ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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YOLO(2)

 乾いた砂の上に両膝をついたシルクは、辛うじて動かせた左手で、右の脇腹を押さえていた。

 反射的な回避を行ったものの、避け切ることはできなかったようだ。串刺しになっていない分、肩に比べれば規模が小さいとはいえ、確実に肉を削がれている。彼女が跪いてしまったことも責められないほどの重症だった。

 

 ミス・ダブルフィンガーはシルクの前で微笑む。

 今のところ、彼女を見直すほどの何かは見つかっていないというのが正直な感想だ。

 

 「諦めないなら、もっと辛くなるだけよ」

 「うぅ、くっ……ハァ、ハァ……!」

 「まだやるつもり?」

 「まだ、負けてないよ……!」

 「強情ね。その度胸だけは認めるけど」

 

 左肩と脇腹。風穴が二つ。血がだくだくと流れ落ちる。

 思わず顔を伏せてしまいたくなる疲労感を感じたが、目の前に敵が居てはそれもできない。必死に顔を上げたシルクだが呼吸は荒れたままだった。

 激痛に耐えて脂汗を掻いており、明らかに顔色も悪くなっている。

 あまりにも辛そうな姿に、ミス・ダブルフィンガーの様子は変わらなかった。

 

 「辛いでしょう? もう頑張らなくていいわ。楽にしてあげる」

 「ハァ、ハァ……絶対、負けない……!」

 「強がらなくてもいいの。逃げなかっただけあなたはよくやったわ」

 

 ミス・ダブルフィンガーが右腕を鋭利な棘に変化させる。能力の使用は一瞬の出来事だった。

 

 「あなたの能力は確かに特別よ。風を起こすパラミシアなんてそうそう居るものじゃないわ。だけどだからこそイメージが難しい。自分の能力を理解することは簡単じゃない」

 「そんな、こと……」

 「その点私はトゲトゲの実。イメージはし易く、殺傷力は抜群。形状的に攻撃の方法は突きに限定されるけれど、一点集中の破壊力はとても暗殺向き。近付くことさえできれば標的を仕留めること自体は難しくない。あなたの体で証明したようにね」

 

 そっと一歩を踏み出した瞬間、シルクは立ち上がろうともがいて後ろに下がった。

 ミス・ダブルフィンガーはそれを無駄だとは言わない。

 

 「例えば、ここまで自分の能力を解説してみても、あなたが勝つ要素は存在しない」

 「そんなことない、よ……そんなの、やってみなきゃわからない」

 「それじゃあ、あなた。集中しなくても能力を使えるの?」

 

 改めて問われるとシルクの表情は曇る。

 激痛に苛まれて確かに集中できていない。練習はもちろんした。しかしこの状態で練習通りの技が出せるかと言われれば素直に頷くことができない。

 

 たったの二度。攻撃を受けたのは二回だけ。

 この二回が恐ろしい。どちらも本当ならば彼女を殺せていた攻撃だ。

 

 ミス・ダブルフィンガーの語り口調は敵とは思えないほど優しい。諦めることは決して間違いではない、そう伝えるかのように。

 悔しさが募って、一方で諦めようとは思わない。

 たとえ彼女が善意で言っていようが、挑発のつもりだろうが、シルクの心は折れていなかった。

 

 「私がやらなきゃ……勝たなきゃ、仲間が困るんだ」

 「美しい友情ね。だけどこの世界では何の意味もない」

 

 さらに一歩、ミス・ダブルフィンガーがゆっくり近付く。

 シルクは必死で立とうとしているがまだ立てない。

 

 「どれだけ美しい理由があっても、勝てなきゃ何の役にも立たないのよ」

 「くっ――!」

 

 強く踏み込むとミス・ダブルフィンガーが右腕を突き出す。

 咄嗟にシルクが両手で剣を持ち、体の前で構えて棘の先端を受け止める。幸い、刀身を貫かれることはなかったとはいえ、女性とは思えない腕力で押されてその場に倒れてしまった。

 まずいと思った時にはもう遅いのである。

 

 片足を上げたミス・ダブルフィンガーは靴の裏に長い棘を生やした。

 その足を振り下ろし、鋭い棘でシルクの左足、ふくらはぎを貫く。

 

 「ソーイングスティンガー!」

 「きゃああっ!?」

 

 機動力を削ぐため、細い棘が白い素肌を呆気なく突き刺す。

 鋭い痛みが彼女に悲鳴を上げさせた。

 すぐに足を上げたことにより、棘は脚から抜き取られた。靴は元通りの形になって、強く地面を踏みしめると再びミス・ダブルフィンガーがシルクに覆いかぶさる。

 今度は両手が棘に変わった。

 一つずつ重なっていく痛みで彼女は抵抗できないはず。今度こそ決着だ。

 

 「これで――!」

 「まだ! 終わりじゃない!」

 

 我武者羅になってシルクが叫んだ。

 この状況、このタイミングで生き残れるならば何でもいい。とにかく救いが欲しい。

 彼女は訳も分からず能力を使用する。適当に剣を振り、痛む肩を無視して左手を振って、さらに足までバタつかせた。そうしながら風を起こそうと躍起になったのだ。

 

 窮地に陥った一瞬、死をも覚悟したが故か、かまいたちは無数に発生した。

 それはおそらく暴走にも近かっただろう。

 剣から、手から、足から強弱様々なかまいたちが飛び、辺りの空気を薙ぎ払う。

 

 ミス・ダブルフィンガーは全身に風を浴びていた。

 目に見える攻撃ではない。前もって予想しなければ避けることは難しい攻撃。そのため突然の反撃に対してはあまりにも無防備だった。

 下から吹き上げるような強風を受け、ミス・ダブルフィンガーの体は吹き飛ばされる。

 思った以上にふわりと軽い様子だった。耐える時間すら許さず、彼女は地面に落下する。

 

 斬撃を伴う風を全身に浴びていた。しかも能力は半ば暴走している。

 ミス・ダブルフィンガーの体は服ごと所々が切り裂かれ、浅いとはいえ血を流す。

 

 二人の距離が開いたことでシルクが冷静さを取り戻す数秒は与えられた。

 倒れていた彼女は上体を起こし、しかし足の痛みがあってすぐには立ち上がれない。

 座り込んだままミス・ダブルフィンガーを見た。

 敵は笑みを浮かべている。だが先程とは違って少なからず動揺があったようだ。

 

 「そう……意外に手立てはあるんじゃない」

 「ハァ、ハァ……!」

 「舐めたことをしてごめんなさい。プロの仕事なんて言って、手を抜き過ぎていたみたい」

 

 しゃがみ込んでいたミス・ダブルフィンガーが立ち上がる。

 そうしてまた、驚くほど気配を希薄にして、静かにその場を立ち去ろうとした。今度はさっきのように手を抜いていない。本気で気配を殺そうとしている。

 

 「もうあなたを甘く見たりしない。一人の敵として、標的として、確実に始末する……」

 

 軽い足取りで狭い路地の中に身を隠し、姿を消した。

 もはやミス・ダブルフィンガーがどこに居るかを知ることはできなくなったらしい。

 シルクはしかし、なぜか冷静に立ち上がろうとしていた。その様子は痛みに耐えていて、痛ましい姿にはなっているが諦めた顔ではない。

 

 先程の出来事を自分でも驚いている。

 敵の強さに関してもそうだが、それ以上に、自身が起こしたかまいたちについて。

 狙ってやった訳ではない。それでも可能性を感じる一瞬だった。

 

 カマカマの能力はまだ強くなれる。

 それを確信して以降、シルクの顔から焦りが消えた。

 

 「ハァ、ハァ……私の力は、通用する」

 

 痛む体を無理に動かしてなんとか立ち上がろうとする。

 仲間のために負けられない。何より単純に自分が負けたくなかった。

 可能性はあるはずだと、ふらつきながら立ったシルクは周囲に視線を走らせた。

 

 (風の性質を。かまいたちの性質を利用する。私の技に距離は関係ない……)

 

 一か所だけではなく、攻撃を受けた部分がズキズキ痛んでいた。どうしたって無視はできない。しかしそんな状態だったせいなのか、思考はよりクリアになる。

 考えるべきことは多い。

 ここまでの様子から考えてミス・ダブルフィンガーはヒット&アウェイを基本として戦うつもりのようだ。シルクの能力を警戒しての判断だろう。おかげで彼女の長所が上手く生かせないまま、ここまで一方的に追い詰められてしまっている。

 

 正攻法で勝てる相手ではない。だが決して弱点がない訳ではないはず。

 周囲の環境を上手く使えば、或いは。

 シルクは深く息を吐いた。

 

 気配は全く感じ取れなくなっている。

 やはり相当の慣れを感じさせる行動だ。見つけ出すのは簡単ではないだろう。

 

 何にしても余裕がない。傷は深く、出血も多い。

 考えている暇が無さそうだと判断したシルクは突発的な行動に出た。相手が隠れた状態では攻撃が成功するはずがない。まずはあぶり出す必要がある。

 全力で剣を振るい、ぐるりと回って、周囲一帯に突風を吹かせた。

 

 (もっと強い攻撃を……どこに隠れてても当たるくらいっ)

 

 強風が無人の町を駆け抜けていく。

 狭い路地裏から家の中へ飛び込んでいき、或いは路地から別の道へ向かい、至る所への攻撃を可能としたが、死角の方があまりにも多い。きっと当たってはいないだろう。

 それでも構わないと考え、何度か風を通りに走らせた。

 少なくとも簡単に接近できる状況ではなくなり、しばしシルクは攻撃を続ける。

 

 手を止めた時、全身に力を入れたせいか、地面に落ちた血が大きな水溜まりを作っていた。今は気にならないそれも、戦闘が終わればどうなるかはわからない。

 シルクは、自らの体を顧みようとはしなかった。

 終わった時よりも今は敵を倒すことのみに集中する。その後どうなるかは考えない。

 

 (私の力は、まだ進化する)

 「あなたの能力、完璧じゃないんでしょ?」

 

 背後、上の方から声が聞こえた。

 シルクはぐっと堪え、振り返らずに手の中で剣を回す。

 

 「アクションを起こさなければかまいたちは発生しない。そしてかまいたちは、物体を貫通するほどの力はない。隠れられると困っちゃう、でしょ?」

 「うん……だけど、これから変わるよ」

 

 シルクが振り向きざまに剣を振るう瞬間、ミス・ダブルフィンガーは跳び上がった。

 発生した暴風は周囲の全てを薙ぐが、建物の屋根を蹴って落下してくるミス・ダブルフィンガーに触れることはできず、風を飛び越えるようにして接近する。

 

 彼女は無事に地面へ着地。直線距離はおよそ八メートル。

 迷わずシルクがかまいたちを飛ばすと、ミス・ダブルフィンガーは近くの路地へ飛び込む。

 

 タイミングさえ合えば迎撃はできる。だが現状、偶然でない攻撃以外は全て回避されている状態であった。今もそうだ、完璧に見切られて回避されている。

 次の行動はシルクにも想像できた。

 風が去るのを待った後、同じ場所からミス・ダブルフィンガーが駆け出してくる。

 

 「繚乱・旋風!」

 「フフッ……」

 

 斬撃を伴う強風を放ち、吹き飛ばすと同時に攻撃を加えようとする。

 風自体は目に見えないとはいえ、彼女の意思を理解したミス・ダブルフィンガーは微笑んだ。

 もう路地に逃げ込む素振りは見せずに、軽く地面を蹴って、軽く跳んだミス・ダブルフィンガーは自身の膝を抱えると丸まったのである。

 直後、全身から鋭利で長い棘が生え、地面に突き刺すと同時に転がり始めた。

 

 「スティンガーヘッジホッグ!」

 

 強風に撫でられるが吹き飛ばされることはなく、むしろ勢いよく前進を続けている。どうやら傷を負った様子もない。

 今度は逃げも隠れもせずに正面から向かってきた。

 思わずシルクが表情を変えて後ずさる。

 

 「鉄の硬度の物を斬ることはできないみたいね?」

 「くっ……!」

 

 シルクは数歩後ろに下がった。

 その合間にも剣を軽く回転させて、刀身に風を纏っている。

 逃げられる状況ではない。ミス・ダブルフィンガーが接近する速度、自身の怪我、そして反撃の手立てを探していた現状。彼女は迎え撃つことを決めた。

 

 人間サイズの棘鉄球が転がってくるのだ。怖いと感じない訳でもない。

 しかし怯える自分を必死に殺し、自ら前へ踏み込んだ。

 回転の最中にその行動を感じ取ったミス・ダブルフィンガーは不審に思った。

 

 「串刺しになりなさい」

 「ならないよ!」

 

 正面から棘に剣をぶつけ、その瞬間、刀身に巻き付いていた風が爆発的に広がった。至近距離で受けた暴風は鉄の硬度の棘を斬ることはできずとも、棘鉄球と化したミス・ダブルフィンガーを軽々吹き飛ばし、これまで走ってきた距離以上を移動させる。

 跳ねるように移動した後で転がり、やっとミス・ダブルフィンガーが立ち上がる。

 

 また距離ができた。遠距離はシルクの領分である。

 顔を上げた時にはシルクが剣を構えていて、その刀身に空気の動きが見える。やはり攻撃力を高めるために風を纏わせていたのだ。

 

 気付いた瞬間は地面に膝をついていた状態。

 跳んで避けるか、それとも全身に棘を生やしての防御か。一瞬の逡巡があった。

 

 シルクが剣による突きを繰り出す。

 纏っていた風が小さな竜巻となって放たれた。

 今度は先程の比でない攻撃力がある。速度は速く、流石に強烈過ぎる空気の動きが風の流れを見えさせるだろうが、当たればただでは済まない。

 ミス・ダブルフィンガーは、受けてはいけないと回避する行動を選んだ。

 

 (この子、こんな技を……!? 受けるのはまずいっ)

 

 素早く移動して回避する。

 小さな竜巻の余波が髪を激しく揺らすが傷つけるほどではない。狙って大きく横に飛び退いたのが結果的に功を奏したらしい。

 そこまではよかったがその直後。

 行動を読んでいたのだろう、シルクがすでに剣を振っていた。

 

 「鎌居太刀!」

 「きゃああっ!?」

 

 速度に優れた、一点集中型の攻撃。

 先程の竜巻に比べれば殺傷力は低いが、視認できない規模だからこそ避けられない。

 ミス・ダブルフィンガーの体がそれなりに深く切り裂かれ、多くの血を流させた。

 

 跪くように地面へ膝をついて、切られた腹を押さえながら、彼女はさらにシルクが剣を振りかぶる姿を見る。この距離で連続されては止めようがない。

 仕方なくミス・ダブルフィンガーは近くの家へ飛び込む。

 壊れた窓から屋内へ入り、姿が隠れた後になって強風が近くを通り過ぎる音がした。

 

 落ち着ける状況になってミス・ダブルフィンガーは思案する。

 剣をぶつけての一撃。あれで動揺してしまったようだ。

 ただ遠くへ風を飛ばすだけの能力かと思っていたが中々変わった真似をする。確かに近距離でぶつけられては堪えきれないのも納得だった。

 どうやら考え直す必要があるらしい。そう感じて、彼女は再び笑みを浮かべる。

 

 「まさかあんな手に出るなんて……追い詰められた鼠は何をしでかすかわからないわね」

 

 無傷で終えられる任務かと思っていたのに、傷をつけられてしまった。それでも冷静さを失わないあたり、まだ余裕があるのだろう。

 ミス・ダブルフィンガーは笑みを絶やさず戦いに臨む。

 思考は今も迷う様子はなかった。

 

 (だけど傷は深い。長期戦を避けて今度は自分から動くはず。焦る必要はないわ。時間をかけて相手の出方を窺いながら待つ)

 

 血は流したものの傷は浅い。自身の体を見下ろした彼女は作戦を決める。

 焦りたくなるのは間違いなく相手だ。だからこそ自分は冷静に立ち振る舞い、多少時間を使ってもいい、確実に生き残りながら勝利することを優先する。

 決断したミス・ダブルフィンガーは相手に見つからないように移動を開始した。

 多少速くするがあくまでも歩いて路地を進む。

 

 家から出て細い路地に入って、すぐに狭い道へ進んだ。

 計算的に進路を決め、徐々にシルクが居た場所から遠ざかる。

 

 (あの子はもうあまり動けないはず。決着はそう遠くないわね――)

 

 ある程度の距離を置いた後、ミス・ダブルフィンガーはシルクへの接近を試みようと考えた。

 その時、足を止めると同時に風を感じる。

 身を斬るほどの強さはない。優しく肌を撫でる弱い風だった。

 

 「風……?」

 

 建物と建物の間に立って、それほどおかしなことではないのかもしれない。外に立っていれば風を感じるのは至極当然のことだ。しかし相手が風を使って戦う能力者とあってどうしても過敏になってしまう。不意に何気なく空を見上げた。

 どこからともなく吹く風。気にし過ぎだろうか。

 

 ふとした瞬間、気配を感じた。

 足音も聞こえて、後ろに振り返ると、彼女は目を見開く。ちょうど路地の入口へシルクが飛び込んでくるその時を見た。考える暇も無くミス・ダブルフィンガーは地面を蹴る。

 

 逃げ場はない。ならば上だ。

 両手両足に棘を生やし、建物の壁に突き刺しながら屋根へ逃げた。

 

 「私の位置を、感知した……!? どうやってっ」

 「鎌居太刀!」

 

 まるで猿のように、或いはそれ以上に速く、ミス・ダブルフィンガーは屋根に逃げる。敵の攻撃は見えない上に速かったが辛うじて避けることに成功した。

 屋根に逃れて、覗き込むこともやめて距離を取ろうとする。

 

 想定しなかった状況だ。一体どうやって居場所を知ったのか。

 考えるのは先程一瞬感じた風。確認できたとすれば異常を感じたあの一瞬だろう。あり得る訳がないと思いながらもそれ以外に考えられない。

 逡巡するミス・ダブルフィンガーが、再び肌を撫でる風を認識した。

 その時、背を向けて彼女の居る建物から離れるシルクを見つけて、違和感を感じた。

 

 「まさか、あの子……」

 

 見つけたと思えばピタッと足を止めて振り返る。

 剣を構えて振り下ろすまで流れるような仕草。かまいたちを発生させた。

 屋根の上に立つミス・ダブルフィンガーを狙って、敢えて距離を取ることで自身の攻撃を届かせる位置についた。先程の位置からは当てられないからこその移動である。

 

 ミス・ダブルフィンガーは彼女との間に建物を置くように回避した。

 強い風が建物に当たり、恐怖心を煽る音が強烈に耳に残る。

 

 能力を使用し、素早い動作で屋根から降りる。先程の攻撃を見る限り、見晴らしの良い場所に立つのはかえって危険が増す可能性があった。自身の身を隠すようにしながら移動しつつ、シルクの動きを探りながらさっきの出来事を考察する。

 視認できる位置ではなかったはずだ。退路を読む余裕もなかったはず。

 先程の場所へ至るまでの痕跡も残してはいない。それは彼女も注意していた点だった。

 

 不思議な風を感じた直後に姿を見せた。

 あれで居場所を突き止めたのではないか。

 ミス・ダブルフィンガーは不意に足を止めて考え込む。

 

 情報では“かまいたちを起こすカマカマの実の能力者”と聞いていた。

 風を起こして、対象を切り裂く能力だと聞かされており、そこから考えられる弱点について考察していたものの、ミス・ダブルフィンガーはシルクの体質までは理解していない。

 全てを知った、とは言えない状態にあった。

 

 シルクが食べたカマカマの実は超人系(パラミシア)に分類されるがその能力は特殊であると考えられる。風を起こすという点は自然系(ロギア)に近く、しかし体その物が風になる訳ではない。

 彼女の体質はパラミシアとしても特異であり、人体の機能は常人と何も変わらなかった。

 ただその一方、常人以上に風を感じ取る力に長けているらしく、同じく風を感じただけで天候を読むナミとはまた別の強みを持っているようだった。

 

 「風を使って私の位置を探った……? 想定しきれていなかった力ね」

 

 またしても撫でるような弱々しい風を感じた。

 確認する必要がある。

 ミス・ダブルフィンガーは敢えてその場に留まり続け、待つことを決める。そしてそう時間もかけずに同じ道へシルクが現れ、確信を得た。

 

 直線距離にして十数メートル。

 再度対峙した二人は視線を交わらせる。

 

 やはり狙ってその場に現れている。考察は間違いではないらしい。

 至る所から血を流しながらシルクは凛とした佇まいでその場に居る。

 身を隠すのは不可能と感じ、ミス・ダブルフィンガーは正面からの戦闘を承諾した。

 

 「不思議な能力ね……あなたのこと、何もわかっていなかったみたい」

 「ハァ、ハァ……うん。私も、自分で驚いてるよ」

 

 シルクが剣を構えて、意識が変わる。

 指先を棘に変えたミス・ダブルフィンガーは自らの肩に触れた。攻撃のためではなく、尖った五指を自らの体に突き刺す。特別なツボを刺激したのか、もしくは棘人間の特徴なのか。彼女の肉体は見る見るうちに変化していき、両腕の筋肉が大きく膨れ上がった。

 一回り大きくなった腕が自らの上着すら破いてしまい、圧倒的な腕力を得る。

 

 「トゲトゲ針治療(ドーピング)!」

 

 その両腕に棘を生やせば、棍棒すら超える鈍器となるだろう。

 ミス・ダブルフィンガーの変化にしかしシルクは表情を変えず、じっと見つめている。

 すでに腹は決まっているようだ。

 

 (ごめんね、みんな……私、行けないかもしれない……)

 

 柄を強く握りしめて覚悟を決める。

 失血が多く、視界が揺れていた。頭も妙に重い。

 

 (だけど、この人だけは、倒すから)

 

 今や自分を気遣っていられる余裕もない。

 彼女さえ倒せればそれでいいのだ。

 決死の覚悟で向き合った今、どんな能力で、外見にどんな変化があっても動じない。シルクの眼差しはミス・ダブルフィンガー、そして勝利しか見えていなかった。

 

 ミス・ダブルフィンガーはこの状況を不利と考えているが、退くことは考えない。プロとしては時間をかけることも有効な一手とはいえ、不安がある。

 彼女は、この戦いの中で強くなろうとしているようだ。

 短い時間の間に己が使える能力の幅を広げようとしている。窮地に立たされて覚悟を決めたことも彼女を強くしたのだろう。時間をかければ、逆に追い詰められてしまう可能性があった。

 

 決着を望むのなら短期決戦で。

 彼女の成長をまざまざと見たが故に見逃せなかった。

 

 逞しい両腕に無数の太い棘が生やされた。

 狙うのは接近戦。まずは近付くことが大変だ。

 ミス・ダブルフィンガーが身構えるのを見てシルクが一歩足を引く。

 

 「もう限界は近いんでしょう? 目を見ればわかるわ」

 

 問いかけられたシルクは唇をきつく結んだ。

 己の限界が近いことは自覚している。それ故に長期戦を望まないのは彼女も同じ。可能な限り早々に決着をつけなければ自分が先に倒れるだろう。

 

 動き出したのはほぼ同時だった。

 細い路地を覆うようにシルクが風を起こして、ミス・ダブルフィンガーが駆ける。

 

 剣の振りで攻撃のタイミングは予想できた。何もしなければ全身を切り刻まれるとわかっているため、顔の前で腕を交差し、走りながらも全身に鋭い棘を生やす。

 強風が全身を包んで通り過ぎるが、傷はつけられていない。

 ミス・ダブルフィンガーはかまいたちの中を駆け抜け、正面からシルクへ接近した。

 

 「その足じゃ逃げられない」

 「ハァ、逃げないからいいんだよっ」

 

 棘を生やした右腕が振りかぶられたことに反応し、シルクは剣で接近戦に臨もうとする。

 自らも前へ踏み出して剣を振った。風を放ちながらの近接戦闘。上手くいけば相手を吹き飛ばしながらもう一度距離を作れたはず。しかしその行動は読まれていた。

 素早い剣の動きを的確に見切って、潜るようにしてミス・ダブルフィンガーが回避する。

 刀身は頭上を通り過ぎ、一瞬の行動でシルクの側面に入る。

 

 避けるために足へ力を入れるが間に合わない。

 ミス・ダブルフィンガーの腕は確実にシルクの体を捉えた。

 咄嗟に防御のために構えた剣へ当たり、弾き飛ばし、彼女の右腕を棘で抉る。

 

 「スティンガーフレイル!」

 「あうっ!?」

 

 右腕からまた血飛沫が飛ぶ。

 シルクは勢いよく倒れ、すかさずミス・ダブルフィンガーが駆け寄り、真下に見下ろして腕を振り下ろそうとした。脚の間に彼女を置いて逃がさない。

 痛みを堪えながらシルクはミス・ダブルフィンガーを見上げた。

 

 剣が弾かれて遠くへ行ってしまった。手は届かない。

 生身で受ければ防御にもならずに致命傷を受けるだけ。

 思考は今やゼロとなって、肉体の反射でシルクは反応していた。

 

 気付けば拳を握って思い切り横へ振っていた。

 殴るためではない。その動作で強いかまいたちが発生する。

 

 すでに腕を振り上げ、拳をシルクへ振り下ろそうとしていたミス・ダブルフィンガーは、思わず目を瞑ってしまうほどの強風を感じた。その時には上半身に無数の切り傷が入っていて、当然避ける暇も無ければ防御する術もない。

 この場で選ぶべきは一刻も早い攻撃。

 しかし防御を兼ねるため、ミス・ダブルフィンガーは全身に棘を生やした。

 

 それが功を奏したのか、体を丸めて彼女を蹴ろうとしたシルクの行動に対抗できた。

 思い切り伸ばされた右足はミス・ダブルフィンガーの腹に当たる。が、そこには彼女の生やした細くも頑丈な棘があり、自ら足を貫いてしまう。

 

 「うあっ!? ああっ!?」

 「お馬鹿さんね。焦ったのがあなたの――」

 

 失敗、と続けようとして、彼女の足から妙な力を感じた。

 蹴りの衝撃は棘に刺さったことで殺されたが、腹に触れたままだったシルクの足から、爆発的に生じた風がミス・ダブルフィンガーの体を押し上げる。

 本人の意思とは無関係に彼女の体は宙へ放り出されて、驚きの声が抑えられなかった。

 

 「ああああっ!?」

 「ハァ、ハァ……」

 

 ミス・ダブルフィンガーが吹き飛ばされたことで足に刺さっていた棘が抜ける。

 シルクは、思わず足を降ろしてそのまま倒れてしまうが、いつまでも倒れてはいられない。

 空へ舞い上げられたミス・ダブルフィンガーが落下し、辛うじて受け身を取って地面に触れると同時、辛そうにシルクが起き上がった。

 

 ミス・ダブルフィンガーの姿勢を見れば、剣を拾っている暇は無さそうだ。

 息を乱すシルクは指を二本だけ伸ばし、軽く腕を振って準備する。

 

 迎撃の意志を目にしてミス・ダブルフィンガーは迷わず走った。

 放っておけばまた手痛いしっぺ返しを食らう。

 とどめを刺すなら早い内にだ。

 

 「あまり好き勝手させると厄介ね……! 今度こそ仕留める!」

 「ハァ、まだ終わらないよ……!」

 

 真っ直ぐ駆けてくるミス・ダブルフィンガーへ、シルクが腕を振って風を起こした。

 

 「つむじ風!」

 

 放たれた風は砂埃を巻き上げ、軌跡をはっきり示しながら進んでくる。前を見ていれば気付かないはずがない。ミス・ダブルフィンガーは全身を棘で覆って防御した。

 一陣の風が彼女の体を包み込む。

 防御は成功した。肌は裂かれていない。

 ミス・ダブルフィンガーは反撃の時を待ってほくそ笑む。

 

 しかしそれで終わりかと思っていれば、いつまで経っても風が消えない。

 どうやら彼女の体を包んで停滞しているようだ。

 改めて確認すると目で確認できるほど強烈な風が、彼女の周囲を取り囲んでいたのである。

 

 「何? これは一体……」

 「風の力は、進化する」

 

 意識を朦朧とさせながらシルクは歩く。

 落としていた剣を拾い、緩慢な動きで顔を上げる。

 

 彼女の様子に、自身を取り囲む風に、ミス・ダブルフィンガーは表情を歪ませる。

 明らかに正気の沙汰ではない。手酷いダメージが彼女から正気を奪っているらしく、すでに目の焦点は合っていないだろう。なぜか呼吸も落ち着きつつあった。

 

 ゆっくり剣を構える姿に狂気さえ感じた。

 おそらく次に来る攻撃は今までの比ではない。理屈ではなく本能で理解する。

 多少の危険性は理解していたが、焦ったミス・ダブルフィンガーは前へ駆け出した。

 全身に棘を生やした今なら、彼女が攻撃する前に接近して止められるはずである。

 

 そう決めて、周囲を囲う風を思い切って通り抜けた時、全身に痛みが走る。生やした棘を物ともせずに、今度は実体が切り裂かれていたらしい。

 歩けなくなるほどの重症はないとはいえ、全身に切り傷があった。

 思わず足を止めてしまうほど衝撃が大きく、驚くミス・ダブルフィンガーは傷ついた自分の体を見下ろしながら我を忘れる。

 

 風の力は、進化する。

 言葉が示す通り、彼女の周囲で旋回しただけ、かまいたちの力が強まっていたようだ。

 

 視線を上げるとシルクが剣を振り上げる姿を見た。

 止めなければ。そう考えてミス・ダブルフィンガーが駆け出す。

 この時には心の内が動揺で占められており、およそ冷静とは言えない状態だった。

 

 「つむじ風……乱れ打ち!!」

 

 刀身に風を纏わせた後、数度に渡って勢いよく振り回す。

 腕で放つのとは訳が違う。剣から使用する方がよほど慣れているし、溜めた力の爆発がある。風の力は手元で増幅された後に放たれていた。

 

 驚愕するほど強い風が辺りを薙いだ。

 一度ではなく何度もミス・ダブルフィンガーの体を通り過ぎる。

 鉄の硬度を誇る棘すら超えて、彼女の体には数え切れないほどの切り傷を与え、しかもそれだけではなく吹き飛ばして宙を運んでいく。

 交差し、重なり合い、距離を進んでさらに力を強めていく。

 シルクの起こした風はもはや小さな台風となって路地を駆け抜けた。

 

 「ああっ……!? あああアアアアっ!?」

 

 行き止まりまで運ばれたミス・ダブルフィンガーは背中から建物の壁に激突して、一瞬にして破壊してしまい、さらに反対側の壁まで吹き飛ばす。その後勢いは止まらず、大通りの地面に倒れた時にはすでに気を失っていた。

 運ばれた距離は一体何メートルになるのか。

 生死を確認することもできず、シルクはその場に膝をつき、倒れてしまった。

 

 「ハァ、ハァ……勝った、んだよね……」

 

 もしやまだなのでは、という不安もあるとはいえ、今からでは確認しに行くこともできない。

 うつ伏せに倒れたシルクは苦しげに呼吸を繰り返し、急激に重くなった瞼を閉じてしまう。

 

 「みんな……私、やったよ」

 

 意識が遠ざかる。もはや体のどこにも力が入らなかった。

 

 「早く……行かなきゃ……みんなの、ところへ……」

 

 そのまま、眠りに就いてしまった。

 今や出尽くしてしまったのかと思えるほど血に濡れて、全身を赤くした少女が倒れる。

 敵は倒したとはいえ、無人の路地に一人。シルクはその場を動けなかった。

 


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