ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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終戦

 突然の雨は奇跡のように。

 アルバーナでの戦いが終結したその瞬間よりアラバスタ全域へ降り注いでいた。

 それほど激しい様子ではない。しとしとと静かな様子で、普段滅多に降らないだけに、人々の心を癒すかの様子でアラバスタを包み込む。

 

 アルバーナの王国前広場。

 多くの人間が集まったここには、喜びと後悔が入り混じる、重苦しい雰囲気があった。

 

 戦闘が終了した直後、バロックワークスに所属していた者は海兵に拘束された。

 クロコダイルもその中に居て、意識を失っているため当然抵抗はない。彼には海楼石入りの手錠がかけられ、警戒しながらも静かに拘束が終わる。

 

 これでもう王国乗っ取りの危機はない。そう思っても喜べない空気がある。

 今回の戦いで、あまりにも犠牲が大き過ぎた。

 倒れた兵士は数えきれないほど多く、アルバーナの町は壊れ、市民は今も砂漠に避難したまま。復興するには多大な時間と体力と精神力が必要になる。

 この国の未来を考えたが故か、人々の顔には複雑そうな表情があった。

 

 命を落とした兵士の顔を見るコーザがぽつりと呟く。

 

 「おれたちがしてきたことは、間違いだった……」

 

 反乱軍としての活動は過激なものも多かった。誰かが傷つくこともあった。誰かが苦しむこともあった。それら全てがバロックワークスのための活動だったのである。

 利用されていることにも気付けないとはバカなリーダーだ。

 自らのことをそう思って、後悔の念を抱かずにはいられないのだろう。

 

 ビビは何と言っていいかわからず、静かに彼の背を見つめていた。

 簡単に慰められる状況ではない。だから皆が口を噤んでしまっている。回りを見回せば似たような表情が並び、辛うじて無事だったチャカやペルも、声をかけられずに黙っている。

 

 おそらくコーザは自分を責めていた。反乱軍の兵士も同じ気持ちに違いない。

 かける言葉が見つからず、辺りは静まり返っている。

 

 「おれたちはとんでもねぇことをしちまった……こいつらにどうやって詫びればいいんだ」

 

 俯くコーザの背を見て、ビビは視線を落とす。

 その時、そんな彼女の肩に手を置き、コブラが傍を通り過ぎる。

 

 「悔やむことも当然。やりきれぬ思いも当然」

 

 彼が声を発したことで、皆の意識がコブラへ向いた。

 

 「失ったものは大きく、得たものはない」

 「国王……」

 「国王様……」

 

 皆が口々に彼を呼ぶ。

 こんな時、助けてくれるのはいつも彼の言葉だ。

 皆の視線を一身に受けて、コブラは声に力を入れ、語った。

 

 「だがこれは前進である! 戦った相手が誰であろうとも、戦いは起こり、今終わったのだ! 過去を無きものになど誰にもできはしない!」

 

 コブラの言葉が人々の心を動かす。

 彼らの表情は確かに変わろうとしていた。

 

 「この戦争の上に立ち! 生きてみせよ!!」

 

 チャカとペルは、静かに涙を流した。やはりこの男こそが王なのだ。

 

 「アラバスタ王国よッ!!!」

 

 彼の言葉は国民たちへ届いた。

 全てを忘れることなどできない。忘れていいことではない。彼らはこの戦いに関する全てを深く胸に刻み込み、そして次へ生かそうとするだろう。

 その様子を見たビビは薄く笑みを浮かべ、安堵していた。

 

 ゆっくりとだが広場の空気が変わり始める。

 彼らは歩き出さねばならない。その変化はきっといいものだったはずだ。

 

 「クエ~!」

 「え? カルー?」

 

 唐突に聞こえた声に驚き、振り向いたビビがカルーを見つける。

 その背にはスモーカーが乗せられていて、同じく気付いたらしいたしぎが向かってきた。彼は包帯を巻かれて応急処置を済ませており、しかしそれはカルーが巻いたのか、どうにも下手くそな様子は否めない。だが本人は直す気がないようだ。

 

 「スモーカーさん……」

 「終わったか?」

 「はい……クロコダイルは、捕えました。彼らのおかげで」

 「そうか」

 

 ダメージが大きいのか、少し危なっかしい様子ながらスモーカーがカルーの背から降りる。すぐにたしぎが駆け寄って彼に肩を貸した。普段ならば跳ねのけるところだろうが今はそうしてもらわなければ歩けない。何も言わずに受け入れる。

 スモーカーは簡単に広場を見回し、大まかに状況を理解する。

 すぐに視線を動かして言った。

 

 「行くぞ」

 「それは……どちらの意味でですか?」

 「お前が考えてる通りの意味だ」

 

 たしぎに支えられて歩き出す。しかし彼女の表情は暗く、優れた状態ではない。

 二人が去ろうとするのを見てビビが遅れて気付く。

 

 「あれ……? みんなは?」

 「クエ~」

 

 いつの間にか麦わらの一味が居なくなっている。

 その場に居る皆の心配をしていたせいで気付かなかったようだ。一体どこへ行ったのか。

 海兵二人が去ったということはつまり、彼らを捕まえようとしているのかもしれない。急に焦りを感じたビビはカルーと共に走り出す。

 

 「行きましょうカルー! あの人たちと話さないと!」

 「クエー!」

 

 何から何まで彼らに助けてもらったのだ。海軍に捕まることを良しとなんてできるはずがない。

 たとえ市民の責務を果たしていないと言われても、これだけは絶対に譲れなかった。

 ビビとカルーは少し遅れて広場を離れ、静かに消えた麦わらの一味を探し始めた。

 

 

 *

 

 

 戦いが終わった町へ静かに雨が降り続ける。

 何も言わずに広場を離れた麦わらの一味は雨を避けるため、比較的損害が軽かった一軒の家屋へ入っており、それぞれ地べたに座って休んでいた。

 

 「よし。終わったぞ」

 

 右腕の骨が折れているチョッパーはナミに手伝ってもらい、ルフィの治療を終えた。彼はすでに回復するために爆睡しており、顔色は悪いが表情は穏やかなものだ。

 呆れたナミは首から取ってやった麦わら帽子をルフィの傍に置く。

 ようやく休めるようになり、道具を仕舞う余力もないチョッパーは大きく息を吐いた。

 

 「ルフィはすごいな……七武海に勝ったんだ」

 「そうね。ずいぶんひやひやさせられたけど、結局は信じてよかった」

 

 苦笑するナミが言い終えると、眠るルフィの顔を見たウソップはしみじみと言う。

 

 「何が怖いってこの体で戦ってたことだよなぁ。なんで生きてんだ? こいつは」

 「頭がお粗末な分、全部生命力に割り振ってんのさ。お前なら今頃死んでる」

 

 煙草を銜え、しかし火を点けようとしないサンジが脱力して呟いた。

 勝ったことにも驚きだが、それ以上に気になってしまうのが彼の体に刻まれた傷。今も息をしているのが不思議に思えてしまう外見だ。

 もう慣れてしまっていたのに今になって改めて実感する。

 彼のタフさは明らかに異常だ。

 

 彼らの言葉を聞いたチョッパーが顔を上げた。

 壁にもたれて座るシルクも会話に参加する。

 

 「山で修行したって言ってたぞ」

 「それにおじいさんがあの拳骨のガープだからね」

 「拳骨のガープ? それってなんだ?」

 「海軍の偉い人。ルフィの実のおじいさんなんだって」

 

 彼女が話した内容は中々衝撃的なものだったが、知っている者は当然として、知らない者ですらほとんど反応はなかった。代わりに疲れた様子の溜息が漏れる。

 壁に背を預け、刀を抱えたゾロが仲間たちの顔を見回した。

 そして目を伏せると小さく呟く。

 

 「あとはあいつだけか」

 

 その一言で空気が変わる。

 ウソップとシルクを除いて、どこか神妙な顔つきで言葉を失う。

 不思議そうに彼らの顔を確認したウソップが尋ねようとした。

 

 「キリは――」

 「生きてるよ。用があって遅れてるんだ」

 

 咄嗟にそう言ったのはチョッパーだった。

 嘘をついたつもりはないのだろうが、彼らしくない言動である。或いはそうあってほしいという願望なのだろう。真剣な顔で、仲間の顔を見ようとはしなかった。

 事情を察したウソップは自ら口を噤み、余計なことは言わないでおこうと思う。

 それはおそらくシルクを含めた皆が思っていたことだった。

 

 話す声がなくなると雨の音がよく聞こえた。

 砂漠に降る雨。普段彼らが見るものとは重要性が違うに違いない。

 

 静寂が身を包んだことで、うつらうつらと頭が動き、ナミが眠気に負けそうになっていた。

 シルクやチョッパーも同様で、皆が限界を感じている。

 そんな状態でもサンジが呟いて、何気なくウソップが答えようとした。

 

 「ビビちゃんは今頃、どうしてるんだろうなぁ」

 「そりゃあお前、国民の奴らと喜んでるんだろ。まぁ、とにかく……」

 

 ふらりと体が揺れる。

 誰も抗うことはできずに全員が汚れた床へ横たわる。

 

 「やっと終わったぁ――」

 

 全員が意識を失い、辺りは再び静寂に包まれる。

 雨の音に包まれ、安らかな眠りに就く。

 邪魔する者はおらず、ようやく戦いから解放されたのだ。

 

 長い時間が経つ。

 この国で起きた全てを洗い流すかのように雨がアラバスタ王国へ降り注ぐ。

 

 それからしばらくの間、周囲は静けさを保ったままだった。しかし時間が経つと慌ただしい足音が近付いてきて、眠ったままの一味を発見する。

 警戒しながら家の中を覗き込んでも起きる気配はない。

 家の前へ集結した海兵は武器の確認を急いだ。

 

 「発見しました! 麦わらの一味です!」

 「よし! 一気に突入するぞ!」

 

 数十か、百人以上は居るかもしれない部隊が突入を開始しようとした時、声が割り込んだ。

 

 「ちょっと待ってくれないかな」

 

 全身ボロボロで、汚れた外見の男が一人歩いてくる。

 あまりにもひどい姿だが、思いのほかしっかりとした足取りで、本来ならば歩けないだろう傷を受けながら、多少ふらつく程度で真っすぐ歩を進めていた。

 海兵から距離を置いて足を止めたキリは、険しい表情で彼らを睨む。

 

 「みんなもう疲れてるんだ。しばらく休ませてやってほしい」

 「貴様は……紙使いか!」

 「もしこれ以上やるつもりなら――」

 

 彼は言葉を止めた。

 直後、異様な変化が海兵を包み始める。

 

 ドクン、と大気が揺れた気がした。

 突如として海兵たちが次々に倒れていき、部隊は瞬く間に混乱する。

 先頭に居た男が訳も分からず歯噛みした時、それだけでは終わらなかった。

 

 部隊に指示を出していた男がカサカサと奇妙な物音を聞いた。すぐ近くだと感じたためふと左肩を見たところ、そこに小さな蜘蛛が乗っていた。全身が真っ白である。紙で作られた数センチ程度の小ささの蜘蛛が、肩の上を歩いていた。

 不審に思ったその瞬間、他の海兵が大きな悲鳴を上げた。

 

 顔を上げると他にも白い蜘蛛を見る。海兵たちは驚きで目を見開いた。

 それらはサイズも様々で、最も大きい個体は数メートルに及び、屋根の上から海兵たちをじっと見つめていて、最も小さい個体は数センチ。視認が難しいサイズである。

 警戒するように、脅すように。

 辺りに散らばった数百匹の紙の蜘蛛が海兵たちを取り囲んでいた。

 

 海兵たちが動じている間、大小様々な蜘蛛が彼らへ徐々ににじり寄ろうとしている。

 表情を消したキリは目だけを不気味に光らせていた。

 

 「誰も逃がさない。ここで砂に還ってもらう」

 「ひっ――!」

 

 誰かが一度悲鳴を発すれば、もう立ち向かうことはできなかった。

 怯えた海兵たちが武器を落としてしまい、気絶した仲間のことも忘れ、思わず逃げ出そうとしてしまう。しかし紙の蜘蛛に取り囲まれているためそれもできない。

 激しい混乱に包まれた時、幸いにも彼らが駆け付けた。

 

 状況を見てたしぎが咄嗟に叫んだ。

 それは彼女らしくない冷静さをかなぐり捨てた怒声である。

 

 「何をしているんですかっ! 今すぐそこから離れなさい!」

 「し、しかし曹長、ここには麦わらの一味が居ます! 今なら捕まえられますよ!」

 「今! 彼らに手を出すことは私が許しません!!」

 

 突然の声にまたしても海兵が怯えた。状況が理解できず見るからに狼狽えている。

 たしぎの肩から離れてスモーカーが歩き出した。

 彼は銜えた葉巻に火を点けようとしており、中々ライターに火が点かず険しい顔をする。

 

 「チッ、しけてやがる」

 「大佐……」

 「今日はもう疲れた。帰るぞ」

 

 そう言って彼は背を向ける。動揺する海兵たちはしかし、否とは言えない。つい今しがた恐ろしい目に遭ったばかりで拒否できるはずもなかった。

 背を向けたスモーカーを見つめ、キリは呟く。

 

 「ありがとう」

 「フッ……皮肉だとすりゃ上出来だな」

 

 バタバタと慌ただしく走る海兵が傍を通り抜ける中、スモーカーが振り返った。

 たしぎと共にキリを見据えて、決意した顔で彼へ告げる。

 

 「船長に言っておけ。お前らを捕まえるのはおれたちだ」

 「伝えとくよ」

 「今回だけだ。次はもうない」

 

 そう告げてから二人が去っていく。

 彼らの姿が見えなくなるまで見送ったキリは、見えなくなってから大きく息を吐き出した。

 

 一瞬にして紙の蜘蛛がバラバラになって地面へ散らばった。

 これでようやく休める。

 頭からつま先までずぶ濡れになって、重くなった体を動かすキリは家屋へ入った。仲間たちが安堵した顔で眠っていて、一人ずつ顔を眺めると優しく微笑む。

 

 疲れた顔でゆっくり歩いて、ルフィの隣で倒れ込む。

 うつ伏せに倒れたが、緩慢な動作で体を動かして仰向けになった。

 深く息を吐いて天井を眺める。攻撃を受けて汚れていても、彼には安堵する風景だった。

 

 「みんな……ありがとう。色んなことを思い出したよ」

 

 今は眠っている仲間たちへ声をかける。先程とは違い、穏やかな声色であった。

 首を動かしたキリは隣で眠るルフィを見る。

 

 「これでようやく自分に戻れる……ありがとう」

 

 もう一度上を向いて目を閉じる。

 すぐに意識は遠ざかり、彼も眠りの中で落ち着いた。

 その顔には穏やかな笑みがあって、これまでの疲労を全て忘れてしまったかのよう。

 

 優しい雨音に包まれて、今日はむしろいつもよりよく眠れそうだった。

 深い眠りに落ちたキリは夢を見ようとしていたようだ。

 

 それは自分で蓋をしたはずの過去。

 思い出すのは楽しくも辛い、彼が最も大事にしている記憶。

 そういえば雨が降っていた日は、いつも何かがあった気がする。

 今再び、いつしか自分が忘れていたはずの自分を、様々な出来事を思い出そうとしていた。

 

 静かな時の中で記憶の蓋を開く。こんな日が来るなど思ってもみなかった。

 今はもう恐れていない。きっと前を向けるはず。

 優しい雨が見守る中、彼は確かに己の過去に目を向け始めた。

 


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