ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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ギガparalyze(3)

 くいっと眼鏡の位置を直したキャプテン・クロは冷静に辺りを見回した。

 計画を進めなければならないのに足止めされているクロネコ海賊団。足止めしているのは、ほんの数人の少年少女たち。その中に一人、見覚えのある顔が居る。

 ウソップだ。

 以前からカヤの屋敷に忍び込んではホラ話をしていた少年。何度も注意したため覚えている。

 まさかこんな状況で出会おうとは、一切想像していなかった。

 

 「ウソップくん……君はこんな所で何をしている? 私が海賊だと言いふらしていたようだが」

 「て、てめぇ、やっぱり本当だったんだな。あの計画は嘘じゃなかったんだ」

 「バレてしまったのなら仕方ない。君の言葉は真実だ。私は元々海賊だった」

 

 そう語る彼は冷静で、少しも慌てている様子はない。

 ウソップを見る目は以前より冷ややか、と言うより驚くほど冷酷だった。決して顔見知りに対して向ける物ではなく、むしろ虫やゴミを見る目と同じだ。

 その視線に背筋がぞっとする。

 前々から口うるさく怒られていたせいで、仲良くはなかったが、互いにカヤを気遣う者同士。本気で嫌っている訳ではないと思っていた。だが彼の目を見れば違うのだと気付く。彼はウソップという人間について何とも思っておらず、おそらくカヤに対しても同じ。両手につけた奇妙な武器で殺そうと思えば躊躇いなく殺すに違いない。

 戦慄を覚えたウソップは強く歯噛みし、今まで見抜けなかった自分を憎らしく想う。

 何が執事。何が拾われて三年間の忠誠。あれこそ紛う事無き海賊ではないか。

 今までずっと同じ村に住んでいたのが恐ろしく感じ、気付いた者が一人も居ないのが驚きだ。

 癖となっている眼鏡の位置を正す動きをした後、両手を下ろしてクロが呟く。

 

 「だが海賊だったのは三年も前のこと。君が知らなかったのも無理はない。この村に居る間、私はもう海賊ではなかった」

 「嘘つけ! だったらなんでカヤを狙う……あのまま暮らしてりゃよかったじゃねぇか!」

 「そうだな。確かに海軍に追われる日々は終わった。確かにあれも平穏だったのだろう」

 「ならっ」

 「だが私が欲しかったのは静かな日常でね。お嬢様に付き合って慌ただしく走り回る日常ではない。その違い、わからないかな」

 

 冷徹に言いのけ、表情はぴくりとも変わらない。

 ひどく冷たい人間なのだ。

 その声を聞いて、そんな程度の理由で人を殺そうとしているのかと愕然としてしまう。

 ただ邪魔だから。カヤはそんな理由で殺されようとしているらしい。

 カヤの傍に居た時とは全く違う姿に、驚愕しながらも怒りに震えるウソップは今にも殴りかかりたい衝動を必死に堪え、その場を動かなかった。

 今すぐ黙らせたい気持ちはあるものの、一応とはいえ聞いておきたい。

 彼が本当にカヤのことをどうでもいいと思っているか否かを。

 この村に居た三年間、彼女に対する情は生まれなかったというのか。

 

 「自分のためだけにカヤを殺そうってことなんだろ……」

 「そうだ」

 「なんで、そこまで……!」

 「バカどもを相手にする生活に飽き飽きしたんだ。おれは静かな日常が欲しい」

 「カヤは! おまえを信頼してたんだぞ!」

 「当然だ。そうなるように行動したんだからな」

 「おまえはっ……三年間カヤを傍で支え続けて、何も思わなかったのか! 可哀想だとも、殺すのをやめようとも、このまま暮らそうとも何も――!」

 「何一つ、思わない。おれの計画は絶対だ」

 

 ぎゅっとパチンコを握りしめ、素早く弾が番えられた。

 もはや激情は止まらず、そんな程度の願望で人を殺そうとしている彼を許せるはずはない。激怒を露わにしたウソップが大声で叫んでいた。

 

 「クロォォォッ‼」

 

 放たれたのはただの鉛玉。だが顔面が狙われている。

 当たれば肌を貫くことはできずとも相応のダメージが与えられただろう。しかし鉛玉は空を切ることとなる。放たれたと同時、なぜかクロの姿が掻き消えたのだ。

 目を剥いて体が硬直した瞬間に、背後から彼の声が聞こえたのである。

 

 「やれやれ……これだから嫌気が差したんだ」

 

 慌てて振り向けば右腕を振り上げるクロが居て。そこには爪のような五本の刀身。

 斬られる。

 そう認識せざるを得なかった。

 不思議とこの一瞬はスローモーションに見えていて、死の恐怖や自身の敗北を気にするより先に、敵の姿をしっかり見つめていた。自身を斬ろうとする、海賊の姿をだ。

 今まで本気で死ぬと思ったことはない。死にたいと思ったこともない。

 この場で見ているそれは偽物ではない戦闘だった。

 ずっと夢見ていた海賊だ。

 刃が迫る中、恐怖さえ忘れてそんなことばかり考えていた。もはや逃げる術はない。もう死ぬのだと冷静に理解している。しかしそこで奇妙な出来事が起こった。

 斬られたのはウソップではなく、斬ろうとしたクロだったのだ。

 

 「ぐぉ……!?」

 「えっ?」

 

 呆けた声で呟いてしまった。直後に全身から力が抜けて尻もちをついてしまう。

 胸を袈裟切りに斬られたクロから血が滴る。

 裂けた服の切れ目からわずかに肌が覗き、浅いとはいえ確かに切り傷が作られている。しかも傍に人など居ない。誰に斬られたのかすぐには理解できなかった。

 訳も分からずウソップが恐る恐る振り返る。

 そこには剣を振り切った姿のシルクが居て、おそらく彼女が斬ったのだろうと思わされた。見るからに刀身は届いていないが、他に動きを見せる者などおらず、彼女にだけ注目が集まる。

 彼女自身、どことなく放心した様子。

 しばし沈黙が続くとキリが真剣な顔で問いかける。

 

 「シルク。今……見えたの?」

 「う、ううん。違うと思う。なんか、自分でも変な感じ……」

 

 弱々しい風がそよそよと吹いている。

 彼女自身不思議に思うが、それを如実に感じ取りつつ、視線はクロへ向いている。

 

 「なんて言うのかな……風が動いたのがわかったの。ウソップの後ろまですごく速く動いていくのが。だからきっとそれがあの人なんだと思って」

 

 呆然としながら語り、自らの剣を眺める。

 カマカマの実。パラミシアでありながらロギアに近い奇妙な能力。

 他のパラミシアと違って体質の変化がないと思っていた。それも間違いなのかもしれない。

 命を賭けた戦闘という特殊な環境下、驚くほど風の動きが感じ取れる。自然発生した弱々しい物も、それこそクロが目に見えないほどの速度で動き、伴って生み出された強い風も。今までにない感覚だった。能力を手に入れて以来、ずっと修練を重ねていたのに、今になって初めて気付く。

 自覚した途端、シルクの胸中で興奮が生まれる。

 

 「前に言ってたよね。悪魔の実の能力には、必ず真髄があるって」

 「うん。言った」

 「私、わかったかもしれない。この能力のこと」

 

 両手で柄を持ち、眼前に掲げて。

 刀身に巻き付くようにして強い旋風が生み出された。

 それが彼女の能力。かまいたちを飛ばすことができる。だが言い換えれば、自らの体を起点に自在に風を生み出せるということ。

 明らかにさっきとは違う表情で剣を見つめ、シルクは言った。

 

 「かまいたちだけじゃない。ロギアとは違って、だけどすごく近くて。この能力はきっと風を操る力……私、使えるよ。これでみんなを守れるんだ」

 

 彼女を起点に周囲へ風が走った。

 決して強い勢いではない。ただ頬を撫でるだけ、木々につく葉が静かに揺れる。だがそれがシルクから放たれたことだけはその場の誰もが理解していた。

 ウソップは呆然と見るのみだったが、キリは嬉しそうに笑ってその能力に目を輝かせた。

 世にも珍しいロギアの性質を持つパラミシア。

 その力には歴戦の海賊たちも怯えているらしく、ジャンゴも含めて誰もが沈黙している。それを知っているためだろう、胸を押さえたクロが額に青筋を立て始めた。

 

 「悪魔の実の能力者か。おれの計画を、邪魔しようって腹だな」

 「ウソップは傷つけさせない。私が相手だよ」

 「チィ、こんな日に限って妙な奴らが。おいジャンゴ! てめぇら何をやっている!」

 

 クロの鋭い声を受けてジャンゴの体が震えた。

 反応したのは彼だけでなく、背後で佇む海賊たちもだ。

 キャプテン・クロの恐ろしさは嫌というほど知っている。身のこなしと足の速さだけで海軍の軍艦一隻を無力化した出来事も嘘ではない。そのため一睨みされただけで平静が保てなくなる。自らの命が危ないと知って表情を変える者ばかりだった。

 眼鏡越しに、クロの厳しい視線はかつての仲間たちへ向けられる。

 

 「この計画が頓挫したらどうなるかわかってるんだろうな? おれの三年間は無駄になり、この村の居場所を失くす。もしそうなったらてめぇら全員皆殺しだ」

 「あ、あぁ、わかってる。あんたに逆らう気はねぇって」

 「だったら今すぐ村へ行け! この小娘はおれが殺す」

 

 クロに睨まれ、表情を引き締め直したシルクが緊張感を見せる。

 強い相手であることはわかる。ただ今は自分の力を試してみたいという欲求が強く、退く気もなければ他の誰かに渡す気もない。自分だけで倒したかった。

 シルクとクロが対峙したことを知り、ジャンゴを先頭に海賊たちが動き出そうとする。

 動くなと言ったシルクは彼らへの注意を怠っているはず。背を向けてクロとのみ対峙しているのが良い証拠。今なら、彼女が設けた境界線を越えるのも容易い。

 その隙に動き出そうとしたら、一歩を踏み出しかけたジャンゴの足元へ、一枚の紙が突き刺さる。硬い地面へ食い込んだそれに驚き、視線の先を変えれば微笑みを称えるキリ。その様子は先程のシルクと寸分違わず、まだ状況が変化した訳ではなさそうだった。

 

 「その線、越えるなって言われたはずでしょ? 動かないのをお勧めするけど」

 「フン、どうせ動かなければ死ぬんだ。おれたちに選択肢なんてない」

 「それもそうだね。仲間だったはずなのに」

 「向こうはそう思っちゃいねぇよ。おれたちゃ自分の命を守るために計画を遂行しなきゃならねぇってことだ」

 

 くるりと振り向いたジャンゴは仲間たちに向き直る。

 何をするのかとキリが見ていれば、チャクラムを揺らして仲間たちに催眠をかけるつもりらしい。敢えて止めようともせずにそれを見守った。

 

 「いいかおまえら、この輪をよぉく見ろ。そしておれの言葉を聞け。おまえたちは普段以上に強くなり、後から後から力が沸いてきて、怖い物なんて何も無くなる。目の前のガキどもを始末して、村へ入って騒ぎを起こし、お嬢様を殺すんだ」

 

 海賊たちの顔がとろんと力の無い物に変わっていく。それを確認してジャンゴは吠えた。

 

 「ワン、ツー、ジャンゴォ!」

 

 叫んだ途端、様子が変わった。

 海賊たちの体は見た目からして変化が起こり、表情は険しく、血気盛んに叫んで、まるで音でも立ちそうなほどに筋肉が隆起していった。誰もがそんな調子で雄々しい姿。怖い物など何もないとばかりに武器を振り上げ、坂の上を目指して走り出した。

 シルクはクロから目が離せない。気付いていても止められなかった。

 そのため彼女へ接近される前にキリが動き出し、道の中央へ立つと懐から紙を取り出す。

 バサバサと無数に出てくるそれらは軽やかに集まり、手の中で武器となった。湾曲する鋭利な刀身を持つ、長大な鎌。両手で持って体ごと回転しながら攻撃を繰り出す。するとたったそれだけで、向かってくる海賊たちが一斉に切り裂かれ、衝撃から数人の体が簡単に宙を舞った。

 回転が止まった時、海賊たちは血を流して倒れている。

 状況はいとも容易く変わった。

 催眠術にかかっていたはずなのにすっかり恐怖心に囚われてしまったらしい。全員がキリの笑顔を見ただけで肩をびくつかせるほど、たった一撃で明確な差を教えられた。

 勝ち目などない。

 そう思わされたところで前には進めそうにないのだと知る。

 

 「いいから大人しくしてなよ。今すぐ死にたくないならね」

 「うっ……こ、このガキっ」

 

 再び道が塞がれ、催眠術もどこへやら、一同は動けなくなってしまう。

 これではいかんと動き出したのはジャンゴであった。

 怯んで下がってしまった仲間の一人を捕まえ、右手側の崖まで連れて行くと荒々しく言う。そちらはゾロもシルクも離れてしまい、ちょうど手薄となった場所だ。

 

 「おい、手を貸せ!」

 「ジャンゴ船長、一体何を……」

 「おれを上へ飛ばすんだよ! 急げ! こうなりゃ一人でも行かなきゃならねぇだろ!」

 

 両手を組んだ上に足を乗せ、ジャンゴが持ち上げてもらって崖の上へと上る。今なら場が混乱して止める者が居ない。迂回して森へ入ればなんとか突破できそうだ。

 苦渋の決断。こうなれば単独でもやり遂げなければ。

 止める手もなく、決死の覚悟でジャンゴが走り、それを見るキリはわずかに逡巡する。

 

 「チクショー、こうなりゃおれ一人でも辿り着かねぇと!」

 「あ、まずいな。あんな所から」

 

 一瞬追おうかと思ったキリだったが、それこそ彼がその場を離れれば海賊たちへの抑止力が無くなり、敵の侵攻を許してしまうこととなる。シルク一人で片付けるには厳しい。彼女はこれからクロの相手で手一杯になりそうだ。

 追うか追うまいか、一瞬の逡巡。

 ジャンゴの姿があっという間に森の中へ消えてしまう。

 答えを出したのは駆け出したウソップだった。

 

 「キリ、おれに任せろ! おれが止める!」

 「ウソップ」

 「あいつ一人くらいならなんとかしてやる……! 全部おまえらにおんぶにだっこじゃ締まらねぇだろ!」

 

 クロの注意が逸れたことをきっかけに、坂道を横断して反対側へと移り、ウソップはジャンゴを追って森の中へ駆け込んでいく。

 迷いはないらしい。不安そうな顔を見せていた時とは違って頼もしい姿だ。

 威勢の良い声にキリは敢えて動かず、満面の笑みを浮かべて、去り行く背に声をかけた。

 

 「よし、任せた!」

 「おぉし!」

 

 ウソップの足は存外速く、ルフィにも負けていないだろう。あっという間に木々の間をすり抜けて行ってしまった。その姿が見えなくなるまでそう時間はかからない。

 反対に彼がジャンゴの姿を見つけるのは早かった。

 土地勘がある者とない者、駆ける態度にも違いはあって、ウソップの足に迷いはない。

 ただなんとなくで走るジャンゴと違い、子供の頃から村の周りを探検していた。成長してウソップ海賊団を結成し、その範囲はさらに広くなる。昨日今日来たばかりの新参者とはあまりにも知識が違い過ぎるのだ。この島に関して知らない場所など一つも無い。

 この場においては圧倒的な有利があると言えるだろう。

 早くもジャンゴの姿を射程範囲に捉えたウソップは、走りながら大声を出した。

 

 「そこまでだ催眠術師! 村には行かせねぇぞ!」

 「チッ、例のガキか。面倒事を増やしやがって」

 

 速度を緩めて背後を確認し、ジャンゴは懐からチャクラムを取り出す。

 如何なる相手であっても催眠にかかれば大した相手ではない。しばらく眠ってもらえればそれで十分。たった一人、しかも能力者でもないただの村人だ。

 警戒するほどではなく、立ち止まって体ごと振り返った。

 

 「言っとくが、おれを舐め過ぎてるんじゃねぇか? 腐っても海賊、クロの野郎にゃ敵わねぇがこんな村でぬくぬく育ったおまえにやられるほど、弱いつもりはねぇんだよ」

 「へっ、そう言ってられるのも今の内だぜ……」

 「なにぃ?」

 

 逃げずに迎撃するつもりらしい。

 それを知ってウソップも慌てて足を止め、密かに攻撃準備をしつつ、厳しい視線を向ける。

 距離はいまだ二十メートルほど離れたまま。

 動きを止めた二人は距離を置いた状態で対峙し、やがてウソップが自信満々に語り出す。勝算あり。彼について深く知らずとも、その意志が如実に伝わってくるほど分かり易い表情だった。

 

 「おまえは知らねぇかもしらねぇがな、おれたちが何の準備もしなかったと思うか? 森に入られることも考慮済み! この辺りにゃすでに罠を仕掛けてあるんだ!」

 「な、なんだとォ!?」

 「さぁてどこにあるかわかるかなぁ? 下手に動くんじゃねぞ、足が無くなっちまうぜ」

 「くっ、こ、このガキ、なんつー真似を……!」

 「はーっはっはっは! 知ってるか? 海賊に卑怯なんて言葉は通用しねぇんだ!」

 

 当然、嘘である。

 得意のホラ話で敵の動揺を誘えば、ジャンゴは疑う素振りもなく驚愕を露わにする。足が無くなるほどの罠とはなんだろうと真剣に考え始め、きょろきょろ辺りを見回す始末だ。

 本物の海賊と言っても存外騙され易いらしい。そういえばさっきの嘘も彼だけ反応していた。

 反応が良ければ舌に脂が乗ってくるというもの。

 好都合とばかり、ウソップはさらに続ける。

 

 「しかもだ、この辺りには毒蛇や毒蜘蛛が生息してる。ちゃんと下も見てねぇと噛まれて毒が回っちまうから注意しろよ」

 「なんだとっ。くそ、クロからそんな話は――」

 「今だ、必殺! 鉛星!」

 「うごぉ!?」

 

 ジャンゴが足元を見た途端、ウソップが放った鉛玉が見事に腹へ当たり、激しく悶絶する。ピストルで撃たれるよりよっぽどマシだが痛さは相当だ。

 たたらを踏んで転びかけ、腹を押さえた彼は急ぎ顔を上げる。

 しかし先程まで立っていた場所に彼の姿はなかった。

 

 「うぐぐっ、おのれクソガキめ、どこへ行きやがった……」

 

 辺りは静かな森。

 風が草木を揺らすものの音はない。

 ウソップの姿は簡単には見つからず、思わず歯噛みした。そんな瞬間に左からガサッと一際大きな物音が聞こえ、草むらが揺れたことに反応する。

 振り向きざまにチャクラムが投げられた。

 糸をつければ催眠をかけるための道具でも、それ単体では敵を切り裂く円形の刃。

 見事な腕前で真っ直ぐ飛び、草むらを突き抜けて向こう側へ進む。だが悲鳴は聞こえず。ただ単に石か何かが投げられただけのようで、そこにウソップの姿はない。

 代わりに背面から声が聞こえて、同時に攻撃がやってきた。

 

 「鉛星ィ!」

 「うごはぁっ!?」

 

 今度は背中。思い切り殴られたような衝撃が体を駆け抜けて倒れ込む。

 勢いよく転び、悔しく思わずにはいられない。

 ジャンゴはすぐに立ち上がるが相変わらず敵の姿さえ見つけられていない状況。頭に血が昇って、不必要なほど体に力が入っていることを自覚できなかった。

 敵の姿は見えない。これでは催眠術にかけるどころか、チャクラムを投げるのも不可能。

 完全に敵の掌の上だった。

 海賊ですらないただの村人。しかも歳は彼よりも遥かに下の少年。

 素人に負かされるのが我慢ならず、さらに冷静さを失いかけそうな状況である。だがそんな最中、長年の経験故か、彼はピンと閃いた。

 

 「そうだ、てめぇはついさっきおれに嘘をつきやがった。つまり今度も嘘の可能性が高いな。本当は罠もなければ毒蛇も毒蜘蛛もいねぇ、そうだろう?」

 「げぇっ!? バレた!?」

 「そこかァ!」

 

 ジャンゴが呟くと、反応してしまったウソップが草むらから立ち上がり、姿を見せてしまう。それを素早く見つけてジャンゴは自身の右手側へと駆け出した。

 両手にはチャクラム。

 投げつけて始末するのも良いがあいにくと今しがた舐められたばかり。

 直接決着をつけるべきだと考え、彼は真っ直ぐにウソップ目掛けて走って行った。

 

 「ハッ、バカめ! 嘘がバレたくらいで顔を出すとはな!」

 「あぁぁ~っ、またバレたって言っちまった! おのれ策士め!」

 「もう逃がさねぇぞ小僧! 海賊に盾突いてどうなるかわかってるんだろうなぁ!」

 「ぎゃああ~!? ま、待ってくれ、命だけはぁ!」

 

 両手を上げて叫ぶウソップは慌てて後ろへ逃げるも、ジャンゴは止まらない。逃げるウソップと追うジャンゴの構図となった。さっきまで彼が隠れていた草むらを飛び越え、両者の距離はほんのわずかに埋まっておよそ十メートル。

 そんな状況で、ジャンゴが着地するまさにその瞬間、不意にウソップがほくそ笑んだ。

 地面に勢いよく両足をつけた彼は、表情もそのままに血相を変えて、全身をぶるりと震わせるのである。理由がわからないがなぜか両足の裏から鋭い痛みが走り、無視できずに声が漏れた。

 

 「んんっ!?」

 「なぁんてな」

 

 上手くかかったとウソップが笑う。

 ジャンゴは自らジャンプしたことで、強くまきびしを踏みつけてしまい、足の裏に突き刺さったそれが途方もなく痛く、なぜか笑えてくるほど。直後に彼は耐え切れず大きく跳び上がった。

 嘘と逃げ気と的確な狙撃。それが自身の武器だとウソップは初めて理解した。

 本物の海賊と渡り合える。

 この瞬間に自信さえ持てたようで、流れるような動作でポケットから新しい弾を取り出す。

 間抜けな姿で飛び跳ねるジャンゴをしっかり見据えて、再びパチンコが構えられた。

 

 「嘘でおれに勝てるなんて思うなよ。くらえ催眠術師!」

 「おおぉ……くっ、クソガキめ! 舐めるなァ!」

 

 痛みを堪えながらもジャンゴが両手のチャクラムを投げた。

 慣れが伺える仕草からは技巧さが見え、鋭利なカーブを描いて向かってくる。

 ただこの時、ウソップは驚くほど冷静だった。普段の優柔不断さや臆病さが全くもって消えており、アドレナリンが出ているせいか、はたまた別の原因か、慌てることなく判断する。

 飛来するチャクラムを理解しながら逃げず、横っ飛びで姿勢を崩し、それでもジャンゴから目を離さない。構えられたパチンコは片時も狙いを外さずに、ぴたりとジャンゴを見据えている。それでいて慌てずにチャンスの一瞬を待っていた。

 飛んできたチャクラムが彼の体を掠る。

 右頬と左の脇腹。どちらもわずかに掠って切り裂いていく。

 それらを持ってしてもウソップは止められない。

 選んだ弾丸は特別な物。試しに作って、危険だろうと今日まで使ったことはない。

 それを今、気合いを込めて放つ。

 

 「必殺! 火薬星!」

 「ぐぼふぁあっ!?」

 

 着弾したのは顔面だった。激突した途端に小さな爆発を起こした弾丸は、致死性がないとはいえ相当な衝撃をジャンゴに与え、たった一発で意識を刈り取る。

 先にウソップが地面へ落ち、次いでジャンゴがゆっくり倒れた。

 見た目の派手さとは裏腹に思いのほか軽傷らしい。

 気絶したジャンゴの顔にはわずかな火傷はあるものの、そう顔が崩れている訳でもなかった。

 存命は確実。

 倒れたまま彼を見たウソップは大きく息を乱し、興奮した面持ちだ。

 

 「ハァ、ハァ……か、勝ったのか?」

 

 自分でも信じられずに呆然としたまま呟いた。

 本物の海賊。殺す気で戦っていた彼が倒れているのだ。

 それをやったのが自分とあってそう簡単に信じられずに、我を忘れて見つめること数秒。

 時間をかけてようやく自分がやったのだと理解できて、ウソップの顔に笑みが戻った。

 膝立ちになって拳を握り、自然と体が震え始め、全身に漲る衝動に逆らえなくなる。

 

 「よっ……よっしゃ~! 見たかこの野郎ッ! おれだってなぁ、本物の海賊になったんだ! やるときゃやるんだ、こんちくしょーっ!」

 

 体が熱くなって思わず叫んでいた。今までこれほど興奮したことはないし、かつてないほどに緊張して、同時に自分はやったのだという充実感に包まれている。

 もう遊びではない。本当の命の駆け引きを行った。

 今になって切れた頬と脇腹が痛み出すものの、どうでもいいとさえ思ってしまう。

 自分はやっと本物の海賊になったのだ。

 そんな自覚が生まれてきて、雄たけびは生まれて初めての喜びを噛みしめるための物。自身を子供の頃から夢見た海賊なのだと称し、溢れ出す喜びに衝動は止まらなかった。

 


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