ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Calling Out(2)

 数度の蹴りを上手く避けられて、その度に味方が倒される。

 怒りは溜まる一方であり、その度に強くなる感覚があった。

 ついにサンジを捉えたMr.2は、思わず大笑いしながら蹴りを繰り出していた。

 

 「んが~っはっはァ! 捕まえたわぁ~ん!」

 

 素早く反応したサンジの蹴りと激突する。互いに右足をぶつけ合い、相当な衝撃が足から全身へ駆け抜けた。特にMr.5の爆発を受けて怪我を負っていたサンジは眉を顰める。

 蹴りの強さは互角。どちらもその場で着地する。

 その直後の行動はそれぞれ違っていて、Mr.2は次の攻撃を行い、サンジは後ろへ跳んだ。

 

 「そう簡単に捕まるか」

 「んなぁ~にをぉ~!」

 

 長い脚による蹴りを跳んで回避して、再びサンジが別の敵を襲う。

 素早く力強い攻撃で数多の男達が宙を舞い、少しずつとはいえ確実に戦力が減っていた。国王軍との戦いも当然影響しているが、これほど早く削られているのは彼の行動を許しているせいだ。

 

 Mr.2が悔しげに歯を食いしばる。

 何よりも優先してサンジを止めなければならない。

 早くもビビに逃げられてしまったこともある。この戦場で敗北する訳にはいかない。全ての鍵となるのは今やツメゲリ部隊などではなく、一介の海賊、そのコックであった。

 地面をわずかに抉るほど強く蹴りつけて、Mr.2が全力でサンジを追いかけた。

 

 「逃がさな~い!」

 「さっきからそう言ってるが、全然ついて来れてねぇな」

 「んなぁ~にぃ~!? オッケー、わかったわ! そこまで言うなら見せたらァ~!!」

 

 逃げるために跳びつつ、サンジは得意げに挑発した。それを見たMr.2は呆気なく乗り、更なる怒りを燃え上がらせて足の回転を速くする。

 そこまで言われて黙っているのはオカマに非ず。

 変化は一目瞭然。一瞬にしてぐんぐん近付いていった。

 

 「オカマデャーシュッ!!」

 「へぇ……」

 

 凄まじい迫力で接近してくるMr.2を冷静に眺めて、ふとサンジがその場に立ち止まる。

 ようやくまともに戦える状況になった。

 俄然闘志を燃やすMr.2であったが、如何せんサンジの挑発に乗ってしまった状態であり、幾分冷静さを欠いていたらしい。

 

 「死になさぁ~い!!」

 

 突き出した右脚は驚くほどあっさり回避され、一瞬にして懐に飛び込まれる。

 思わずぽかんとしてしまうほど鮮やかな足運び。おそらく予めこうなることを予想しての挑発だったのだろう。冷静さを取り戻した時にはすでに遅かった。

 

 真っ直ぐ伸ばした脚がMr.2の腹に突き刺さる。

 体がくの字に曲がり、胃の中の物が逆流しそうになって慌てて口をきつく閉じた。

 

 滑るように地面へ足を着ける。

 突然の反撃には驚いたが、近付きさえすればこちらのもの。しかも至近距離に居る。

 迷わずMr.2が拳を突き出そうとした。しかしその動きを見て判断するのではなく、攻撃を終えた直後にサンジが後ろへ跳び、拳が伸びきった時には目の前に居ない。

 またしてもサンジは離脱しようとしており、Mr.2は表情を険しくした。

 

 「こいつ、あくまで逃げ回る気か……!」

 「どうしたオカマ野郎。おれが逃げるぞ」

 

 別の敵を狙おうとするサンジは、しかし本気でMr.2から距離を取ろうとしている訳ではない。常に追いかければ届くだろうと思わせる距離を、意図的に一定の距離を保っている。それは彼から逃げるためではなくて、彼を逃がさないための距離だ。

 もしMr.2が国王軍を狙うようならすぐに止めに入る気でいる。

 それでいて敵の力を削ぐため、敢えて正面から向き合おうとはしない。

 

 どうやら猪突猛進のバカではないらしい。

 軍の指揮官としてはあまりにも力不足とはいえ、己のやり方で立て直そうとしている。

 海賊流、とでも言うべきか。少しは頭が使えるようだと思った。

 

 「なるほどね。流石に紙ちゃんが選んだ仲間……タダじゃ勝たせてくれないってわけ?」

 「オラァ! お前ら気合い入れろォ! ビビちゃんに想われてるくせに死にやがったらタダじゃおかねぇぞ! すっ転んでもすぐ起きやがれクソ野郎ども!」

 「は、はいぃ!」

 

 荒々しい鼓舞を続けながらバロックワークス社員を蹴り飛ばしていく。

 その様子は拙いながも隊長を務めようとしている。

 優先すべき敵は彼。

 サンジが消えれば今度こそ、広場の戦いにおいてバロックワークスを止める障害は無くなる。Mr.2が彼を仕留めれば国王軍は脆くも崩れ去る。

 

 「これって偶然? それとも最初から計画されてた采配?」

 

 Mr.2は、己のパートナーを持たない。それ自体はキリと同じだ。

 彼と違うのは部下を持ち、部隊を持ち、時には集団で任務を行う状況があったこと。その経験が故に今回のように部隊を率いる作戦に慣れている。集団を倒す術を知っている。

 

 以前の経験がものを言うならばともかく、一介の海賊ならば部隊を率いた経験があるとは考えにくいため、大した相手にはならないと思っていた。ところがサンジは実力だけでなくその行動、思考が的確にMr.2の邪魔をする。

 どうやら彼は頭が良い。度胸もある。一人で戦い抜く実力もある。

 そしておそらく、彼自身もまた集団の心理を理解した上で戦っている。

 

 果たして、彼が部隊の長であるMr.2の前に立ちはだかったのは偶然であるか。

 思わずキリを疑ってしまった。

 

 相手にして不足はない。Mr.2は笑う。

 互いの目的は一致していたようだ。

 部隊長を倒せば、この広場を制圧することができる。

 理解したMr.2がようやく駆け出すと、即座にサンジが反応して振り返った。

 

 「んが~っはっはっは! 了解よう! 要するにあんたを仕留めりゃ問題ナッシング! 今度こそ覚悟しろやァ~!」

 

 ダッシュで向かってくるMr.2に対してサンジは立ち尽くしたまま迎える。

 そして両者が地面を蹴った時、周囲の目は釘付けになった。

 跳んだ二人の蹴りが空中でぶつかり、不思議と衝突の際に生じた風を感じる。果たして本当に風が吹いていたのかは不明だが、少なくとも見ていた者達は肌を撫でた迫力に脚をすくませた。

 それほどの衝撃。彼らは、遥か高みに居た。

 

 「ぐぐっ、ぐぅ……!」

 「おおっ、おっ……!」

 

 結果は互角。

 どちらも弾かれ、しゃがむようにして着地した。

 

 敵の情報は頭に入っている。サンジは蹴りを主体として戦う。むしろ蹴り以外はあり得ない。対するMr.2はオカマ拳法を用いる。拳も蹴りもあり得た。

 その違いはどう影響するのか。

 Mr.2は、決して自身の有利とは思えない。彼の蹴りは尋常ではない。それのみを追求してきたからこその強みがある。だがそれを言えばMr.2も同じだ。

 

 マネマネの実は戦闘に利用できる能力ではない。弱点がある。それも知られているのだろう。

 しかしだからこそ格闘家としての血が騒ぐというもの。

 逃げるのをやめた様子のサンジを目標に、Mr.2は小細工無しに駆け出した。

 

 「どれだけ逃げられたって、あちし、めげなぁ~い! それがあちしの良いところ!」

 

 迎え撃つサンジはその場で待ち受けており、Mr.2の接近は思いのほかあっさり許される。

 長い両腕が伸ばされた。まるで首を伸ばす白鳥の如く、柔和な動き、且つ読み辛い軌道で死角を探ろうとしていて、サンジは正面から虚を衝かれることとなった。

 今まで見たことがない戦法。オカマ拳法とは普通の拳法では無さそうだ。

 

 「うらぶれ白鳥(スワン)舞踏会!」

 「チッ……!」

 

 回避するため姿勢を低く、咄嗟の判断で側面へ回り込む。するとその動きを追ってMr.2の腕が伸びてくる。その動きの流麗さにサンジの目が見開かれた。

 辛うじて回避するが、わずかに顎を掠る。

 尚もMr.2が前進してくるため、後退を余儀なくされてしまった。

 

 流石にこれ以上は味方の援護をしていられない。考えたサンジは思考を変える。

 まずはMr.2を撃破しなければ。

 どちらにしろ当初の目的だ。彼は必ず倒す。迷いは持っていない。

 

 「調子に乗れんのはここまでだぞ。首肉(コリエ)!」

 「アァン!」

 

 左足を軸に体を回転させながら、腰の入った蹴りを繰り出した。Mr.2はそれを掌で受け止める。

 互いに押し合うものの、押し切ることはできず。

 次にサンジが左足を振り上げた時、Mr.2も蹴りを行った。

 

 「肩肉(エポール)! 背肉(コートレット)!」

 「ドゥ! クラァ!」

 「鞍下肉(セル)! 胸肉(ポワトリーヌ)! もも肉(ジゴー)!」

 「アァン! ドゥ! クラァ!」

 

 連続して蹴りを繰り出すが全て掌底で払いのけられ、Mr.2も攻めきれずにいる。一進一退、どちらも攻め手に困っている様子だ。

 サンジは攻めあぐね、Mr.2は攻撃の手が出せないことに表情を歪める。

 この時点でかなりの手練れであることは間違いなかった。

 両者は大技を出すためぐるりとその場で回転する。

 

 「クソっ、吹っ飛べ――!」

 「吹っ飛ばな~い!」

 「羊肉(ムートン)ショット!!」

 「白鳥アラベスク!!」

 

 強烈なソバットが連続して激突し、その全てが互いを殺し合った。

 当たったのは相手の足にだけ。お互いに技を止めただけで、肉体にはダメージがない。しかしその場に留まることができず、二人は勢いよく吹っ飛んでいった。

 サンジは肩口から地面を滑って、Mr.2はゴム毬のように何度も跳ねる。

 

 元居た場所からずいぶん離れたサンジが戦闘中だったバロックワークス社員に激突する。

 同じく逆方向、Mr.2も味方にぶつかっていた。

 

 もはや二人の頭に広場の戦いについては残っていない。目の前の敵に集中していたようだ。

 立ち上がったサンジは周囲で驚くバロックワークス社員を蹴り飛ばす。

 対称の位置ではなぜかMr.2も周りに集まる社員を蹴り飛ばしていた。

 

 「どけッ! 邪魔だ!」

 「ぎゃああっ!? 八つ当たりぃ!?」

 「邪魔よう! どきなさ~い!」

 「ぐぼぉ!? なんでおれ達が……!?」

 

 苛立った顔で歩いてきて、二人が対峙する。

 ダメージという点では大したことは無いものの、自身の大技が止められたのは確かだ。

 

 「ハァ、野郎、おれの羊肉(ムートン)ショットを……」

 「あちしの白鳥アラベスクを、止めるなんて……」

 

 互いに実力は認め合い、それ故に敵意はさらに膨らんでいく。

 正面から対峙した二人は、不思議と広場の戦闘から切り離されて、誰に邪魔されることも無く睨み合っていた。まるで戦闘中の彼らでさえお膳立てをするかのように。

 

 「中々やるじゃなぁ~い。やっぱりただのコックじゃないみたいね~い」

 「おれ達のことは調べ尽くしてあるってことか」

 「まあねい。トレジャーバトルじゃ予選敗退してたからそうでもないのかと思ってたけど、実際やり合ってみたら驚きじゃな~い」

 「へっ。今更だな」

 「ただし、あちしは負ける気なんてないけどねい」

 

 音も無くスッと手を挙げて、顔の傍に置いたMr.2が口の端を上げた。

 

 「プロってのはどんな手段を使っても最良の結果を手に入れるものよ~ん。あちしとあんた、最大の違いはなんだと思う?」

 「男かオカマかだろ」

 「いいえ、違うわ。それはもちろんのことだけど」

 

 サンジは呆れた顔でMr.2を見ていた。

 何を言わんとしているのかはわかっている。だがそれを恐れたりはしなかった。

 

 「能力者であるか否か。これが最大の違いよ」

 「やめとけ。お前がおれの仲間に化けたところで、おれは攻撃を躊躇わねぇ。見せかけだけの小芝居なんざ付き合う気がなくてね」

 「あ~らそうかしら~ん。あんたがあちしを知ってるように、あちしもあんたを知ってるのよ」

 

 おそらく能力を使うだろうということはわかった。

 誰に変身しようとも攻撃を躊躇うつもりはないとはいえ、黙って見ているのも癪である。

 サンジは迷わず駆け出していた。

 

 「他人になったところで、てめぇの拳法は使えねぇんだろ」

 「んが~っはっはっは! 正解よう! あちしのオカマ拳法は、あちしにしか使えない! 来る日も来る日もレッスン、レッスン……そんじゃそこらの奴じゃ使いこなせないのよう!」

 「なら変身しないことをおすすめするぜ」

 

 正面から堂々とやってきたサンジの蹴りに対し、Mr.2は能力を使わず回避する。

 背を曲げて屈み、頭上を通り過ぎたのを確認すると拳を突き出した。

 

 「アァン!」

 「オラッ!」

 

 隙を狙ったつもりだったが、腹を打とうとした拳は素早く引き戻された右足で踏まれるように止められる。想像以上の反射速度。これではMr.5に止められるはずがない。

 即座に拳を引いて、Mr.2も足を出した。

 反応するサンジと数度脚をぶつけ合って、互角のままで攻防を繰り返す。

 

 やはりただの殴り合いでは時間がかかってしまう。

 戦闘が長引けば広場の戦闘がどうなるのか読み切れない。現状、まだ押し切れてはいなかった。ここでサンジを倒し、Mr.2が戦線に加われば確かな勝利が得られるはずである。

 取り逃がしたビビのことも気になる。

 時間はかけられないと再度思考した後、Mr.2は自ら後ろへ跳んだ。

 

 「やっぱりあんたには、これっきゃないみたいねい」

 「逃がすか!」

 「逃げるんじゃないわ~ん! あんたに勝つ作戦よう!」

 

 先程から何かを狙っている。その何かをさせないため、あくまでもサンジは追い縋った。

 反撃に気をつけながら攻勢に出て、距離を詰める。

 焦っていないと言えば嘘になるかもしれない。だが相手の実力はおそらく想定以上。肌で感じた蹴りの威力は戦闘を長引かせていいものではないと判断している。

 

 サンジが一際強く地面を蹴った。

 速度が変わり、気付けば目の前に居て、Mr.2が目を見開く。

 

 真正面からの奇襲。この状況を見ればMr.2は油断していたと言わざるを得ない。

 勢いのある跳び蹴りは彼の腹へ突き刺さる。

 Mr.2は耐え切れずに後方へ蹴り飛ばされてしまった。

 

 「腹肉(フランシェ)シュートォ!」

 「ぐほぉえっ!?」

 

 驚きが大きかったのか背中を打って転がっていた。

 慌てて飛び起きるも、すでにサンジは目の前に迫っている。あまりにも早い。何より攻撃に迷いが無い。戦いに慣れていなければこうはならないだろう。

 体勢を立て直す暇すら惜しく、Mr.2は咄嗟に拳を前へ突き出した。

 次いでやってくるサンジの蹴りと正面からぶつかる。

 

 「どうぞオカマい(ナックル)!」

 「胸肉(ポワトリーヌ)シュート!」

 

 衝撃は相当なもの。しかし拳で受けたMr.2の方が強い痛みを感じている。

 強い衝撃を受けたとはいえ、サンジを止められるほどではなかった。

 

 着地と同時に素早く腰を回して、右足を軸に左足を振り上げ、Mr.2の側頭部を蹴りつける。彼の体は面白いように飛んで頭から着地し、地面を削るように頭部を擦った。

 その結果、勢いよく上体を起こした時には額から血を流していた。

 

 「ふんがァ! なんの、まだまだァ!」

 

 視界にサンジを捉えた時には、すでに攻撃を繰り出す最中で、反応する暇も無く蹴りが当たる。

 

 「二級挽き肉(ドゥジェム・アッシ)!」

 「あばばばばばっ――!?

 

 顔、胸、上半身を中心に無数の蹴りが叩き込まれる。

 鼻血を噴き出しながらもMr.2は再度地面を転がり、意思とは無関係に四肢を投げ出した。

 たった数秒でこの状況。この蹴りを受け続ければ今に気を失ってしまう。敵の攻勢を止める方法は一つだけ残っていた。

 倒れたままのMr.2へ飛び掛かった時、サンジはMr.2の右手が己の頬へ伸ばされたのを見る。

 

 「無駄だっつってんだろ!」

 「ちょっとォ! 止まりなさ~い!」

 「なっ!?」

 

 全力のかかと落としを顔面に食らわせてやろうとした瞬間、その顔を見て驚愕した。

 思わず狙いを外して顔のすぐ横に脚を落としてしまう。

 見ようによっては攻撃を失敗した状況。サンジはなぜか動かず、仰向けの状態で居るMr.2の顔をじっと見つめている。

 

 攻撃の直前、紙一重のタイミングで容姿は変わっていた。

 今、サンジが見ているのはMr.2であり、その顔はしかし彼のものではない。

 

 見覚えのある金髪に可愛らしい顔。服装こそMr.2のままで残念極まりないが、どんな格好であろうと愛おしく思えてしまうその人物は。

 サンジが決して蹴れない相手は、女性。仲間のシルクの顔がそこにあった。

 

 「ちょっとちょっと、危ないじゃないのよう! そんなに連続で叩き込まなくてもぉ~!」

 「て、てめぇ……!? シルクちゃんの顔を!」

 「フフン、これがあんたの弱点でしょう? かなり女好きらしいわね~い」

 

 顔だけでなく肉体まで。

 シルクの外見を手にしたMr.2は動けないサンジの足下を抜け出し、悠々と立ち上がった。ただそれだけの状況でも、形勢は逆転したと言ってもいい。

 サンジは悔しげにMr.2を見つめ、彼は、彼女は笑顔で振り返る。

 あまりにも隙だらけな立ち姿。しかし攻撃できなかった。

 

 「これで形勢逆転かしら。女が好きなあんたにこいつの顔が蹴れる~?」

 「ぐっ……だがその体じゃてめぇの拳法は使えねぇはずだ。シルクちゃんの美しい体じゃ本領は発揮できない。そうだろう」

 「そうよう。でも、それは状況を見ると弱点とも言い難いのよねい」

 「何?」

 「周りをご覧なさ~い」

 

 そう言われて、罠かとも思って警戒したが、サンジは恐る恐る周囲を見回す。

 相変わらず国王軍とバロックワークスが戦闘していた。いまだにツメゲリ部隊敗北の影響と潜入していた工作員の裏切りにより、混乱は完全に取り除かれた訳ではない。形勢は贔屓目に見ても国王軍不利。このまま押し切られて敗北という展開もあり得なくはない状況だ。

 

 冷静に判断した上でサンジはそう思っているのだ。

 当然Mr.2も同じことを考えていた。

 

 「火事を消したりだとか、民間人を逃がすためとかで、国王軍は散々走り回った後。すっかり疲れ切った状態から戦闘が始まったの。対するあちしの部下はその間ゆっくり休んでたからピンピンしてるわん。さて、あちしとあんたが睨み合ってる間、あっちの戦いはどうなるかしら?」

 「てめぇ……!」

 「あちしとあんたじゃ勝利の条件が違うの。言ったでしょ? プロってのはプライドよりも任務の遂行を優先するものよ。あちしをそうさせたのは紙ちゃんなんだけどねい」

 

 シルクの顔で、声で、朗々と語り聞かされる。やはり蹴れない。たとえ偽物だとわかっていても女性を蹴ることは彼の流儀に反した。

 その間にも周囲では国王軍の兵士が倒れていく。

 時間は限られている。彼らを見捨てることはビビを見捨てることと同義だ。

 

 「いいの? 放っておいて」

 

 そう呟いたMr.2の目的はわかっている。隙を見つけてサンジを仕留めるつもりなのだ。

 バロックワークスを攻撃し、国王軍を助ければ、サンジ自身がMr.2に狙われる。Mr.2の勝手を許さないために睨み合っていれば、国王軍が先に音を上げてしまう。どちらを選んでも状況が良くなるとは思えない。だが突っ立っているのは最低の悪手だとわかっていた。

 覚悟を決めたサンジは歯噛みする。

 余裕綽々で腕を組むMr.2に振り返ると厳しい目で睨みつけた。

 

 「ずいぶんな余裕だが、てめぇはキリじゃねぇんだ。今に痛い目見るぜ」

 「そう? じゃあ楽しみにしてるわん」

 

 サンジは駆け出した。

 Mr.2に背を向けて、国王軍を援護するために敵を目指して進む。

 今まさに一人の兵士が地面に転び、サーベルを持つ男に刺されようとしていた。間に合うかどうかは微妙な距離。全力で地面を踏みしめて前へ跳ぶ。

 

 「クソっ。てめぇら、それ以上好き勝手できると思うな――!」

 「蹴爪先(ケリ・ポワント)!」

 

 しかし届く前に、背後から強襲したMr.2が彼の側頭部を蹴り飛ばした。

 強烈な痛みで視界が揺れ、地面に転がる。

 その時には助けようとした兵士が敵に刺されていて、サンジは、頭に血が昇る感覚に襲われていたようだ。ほんの一瞬だが思考が掻き消える。

 驚くほどのスピードで跳ね上がり、即座に背後へ蹴りを繰り出す。

 

 Mr.2の姿を見た途端、顔の前で蹴りが止まってしまった。

 すでに容姿はシルクの物に変更されており、自分を諫めてもその顔は蹴れない。

 

 「あらん。惜しかったわねい。もうちょっとだったのに」

 

 歯を食いしばって自分を責めるが、幼少期から教え込まれた流儀だ。彼の一存で軽々しく捨ててしまうことはできない。どんな状況でも女は絶対に蹴らない。

 サンジは悔しく想いながらも、如何にしてこの状況を打開するか思考する。

 何か手があるはず。そう思うことすら、Mr.2は待とうとしなかった。

 

 「でもねい。休んでる暇はないわよ。あちしってばこんなこともできるから~」

 

 そう言ってMr.2が右手で自分の頬を叩いた。その瞬間に顔が変わる。

 シルクの物から、今度はビビへ。

 瞬間的に嫌な想像が脳裏を駆け抜けてサンジが表情を変えた。

 

 「お前、まさか……!?」

 「早く止めた方がいいわよ~う。あちしの顔を蹴ってでもねい」

 

 勢いよく振り返ってMr.2が走り出す。ビビの容姿で、彼女のために戦う国王軍の下へ。

 それをやられてはひとたまりもなかった。きっと抵抗する暇も無くやられる。兵士がみんな殺されてしまう。そうなってもおかしくないだけの隙を作り出せるだろう。

 

 焦った顔でサンジも駆け出した。何としても彼を止めなければと躍起になる。

 しかしMr.2の行動は早く、走りながらも大声を出していた。

 

 「みんな戦いをやめて! 反乱軍はこの国の国民なのよ! あなた達が戦ってはいけない!」

 「おいッ、やめろ! 耳を貸すな! こいつは本物じゃない!」

 「お願いします! 戦いをやめてください! お願いします!!」

 「聞くな! ビビちゃんじゃないんだ! 戦い続けろ!」

 

 戦いの中で、塵が舞い上がり、砂が散り、人が入り乱れる視界の悪い戦場。

 突然ビビの声が聞こえてきて反応しない兵士は居なかった。居るとすればそれは予め潜入していたバロックワークス社員である。

 ビビの声が兵士達の動きを止めさせる。

 そしてその止まった兵士達を狙って、反乱軍に扮したバロックワークス社員が襲い掛かった。

 

 「ビビ様?」

 「ビビ様の声だ……まさかこの戦場に」

 「ハハァ! 隙ありィ!」

 「うぐぅ!? うあぁ……」

 「急に殺しやすくなったな、こいつら!」

 「一人も逃がすなよ! 国王軍を皆殺しにしろォ!」

 「お願いします! 戦いを、やめてください!!」

 「やめろォ!! それ以上、ビビちゃんの声で語るなァ!!」

 

 被害は急増していた。

 ビビの声に動揺した兵士が次々に倒れていく。Mr.2が移動すればするほど、声が届く範囲が広がっていく。その声を聞いたことにより多くの兵士が倒れる。

 周囲から聞こえる悲鳴や呻き声に怒りを募らせ、サンジは冷静ではいられなくなっていた。

 

 必死に兵士達へ呼びかけながら移動を続ける。

 声を聞くな。アレは偽物だ。

 言うのは簡単だが信じさせるには部外者という立場が邪魔をする。この国へ来たばかりの彼を知っている兵士が居るはずもなく、混乱も抜け切らない現状、咄嗟の判断でサンジの声よりビビを優先するのは至極当然。彼らが土壇場で行動を変えられるはずもない。

 わかっていても黙ってはいられなかった。

 

 喉が辛くなろうとも大声で叫び続け、すぐ傍に敵が居るようなら迷わず蹴り飛ばす。

 そうしながらMr.2を追っていると、またしても右手側に追い詰められる兵士を見つけた。

 

 「う、うわぁっ!? た、助け……!?」

 「死ねェ!」

 「クソッ、いい加減に……!」

 「白鳥アラベスクッ!!」

 

 思わず助けに行こうとそちらに体を向けた瞬間だ。

 突如全身を襲った無数の蹴りが、サンジの体を激しく吹き飛ばした。

 数メートルの距離を空中で過ごし、受け身も取れずに勢いよく地面を転がる。その最中で至る所を擦りむき、血を流して、ようやく止まった時には仰向けの状態でぐったりと動かなかった。

 

 先程の兵士が、血を流して倒れる。

 Mr.2はそのことも知らず、本来の姿に戻って笑みを浮かべていた。

 

 「んが~っはっはっは! もう終わり? 大したことないのねい、紙ちゃんの仲間も」

 

 数え切れないほどの悲鳴が木霊する中。砂塵が舞い上がる環境でも、つい驚いてしまうほどに晴れ晴れとした青空が視界に入る。

 体に染みついて離れない痛みに苛まれながらサンジは不意に表情を消した。

 怒りがある。それが力になった。

 何度目かの激突の際にとっくに煙草を落としていて、思わず吸いたくなったが、今はそんなことをしている暇はない。後回しだと決めて、口の中にあった血を吐き出す。

 

 「あちしの能力は人を惑わし、誑かす。あんたとは悪役としての年季が違うのよう。たかが海賊風情が舐めんじゃないわよ! んが~っはっはっはっは!」

 「ゲホッ、ガフッ。てめぇは……おれが海の彼方まで蹴り飛ばしてやる」

 

 小さく呟いた後でサンジが立ち上がった。

 相手には届かなかったかもしれない。それくらい小さな声だった。だがそれでも別に構わないと思っている。重要なのは相手に届けることではなく結果だ。

 

 今、改めて決意する。

 Mr.2を倒す。そして国王軍を守ってみせる。

 

 立ち上がった時、すでにサンジの顔つきは変わっており、その様子を感じ取ってMr.2も思わず笑みを深めていた。或いは、好敵手と言っていいかもしれない。

 だからといって正面から立ち向かってやるつもりはなかった。

 この場は秘密犯罪会社と海賊の戦い。格闘家の試合ではないのである。卑怯などという言葉が通用する世界ではなく、それは互いが理解していた。

 


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