ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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二日後

 ゆっくりと目を開いて、キリが目覚めた。

 開かれた窓から穏やかな風が入ってくる一室。たくさんのベッドが並べられた客室だ。そこは王宮の内部であり、町より少し高い位置にあって風が入りやすかった。

 爽やかな風に涼しさを感じながら、キリは眠そうな目で周囲を見回す。

 

 視界がはっきりするとすぐ、覗き込んでくるチョッパーとビビの顔に気付いた。どうやらずっと看病してくれていたらしい。

 目元を擦り、のそのそと上体を起こすと咄嗟にチョッパーが背を支える。

 

 疲労感は残っていた。が、生きている。

 大きく息を吐いて安堵を覚えた。

 

 「キリ、やっと起きた。気分はどうだ?」

 「んー……おはよう」

 「キリさん。よかった、目が覚めて」

 

 ほっと息を吐いている二人を見るにそれなりの時間が経ったのだろう。

 改めて自分の体を見下ろすと、ローブのような服を着せられていて、体の汚れもすっかり落とされていた。何気なく髪に触れてみるとさらりと柔らかい感触がある。

 大量の包帯も巻かれていて、寝ている間に迷惑をかけたようだ。

 キリは二人へ目を向け、力の入らない声で言った。

 

 「うん、大丈夫だよ。まだちょっと眠いってこと以外は特に問題ない」

 「まだ眠いのか? 二日寝てたんだぞ」

 「二日? うわー、そんなにか」

 「二日で起きただけすごいと思うぞ。運び込まれた時はもっとひどい状態だったんだって」

 

 叱るような目でチョッパーが言う。

 その声を聞きながらキリが視線を動かすと、隣のベッドでルフィが寝ていた。全身包帯だらけでお互いひどい様相だが、どうやら無事に生き残ったらしい。

 

 彼の寝顔を見たまま二人へ聞いてみる。

 自分たちが無事だったのだ。予想はできているが聞かないと落ち着かない。

 

 「他のみんなは?」

 「ちゃんと無事だぞ」

 「あなたたちが最後。みんな起きてそれぞれ好きに行動してるわ」

 「そっか」

 

 安心した様子がわかりやすく表されている。笑みを深くしたキリは再びベッドに背を預け、四肢を伸ばして脱力した。まだ眠いと言った通りすぐに目を閉じる。

 ひとまず安心できる状況にはなったのだろう。

 大変な一日だったと、振り返ってみて初めて気付いた。

 

 「じゃあ、ボクらが勝ったんだ」

 「うん。そうなんだ」

 「あなたのおかげよ。本当にありがとう」

 「そうでもないよ。今回ほとんど何もしてないし」

 「いいえ、そんなことない。キリさんが居たからこの国を守れたの」

 

 目を細めて微笑み、静かながら嬉しそうに言うビビに、キリは苦笑して答えた。

 

 「その代わりこの国を陥れたのもボクだけどね」

 「もういいわ。全部終わったことだから」

 「そうだ、全部終わったんだ……だからようやく謝れるよ」

 

 寝転がったままだったが少し表情が変わって、目を開いたキリがビビを見る。

 真剣な、神妙ともいえる様子で告げた。

 

 「ごめんね。君の国をめちゃくちゃにして」

 「……ええ」

 

 そういえば、きちんと言葉にして謝られたのは初めてな気がする。

 ビビはその言葉を正面から受け止めた。

 この時が来るのを待っていたのだと判断した。全てが終わってから謝罪する。その時までは絶対に死なないと決めて戦いへ臨んだに違いない。

 今こうして彼と向き合えてよかった。

 二人の様子にチョッパーがうんうんと頷く。

 

 もう一度キリが大きく息を吐いた。

 天井を見つめてふと思う。今もまだ生きているのは奇跡に等しい。

 きっと実力だけでなく運もよかったのだろう。自分の行動を思い返し、すぐに反省する。

 

 「ほんとに、よく勝てたもんだよ……誰も死ななくて本当によかった」

 「おれは、キリが死んじまったのかと思ってびっくりした」

 「あぁ、ごめん。時間がなかったからああするしかなかったんだ」

 「キリも結構無茶するんだな」

 「必要があればね。でも死ぬつもりはなかったよ」

 

 からりと笑って言う姿には呆れもするが、今この状況では責めようと思わなかった。

 キリもルフィも、命を落としかねない窮地を生き残ったのである。その覚悟はチョッパーから見れば尊敬するものであり、ビビはただ純粋に彼らへ感謝する。

 

 もしもあの砲弾が広場へ落ちていたら。

 もしもクロコダイルを倒すことができなかったら。

 今回の戦いでの彼らの功績はあまりにも大きい。

 せめて今日くらいは肩の力を抜いてだらけるのも許してやろう。そう思った。

 

 眠気はあるが起きてしまったからにはあまり眠る気になれない。

 そのままの体勢でキリは話を続けようとする。

 

 「みんなはどうしてるの?」

 「色々だ。ゾロとウソップとサンジは町の建物を直すのを手伝ってるって。町に住んでた人たちが戻ってきたから協力して作業してるんだ」

 「シルクさんは、女性の人たちが集まって炊き出しをしているのを手伝っているみたい」

 「みんな働くねぇ。まだ疲れてるだろうに」

 「ナミは国王に交渉してくるって言ってたぞ」

 「んん、ナミはいつも通りだ」

 

 チョッパーの言葉にキリが肩を揺らし、ビビは困ったように苦笑する。女や子供にだけは優しい彼女も疲弊した国家から大金をせびることはないだろうが、タダで帰るつもりもないらしい。

 少し会話に間ができて、お互いにふと落ち着く一瞬がある。

 いつにも増して力の抜けた顔を見せるキリがそう大きな声も出さずに尋ねた。

 

 「アーロンたちとは連絡取った?」

 「うん。言われた通り海軍の船がこの島に近付かないように沈めてるって。ナノハナの辺りには海軍は一人も居ないって」

 「でもどうしてそんなことを? その、町の状況から言って海軍の協力はあった方が嬉しいんだけど……もちろん、あなたたちのことを通報したりしないわ」

 「その件についてだけど、ちょっと考えてることがあってね……」

 

 キリの表情がほんの少しだけ変わる。笑みを浮かべていても目が違った。

 少し寂しげな様子だと二人は受け止めた。

 

 「バロックワークスはどうなったかな」

 「海軍が捕まえたぞ。でもまだこの島は離れてないみたいだ」

 「キリさん……何かする気なの?」

 

 不安そうな顔でビビが問いかけると、キリはにこりと笑っただけだった。

 ちょうどそのタイミングで扉が開いて人が入ってくる。

 現れたイガラムは多少の怪我を負っていたものの平然としており、目覚めたキリに気付くと笑みを浮かべて、その手には電伝虫が持たれていた。

 

 「おぉ、キリ君。目が覚めたかね」

 「ご心配おかけしましたー」

 「どうしたのイガラム」

 「ええ。それが実は……」

 

 言い辛そうにイガラムが手に持った電伝虫を見る。今も通話中だったようだ。

 それだけで何かを察して、キリが体を起こすとその場に座った。イガラムの手にある電伝虫を見て手を伸ばし、それを要求する。

 

 「ボクが話すよ」

 「む……そうだな。ビビ様に相談してからと思ったが、一番の適任は君か」

 「誰だ? キリが適任って、どういうことだ?」

 

 チョッパーが首をかしげる中、表情を険しくしたビビは察したようだ。

 その様子に気付きながらイガラムは彼が居るベッドに電伝虫を置き、受話器を渡す。

 キリが受話器へ声をかけると途端に返事が返ってきた。

 

 「もしもし」

 《んが~っはっはっは! おひさしぶりねい紙ちゃん! やっぱりあんた生きてたのぉ~!》

 

 聞こえてきたのは弾むように元気な声。戸惑うまでもなくMr.2の声だとわかる。

 ビビやチョッパーも聞いた瞬間に理解できたらしく、瞬間的に緊張感が生まれて、少なからず表情が変わった。一方でキリは変わらず微笑みを湛えている。

 

 「久しぶり。意外に元気そうだね」

 《もう大変だったわよ~う。逃げたり、傷を治したり、正直今でも体が痛むわ~ん》

 「仕方ないね。で、用件は何?」

 《あら、もう本題? あんた付き合いの悪さだけは変わってないわねい》

 「こういう性分なんだよ」

 《ぷうっ。まあいいわ~ん》

 

 気を取り直したMr.2が少しトーンを落として語り出す。それは彼への問いかけであった。

 

 《紙ちゃん、あんたチェス好きよね?》

 「ある程度はね。心を奪われるほどってわけじゃないけど」

 《だけどチェスやってる時の不満もあるんでしょ? 自分なら取った駒を利用するのにって》

 「へぇ……よく覚えてるね」

 

 おそらくその時、何を言わんとしているのかを理解しているのはキリだけだっただろう。

 その場で聞いていた三人は険しい表情で、見るからに疑問を持っている様子だった。

 

 《あんたが取った駒、今一か所に集められてるんだけドゥ。奪うつもりなら協力するわよ~ん》

 「ボンちゃん……」

 《何ぃ?》

 「ボンちゃんのそういうところ有難いね。言われなくても取るつもりだったのに」

 《んが~っはっはっは! やっぱりねい! あんたはそう考えると思ってた》

 

 話しながらキリは窓の外を見て、明るさから大まかな時間帯を確認する。

 

 「今はどこ?」

 《もう変装して忍び込んでる~。タマリスクの港に停泊中よ~ん》

 「近いな。今からそっちに行く」

 《待ってるわ~ん。んが~っはっはっは……》

 

 通信が切れ、電伝虫が眠り始める。

 殻の上に受話器を置いた後、キリは重い体を動かしてベッドを降りようとした。とてつもない爆発を至近距離で浴びた危険な状態。たった二日で動けるほど癒えてはいないはずである。

 慌ててチョッパーが止めようとするが、彼が目を向けただけでチョッパーを止めた。

 

 「キリ、お前まだ動いちゃ……」

 「大丈夫。無茶はしないから」

 「キリさん……」

 

 不安そうな顔でビビが呼びかける。この時には気付いていたのかもしれない。

 安心させるようにキリが微笑み、優しい口調で言う。

 

 「心配いらないさ。もうこの国は狙われない」

 「……ええ。あなたのことは信じられる」

 「期待には応えるよ」

 

 ベッドを降りて立ち上がり、キリはふらつきながら歩き出して部屋を出ようとした。しかし扉の前へ到着する時になってあっと呟き、振り返る。

 目を向けた相手はビビだった。

 

 「悪いんだけど、超カルガモ部隊貸してもらえないかな? 流石に自分の足じゃきつい」

 「いいけど、全員を?」

 「うん。できればそっちの方がいい」

 

 きっと止めたって聞かないだろう。何せ彼は海賊だ。

 苦笑したビビは頷いて、同じく困惑しているイガラムへ言った。

 

 「イガラム、お願い」

 「よろしいのですね?」

 「ええ。だってキリさんだもん」

 

 にこっと笑った彼女を見て、やれやれと溜息をついたイガラムも扉へ向かった。

 

 「わかりました。すぐに呼び寄せましょう」

 「ありがとう」

 「ただ、そんな体ですから、あまり無理はしないように」

 「了解。今度は気を付けます」

 

 へらりと笑うキリを連れてイガラムが出ていく。

 残されたチョッパーはぽかんとしており、彼らが何を言いたいのかがわからなかった。

 ビビの顔を見上げ、不思議そうに尋ねてみる。

 

 「どういうことだ?」

 「またキリさんの悪巧みよ。トニー君も後でびっくりすると思うわ」

 「そうなのか……そういえばみんな、キリが一番悪いことするって言ってたなぁ」

 

 ふーんと頷いて、チョッパーはその時が来るのを待つことにする。どちらにせよ彼が知らないことはたくさんある。楽しみに取っておくつもりのようだ。

 ビビはそんな彼に笑みを見せ、二人が潜り抜けた扉へ視線を向ける。

 少し前なら猛反対していたかもしれない。しかし彼らとの短くも長い航海を経て、海賊の生き方や彼らの生き方を知った。今なら反対はしない。

 

 キリは、ルフィは、麦わらの一味は信じられる。

 命を賭けてアラバスタを守ってくれた彼らがこの国を脅かすことはない。

 ビビはそう信じてキリを送り出し、たとえ何が起ころうとも受け入れようと思っていた。

 

 

 *

 

 

 一日が終わりに近付き、夜がやってきた。

 辺りは暗く、人に恐怖を与えるほどの静けさが暗闇と共に周囲へ広がっている。よく見れば周囲の状況も寂しさを助長するような風景だった。

 

 海軍が所有する軍艦、その一隻。

 船内の牢屋に特別広い物があった。

 囚われていたクロコダイルは囚人服に身を包み、海楼石の手錠をつけられ、暴れることもなく壁際に座っている。その顔は何の感情も表してはいなかった。

 船内はいくつかの蝋燭の火で照らされており、暗闇の中に溶け込むように存在している。

 

 予想外のことが起こった。自分は負けた。それは疑いようのない真実。

 それ故、事実を否定することはなく、彼は冷静な面持ちで目を伏せ、ピクリとも動かない。

 

 海軍に捕まってどこへ連れていかれるのか。興味はない。どこへ連れていかれようとも大して心は動かず、しかし思考は常に動いていた。

 静寂と暗闇。それらを敵ではなく味方につけて、彼の心は凪のように静かだ。

 

 どれくらいそうしてじっとしていたのかはわからないが、物音が聞こえた。

 不思議なことに見知った気配がすぐ傍へ来ている。予想していなかった訳ではないが、本当に来るとそれはそれでおかしなものだと思う。

 目を開いた時、鉄格子の向こうにはキリが立っていた。

 

 「こっぴどくやられたね」

 「フン……お前も人のことは言えねぇだろう」

 

 彼の登場に動揺することもなくクロコダイルは薄い笑みを浮かべた。

 すでに決着はついている。今更命を奪おうなどとは思っていない。ではなぜ彼がここへ来たのかと言えば目的は一つ。礼を言うためである。

 笑みを消して真剣な顔で、昔を懐かしむような表情でキリが言葉を紡ぎ出した。

 

 「ありがとう。ボスのおかげだ」

 「この状況じゃ皮肉に聞こえるな」

 「それは悪いと思ってるよ。でも、あの時助けてもらわなかったら。鍛えてもらわなかったら。ボスに出会わなかったら今はなかった。だから感謝してるんだ」

 

 キリもまた薄く笑みを浮かべ、作られた笑顔ではない、彼本人の笑顔を見せる。

 

 「もし、秘密結社じゃなく海賊のまま生きてたとしたら、こうはなってなかったかもね」

 「もしもなんて話をしても意味はねぇさ。この状況は変わりはしねぇ」

 「それもそうだね」

 

 しばし間が空く。

 少しの時間黙ったまま、ただ視線がかち合う。それだけで理解できる気がした。

 考え込んでいたのか、何かを感じ合っていたのか、少ししてからキリが口を開いた。

 

 「今まで一度も勝ったことなかったけど、初めての一勝だ……ボクはルフィと一緒に行く」

 「そうか」

 

 クロコダイルは平然と受け止めて、表情は微塵も変わらない。

 

 「やっと自由に生きる覚悟ができたんだ。ボクがルフィを王にする」

 

 真剣な声色で告げられた。そこには一片の迷いもない。

 ようやく心が決まったのだろう。

 変化を目にしたクロコダイルはくつくつと笑う。

 

 何も返事はなかった。肩をすくめたキリはやれやれと溜息をつく。

 話を変えるべくキリが室内を見回した。

 

 「さて。そうは言っても、そこに居るのも退屈でしょ? 鍵ならそこにかかってるけど」

 「そうだな。足を伸ばせるだけマシだが、退屈なのは間違いない」

 

 苦笑してキリが壁にかけられた鍵の下へ移動する。

 その背へクロコダイルが声をかけた。

 

 「お前がおれと来るならそれを受け取ってやる」

 

 指先が鍵に触れた瞬間、動きが止まった。

 振り返ることもできず壁の方を向いたまま。キリの顔から笑みが消えて驚きが確認できた。

 クロコダイルはさらに言う。

 

 「おれは欲しい物を妥協するつもりはねぇよ。野望もそうさ」

 

 キリが振り返る。

 今は再び薄い笑みを浮かべて、落ち着いた心境で向き合うことができた。

 

 「興味が失せたんだ。しばらくはゆっくりするのもいいかと思ってな」

 「そうなんだ。それじゃあ、これはいらないね」

 

 言い終えて、長居するのもまずいと思ったのだろう。キリが背を向けて行こうとする。

 その背へクロコダイルが呼びかけた。

 

 「キリ」

 

 名を呼ばれたのは、ひょっとしたら初めてかもしれないと、キリは彼に目を向けた。

 

 「おれはこの程度じゃ終わらねぇぞ」

 「……うん。待ってるよ」

 

 やはり、彼は海賊だったということか。目は死んでいないどころか野望を見据えてギラギラと強い光を放っている。社長という肩書を捨てたことが大きかったのかもしれない。

 キリは笑顔で頷き、何もせずにその一室を後にした。

 

 この夜、アラバスタ王国のタマリスクという港町に停泊していた軍艦は三隻。

 その内の一隻で突然の大爆発が起こり、何者かの襲撃を受けたという報告が上がった。

 

 バロックワークスの主犯格とされる三人が捕まっていた船とは別の軍艦。

 クロコダイル、Mr.1、Mr.3を乗せた軍艦には傷一つなかったが、それ以外の幹部、専門的な言葉で言うならばオフィサーエージェントを乗せた船が襲われ、多くの脱獄者を出した。

 襲撃した犯人は不明。

 主犯格三人を除くオフィサーエージェントを逃がした誰かは、砂漠へ姿を消したのである。

 


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