ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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ネムネムの戦い

 光を反射し、ギラリと光る刃が猛然と襲い掛かってきた。

 思わず歯を食いしばったサンジは背を反らすことで、辛うじて回避することに成功する。しかし体勢を崩したのか、転がるようにして一旦距離を取った。

 止まらず起き上がった彼は視線を上げると同時に表情を変える。

 

 周囲にふわりと浮かぶ紙が、針のように鋭く連なり、四方八方から飛来してきた。

 刀ならば受け止めようもあるがこれは止めようがない。サンジは即座に跳んで避ける。

 無事に避け切ったが着地した時にはすでに眼前へ敵が迫っており、止まる暇は一瞬たりとも与えられない。全て計算され尽くしているかのような連携。一時も相手を休ませない波状攻撃。機械的なそれは彼ららしくないもので、だが確実に強い。

 

 縦横無尽に跳び回るキリとゾロを目の前にして、サンジの表情は曇っていた。

 一人だけでも厄介な相手が同時に二人もだ。しかも普段とは違う、綿密に隙を狙うような戦い方は彼の疲弊を誘っていて、避けるだけでも大変な苦労を伴う。

 

 彼らを操っているのはノコの笛の音だ。

 常時演奏しているわけではないが、彼の演奏によって動きのパターンが変わる。

 手駒とはよく言ったもので、確かに今のキリとゾロはノコが動かす盤上の駒。彼が敵と認識した人間へ襲い掛かり、彼が思う通りに動き、追い詰める。ノコ本人を狙おうものなら即座に二人が立ちはだかって彼を守り、距離を取ればナミたちが狙われる。

 不利とは知りつつもサンジが前へ出るしかなかった。

 

 状況は一向に変わらない。

 ウソップやナミやロビンの援護があってもそれは同じだ。彼らも決して手を抜いているわけではないが、二人の正確無比な行動により、悉くが無効化されている。

 四人が苦心する一方、ノコとタツは上機嫌な態度を露わにしていた。

 

 「ハハハハハッ! どうしたどうしたァ! さっきまでの威勢が嘘みたいだなぁ!」

 「ふふ、それにしてもよく避ける。思ってたより良い戦いじゃないか」

 「クソ野郎ども、舐めやがって……!」

 

 彼らの態度に憤りを隠せないサンジが自らゾロへ蹴りを放った。鋭い視線を持ちながらどこか空虚な目をする彼は、素早く胸の前で二本の刀を交差させ、彼の蹴りを受け止める。

 力で押し合っても決着はつかない。サンジの蹴りを受けてもゾロはその場を動かなかった。

 

 少しでも動きを止めるとすぐに次の攻撃がやってくる。

 背後に異変を感じたサンジは咄嗟に首を下げ、その頭上を紙の塊が通り過ぎた。

 息もつかせぬ連続攻撃。前線に立つが故に誰よりも危険は多い。

 キリの攻撃を回避したのも束の間、再びゾロが刀を振りかぶっており、噛み合わせた歯を小さく鳴らしながらもサンジは足を振り回す。

 

 「クソマリモがっ……! いい加減にしろよてめぇら!」

 

 振るう腕を下から蹴り上げ、刀の軌道を無理やり返させた。

 次の攻撃はほぼ同時。サンジの蹴りがゾロの腹を打ち、刃はサンジの腕を切り裂く。

 両者共に勢いよく地面へ倒れた。ゾロは蹴られた衝撃によってだが、比較的軽傷で済んだサンジは体勢を崩しただけで、それだけ無理のある動きをしたのだ。

 

 倒れた拍子に頭上を見上げる。

 影が差したと思えばキリが紙の槍を持って降ってきて、慌てて彼は地面を転がった。

 

 「うおっ!?」

 「サンジィ! ちくしょう、あいつさえなんとかできれば……! 必殺火薬星!」

 

 苦戦するサンジを見ていられず、慌てたウソップが離れた位置からノコを狙った。

 放たれた弾丸は狙い違わず真っすぐに向かっていく。しかしノコの下へ到達する前にキリが投げた紙切れに直撃し、中空で爆発した。

 これで何度目かの失敗だ。ノコ本人を狙撃しても必ずキリが防御に回る。

 悔しげに顔を歪めたウソップは叫ばずにはいられない。

 

 「ちくしょう、ちくしょう!? 何やってんだよキリ! お前おれたちの仲間なのによぉ!」

 「無駄だよ。君の声は彼らには届かない。何を言っても聞こえない」

 「なんなんだよこの能力は……! あの二人相手に一体どうすりゃいいんだっ」

 

 声をかけるがキリは振り返りもせず。軽い動作であちこちを飛び回り、四方八方へ紙を投げて、前線に居るサンジばかりか、木々を盾にするウソップや、離れた位置に居るナミやロビンにまで攻撃を続けていた。

 逃げることすら許されない。絶えず全員が標的となっている。

 

 針のような細い紙が群れを成して飛来してくる。

 ナミとロビンは回避のために思わず跳び、地面へ倒れ込んで辛うじて回避した。飛来した紙は地面へ突き刺さり、またすぐに宙へ浮遊してキリの武器となる。この繰り返しだ。彼の得物が尽きることはなく、常に武器を補充しながら戦っている。

 倒れた二人は服や肌を汚していて、疲弊した様子で呼吸を乱しながら体を起こした。

 

 普通の人間ではあり得ないほど軽く跳び回るキリを見て、改めてその厄介さを思い知る。

 近くに居ようが、離れていようが、どこからでも攻撃が飛んでくるばかりでなく、攻撃の手段は幾通りもあり、絶えず変化する戦法は対策の立てようがない。

 攻めも守りもこなす彼一人が居るだけで、驚くほど動きづらさを感じてしまう。

 ノコを狙うことはできず、かといってゾロに集中することも許されず、キリ本人を標的にしようと思えば彼は一転して逃げに徹する。戦いが長引くのは主に彼のせいだ。

 

 「もう、どうすればいいのよっ。何言っても反応しないし、サンジくん一人じゃ無理よ」

 「まずいわね。何とかしたいところだけど、私の能力じゃ相性が悪いみたい」

 

 珍しく余裕を失ったようにも見えるロビンの様子は、表情こそ普段と大差ないとはいえ、どこか困惑しているらしいことが伝わってくる。

 彼女の手から少量の血が流れていた。

 能力を使った際、キリの攻撃を受けて傷ができたのである。相性か、それとも彼女の能力について知識がある彼が相手だからなのか、ハナハナの能力であっても優位に立てそうにない。

 

 「六輪咲き(セイスフルール)

 

 試しに彼女はノコを拘束すべくハナハナの能力を使用する。彼の体から六本の腕が生え、関節を極めて意識を刈り取ろうと狙う。しかし瞬時に小さな紙切れが飛んできて細い腕に触れ、刃物のように鋭利なそれが柔らかい肌を切り裂いた。

 ロビン本人の表情が歪んだ。

 能力で生やした腕は攻撃を受けた瞬間、花びらのように霧散して消滅してしまう。

 その時、ロビンの腕には新たな傷が作られていて、能力で生やした腕が受けた傷と同様の物だ。

 

 ロビンの能力は自身の体の一部を任意の場所へ自由に咲かせることができるというもの。その体の一部がダメージを受けると本体にもダメージがあるだけでなく、生やした体はたとえ小さな傷ができただけでも呆気なく消えてしまう。

 強力である一方、花のような儚さも持ち合わせる能力だ。

 初めから知っていたのか、途中で気付いたのか、キリはこの性質を確実に突いていた。ノコ本人を気絶させることができないのも、キリやゾロを拘束できないのも、至る所から繰り出される攻撃のせいである。

 

 ロビンの腕から血が垂れたのを見たナミが慌てた。

 強いと信じていた彼女の苦戦が信じられない様子で、焦りは隠しきれない。

 

 「ロビン!?」

 「平気よ。大した傷じゃない。でも、これじゃちょっと止められそうにないわね」

 

 自身の傷を手で押さえながらロビンが呟く。

 状況を考えるに、打開する方法は真っ先にキリを止めること。彼が居る限りはノコに攻撃することは不可能と考えていいだろう。ゾロだけが相手ならばサンジに任せればどうにかできる可能性がある。現状で最大の障害は彼一人だ。

 

 考えたところで簡単にできることではない。サンジの蹴り、ウソップの狙撃、ナミの妙な戦法はともかくとして、ロビンの能力が合わさってもキリの行動が止まることはなかった。

 このままの状況が続けばおそらくサンジの体力が先に尽きる。彼の負担はあまりにも大きい。

 

 「改めて考えると、キリは強いわね。味方なのが当たり前だと思ってたわ」

 「呑気なこと言ってる場合!? 強くてもなんとかしなきゃいけないんでしょ!」

 「でも、彼には弱点がある。そうよね?」

 

 冷静さを取り戻したロビンが言うと、ナミはハッとした表情で背後へ振り返る。

 

 「そうか、水……!」

 「まだ希望が無くなったわけじゃないわ。問題はどうやって当てるかだけど」

 「考えてても仕方ないわ。バケツ一杯かぶせてやれば止まるでしょ!」

 

 決断は早かった。ナミは大急ぎでメリー号へ引き返し、バケツを取ろうと船室へ飛び込む。

 思いつくのは簡単な作戦。問題は成功するか否かという点だ。

 ロビンは自在に跳び回るキリの動きを改めて観察した。

 

 「せめて少しでも疲れてくれればいいわね」

 

 効果があるかはわからないが何もしないよりきっといい。

 能力を使用して、ロビンは空中に跳び上がったキリを拘束しようとする。

 

 「六輪咲き(セイスフルール)

 

 首、両腕、両足を掴んで拘束した。このまま関節を極めようと腕に力を入れた瞬間、彼の全身はぺらりと紙になってしまい、手の中からひらひらと抜け出てしまう。

 ロビンの手から逃れれば一瞬にして体は元通りだった。

 鋭い目で彼女を睨んだキリの手から、槍のような紙が投擲され、ロビンは急いで後ろへ跳ぶ。

 

 「やっぱり捕まえるのは無理ね。でも……」

 

 走りながらさらに能力を使用する。

 再び生えた二本の腕がキリの首を掴んだ。またしても首から上が紙になって手から逃れる。しかしその直後、キリの体から腕が生え、両腕と両足を掴む。それさえも紙になって回避されてしまうが時間稼ぎにはなっていたようだ。

 逃れられるならそれでもいい。ロビンはキリの足止めに努めることを決めたらしい。

 自身の体から、地面から、無数に生える腕が彼を狙い、キリは一転して回避に追われる。

 

 狙撃の合間にそれを見たウソップは思わず笑みを浮かべた。

 状況を打開する一手になったなら幸運だ。ついガッツポーズを取って喜びの声を上げていた。

 

 「いいぞロビン! これなら流石にキリも――!」

 

 叫んでいる途中で、キリが思い切り腕を振り抜いたのが見えた。

 目を見開いたロビンは着地も考えずに横へ跳ぶ。投げられたのは鋭利な先端を持つ紙の針で、避けなければ胴体に突き刺さっていただろう。土の上に倒れ込んでロビンは大きく息を吐いた。

 

 拘束はできずとも一時引きつけることはできたはず。そんな考えを裏切るたった一度の反撃。効果はこれ以上なく見て取れ、ロビンが倒れた拍子にキリは本来のペースを取り戻した。

 先程同様、サンジの背後から紙を組み合わせて作った槍を投げつける。

 気付いた彼はなんとか回避したが、見てわかるほど疲労は相当なものだった。

 

 「うおおおっ!? てめぇ! さっきから邪魔すんじゃねぇ!」

 「惜しいな、せっかく上手くいったと思ったのに。おいキリ! こっち見ろォ!」

 

 前後を挟まれ、このままではサンジが危ない。意を決したウソップが叫んだ。

 

 「喰らえ! ウソップ輪ゴ~ム!」

 

 声に反応してキリが振り向いたが、ウソップは指に輪ゴムを引っ掛けて伸ばすだけだった。それ以上の何かが起こるわけでもなくウソップは静止する。

 本来の目的としてはそれでびびってくれればという考えだったのだろう。

 全く怯まなかったキリは無表情で腕を振り、無数の紙切れが刃となってウソップを襲う。

 

 「ぎゃああああっ!? なんでだめだったんだ!?」

 「それは、当たり前なんじゃないかしら」

 

 冷やかなロビンの声も聞こえずウソップは逃げ惑う。

 木々の間を駆け回り、飛んできた紙切れが木の幹に突き刺さっていく。

 なんとか避け切ったウソップは再び慌ただしく走って戻ってきた。

 

 「これならどうだ! ウソ~ップスペル! 裸足の足の裏に画鋲が刺さった!」

 

 キリは両手に紙を集めて、大きなハンマーを作り出す。

 それを振り上げて前方へ跳び、一切の躊躇なくウソップへ襲い掛かった。

 

 「おおいっ!? まさか効いてねぇのか!? 想像するだけで恐ろしいだろうがっ!」

 「いけない」

 

 あまりの素早さに回避が間に合わない。気付いた時には目の前だ。

 このままでは直撃すると判断したロビンが能力を使った。飛ぶようにしてウソップへ向かうキリの両腕を絡みつくように掴む。突然の変化で体勢が狂ったようだ。

 腕を振り下ろすことができず、仕方なくキリはウソップの眼前に着地した。

 

 色々と想定外の事態はあったがウソップは冷静だった。

 これが見ず知らずの相手なら逃げ惑うかもしれない。だがキリは仲間だ。

 仲間と戦う辛い状況も、相手をよく知るという一点だけは幸運だった。

 

 鞄に手を突っ込んだ彼は勢いよく水筒を取り出す。

 そして半ばキリに体当たりするようにして、その中身をぶちまけたのだ。

 

 「だったらこれだァ!」

 

 水の量はそう多くなかったが、彼の体には十分だった。

 ペラペラの実の紙人間にとって、水は他の悪魔の実の能力者以上に弱点となる。少量とはいえ頭から水をかぶったキリの動きは完全に止まり、操られている状態でも呆けた顔をする。

 

 すかさずロビンは彼の両手足を能力で掴んで拘束した。

 状況を変えるなら今しかない。ふざけているようにも見えたがこれはウソップの大手柄だ。

 

 時を同じくしてナミが戻ってきた。全速力で走る彼女は一部始終を見ていて、手には海水を入れたバケツが握られている。それはキリにとって凶器となるだろう。

 ナミはロビンの傍を通り過ぎ、一目散にキリの下へ向かう。

 そして嬉しそうに手を振るウソップの目の前で、キリに向かって思い切り水をかけた。

 

 「ほら! あんたの苦手な水よ! しばらくじっとしてなさい!」

 

 今度は頭だけでなく全身が水に濡らされた。

 凄まじい効果だ。がくんと膝が折れて座り込んでしまい、見るからに力が入っていない。

 すかさずロビンが能力を使う。無数の腕が彼の体と周囲の地面に生えてきて、関節のみならずほぼ全身を掴んで押さえ込む。倒れ込んだキリは見るからに動けそうにない状態だった。

 

 「よっしゃ~! ナイスだナミ! ロビン!」

 「あーもう……ほんっとに疲れる」

 「こっちは任せて。逃がさないわ」

 

 キリが無力化されたことでウソップの視線はゾロとサンジへ向けられる。

 彼もこちらに気付いているらしく、ゾロの刀を蹴って防御しながら大声を発した。

 

 「おいウソップ! こっちを援護しろ!」

 「よし! 聞けゾロ! そして想像しろ! ウソ~ップスペル!」

 「それじゃねぇよ!? ふざけんな!」

 

 正確に回避しながら器用にこちらを向くサンジに気圧されつつ、仕方なくウソップはパチンコを構えた。別段ふざけたつもりはなかったのだが気に入らなかったらしい。

 今はノコのことすら頭にはなく、勢いに任せてゾロを止めるべく狙いをつける。

 

 「悪いなゾロ。大事にはならねぇから、三連鉛星!」

 

 ただの鉛玉を続けて三発。正確にゾロ目掛けて発射される。

 気付いたゾロは防御すべくそれら三つを迷うことなく斬り捨てた。

 目の前で行ったほんの一瞬の防御。その隙を逃さず、サンジが足を振り上げる。今までの怒りやストレスを全て込めるような一撃が、ゾロの腹へ突き刺さる。

 

 「いい加減どいてろ……! 腹肉(フランシェ)シュート!」

 

 凄まじい一撃が大の男を蹴り飛ばす。

 勢いよく飛んでいったゾロの体は激突した木の幹をへし折り、荒々しく地面を転がった。

 間を置かずにロビンが能力でゾロの体を拘束する。またしても無数の手が彼を押さえつけ、絶対に動けないよう力を込める。

 

 二人を止めることには成功したようだった。

 ロビンの能力で押さえつけられたキリとゾロは起き上がれないらしく、もがきはするが無数の腕の下から這い出ることはできない。

 必然的に全員の視線が一か所に集められる。

 

 タツを抱えたノコが微笑を湛えたまま立っていた。

 もはや彼を守る者はない。さっきとは違って無防備な状態である。

 

 「マジかよ。やられちまった」

 「これは予想外だね……もう少しできるかと思ったんだけどな」

 「ハァ、ハァ……お前の駒はおれたちが取っちまった。まぁ元々こっちのもんなんだが」

 

 息を切らすサンジがノコが居る方向へ一歩踏み出す。

 回避に徹していたおかげもあって、致命的な深い傷は一つたりともない。流石に全てを避けることは不可能だったため、軽傷はそこら中にあって血を流しているが、あの二人を相手にして軽く済んだ方だろう。

 

 残る敵は一人。

 決着をつけるべくサンジは心を鬼にする。彼を気絶させれば全て元通りだ。

 

 「これでてめぇの悪趣味なゲームは終わりだ。手加減してもらえると思うなよ」

 「本当に終わったかな?」

 「何?」

 「ちょうど来たよ。新しい手駒」

 

 嫌な予感がしてサンジはふと背後を振り返った。そして驚愕する。

 メリー号の甲板に、船室へ移動したはずのルフィたちが立っていたのだ。

 何もわかっていない様子の顔で不思議そうに彼らを見ている。

 

 「何やってんだお前ら? 喧嘩か?」

 「ごめん、止めたんだけど聞いてくれなくて……」

 「お、おれも、出てきたくなかったんだけど、でも……」

 「バッ、バカ野郎!? なんでそこに――!」

 

 即座に思考を切り替え、途中で言葉を止めたサンジは振り返り、駆け出した。

 ノコがタツの尻尾を銜えている。笛を吹けば、また彼らが操られてしまう。それではまた同じことの繰り返しだ。

 必死に止めようと走るサンジだが、間に合わない。

 そう思った時、タツの体から細い腕が生える。

 

 「八輪咲き(オーチョフルール)

 

 息が吹き込まれ、演奏が始められようとした瞬間、タツの口がぎゅっと握られる。女性の物とはいえ二つの手でそうされては空気など通るはずもなかった。

 タツは苦しそうな顔をして、発されるはずの音色は詰まってしまう。

 同時に残る六本の腕が今度こそノコの体を拘束して、あっという間にタツを取り落とした。

 

 「ぶほぉ!? てめぇ何する――!」

 「スラップ」

 「おべべべべべべべっ!?」

 

 地面に転がったタツは顔面を往復ビンタされて喋ることもままならなかった。

 この時、表情が変わらずにはいられなかったようだ。

 流石に不利を悟ったノコは笑みを消して、青ざめた顔でロビンを見る。

 

 「しまった、この能力……!?」

 「あなた自身には防ぐ力はないみたいね。ごめんなさい」

 

 胸の前でぎゅっと掌を握る。

 それに応じて、六つの腕がノコの体に技を極めた。

 

 「クラッチ!」

 「ぐああああっ!?」

 「ノコ~っ!? 気絶するなよ! お前はまだ負けちゃいけねぇんだ!」

 

 ボキッと重々しい音が鳴ったがノコは歯を食いしばり、全身に力を込める。

 焦った様子のタツがノコに突進するのを見て、おそらく腕を攻撃されると思い、ロビンは一度能力の使用をやめる。キリとゾロを押さえる腕はそのまま、ノコに生えた腕だけが消えた。

 

 苦しげに跪いたノコは鋭い眼差しでロビンを見た。

 想定外があったとすれば彼女の存在。視線が届く先は全て攻撃範囲という、直接的な戦闘能力を持たないノコの天敵のような人間だ。逃げ足や回避能力は大人も顔負けとはいえ、背丈や筋力は小柄な子供でしかない彼は、関節を極められてしまうと逃げようがない。

 一撃を受けたことでロビンを警戒した彼はそっと後ずさり始める。

 

 「流石に遊び過ぎたかな……考えが甘かったよ」

 「ハッ、今更ロビンちゃんの美貌に恐れを抱いたか」 

 「いや美貌じゃなくて能力だろ、ハナハナの」

 「作戦を変える必要がある。僕も負けるつもりはないからね。今度こそ本気でやるよ」

 「これで勝ったと思うなよ! こっからが本番だ!」

 

 ノコが逃げようとしていることに気付いてウソップが焦り出した。

 逃げられたらまた同じことが始まる。仲間が操られ、町の人たちを利用され、時間をかければ後々追い詰められるのは自分たちだ。それだけは避けなければいけない。

 

 「おい、逃げるぞ! その前に気絶させねぇと!」

 「ロビンちゃん、頼む!」

 「ええ」

 「もうその手にはやられない」

 

 ロビンが能力を使用しようとした瞬間、ノコの姿が掻き消えた。目に見えないほどのスピードで現在地を離れ、森の中へ隠れたのだ。

 多少は見えたとはいえ、サンジですら完全に追うことはできなかった。

 海岸に立ち尽くした全員が周囲を見回し、ノコを探しながら表情が焦る。

 

 「うそっ……!? まずい、逃げられたらまたルフィたちが!?」

 「おおいっ!? どうすんだサンジ! ロビン、なんとかできねぇのか!」

 「彼らを見つける必要があるわね。私の能力なら索敵もできるけど、追いかける力はない」

 「クソっ、往生際の悪い……!」

 

 森の中へ潜んだノコは痛みを堪えながらも頭を働かせる。

 殴ったり蹴ったりは最も苦手としていること。直接戦って勝てるはずはない。そんなことは初めからわかっている。だからこそ能力を鍛え、逃げることのみを努力した。隠れ、潜み、付かず離れずで敵を翻弄することは彼が最も得意としていることである。

 まだ負けたわけではない。気絶していない。奪った記憶は彼の中にあるのだ。

 

 木々の隙間、草むらの中から海岸に立つ一味を眺める。

 脂汗を掻きながら彼はまた微笑んだ。

 ここからが本番。今度はこっちがやり返す番だとタツに息を吹き込もうとする。

 

 「こっちから仕掛けておいて負けるなんて、そんな恥ずかしいことはない。悪いけど君たちは逃がさないよ。まだ1億の首は僕の支配下にあるんだ」

 「そうさノコ。バカなゲームなんざしなきゃお前が最強なんだ。隠れてこっそり操ってやればいいんだ。そうすりゃお前は誰にも負けねぇ」

 「そうだったね、タツ。じゃあここから第二ラウンドだ」

 「見つけたわ」

 

 タツと話していたノコは、突然聞こえた声に気付くと勢いよく右側に首を振る。

 すぐ傍にある木の幹、そこに誰かの右目と、唇が生えていた。あまりにも不気味な光景だが意味はわかる。それが誰の物かわからないほど彼は馬鹿ではなかった。

 

 「私の能力は敵の姿さえ見えていれば使える。意味はわかるわね?」

 「こ、こいつぁ……!?」

 

 わなわなと震えるタツに返事をする暇も与えられず、ノコの体に腕が生えてきた。

 咄嗟に手で掴んで押さえようとしても数が多い。二本の腕だけでは、生えてくる全ての腕を止めることなど不可能だった。

 自分の体から、地面から、すぐ傍にある木から、次から次に細い女性の腕が生えてくる。

 その光景に恐怖したノコはタツを落としてしまい、気付けば耐えられずに叫んでいた。

 

 「うわっ、うわぁあああああっ!?」

 「ノコォ!?」

 「クラッチ」

 

 重く鈍い音が響いて、ノコの絶叫は突如途絶えた。

 傍で見ていたタツは怒りのあまり駆け出そうとするが、自身も体に生えた腕に捕まってしまう。

 

 「ちくしょう! よくもノコをやりやがったな! こうなりゃおれが――ん? あれ?」

 「スラム」

 「ぐへぇえええっ!?」

 

 タツもまた関節を極められ、更には木の幹に勢いよく体を叩きつけられて意識を奪われた。

 一人と一匹はその場で泡を吹いて倒れ、今度こそ気絶した。

 

 腕を下ろし、閉じていた目を開けたロビンは仲間の顔を見回す。

 サンジとナミ、ウソップは心配そうにこちらを見ている。森の中で何が起きているのか彼らには見えていないのだ。三人を安心させるためにロビンはふふっと微笑んだ。

 

 「終わったわ。ちゃんと気絶してるから大丈夫」

 「それじゃあ……」

 「ええ。みんなの記憶は戻ったはずよ」

 

 それを聞いてから周囲を確認する。

 ゴーイングメリー号の甲板ではルフィとシルクとチョッパーが寝転がっていて、いつの間にか穏やかな寝息を立てている。ついさっきまで拘束されていたキリとゾロも、気付けば何事もなかったかのように眠っていて、動く気配はなかった。

 

 それを見てようやく胸を撫で下ろす。

 どうやらロビンの言う通り、ノコは気絶して、みんな元通りになれたようだ。

 目覚めて確認するまで安心できないとはいっても、戦闘が終わったことを悟り、肉体的にも精神的にも疲弊していた三人は思わずその場に座り込む。

 最初はそれを見ているだけだったロビンも、ただの気まぐれか、同じく自分もそこに座った。

 


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