ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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GO-ON

 ノックの後、返事をして扉が開かれた途端、ウェンディは冷静に視線を上げた。

 表情こそ落ち着いているが心は弾んでいる。なぜかと問われればわからない。自分でも理解が難しい感覚で、今までこんな経験はなかったと思い返す。

 ただこの場で何かが起ころうとしているのは間違いなかった。

 少尉が手錠をかけられた少年、キリを連れてきたことで室内の空気は変化する。

 

 「そこへ座って。少し話が聞きたいの」

 

 軽く背を押されたキリはふらつく足で進み、荒々しく椅子へ尻を下ろす。

 決して良い態度ではない。笑みはなく、小生意気に見える顔だ。

 警戒しているらしい彼はだらしない姿勢でウェンディを見、座った途端自ら口を開いた。

 

 「着替えないかな。服が濡れたままだとやる気が削がれて」

 「海兵の制服ならあるけど、それでどう?」

 「いやぁそれはパス。諸事情あって袖通せないしさ」

 「そう。その事情も聞きたいところだけど、今はいいわ」

 

 彼の態度にも文句を言わず、机に肘を置いたウェンディは微笑む。

 柔らかい表情、やさしい声色で、彼とは対照的な姿だ。

 

 「まず名前と職業を教えてくれるかしら。こっちの事情はその後に説明するわ」

 「名前はキリ。職業海賊」

 

 あっさり言われた途端、扉の前に立つ少尉の眉が動いた。

 海兵の前で海賊を名乗るとはどういうことか。ふざけているのならば問題があるし、本当ならばあまりに思慮が浅すぎる。少なくとも機嫌を損ねる一言には間違いなかったようだ。

 対するウェンディは一向に気にした様子がない。

 今の言葉をそのまま受け止め、鵜呑みにし、ふむふむと頷く。

 次なる質問は気にせず続けられて、キリは鋭い目のまま素直に答えた。

 

 「出身地はどこ?」

 「イーストブルー、ココナ村」

 「あなたの経歴を教えてくれるかしら」

 「海賊やってて、一度やめて、今は別の海賊団で航海中」

 「以前の所属は?」

 「ビロード海賊団。今はもう全滅したよ」

 「そう。それじゃあ今の所属は?」

 「あのさ、いきなり手錠かけられて質問攻めってどういうことかな。正直まだそこまで悪いことした覚えないんだけど」

 「ちゃんと説明するわ。でもあなたのことが知りたくてしょうがないから、先に聞かせてもらってるだけ。言いたくないならノーコメントでいいわ。拷問もしない」

 「ならノーコメント」

 「理由だけ聞かせてくれる?」

 「海軍の取り調べで名を上げるってのも嬉しくないでしょ。心配しなくてもうちの船長はすぐに名を上げる。その時にはボクが誰の下についてるかすぐわかるよ」

 「なるほど。中々の自信家ね」

 

 手元の紙にペンを走らせ、話した内容を記しながらウェンディは満足そうだ。

 いまいち彼女を読み切れない。なぜか楽しそうなのも気になる。

 キリは隙を見て辺りを見回していたが、まだ脱出の方法は見つかりそうにない。一番厄介なのが体と服が濡れたままの状態だということ。彼は濡れた紙を操ることはできない。詰まる所、自身の体が濡れてしまっては力が入らず、他の能力者が海に浸かっている状態が常に続くことになる。これが渇かない限り能力は使えず、周囲の紙を操るどころか自分の体を紙にすることさえできない。

 脱出自体はそう難しく思わない。

 問題はいつ万全の状態に戻れるか。正直今でも足がふらついて体に力が入らない。

 ここから逃れるためには機会を待たねばならないだろう。

 そう決めてキリはひとまず従順な態度を見せ、隙を伺うつもりであった。

 

 「じゃあ聞かせてよ。なんでこんなとこ連れてこられなきゃならなかったか」

 「もう? まだ聞きたいことがあるんだけど」

 「ハァ、ならさっさと終わらせてよ。あいにく海軍には良い思い出がないんだ」

 「ふふ、ごめんなさいね。それじゃあ早く終わらせましょ。あなたのご両親は、今もこのココナ村というところでお元気かしら」

 「もう死んだよ。だから村に来た海賊船に乗り込んで旅に出た」

 「二人の名前を聞いてもいい?」

 

 なぜそんなことを聞くのか、意図が掴めなかったが、キリは答える。

 五歳になるまでのたった五年間、自身を育てた父と母の名。口にするのも久しぶりだった。

 二人が死んでからは身よりもなく、生き方に困り、はたと思いついたのがよく父が聞かせてくれた海賊の話だった。自分も海賊になって海へ出よう。そう思ったのは海賊でもない父が楽しそうにその話をしていたから。きっと楽しい物なのだろうと思うようになった。

 そんな話を思い出すのも久しぶりのことである。

 無表情を変えずにキリが思い出す間、ウェンディは思案する顔でペンを動かす。

 やがて口を開き、再び問いが始まった。

 

 「それがあなたの両親ね。死因はなんだったの?」

 「さぁ、なんだったかな。見つけたのは近所の人だった。事故だって聞いたけど」

 「そう。ごめんなさい、辛い話を聞き出して」

 「ずいぶん昔の話だ。今更これで傷ついたりしない」

 

 ウェンディがペンを置く。

 それからしばし腕を組んで考え始め、聞き出した情報を羅列した紙をじっと見つめる。しばらくの間、キリは口も開かずにただ待つことになった。

 奇妙な状況である。

 突然攫われて錠に繋がれ、なぜか冷静に話をしている。

 なんとなく嫌気が差してくるが今は仕方ない。体に力が入らないため耐えるしかないのだ。

 顔を上げたウェンディは真剣な顔でキリを見やり、ようやく沈黙を破った。

 

 「ここへ連れてこられた理由だったわね。ドニーに捕まったんでしょ?」

 「シロクマだよ。名前は知らない」

 「あの子がドニーって言うの。海兵をやってた私のおじいちゃんが育てた家族。しっかり教育されちゃったせいで物覚えが良くてね。あの子は海賊を見つけると勝手に連れ去っちゃうのよ」

 「海賊を、ねぇ……匂いでもしたのかな」

 「あの子が捕まえるのは手配書で覚えた人間だけ。それ以外の海賊には目もくれないわ」

 「だったらおかしいじゃないか。懸賞金かけられた覚えなんてないよ」

 「そうね。だけど、今あなたから聞いた話で大体事情は察したわ」

 

 机に腕を置き、そこへ体重をかけ前のめりになって、ウェンディが彼の顔を覗き込む。

 親しげな態度とでも言うべきか。表情の柔らかさが妙に気になった。

 

 「私のおじいちゃんもね、海兵だったの。私と同じ監査役。世界中にある海軍基地で不正が行われていないか、市民が苦しめられていないかを調査する部署」

 「ちゃんと仕事してる? ついこの間シェルズタウンが圧政に苦しんでるのを見たよ」

 「あら、あれってあなたがやったの? シェルズタウンも調べる予定だったのよ。そしたらモーガン大佐が基地の中尉に捕まったって話を聞いて、誰かが手引きしたはずだと思ってたんだけど、それが無名の海賊だったなんてね」

 「ボクがというより、ボクたちが、かな」

 「そうだったわね。まだ見ぬ船長さんのご意向かしら?」

 「色んな事情が重なったんだよ」

 

 初めてキリが薄く笑みを見せた。それにウェンディが気分を良くする。

 

 「話を戻すわ。おじいちゃんは基本的に海軍の相手をするのが仕事だったけど、ある時期から一人の海賊に執着するようになった。それこそその海賊が現れたって情報が耳に入れば、他の何を差し置いても駆けつけるくらいに。二人がどんな関係だったのか、何があったのか詳しくは知らないけど、確実におじいちゃんの人生において重要な人物だったでしょうね」

 「へぇ、そう」

 「その海賊は世界中に名が知れるほど有名で、強くて、何より行った悪事は今でも語り継がれてる。とにかく悪い人だったの。殺した人間は数知れず、しかもそのほとんどがわざと苦しませようとひどい所業を受けていて、滅ぼされた国もたくさん。悪い事ばかり繰り返して、世界中の人間に嫌われた海賊よ。その悪名はゴールド・ロジャーすら上回る。ロジャーを恨む人間は多いけど、同時に認める人だっていた。あの人は、ほとんど恨まれるばかりだったらしいわ」

 「へぇー」

 「おじいちゃんは動物好きで、仲良くなった子はたくさん居たわ。ドニーはその頃からおじいちゃんと一緒に居た。きっとその海賊の顔も何度も見てたはずよ」

 「……それで?」

 

 興味がないと態度で示していたキリだが、話の方向性が不穏になってきているのがわかった。

 理解してもらえたと思うのか、ウェンディが嬉しそうに肩を揺らす。

 

 「私もあの子と同じ意見。顔を見た瞬間にわかったわ」

 「何を。言ってる意味がよくわからない」

 「あなた、似てるのよ、その海賊と。笑った顔も、さっきの鋭い目つきや髪の色なんて特にね。写真で見た顔にすごくそっくり」

 「馬鹿げてる」

 

 首を振ってキリが苦笑した。

 何を言い出すかと思えば、まさかその海賊の息子だとでも言うつもりか。

 それはないと思う。事実彼には両親が居て、離れてしまったのは子供の頃だったがその頃の生活を覚えている。彼らは自分に愛情を注いでくれていた。

 

 「さっき名前まで教えたはずだ。ボクにはちゃんと親が居た。ただの他人の空似だろ」

 「だけどわからないこともあるのよね、あなたの話を聞いただけでは」

 「何が」

 「あなたのご両親、髪の色はあなたと同じだった?」

 

 当然だ、と言おうとして気付く。そういえば、彼らとは色が違ったのではないか。

 記憶の中を探ってみる。

 そうして愕然としたのは、両親共にきれいなブロンドの髪だった。

 同じ金髪で、おかしい話ではないと思う。しかし同じだったかと問われれば違うとも言える。キリの髪の色はくすんだ金色。同じ色に見えてその実違いがある。

 二の句を告げられなくなった彼を見てウェンディの確信が強まっていく。

 しかしまだ聞きたいことがあった。

 

 「ご両親の死因、知らないのね。ひょっとして海賊と知り合いだったせいで、逆恨みした誰かに殺されたってことはない? 友達だった可能性もあるわね」

 「なんでそんな、何を根拠に」

 「あなたの出身地、ココナ村。奇遇ね、その海賊もその村で生まれ育ったらしいわ」

 

 語気を強め始めたキリは、今度こそ口を閉じてしまう。

 ただの推測。まさかと思いながら驚愕が身を包んでいる。

 冷静に考えれば、違う、と叫ばなければならないほどのことではないかもしれない。両親はすでに死に、その海賊とやらが実の親だったとして、だからなんだというのか。

 頭の中ではそう判断していても、跳ね出した鼓動はしばらく落ち着かなかった。

 

 「そうねぇ……私の推測では、あなたを育てられないとわかった実の親が、あなたの両親に子供を託して、村を離れた。そしてあなたにはその事実が隠されたままだった。そんな感じでどう? こういうの、事情が事情ならあり得るんじゃないかと思って」

 「根拠のない妄想だ。それに生みの親が誰であれ、ボクが親だと思ってるのはあの二人だけ。今更そんな話持ち出されたところでなんとも思わない」

 「ふふ、確かに。だけど私はそう思わないわ」

 

 冷静に、あくまで楽しそうに告げられる。

 

 「おじいちゃんが追い続けた海賊の子供。私はおじいちゃんと同じく海兵になっていて、あなたも親と同じく海賊になって、こうして出会ってる。こういう状況、運命的だと思わない?」

 「どうでもいい。さっさと独房でもなんでも入れてくれないかな」

 「あら、つれないのね。それじゃあ最後に一つだけ聞かせて」

 

 ペンを持ち上げて紙の一部分を指し、視線は合わせたままで尋ねられる。

 いつの間にかキリの目は睨む様子に変わっていて、ウェンディは逃げることなくそれを受け止めていた。どことなく物々しい雰囲気を感じさせる、危険な状況だ。

 

 「キリって名前、これは本名?」

 「は? そうだけど」

 「おじいちゃんが追ってた海賊は、Dの名を持っていたはず。あなたもそうなんじゃない?」

 

 聞かれたところでそんな話は知らない。キリは眉間に皺を寄せるだけだった。

 どうやら本当に知らないようである。

 ただこの一件において、人間違いだとは思わない。彼を目にしたドニーの態度や、自身の勘が告げている。この人物からは懐かしい匂いがすると。

 調べてみる必要がある。

 覚悟を固めたウェンディは肩の力を抜き、ふっと背もたれに体を預けた。

 

 「一度休憩しましょうか。あなたも疲れてるみたいだし、知らないこともあるみたいだしね」

 「知ってたとしてもしゃべる気はない。今更、どうでもいい話だ」

 「あらそう。知りたくないの? ひょっとしたら本当にあなたの親かもしれないのに」

 「別に知ったところで……その人、生きてるの?」

 「ええ。あくまでも噂だけどね」

 

 再び表情が変化し、困惑しているのが伝わる。

 ウェンディは席を立ち、少尉の顔を見た。

 

 「お茶にしましょうか。彼を私の私室へ通して」

 「結構だ。ボクだって海賊、手錠までされてる以上牢屋で十分」

 「少しくらいいいじゃない。昔話を聞いて欲しい時だってあるの」

 「少尉殿に頼めば? こっちは興味がないって言ってるんだ」

 「ふふ、すっかり嫌われちゃったわね。それなら言葉を変えるわ。私の私室へ連行して」

 「はっ」

 

 背後から少尉が歩み寄り、腕を掴んでキリを立たせる。そのままぐいっと引っ張って扉まで連れていかれた。その間、キリの目はウェンディを睨んで離さなかった。

 

 「すぐに行くわ。また後で」

 

 扉が閉まると彼らの姿が見えなくなる。ウェンディは苦笑して左手にある棚へ近付いた。

 妙に敵意を持たれてしまったらしい。

 触れられたくない部分だったのか、想像していたよりは険が強い。だがこうなるかもしれないという想定はあった。今となっては別に気にするほどでもない。

 彼女は喜んでいたのだ。海兵になって初めて自身の確固たる目的を持てそうで。

 海兵の祖父と因縁があった海賊、世代を越えて再び向かい合う時が来るのかもしれない。

 今は可能性でしかないが、そう考えれば面白いと思う。

 

 「監査役になって初めていいことがあったわ。あの子、あの人みたいな海賊になるのかしら」

 

 何やら訳知り顔で呟く彼女は、戸棚の中から一枚の写真を取り出し、眺める。

 そこには一人の人間が映っていた。

 懐かしい気分が蘇ってきて、ときめきに近い感情を抱く。

 ウェンディは満足するまでその写真を眺め続けた。

 

 

 *

 

 

 血相を変えたルフィが椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

 ボクデンの家の中である。室内には彼の他にゾロとシルクとナミ、アピスとボクデンが居て、誰もが真剣な表情となっている。中でも特に後悔の念を強めているのがゾロだ。今しがたの発言も彼によるもの、その場に居て止められなかったことを強く悔やんでいる。

 キリが攫われた。

 その言葉を聞いた途端、すでにルフィの心は決まっていたようだ。

 

 「すぐに助けに行くぞ。キリを取り返す」

 「ちょっと待ちなさいよ! 相手は海軍よ? あんたたち本気で海軍に喧嘩売る気?」

 

 席を立ったルフィはすぐさま家を出ようとした。しかしその前にナミが立ちはだかり、止めようとする。扉の前を塞ぐ彼女には流石に足が止まった。

 迷いなく言い切れる彼がわからない。

 海軍は世界政府直属の組織で、言わば海上の正義、市民の平和を守る者。

 彼らへ襲い掛かるということはもう後戻りできないということ。海賊として認知され、海軍に追われ続ける日々が始まるだろう。まだ無名な彼らも名実共に海賊となるのだ。

 もしもそれを喜ぶと言うのなら、いよいよどうしようもない奴らだと思う。

 ナミは真剣に言ったつもりだったが、手を組むか否かの大事な局面、ルフィは冷静だった。

 

 「どけよ。おれはキリのところに行かなきゃならねぇんだ」

 「あんた本当に理解してんの? 海賊になるって意味とか、海軍に盾突く愚かさとか。海で生きていくならね、勢いだけじゃだめなの。ちゃんと頭使って、生き残る努力をしないとあっさり死ぬことだってあり得る。どれだけ強い奴でもね」

 「ああ、知ってる。いいからどけよ」

 「その口ぶりが信用できないんでしょ! なんでそこまで海賊なんかに拘るのよ。そんなこと言って、あんな旗掲げてるからあいつも連れ去られて、全部自業自得じゃない!」

 

 無表情のままでルフィは話を聞いている。

 海賊嫌いは相当だ。ナミの叫びにはおそらく彼らに対する物だけでない感情も含まれており、彼らを憎んでいるのか、心配しているのかは不明だが、必死なことだけは確かだった。

 やはりルフィの決定は覆らず、握り締めた拳が解けることはない。

 

 「おまえがなんと言おうとおれは行く。約束したんだ。キリも、あいつの仲間もおれが守るって。おれはキリがいない航海なんてしたくねぇ」

 「そんな理由で、命まで捨てる気……?」

 「死なねぇよ。海賊王になるまでは」

 

 そっと手を伸ばしたルフィはナミの肩を掴み、大して力も入れずに横へ押しやる。

 大人しく道を開けた彼女へは振り返らずに、自らの手でドアを押し開いた。

 

 「来たくねぇんなら来なくていいぞ。おまえはまだ仲間じゃねぇし」

 「ちょ、ちょっと」

 「シルク、ゾロ、行くぞ。早く追いかけねぇと見失っちまうかもしれねぇ」

 

 ルフィが外へ出ると同時、当然とばかりにゾロとシルクが後を追う。

 ゾロは何も言わずに行ってしまったが、傍を通った時、ナミを気遣ってかシルクは彼女へ声をかける。どことなく申し訳なさそうな、謝罪するかのような態度だった。

 

 「ごめんね。多分ルフィは、キリがいないから焦ってるだけだと思うの。ナミが嫌いなわけじゃないから」

 「シルク――」

 

 言うだけ言って、彼女もそそくさと行ってしまう。その足取りに恐怖心はない。

 馬鹿げているとしか思えない。

 たった一人の仲間のために三人だけで何ができるのだ。一味の存続を考えるならば、時には見捨てることも考えなければならないはず。なのになぜ彼らは海に出ようとしている。

 これまで賢く立ち回ってきたつもりだったナミには理解できない行動だ。

 ずっと一人で航海していたのは足手まといに足を引かれないため。

 危険な海で生きるためには非情な考えも必要になる。ただ誰かに甘えているだけではだめなのだ。だから一人を貫いてきたはずなのに、彼らは全く違う。仲間の存在こそ重要視し、勝てないはずの戦いに挑む気だ。その先にどんな結果があるか、気にしようともしていない。

 彼らのことが理解できず、苦々しい表情のまま立ち尽くす。

 一応は手を組んだ相手。嫌いなはずの海賊だが、追うべきか、追わないべきか。

 逡巡していると脇を通り抜ける影があった。

 勢いよく飛び出したアピスは遠ざかる三人へ声をかけ、一目散に走っていってしまう。

 

 「待ってみんな、私も行く! 私も手伝うよ!」

 「アピス!? なんであんたまで!」

 

 手を伸ばして声をかけるも届かず。慌てたナミは背後を振り返った。

 そこには椅子に腰かけたままのボクデンが居る。

 孫娘が海賊について行ってしまった。きっと止めるはず。そう思うものの、彼は微塵も慌てていなかった。

 

 「いいのボクデンさん、アピスを行かせても! あいつら海軍と戦う気よ!」

 「そうじゃなぁ」

 「そうじゃなって、心配じゃないの!? 自分の孫が死ぬかもしれないのに――」

 「もちろん心配しておる。しかしだからといって止めてしまったのではあの子のためにならんじゃろう。行動を制限することばかりがあの子のためになる訳ではない」

 「今回はそうも言ってられないでしょ。ついて行こうとしてるのは海賊なのよ」

 「わしらにとっちゃ、あの海軍よりも彼らの方が信用できる」

 

 何か事情があったか、ボクデンはあっさり言い切る。

 海軍より海賊の方が信用できる。そんな話を聞いたのは初めてだっただろう。しかも出会ったばかりの海賊たちで、まだ会ってから一日も経っていない。

 怒りの声が飛んでくる前に、さらに続けられた。

 

 「アピスが笑っとる。それだけで海軍との違いは明白でな」

 「なんなのよ、それ。どいつもこいつも……」

 

 なぜ皆が彼らを支持する。ただの海賊のはずなのに。

 胸の中がもやもやして、堪らずナミは走り出した。

 坂を一気に駆け下りて桟橋へ向かう。その間も考えるのは麦わら帽子をかぶった海賊のこと。オレンジの町の町長が感謝していたのは知っている。アピスが楽しそうに彼らと話していたのも知っている。けれどそれがなんだという。

 彼らは海賊。忌むべき存在のはずだ。

 こうも良く言われる状況が納得できず、苦悩する。

 海賊など害悪でしかないと思って育った。事実彼女は苦しめられた。

 それなのにそれを打ち破る海賊が居るのも、気に入らない。

 呼吸を乱すほど必死に走って、急ピッチで出航準備を整える帆船の前に辿り着き、ナミは足を止めた。船に乗り込む素振りを見せず、その前に肩を怒らせて大声を発する。

 

 「待ちなさいよルフィ!」

 

 声を耳にし、すぐにルフィは欄干へと寄ってきた。真剣な眼差しで見据えられる。

 彼女は海賊が嫌いだった。だが一方で彼らが略奪を繰り返すだけの海賊でないとも知っている。むしろそんな連中をカモにする海賊、ピースメインなのだという理解があった。それでも長年持ち続けた固定観念を崩す事は難しくもあり、まだ素直に受け入れられない。

 今しばらく傍でその姿を目にし、己で判断しなければならないだろう。

 胸中はもやもやしたまま、拳を握りしめて彼女は言った。

 

 「威勢よく出て行くのはいいけどね。あんた、あいつを乗せた船がどこへ行ったかわかるの?」

 「知らねぇ。でもキリがいねぇのはいやだ」

 「ほんとガキみたいなことばっかり……もし場所がわかっても、航海士もなしでどうやって航海するつもりよ。唯一頼りになりそうだった奴が攫われたのに」

 「あっ」

 

 そういえば、といった調子でルフィが呟き、ナミは吸い込んだ息を一気に吐き出す。

 

 「私はあんたの仲間じゃない……でもいいわ。今は手を組んでる状態だし、私が連れてってあげる。あんたが行きたい場所ならどこへでも」

 「いいのか?」

 「仕方ないでしょ、あんたたちを利用するにはそうするしかないんだから」

 

 歩き出した彼女も船上へとやってきて周囲の顔を見回す。

 ルフィに加えて、シルク、ゾロ、アピスのたった四人。その中でアピスは海賊でもなければ、まだ子供だ。本当に彼らだけで行くつもりだったのだろうか。

 そこへ自分を足して五人。付け焼き刃にしか思えなくてやはり頼りにはならない。

 しかしルフィはにっと口の端を上げた。

 たった一人の加勢を心底嬉しそうに受け止めているのだ。

 

 「そっか。じゃあいっしょに行こう」

 「言っとくけど、あくまで一時的に手を貸すだけよ。海賊の仲間にはならないからね」

 「まぁ今はそれでいいよ。話は全部キリを取り戻してからだ」

 「まったく……ほんとにわかってんのかしら」

 

 船上は慌ただしくなり、動き出した船は迅速な行動で桟橋を離れた。

 誰もが一様に表情を引き締めており、来たるべき時を待って意識を研ぎ澄ましている。本気で海軍と戦う気だ。空気で伝わる緊張感からナミは理解して唇を結ぶ。

 ゾロの表情は険しく、怒りすら感じさせる気迫を発して刀の感触を確かめている。

 シルクもまた、己の剣を見つめて思案していたようだ。悪魔の実を食べたのはついさっき。いまだ能力は知れず、どんな実だったのかさえ知らない。不安と期待、その両方が表情にある。おそらくそれを知るのは戦闘が始まってから、ぶっつけ本番になるだろう。

 そして誰よりルフィが、いつもと違った真剣な顔でほとんど笑みを見せなかった。

 のどかに過ごしていた時とはまるで違う。声色さえも変わっていた。

 

 「アピス、リュウ爺のことはおれたちがなんとかする。だからもうちょっとだけ待ってくれ。キリがいねぇと前に進めねぇんだ」

 「う、うん。ねぇみんな、私も手伝うから、なんでも言ってね」

 「ししし、ああ。頼りにしてるぞ。野郎ども、出航だァ! 海軍からキリを取り返すぞォ!」

 

 勇ましく宣言して船は出航した。

 敵の詳細は知れないものの、ゾロが確認して海軍であるということだけはわかっている。

 それだけでいい。仲間に手を出した以上は誰であっても容赦しない。

 初めて見るルフィの強い怒りには誰もが目を疑い、そして従う姿勢を見せていた。

 


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