1
「政府の目が届かない場所っていうのは、この世に実在してるものだよ」
軽快な口調でそう言った少年を、ニコ・ロビンは警戒を込めた目で見つめていた。
暗闇に包まれた細い路地の中。身を隠して移動していた自分を目標としていたらしく、音もなく現れた存在に道を塞がれ、かといって攻撃の意思は皆無で、彼女は困惑する。
黒いコートを身に着け、フードを深くかぶり、口元だけが確認できる人物。おそらく少年だろうとは背丈の小ささと声色で判断できたのだ。謎が多く、見るからに怪しい。
彼女は人の目を逃れる日陰の世界で生きてきた。
警戒心は常人の何倍も強く、大きく、簡単には心を許せないと表情が険しくなる。
一方の少年は、少なくとも目で確認できる口元は柔らかい笑みを浮かべていた。
やけに楽しげな明るい声は強い警戒心をすり抜けようとするかの如く、思いのほか近い距離感でロビンへ語り掛けてくる。
「会ってほしい人が居るんだ。上手くいけば、今よりずっと過ごしやすい毎日が手に入る」
「信用できないわね……あなた、何者?」
「さあ。それを知るためにはまず来てもらうしかない。簡単に自分のことを話せないのはお互いさまでしょ?」
その物言いを聞いて油断できない相手だと判断した。
ロビンは自分を抱きしめるように左腕を掴む。
「色々知っているみたいね。私のことを調べたの?」
「まぁね。探すのに苦労したよ。隠れるのが上手だからさ」
やれやれと首を振って溜息をついて、彼は尚も明るい声で話す。
「だけど、かくれんぼは得意でね。最近は特に隠れるのも見つけるのも上手くなったんだ。別に今から逃げてもいいよ? また探すだけだし」
「そう……やめておくわ。本当に見つけられてしまいそう」
「じゃあ話が早い。早速さっきの質問に対する答えが欲しいんだけど」
「だけど私がそう簡単にあなたを信用しないことも、理解してもらえるのよね?」
警戒しているのを隠そうともしない目つきに、少年はあっさり頷いた。
「うん。そうじゃないとここまで逃げ続けることはできないだろうしね」
「ならどうするの? このままじゃいつまでも話が終わらないけれど」
「そこはほら、よく考えてもらうしかないかな。確かに信用はできないかもしれない。でもどのみち太陽の下で生きられるような身分じゃないでしょ?」
彼の言葉にロビンが口を閉ざした。
そんなことはわかっている。今更堂々と往来を歩くことなどできない人生だ。
やはり調べられていることが伝わって、彼への不安や、同時に興味も湧いてきた。
「ボクらは同じ穴の狢。誰かに見られることを恐れるなら深い闇に隠れるしかない。ボクなら君を連れていけるよ? 政府の目が届かない、深い深い闇の中へ」
「その代わり抜け出すことはできなさそうね……」
「役目を果たせば生き残ることはできるさ。代わりに裏切った場合は誰も生き残れない。ボクの目を欺ければ話は別かもしれないけど」
一切の恐怖心を感じさせない意気揚々とした声。ただの子供ではない。むしろ子供らしくない、確かな危険性を感じさせる人物だ。
そこらの大人では彼ほどの恐ろしさを感じないだろう。
逃げることは諦め、ロビンが小さく嘆息した。
「この話を断ったところで、どうせ同じような仕事しかできないんだ。だったら当面の間は安全が保障されて、大金も手に入る仕事を選んだ方がいいでしょ?」
「当面の間は、ね……」
「役目を果たすまでは安全だよ。君には特別な力がある」
「それって悪魔の実の能力? それとも、別の何かかしら」
ロビンの問いに少年の口元は大きな弧を描いた。
言っておいた方がいい、との判断だろう。隠すことなく正直に言った。
「特殊な文字を読める人間が必要だ。世界的に見ても読める人間なんて滅多に居ない」
「やっぱりそういうこと」
「興味あるかな? 当面の目標はそいつを手に入れることになる」
問われたロビンは口を噤んで考える。
確かに、それは彼女も欲していた代物。できることならば一つでも多く手に入れたい。しかし自由に動けない現状では捜索も難しく、生きていくので手一杯。
信用はできずとも目的は同じのようだった。
「君は絶対に連れていかなきゃならない。だけどできれば傷つけたくはないし、脅しても効果はなさそうだよね。自発的に来てほしいところなんだけど、どうかな?」
「一つ聞かせて。あなたの背後に居るのは誰?」
「それは秘密。ボクらが作ろうとしているのは全てが謎に包まれた秘密結社。だからこそ上手く機能すればボクらの存在は誰にも気取られなくなる。もう逃げ続ける必要はないよ」
ロビンはしばし口を閉ざし、考えた。
「上手くいくの?」
「もちろん。そのためにボクが居る。君にも協力してもらうけどね」
考えてはみても結局のところ、選択肢は一つしかないのだ。
生きるためには何でもしてきた。そうしなければ生きられなかったからだ。
他の人と同じようには生きられない。普通なんて無縁な人生。
生きるためには、彼についていくしかない。
ロビンの顔つきが変わったことを理解して、少年はフードの下でにこりと微笑む。
長くなるだろう旅の仲間が一人増えた瞬間であった。
2
砂漠の国とは思えないほど冷たい空気がする部屋へ一歩を踏み入れた時、ロビンは言葉にできない息苦しさを感じ、その迫力を醸し出す背を確認する。
豪勢な机と椅子があり、背を向けて座る男が居た。
前へ回り込まずとも能力を使えば顔を確認できるが、なぜかそれを躊躇ってしまうような、下手なことをすれば命を失ってしまうという危機感がある。ロビンは能力の使用を控えた。
「お茶でも淹れようか。男所帯だから大したものはないけどね」
後から入ってきた少年が隣の部屋へ移動する。
遊びに来たかのような軽い足取りで、彼だけは緊張感がない。しかしそんな彼だからこそ居なくなってしまえば余計に空気が重くなった気がして、ロビンの顔色が変わる。
予想はしていたがとんでもない相手に勧誘されたらしい。
尚も静かに待っていると、ようやく背を向けた男が口を開いて声を出した。
「ポーネグリフが読めるそうだな」
やはり狙いはそれ。先に聞いていた通りだ。
こういう手合いは嘘をつかない方がいい。特にこの初手を打つ場面では危険過ぎる。
慣れた様子でロビンは冷静に頷いた。
「ええ。読めるわ」
「そんな人材を探していた。決心はもうできたのか?」
「そうね……」
問いかけに対し、少し考えてから話す。
「ポーネグリフを見つけて、何をするの? まずはそれを聞いておきたい」
「フッ。お前には副社長として表の顔になってもらわなければならない。教えておこう」
椅子が回ってその顔を確認することができた。
あまりにも有名な海賊。王下七武海の一人、サー・クロコダイル。
これは流石に予想しておらず、ロビンがわずかに冷や汗を搔き、動揺を隠しきることはできなかった。しかし気付いていながら敢えて指摘せずにクロコダイルが言う。
「この島にあるポーネグリフは、とある古代兵器の在処を記しているそうだ。そいつを手に入れることがおれの目的。この島のどこかにある」
「古代兵器……」
「流石に聞き覚えはあるようだな。話が早くて助かる」
クロコダイルは余裕を持って笑みを浮かべていた。
逆らえばどうなるかわからない。言葉を選ぶ必要があった。ロビンはこの一時に集中する。
「ガキの頃から逃亡生活を送っていたそうだな。協力すれば少なくともそんな生活とは無縁になるだろう。安心できる生活と大金をお前にくれてやろう」
「その代わりにポーネグリフに記された情報を渡せと?」
「悪い話じゃねぇはずだ。お前もポーネグリフを欲しがってる口だろう」
沈黙が生まれ、重苦しい空気が漂う。
断ることが許されない問答。とはいえ、一度足を踏み入れればどう転ぼうが危険である。何よりその男と手を組むことが死に直結するような危うさがあるのだ。
一度目を閉じて、決意を固めて、目を開いたロビンが毅然として言った。
それはまさにクロコダイルが求めていた答えである。
「わかったわ。あなたたちに協力する」
「ひとまずは感謝しよう、ニコ・ロビン。だが忘れるな。お前がおれたちの首根っこを掴んでいるのと同時に、おれたちもお前を始末することは簡単だとな」
「肝に銘じておくわ」
本当に心から信用することはできない。だが生きるためには必要だった。
ちょうど二人の会話が終わったタイミングで隣室から少年が戻る。
手にはお盆を乗せていて、その上には湯気を立たせるカップ。クロコダイルの下へは向かわず真っすぐロビンの下へやってきて腕を上げた。
「お茶が入ったよー。で、話はまとまった?」
「ああ。これでようやく始められる……」
背もたれに体重を預け、引き出しから紙を取り出したクロコダイルはそれを机の上に置く。
ロビンは少年が差し出すお盆に乗せられた一つだけのカップを受け取り、口元へ運んだ。どうやら自分は重宝されるようで、毒が入っていることは敢えて疑わない。
やはり予想は当たっていて、それはただの美味しい紅茶だった。
「メンバーを集めろ。リストにある名前は幹部として使う」
「リストにない奴を使うのはあり?」
「構わん。ただし情報の扱いには注意しろ。極秘で進める必要があるからな」
「うん、了解。その辺は上手くやるよ」
「組織の名はバロックワークス」
クロコダイルはにやりと笑い、二人を前にして好戦的な様子を醸し出した。
「国盗りを始める。いい働きを期待しているぞ」
組織の社長として、そう伝えた。
社長と言えば聞こえはいいがその実体は海賊。存在が知られればどうなることか。
不安がないと言えば嘘になるが、ロビンは冷静な表情を崩さず、静かに言葉を受け入れた。
3
強い日差しが照り付ける砂漠に囲まれた町。
ユバと名付けられたその町は、元は無人のオアシスだった場所に築かれ、旅人や商人が立ち寄る休息場所となるため開拓されたのである。
まだまだ発展途上とはいえ町としてかなり形になった。
数年前まではただのオアシスだったのだから、開拓団の努力が見られるというものだ。
ある日のことである。
開拓団の代表トトの息子、コーザが父の手伝いのため道を歩いている時だ。
角を曲がって突然現れた人物と接触しそうになり、慌てて避ける。すると相手だけが勝手に転んでしまって、背負っていた大きなリュックから荷物がぶちまけられた。
慌ただしく騒がしい様子にコーザは呆れ、同時に彼を心配した。
「いててて……」
「だ、大丈夫か?」
見れば自分と同年代くらいの少年だった。
背丈は小さく、髪の色は少しくすんだ金色。男だとは判断するが中性的な顔をしている。
彼はコーザの存在に気付くと飛び起き、慌てて頭を下げた。
「わっ、すみません! 気が付きませんでした! お怪我はありませんか?」
「いや、別にいいけど……」
「うわっ、やばっ」
少年はその場でしゃがむとぶちまけた荷物を拾い始める。慌てる姿にコーザは思わずぽかんとしてしまい、立ち尽くしていたが、自身もしゃがんで拾うのを手伝う。
様々な品物が転がっていて、その一つ一つがコーザに興味を持たせた。
いくつか拾うと少年と目が合い、ふと照れ笑いをする。
「あ、すみません……」
「すごい荷物だな。お前旅人なのか?」
「え~っと、行商人なんです。島から島を渡り歩いて、品物を売り歩いてまして」
にこやかな笑顔で言われた言葉にコーザは目を大きくした。
「行商人? だってお前ガキじゃないか」
「ガキでも旅はできますよ。そうだ、何か買いませんか? 大した物はありませんけど、他の島で仕入れた物が色々あるんです。例えばそうだなぁ……」
拾う最中に周囲を見回し、目を輝かせてある物を手に取った。
ガラス製の入れ物で中には白い粉が入っている。それを目線と同じ高さまで上げ、不思議そうにするコーザが顔を近付ける。
「これはウォーターセブンで作られた塩なんですけど、ミネラルが豊富で、普通の塩より味わい深いんです。大匙一杯でコクが増すらしいですよ」
「へぇ……って、いきなり商売かよ」
「あぁっ、すいません。その前に集めなきゃですね」
ハッとした様子で少年が再び荷物を拾い始める。
コーザは心底不思議そうに彼を見ていた。
島の外から来たというだけでなく、なぜか気になる人物だったようだ。彼の顔や挙動をじっと見つめて、興味を持っているだろう様子を隠そうともしない。
やがて荷物を集め終え、金髪の少年が丁寧に巨大なリュックの中へ詰め込んだ。
よし、と呟いて顔を上げると、彼は改めてコーザへ頭を下げる。
「ありがとうございました。迷惑かけてすみません」
「あぁ、うん。お前さ、名前は?」
気になって質問してみた。
町が軌道に乗ってきたことで子供も増えてきたとはいえ人数は少ない。特に同年代だろう少年の存在は稀有であり、興味を持つのは仕方なかったと言える。
好奇心を表情にまで表すコーザの問いに、少年はにこやかな笑みを返した。
「キリっていいます。初めまして」
驚くほど敵意を感じない姿に、コーザは、仲良くなれそうだとにんまり笑う。