ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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反乱

 スモーカーを倒したクロコダイルが、屋根から飛び降りる。

 痛がる様子もなく無事に着地して、怯える海兵たちを目にした時、彼は特別な感情など何一つ持っていなかった。それはまるで道端の石ころを見るかのように。

 

 一歩を踏み出す。

 反対に海兵が後ずさりするが、その歩みを止められる者は居なかった。

 

 「そこで見ていろ」

 「ガフッ……待てっ」

 「弱ぇってのは罪なのさ」

 

 クロコダイルが右腕を上げた。

 何をするのか、その挙動だけでわかってしまった海兵が顔を青くして固まる。

 スモーカーは動かない体を必死に起こし、感情的に叫んでいた。

 

 「よせェ!!」

 

 腕が止められることはなく、振り下ろされて、地面に砂の刃が複数走った。それらは立ち尽くす海兵たちを薙ぎ払い、切り飛ばし、多くの血が流れて地面へ倒れる。

 動かなくなった者も多く、そうでない者は味方を助ける余裕もない。

 クロコダイルの攻撃はまだ続いていた。

 

 一歩、一歩と着実に前へ進む。

 急いでいる訳ではない。むしろ非常にゆったりとした歩みだった。

 たった一歩を進むだけで悲鳴が上がり、多くの血が空を飛び、悲鳴が途絶える。

 

 屋根に居たスモーカーは嫌でもその光景が鮮明に見えていた。

 圧倒的な強者。我儘に生きる絶対的な王。その背に、怒りを持たずにはいられない。

 

 血が流れようとも構わない。全身に力を入れて歯を食いしばったスモーカーは、傷だらけの体を無理やり動かし、落とした十手をもう一度掴み直す。

 膝に力を入れてボタボタ血を落としながら立ち上がり、呼吸を荒くして顔を上げる。

 些細な挙動で視界や頭が揺れていた。しかしそれも気合でどうにかなる。今だけは激しい怒りによってそれら全てがどうでもいいものに感じられた。

 

 血に濡れた髪をかき上げ、十手を握った右腕を思い切り振る。

 体は動く。戦える。

 悲鳴を上げる海兵の間を歩くクロコダイルを睨みつけて、力は不思議と湧き上がってきた。

 

 「てめぇが不甲斐ねぇことなんざ誰よりもよくわかってる……! だからってそいつらが死んでいい理由にはならねぇだろ。お前に何の権限がある――」

 

 爆発するように下半身が煙になり、スモーカーが空を飛んだ。

 クロコダイルの背へ一直線に向かう。

 

 「おれの部下に手ェ出してんじゃねぇよ!!」

 

 思考すらゼロになって、ただひたすら怒りに任せて十手を突き出した。

 万全の状態の時をも超える速度で接近していく。が、クロコダイルは冷静に振り返り、余裕の笑みを見せてスモーカーを迎え撃った。

 腕を伸ばして構えていた十手を軽やかに避け、交差する一瞬に左腕を振る。

 黄金の鉤爪がスモーカーの肩を深々と抉っていた。

 

 スモーカーの体は煙になることもなく地面へ激突して転がった。

 切られた肩を押さえる余力もないようで、苦しげな顔で辛うじてクロコダイルに目を向ける。

 先程の位置から動かず、とどめを刺す様子もない。彼は笑っていた。

 

 「哀れだな。海軍の野犬と呼ばれた男がこの有様か。お前はイーストブルーで何をしていた?」

 

 その言葉に返すものがなく、スモーカーは悔しく思い、思わず目を閉じてしまう。

 胸に広がるのはどうしようもない後悔。

 イーストブルーに居た頃、海兵としての責務を果たして市民の平和を守っていた。それだけは確かなのである。現にローグタウン周辺は海賊の被害が格段に減っていた。

 

 それは確かに彼の功績。だがおだてられ、自らの意思で戻ってきたグランドラインで、こうして醜態を晒しているのも誤魔化しようのない事実だった。

 敵わない相手は居る。知っていたはずの事実を改めて教えられていた。

 

 海賊遊撃部隊分隊長。聞こえはいいが、自分は何かを果たせたのか。

 目を閉じたことによってスモーカーの心は深い闇に落ちていく。

 

 (おれは一体……何をしていたんだ……)

 

 戦意が薄れていくのが目に見えてわかる。心が折れるのも近い。

 彼の様子を見ていたクロコダイルは視線もそのままにミス・オールサンデーへ声をかけた。

 歩き出していた彼女は足を止めることなく聞く。

 

 「ミス・オールサンデー、いつまでそこに居る気だ? 道は作ってやった。お前は先に行って例の物を解読しておけ」

 「もちろんそのつもり。私もそうなりたくはないから」

 「フン……」

 

 ミス・オールサンデーがコブラを連れてその場を去っていく。

 止めなければならない。しかしスモーカーが倒れたこと、仲間が大勢やられたことで混乱している彼らにそんな冷静な思考などありはしない。それよりもスモーカーを助けなければ、と息巻く者が居る一方で、恐怖に包まれて動けない者が大半だった。

 

 「大佐ッ! スモーカー大佐を助けないと!」

 「それはそうだが、どうやって……? 大佐が勝てない奴に、おれたちが勝てるわけない……」

 「おれたちじゃ命を張ったって壁にすらなれない……」

 「た、たとえそうでも、大佐を見殺しにできるかっ!」

 

 大勢いる海兵は恐怖で動けない。従ってクロコダイルが目を向ける価値もない。

 彼はあくまでもスモーカーを見ていた。

 そうして誰も動けずにいると、一足遅れたとはいえ、たしぎが声を張り上げた。

 

 「その人から離れなさい!」

 「たしぎ曹長……」

 「よせ……やめろ……」

 

 弱弱しいスモーカーの声を敢えて聞かずに、たしぎは刀を構えてクロコダイルに立ち向かう。彼自身は大して興味を持ちはしなかったが、面白いと笑っていた。

 彼らの部隊を脅威とは考えていない。

 クロコダイルにとってはミス・オールサンデーが任務を終えるまでの暇潰しに過ぎないのだ。

 

 対峙してやることに決め、体の正面を彼女へ向ける。

 たしぎは必死に恐怖心を押し殺し、剣先を微塵もぶれさせずに立っている。それだけでも褒められたものだろう。部隊で絶対的なスモーカーが倒されてもそうできるのだから。

 

 だからといって褒めてやる気はない。クロコダイルはわずかに左腕を上げる。

 それを何かの合図と考えて、たしぎが意を決して駆け出した。

 

 「やああっ!」

 「たしぎ曹長――!」

 

 基本に忠実に、気合を入れて強く前へ踏み込む。

 全力で上段からの打ち込みを行ったものの、刃は鉤爪に受け止められた。それだけでなく接触の直後に上手く力を逃がされ、攻撃を受け流すとたしぎの姿勢を崩す。

 予想していたほどの衝撃がなかったため、前へつんのめった。そのまま彼女は転んでしまう。

 刀だけは離さなかったが、スモーカーの傍で膝をつき、慌ててクロコダイルへ刀を向ける。

 

 あまりにも無様。もはや笑みさえ生まれない。

 クロコダイルは冷たい眼差しでたしぎを捉えると、スモーカー共々言葉をかけた。

 

 「なんだ、その様は。所詮はそれがお前らの本質だろう。よく覚えておけよ、女海兵……負け犬に正義は語れねぇ。正義ごっこがしたけりゃ会議室からは出ないことだ」

 「くっ……!」

 

 悔しいが、返す言葉がない。

 彼を黙らせるだけの武力がない。

 スモーカーもやられた。彼女に勝てる相手ではない。

 最後の抵抗で剣を構えていたたしぎだが顔には焦りが浮かび、どう見ても気圧されていた。

 

 興味を失ってしまった彼は左腕を掲げる。

 これ以上の波乱はありそうにない。これでは暇潰しにもならないだろう。

 

 ようやくとどめを刺そうとしたクロコダイルであったが、なぜか腕を掲げると動きを止めて、そのまま停止してしまう。たしぎや海兵は怯えるばかりでわずかな変化に気付かない。

 彼はその腕を振り下ろす前に、ひどく緩慢な動作で振り返った。

 

 気配を感じていた。つい先程出会ったばかりの気配を。

 そんなはずはないと思いながらも高速で近付いてきているのが伝わり、彼の目は空を見る。すると空を飛ぶ大きな鳥を見つけた。

 姿を視認した途端に急降下を始める。

 落下するように飛来する鳥には見覚えがあり、またその背に、覚えのある気配が乗っていた。

 

 「クロコダイル~!!」

 

 力のこもった絶叫が、彼の疑念を確信へ変えた。

 一度殺したはずのあの男が再び目の前に現れたのだ。

 

 獣型に変身したペルの背に乗り、大きな樽を背負ったルフィが拳を握る。

 急降下するため片手はしっかりペルの体を掴んでいたが、戦意は十分。このまま突進しても何も問題ない。それはペルにも伝わった。

 一方、ペルは周囲を見回し、コブラの姿が見えないことに注目する。

 

 それぞれの目的ははっきりしていた。だからこそ迷いはない。

 どうやらここで別れることになるだろう。

 ペルは背に居るルフィへ親しげに声をかけた。

 

 「ルフィ君、国王様の姿が見えない。私は捜索へ向かうがいいか?」

 「うん。ここまで送ってくれてありがとう」

 「気をつけろよ。君も肌で感じたと思うが奴は普通じゃない」

 「わかってる。もう負けねぇさ」

 

 ルフィが膝を立て、脚に力を入れたのはペルにも伝わった。

 

 「武運を祈る!」

 「おう!」

 

 急降下の最中にペルの背を蹴り、ルフィが飛び出した。落下の勢いはさらに強まり、ペルは彼を見送ると即座に軌道を変え、遠くへ飛び去る。

 今、ルフィの目にはクロコダイルの姿が再び映されていた。

 彼に勝つ。そのために来たのだ。

 

 自らの意思でグルグル回転し、大きな音を立てて着地する。

 ゴム人間である彼の体は落下の衝撃をものともしなかったらしく、表情一つ変わらない。

 一方、クロコダイルはさっきより厳しい顔をしていた。

 

 「生きていたのか。だが再びおれの前に立つとは思っちゃいなかった。何の用だ?」

 「お前をぶっ飛ばしに来た」

 「おかしなことを言う……それは無理だと丁寧に教えてやったつもりだぞ」

 「ああ。さっきのはおれの負けだ。でも次は負けねぇ」

 「理解に苦しむな。本物のイカレか、それともバカか……」

 

 呆れた様子を隠そうともせず、クロコダイルは彼と向き合う。

 舞台は整った。あとは何が変わったか。

 つまらないと語る口ぶりだがこの時クロコダイルは彼の相手をするつもりで、それはつまり、一度目の対戦を経て慢心していたと言わざるを得ない。

 やる気に満ちたルフィが体の筋を伸ばした時、背中にある樽を警戒しようとはしていなかった。

 

 「腹を刺してやったはずだが」

 「ああ、あれか。肉食ったら治った」

 「馬鹿馬鹿しい」

 

 屈伸を何度か繰り返して、準備運動を終え、ルフィが身構える。

 

 「行くぞ!」

 「くだらん……所詮お前が何をしようと――」

 

 素早く駆けて真正面から接近していく。その様子からも変化は見られないと思っていた。

 クロコダイルは交差する瞬間にもう一度腹を貫こうと考える。

 身構えることなくルフィを待ち、敢えて接近を許す。

 

 そして二人の距離が近付いたその時、野性的な勘でクロコダイルはまずいと感じたが、あまりにも気付くのが遅かった。

 ルフィの拳が、強烈な勢いでクロコダイルの頬を捉えた。

 砂になって回避することもできず実体に攻撃を受け、姿勢がぶれて足元が揺れる。すぐに立て直そうとしたため転ぶことはなかったものの、動揺は少なからず存在している。

 

 足を踏ん張って堪えた時にはルフィが腕を伸ばしていた。

 背面へ伸ばしたのを引き寄せ、ゴムの張力を利用して強烈なパンチを繰り出す。それは隙だらけの腹へ突き刺さり、やはり回避できないクロコダイルに背を折らせた。

 倒れることはないとはいえ、地面を滑るようにしてクロコダイルが飛ばされていく。

 

 「んんっ!」

 

 少し距離が離れたことでルフィが両手を伸ばし、彼のコートを掴んで捕まえる。

 その際、クロコダイルは彼の腕を確認して、ようやく合点がいった。

 

 「ゴムゴムのォ――!」

 (こいつ、やはり……!)

 「丸鋸!」

 

 服を掴んだ両手を軸に、地面から足を離したことで縦に回転し、回る度に速度を上げながら腕を縮める。そうしてルフィ本人がクロコダイルへ急接近した。

 そのまま勢いを殺さず体当たり。自分より身長の大きい人間を跳ね飛ばした。

 

 それでも倒れないため着地直後にすぐ一歩を踏み出す。

 距離はさほど詰めようとせずに、ルフィは右腕だけを伸ばし、左手で右腕を持った。

 伸ばした右腕だけを振り回して勢いをつけ、見た目はまるで投げ縄のよう。十分に勢いをつけた後でその腕を放り、クロコダイルへ投げつけた。

 

 「連接鎚矛(フレイル)!!」

 

 虚を突かれたクロコダイルは動けない様子だ。

 側面から飛来したルフィの拳が頬を捉え、今度こそ殴り飛ばされる。

 驚愕する海兵の間を抜けて、壊れかけた建物へ激突すると壁をぶち抜き、姿が消えた。その場に残ったのは崩れ落ちる瓦礫と騒々しい物音だけである。

 

 「うしっ。当たった」

 

 腕を引き戻したルフィは満足そうにそちらを見ている。確かに攻撃は当たった。だがその瞬間を目撃していた海兵にとっては何が起きたかわからず、また突然のルフィの登場をもまだ受け入れ切れてはいなくて、どうすればいいかわからないという顔をしていた。

 倒れたままのスモーカーは目を見開き、たしぎも同様に驚いているらしい。

 辺りの空気は一変していた。

 

 「あれは……麦わらのルフィ」

 「あの野郎、一体何をしやがった」

 

 何が起きたのかは理解しがたいが、狙っていた標的が目の前に現れたのは事実。

 不思議とそれだけで力が湧く。

 動けなくなっていたはずのスモーカーは震える腕で体を支え、起き上がろうとしていた。

 

 「スモーカーさんっ。無理をしては……」

 「黙ってろ。おれたちは今、選択しなきゃならねぇんだ……」

 

 必死な様子の彼に押され、たしぎは口を閉ざした。

 彼はまだ諦めていない。何かを考えているようだった。

 

 自身の衝突で開けた穴から音も無く、クロコダイルが歩いて戻ってくる。

 銜えていた葉巻を落としており、拾う気にもならなかったらしい。

 顔から笑みが消え、先程と比べて少し厳しい表情になっていて、感情を隠した瞳はルフィを睨みつけた。だが睨みつけられた本人は平然としている。

 

 スモーカーが敵わなかった相手に攻撃を叩き込んだ。

 噂の賞金首を知る者は多く、海兵たちは自然と息を呑んで見守る。手を出せる戦いではないだろうとはほぼ全員が理解していた。

 

 少し苛立っているらしい顔でクロコダイルが自身の頬に触れる。

 確かに触れた。どうやらさっきの戦いとは違うようだ。

 それ自体はいい。当初から想定していたことで、油断していた自分が愚かだった。

 言わばそんな事実など、自身の不利と考えるような要因ではなかったのである。

 クロコダイルの目はルフィだけを見ていた。

 

 「そうか、水を持ってきたな……ようやくおれの前に立つ資格を得たわけだ」

 「キリが教えてくれたんだ。あいつは水に濡れると力が抜けるから、戦う相手の体が濡れてるのも嫌がる。お前も同じなんだろ」

 

 にやりと笑うルフィは背負った樽、そこから伸びるホースを持ち、ボタンを押して水を出した。それで自分の体をもう一度濡らす。

 思い出すのはとレジャーバトル決勝戦、キリと一対一で戦った時のこと。

 クロコダイル本人の言葉と合わせても水が弱点なのは間違いない。

 今にして思えば、あの時すでに伝えていたのか。気付くのは遅れたがようやく使える。

 

 スナスナの実は自然系(ロギア)に分類される。

 本来ならば能力者の肉体は砂となり、全ての物理的な能力に対して絶対の回避力を得ることになるのだが、唯一の例外が水であった。水に触れた物体だけは砂の性質上受け流せず、物理的な攻撃でもダメージが入ってしまう。

 それに気付いたルフィは勝機を得たと言いたげな顔だった。

 だがクロコダイルからすれば致命的なミスではなく、あくまでも弱点が知られただけの話。

 

 海賊の真剣勝負は、能力の有無、弱点のみで決まるものではない。

 そこらの海賊ならばそれで通用するとしても、七武海クラスならば尚更だ。

 いまだクロコダイルの余裕は崩れず、むしろ攻撃を受けたことによって意識は切り替えられた。

 

 「これでおれは、お前を殴れる」

 「忘れたか。そもそもお前は、おれが許してやった一撃を除けばおれに触れることすらできちゃいない。本当に勝てるつもりなのか」

 「何言ってんだ? さっき何発もぶん殴ったじゃねぇか」

 

 どうも話に食い違いがあるらしい。そこが妙に苛立つ。

 一度目の戦いについて言ったクロコダイルに対して、ルフィはつい今しがたの出来事について指摘した。何も間違えた話ではないのだがそれがクロコダイルの怒りを買う。

 

 遊びでは足りないというのなら今度はもう少し本気を出そう。

 目つきの変わったクロコダイルを見たところでルフィは物怖じしない。

 

 「たったの数発だ。お前は何もわかっちゃいねぇ」

 「そうか? なんでか今は……負ける気がしねぇ!」

 

 再びルフィが駆け出す。芸も無く真正面からの突撃だ。

 クロコダイルは苛立ちを覚えながら待ち受けた。

 このままでは何も変わらない。考え無しの特攻ばかり。本当に勝ちに来たのだろうか。

 笑みすら浮かべるルフィの余裕は、根拠がないとしか思えなかった。

 

 「伊達に七武海は名乗っちゃいねぇんだ……格の違いを教えてやる」

 

 眼前にルフィが到達したところでクロコダイルが前へ踏み出した。彼の攻撃に合わせて、振り上げた鉤爪で首筋を刈ってやろうとする。

 タイミングは完璧。まるで事前に行動を読んでいたかのように動きを合わせていた。

 しかし不可解なことに、先に攻撃を当てたのはクロコダイルではなくルフィであった。

 顔面へ拳を直撃させ、体格の良い彼を力ずくで吹き飛ばす。

 

 予想もできなかった事態にクロコダイルの体は地面へ弾む。

 一度背をつき、即座に起き上がったことで姿勢を整える。すると目の前にはルフィが居てすでに攻撃しようと両腕を伸ばしていた。

 

 一度目の対戦とは単純にスピードが違う。さっきよりも速い。

 流石に驚愕せざるを得ず、迫る攻撃の迫力に顔色が変わってしまっていた。

 

 「おおおおおッ――バズーカァ!!」

 

 掌底が腹に直撃して、これには耐えられずクロコダイルの体が宙を飛ぶ。

 勢いよく地面へ激突すると大の字に倒れた。

 彼の強さを己の目で確認していた者にとっては信じられない光景。たしぎは息を呑み、厳しい顔をしていたスモーカーは大きな反応を見せない。

 

 クロコダイル自身もこの展開が信じられず、しばし動くことができなかった。あまりの静けさに海兵たちが恐れる中、彼はぴくりとも動かない。まるで怒りを溜めるかのように。

 代わりにルフィが彼へ向かって言う。

 

 「ハァ、何が七武海だ。だったらおれは……八武海だ!!」

 

 自信に満ちた声だったが、賛同は得られずに、辺りは奇妙に静まり返る。

 鼻息を荒くしたルフィはそれでも気にしていなかった。

 

 やがてクロコダイルが起き上がる。

 顔を伏せ、静かながらも強い怒気を感じる姿である。

 改めてルフィも拳を構えて、彼との戦闘へ臨もうとしていた。

 

 二人の姿を見ながらスモーカーは考えていた。

 自分は今、何をすべきか。できることは何なのか。海兵として、海賊と敵対する者として、あの男に敗北したこの状況で何を為すべきなのか。

 表情は厳しくなる一方であり、苦しんでいるのは傍目から見て明らか。

 

 流れた鼻血を右手で拭った。自身の血を久々に目にしたクロコダイルは手を下ろすと、先程とはまるで別人のような迫力を醸し出した。

 油断をしていた。慢心があった。この状況ならそれも捨てよう。

 一方で手を抜いていたという自覚はなかったのだが、まだ奥底が遠くにあるのは事実であって、名を売ったばかりのルーキーに負けるつもりはない。

 

 迫力が増してクロコダイルが顔を上げた。

 その瞬間、変化をしっかり感じていて、反射的に走り出そうとしたルフィは動きを止める。彼の体が砂に変化して消えようとしているのである。

 

 「少々遊びが過ぎたな……あまり図に乗るなよ。麦わらのルフィ」

 「砂になってく……なんだ?」

 

 拳を構えたままその姿を眺めていれば彼の体は完全に砂になってしまう。風に流され、あっという間にその場から消えてしまった。

 一体どこへ行ったのか。

 全身の神経を過敏にして待っていると、攻撃はすぐにやってきた。

 

 素早く背後を取ったクロコダイルが元の姿に戻りながら腕を振り下ろしていた。

 まだ体の端々が砂になった状態で攻撃が来る。音と気配で気付いたルフィが即座に振り返るものの間に合わない。スピードはクロコダイルが勝っていた。

 

 鉤爪が彼の顔へ迫る。海兵が思わずあっと声を漏らしたその時。

 左腕の鉤爪は、突如差し出された十手によって止められた。

 

 攻撃したクロコダイルも、振り向いて反撃しようとしていたルフィも動きを止める。

 彼らに割り込むようにして傷だらけのスモーカーが立っていた。

 どちらかと言えば、その立ち位置はルフィに味方しているようにも見えて。

 銜えた二本の葉巻からはモクモク煙が立ち昇っていた。

 

 「お前……ローグタウンの煙?」

 「どういうつもりだ。こいつはお前の大嫌いな海賊のはずだが?」

 

 疑問を露にする二人を気にすることなく、十手を振ると鉤爪を振り払った。

 仕方なくクロコダイルは後ろへ数歩下がって反応を見、彼の出方を改めて確認する。

 そうして時間を与えられたスモーカーは苦心した末、部下へ語り掛けた。

 

 「たしぎ。お前は部隊を率いて広場へ向かえ」

 「え? スモーカーさん……」

 「この国の兵士が国王の後を追った。どのみちお前らじゃあの女には勝てん。それならせめてこいつの言う小競り合いとやらを止めるための努力をしろ」

 「ちょ、ちょっと待ってくださいスモーカーさん。それって――」

 「今はこれしかねぇんだ……」

 

 噛みしめた歯をギリッと鳴らし、彼は大声で宣言する。

 

 「おれの部隊に所属する全員へ告げる! 麦わらの一味を援護しろォ!!」

 

 たしぎは、全身が震えたのを感じた。

 あの海賊嫌いのスモーカーが、プライドを捨てて彼らを頼ったのだ。その決断にどれほどの迷いがあったというのだろう。傷つき倒れた彼はいつの間にか一人で決断していた。

 

 我を忘れるほどの衝撃にもかかわらず、たしぎは誰よりも早く呑み込んだ。

 即座に振り返って動揺する海兵へ指示を飛ばす。

 

 「全員、すぐに動いてください! 負傷者は一か所に集めて応急処置を! 戦える人は武器を持って私に続いてください! 広場へ向かいます!」

 「し、しかしたしぎ曹長、麦わらの一味は海賊で――」

 「この状況がわからないんですかっ!! 誰にも文句は言わせません、急いで!」

 

 必死に叫ぶたしぎが刀を振り上げたことで、ようやく彼らも事態の大変さに気付き、冷静になる暇もなく慌てて行動を始めた。

 一気に慌ただしくなる周囲の中、たしぎは振り返らずに言う。

 生き残れるとは限らない。それでも選択する必要はあった。

 スモーカーはここで置いていく。彼を倒した、クロコダイルの前へ。

 

 「スモーカーさん……どうかご無事で」

 「いらん心配だ。さっさと行け」

 

 力強く頷き、たしぎが駆け出す。

 

 「お前はお前の正義に従え」

 

 離れる直前、確かにその言葉を受け取った。

 そこから先はたしぎが指揮官となり、全部隊が慌ただしくその場を離れていく。

 

 残ったのはルフィとクロコダイル、そして海兵であるスモーカーだ。

 溜息のように煙を吐き出して肩の力を抜く。

 クロコダイルを睨みながら彼の隣に立つ。一切そちらを見ようとはしなかったが声をかけたのは平然としているルフィに対してだった。

 

 「勘違いするなよ。たまたま敵が同じだったってだけだ。奴の次はお前を捕らえる」

 「うん。よくわかんねぇけどありがとう」

 「礼なんか言うな。自分の判断を呪いたくなるぜ」

 

 包帯を巻いた姿のルフィと血まみれの状態にあるスモーカーが肩を並べる。

 一度は敗北した者同士、今度は力を合わせて立ち向かってくるつもりらしい。

 クロコダイルは不敵に微笑む。

 

 「追い詰められてなりふり構ってられねぇか。いいのか? 海賊だぞ」

 「おれの仕事は海賊を捕らえることだ。結果がありゃそれでいい。違うか?」

 「クハハハ、流石は野犬だ。そりゃあイーストブルーに飛ばされもする」

 

 彼の笑みは凶悪なものに変わり、二人を威圧する。

 

 「だが自惚れるなよ。このおれに、勝てるかどうかだ」

 

 ルフィとスモーカーは同時に身構える。

 戦いにおいて必要なものは勝利のみ。そこに卑怯などという言葉は存在しない。

 彼らは多くを語らずに協力する姿勢を見せ、そしてクロコダイルもそれを良しとする。

 早くも人気がなくなった道の真ん中で、彼らは再度対峙した。

 


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