ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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《P.S. 16 years old》

 1

 

 雨が降らなくなった影響で、すっかり枯れてしまったエルマルの町の近く。

 砂漠にぽつんと立つカフェがあった。

 ごく一部の人間しか訪れないその店はスパイダーズカフェと名付けられていた。店内には穏やかなBGMがかけられており、落ち着いた雰囲気を感じさせる。

 

 店の女主人、ポーラがコップを洗い終えた時、タイミングよく店の扉が開いた。

 キリがフードを下ろしながら入ってきて、彼女に笑みを見せる。

 

 「あら、いらっしゃい」

 「やぁポーラ。相変わらずここは人気を感じないね」

 「ふふ、仕方ないわよ。だけど今日はお客さんが一人居るのよ」

 

 そう言ってポーラが左を向いて、目線の先を追うと坊主頭の男が座っている。

 何も頼まなかったらしく、カウンターには何も置かれていなくて、店の隅で目を閉じて腕組みをしていた。見るからに威圧感を感じる様子だった。

 キリはまるで躊躇いを見せず彼に話しかける。

 

 「やぁMr.1。今日も怖い顔してるね」

 

 Mr.1は何も答えず、動かなかった。

 どうやらあまり気に入られていないようだとキリが苦笑する。

 彼もカウンターの席へ座り、ポーラが前へやってきてキリの顔を見つめた。

 

 「それで今日は?」

 「大した仕事じゃないんだけどね。要人の暗殺。あ、それとコーヒーちょうだい」

 「ええ。アイスでいい?」

 「うん。流石にこの国でホットを飲む気にはなれないなぁ」

 

 頷いたポーラが準備を始める。

 その間にキリは懐から指令書が入った封筒を取り出し、Mr.1の方へ投げた。真っすぐ飛んだそれは目を閉じたままのMr.1に受け止められ、目を開いて中身を読み始める。

 

 内容を理解し、カウンターへ置く。

 キリの前にコーヒーを置いた後、そちらへ移動したポーラも指令書に目を通した。

 

 コーヒーを飲みながら俯瞰的に二人を見た時、彼らはあまり表情が変わらないことに気付く。

 Mr.1は常に不機嫌そうな無表情で、ポーラは薄く笑みを湛えていることが多かった。

 そういえば、以前自分も似たようなことを言われたことがあったなと思い出す。

 ポーラが灰皿の上で指令書に火を点けた時、Mr.1が即座に立ち上がった。

 

 もう行ってしまうのだろう。颯爽と扉へ歩いていってしまう。

 椅子ごと回って背に目を向けたキリは思わず呟いた。

 どうも彼は付き合いが悪い。気安い一言も投げかけたくなるというもの。

 

 「もう行くの? ちょっとくらい喋ろうよ」

 「必要ねぇだろう」

 「つれないなぁ。息抜きがないと人間ダメになるよ。ちゃんと人生楽しんでる?」

 「フン」

 

 一度も足を止めずにMr.1が店を出ていってしまった。

 残されたキリは少し不服そうな顔を見せる。するとそれを見ていたポーラがくすくす笑い、再びカウンターに肘を置いたキリが彼女に笑いかけた。

 

 「寂しいねぇ。あの人がパートナーで辛くならない?」

 「大丈夫よ。あなたがたまに店に来てくれるから」

 「それはよかった」

 「だけど気になることを言ってたわね。ねぇキリ」

 「ん?」

 「あなたこそ人生楽しんでる?」

 

 唐突な質問にキリはきょとんとした顔に変化した。彼らしくない、すぐには答えを出せない姿を初めて見た気がして、微笑みはそのままでもポーラは少し驚く。

 彼女が予想した以上に深刻に考え始めてしまったらしい。

 次第に俯き、ポーラの姿すら見ないようになって、それでも彼は悩んでいた。

 

 「楽しい、か……」

 

 真剣に考え始めた彼を残し、ポーラは裏口から店を出ていく。

 話しかけない方がいいと判断したのだろう。どうせ客は来ない。戸締りは必要なかった。

 

 気付かない間に店の中へ一人残されたキリは、しばらくそんな状況にも気付かず考えていた。

 楽しいとは何だっただろう。言葉としては理解するがすっかり忘れてしまった。

 何かもやもやすると、彼は眉間に皺を寄せてさらに考える。

 

 

 

 

 

 2

 

 人通りが多く賑わうアルバーナの町で、キリは一人座っていた。

 広場の隅に店を開き、露店商として品物を並べている。

 時折商品を覗き、買っていく人も居るのだが、彼本人はどこか心ここに非ずな様子だった。

 

 彼の視線の先では時計台の修繕が行われている。外壁から文字盤、あまり存在を知られていない内部まで修繕するため多くの作業員があちこちで動いていた。

 傍目からは、実は巨大な大砲のパーツを運び込み、内部で組み立てているとは思わないだろう。

 もしもの時の奥の手。クロコダイルの指示に従っての作業であった。

 

 白昼堂々と秘密裏に悪事を働く工作員たちの監督をしながら、キリはぼんやり考える。

 何かを忘れてしまった感覚がある。それに気付いてから妙に落ち着かなかった。

 

 一年経つごとに心身ともに成長していき、この頃には落ち着きつつあったことがきっかけか。

 心に余裕ができた彼はつらつらと考え事をする。

 何かが抜け落ちてしまったのか、何かを忘れたのか。はっきりしない心情に表情は暗くなり、常に相手の警戒心を無くさせるような微笑みを湛えていただけに、その変化は明らか。

 たまたまそこを通りかかったペルに声をかけられ、ハッと我に返った。

 

 「キリじゃないか。どうした? 今日は売れ行きが良くないのか」

 「ペルさん。巡回なんて珍しいですね」

 「いやなに、今日は時計台の修繕が行われると聞いたからな。少し様子を見に来た」

 

 そう言うとペルは時計台を見上げる。

 アルバーナで店を出すことが多かったため、自然と顔と名前を覚えられるようになった。ペルと会って話すのも今日が初めてではない。

 どうやら大砲についてはバレていないようで、キリは平然と話を続ける。

 

 「ずいぶん久しぶりなんですってね。時計台の修繕」

 「ああ。ここ数年は少し、国内の状況が思わしくなかったからな……」

 

 ペルの表情が陰りを見せた時、そうだとキリは思いつく。

 わからないなら聞いてみればいい。

 簡単なことだったと、彼は地面に座ったままでペルの顔を見上げた。

 

 「ペルさん。楽しいって、なんですかね」

 「ん? どうしたんだ、急に」

 「いやね、最近わからなくなってきて。ペルさんにとって〝楽しい”ってなんですか?」

 「それを考えて浮かない顔をしていたのか」

 「え? そうでした?」

 「ああ。いつもとは様子が違ったから気になったんだ」

 

 それほどわかりやすい顔をしていたのだろうか。

 常に心を読ませないよう表情に気を付けていたキリにとっては驚いてしまう言葉。そんなに気を抜いていたつもりはないのだが。そう考えている間にペルも考えていた。

 

 簡単なようで難しい質問だ。〝楽しい”とは何なのか。

 考えて自分なりに答えを出した彼はキリに笑顔を向ける。

 

 「きっと私にとっては、この国の人々が平和に暮らせる状況こそ、〝楽しい”に値するものなのだろう。表現として正解かどうかはわからないが」

 「この国の平和、ですか」

 「そうだ。私はアラバスタを守るため生きている。この国の人々が笑顔で居られた時ほど楽しいと感じられる時はない。それはもちろん、この国に来た者も含めての話だ」

 

 ペルの視線にぽかんとして、キリはなぜか呆然としていた。

 

 「君だってそうだ。暗い顔をしているより、笑顔で居てくれた方が私も楽しくなる」

 「そういうものなんですかね……」

 「フフッ、どうかな。正直なところよくわからない。あくまでも私にとってはだ。こんな意見で参考になればいいんだが」

 「いえ……ありがとうございました」

 

 さらにキリは考え込み、難しい顔をする。

 これは相当調子が悪そうだと、ペルは普段との違いに気付いて判断していた。しかしいつまでもここに居る訳にはいかず、自分の仕事に戻らなければならない。

 

 「それじゃあ私は失礼する。少し様子を見に来ただけだから、仕事に戻らないと」

 「あ、はい。すいません。引き止めちゃって」

 「構わないさ。あまり考え過ぎないことだ」

 

 ペルがその場を離れていく。

 そう言われはしても、キリの表情は晴れず、ぐるぐる回る思考が止められることはなかった。

 

 

 

 

 3

 

 反乱軍の拠点は、アルバーナへの道筋を考慮し、ユバからカトレアへ移された。

 そのことを知っていたキリはカトレアへ足を運び、反乱軍のキャンプに到着する。

 反乱軍の兵士たちは彼のことを知っていて、迎え入れる態度は当然のものであった。

 

 「キリか」

 「お疲れさま。コーザは?」

 「奥のテントに居る。今日は機嫌が良くなさそうだったが」

 「いいよ。少し話すだけだから」

 

 物騒な目つきの男たちの間をすり抜け、悠々と進むキリは今日はリュックを背負っておらず、いつもと違うことに気付く者は多かったが説明はしなかった。

 目的のテントを見つけて、外から声をかける。

 返事は待とうとせずに中を覗き込んだ。

 

 「コーザ。入るよ」

 

 中では自分の腕を枕にしてコーザが横になっていた。

 キリの声に気付くと目を開き、ゆっくり体を起こしてそこに座る。

 機嫌は良くないと聞いたが笑顔だった。少なくとも彼は好意的に受け入れられていた。

 

 「キリか。久しぶりだな」

 「うん。こっちもちょっと色々あって」

 「まぁ、座れよ」

 

 妙に静かな雰囲気だった。

 キリは進められるままに彼の前へ座り、コーザの視線を受け止める。

 定期的に訪れているとはいえ、前に会った時と比べるとまた少し痩せただろうか。逞しい体をしているのだが疲弊した様子を感じるのには心が痛む。

 一方のコーザは彼の訪問に喜んでいて、いつもにない頬の緩みがそれを表していたようだ。

 

 「どうかな、調子は」

 「まずまずってとこかな。革新的な進展はねぇが、徐々に前へ進んでる気はする」

 「そっか。体は大丈夫? ほっとくと何も食べないから」

 「心配かけて悪ぃと思ってるよ。最近は大丈夫だ。ちゃんと飯食って寝てる」

 

 頷くコーザに、キリの笑みは少し様子が違っていた。

 目敏く気付いた彼は表情を変えて尋ねる。

 

 「どうした? お前こそ調子悪いんじゃないか?」

 「そうかな。そう見える?」

 「ああ。いつもと違う感じがする」

 「最近色んな人に言われるんだ。自分じゃそんなつもりないんだけどさ」

 「何かあったのか?」

 

 真剣に問いかけてくるコーザから視線を外し、俯いた後、すぐにキリは顔を上げた。

 

 「あのさ。楽しいって、なんだと思う?」

 「楽しい?」

 

 唐突な質問に驚くが、ほとんど見たことがないキリの真剣な顔を見て、コーザは息を呑んだ。そんな顔をするということは何かあったに違いない。

 何があったかを聞くのは簡単だが、求めているのはそんなことではないのだろう。

 真剣に考え、頭を悩ませたコーザは、自分が質問するのではなく答えを出そうとする。

 

 「おれの楽しいってのは、そうだな……平和に暮らせることだな」

 「平和に?」

 「今でも思うよ。本当は戦いたくねぇって。だけど、この戦いが終わった後、この国の連中が何の心配もしねぇで笑って暮らせてたら良いと思う。だから戦いをやめねぇんだ」

 

 コーザが視線を落として自分の腕を掴んだ。

 一瞬、悲痛な顔を見せ、彼が本当に戦いを拒んでいるのが窺えた。

 

 「もう殺したり殺されたりなんてたくさんだ。早く何も考えずに飯食って酒飲んで、仲間とバカ騒ぎしてよ、眠くなったら寝る。そんな生活が送れればいいと思うよ」

 

 キリも神妙に考え込む素振りを見せた。

 また、彼に対しては素直に本音を話すことができた。言った後でコーザは苦笑して、しかし彼が相手だと恥ずかしいとは思わない。きっと受け止めてくれただろうと信じている。

 一方でキリが考え込んでいる様子なのも気になり、今度は試しに聞いてみる。

 

 「お前はどうなんだ? 日々生きてりゃ楽しいって思うこともあるだろ」

 「え?」

 「聞かせてくれよ。旅の話でも、些細な話でもいいから。考えてみりゃあんまりそんな話したことなかったしな。お前が楽しいって思うこと、話してくれ」

 「ボクは……」

 

 キリの瞳が初めて揺れた瞬間をコーザは見た。

 

 「おれは……」

 

 しかしすぐに揺れる光は消え、元通りになる。

 どこか寂しげに感じるが、苦笑した彼は咄嗟に言う。

 コーザはその一瞬が気になったらしく、心配するような顔つきに変わった。

 

 「楽しいこと、なんだったかな。最近忙しくてわからなくなっちゃった」

 「キリ……大丈夫か?」

 「何が? 全然大丈夫だよ。ほら、こんなに元気だし」

 

 いつものように笑ってぶんぶん腕を振るキリだが、やはり今日はいつもとは違う何かを感じずにはいられなかった。コーザの表情は見るからに困惑している。

 キリはにこやかに話題を変え、もうその話をしようとは思わなかった。

 

 脳裏に浮かんだのは大海原を行く帆船。見覚えのある海賊旗。

 穏やかな波の音が耳に残って離れなくなっている。

 

 結局、なぜ彼が動揺しているのかはついぞわからず。

 最後にはいつも通りと思える笑顔を取り戻していたとはいえ、印象に残ったのはほんの一瞬だけ見せた感情の揺れ。彼らしくないと思ったその瞬間。

 この日を境に、キリがコーザの下を訪れることは二度となかった。

 

 

 

 

 4

 

 「イーストブルーへ帰ろうかと思うんだ」

 

 突然告げられた言葉に、背を向けたままのクロコダイルは動じなかった。

 さほど間も置かず、冷静に返事の声が聞こえる。

 

 「そうか」

 「驚かないんだね」

 「そう言い出す可能性があると考慮していただけのことだ」

 

 背後に立つキリへ振り返ることなく、クロコダイルは静かに語る。

 

 「好きにすればいい。お前はここへ戻ってくる」

 「すごい自信だね。根拠はあるの?」

 「あるとも。どこへ行こうが何をしようが、お前の根本は〝海賊”だ」

 

 自信を感じさせる声でそう言い、クロコダイルは口を閉ざした。

 従ってキリも背を向けて歩き出す。

 

 戻ってくるかどうか、それはまだわからない。ひょっとしたらレッドラインを越えるための旅路で死んでしまうかもしれないし、どこかでそれを望んでいるかもしれない自分に気付いている。

 根本は〝海賊”だ。その通りだと思う。だから落ち着かなくなってしまった。

 昔のままだったならばいくらか楽だっただろう。

 蘇った光景に決意を固めた彼は、ひとまず故郷を見てみようと考える。その後どうするかはいずれ考えなければならない。だが少なくとも、このままここには居られない。

 

 あらゆる物を捨て、一人になろうとしている。

 ただし今度は強制じゃない。自分の意思で選んだ道だ。

 今の彼にいつもの穏やかな笑みはなかった。

 

 「いずれお前はおれの下へ戻る。必ずな」

 

 最後にクロコダイルの言葉を耳にして、彼は姿を消した。

 


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