ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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海賊の襲来

 蹴破られるような勢いで扉が開けられ、店内に一人の男が飛び込んできた。

 食事を終えて一息ついていた二人の少年はいち早くそちらを向き、次いでシルクの祖母がそちらを見る。やけに大きな物音だった。流石に無視することはできない。

 慌てた様子の男は汗を滴らせながら言う。

 

 「た、大変だ! 海賊が来たぞォ!」

 「海賊?」

 

 真っ先に呟いたのはルフィだ。お茶が入ったコップをテーブルへ置き、小首をかしげる。

 突然の事態であったがさほど驚く様子もなく、好奇心だけが露わになっていた。しかし男には彼らを気にする余裕すらない。振り返ったシルクの祖母しか見えていないようだ。

 慌てふためいたまま彼女へ言葉をかける。

 

 「セツヨさん、あんたも町の奥へ逃げてくれ。ここに居ると危ないかもしれねぇ」

 「本当かい? 海賊なんて、もう何年も現れなかったじゃないか」

 「確かだ。もうこの町まで近付いてきてる。もう他のみんなも逃げ始めてるぞ」

 「やだねぇ、せっかく平和な毎日が続いてたのに」

 

 セツヨ、と呼ばれたシルクの祖母はキッチンを出て出口へ歩き始める。腰に手を当ててゆっくりとした歩調。歳を考えたところでさほど慌てている様子には見えなかった。

 彼女を見送るようにじっと見ていた二人は動かず、相変わらず椅子に座って気楽な表情。

 気付いたのは男の方で、知らない顔だと理解しつつも慌てて声をかける。

 

 なぜ逃げないのか。そう思うのは当然だった。

 落ち着く二人は焦る男を冷静に見やり、いまだに茶など啜っている。

 

 「あんたら何落ち着いてるんだ。海賊が来てるんだぞ、早く逃げないと」

 「そういやおれ、海賊ってあんまり見た事ねぇな。ずっと山の中に居たし。シャンクスと、ブルージャムと……あと誰かいたっけ?」

 「ルフィ。まさかとは思うけど」

 「なぁキリ、ちょっと見に行こうぜ。どんな海賊が居るのか知りてぇしよ」

 「やっぱりそうなったか」

 

 焦る男など一切気にせず、からからと笑うルフィを見てキリが溜息をついた。

 想像はできていた。そのせいで驚きはなく、至って冷静に相手をできる。放置される形となった男はあんぐりと口を大開にそんな彼らを見るばかりだ。

 

 「別にいいけど、そんなに面白い物じゃないと思うよ。ここらの海じゃ大物も居ないだろうし」

 「それでもいいよ。おれあんまり海賊見たことねぇしさ」

 「それでよく海賊やろうと思ったね」

 「好きだからな。港に行けば会えるんだろ?」

 「ハァ、わかったわかった。どうせ急ぐ旅でもないし、まぁそれくらいは」

 「うし。じゃあ行こう」

 「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

 

 ようやく席を立った彼らに対し、町民の男は出口を塞ぐように立って声を荒げる。

 何をする気だというのか。話を聞いているだけで背筋を汗が流れ、よからぬことを考えているらしい二人を見過ごしておくわけにはいかない。

 おそらく好奇心だけで海賊を見に行こうとしている。

 

 そもそも彼らが町民でないことは一目でわかったのだ。信用できるはずもなく、今になって不安が膨れ上がり、声をかけずにはいられなかった。

 

 「あんたたち、何するつもりなんだ。海賊が来てるんだぞ? どこの誰だか知らないけど、逃げた方がいいんだって。みんな避難してるからそこに――」

 「おれはいいや。別に怖くねぇし」

 「こ、怖くないって、相手は海賊で……!」

 「それにおれたちも海賊だから」

 

 ルフィが笑顔でそう言った。すると男は言葉を失い、呆気に取られてまた大口を開ける。

 彼の発言を受け止められなかったのだろう。意味が分からないと百面相が繰り返され、口を開閉させるのみで何も言えない。動きもすっかり止まっていた。

 

 その間にもルフィとキリは歩き出し、立ち尽くす男の傍を通り抜けようとする。

 ハッと我に返り、両手を伸ばして彼らを止めた。

 訳が分からずとも黙って行かせる訳にはいかず、行ってもただ死ぬだけ、問題を大きくされては堪らないと必死の形相で彼らへ語り掛ける。

 

 「ま、待て! だから行くんじゃねぇ!」

 「なんだよ、いいだろ別に」

 「忠告はありがたいけど、この人多分聞かないよ」

 「か、海賊って、本当なのか? おれたちの町にいつの間にか海賊が?」

 「ほんとだぞ。まだ二人しかいねぇけどな」

 

 気楽に笑うルフィは腰に手を当てて仁王立ち。まるで恐怖心を見せなかった。

 海賊が怖くないのか。

 静かに心中で思うが問えるだけの余裕はなかった。焦りに加えて驚愕が交じり、何を言うべきなのかさえわからずに、隣を通り過ぎていく二人を止められない。

 

 二人は出入り口となる扉の前に立った。しかしそこで、立ち塞がるセツヨに止められる。

 曲がった背もそのままに目を見つめられ、足を止めた二人はふと表情を引き締める。

 

 「私は止めないよ。あんたたちが海賊だって話も信じるし、行きたければいけばいい」

 「うん。そうする」

 「でもね。一つだけ、頼まれてくれないかい?」

 

 わずかに頭を下げられた。

 

 「あの子を……シルクを守ってやって欲しいんだよ」

 

 視線を床に落としたまま、セツヨが言う。

 目を見ずに聞いているだけでも声色の変化がわかる。ただやさしそうだった先程とは違って、己の家族を心配する、どこか心細そうな声だった。

 ルフィとキリは静かに紡がれるその言葉を邪魔できず、じっと佇んだまま耳にする。

 

 「あの子は昔から無茶ばかりする子でねぇ。確かにそこいらの男の子と喧嘩しても負けないけど、今回の相手は海賊。きっとあの子はまた無茶をする。だからお願いだよ。少しだけでいい、あの子が怪我をしないように見守ってやっておくれ」

 

 深々と頭を下げる彼女を見つめ、ふとルフィがキリを振り返った。

 それだけで彼は納得したようにくすりと笑う。

 

 「お代をチャラにしてもらった貸しがあるから」

 「しっしっし、そうだな。わかったばあちゃん。おれたちに任せろ」

 

 そう言われてセツヨが顔を上げる。

 二人は邪気もなく笑っていて、それが妙に印象に残った。

 子供っぽいと言うべきか、あまりに警戒心が無さ過ぎて心配になるほど。

 セツヨは密かに、とても海賊には思えないと改めて考えた。

 

 「シルクはいい奴だからな。おれたちを助けてくれたし、メシもうまかったし、約束する。シルクもあいつの宝もおれたちが守るよ」

 「そうかい。そう言ってくれると助かるよ」

 

 嬉しげに笑ったセツヨは再び頭を下げる。

 深々と丁寧に。そんな些細な仕草からも高揚が見えるようだった。

 

 「私が行っても邪魔になるだろうから、先に避難しておくよ。あの子をよろしくね」

 「ししし、ああ」

 「じゃあ行こうか。港に行けば見れるんだよね」

 

 歩き出した二人は扉から外へ出て、キリの先導で歩き出す。

 去り際はなんともあっさりしたものだ。

 呆気に取られたままでようやく動き出せた男は、妙に肩の力が抜けているセツヨへ恐る恐る声をかける。彼らのことがまるで理解できなかった。

 

 「せ、セツヨさん、いいのかあいつら……海賊が来てるってのに、なんで」

 「大丈夫だよ、あの子たちは。シルクのことも任せられる気がしてね」

 

 気負いもせずに言いのけて、歩き出したセツヨも外へ出ていった。

 状況を理解できているか否かは定かでないものの、慌てて男も外へ出る。

 

 町には高い鐘の音が鳴り響いていた。

 港へ建てられたやぐらとそこに置かれた警鐘が鳴らされているのである。つまりそれは海岸線に船が見えたということ。町を襲う可能性がある海賊船の襲来だ。

 心配そうな表情を浮かべる町民たちの一部が港へ集まっている。

 日頃来訪者がない島であり、海軍が訪れることもない。従って敵襲への備えなど一切なかった。

 

 襲われでもしたらひとたまりもないと誰もが顔を青ざめさせている。

 鐘の音を耳にして町民たちが島の奥へ避難する中、大人の男たちが水平線を眺める。やぐらの上で確認した海賊旗は髑髏と三日月のマーク。手配書の束を調べれば相手が誰なのかすぐにわかる、非常にユニークなマークだった。

 町長を中心とした男たちは焦った様子で言葉を交わしていた。

 

 「見ろ、こいつだ。三日月のギャリー。懸賞金は……五百万ベリーっ」

 「そんな大物が、どうしてこの町に……!」

 

 見つけた手配書に戦々恐々とする一同は狼狽し、声を大きくし始める。

 船はまだ彼方。しかし到着など時間の問題だろう。猶予は一時間と残されていない。

 自分たちはどうするべきなのだと、町長を囲んで話を続ける。しかし本物の海賊を前にすっかり怯えた彼らは一向に良い解決策を見いだせない。どれだけ会話を続けても同じことの繰り返し。

 話は全く進む気配がなかった。

 

 「どうする。避難したところで、町を破壊されるかもしれん」

 「金を払って見逃してもらった方がいいんじゃないか。今からかき集めたところでそんな大金はないかもしれんが、他に方法はないぞ……」

 「だが海賊に払う金なんてっ」

 「だったらどうするって言うんだ。おれたちが他に生き残る方法は――」

 

 大の大人が話し合っていたそこへ、大きな声が割り込んだ。

 

 「戦えばいいのよ!」

 

 自信満々な声に驚いて振り返った彼らの目に、剣を持って佇むシルクの姿が入った。

 笑顔を浮かべ、左手で鞘を持って右手はすでに柄へ伸びている。外見はやる気満々といった様相、妙に得意げな姿だと思え、町民にとっては見慣れた姿。

 

 なぜか全員の顔色は優れない。

 皆が一斉に肩を落とし、俯いて、重苦しい溜息を吐いた。

 言わばこれがいつもの光景。何一つ驚くことがないこの町の当たり前だった。

 

 「なんだ、シルクか」

 「おまえは引っ込んでろ」

 「セツヨさんといっしょに町の奥へ避難しとけ」

 「ちょっと! 無視しないでよ!」

 

 その場に居る全員がおざなりな態度である。

 あっさり背を向けられてしまったシルクは肩を怒らせ、さらに声を大きくした。

 

 「相手は海賊なんだよ。その場しのぎでお金だけ払って見逃してもらおうなんてダメ。この町を守りたいって気持ちがあるなら、武器を取って戦わなきゃ」

 「シルク、おまえは引っ込んでろ。おまえが出てくると小さな問題も大事になるんだ」

 「ここは大人に任せて、おまえはセツヨさんを守ってればいい」

 「じゃあみんなはいいの!? この町が海賊の手で汚されても!」

 

 真剣な顔と声でシルクが言った途端、また数々の溜息がつかれた。

 多くの言葉はない。けれどその態度が彼らの本心を語っている。

 

 想いは同じだということだろう。しかし彼女が言う提案は実行することが難しい。確かにそうできればどれほどいいだろうとは思うものの、武器を取って戦って、死者が出るのは町民の方だ。決して選んではいけない方法だと認識されている。

 誰もがそれを理解していのだ。

 代表として独特な髪型の町長がシルクの前へ進み出て答えた。

 

 「いいか、シルク。この町を守りたいと思うから我々は頭を使うんだ。私たちは海賊じゃない。それなりの解決方法がきっとあるはず」

 「もし相手が、話を聞いてくれなかったら?」

 「それでも武器を取ってはいけない。暴力で解決しようとすれば、必ず誰かが怪我をする。死んでしまう者が居るかもしれない。私は町長として、皆に傷ついて欲しくないんだ」

 

 町長の言葉に嘘はない。それがわかってシルクはぐっと唇を噛む。

 気遣いを感じたせいだろう。強く言えないのは心配されているとわかったせいだ。

 

 「シルク、おまえは海賊じゃないんだぞ。時には耐えなければならない状況がある」

 「でも、それでみんなが傷つくくらいなら」

 「いい加減にしろ。子供のわがままじゃないんだ。今はそんなこと言っていられない」

 

 一人の男がシルクと町長の間に割って入って言い始める。

 まだ遠いが船は着々と町に近付いていた。悠長に構えていられるのも今だけだ。

 男はすぐに町長に振り返り、シルクをそっちのけに話を続ける。

 

 「町長、やっぱり交渉すべきだ。戦ったって勝ち目がある訳ない」

 「だけど奴らに渡す金なんてないぞ」

 「持つ物を持って逃げた方がいいんじゃ……」

 「島から出るのは無理だ。船もなければ時間もない。逃げたところで追いつかれる」

 「うーん、しかし……」

 

 顔を突き合わせてまたも一同は考え始めた。

 一体いつになったらこの話し合いは終わるのか。

 大人はいつも慎重で口ばかり。ここぞという時は決まって即座に動き出せない。

 今まで何度こんなことを繰り返してきた。その度にシルクは持ち前の行動力で解決しようとするのだが、いつも周りからは窘められるのみだった。

 

 納めたままの剣を強く握り締める。

 町を守りたい気持ちは同じはずなのに、なぜこうも食い違う。やりきれない想いは心の中に沈殿していて、きっかけ一つで爆発してしまいそうなほどとなっていた。

 そんな頃に彼らがやってきたのである。

 

 「お、シルクじゃねぇか」

 

 ついさっきまで耳にしていた声に振り返れば、ルフィとキリが近くまで歩いてきていた。

 なぜここに来たのだろう。

 そう思うより先に驚きが心を埋め尽くして、ぽかんと口を開いて立ち尽くしてしまう。

 

 「ルフィと、キリ? どうしてここに……」

 「海賊見に来たんだ。なぁ、海賊居たか?」

 「あれじゃないかな。海に居るよ」

 「ほんとか? どれだ?」

 

 シルクの隣に立ったルフィは目を凝らして海を眺め、その隣にキリが立つ。

 まるで危機感のない姿。好奇心を露わにする彼らに周囲の町民たちは目を大きくさせ、この場に合わない声色に動揺を隠せない表情となった。

 当の本人はそんな周囲の状況など一切気にせず、あくまでもマイペースを貫く。

 海賊船を見つけたルフィがますます目の輝きを強めていた。

 

 「おぉ~、でっけぇ船だなぁ。おれたちもあんなの欲しいな」

 「金がないから無理だよ。航海できたとしてもまだしばらくは小舟かな」

 「まぁいいや。すぐに見つかるよ、おれたちの船」

 「楽観的だなぁ。どこからその自信が来るんだか」

 

 目の前の海賊船を見て、尚も一切慌てない二人はあまりに異質。

 周囲の視線は痛いほど彼らに突き刺さった。

 

 「シルク。こいつらはおまえが拾ってきた……」

 「例の漂流者か。どうしてこんなところに居るんだ」

 「おまえたち遊びじゃないんだぞ。海賊が来てるんだ、早く逃げなさい」

 「あ、お構いなく」

 

 海賊船に興味津々のルフィではなく、キリが手を振りながら答えた。どうやら逃げる気は皆無らしい。それどころか真面目に話を聞く素振りすらなさそうだ。

 厄介な少年たちだと思うのは極々自然なこと。

 眉間に皺を寄せる者も少なくはなくて、顔を見合わせる者も複数居た。

 

 「いや、お構いなくって……」

 「そんなこと言ってる場合じゃなくてだな」

 「あのさルフィ。見るのはいいけど、ここで見たからってどうするのさ」

 「ん? ただ見たかっただけだぞ」

 「つまり何をするわけでもないってことだね」

 

 困惑する町民たちもそっちのけに、彼らだけはのんきな態度を変えようとしなかった。

 しばし困り果てていた一同だが、ある時ふとシルクが気付く。

 

 彼らは海賊。自分でそう名乗ったのだ。

 自分が町民だから戦ってはいけないと言うならば、敵と同じ海賊の彼らなら。

 意を決したシルクはルフィの前へ立ち、真ん丸な彼の目を見つめながら言った。

 

 「ねぇルフィ、お願いがあるの」

 「なんだ?」

 「私と一緒にあいつらと戦って。この町を守りたいの」

 「なっ!? 何を言い出すんだシルク!」

 

 驚く人々とは対照的に、すでに覚悟は決まったようだ。

 振り返ったシルクは見知った顔を眺めながら力強く言い切る。

 

 「この町を守るためならなんでもやるよ。戦っちゃいけないって言うなら、私、海賊になる! ルフィたちの仲間になってあいつらを追い返してやるから!」

 「バカを言うんじゃない! 海賊と戦うために海賊になるなんて、どうやったらそんな発想になるんだ! この町のことを考えるなら、もう少し大人になれ――!」

 「あっはっは! それおもしれぇなぁ」

 

 肩を怒らせて叫び始めた町長の言葉が遮られる。

 腹を抱え、背を反らして大声で笑っていたのはルフィだった。

 

 ただでさえ物々しい空気に包まれていた辺りは妙な空気に呑み込まれる。原因は間違いなく、突如として現れてこの空気を笑い飛ばした至って普通な一人の少年。

 麦わら帽子に手をやった彼は、笑顔でシルクを見つめて堂々と答える。

 

 「いいぞシルク。おまえはおれの仲間だ。いっしょにあいつらぶっ飛ばそうぜ」

 「バカなっ! 君、自分が何を言ってるのかわかっているのか! シルクは普通の女の子だぞ、海賊と戦うなんてできるはずがない!」

 「言っても無駄だと思いますよ」

 

 向かい合うルフィとシルクの傍を離れ、静かにキリは怒りを発する町長の前へ立つ。

 力の抜けた笑みで隙だらけな立ち姿。ひどく緩い雰囲気を纏う少年だ。

 こちらを見てもルフィとはまた違った印象を受けて、やはり今の状況にそぐわないのだと思う。彼らはなぜ恐怖心を抱いていないのだろうか。

 

 思い通りにいかないせいか、町長は悔しげに歯噛みする。

 その彼にキリが穏やかな声で告げた。

 

 「彼も海賊なんで」

 「な、なにっ?」

 「と言ってもまだ船出したばかりですけど、わがままさじゃそこらの海賊だって及ばない。一度言い出したらここで何を言おうが聞かないと思いますけどね」

 「しかし、シルクはこの町の一員だぞ。巻き込む訳にはいかん。もし何かがあったら――」

 「“何か”がなければいいんでしょ?」

 

 キリはほくそ笑む。対して、町長はぐっと言葉を吐き出せなくなった。

 緩い笑顔だというのにこの感覚はなんなのだろう。

 言い知れぬ感覚に囚われた彼は二の句を告げられず、もやもやとした感情を胸中に宿したまま、自然とキリの発言を受け止めることになった。

 

 「心配する気持ちはわかりますけどね。多分シルクも言って聞くタイプじゃないでしょう。それこそ本気で止めたいなら縄で縛りでもした方が早い」

 「あの子は何も悪いことをしていないんだぞ。なぜそんな必要がある」

 「ふぅ、わがままなのはみんな同じだなぁ。敵がすぐそこまで迫ってるのに解決策も見つけられずにただここに立ち尽くして怯えてるだけ。無謀な少女を止めようって割には無理やりこの場から遠ざける訳でもなく、言いくるめられる訳でもない。それじゃどっちつかずってもんだ」

 「おいおまえ! 何知った口利いてやがる! 部外者は引っ込んでてくれ!」

 

 キリの発言に怒った誰かが大声で叫んだ。表情を変えずに彼はそちらへ向き、怒った様子など皆無、至って冷静にその誰かへと声をかける。

 

 「ここにボクらが居ようが居まいが、あなた方の対応だとシルクは死にますよ。説得も聞かなそうだし、縛り付けもしないなら、一人でもここに戻ってきて海賊と戦おうとする。今日初めて会ったボクでもわかるんだから、みんなもわかってるんでしょう?」

 「それは、そうだが……」

 「戦わないなら引きずってでも連れて逃げた方が良かったと思いますよ。それができなかったから彼女はあんなこと言い出した」

 「しかし我々の町だぞ! おめおめ引き下がって海賊の好きにされるというのは……」

 「だったら戦えばいい」

 「戦って勝てる相手ではない。我々は、武器を握ったことさえないんだぞ」

 「じゃあ逃げればいいでしょう」

 「おい! 適当なことを言うな! それじゃあおれたちはどうすればいいって言うんだ!」

 「さぁ? そんなことボクに聞かれても」

 

 どう聞いていても真面目に相手しているとは思えない発言である。煙に巻かれているのか、或いは適当に受け流されているだけか。どちらにしても良い気分はしない。

 町民たちは一斉に怒りを表し始めるがキリはさほど相手にせず。

 彼らを見ながらもルフィたちの傍へ歩み寄ろうとしていて、笑みは少しも変わらなかった。

 

 「選ぶ権利も力もあってそれをしないのはただの怠惰だ。シルクに説教する暇があるなら、たまには彼女を見習って、どう行動するか自分で決めたらどうですか」

 

 一方的に言葉をぶつけてあっさり背を向けられる。

 侮辱とも思える態度と発言。怒りに囚われる彼らだが相手が離れてしまったことで何も言い返せず、状況を理解しないままに好き勝手のたまう彼を見つめるばかり。

 町民から離れたキリはルフィの傍へ戻り、シルクと合わせて彼を見る。

 

 「船長、命令は?」

 「戦うぞ。シルクもお宝も守ってやるってばあちゃんと約束したんだ。それに本物の海賊がどれくらい強ぇか試してぇしな」

 「了解。じゃあ準備して待ってようか」

 

 彼らはすっかり戦うつもりのようで、逃げる素振りなど微塵も見当たらない。

 しばらく町民たちは動けずにいたが三人に振り返られて反応する。

 戸惑った表情と迷い。俯く誰もが押し黙っていた。

 

 「町民のみなさんは?」

 「みんな。私のことは気にしなくていいから、早く逃げて。ルフィたちに手伝ってもらえばきっとなんとかなる。私がこの町を守るから」

 

 シルクの真っ直ぐな目を見た後では尚更何も言えなくなった様子。町民たちはどうすることもできずに立ち尽くしたまま、問いかけたキリに言い返すこともない。

 

 ルフィはそんな彼らをじっと見つめていた。

 何を考えているのか、その顔を見ても想像することは簡単ではない。しかしある時急に彼らの間を縫うように歩き出して港へ赴き、背後の町民たちへ声をかけた。

 目は前方の大海原だけを見ている。必然的に町民たちが目にするのは背中だけであった。

 

 「おまえら早く逃げた方がいいぞ。おれ弱ぇ奴守るつもりなんてねぇし」

 「お、おい、おまえら……」

 「どんな奴らなんだろうなぁ。強ぇのかな?」

 

 その背はすっかり町民たちへの興味を失っていて、すでに眼中にない様子。今や徐々に近づいて来る海賊船を見つめるのに忙しそうだった。

 

 かける言葉が見つからず、困り果てた彼らは誰ともなく顔を見合わせ、何を言うでもなくとぼとぼ歩き出す。おそらく町の奥へ避難するのだろう。通りを歩けば当然シルクの傍を通り過ぎるのだが何も言えないまま、皆が戸惑いを隠せずに歩き去った。

 通り過ぎる際、町長だけがただ一言。すまないと呟いた。

 

 去っていく彼らに目を向けることなく、あくまでもシルクは決意を持って海を眺める。或いは、町へやってくる海賊船から目を離さなかった。

 隣に立つキリも同じ方向を見ながら口を開く。

 

 「気持ちはわからないでもないよ。平穏無事な毎日が続いてたんだろうしね」

 「うん」

 「だけど、逃げもせずに突っ立ってたことは理解できないかな。建物は壊されてもまた作れる。人間はそうじゃないのにね」

 

 ぽつりと呟くキリが気になり、シルクがそちらへ顔を向ける。

 さほど変わったようには見えないものの少し寂しげな顔。わずかに、呆気に取られる。けれど彼自身はすぐにその色を隠してしまい、視線が合えばまた先程の笑みだった。

 

 「それよりさっきの発言大丈夫かな。ルフィの仲間だなんて言って」

 「え?」

 「意外としつこいからね。ボクはいいとしても、ひょっとしたらこの一件が終わった後、海賊として海に連れ出そうとするかもよ」

 「あっ、そういうこと」

 

 問われてシルクは考える。つい思い付きと勢いで言ってしまったのだ。自ら海賊になるなどと、今まで一度たりとも口にしたことがない言葉。

 後悔する訳ではないがなぜ言ってしまったのか。

 それだけ切羽詰まっていたとも言える。しかし一方で、まさかと思う部分もあって。

 顎に手を当てて考え込んでしまったシルクにキリが笑う。

 

 「ま、どうするか決めるのは終わってからでもいいよ。とりあえずこれから誰も死なないように頑張らなきゃいけないし。今はこっちに集中しよう」

 「あ、うん。そうだよね」

 

 歩き出したキリは港に立つルフィへと歩み寄って背に声をかける。

 

 「ルフィ、準備しよう。そんなとこ立ってたら狙撃されるよ」

 「ん? そうか? でもおれゴムだからきかねぇぞ」

 「あぁ、なるほど。銃弾もだめなんだ。意外と強い能力っぽいよね、ゴムゴム」

 「しっしっし、そうだろ」

 「それはいいからこっち来なさい。ちょっと手伝って欲しいから」

 「わかった」

 

 敵が到着するまで時間もないだろうに準備とは何をするのか。

 考え事を中断して気にしていたシルクもまたキリに呼ばれ、彼らに続いて歩き出した。

 


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