ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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断章 一億ベリーの賞金首

 1

 

 小さな衣擦れの音を立てて、カヤは静かにベッドを降りた。

 カーディガンを肩にかけて窓へ近付く。

 清々しい朝だった。太陽の光が部屋へ差し込み、窓を開けると爽やかな風が入ってきて、目を細めた彼女は見慣れたはずの風景に頬を緩めた。

 

 今朝はいつもより少しだけ早く起きたらしい。そうしようと思った訳ではない、自然に目が覚めてしまったのだ。理由はわからないがいつもとは違う気がする。

 しばしカヤは窓辺に立って風に触れ、朝の一時に感じ入っていた。

 

 少しすると部屋の扉が開いて執事のメリーが入ってきた。

 すでに起きていたカヤの姿に驚き、彼女が振り返ったと同時に思わず足を止める。

 

 「おはようメリー」

 「おはようございます、お嬢様。今日はお早いのですね」

 「ええ。なんだか目が覚めちゃって」

 

 風に揺れる髪を押さえながら外を見る。

 今日のカヤは機嫌がいいようだ。何があったかはわからないがそう判断したメリーは、薄く微笑むと共に彼女が見ている風景に目を向けた。

 

 かつては毎日のように彼がやってきていた場所。

 庭が広いとはいえ柵も生垣もある。見える部分が限られているのに彼女の目は輝いていた。

 

 「そういえば今朝は、何やら村の方が騒がしいようで――」

 「カヤさぁ~ん!!」

 

 メリーが話し出そうとしたところにかぶって、新たな声が庭から聞こえてきた。

 敢えて残しておいた、生垣にある穴を通って侵入してきたらしい子供たちが大慌てで走ってくるのである。先頭をピーマン、両側を挟むようにニンジンとタマネギがやってくる。

 身を乗り出したカヤは平然と彼らを受け入れた。

 反射的にため息をついたメリーも、呆れはするが彼らを怒りはしない。

 

 「みんなおはよう。どうしたの? そんなに慌てて」

 「カヤさんッ! 大変なんだ! 今日の新聞見た!?」

 「いいえ、まだ」

 「こらこら君たち、来る時は正面玄関から来なさいと言っておいたでしょう。わざわざあんなところを通らなくても……」

 「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ! 大変なんだ!」

 「一大事! カヤさん絶対びっくりするよ! 僕たちもまだ信じられなくて……!」

 「何があったの?」

 

 慌てる彼らを落ち着かせようと冷静に尋ねる。するとピーマンが大きく息を吸った。

 

 「とにかくこれ見てほしいんだよ!」

 

 手に持っていた紙を一枚渡される。

 受け取ったカヤはその紙切れを確認して、驚きから目を見開いた。

 

 一枚の写真と“DEAD OR ALIVE”の文字。そして懸賞金が書かれている。

 手配書ならば見たことはあったが問題なのはそこに映っている人物。

 今まさに、いつもの庭のいつもの場所に居る姿を思い出していたその人が、以前とは違う、頭から血を流しながら何かを叫ぶ顔で映っていた。

 

 「ウソップさん……」

 「すごいんだ! キャプテンが賞金首になったんだ!」

 「村のみんなもやっと信用したんだよ! キャプテンが本物の海賊になったって!」

 「しかも2500万ベリーだって! やっぱり僕たちのキャプテンはすごい人なんだ……!」

 

 彼らの言葉を聞き、カヤの反応を見たメリーが歩み寄ってきて手配書を覗き込む。

 そこでようやくウソップが映っているのだと知り、彼も驚きを隠せなかった。

 

 「そんな、まさか……ウソップ君が賞金首に」

 「すごいだろ!? おれたちまだ知らない人たちに教えに行かなきゃ!」

 「隣町にも行こう! これがおれたちのキャプテンだって!」

 「きっとみんなびっくりするよ! どうせ嘘だって信用しなかったんだから!」

 「君たち、これは喜んでいいことなんかじゃないんですよ。賞金首になったということは、これからウソップ君は色んな人間に命を狙われることに――」

 

 言いかけたメリーの目を見て、三人の子供たちは希望に満ちた顔で答えた。

 

 「そんなの全然へっちゃらさ! キャプテンが負けるわけないだろ!」

 「そうさ! キャプテンは嘘を現実にする男なんだ!」

 「早くみんなにも教えてやらないと! こんなすごいこと黙ってられない!」

 

 興奮した様子の三人はまた駆け出し、飛び込むように生垣の穴から外へ出ていく。

 咄嗟に手を伸ばしたメリーだったが今の彼らを止めることはできなかった。

 

 「あっ、君たち! そっちじゃなくて正面から……やれやれ」

 

 手を降ろしたメリーはカヤの横顔を見る。

 彼女はじっと手配書を見ていて、何かを思案しているらしく、ぴくりとも動かない。

 苦笑したメリーは窓の外へ目を向け、かつて彼が居た場所を見ながら呟く。

 

 「何はともあれ、元気そうでよかった。こんな形でも彼の無事を知れてよかったです」

 「ええ……だけど危険なんでしょう」

 「なぁに、心配ありません。あの子たちの言う通り、きっと彼なら大丈夫でしょう」

 

 顔を上げたカヤも外を見る。

 その顔には微塵の心配もない。晴れた笑顔が輝くように存在していた。

 

 「勉強、頑張らなきゃ。ウソップさん怪我してるもの」

 「そうですね」

 「次に会った時に私が全部治してあげられるように」

 

 決意は優しげな微笑みと共に告げられた。

 微笑むメリーはただ一人その決意を耳にして、彼女ならきっとできると頷く。

 カヤは大事そうにその手配書を持ち、改めて彼の無事に安堵して写真を眺める。

 

 

 

 

 2

 

 海辺に突っ立っていた男、ジョニーは、今しがたニュースクーから受け取った新聞を流し読みしてぺらぺらめくっていた。その中に手配書を見つけて、興味本位で何枚かを確認してみたところ、ある地点で完全に硬直する。

 自分の目が間違っているのでは。じっくり確認すること数分。

 なぜかわなわなと震え出した彼は大慌てで走り出し、急いでココヤシ村へと戻っていった。

 

 「相棒ォ~!! どこだ相棒ォ~~!!」

 

 大声を発しながら走ってくるジョニーに村民は怪訝な目を向けたが、敢えて止められはせず。

 探していた人物であるヨサクはすぐに見つかった。

 ココヤシ村で漁師になり、生計を立てていた二人はすっかりその村の仲間であり、今日も仕事へ出るべく準備をしていたところだったらしい。

 

 ヨサクはうるさいとでも言いたげな目でジョニーを見ていた。

 目の前に止まった彼は新聞を投げ捨てんばかりの勢いで数枚の手配書を差し出す。

 

 「どうしたジョニー。朝っぱらからうるせぇなお前は」

 「これを見ろ! あの人が、ついにやったんだ……!」

 「あぁ? 何をわけのわからねぇことを――」

 

 うざったそうな顔で手配書を見たヨサクはその瞬間に驚愕した。

 

 「うおおっ!? あっ、アニキィィ~!?」

 「6000万だぞ! 6000万! 一体何やったらいきなりこんな額が出るんだ!?」

 「しかもこっちはルフィのアニキたち! い、1億ってあんた!?」

 「とんでもねぇ! 紙一重でとんでもねぇ人たちだ!」

 

 騒ぐ二人につられるようにして、今朝の新聞を読み始めた村民は何に対してそれほど騒いでいるのかを理解しつつあったようだ。

 かつてこの村を救った英雄が、手配書の額を大きく上げているのである。

 ゾロとウソップに関しては今回が初手配。騒ぐのは無理からぬことであると言える。

 

 二人の騒ぎに乗じて村民たちも笑顔で和気あいあいと話し始めていた。

 いつもより声が大きいヨサクとジョニーの下へ、呆れた顔のノジコが歩み寄る。

 

 「何騒いでんの、あんたたち」

 「ノジコのアネキ! これ見てくださいよ!」

 「ゾロのアニキが賞金首に!」

 「知ってるわよ。さっき見たから。それにしても、元気でやってるみたいね」

 「いやいや元気でやってるとか!?」

 「そういう問題じゃなくてですね! いやそういう問題もありますが! それ以上にこう、あの人たちは何かでかいことをやったんだっていう証明がここに――!」

 「別に今更驚きやしないわよ。この村に居たんだから当然ね」

 

 くすりと笑うノジコは平然と語る。

 そもそも、アーロンに勝つこと自体が彼女たちにとって奇跡に等しい行為だった。その経験がある後で「彼らは凄い」と言われたところで、何を当然なことを、としか思わない。

 惜しいのは妹の写真が確認できないことか。

 きっと楽しくやっているのだろうと考えながら、ノジコはヨサクの手から手配書を取る。

 

 「あいつらも大物になっちゃって。1億ベリーだってさ」

 「流石ルフィのアニキ! おれァあの人ならやれると思ってた!」

 「いやいや、おれはこれでも足りないくらいだと思ってる。あの人はもっと上に行くんだ」

 

 三人が道端に立って話しているとまた新たな声が割り込んでくる。

 

 「けしからん!」

 

 怒っている様子で、ぴしゃりと言い切ったのはゲンゾウであった。

 三人の下へ歩いてくる彼に目を向けて、ノジコは別段驚いた様子もなく名前を呼ぶ。

 

 「あら、ゲンさん」

 「懸賞金が上がっただの、手配書が出ただの、そんなことで喜んでどうする。手配書が出た時点で世界政府に狙われているということなんだぞ」

 「それはそうっすけど、こういうのは男のロマンが……」

 「あの小僧が狙われれば狙われるほど! ナミに危険が及ぶんだぞ!」

 「ああ、そういうことっすか」

 

 やけに凄んでくるので何かと思えば、ただナミが心配だっただけらしい。

 ヨサクとジョニーはいつものことだと当たり前のように受け流し、最初から予想できていたらしいノジコは微笑んだだけで多くを言わなかった。

 

 「あぁ心配だっ。ナミは無事なんだろうか? あの子のことだ、賞金稼ぎや海軍だけでなく求婚者が後を絶たない可能性がある……!」

 「大丈夫よゲンさん。約束したんでしょ? ちゃんとこいつらが守ってるから」

 「親バカだ」

 「ああ。ドがつく親バカだな」

 

 取り乱すゲンゾウを見て微笑み、ノジコはルフィの手配書を見下ろした。

 彼は笑顔で映っている。約束をしたとゲンゾウから聞いたのだ。きっと彼と同じ船に乗ってナミも心底楽しそうに笑っているに違いない。

 彼女はゲンゾウとは正反対に何一つ心配していなかった。

 

 「楽しくやれよ、妹。どうせこいつが守ってくれるんだから」

 「ええい、だめだ! やはり私も海へ出るぞ!」

 「無理なこと言うのはやめときましょって。どうせ追いつけない」

 「親バカもここまで来ると災害だな、こりゃ」

 

 ヨサクとジョニーが止めに入るもゲンゾウは今日も娘を心配して騒がしい。今となってはそう珍しくもない光景になってしまって村民も呑気に笑っていた。

 ノジコはそんな彼らを見て苦笑する。

 流石にゲンゾウの親バカもどうにかした方がいいかもしれない。そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 3

 

 世界のほぼ中心に位置すると語られる島、マリンフォード。

 巨大な和風の建造物こそ海軍本部。世界の秩序はこの島を基点に守られていると言っていい。

 

 その建物の一室において、センゴクは頭を抱えていたようだ。

 度重なる問題が彼を悩ませていて、特に今回はそれが長く苦楽を共にした親友の孫がもたらしたというのだから心の整理がし辛い。

 同じ部屋でソファに座り、呑気に煎餅を食べているガープは対照的に気楽な様子だった。

 

 「七武海の敗北に加え、クロコダイルが秘密裏に進めていた悪事が公になり、世間は今政府や海軍へ向ける目を変えつつある。信用に関わるぞ、これは」

 「まぁー今回は仕方ないじゃろ。わしの孫がどうこうというより、ルフィが止めねばアラバスタは大惨事になっとった。こりゃわしを責められんぞセンゴク」

 「それでもお前の孫が大事をやらかした事実に変わりはない。まったく頭が痛い……あの若さで七武海を討ち、おまけに取り逃がすとは」

 

 センゴクがため息をついた直後、ガープがかじった煎餅がパリッと音を立てた。

 

 「ヒナの報告によれば、奴らあの若さで傘下を従えているようだ。以前から報告のあったアーロン一味に加え、脱獄したバロックワークス幹部、おまけに巨人族が加勢したらしい。一体どこで見つけてくるんだ……奴らが居るのは前半の前半だぞ」

 「ルフィがそんなことできるはずがない。おそらく紙使いの仕業じゃろうな。思えばわしの手から逃げた時もあいつがあれこれ指示しておった」

 「胸を張って言うことかっ。独断とはいえその時に捕えておけば、ここまで厄介な海賊になることはなかったかもしれん」

 「ぶわっはっは! かもしれんなど口にする男じゃったか、センゴク? 起きてしまったことはもうどうしようもないじゃろう」

 「お前の孫なんだぞガープ! 笑ってる場合か!」

 

 荒く息を吐き出したセンゴクは椅子に座り直す。

 問題は多い。おまけに気になるのは彼らの将来性だ。

 短期間にこれほどの事件を起こす一味が、この後で大人しくしているとは思えない。おそらくこれからも様々な問題を起こすに違いない。

 

 厄介なのはガープも言った通り、紙使いだ。おそらくガープの孫ならば細かいことを考えることなど苦手なはず。彼と長い付き合いになるセンゴクは彼についてよく知っている。それだけにクロコダイルを破ったというルフィも気になるが、現時点ではそれよりもキリのことだ。

 以前から彼に対して疑念を持っていたセンゴクは思案する。

 自分の考えが間違っていればいい、と思うことなどそう多くはない。

 

 クロコダイルを倒した一味の話になったからだろう。当然彼のことは避けられない。

 悩むセンゴクはガープへ尋ねてみた。

 色々と問題は起こすが、ずいぶん昔から信頼している。聞くならば彼しか居ない。

 

 「紙使いか……お前は一度会ってるんだろう。どう思う?」

 「そうじゃなぁ……あの時はルフィを捕まえることしか考えとらんかった。じゃが、思い出してみれば確かに重なる部分がないこともない」

 「リンブルは味方よりも敵の方が多かった。だが奴にも居たはずだ。心を許せる人間が」

 「子供を残していたと? まさかとは思うが、誰もそんなことは考えとらん。リンブルに関係した者はロジャーの時以上に執拗に探し出して処刑された。もうこの世界にリンブルの息がかかった人間は誰一人残っておらんと認識されてるくらいじゃ」

 「だが肝心のリンブルは見つかっていない」

 

 煎餅を食べる手を止め、ガープは怪訝な顔をした。

 センゴクの真剣な顔を見ると今や笑い飛ばす余裕もない。

 

 「まさか生きとるとでも? リンブルに関係する人間の大粛清があった。あの娘が黙ってるはずがないじゃろう。生きてりゃ必ずどこかで騒ぎを起こす」

 「心境に変化があったとしたらどうだ。例えば、奴が子を産んだとか」

 

 ガープは言葉に詰まった。すかさずセンゴクが続ける。

 

 「女は自分の子を産めば少なからず変わる……あくまでも可能性の話だが。誰にも知られず子孫を残していたとすれば、あの容姿に説明がつく」

 「ふーっ、やれやれ。わしには難しいことはわからん」

 「ガープ、芽を潰すなら今の内だぞ。もしおれたちの推測が当たっているならこれまでの事件なんて可愛いものだ。今後奴がとんでもないことをしでかす可能性は十分ある。なんせ奴を連れているのがお前の孫だからだ。すでにクロコダイルを討ち取ったんだぞ。このまま見逃しておけばすぐにでも簡単には手を出せなくなる」

 「そんなに気になるなら監査役の譲ちゃんにでも聞け。死んだジジイは生涯リンブルを追い続けとった。話を聞いとりゃ詳しいじゃろう」

 「ウェンディか……あれも自由気ままな奴だ。情報は寄こさんし、リンブルについてはほとんど何も知らんとまで言う」

 

 再びセンゴクは頭を抱えて深く嘆息する。

 その際にガープは再び煎餅を食べ始め、パリっと快音を鳴らした。

 

 「悩みの種はそこら中にある……とにかくガープ。お前にはポートガスの前例もある。引き返せなくなるのが嫌なら、孫のことは自分でケリをつけろ。いいな?」

 「なんじゃ。海兵にしていいのか」

 「今更そんなことができるか。だが、奇しくも席は空いた。七武海として迎え入れるならまた話は変わってくるが……」

 

 言いながらセンゴクは眉間に皺を寄せていた。

 このガープの孫が、祖父の言い付けに背いて海兵ではなく海賊になった。そんな人間が果たして与えられた地位に満足して大人しくしているだろうか。

 センゴクは吐き出しそうになったため息を呑み込み、指で眉間を揉みながら言う。

 

 「物は試しだ。政府にはおれから掛け合ってやる。とにかく行ってこい」

 「よし、孫の顔を見に行くか。まぁ心配するな。今回は上手くやる」

 「期待はしていない……最悪の場合、お前の孫であっても始末しなきゃならんのだ。奴はすでに海賊として名を上げた。そのことを忘れるなよ」

 「わかっとる。わしが意地にかけてルフィを海兵にしてやろう」

 「わかっとらんだろうが! 待て! 戻ってこいガープ!」

 「また忙しくなりそうじゃなぁ」

 

 煎餅をかじりながら笑顔でガープが出ていった後、センゴクは胃の辺りを押さえた。

 元帥になって長くなるが心労は多い。特にガープが上機嫌な時に多かった。

 ここ最近は大人しくしていたと思えばこれだ。

 また何か問題が起きるのではないかと考えるセンゴクは、やれやれと頭を振り、やけになった様子で机の引き出しから取り出した煎餅を食べ始める。

 

 

 

 

 4

 

 「あはははははっ!」

 「いい加減笑うのをやめてくれる? 不快よ。ヒナ不快」

 

 いつもとは違ってスーツ姿ではなく、ストライプ柄のワイシャツと借り物のズボンを着て。

 明らかに不機嫌そうな顔を見せるヒナは目の前に座ったウェンディを睨んでいた。

 船が大破してしまったことにより、アラバスタから動けなくなった部隊を迎えに来たのがまさか彼女の部隊だったとは。時間に余裕があったのか、それとも失態を今のように笑いに来たのか。おそらく後者だとは思うがヒナは心底苛立っていそうだった。

 

 ウェンディが訓練兵だった頃からの知り合いなのだが、彼女だけはどうも苦手だ。昔から本心を隠しているかのような話し方をして掴みどころがない。

 久しぶりに会ってみていきなりの大笑いである。

 ヒナはつまらなそうな顔で頬杖をつき、笑うのをやめたウェンディがにこにこして喋り出す。

 

 「ふふふ、ごめんなさい。堅物なあなたが大失敗したって聞いて、それがもう可笑しくって」

 「今すぐあなたを拘束(ロック)したい気分なんだけど、いいかしら?」

 「だめよ。私は真面目な海兵なんだもの。ロックするのは海賊だけにしておいて」

 「不満よ。ヒナ不満」

 

 嘆息する彼女は憮然としていて、今すぐに話すのをやめてしまいたいと思っているだろう。

 そうと知りながらウェンディは上機嫌な笑顔で問いかける。

 

 「コテンパンにやられたんですってね。相手は当然彼ら?」

 「知ってて聞くのは趣味が悪いわよ」

 「スモーカー大佐の忠告を聞いてればよかったのに。手を出すなって言われたんでしょ?」

 「そう、もう裏も取ってるわけ……それは私を笑うためかしら?」

 「ふふ、いいえ。単純な興味で。もちろん笑いたい気持ちでいっぱいだけど失礼だもの。そんな理由でわざわざ連絡を取ったりしないわ」

 「そうかしら……あなたならしそうだけど」

 

 楽しげなウェンディの相手が心底嫌で、ヒナはそっと視線を外す。

 こういう時の彼女は非常に厄介だ。経験はそう多くないが今はっきりと思い出した。

 一方でウェンディの語り口調は変わらずに言葉を吐き出した。

 

 「まぁあなたにも同情するけどね。トレジャーバトルとかいう大会に集まった海賊の捕縛、その直後に噂のルーキーと追いかけっこでしょ? おまけに戦力が増えてたとか」

 「ええ。予想外にね」

 「魚人族にバロックワークス、それに巨人族も居たとか。この短期間で大所帯ね。船長がとんでもないカリスマだったのかしら?」

 「ねぇ、あなたどうしてそんなに楽しそうなの? 彼らは海賊、敵なのよ」

 

 叱る口調でヒナが言えばウェンディは笑顔で返す。

 

 「相手が誰でも心が躍る時は立場なんて関係ないものよ。それに私の仕事柄、別に海軍が味方だなんて思ったことはないわ。むしろ普段は海賊よりも敵っぽいんだから」

 「ハァ……あなたに言ったのがバカだった」

 「そうね。今のはあなたがバカだった」

 「殺意が沸きそうよ。憤慨ね。ヒナ憤慨」

 

 深いため息と共にヒナは俯いてしまった。もう話す気力もないらしい。

 彼女にとってここまでの失態は珍しい。慌ただしかったとはいえ取り逃がした海賊は多く、麦わらの一味に関しては無傷で逃がしてしまい、しかも八隻の軍艦は全壊。壊した相手をはっきりと確認できた訳ではなくて、巨大な船とおそらく巨人族だろう人影を二つ見ただけ。名前どころか顔すら確認できていない。

 勇んで出て行って生み出したのは自軍の被害だけ。彼女は今、かつてないほど落ち込んでいた。

 だからこそウェンディは珍しい姿を見れて嬉しくて仕方ないのだ。

 

 「まぁまぁそう怒らないで。相手が相手だもの。仕方ないのよ」

 「その相手が問題でしょう。グランドラインに入ったばかりのルーキーよ」

 「だけどただのルーキーじゃない。3000万ベリーの賞金首が次から次に傘下を作れる? 彼らを普通の海賊として見てはいけないのよ」

 「あなた……ずいぶん楽しそうね」

 

 顔を上げたヒナに指摘され、ウェンディは隠しもせずに笑みを深めた。

 

 「ええ。だって楽しいもの。ヒナ大佐のこんなに弱った姿を見れて」

 「不快よ。ヒナ不快」

 「ふふ。しばらく休んでてちょうだい。本部に戻るまで優雅な旅を約束するわ」

 

 席を立ったウェンディはヒナを残して部屋を出ていく。軽い足取りは彼女の上機嫌さをこれでもかと表していて、ヒナは恨めしそうにその背を見送った。

 廊下へ出るとすぐに副官が歩み寄る。

 ウェンディの後ろを歩いて共に甲板へと向かった。

 

 「裏は取れました。彼がバロックワークス構成員だったという話、本当のようです」

 「そう」

 「これでようやく納得できそうです。何度捕まっても逃げ出せたのは七武海仕込みの頭脳があるからということですか」

 「それだけじゃない気もするけど、その経験は大きいでしょうね」

 

 甲板に出るとすぐに日の光を浴びて、潮風が肌を撫でる。

 風に遊ばれた髪を手で押さえ、ウェンディは大海原に目を向けると微笑んだ。

 

 「一波乱も二波乱もありそうね」

 「ひょっとして喜んでいますか?」

 「まさか。私は海兵だもの。世の平和を願ってるに決まってるじゃない」

 

 そう言って微笑むウェンディに、副官はため息を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 5

 

 海軍本部の建物内を荒々しい歩調で歩く女が居た。

 端整な顔立ちはいつにも増して厳しい表情を浮かべており、唇はきゅっと結び、眉間に皺を寄せて鋭い眼光で前を見据えている。

 そうして辿り着いたのは一つの執務室だった。

 

 扉をノックするが返事はなく。それが当然なのでまるで動じない。

 彼女は一声かけると躊躇わずに扉を開けた。

 

 「失礼します」

 

 足を踏み入れるとすぐに目つきが鋭くなった。

 ため息をつきながら荒々しく足音を立てる。

 それでも居眠りしている男は起きず、椅子に座ったまま呑気に寝息を立てているため、机の前に立った彼女は怒りを隠さずに口を開いた。

 

 「クザン大将。また、居眠りですか」

 

 声に反応して大きく体が震えた長身の男は、動じていない素振りを見せるためか、そっと静かに腕組みをした。

 椅子に座って背筋を伸ばしたままだったものの、アイマスクをしている。

 普段の行動も相まって言い逃れできる状況ではないとわかっているはずだ。

 呆れた女はわざとらしく嘆息する。

 

 「いや違うんだよ。今ちょっと見聞色の覇気の修業をね」

 「今更必要がありますか。今のあなたに」

 「んん、時には必要だろう。初心を忘れないために」

 「いいからそれを外して下さい」

 

 言い訳を許さずにぴしゃりと言われ、クザンはアイマスクを取った。

 見えたのは怒った顔の赤毛の女だ。

 こうして叱られるのは今に始まったことではない。ずいぶん前に彼女が部下になって以来、常にあったことだがいまだに慣れないらしく、クザンは困った顔で頬を掻く。

 アイマスクを机の上に置き、色々と言葉を選んでいた様子だ。

 

 「まったく。何度言っても直らないんですね。あなたのそのサボり癖は」

 「あーあれだ。おれは“ダラけきった正義”を掲げてるもんでね。そんなに事を急ぎ過ぎてもいい結果は得られるもんじゃない。だから力を抜いて――」

 「まだ資料に目を通して頂いていないようですが」

 「あーうん、あれだ。色々忙しくてね。これからやろうと……」

 「大将。あなたが“ダラけきった正義”をおやめにならないなら私は“ダラけさせない正義”を掲げようかと思います。ではまず頼んでおいた資料の整理を。一目見た限りではサインもなければ判も押して頂いていないようなので」

 

 にっこり笑って言われて、それが妙に恐ろしい笑顔だったため、クザンはため息をつきながら渋々手を動かし始めた。

 どうも彼女は真面目過ぎる、と彼は思う。

 彼女がいわゆる側近となって以来、確実にクザンは仕事をするようになっており、海軍上層部はそれを狙って彼女を寄こしたのだが、クザン本人はいまだに困っているようだ。

 

 すぐ目の前に立たれて作業を見守られながら、やらなければならない状況で仕事を始める。

 渋々とはいえ仕事を始めたクザンを彼女は微動だにせず監視していた。

 

 ついさっきまで昼寝をしていた。まだ眠気も消えずにあくびをしてしまう。

 事情や彼の性格を知っているからか、それを指摘することはなかったが、黙ったままでも居心地が悪いと思ったのだろう、彼女が話し出す。

 

 「そういえば大将。お聞きになりましたか」

 「んん? 何を」

 「つい先日非合法で行われたトレジャーバトル大会とやらに“火拳”が現れたそうです」

 「あーまた火拳の話か。まだ諦めてなかったの?」

 「当然です。奴は私が捕えると決めましたので」

 「イスカ大佐。君も真面目だねぇ。火拳は今や白ひげの部下。迂闊に手を出せば海の皇帝との戦争になるぞ」

 「わかっています。悔しいですが、海賊が居るからこそ守られる平和もあると言うんでしょう。しかし火拳についてだけは目をつぶれません」

 

 迷いのない顔でイスカはそう告げて、クザンはやれやれと首を振った。

 

 「君も堅物だねぇ。おれのところに異動した理由がわかるよ」

 「大将」

 「わかったわかった。口より手を動かせってんでしょ。はいはい……」

 

 クザンが再び紙切れに向き合うとイスカは思案する。

 力を抜けとはよく言われるがこればっかりは妥協することができない。“火拳のエース”は自分が捕えると決めた唯一の海賊だ。

 そのため、彼に関する情報ならどんな小さな物でも掻き集めた。

 

 「そういえばその火拳についてですが、気になる噂がありまして」

 「あーはいはい」

 「革命軍のサボや、例の麦わらのルフィと義兄弟だという話が」

 

 それを聞いてクザンが手を止めた。

 やけに真剣な顔でイスカを見る。

 

 「サボっていやぁ革命軍の幹部だとかいう……それに噂のルーキー麦わらか」

 「ええ。そのトレジャーバトル大会で本人たちが話していたと」

 「麦わらといやぁ、つい先日クロコダイルを倒した張本人だったな……」

 

 完全に手を止めてクザンは考え始める。

 普段やる気のない彼が滅多に見せることがない真剣な顔。思わずイスカも不思議そうにした。

 やがて彼はイスカを見て、いつになく真剣に頼みごとをする。

 

 「イスカちゃん。ちょっと頼まれてほしいんだが」

 「何か気になることでもあるんですか?」

 「ああ。ちょうどその麦わらのことだ」

 

 机に肘を置いた彼はある一つの可能性を考慮していた。

 

 「アラバスタに居たってことは、そいつの船に乗ってるかもしれない……」

 


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