ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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《P.S. 17 years old》

 1

 

 「これからよろしく、ルフィ」

 「しっしっし。やっとおれの名前呼んだな」

 

 そう言った後、少しの間ができて。

 夜の静寂を感じる状況の中、キリは苦笑した顔で溜息をついた。

 

 「きっと後悔することになるよ。ボクを仲間にしたこと」

 「そんなことねぇよ。おれは嬉しいんだ。やっとキリが仲間になって」

 

 しししと笑うルフィは言葉通り心底嬉しそうにしている。

 ここまで底抜けに明るくて身勝手な人間は見たことがない。旅をする中で様々な人間を見てきたという自負があるものの、これほど変わった人間は生まれて初めてだと思う。

 

 だが、だからこそ惹かれてしまった。

 他人の言葉をまるで聞かず、思う通りに行動し、断られても諦めずに突き進む。

 誰かはこれを迷惑な身勝手と呼ぶだろう。

 キリにとっては、これこそ自由だと感じていた。

 

 忘れたはずだった。気付かない間に忘れようとしていたはずだ。それがいつしか自然に脳裏へ浮かび上がり、それ自体を良しと考える自分が居る。

 ここで旅に出なければもう二度とチャンスはない。

 そう思わされてしまった時点で彼の負け。キリは知らず知らずのうちにルフィと戦い、そして敗北したのだ。おまけに勝てないとさえ思ってしまっている。

 

 気分は悪くない。それどころか最高だった。

 やけに楽しそうな笑顔を向けて、キリはルフィへ問うてみた。

 

 「ねぇ、ルフィにとって、楽しいって何?」

 「楽しい? そりゃお前、〝海賊”だろ!」

 

 一秒たりとも迷わない姿に思わず吹き出してしまった。

 

 「だと思った。ボクと同じだ。海賊やってる時が一番楽しいって感じる」

 「しっしっし。ほらみろ」

 「ただ、迷惑かけることになるよ。グランドラインに居る頃色々あったから」

 「そんなの別にいいよ」

 

 平然と言ったルフィの顔は、何一つ恐れてはいなかった。

 これから始まるだろう冒険に期待していて、希望を持って、キリが言う面倒事さえ楽しもうとしているかのようで。輝くような笑顔にキリは驚愕し、自身は真顔になってしまった。

 

 「キリじゃなくても色々あるだろ。そんなこと気にすんな。楽に行こう」

 「楽観的だなぁ。いいの? そんなので」

 「いいんだ。何も知らねぇ方が楽しいに決まってる。とりあえず行ってみりゃわかるさ」

 

 何も考えていなさそうな言葉に、思わずくすぐったそうに笑って、キリが頭を抱えた。

 かなりの大物、と考えた方がいいのかもしれない。色々と規格外な人だ。

 

 「本当に、一人にしとくとあっさり死んじゃいそうな人だね。目が離せそうにないよ」

 「ししし。大丈夫だ。キリが一緒に来るからな」

 

 キリの顔をじっと見つめ、改めてルフィは宣言する。

 

 「後悔なんてしねぇしさせねぇよ。お前はおれの仲間だ」

 

 やはり彼の言葉には弱い気がする。

 不思議とかつての船長を思い出させる気質だった。

 キリはその言葉を信じてみることにして、今回は力強く頷いた。

 

 

 

 

 2

 

 「メシィィ~!!」

 

 騒がしい声を出すルフィが甲板からキッチンへ入ってきた。どうやら食事の支度が終わるのを待ち切れずに飛び込んできたらしい。

 作業中だったキリとシルクは苦笑して振り返り、駆け込んでくる彼を見る。

 ルフィは空腹を我慢できずにキリへ言った。

 

 「キリ! メシまだか!」

 「もうちょっとでできるから待っててよ」

 「メリー号のキッチン、結構いい感じだよ。前の船よりおいしくできたかも」

 「ほんとかぁ~!? 早く食おう!」

 「だからまだできてないって」

 

 ルフィの様子を気にしながら、キリがオーブンを開けた。

 焼きあがったパンが並んでいて、久々に焼いたがいい出来だと自負する。ちょうど開ける瞬間を見ていたルフィも覗き込んで、出来を確認した二人は笑顔で顔を見合わせた。

 

 「うんまそぉ~だなぁ~」

 「しょうがないなぁ」

 

 そう呟いてトレイを出した後、熱いそれを素手で一つ取り、キリがルフィと向き合う。

 

 「見ててよ……」

 

 ぐっと指先に力を入れて、丸いパンを二つに割った。

 ほわっと柔らかそうな質感と断面が目に飛び込んでくる。

 間近で見ていたルフィは思わず顔を寄せて、そのままかぶりついてしまいそうなほど近く、堪え切れない様子で舌を伸ばして涎が垂れそうになっていた。

 そんな彼の様子にキリは嬉しそうに笑い、同じくらいの身長の彼を見る。

 

 「すんげぇ~! これキリが作ったのか?」

 「そうだよ。これだけは一人前だって認めてもらったからね」

 「めちゃくちゃうまそうだな。なぁ、これ食っちゃだめか?」

 「他のみんなにバレないならね」

 

 そう言ってキリは二つに割った片方を差し出した。

 嬉しそうな顔でルフィが受け取った時、一部始終を見ていたシルクは苦笑する。

 

 ちょうどルフィが大口を開けてパンを食べようとした瞬間、再び扉が開いて、今度は数日前に仲間になったばかりのウソップが入ってくる。

 笑顔で入ってきたもののルフィの行動を見て驚き、一瞬にして目が吊りあがった。

 

 「いや~おれも腹が減っ――ってうおいっ!? お前何やっとんじゃルフィ!?」

 「んんがっ!」

 「あ~食いやがった! 今のは現行犯だぞ! おれは確かにこの目で見たッ!」

 

 ウソップの登場に驚いたのはルフィも同じで、持っていたパンを隠そうとしたのか、そのまま勢いよく口の中へ放り込み、素早く咀嚼した。そして味わう間もなくあっという間に飲み込んでしまったのである。

 同じ頃、冷静だったキリは一口かじってゆっくり食べていた。

 

 「つーかキリも食ってんじゃねぇか!? 食べ盛りの男の前でのつまみ食いは重罪だぞ! というわけでおれにも一個ください!」

 「だめだよ。みんなの分が無くなるじゃん」

 「ルフィには食わしたじゃねぇか!」

 「なぁキリ、それ食ってもいいか?」

 「いいよ」

 

 そう言うとキリは口を開けて待ったルフィに持っていたパンを食べさせた。

 それを見てより一層ウソップの声が大きくなる。

 

 「ちょっと待てぇ~! はい議長! 今重大な事件が目の前で起きました!」

 「え? 議長って……私?」

 「被告キリは同じく被告ルフィにつまみ食いを許可しましたがおれには何も食べさせません! この贔屓はいかがなものでしょうか!」

 「しょうがないよね。船長だもの」

 「前から言いたかったがお前はルフィにだけ甘過ぎる! 〝船長に甘過ぎる罪”で実刑を求める次第であります! 具体的には空腹なおれにも一つのパンを!」

 

 騒ぐウソップと動じないキリに困った笑みを浮かべ、議長と呼ばれたシルクが口を挟んだ。

 

 「え~っと……そうは言うけど、もうすぐできるよ? 別に今じゃなくても」

 「違うんだシルク、それは違うぞ。食事を始めるという場で食べる料理と、作る過程の途中でのつまみ食いとでは趣が違う。感じる味わいが全く別物なんだ。つまりこれは空腹を満たすためというよりたった一口の幸せのための戦いなんだ」

 「ウソップ、ちょっと皿並べてくれる?」

 「おう。……って違~う! まだ話は終わってねぇ!」

 

 軽い口調で言ってきたキリに反応して思わず頷いてしまった。

 慌てながら体勢を立て直したウソップは完成したスープを皿に入れようとするキリを指差す。

 

 「今後のためにもこの件は今のうちにはっきりさせといた方がいいぞ、キリ。おれだってたった一個のパンでこんなにうるさく言いたかねぇが、ルフィだけ特別扱いというのがどうかと思うんだいう話をしているわけだ」

 「特別扱いなんてしたっけ?」

 「した。おれが一味に加わってからだけでも何度も。しかもついさっきそれを見たところだ」

 「ごめんなさい」

 「よし。素直に謝る姿勢は気持ちがいいぞ。で、おれにもつまみ食いの権利はあるのか?」

 「それはないけど」

 「ねぇのかよ!? 何の謝罪だったんだ!」

 

 ウソップの必死の抗議にもめげず、飄々とするキリは皿にスープを移していた。

 扉を開けたまま大声を出していたため気になったのだろう。次はゾロがやってきた。入口で騒ぐウソップを面倒そうな目で見て声をかける。

 

 「なに騒いでんだ。うるさくて寝れねぇだろうが」

 「おぉいゾロ君! おれは裁判をすべきだと思うぞ! 罪状は〝つまみ食い”と〝船長にのみ甘過ぎる罪”だ! 特に後半のはなんとなくひどい!」

 「あ? なんだってんだ一体……」

 

 眉間に皺を寄せるゾロは面倒そうにウソップの声を聞いていた。

 

 「要するにキリのルフィに対する態度が問題だって話だ。お前はどう思うんだよ」

 「どうも思わねぇ。今更だろ」

 「いやいやいや。確かにルフィは船長だ。でも本人はこんな感じだ。別に船長船長と崇め奉らなくてもいい空気がこの船には――」

 「その肉うまそうだなー。食っていいか?」

 「いいよ」

 「ちょっと待てェ!? お前それメインだろ! それは絶対にだめだァ!」

 

 堪え切れない様子のルフィが盛り付けられたばかりの肉に顔を近付ける。それを見たウソップが慌てて駆け出し、彼を羽交い絞めにして止めた。

 ここまでくると態度が甘いなどという話ではない。

 どうやらウソップの抗議を面白がっているらしいキリは、暴れる二人を見て楽しげだった。

 

 余計に騒がしくなったキッチンで、ルフィとウソップが暴れ、シルクが困った顔で彼らを叱る。

 キリはからからと笑って完成した料理をテーブルへ運び、ゾロは呆れて嘆息していた。

 

 騒がしさに気付いてナミがやってくる。

 まだ新しい船に慣れていないこのタイミングでよく騒げるものだ。呆れる顔をしていて、見ようによってはひどく楽しそうにも見える彼らのやり取りに冷たい眼差しを向けた。

 

 「また騒いでるの? ほんっと飽きないわね」

 「お前らも止めろよ! メシの一大事なんだぞ!」

 「なんだよウソップ、キリはいいって言ったじゃねぇか!」

 「アホかぁ! お前のつまみ食いはおれたちの食事だっつーの!」

 「だめだよ二人とも。喧嘩するなら甲板に行って」

 「二人ともあんまり暴れないでくれないかな。埃が料理に入っちゃうよ」

 「暴れさせてんのはお前だろうがッ!?」

 

 反省した様子のないキリにウソップが怒り、楽しそうな笑顔があっさりそれを受け流す。

 シルクは仕方ないと彼らを見守って、ゾロとナミは呆れていたが、止める素振りはなかった。これがこの船で生きるということなのだろう、と理解を示したようだ。

 ひとしきり騒いだ後、食事の前だというのに、ルフィも至極楽しそうな顔だった。

 

 

 

 

 3

 

 ある日のこと。

 昼食を終えた直後、室内で和やかな時間を過ごしていた時のことだ。

 テーブルに積み上げられた皿は大量。人数が増えただけでなく、大食漢であるルフィの腹を満たすために一食が多い。さらに専任でコックを務めるサンジの加入により、卓越した技術を用いれば大量の料理を用意するのも簡単なため、その分後片付けが大変になった。

 

 食べ終えた時の席に座ったまま話をしていると、唐突にキリが提案した。

 何やら良いことを思いついたと言わんばかりの表情である。

 

 「せっかくならさ、皿洗いする人くじ引きで決めようか」

 「おっ、いいなそれ」

 「なんだよ、気ぃ使ってんのか? 別にいいってのに面倒なことを……おれはナミさんかシルクちゃんと一緒に皿洗いしたいなぁ~!」

 

 突然の提案にウソップやサンジが同意したことで、いそいそとキリが紙を取り出し、その場で簡単にくじを用意し始める。

 呆れた顔のナミの隣には上機嫌そうなシルクが居て、対照的な表情だった。

 

 「別にいいけど、高いわよ?」

 「ナミ、仲間にまでお金請求する必要はないと思うんだけど……」

 「よしできた。じゃあサンジのリクエストに応えて二人一組にしよう」

 

 作ったくじを持ってキリが手を差し出す。

 真っ先に取ろうとしたのは乗り気らしいルフィであった。

 

 「うし、じゃあおれ取るぞ」

 「待て待て待て! よく考えたらルフィにやらせていいのか? 皿が無くなるぞ」

 

 くじを引こうとしたルフィの手を咄嗟に掴み、眉根を寄せたウソップが抗議をした。

 

 「この場合ルフィは外しておいた方が手間が減るんじゃねぇか?」

 「そうね……お皿だって安くないんだし。ただでさえ食費がかさむんだから節約はしないと」

 「お前ら失敬だな。おれだって皿洗いくらいできるぞ」

 「どうだキリ。ルフィにやらせると皿が割られる危険と財政難が一緒に襲ってくるぞ」

 「いいんじゃないかな。それはそれで面白そうだから」

 

 あっけらかんと言ったキリの反応にウソップとナミが見つめ合う。

 基本的には頼れるが、こういった状況では彼に話を振らない方がいいようだ。

 

 「あんたが悪いわ、ウソップ。あいつに聞いちゃだめ」

 「だな。ありゃ愉快犯の目だ」

 「引くぞー!」

 「待ったルフィ。選ぶのはいいけど引く時は全員同時にね」

 

 船のトップ二人が乗り気なため、仕方なく付き合うしかないだろう。

 全員が用意されたくじを持ち、引くタイミングを待って動きを止める。

 そしてキリが号令を出して一斉に引いた。

 

 「せーのっ」

 

 パッと自分の手元へ引き寄せる。

 その瞬間、全員が辺りへ視線を動かし、結果を知った。

 

 くじの先端、赤い色が付けられているのは二つ。

 当たりを引いたのはゾロとサンジだった。

 二人とも見るからに嫌そうな顔をしていて、それはおそらく皿洗いをするのを嫌がっているのではなく、パートナーに対する態度だったのだろう。

 

 彼らは、仲間の目から見てもはっきりと仲が悪い。口も利かないほどというわけでもないのだが相性は悪く、よく挑発し合っては喧嘩する姿が見られた。

 その組み合わせにルフィとキリが大笑いし、ウソップとナミがにやにやする。

 

 「んなっ!? なんでマリモとなんだよっ!」

 「チッ、めんどくせぇ……しかもアホと一緒か」

 「あっはっは! ゾロとサンジだ!」

 「水と油だね。良いコンビだと思うよ」

 「ぷふ~っ! ま、まぁこういうこともあるよな」

 「仲良くやんなさいよ。言っとくけど、喧嘩してお皿割ったらあんたたちのお小遣いから差し引いて弁償してもらうから」

 「ふふ、ちょうどいいんじゃないかな。これを機に仲良くなってみたら?」

 

 笑顔で言うシルクにサンジは寂しげな顔をして、ゾロは嫌そうに首を横に振った。

 

 「ちくしょう、シルクちゃんと組みたかったなぁ……こいつと組むくらいなら一人でやる方がよっぽどマシだぜ」

 「だったら一人でやれ。そもそもお前の仕事だろ」

 「あぁん? 仕事がねぇからひがんでんのか? お前だけ大した役目もねぇもんな」

 「なにぃ?」

 「あー君たち。喧嘩する暇があるならとっとと皿を洗ってくれたまえ。片付かねぇから」

 

 睨み合ってまた喧嘩を始めようとした二人へ、止めるためというより面白がって、勝者の余裕を感じさせるウソップがしたり顔で言う。

 非常に腹が立つ顔だったが文句は言えない。

 たかが遊びとはいえ全員で決めたのだ。結果が出た今からごねたのでは男が廃るというもの。

 

 「ハァ……やるか」

 「仕方ねぇな……」

 

 渋々といった様子で二人が席を立ち、汚れた皿の片付けを始めた。

 普段ならば食事が終わればそれぞれ別の行動をして、大半がすぐに部屋から居なくなってしまうのだが今日だけは違い、いつも元気に走り回っているルフィも席に座ったまま。

 仲の悪い二人が協力して皿洗いをしている姿を一味全員で見守っていた。

 

 「おいクソマリモ、もっと力抜いて拭け。てめぇのバカ力で割っちまう気かよ」

 「あぁ? ちゃんとやってんだろうが。これで割れるなら皿の気合いが足りねぇんだ」

 「何言ってんだ。バカか」

 「うるせぇ、アホ」

 「いやー新鮮。なんか、やっぱあり得ねぇな」

 「そうね。喋ってる感じはいつも通りなのに、ちょっと……ねぇ?」

 

 大の男二人が口喧嘩をしながら肩を並べて皿洗いをする光景は、思いのほか来るものがあったらしい。ウソップとナミは微妙な顔をしていた。

 一方、ルフィとキリとシルクはどことなく楽しそうである。

 

 「ししし。あいつら仲悪いなー」

 「何が合わないんだろ。割と初めからああだよね」

 「だけど、たまにすごく息が合うから不思議。実は仲がいいのかな?」

 

 文句を言いながらサンジが洗い、皿を受け取ったゾロが拭く。

 口は止まらないとはいえ一応協力はしているように見える。

 やっぱり不思議な関係だと彼らは笑い、居心地が悪そうな二人を最後まで見守った。

 

 

 

 

 

 4

 

 船内で本を読んでいたチョッパーは、突然外から聞こえた声に肩をびくつかせた。

 

 「チョッパー! 出てこいよ! すんげぇのが見れるぞ!」

 

 喜々とした様子のルフィの声だった。

 不思議に思ったチョッパーは少し怯えながら甲板へ向かう。乗り込んだばかりでまだメリー号の構造にさえ慣れていないのだ。恐る恐る歩いて外を目指す。

 

 扉を開いて甲板へ出ると、仲間たちが欄干の方へ集まっていた。

 気になったチョッパーが歩き出すと同時にルフィが振り返り、手招きして彼を呼ぶ。

 

 「チョッパー! あれ見ろ!」

 「え――?」

 

 少し急いで小走りになった。欄干へ到着してルフィの隣、ぴょんと飛び乗って海を見る。その瞬間に目の前へ水しぶきが上がった。

 船のすぐ傍を、たくさんのイルカが泳いでいたのだ。

 まるで並走するようにメリー号の傍に居て、上機嫌そうな泳ぎを見せてくれる。数十匹の群れであった。自らの力で悠々と海を進む姿はあまりにも美しい。

 

 ドラム島に居た頃、ほとんど海に近付かなかったチョッパーが知らない光景。

 彼は目を大きく見開き、イルカの姿や数十匹が自由に泳ぐ光景に感動を覚えていた。

 

 イルカという存在すら知らなかったのかもしれない。

 言葉を失った彼はただただ見惚れる。

 そんな彼の顔を確認したルフィは笑顔で言った。

 

 「どうだ? すげぇだろ」

 「すげぇ……海って、こんなにきれいなんだな」

 「そうなんだ。冒険してるともっと色んな景色が見れるんだぞ」

 「冒険……これが冒険なのか……」

 

 言葉にできない。噛み締めるようにチョッパーが呟く。

 感動は彼の体をわずかに震えさせ、好奇心を刺激して冒険への期待を大きくしたようだ。

 その気持ちを体験として知っている者は多くて、不意にウソップが彼の隣に立ち、また何か嘘をつくつもりだろうと気付いたキリとシルクが口角を上げた。

 

 「チョッパー、お前はまだ気付いてないようだが……こいつらを呼んだのはおれなんだぜ?」

 「ええっ!? そうなのか!?」

 「すんげぇぇ~ウソップ!」

 「実は昔、世界中のイルカたちのボスを助けたことがあってな。それ以来イルカはみんなおれの友達になったのさ。こいつらもおれを慕って集まってきちまったんだろうなぁ」

 

 なぜかルフィまで目を輝かせているが、チョッパーは彼の嘘を信じたようだ。

 欄干に腰掛けて海の方へ足を出したキリの傍に、たまたまゾロの姿があって、腕組みをしながら険しい顔をする彼にキリが振り向いた。

 

 気になっていたのはチョッパーだったものの、その様子からしてもう安心だろう。最初は少し怯えていたのに早くもウソップやルフィと騒いでいる。

 海賊になることへの不安や恐怖心は薄らいだか、或いは消えたのかもしれない。

 そんなことをゾロに確認した。

 

 「結構ノリやすいんだね。あれなら心配いらないかな?」

 「心配なんてしてたのかよ」

 「いや、ほんと言うとそんなにしてないんだけど。楽しそうだなぁと思って」

 「また騒がしいのが増えたみたいだな……」

 「ゾロははしゃがないよね。無理して我慢してるなら気にしなくていいんだよ?」

 「してねぇよ。これが普通だ」

 「普通で顔が怖いんだね」

 「ぶった切られてぇのかお前は」

 

 ゾロをからかうのをやめて、上機嫌に笑うキリはチョッパーへ声をかける。

 彼よりも少し高い位置に居たため、つぶらな目で見上げられた。

 

 「チョッパー、彼らとは話せる?」

 「あ、うん。〝どこに行くんだ?”〝一緒に散歩しよう”って言ってる」

 「そういえばお前、動物と喋れるんだっけか」

 

 驚くウソップとは対照的に、何やら思いついたルフィはチョッパーに顔を近付けた。

 

 「そうだ! チョッパー、あいつらの背中に乗せてもらえねぇかな? そしたらおれ泳げねぇけど泳いでるみたいな気分になるだろ」

 「え? そうなのかな……おれ、試したことねぇし」

 「やめとけルフィ。能力者は海水に触れただけで力が抜けるんだろ。体半分も浸かっちまったら掴まることもできなくなるぞ」

 「え~? だって泳ぎてぇじゃねぇか。キリも泳ぎてぇよな?」

 

 ルフィが問いかけるとキリは笑顔で頷いた。

 彼など特に水に弱い。ウソップはすかさず両腕でバツ印を作る。

 

 「うん。できればカナヅチ克服して泳げるようになりたいと思ってるよ」

 「だめだ。無理だ。だってお前ら一生カナヅチだもん」

 「アホだなーウソップ。だからイルカに乗るんだろ。それにチョッパーが喋れるんだぞ」

 「アホはお前らの方だ。溺れたら助けるのはおれたちになるんだぞ。いいから見るだけにしとけって。船動かしてる最中に助けるのがどれだけめんどくせぇか」

 

 ウソップがルフィに指を突きつけて話している時、チョッパーが欄干から身を乗り出した。

 試しにすぐ傍を泳ぐイルカへ声をかけてみる。

 

 「お前ら、ルフィを乗せて泳ぐことってできるか?」

 

 鳴き声を発するイルカが答えたのだろう。チョッパーはルフィを見る。

 

 「〝乗っていいぞ”って言ってる」

 「ほんとか~!」

 「おい、だからやめろって。どうせ苦労すんのはおれたちなんだぞ」

 

 嫌な予感がする。

 慌ててウソップがルフィを捕まえておこうと腕を伸ばした。しかし素早い動きを見せた彼はするりとウソップの腕を避け、欄干を蹴り、メリー号から海へ飛び出す。

 皆があっと大口を開けて驚愕していた。

 ルフィの体はちょうどイルカの居ない場所へ落ち、高い水しぶきを上げる。

 

 「アホ~!?」

 「だから言ったのに!」

 「ウソップ、GO」

 「あ~もうっ、やっぱりこうなんのか~!」

 

 急いでウソップが海へ飛び込んだ。イルカたちが海中へ沈むルフィの下へ集うが、彼らは一緒に泳いでくれると考えているようで、溺れている事実に気付いていない。

 船上から海を覗き込んでいたチョッパーは慌てふためく。

 自分のせいでルフィが溺れた。彼は動けない。

 

 おそらく責任を感じたからなのだろう。

 気付けばチョッパーは考える余裕もなく、同じように欄干を蹴っていた。

 

 「た、大変だぁあああっ!」

 「あっ、チョッパー!?」

 

 慌てて叫んだシルクの叫びも虚しく、チョッパーもまた海へ落ちて水しぶきを上げた。

 まさかの行動に先程よりも船上が騒がしくなる。ルフィの突飛な行動は常だったが、まさか同じような船員がもう一人増えるとは思っていなかった。

 その中でキリが最も冷静に口を開く。

 

 「ゾロ、GO」

 「ったく何やってやがんだあいつは!?」

 

 腰から外した刀を三本ともキリへ投げつけ、ゾロが跳ぶ。

 海中へ飛び込んでチョッパーの体を拾うと海面まで上がってきた。

 先にルフィを助けたウソップが顔を出して、次にチョッパーを連れたゾロが顔を出す。あきれ顔で船へ泳いでくる二人は見るからに険しい顔だった。

 

 「だからおれが言っただろ! 苦労すんのはおれたちなんだよ!」

 「げほっ、えほっ……おかしいなぁ。乗っていいって言ったのに、受け止めなかったぞ……」

 「なんでお前まで飛び込むんだよ」

 「う、海って……すげぇ広いんだな……」

 

 それぞれ一人ずつ担いで、ゾロとウソップがメリー号まで泳いで戻ってくる。ロープか何かで引き上げてもらおうかと考えた時だ。

 船を見上げた途端、欄干の上に立つキリの姿を見つける。

 二人の視線に気付き、彼がにんまり笑った。

 

 「じゃあ、次はボクの番かな?」

 「んなわけあるかァ!?」

 「てめぇ、いっそ海の底まで沈めてやろうか……」

 「あはは、冗談だよ。今引き上げるから」

 

 怒気を発する二人に叱られてようやくキリが動き出す。こちらはこちらで厄介だ。

 二人は揃って溜息をついてしまい、その周囲ではそんな心境を知らず、遊んでほしいのだろう無邪気なイルカたちが集まって彼らにじゃれついていた。

 

 

 

 

 5

 

 アラバスタへ到着する前夜。

 戦いを前にしたメリー号では決起集会と称し、盛大な宴が始められていた。

 サンジが多種多様な料理を大量に作り、一枚も残さず全ての皿が甲板へ運ばれて、それだけで船の見栄えはずいぶん違っている。

 

 今はこの時を盛大に楽しもう。意思を一つにして決断し、彼らは大いに騒いでおり、英気を養うために精一杯楽しもうとしていた。

 一人も欠けず皆が輝くような笑顔だった。

 ウソップとチョッパーが鼻に割り箸を突っ込んで踊り、ゾロはカルーと共に酒を飲んで、それを見ているナミに呆れられている。ビビはシルクと楽しそうに話し、イガラムはビビに近付いて鼻の下を伸ばすサンジを警戒して慌ただしく動いていた。

 

 いつの間にかずいぶん仲間が増えていた。

 戻ってくるつもりのなかった、命を捨てることすら考えてしまった自分が、これほど心を許せる仲間に囲まれて、再びグランドラインに戻ってくるとは。

 

 何もかも捨てるつもりだった。しかし今の状況ではそれもできない。

 それどころか以前捨てた物さえ取り戻そうとしている。

 

 一人離れた場所、船首付近の欄干に腰掛けて仲間たちの姿を見るキリは微笑んでいた。

 以前とは何もかも違う。

 今なら胸を張って言える。生きていることが、彼らと共に航海することが楽しくて仕方ない。

 キリが居る場所へ肉を持ったルフィがやってきた。

 

 「なぁキリ。言っただろ? 後悔させねぇって」

 

 大きな肉にかぶりつきながらルフィが笑う。

 そう言われては反論のしようもない。彼が言う通りになったのだ。まるで予言のように、かつてした約束の通り、後悔なんて微塵もない。

 だからこそキリは晴れやかな顔で甲板を眺めている。

 隣に座った彼に感謝し、穏やかな表情で頷いた。

 

 「うん」

 「でもまだ途中だ。仲間はもっと増えるし、旅はまだまだずっと続く」

 

 同じ場所で肩を並べ、同じ光景を眺めて、笑みを浮かべていたがいつになく真剣に告げた。

 

 「これからもずっとついてこい。おれが海賊王になるまでずっとだ」

 「……うん」

 

 多くは語らず。キリは目を閉じて頷く。

 もう迷いはない。最後までずっとここで生きていく。

 覚悟を決めた彼が目を開いた時、その目は穏やかであり、同時に驚くほど力強くもあった。

 


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