ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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お前は誰だ?(2)

 草むらを掻き分けて歩きながら、ナミは気落ちした様子だった。

 全員でキリとゾロを探しに行くつもりが、それほど時間をかけずにルフィまで同じ状態になってしまったのである。

 記憶を失い、全て忘れて、それでも能天気なルフィと一緒に歩きながら溜息をつく。

 サンジは一見冷静に見える様子だが、普段に比べて気落ちした表情なのは確かだ。

 

 「そうかぁ~、おれは海賊なのかー。そんでお前らが仲間なんだな?」

 「ええ、そうよ。そんなことも忘れるなんて……」

 「そもそもお前が連れ出したんだろうが」

 

 自分の名前さえ覚えていなかったルフィは、事情を聞いて上機嫌に笑っていた。

 自分の名前がルフィであること。自身が海賊であること。ナミとサンジは仲間で、海賊王になるという野望を持っていること。諸々を聞いて楽しげにしている。

 

 彼らは現在、仲間と合流すべくメリー号へ戻ろうとしていた。

 少年を追ってずいぶん走ったらしい。振り返ってみれば道のりは長く、船は遠かった。

 

 歩いている最中、ルフィはナミとサンジへ思うように質問をぶつけている。忘れてしまったせいで彼らや自分に関する情報は一切持っておらず、一つ一つを聞くだけで楽しそうにしている。

 同時になぜか悔しそうにもしていた。

 

 「くっそー、そんなおもしろそうな冒険してたのか。なんで忘れちまったんだろうなー」

 「そりゃこっちが聞きてぇよ。何があったんだ?」

 「ちょっと目を離した隙に記憶喪失になるなんて……だけどこれではっきりした。やっぱりあの子供が犯人なのよ」

 

 苦々しい顔でナミはルフィの顔を見た。彼女の心境とは裏腹に彼は呑気な顔をしている。記憶を失っても彼は彼のままで、キリやゾロのように警戒して立ち去ることはなかった。それは嬉しく感じる部分でもあり、それでもやはり寂しさはある。

 共有していた情報が全て失われてしまったのだ。

 知っている相手なのに別人のようでもあり、今の彼を見る目には複雑な感情があった。

 

 「ねぇルフィ、本当に何も覚えてないの?」

 「うーん……なんも覚えてねぇな」

 「そう……ハァ」

 「めんどくせぇことになりやがった。ルフィまでやられたとなりゃ厄介だぞ」

 

 サンジは厳しい表情で呟く。

 現状、戦闘員ばかりが敵に狙われ、結果的に敗北している。ルフィは軽傷を負い、キリとゾロは無傷だったようだが、三人とも記憶を奪われた。強くは見えない子供相手にだ。外傷がほとんどないところを見ても厄介なのは戦闘力そのものではなく悪魔の実の能力であることは間違いない。

 

 一味の内、すでに三人がやられている。

 最悪の展開を頭の中に思い描くのも無理はなかった。

 

 サンジが思案し、ナミが溜息をつく一方、ルフィがあっと声を出した。

 何かを思い出した様子だと感じて二人が振り向く。

 ルフィはあっけらかんと気楽に言う。

 

 「あっ、そうだ。誰かが笛吹いてた気がするなぁ」

 「笛?」

 「どういうことだ?」

 「音が聞こえたんだ。寝てる時にずっと聞こえてた」

 

 歩きながらも二人は顔を見合わせ、嫌な予感を覚える。

 

 「笛の音色か……」

 「それが能力に関係してるのかしら?」

 「可能性はあるな。聞き間違いか、ただの夢じゃなきゃいいんだが」

 「本当だって。あれは絶対笛だった」

 

 ルフィの言葉を素直に受け止めながら、さらに思考を巡らせる。

 いまだ名前さえわからない少年は彼らにとって脅威だ。特にどんな能力を持っているかわからないことが危険性を高めている。

 これ以上の被害を食い止めるためにも情報は必要だった。

 

 ナミはサンジの顔を見て語りかける。

 とにかくまずは全員で集まることが重要だ。仲間たちとの合流を急ぐ必要があった。

 

 「とにかくメリーに戻ったら全員で行動しましょう。ルフィの件ではっきりしたけど一人になると危険よ」

 「そうだな。お前が安い挑発に乗ったおかげでわかったよ」

 「なんだ? おれなんかしたのか?」

 「ルフィ、もう勝手に動いちゃだめよ。絶対私たちから離れないで」

 「そうか? わかった」

 

 性格その物は変わっていないせいか、ルフィは素直に頷いた。周辺を気にしながらではあったが並んで歩くナミとサンジの後ろをついてくる。

 こういった素直さは以前と変わっていなくて良かった。

 

 現時点でわかることは、記憶を失っても性格は変化していないという事実だ。

 キリとゾロは警戒心が強く、ルフィは全く警戒心がない。その辺りは想像通りだった。はぐれてしまうのは予想外だったが普段の性格を知っていれば納得はできる。自分の名前すら忘れるのは不便ではあるが、知識まで失う訳ではないのが幸いでも不幸でもあった。

 

 勝手にどこかへ行ってしまったキリとゾロがどこへ消えたのか。今や誰にもわからない。

 不安は募るばかり。なぜか胸騒ぎが止まなかった。

 

 彼らは早足で森を抜けて、メリー号が停泊している海岸に戻った。

 船上にはウソップとロビンが残っていて、彼らを見つけるとウソップが手を振って迎える。少なくともルフィの姿を見て安堵していたようだ。

 

 「お~いルフィ! よかった! 無事だったんだな!」

 「あいつ誰だ?」

 「お前の仲間だよ」

 「鼻が長ぇな」

 

 三人は歩みを止めずに船に乗り込んだ。

 ウソップやロビンと合流して、全員ではないがこれで一人にならずに済む。

 

 ウソップは笑顔でルフィを迎えていた。しかしルフィは不思議そうにウソップを、特に長い鼻を見ていて、ナミとサンジは明らかに気落ちした表情だった。

 ロビンはすぐに彼らの様子に気付く。

 親友と言っても過言ではない程度の間柄だと思っていた。だが今はウソップを見るルフィの目が好奇心に満ちていて、普段の様子が皆無である。彼女の予想通り、彼の前にやってきたルフィは、初めて会うかのような態度だったのだ。

 

 「おいルフィ、勝手に一人で行くんじゃねぇよ。危ねぇって言ったとこだろ? お前も少しは人の話を聞いてだな、そろそろ落ち着いた船長として――」

 「ウソップ……」

 「ん? どうした? なんかあったのか?」

 「お前ウソップっていうのか? 鼻長ぇなー」

 「は? いきなり何言い出してんだ」

 

 妙な態度を取るルフィを見てウソップは訝しげな顔をしていた。彼の顔をまじまじと見つめて、少し遅れてルフィが怪我をしていることに気付いた。

 腹の辺りだけ服が破けて血が滲んでいる。彼はあっと声を出した。

 

 「お前、怪我してるじゃねぇか!? あいつにやられたのか!?」

 「あいつって誰だ?」

 「誰って、さっき知らねぇ子供を追ってっただろ?」

 「そうだっけ?」

 「あのなぁ。今はふざけてる場合じゃねぇんだぞ。まぁとにかく、チョッパーはお前のこと探しに行っちまったけど、とりあえず応急処置だけしとこう」

 「ウソップ。ちょっと待って」

 

 耐え切れずにナミがウソップを止めた。彼は不思議そうな顔で振り返る。

 

 「その前に話しておかなきゃいけないことがあるの」

 「なんだ? あの子供のことか? 見つかったのか?」

 「そうじゃなくて、ルフィのこと」

 「ああ、怪我してるのはわかってるぞ」

 「あのね……ルフィも、記憶喪失になってるの」

 

 ウソップはゆっくり瞬きをした。

 ナミからルフィへ視線を移してじっくり眺める。上機嫌そうに笑う顔はいつも通り。しかし確かに同じようで違うような、なぜか不思議な感覚があった。

 

 「おれはルフィだ。海賊王になるらしいぞ。よろしくな」

 

 まるで他人事のように、彼は笑顔で言った。

 思い返せばウソップを見た時の反応も普段と違っていた気がする。

 ゆっくりと状況を呑み込んでいったようで、彼の変化を知るとウソップは激しく狼狽する。

 

 「んなっ、なにぃぃぃっ!? う、嘘だろっ!? ルフィが、記憶喪失!?」

 「ああ。そうみたいだ」

 「おれたちのこと覚えてねぇってことか!?」

 「覚えてねぇな。でも仲間だったんだろ?」

 「仲間だったんだろって……笑えねぇぞそんなの!」

 

 理解はしても受け入れることはできなかったらしく、ウソップが激しく取り乱す。そんな様子を間近に見ていてもルフィは危機感もなく笑っているだけだった。普段は能天気な彼だが、先程までの憤る様子が皆無だったことから異変を感じずにはいられない。

 ナミとサンジが気落ちした表情なのも追い打ちとなったようだ。

 

 ルフィ本人とナミとサンジの表情を見て、納得せざるを得なくなる。

 ウソップは愕然とした様子で肩を落としてしまう。

 話には加わらず聞いていたロビンでさえ深刻な表情で言葉を失っていた。

 

 「ほ、本当か……?」

 「ええ。ルフィが嘘つけないのは知ってるでしょ」

 「嵌められたな。わざわざ自分から姿見せにやってきたのはこのためだってわけだ」

 

 腕組みをしたサンジが溜息交じりに呟く。

 思い出すのは一人でメリー号の前へ現れた少年。一目見た時点では脅威と感じなかったが、結果を見れば彼を追ったルフィが記憶喪失になった。これで記憶喪失騒動の真犯人はすでに判明したと言っていい。

 それとは別に、その子供によってルフィ、キリ、ゾロと一味の戦力が欠かれてしまった。

 子供だからといって油断できない、という事実だけは無視できないだろう。

 

 「そもそも、おれたちをこの島に連れてきたのはあのティーチって野郎だ。あいつに嵌められた可能性はないか?」

 「た、確かに……島に着いてからすぐに姿を消しちまったし」

 「あいつ自身が言ってたんだ。この島で仲間と合流するってな」

 「じゃああいつがその仲間だってことか?」

 「可能性はゼロじゃねぇ。最初から信用ならねぇ野郎だったしな」

 

 サンジとウソップが険しい表情で話している間、ナミは甲板を見回す。

 キリとゾロは相変わらず居ない。それに加えて今はシルクとチョッパーも居なかった。ルフィが飛び出していった後、ナミとサンジと同じタイミングで彼を追って船を出たのだ。

 

 今ここで姿が見えないことが嫌になるほど不安を生んだ。

 彼女は優先すべき事柄を、これ以上仲間の記憶が奪われないことだと判断した。

 

 「シルクとチョッパーは? まだ戻ってないの?」

 「ああ。お前らこそ一緒じゃなかったのかよ」

 「途中で手分けして探すことにしたの。この森は視界が悪いし……とにかく今は全員で行動することを優先しましょ。一人になるとますます危険だわ」

 「そりゃそうだ。探しに行くか?」

 

 ウソップの問いかけにナミは即座に頷く。

 このまま離れ離れでは不安が募る一方。全員の顔が見れる状況でなければ辛いだけだ。

 先にシルクとチョッパーを見つけて、その後キリとゾロを見つける。現状で先にしなければならないことはそれらだろう。ナミが指揮を執って行動に移そうとする。

 

 「一人になると危険だから全員で行動しましょう。あの子供を見つけたら気をつけて。ルフィたちがやられるなんて普通じゃない」

 「全員で? メリーはどうすんだよっ」

 「今は仕方ないでしょ。幸いここは町から離れてるし、少しだけならなんとかなるわ」

 「あのガキには場所がバレてるんだぞ! おれたちが居ない間に何されるかわかんねぇだろ!」

 「だったら船番を残す? 言っとくけど、キリとゾロは船番しててやられたのよ」

 「うっ……!?」

 

 ナミの言葉にウソップはたじろぐが、それでも簡単には意見を変えられなかった。ゴーイングメリー号だって彼らにとって大切な仲間だ。仮に敵が船を壊そうとして誰も止められなかった場合、船を沈められた場合は後悔してもしきれなくなる。

 不安を抱く彼は引けない様子で、仲間を心配するナミも同様だった。

 

 どちらの懸念も理解できるがこのまま停滞している訳にもいかない。

 意見をぶつける二人へ助け船を出すようにサンジが言う。

 

 「どっちにしろここで悠長にはしてられねぇ。まずはシルクちゃんとチョッパーを呼び戻すことが先決だ。アホ二人は後で探せばいい」

 「そ、そうだな。でもメリーは……」

 「ナミさん、ロビンちゃんはここに残ってくれ。おれとウソップで二人を探しに行ってくる」

 「お、おれかっ?」

 

 思わず体をびくつかせたウソップにサンジが厳しい視線を向けた。

 

 「当たり前だろ。おれはレディを危険な目に遭わせたくねぇんだ」

 「おれはいいのかよ!?」

 「お前もそれなりに修羅場くぐってんだろ。気合い入れろウソップ。アホどもがやられた今、お前が頼りになってくるんだ」

 「あぁ~あのアホども、一体何やったらこうなんだよ……!」

 

 頭を抱えながらではあったがウソップは同行を決意したようだ。嫌々に見える素振りながらも自ら歩き出してメリー号を降りようとする。

 船を降りる寸前、サンジは甲板に残る三人へ目を向ける。

 記憶を失った状態のルフィが気になるものの、彼にとってはそれ以上にナミとロビンが無事で居てくれるかの方が気になるらしい。当然のように二人へ声をかけた。

 

 「少しだけ待っててくれ。すぐにあの二人を見つけて帰ってくる。もし何かあったらルフィを盾にしてでも持ちこたえてくれ」

 「できるだけ急いでね」

 「ああ。行ってくる」

 「ちくしょー! こうなりゃヤケだ! 急ぐぞサンジ!」

 

 船を降りたウソップとサンジは二人が向かっただろう方角を目指して走り出した。

 その背を見送ったナミは小さく溜息をつく。

 

 ルフィは改めてメリー号を珍しそうに眺めており、まるで初めて乗船した時のように、あちらへこちらへ移動して詳細を確認し、何よりかつてのように羊の船首を気に入ったようだ。おもむろに頭の上へ飛び乗ると上機嫌そうに海を眺める。

 彼女にとっては見慣れた光景なのに、彼にとっては初めての体験なのだ。

 複雑な心境で彼の背を眺めて、寂しさに胸を痛めながら現状を憂う。

 

 落ち込んでいるナミと本当に記憶を失っているらしいルフィ。

 二人を見ていたロビンは思案する。

 会話には加わらなかったが彼女なりに考えることはあったらしく、いつになく真剣な顔つきだ。

 

 「人間を記憶喪失にする能力なんて聞いたことがないわね。もし本当に能力者だったのなら対策を考えないと犠牲者はまだ増えることになりそう」

 「そうだけど、まだ何もわかってないし……多分能力者はあの子供だってことくらいで」

 「共通点はないの? キリと剣士さん、それにルフィが記憶を失った瞬間の状況とか」

 「共通点?」

 「ええ。そこから能力の詳細を推理できないかと思って」

 

 質問したロビンがにこりと笑みを見せた。

 笑い合える心境ではなかったためナミの表情は優れないが、真剣に考え始める。今ある情報などほんの少ししかない。とはいえ、相手の能力を知っておいた方がいいのは確かだ。

 

 「うーん……共通点って言われても」

 「不思議に見えるかもしれないけど、悪魔の実の能力には一定のルールが存在するの。できることとできないことは明白よ。それを理解できれば対策は打てるかもしれない」

 

 ロビンの言葉を聞きながらはたと何かに気付いた様子だった。

 恐る恐る彼女の顔を見たナミは、自信を持てないながらも思い出したことを伝える。

 

 「そういえば、キリもゾロも、ルフィも、見つけた時にはみんな眠ってた。ルフィなんて敵を追いかけてたはずなのに、怪我をして、誰も居ない森の中で」

 「ということは、“眠り”が能力に関わっている可能性があるわね」

 「でもそんなことあり得るの?」

 「あり得ない話ではないわ。私も全ては知らないけれど、悪魔の実の能力は不可解だもの」

 

 呆然としていたナミは、徐々にその話を呑み込んでいって理解しようとしていた。

 

 「それじゃあ三人ともあの子に眠らされて、記憶を奪われたってこと?」

 「そうだとすれば、その手段も知る必要があるわね」

 「人を眠らせる手段? そんなのあるのかしら――」

 

 ナミが呟いた直後、彼女は何かに気付いた様子で森に目を向けた。

 遠くから笛の音が聞こえてくる。

 美しい旋律は耳にするだけで安らぎを与えられるが、一方で町から離れた森の中から聞こえてくるのは不可解に思えて仕方なかった。

 

 「ねぇロビン、聞こえる?」

 「ええ。笛の音色のようだけど」

 「どうしてこんなところで……町までは少し距離があるのに」

 

 誰かが近くに居るかもしれないと警戒していたのだろう、ナミが森を注視している時、ロビンがルフィの様子に気付いた。

 船首の上に座っていた彼は体の力を抜いて俯いている。落ちていないのが不思議な体勢だ。

 背中を見ただけでも眠っているのだろうかと思う様子であった。

 

 異変に気付いたロビンが表情を変える。

 つい今しがた話していた内容。記憶を失った三人が眠っていた。人を眠らせる手段があるのではないかという思考。それらが瞬時に脳裏へ浮かぶ。

 

 笛の音色は遠い。だがルフィが眠っているとするならば無関係とは思えなかった。

 ロビンは船首へ向かって歩き出し、ルフィの背へ声をかける。

 

 「ルフィ? どうかしたの?」

 

 声をかけると同時にふらり、ふらりと頭が揺れる。

 やはり様子がおかしいと感付いた直後には動き出した。

 ぐるりと勢いよく振り返って、怪しい目つきで彼はロビンを睨みつけていた。

 

 思わず身構えた瞬間、ルフィは緩慢な動作で拳を握り、力を溜めるように右腕を後ろへ引いた。

 その時になってナミが彼の様子に気付き、眉を顰める。

 

 「どうしたのルフィ?」

 「下がって、航海士さん」

 

 ロビンは咄嗟に胸の前で両手を交差させた。明らかに様子が違う。おそらく止めることは容易ではないだろうと感じずにはいられない。

 ルフィの目を見ればわかる。視線は鋭く、空虚であった。

 本人の意思で動いているのではないことは間違いなかった。

 

 「ちょっと、ルフィ!?」

 

 ゴムの腕が伸びて猛然と繰り出されたパンチがメリー号に突き刺さった。

 ロビンは冷静に見極めて避け、ナミはそもそも当たらない位置に立っていたが驚いて尻もちをついてしまう。

 ルフィの攻撃はメリー号の壁を貫き、一部とはいえ破壊していた。

 普段の彼ならばあり得ない状況を見てナミも異変に気付く。

 

 「何やってんのルフィ!? 私たちは仲間だって言ったでしょ!」

 「無駄よ航海士さん。今は何を言っても耳に入らない。本人の意思じゃないわ」

 

 迷わずロビンが能力を使用してルフィを拘束する。彼の体から六本の腕が伸び、四肢と首を掴んで押さえ込んだ。それでも彼は動こうと体に力を込めている。

 動揺したナミは立ち上がるとすぐにメインマストの陰に隠れた。

 

 「どういうこと!?」

 「私たちの声が聞こえないなら、操られている可能性があるわね」

 

 冷静に状況を見て、ロビンは観察を行う。

 ルフィは正気を失っている様子だ。記憶を失ったことで自身の体質、ゴムの肉体の使い方や戦い方さえも忘れていたはずだが、今は記憶を失う前と同じ戦法を可能としていた。明らかな矛盾から第三者の介入があったと見ていいだろう。

 

 尚も乱暴に全身を動かすルフィはロビンの拘束を振り解いた。

 彼の体から生えた腕が消え、再び自由に動き出す。

 

 ルフィの強さは誰よりも仲間たちが知っていた。それは最近加入したばかりのロビンであっても例外ではない。如何なる理由であれ、彼はクロコダイルに勝ったのである。

 表情は自然と険しくなり、受け身も考えずに跳ぶと地面へ転がった。

 

 伸ばされた足がロビンの頭上を掠め、船室の壁を蹴り破り、ナミが悲鳴を上げる。

 ルフィの攻撃はさらに続けられ、本気で二人を傷つけようと、それどころか殺そうとしている。

 目は虚ろで、本人の意思は感じられなかったが、明確な殺意があった。

 今のルフィは彼本人ではなく誰かの操り人形なのだろう。本人が自らの意思でこんなことをするはずがなく、ナミはその姿に恐怖を覚えずにはいられなかった。

 

 体を回転させて勢いよく蹴りを繰り出そうとする。それを見てロビンは能力を使用し、素早く再び彼を拘束した。今度は八本の腕で捕まえる。

 空中に跳び出した時点での捕縛であったため、ルフィはそのまま地面に落ちる。

 その様を見てからナミは仕方なく武器を手にした。

 

 「どうして急に……! ルフィ! しっかりしてよ!」

 「話は聞いてくれそうにないわね。仕方ないわ」

 

 押さえ込もうとしてもルフィは必死にもがいて抜け出そうとするため、先程の経験からまずいと考えたロビンはさらに腕を生やして、無数の手で彼の体を拘束する。

 少なくともさっきよりはマシになっただろう。少なくともすぐには逃げられない。

 その状態でロビンはナミに視線を送る。

 

 「あとはお願いね」

 「え?」

 「百花繚乱(シエンフルール)

 

 甲板に無数の腕が生えてきて拘束したままのルフィの体を持ち上げた。

 

 「大飛燕草(デルフィニウム)!」

 

 抵抗する彼を押さえ込んでどこかへ運ぼうとする。どうやら行き先は陸ではなく海だ。

 ロビンは軽々とルフィを運んで、欄干の上から海へ放り投げる。

 反応が遅れたナミがあっと声を洩らした時、船のすぐ傍で大きな水柱が立った。

 

 「ロビン!? あんたも何やってんのよ!?」

 「だから言ったでしょ? あとはお願いって」

 

 咄嗟にナミが駆け出して自ら海へ飛び込んだ。

 能力者であるルフィは当然泳げず、真っすぐに沈もうとしており、彼を抱えると慌てて上を目指して泳ぐ。大変ではあるが泳ぎが得意なおかげでなんとか海面へ辿り着いた。

 勢いよく顔を上げるとロビンの手が見えた。

 能力を使用してメリー号の船体に生やしているようで、引きあげてくれるらしい。

 

 ナミはロビンの手を複数借りて、なんとか甲板へ戻ることができた。

 引きあげたルフィは気絶している、というよりは眠っているらしく目を閉じている。

 濡れた髪を掻き上げ、彼の顔を確認し、ナミが溜息をついた。

 

 「まったくもう……次から次に、何がどうなってるのよ」

 「おそらく例の能力が関係しているんでしょうね。誰かに操られていたのよ。あのまま戦えば無事じゃすまないだろうから、溺れてもらえば元に戻るかと思って」

 「それならそうと早く言ってよ」

 「時間がなかったの。ごめんなさいね」

 

 ロビンは微笑みを湛えて軽やかに言う。

 ナミは気落ちした顔でルフィの寝顔を見つめる。これで元に戻ってくれればいいのだが、流石に記憶が戻ることまでは期待できそうにない。ひとまず攻撃が止んだことをよしとすべきか。

 

 「ちゃんと思い出すんでしょうね……忘れたままなんて許さないわよ」

 「能力者本人を倒せば、きっと元に戻るわ。それより人を眠らせる手段だけど、一つ気になることがあったわ」

 「え? 何?」

 「笛の音よ。森の方から聞こえてきた後にルフィが正気を失った。多分、記憶を奪う時も同じ方法で眠らせたんじゃないかしら」

 「笛の音で? そんなことが……あっ」

 

 直観に従ったロビンの予想ではあったが、ナミは不意にルフィの言葉を思い出した。

 思い返せばここへ戻ってくる途中、彼も同じことを言っていたのだ。

 

 「そういえばルフィも言ってた……寝てる時に笛の音が聞こえたって」

 「能力の使用条件は“音”ね。特定の笛が必要なのか、それとも楽器なら何でもいいのか。どちらにせよあの音色が能力者本人によるものだと考えていいと思う」

 「音を聞いちゃいけないってこと? そんなのどうしようもないじゃない!」

 

 思わぬ言葉にナミは驚愕した。能力者には何人か会ってきたが、記憶を奪う能力という特殊なものは初めて知り、しかも笛の音を聞くだけでだめらしい。

 ロビンは思案する顔で言葉を続けた。

 

 「まだ確定とは言えないけれど、状況から考えてあり得なくはない話よ。特に超人系(パラミシア)は悪魔の実の能力の中でも常識が通用しないものが多いから」

 「そ、そう……だけどこっちにはロビンが居るからね。なんとかなるかも」

 

 気を取り直そうとした彼女はなんとか笑みを浮かべた。

 考えてみればロビンの能力も特殊であり、かなり便利なものである。所構わず体の一部を生やして動かせる彼女なら、笛を吹く例の子供が相手でも押さえられるかもしれない。

 少しの希望を抱いて、大きく息を吐き出したナミは肩の力を抜く。

 

 そうしているとルフィが目を覚ました。眠たげな顔でむくりと起き上がり、何が起こったのかを理解していなさそうに辺りを見回す。

 彼が起きたことを知ってナミは心配そうな顔で見つめた。

 

 「ん~……? あり? おれまた寝てたのか? なんで濡れてんだ?」

 「ルフィ、覚えてないの? 私のことわかる?」

 「ああ、わかるぞ。航海士だろ。えーっと、ナミっていったっけ?」

 「ええ、そうよ……ハァ」

 

 なぜナミが溜息をついてしまうのかがわからず、ルフィは首を傾げた。

 少なくとも彼が先程のように攻撃してくる危険はなかったようだ。

 ロビンはナミと同じく安心した様子で、いつものように柔和な笑みを浮かべる。

 


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