ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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アーロンパーク編
Sweet Refrain


 目を覚ましたのは、昼頃のことだった。

 窓は締め切り、カーテンで日光を遮断して薄暗い部屋。どことなく寂しげな風景に見える一室で彼女は目覚め、ベッドの上で身を小さくし、しばらく動けないでいた。

 

 気怠い感じがして動き出せない。そうなっているのはなぜだろうと考えるが、近頃無気力になっている彼女にはそれだけで重労働で、すぐに心が折れて考えることさえできなくなってしまう。

 自分でも不調だと知っていた。

 けれど自分ではどうすることもできなくて、体には力も入らない。

 

 きっと彼らを裏切ってしまったからだ。

 自分自身を責める声があって、本当はそうしたくなかったという後悔が彼女を苛む。

 動きたくはないのだが、じっとしていれば嫌な考えで押し潰されそうになる。

 仕方なくナミは起き上がった。

 

 服も着替えずに部屋を出た。

 ココヤシ村の近くにある一軒家は村から少し離れた位置にあって、普段そこには彼女の姉、ノジコが一人で住んでいる。そこに身を寄せて数日が経過した。現在は家の中には居ないらしい。なぜかシルクの姿も見当たらなかった。

 ハーフパンツとタンクトップを身に纏い、左肩には白い包帯。

 夢遊病者のような足取りで歩くナミは二人を探し、何気なく家の外へと出た。

 

 「ノジコ、シルク……居ないの?」

 

 家の前に広がっているのはみかん畑。立派な木がずらりと並んでいた。

 眩しい光で目を細め、扉の前に立って辺りを見回す。

 

 もう昼時だ。昼食のためにどこかへ出て行ったのか、それとも畑で仕事中か。

 ぼーっと突っ立つナミは何を想うでもなくその景色を見ていた。

 懐かしい、八年前は違う人物が管理していたみかん畑。今はノジコが後を引き継いでいる。彼女が世界で一番好きなみかんが採れる畑は今日も元気そうだった。

 

 また少し物悲しい気持ちになって俯いてしまう。

 その時、木々の向こうから顔を出したシルクがナミに気付き、パッと笑顔を輝かせた。

 

 「あっ。おはようナミ。昨日はよく眠れた?」

 「シルク……」

 

 仕事を手伝っていたらしい。ノジコの服を借りて着替え、両手に軍手を嵌めて、手には収穫したみかんを一杯に詰めたバスケットを持っている。輝く笑顔で楽しそうだ。

 彼女の顔を見た瞬間、ナミはほっと安堵する。

 

 この数日間、混乱し切っていた彼女はシルクが居なければとても過ごせなかっただろう。最悪の可能性だってあった。今日まで無事で居られたのはシルクが傍で支えてくれたからに他ならない。

 取り乱す彼女を抱きしめ、眠れない時は傍で手を握ってやり、核心を突くでもなく何気ない会話を続けていた。その時のシルクの声はとてもやさしくて、母か姉か、そのどちらにも似ていてどちらとも違う様子。心が安らいだのを覚えている。

 

 シルクはバスケットを抱え、ナミの下まで歩いて来た。

 軍手を取るとすぐにそっと頬へ触れて、少し汗ばんだ手が熱く、ナミの体調を気にし始める。やはりやさしい。ふと肩の力が抜けて目を閉じたナミは、甘えるようにその手を受け入れる。

 

 「顔色、まだちょっと悪いかな。あんまり眠れなかった?」

 「ううん、ちゃんと眠れたよ」

 「そう? 辛いところ、ない?」

 「うん。大丈夫」

 「それならよかった」

 

 深く追及せずシルクがにっこり笑い、頬に添えた両手に力を入れて、きゅっとナミの頬を挟む。おどけるようなその仕草に苦笑してしまい、目を開けたナミの顔にも笑みが戻る。

 こうしている瞬間はひどく落ち着く。

 抵抗するためにシルクの手を掴み、やんわり降ろせば、彼女も楽しそうにしていた。

 

 「もう、やめてよ。私で遊ぶの」

 「ふふっ、ごめんね。元気になるかと思って」

 「はいはい、元気になりました。ありがとうございますぅ」

 「よかった。やっぱりナミは笑ってる方が可愛いよ」

 

 子供をあやすように頭を撫でられて、不思議な感覚に陥る。

 むっとするような、嬉しいような。誰かに頭を撫でられるなど何年振りのことだろうか。

 恥ずかしがった彼女はそっぽを向き、しかし手は振り払わず、不機嫌そうに呟く。けれどきっとシルクには伝わってしまっているだろう。本当に不機嫌になった訳ではない。

 

 「何よそれ。そんなので機嫌取ろうとしたって無駄よ」

 「ふふっ、そうだよね。あ、みかんはどう? 私もちょっとだけ手伝ったんだよ」

 「ありがと。それじゃ一つだけもらおうかしら」

 

 そう答えればシルクが嬉しそうにする。まるで子供みたいな姿だった。

 バスケットに入れられたみかんを一つ手に取り、自分で皮を剥き始める。何から何まで過保護に甘やかされていて、流石に気恥ずかしくなってしまうほど。

 シルクが剥いたみかんを、ナミの口元へ差し出された。

 羞恥心はあるが今はそれ以上に肉体の疲労感もあり、抵抗するのも面倒で、何も言わずにそれを口にする。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がった。

 

 懐かしさを感じる大好きな味。

 ナミの頬は綻び、対照的にシルクは様子が変わって苦笑した。

 

 「ねぇ、ナミ。一ついいかな」

 「何? 美味しいわよ、あんたが採ったみかん」

 「うん、ありがとう。でもそのことじゃなくて」

 

 次の一つを差し出しながら、シルクは少しだけ言い辛そうにする。

 ナミがみかんを口にして、咀嚼する時。ようやくそのことを言い出せた。

 

 「さっき、電伝虫で連絡があったんだ。ウソップたちがこの島に来るって。多分、ルフィたちも向かってると思う。みんな合流できるみたいなの」

 

 咀嚼する動きがゆっくりになっていって、やがて止まった。

 ナミは驚いている顔で、ごくりと口内にあったみかんを呑み込む。

 

 バツが悪い、と言ったところか。

 表情には迷いが生まれて俯いてしまう。まだ割り切れた様子ではなさそうだった。

 彼女はずっと悩んでいる。この五日間、否、きっとそれよりずっと前から。

 

 「そっか……あいつらに会うのね」

 「うん」

 

 何を言えばいいのかわからない。だが俯く顔には口が裂けても頑張れとは言えず、彼女を非難する気もない。かと言って軽々しく大丈夫と言えるほど彼女を理解していない訳ではなかった。

 

 決断はナミに任せるしかないだろう。以前からそう決めている。

 ナミを傍で支え続けたシルクは、彼女が最も楽になる道を選ばせるべきだと考えていて、それが一体何になるのかまではわからず最終的な判断を任せるしかない。

 

 俯くナミはしばし口を噤んだ。

 ほんの数秒、沈黙が生まれて。

 次に口を開いた時には以前の様子で、少し語調も強く言う。

 

 「シルク、みかんちょうだい」

 「え? あ、うん。はい」

 「ありがと――」

 

 彼女が望むため、また一つみかんを食べさせてやる。もぐもぐ咀嚼して、やがて呑み込んだ。

 決断したとは言い難い。それでも変化はあっただろうか。

 ナミの目は真っ直ぐにシルクを見つめて、ひどく落ち着いた声で語る。

 

 「シルク、お願いがあるの。ちょっとだけついてきて欲しい場所がある」

 「場所? うん、いいけど」

 「ちゃんと決めるから。自分の意志で、選ぶから」

 

 気丈に振舞っていたがわずかに声が震えた。

 左肩に巻いた包帯の位置を掴み、まだ恐怖は捨て切れていない。それがわかって、けれど正直に伝えてくれたことが嬉しく、シルクは力強く頷いた。

 受け止めてもらえてナミも微笑み、少し気が楽になる。

 

 「ちょっと待ってて。すぐ準備してくるから」

 「わかった。私、ノジコさんに言ってくる」

 「すぐに来るから。もう、ちゃんと自分で歩けるからね」

 「うん」

 

 そう言って二人は離れ、ナミは一度家の中へ戻っていき、シルクは再びみかん畑へ入った。

 バスケットは置いたまま。一時仕事を離れることになる。

 その許可を得るため人を探し、そう時間もかけずに目的の人物を見つけた。

 

 水色の髪で頭にリボンを巻き、晒された右腕と胸元には刺青が見える若い女性。

 ナミとは義兄弟の関係。姉のノジコである。

 彼女はシルクの声を聞いた途端、背後を振り返った。

 

 「ノジコさん」

 「あら、シルク。どうしたの?」

 「すみません。少しここを離れてもいいですか? ナミが、ついてきて欲しいって」

 「ナミが?」

 

 ノジコは驚いた顔でバスケットを置く。

 ここ数日の様子を知っているだけに意外に思ったようだ。

 

 「なぁにあの子は。ぐーたらしてるかと思えば私の相棒まで連れてって。勝手な子なんだから」

 「あはは……でも元気になってきてる証拠ですよ」

 「元気になったんなら仕事も手伝って欲しいもんだけどね。いいよ、行ってきな」

 「すみません」

 「あんたが謝ることじゃないよ」

 

 頭を下げてシルクが振り返り、すぐに戻ろうとした。

 咄嗟に、ノジコはその背中へ声をかける。

 

 「ねぇシルク。悪いとは思うんだけどさ」

 「はい?」

 「あの子のことよろしくね。一人で抱え込んで無茶しちゃう子だから、助けてやって」

 

 微笑むノジコは姉の顔その物。見ているだけで胸の内が温かくなる。

 口では色々言いつつも、二人の絆が見えるようだった。

 シルクは嬉しくなって自然と口角を上げる。

 

 「あんたなら任せられるってわかったからさ。あの子のこと、頼むよ」

 「はいっ」

 

 元気に頷いてもう一度頭を下げ、振り返ったシルクは小走りで家に戻る。ノジコはそんな彼女の背をやさしく見守り、笑顔で見送った。

 

 家の前へ戻るとすでにナミが立っていて、手には花束を持っている。

 それを不思議に思いつつ何も聞かない。

 二人は歩調を合わせて歩き出した。

 

 「行こっか」

 「うん」

 

 さらに村を外れて、普段誰も近付かない崖へと足を運ぶ。

 

 

 *

 

 

 そこに到着した時、まず最初に目に入る物があった。

 崖の上に立った誰かの墓である。

 シルクが足を止めた後でもナミはその墓へ歩み寄っていき、その前へ花束を置く。

 腰を下ろして膝を抱え、墓を見つめて微笑んだ。

 

 「お墓……?」

 「私たちのお母さん。ベルメールさんっていうの」

 

 ナミは静かな声で語っていた。

 動揺はしていない。ここ最近で最も落ち着いているだろう。冷静な声で語りを始め、シルクはその声を聞き逃さぬように、神妙な面持ちで集中する。

 

 「厳しくてやさしくて、喧嘩することもあったけど大好きな人。八年前に死んじゃった」

 「そう……」

 「考えたの。考えて考えて、嫌になるくらい考えた。だけどまだ答えが決まらなくて困ってる」

 

 海を眺める崖に風が吹き抜ける。

 ナミの声はひどく静かだった。

 

 「だから、あいつらの所に行こうと思ってるの」

 「行くって、もしかして一人で?」

 「戦う訳じゃない。ただ確かめに行くだけよ。あいつが何を狙ってるのか」

 

 声には力があり、いつの間にか決めていたのだろう。

 ほんの少しだけ話したことがあった。彼女だけは事情を知っている。だからこそ、その確かめに行くという行動を冷静に受け止めるのは困難で、不安を抱いてしまいそうになる。

 だがナミは朗々と語っている。

 ほんの少し前まで忘我の状態で落ち込んでいた顔には見えない。

 

 「前に言ってたわよね。一億ベリー集めて渡しても、素直に解放してくれるとは限らないって」

 「うん。相手は海賊で、村を支配するようならモーガニアだよ。八年間も徹底的に管理してたんなら、そんな良い条件の土地、たとえ一億ベリーもらったって手放すはずない。どんな方法を使っても約束を破って、ナミとこの村をこのまま支配し続けると思う」

 「尚且つ、私の抗議を跳ね除ける手段を考えてる、か」

 「ナミの努力を裏切るようなこと、言いたくないよ。でもモーガニアはそういう人たち。頭が回る相手なら余計に考えないはずないよ」

 「そうね……本当にそう。全部あんたの言う通り」

 

 ナミは小さく溜息をつく。

 

 「私がバカだった。どうしてあんな奴ら信用しようなんて思ったんだろ。そんな奴らだって、最初から知ってたはずなのに」

 「仕方なかったと思う。ナミは、頑張ってたんでしょ?」

 「ええ……ずっともがき続けてたわ。何度もあいつを殺そうとした。毒を盛ろうとしたり、寝込みを襲ったり。刺し違える気で何度も試した。でも全部無駄だった。何が何でも一億ベリー集めてやるって思ったのはその後。あいつから逃れるためには、お金しかなかった」

 

 平然と語るナミの声に、シルクが唇を噛む。

 辛い日々だったに違いない。八年前なら彼女も十歳だったはず。その頃から海賊を相手に戦いを挑み続けて、何度負かされても諦めず、それでも尚努力し続けたのだろう。

 

 同情しないはずがない。

 特に彼女は支え続けたとあって波立つ感情が止められなかったようだ。

 小さな背中をじっと見つめ、その細身で頑張って来たのだと強く感じており、込み上げる何かを自覚している。しかしこの場で取り乱すのは違うだろうと必死に堪えた。

 

 「ねぇ、もう少しだけ待ってくれる? みんなが来るまでには決めるから。あいつと会って、どうするのか決める。その後でちゃんと答えるから」

 「うん。待ってるよ。みんなもきっと一緒」

 「これで最後にするわ。ちゃんと……自分で決める」

 

 ナミは自分の脚に顔を押し当て、小さくなって呟く。

 それはきっとシルクへ言うのではない。自分自身に、或いはこの場に居ない誰かに。

 その声もまた、彼女は傍で受け止めた。

 

 「もう少しだけ、わがままを許して。もう少しで向き合えそうな気がするの。そしたら、私もみんなの傍で前みたいに……ううん。前より心から笑える気がする」

 

 小さな声は消え入りそうで。崖に打ち寄せる波の音で消えてしまいそうだった。

 

 「ベルメールさん。私、頑張ったよね。一人で頑張るの、もうやめていいかな」

 

 シルクは目を伏せた。涙は飲み込むが、耐え切れない。

 小さく呟くナミの姿は子供のように見えてしまう。気丈だった彼女はそこに居ない。

 

 「私ね。初めて信じたい奴らに出会ったんだ」

 

 まるで八年前に戻ったかのように。

 ナミは自身の母へ、誰にも明かしたことのない心中を吐露していた。

 


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