていた。
ウソップは驚愕し、防御もできずに蹴り飛ばされた。
爪先が頬に突き刺さって、体全体が浮かび上がり、首が折れそうになるほどの衝撃。滑るように地面を転げ回り、受け身さえ取れない。
やはり攻撃の瞬間だけ一気に体重を重くしていた。
その程度の冷静さは残っているようで、弱くなっている訳ではない。
ゴロゴロと転がり、起き上がる前にミス・バレンタインがウソップに追いつく。
体重を軽くしてふわりと跳び上がり、彼の体が止まったところを狙って真上から落下する。
その際、攻撃力を高めるため、彼を押し潰そうと一瞬で体重を重くした。
「グチャグチャのミンチにしてあげる! 一万キロプレス!」
「ギャアアアアアッ!?」
高速で落下してきたミス・バレンタインを見やり、ウソップは慌てて転がることで回避した。
なんとか逃げることに成功して、彼女は落下を止め切れず、一万キロの重さであるが故に地面を陥没させ、自分が開けた小さな穴の中に消えてしまう。
その間にウソップは立ち上がり、慌てて距離を取った。
策ならばある。どんな相手でも上手くいけば一撃で仕留められる必殺が。
問題は失敗させる訳にはいかないということ。チャンスを待つ必要があった。
ミス・バレンタインは穴に埋まってしまっている。
今がその時か。
パチンコを構えようとした時、しかし彼女は勢いよく跳び上がった。
「必殺――!」
「チョーシ乗ってんじゃないわよ!」
体重を軽くし、ミス・バレンタインは身軽な動きで天高く舞い上がった。これが厄介だ。それほど素早く動かれてしまっては避けられる危険性がある。
チャンスはそう多くない。
見極めが肝心だと、冷静に判断したウソップは駆け出した。
「うぎゃあああっ!? こえぇええええっ!!」
「ハアッ!? 逃げんなァ!」
向かった先はミス・バレンタインとは全くの逆方向。
簡単に彼女へ背を向け、一目散にその場から走り去ろうとする。その姿を見たミス・バレンタインは強い怒りを持ち、即座に追いかけようと地面を蹴った。
「このクズ野郎ッ! どこまで腰抜けなのよ! 言うだけ言ってあっさり逃げる気!?」
「うおおおっ! もう知るかァ! こっちは命が大事なんだよ! こんなとこで死ねるかァ!」
「なんて最低な奴っ。あんただけは絶対逃がさないわよ!」
限界まで体重を軽くしてミス・バレンタインが跳んでくる。一度、二度と地面を蹴っただけでふわりと宙を飛び、早くも追いつかれようとしていた。
わずかに振り返って確認したウソップは素早くパチンコを構える。
走りながら地面に狙いをつけ、一発の弾を放つ。
「なんつって煙星!」
「何ッ!?」
自身の足下で煙玉を破裂させて、あっという間に彼の姿が煙の中に消える。
すでに跳んでいたミス・バレンタインは止まることができず、煙幕の中へ飛び込んでしまう。
視界が一気に狭くなるが、ウソップの姿は見えない。
小さく舌打ちをして彼女はさらに先へ進んだ。
足を止めず、一瞬にして煙を突き破る。
あれほど弱気だった男が立ち止まるとは思えない。必ず逃げている。真っ直ぐ走り続けていると判断して追いかけようと思っていた。
結局接触せぬまま煙から抜け出した。
視界が開け、通りを見たミス・バレンタインは驚愕せずにはいられない。
すぐ傍を彼女が通り抜けたことを確認したウソップは、煙幕の中で叫ぶのである。
「ウソ~ップ
「しまった、あの中に隠れて……!」
「想像してみろ……爪と肉の間に針が深く刺さった!」
「なっ、いやっ!? 考えただけですごく痛いっ」
ウソップはその場で叫んだだけである。ミス・バレンタインはいまだ煙幕に片足を突っ込んでいるような位置で、そう遠く離れていない。だがそれは立派な攻撃となったようだ。
その状況を想像してしまった彼女はぞわっとした感覚に肌を震わす。
想像するだけで痛い。非常に嫌だと感じた。
動揺を誘うという目的ならば攻撃は成功したと言えるだろう。
「この技だけは使いたくなかったが、仕方ねぇ。もし全てを聞いちまったらお前は立っていられなくなるだろう……それほど恐ろしい
「ふ、フン、何よ。そんなのただ聞かなければいいだけ――」
「口内炎が歯茎に五個できた……」
「うっ!?」
「つまづいてサボテンの上に手をついた」
「ううっ……」
「靴を履こうと思ったら中からゴキブリが飛び出した~!!」
「いやぁあああああっ!?」
言えば言うほどミス・バレンタインは動揺する。
まだ煙幕が漂っているため、互いに姿は見えないのだが、それなら狙いはつけられる。
ウソップは敵を視認せずにパチンコを構えた。
「今だ、くらえ! 黒光り星!」
絶叫が聞こえた方向へ放つと、上手く彼女へ当てることができた。それは拳大の大きな黒い風船であり、勢いよく飛んできてミス・バレンタインの体にぶつかると呆気なく割れる。
痛みはない。ダメージは皆無だ。
しかし風船が割れた瞬間、中から大量に何かが飛び出し、辺りへばら撒かれた。
黒く小さな物体。虚を衝かれたミス・バレンタインはすぐには理解できない。
それらが地面に落ち、自身の上からも降り注いだ時、やっと判別する。
どうやら、無数にあるその全てがゴキブリだったようだ。
「い、いっ……!?」
思わず掌で受け止めてしまった一匹を見て、彼女は我も忘れて立ち尽くす。
体は小刻みに震えており、帽子や肩に乗っていたゴキブリがカサカサ動くとそれは余計に顕著なものとなる。そして彼女の目の前では、掌の上でゴキブリが走っていた。
今度こそ気絶しそうな勢いで、ミス・バレンタインは絶叫しながらゴキブリを放り投げる。
「いやぁああああああっ!? 気持ち悪~いッ!!」
「お前の弱点だ。女は大概、ゴキブリを嫌う」
「ひぃいいいっ!? 取って取って取ってェ! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い~!」
実際のところ、ウソップが放った“黒光り星”とは、ただのゴキブリの玩具である。確かに動いてはいるが数秒もすれば動かなくなってしまう仕組みだ。だがそうとは知らないミス・バレンタインは本物だと信じて疑わず、冷静さなど欠片も残されていない。
頭に、肩に、脚についたゴキブリに怯えてバタバタ暴れている。
今すぐ取りたいが自分の手では触れられない。そのせいで奇妙な格好で動き回っていた。
こうなればもはや能力など使えない。冷静に戦うことなどできない。
ゆっくりと煙幕が晴れていった時、パチンコに弾を番えるウソップは堂々と仁王立ちしていた。
ジタバタしていてもその場は動いていないのだ。
標的としてこれほど当てやすい状況も珍しい。
パチンコのゴムを伸ばし、彼は一切の容赦なく追撃を行った。
「これでお前は逃げられねぇぞ。くらえェ!」
「いやぁ~っ!?」
「必殺! 眠り星!」
放たれた弾は真っ直ぐミス・バレンタインの顔へ。
鼻先に接触してパンっと割れ、少量の煙が辺りに散布される。それを吸い込んだ彼女はほんの数秒で意識を失い、受け身も取らずにその場へ倒れてしまった。
“眠り星”はチョッパーと共同開発した新兵器にして必殺技。一度吸い込めばたちどころに眠ってしまうという強力な睡眠薬。しかも煙にして散布するため呼吸している限り逃げられない。
初めて実戦で使用したが上手くいった。
サンジの要望通り、掠り傷一つつけずに勝利したのだ。
「よ、よよ、よぉ~し……寝たか? 寝たよな? ふぅ~……」
ウソップは大きく息を吐きながら額の汗を拭う。
今頃になって足が震え出して、周囲を見回し、敵が居ないことを確認して安堵した。
「へへっ、弱点さえわかってりゃお前なんか怖くねぇんだ。見たかコノヤロー! おれだってちゃんと強くなってんだ、バカヤロー!」
スヤスヤ眠るミス・バレンタインにか、それともその場に居ない敵に向かってか。
思い切り叫んだウソップは冷静になって思考を巡らせる。
再び荒れた町並みを見回して、すぐに行動しなければならないことを悟った。
一人倒せば終わる戦いではない。
事前にキリと綿密な作戦を練って、あらゆる状況を想定して話していたおかげで、次に自分が取るべき行動はすでにはっきりしている。
イレギュラーは必ず起こると、彼は言った。
おそらくキリの助けはないだろうと考え、ウソップは遠くを見る。
目を向けていたのは王宮ではなく砂漠がある方角だ。
最初から彼は、自分にしかできない重要な仕事を頭の中に置いていた。それ故、迷わない。
「敵の幹部は一人倒したぞ……お前ら、他の奴らは任せるからな」
ウソップはひとまず町の中心部に向かって駆け出し、緊迫した面持ちで歯を食いしばった。
「おれは反乱軍を止めねぇと……!」
最悪の事態は想定している。そしてアルバーナへの道中で必ず来ると確定した。
だからウソップは走る。
君にしかできないとキリに託された。彼の信頼を裏切る訳にはいかない。仲間たちを心配する気持ちを押し殺し、仲間の下ではなく、ウソップは一人戦うために準備を始めた。