ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Shake it down(5)

 沸き立つ村人の声を聞きながら、シルクはわずかに笑みを浮かべる。

 頼もしい仲間たちだ。空気はすでに変わっていた。

 もう勝利したかのようなムードを味わいつつ、自らの相手を見定めて剣を構えている。負ける気はしていない。特訓した成果を今こそ見せようと思っていたからだ。

 

 ウミパンダの強襲によって仲間と離れ離れになった後。ナミを元気付けながら自らの修行も欠かさなかった。時間だけはいくらでもあったのだ。考えることも多かったし、ココヤシ村の外れで実践する場所もあった。そこで海に向かって剣を振った回数も数え切れず。

 能力を昇華させることは自身の思考と訓練で可能。

 それを知っているからこそ自らの進化を求めて努力した。

 

 二種類に分けたかまいたちの練度に加え、新たな戦法も考えた。

 ようやく試せると思えば不謹慎ながら嬉しくもあり、すっかり海賊稼業に染まっていると考えればなぜか嬉しくもあって、余裕を湛えるシルクはまるで怖がっていなかった。

 

 前方に立つのはタコの魚人、はっちゃん。

 二本の足に六本の腕。それぞれに剣を持っている。

 接近戦では不利を強いられるだろう。だからこそ彼女が相手するのが最も良い状況だと思えた。

 

 「女ぁ、剣士じゃどうあってもおれには勝てねぇんだ。なんでかわかるか?」

 「う~ん、私の腕が二本だから?」

 「その通りだぞ。おれは六本、おまえは二本で、しかも剣は一つだけだ。おれの攻撃を受けられる訳ねぇだろ? だからおれには勝てねぇんだ」

 「そうかな。私、人間だけど、ただの人間じゃないよ」

 

 タコの腕で滑らかな動きを見せられるものの、シルクの表情に変化はない。

 剣を構えて真剣な眼差し。微塵も揺らぐことはなかった。

 

 「さっき見てなかったかな? 六刀流のこと教えてくれたからお返しに教えるね。私はカマカマの実の能力者。かまいたちが起こせるの」

 「ニュ~? かまいたち?」

 「だけどね、よく考えてみたらそれだけじゃない。かまいたちを起こせるってことは、もっと広い考え方で捉えると、風を起こす能力って意味になるんだよ」

 

 シルクを中心に静かに風が吹き始めていた。

 風その物は見えない。ただ、地面にあった砂が巻き上げられて動きを見せ、その動きから風の動きが伝わってくる。初めて目にする奇妙な光景であった。

 風は今、シルクの周囲を取り囲むように淡く存在している。

 それを生み出すのが彼女の能力だ。

 

 格上の敵、ガープとボガードと遭遇した際、伏兵として用いられた彼女はキリから指示を受けていた。そうでもしなければ通用しないとの判断だろう。

 かまいたちを二種類に分けろ。

 軽傷しか与えられなくていい、ただの風でもいいから、範囲を広げて強風をぶつけろ。

 もう一つは、敵の注意を惹きつけられるだけの攻撃力を持たせてくれ。

 

 ぶっつけ本番だったがやってみた結果、それまでの練習の甲斐もあって成功したのである。

 その時に気付いた。

 一口にかまいたちとは言うが、そこにはいくつもの種類があると。

 

 風には決まった形がない。それこそキリの紙よりも自由な形が生み出せる。掴むことができず、自由に形を変えられるこの能力には攻撃以外の使い道もあるはず。それを考察し、試した。

 どうやら彼女は自分の能力への理解を深めたようだ。

 

 目には見えない、形を持たない風を操る能力。

 かまいたちを放てるというあやふやなその効果も理解すればできることはいくつにも増える。

 風に囲われる彼女は縛った髪をたなびかせ、ひどく凛として見えていた。

 

 「悪いけど負ける気はしないんだ。六刀流が相手でも」

 「何をォ~! そこまで言うなら見せてやる! 六刀流の強さをなァ!」

 

 はっちゃんが雄々しく叫んで前方へ駆け出した。

 走りながらも六本の腕を奇妙に動かし、人間には不可能な動きで剣を振るい始める。

 

 目の前の光景を理解していないのか、恐怖心は無さそうだった。

 シルクは笑みを消して戦闘に集中し始める。

 

 「蛸足奇剣!」

 

 両腕を広げて関節を気にせず妙な曲げ方をし、六刀による攻撃を始めようとする。しかしそれより先にシルクが剣を振って風を飛ばした。

 周囲に存在していた風が、爆発するように周囲へ走るのである。

 

 「繚乱・旋風!」

 

 シルクの周囲を駆け回った風が向かってきたはっちゃんを吹き飛ばした。

 堪えようという一瞬すら許さない。強力な風が全身を包んで軽々運んでしまい、敵を運ぶ様子でもありつつ、わずかに肌を切り裂いて軽傷を負わせている。ダメージと呼ぶほどの痛みもないが、状況だけを見れば先手を取ったのは間違いなくシルクだ。

 

 「ニュ~!? なんだこりゃあっ!」

 「だから言ったでしょ。私の能力だよ」

 

 驚愕するはっちゃんは受け身を取る余裕もなく、背中から地面を滑って転ぶ。剣を手放さなかったのは流石だ。だが持っていても使えない距離に達してしまった。

 すぐに立ち上がるもののシルクとの距離は数十メートルにまで広げられている。

 

 これは彼女が得意とする距離。

 流石にはっちゃんもそれを理解して、さっと顔から血の気が引いた。

 彼女が剣を振ってもその動きを止められず、繰り出される風を避けるのは至難の業である。

 

 「今度は強いよ。繚乱・烈風!」

 「ニュアァァッ!? また風がぁ!」

 

 さっきよりも勢いが強い風に全身を包まれて体を飛ばされてしまい、さらにそこへ加えて強い痛みを感じれば、刃のような風がいくつも彼の体に切り裂いた跡を残していた。

 今度はただ飛ばすだけではない。刃のようなかまいたちを混ぜている。

 噴き出した血すらも風に吹き飛ばされ、もっと距離を開けて地面へ落ちた。

 

 さっきは耐えられても今度は恐怖を感じる風だった。

 飛ばされるだけならまだしも攻撃が混じっている。しかしその攻撃の要たるかまいたちは強風の中にあるのかどうか、見極める術がない。風その物が見えないのだから。

 

 攻撃は避けられず、自分の剣が届かない距離。

 近付いてもおそらく敵を吹き飛ばして自身が得意とする距離を生み出せるのだろう。

 地面に寝転んだままぞっとして、はっちゃんはのろのろと上体を起こしてその場に座った。

 

 シルクは凛とした顔で剣を構えたまま。その場を動かないのは必要がないからに間違いない。

 人間に恐怖を抱いたのは初めてだったか。思い出すのも困難なほど混乱して、とても強そうには見えない可憐な少女を見つめ、ずいぶん遠いなと愕然とした。

 

 「どうかした? やめたいなら、それでもいいけど」

 「ニュ……ニュ~! そういう訳にはいくか! おまえェ、おれの剣を舐めるなよ!」

 

 気合いを入れてはっちゃんが立ち上がるものの、勝機は全く見えていない。

 一体どうすれば彼女の風を避けられるのだろうか。

 そればかり考えているのが問題で、自らの力を活かせる状況を考えられないのが彼のミス。

 

 シルクは自らの弱点を知っている。

 カマカマの実は攻撃範囲こそ広いが、熟練度の影響か、風が届く範囲は決まっており、現状、風の強さを変えたところで物陰に隠れられてしまえば防がれるのが事実だった。

 彼女が起こすかまいたちは真っ直ぐにしか進まない。途中で軌道を変えたり、物陰に隠れる人間だけを狙うといった細かいコントロールはできておらず、練習でさえ上手く形になっていない。今できるのは強弱を変えるだけ、対象を斬ることと敵を吹き飛ばすことだけだ。

 

 もしはっちゃんがそこに気付くことができれば状況も変えられただろう。

 しかし慌てふためく彼は正面から向き合うことしかできていない。それでは格好の的だった。

 

 負けられないと思ったはっちゃんは真っ直ぐに走り出す。そして何を想ったか、まだシルクがずいぶん遠いと思ったせいかもしれないが、妙な行動に出た。

 

 「おれを剣だけの男だと思うなよ! こういうこともできるんだ! たこはちブラーック!」

 

 走りながら口からタコ墨を吐き出し、飛来するそれがシルクを狙う。

 勢いよく噴き出したおかげで飛距離はあった。しかしすぐに直撃しないのなら反応はできて、冷静に剣を振って風を飛ばしたシルクは、そのタコ墨を吹き飛ばす。

 返って来たタコ墨が全身に当たり、視界を遮られたはっちゃんが足を止めた。

 

 「ニュアアッ!? 前が見えねぇ!」

 「えっと、私のせいじゃない、よね?」

 

 足を止めて激しく首を振り、墨を剥がそうとするはっちゃんは隙だらけ。

 これを逃す手はないと判断して、悪い気もするが勝負を決めにかかったらしい。

 

 刀身に風が纏わりつき、それが幾重にも厚さを増していった。

 剣を振って繰り出すかまいたちは、範囲は広がるもののやはり攻撃力に特別な物はない。普通に刀でつける傷を遠くからつけられるといった程度だろう。

 そこで彼女は考えた。もっと強い攻撃を繰り出すにはどうすればいいか。

 

 能力を利用した必殺の一撃を生み出すために考えたのは、誰にも止められない突進力。

 最高の突きを持って一撃で仕留める。

 風を纏った剣はわずかに引かれ、構えを取ってシルクの動きが止まった。

 

 「悪いけど続けるね。殺す気はないけど、一応、気をつけて」

 「ニュ?」

 

 手で目元を擦ってようやく前が見えた時。シルクの構えが変わったのが見えた。

 見えた瞬間、彼女が剣を突き出して攻撃が行われる。

 刀身を離れたかまいたちが螺旋を描いて真っ直ぐ飛び、しかしそれははっちゃんの目には映らぬまま、豪風と轟音を纏って接近した。

 

 「繚乱・疾風!」

 

 突きというより、かまいたちというより、凄く小さな台風だ。

 周囲の風を巻き込んで、土が舞い上げられたことによりわずかながら姿が見える。規模は思いのほか小さく、せいぜいが拳程度の物。だが速度は見切れる物ではなくて。

 

 気付けばはっちゃんの体に到達し、斬撃というより削岩機のようで、抉り取られるような螺旋に大量の血液が巻き込まれて飛ばされた。

 彼の胴体には深い傷が残り、地面へ倒れて、一瞬で意識を刈り取った。

 

 「ニュア……!?」

 

 放ってから当たるまで一秒もかからず。

 想像以上の結果にシルクは口元に手を当て、殺していないだろうかと冷や汗を流していた。

 

 「あっ……ちょっとやりすぎた?」

 

 幸いはっちゃんは気絶しただけで死んでいない。ただしばらくは意識が戻らないだろう。

 圧倒的な力で制圧され、シルクは無傷で勝負を終えてしまった。

 

 傍らでその光景を見ていたクロオビは戦慄する。

 能力者であることはわかっていたが、それにしても異常過ぎる。見た目には紙を操っていたキリよりも強いのではないかと思えた。

 彼は倒れた仲間に視線を送り、動かないことを知ってぽつりと呟く。

 

 「ハチ……バカなっ」

 「強くて可愛いなんて素敵だなぁ。ますます惚れ直しちまうぜ」

 

 同じく呟く声に気付き、クロオビが顔の向きを変えた。

 対峙するサンジが懐から取り出した煙草を銜え、火を点けている。どうやらシルクの戦いを見て感想を口にしたらしく、別段クロオビを気にする様子もない。今はシルクに釘付けだ。

 

 一方で煙を吸って吐き出した後、すでに思考は切り替わっている。

 今はクロオビを倒すことに集中していて、おどけるように呟き始めた。

 

 「エイを料理するなら、唐揚げか、煮つけか、ムニエルでもいい。そういやメシの最中に出てきたんだったな。早くナミさんとシルクちゃんにおれの料理を食してもらいたい。あぁ、それにナミさんのお姉様も居たんだ。すっかり挨拶まで忘れて失礼なことを――」

 「何をぶつぶつ言っている。おれが残っていることを忘れたか」

 

 睨みつけてくるクロオビに気付き、サンジが視線を上げた。

 傍若無人とも思える目と態度で恐怖心など欠片もない。煙草を吸うのもそうだ。なぜこれから戦闘が始まるというのにそんな物を取り出しているのか。

 怒りが増してクロオビの形相が変わる。

 仲間を倒され、彼一人だけが残って、もはや我慢の限界だった。

 

 「どうやらおれが始末しなければならない奴が増えたようだ。おまえに構っている時間はない。さっさと終わらせて、この場に居る連中全員を地獄へ送ってやる」

 「さっさと、ねぇ……自分の言葉には責任持てよ」

 

 サンジは全く警戒せずに歩き出した。瞬時に身構えるクロオビを目指して、別段急ぐ様子もなくゆっくり歩いて、徐々に距離を詰めていく。

 おかしな姿だ。舐められているとも感じる。

 従ってクロオビは魚人空手の構えで拳を握った。

 

 いつでも攻撃を繰り出せる。だがその態度が気に食わない。

 思い知らせるためにも彼は饒舌に語り出した。

 

 「魚人空手を知っているか? おれは四十段の腕前。究極の一撃、千枚瓦正拳を受ければ貴様が生きていられる可能性はゼロだ。今更逃げたところで遅いぞ」

 「受けなきゃいいんだろ」

 「フン、避けられるとでも思っているのか? 無駄だ、おれから逃れることは――」

 

 突如、サンジが強く地面を蹴って跳んだ。

 前へ進んで一気に距離を詰め、驚愕するクロオビが理解できていない間に、右足の蹴りが来る。

 全く動けず、クロオビの首へ叩き込まれた。

 

 「首肉(コリエ)!」

 

 衝撃に負けて地面へ倒れ込んだ。踏ん張ることさえできない。

 驚きながらも立ち上がろうと地面に手をつくのだが、サンジの蹴りがさらに振り下ろされた。

 

 「いっ――!」

 「肩肉(エポール)!」

 「うごぉっ!?」

 

 立ち上がろうとしたところ、肩口を蹴られてそのまま倒れ、顔面が地面に激突する。自然と鼻血が出てしまった。だがそんな物、比較にならないほどのダメージがある。

 

 サンジの蹴りは強烈だった。

 一撃叩き込まれる度に全身が震え、動き出すための動作がわずかに遅れてしまう。

 再び立ち上がろうとするクロオビを、今度はサンジが待っていた。傍らでポケットに両手を突っ込み、冷静な面持ちで煙草を吸っているだけ。彼が立つまで攻撃は行わない。

 

 「どうしたサカナ野郎。さっき言ってたことと違うようだが」

 「うっ、ぐぅ……!」

 「さっさと終わらせるんじゃなかったか? それともさっさと終わらせて欲しいのか」

 

 よろける足でなんとか立ち上がった。

 それを見てサンジは容赦なく、背筋が伸びると同時に蹴りを二発叩き込む。

 

 「背肉(コートレット)! 鞍下肉(セル)!」

 

 ドン、ドンと体内に響く衝撃を受け、鋭い痛みが奥まで広がる。

 もはや悲鳴すら出ない。

 続けてサンジは足を振り上げた。

 

 「胸肉(ポワトリーヌ)!」

 

 胸に靴底が当たり、倒れかけるのを堪えて地面を滑った。

 まだサンジが止まらない。

 

 「もも肉(ジゴー)!」

 「ぎゃあっ!?」

 

 鋭い蹴りが脚を捉え、立っていられなくなって思わず膝をついた。否、つかされてしまったというのが正直なところ。自分では体の自由が利かなくなっている。

 呼吸を乱して、意識を失わないよう必死に耐える。

 

 かろうじて開けた目にサンジの姿が映った。

 さほど急ぎもせずにくるりと回って背を向け、最後の攻撃に移ろうとしている所作。まずいと感じるものの体が重い。それでも必死に動き、クロオビもまた迎撃のために拳を握った。

 

 「吹き飛べ」

 「ゲホッ、おのれ! 千枚瓦正け――!」

 「羊肉(ムートン)ショットォ!!」

 

 攻撃はサンジの方が速く、目にも止まらぬ速度を持って連続で蹴りを叩き込まれた。凄まじい衝撃で体が吹っ飛び、勢いよく地面を滑って、耐え切れずに意識を失う。

 この瞬間、いとも簡単に戦闘が終わってしまった。

 

 サンジは銜えた煙草を指で挟んで口から離し、つまらなそうに呟く。

 倒れたクロオビに振り返るのも面倒で、背を向けたまま薄く笑みを浮かべていた。

 

 「おかわりは自由だぜ。ま、もう聞こえてねぇか」

 

 無傷のままの勝利である。その卓越した蹴り技は見ていた者たちに衝撃を与え、少なからず感嘆の声を生み出し、そして勝負が決したと見るや歓声が沸き上がった。

 シルクとサンジ、二人の勝負も勝利に終わる。

 勝てるはずがないと思っていたアーロン一味が全滅したのだった。

 

 この場に船長のアーロンは居ない。しかしそれでも、奇跡を見るようだ。

 村人の喜ぶ声が夜空まで届き、辺りは先程とは違った騒がしさに包まれる。

 

 結んだネクタイの位置を正した後、サンジは表情を変える。

 勝利に酔う様子はない。

 きりっと引き締め、仲間たちと合流するためあっさり振り返った。

 

 「騎士道も理解できんサカナにおれが倒せるか。もう少し人間の世界を勉強してから出直すんだな。さて……んナミさぁ~ん! シルクちゅわ~ん! お姉様ぁ~! おれ勝ったよぉ~! ほ、ホレちゃったんじゃな~い!?」

 

 目の色を変えて駆け出した彼はだらしない走り方でシルクの下へ駆けつけ、緩み切った笑顔を見せる。見ていて呆れてしまう姿だったが本人が改善する様子はない。

 勝利の余韻、というより自らの成長に浸っていたシルクは笑顔で彼を見る。

 それがまたサンジを調子に乗らせ、声を高くさせるのだ。

 

 「すごかったねサンジ。あんなにすごい蹴り技、見たことないよ」

 「えへへ~! いやいやそんなぁ、シルクちゃんに比べりゃおれなんてまだまださぁ~!」

 「おいコック、またシルクにアホが絡んでやがるぞ。あ、すまん。おまえだったか」

 「アァンッ!? てめぇトリッキーな挑発してんじゃねぇぞマリモ! せっかくの愛の時間を邪魔しやがって、海の彼方まで蹴り飛ばしてやろうか!」

 

 喜びの声が次々上がる中、ゾロがサンジに声をかけると、途端に二人は喧嘩を始める。

 早くもそれを日常の出来事にしようとしているらしい。

 呆れている仲間たちを蚊帳の外にどんどんヒートアップしていくようだ。

 

 「ハンッ……海のかなた、ねぇ」

 「なに無理だろって顔してんだクラァ! よぉしそこを動くな、今実践してやる!」

 「まぁそう怒るな。悪かったよ、ナイト」

 「てめぇが言っていいセリフじゃねぇんだよォォォ!」

 「できるとは思うぜ。おれに当てられたらの話だがな。ただ当てられたら飛ばせるとしたって、当てられねぇんじゃ海のカナタとやらに辿り着ける訳ねぇし――」

 「おぉし上等だ! クソエイ野郎じゃ味気なかったとこだ! 次はてめぇをオロス!」

 「やってみろグル眉! 大体てめぇはさっきからうるせぇんだよ! 少しは黙れねぇのか!」

 「うるせぇのはどっちだ、藻! アホのくせにおれとシルクちゃんの時間を邪魔すんな!」

 

 敵と向き合っていた時以上の迫力で言葉をぶつけ、本気で蹴りを繰り出し、刀で受けて斬撃を放つ二人はさしたる理由もない、必要のない戦いを始めてしまった。

 喜ぶムードとは裏腹な雰囲気が漂っている。

 見ていたシルクは腰に手を当てて呆れ、少し怒っているらしい表情で溜息をついた。

 そこへキリが近付いて来る。

 

 「もう、どうして喧嘩するんだろ、二人とも……せっかく勝ったのにぶち壊し」

 「なんか相性悪いね、あの二人。アホなんだよ」

 「ねぇキリ、止めてくれないかな? 私の能力じゃケガさせちゃうし」

 「多少ケガさせた方が効果的だと思うよ。少々ケガしたところでへこたれるような人たちじゃないし、とりあえずぶっ飛ばしてみたら?」

 「そうかな。うん、やってみる」

 

 剣を振ったシルクは能力を使って、傷が付かないようにと気をつけつつ、暴風を起こす。

 すると戦っていたサンジとゾロ、両方の体が吹き飛んだ。かまいたちを受けると同時に勢いよく地面を転がって多少の掠り傷を負ってしまうものの、やはりそんな程度で落ち込んでしまう性格はしていない。風が止むと勢いよく立ち上がってシルクに目を向けた。

 

 「おいシルク! おまえ急に何しやがる!」

 「ひどいぜシルクちゃん、マリモはともかくおれまで吹き飛ばすなんて……」

 「二人とも、喧嘩しちゃダメ。仲間なんだから仲良くね」

 

 子供を叱るように彼女が言えば、サンジは諸手を上げて快い返事をし、ゾロはつまらなそうに腕を組んでそっぽを向く。どうも喧嘩を続ける雰囲気ではなくなったようだ。

 

 シルクが居ることで一味の纏まりが強くなったように思う。

 以前からリカやアピスに対して同じ視点で接し、壁を取り除こうという態度はあって、意気消沈するナミを励ましたり、喧嘩するゾロとサンジを押し留めたり。

 頼もしくなった今、尚更船上の空気は気にせずに済みそうだった。

 

 本当に強くなったと、キリがシルクの横顔を見てしみじみ振り返る。

 初めて会った時を想えばずいぶんな成長だ。

 

 そうこうしているとウソップが駆けつけてきた。

 血を流しているが想像以上に元気で、手を振りながらやってきてひどく興奮している面持ち。敵の幹部を倒したことで喜びを噛みしめているらしい。震える拳を握ってキリに話しかける。

 

 「おいキリっ、見てたか! おれが幹部を、敵の幹部を、一人幹部を倒したぞ!」

 「うん、見てたよ。最ッ高にクールだった。海賊的に言えばね」

 「そうだろ、そうだろっ! いやぁ~おれもあの瞬間は手に汗握ったね。しかしまぁ全て作戦通りでよぉ、やっぱりこう、おれの天性の勘がそうさせたって言うか……」

 「啖呵の切り方もばっちりだったよ。いいね、ルフィ親分に一番船船長」

 「なっはっはっは! まぁな、まぁな! 本当になるのもそう遠くないけどな!」

 

 上機嫌なウソップは背を反らせて高笑いしていた。ジャンゴを倒した経験に続いて二人目。単独で敵を倒したことによって気が大きくなり、混乱が消えれば大きな喜びと達成感が残っていた。これを分かち合わずにはいられず、大声を出して仲間たちと共有する。

 

 彼らの周りには穏やかな雰囲気が漂う。

 しかしケンカはまだ終わっていない。それを伝えるためキリが辺りを見回した。

 

 「とりあえずこっちは終わったね。あとはルフィがアーロンを倒せばそれで決着だろうけど」

 「そうだ、まだルフィが戦ってんだな! 行ってやろうぜ! 援護はおれに任せろ!」

 「でも倒した敵をこのままにしとく訳にはいかないか。縛り付けとけば安心かな」

 

 ただその時間は惜しい。

 そう言うように視線の先を変えれば、キリの目が歩み寄ってくるゲンゾウたちを見た。

 言葉が無くとも意図が伝わる。

 尋ねる前からゲンゾウが口を開いていた。

 

 「任せてくれ。我々がやろう。流石に何もしないままでは気分も良くないのでな」

 「助かるよ」

 「全てが終わった時、改めて礼が言いたい……無事に戻ってくれ」

 「心配いらないさ。あと残ってるのは殺したって死なない人だから」

 

 笑顔で言いのけた後、あっさり背を向けて歩き出す。

 他の者たちも同じようにしていて、意気揚々とウソップが先頭で導き、ゾロとサンジが手を出さずに睨み合いながら続いて、シルクとキリが並び合う。

 喜ぶ皆を置いて彼らだけがその場を離れようとしていた。

 

 「さぁ、行くよ。船長の決着を見届けよう」

 「よぉしおまえらついて来い! このキャプテン・ウソップが導いてやるぞ!」

 「いつか決着つけてやるからなマリモ。ハンデはいらねぇ、その大怪我治るまで待ってやるよ」

 「いいのか、後悔するぞ。おれに勝てるチャンスは今だけだったがな」

 「ハァ、もう。二人ともまた飛ばすよ。ケンカしちゃダメだって」

 

 五人が並んで静かに歩き出す。

 まだ少年少女の域を抜け切らない年頃でも、その背は大きく、見ているだけで息を呑む。

 有り体に言えば格好良かった。

 

 村人たちは彼らを見送り、万感の想いで背を見続けた。

 ただその中にはルフィの帽子を預けられたナミも居て、戸惑っている様子で立ち尽くしている。

 ある時、キリが足を止めて振り返り、動かない彼女に気付いて声をかけた。

 

 「何やってんのナミ。ほら、行くよ」

 「え――?」

 「決着は見届けないと。ルフィが待ってる」

 

 何でもないことのように笑顔で告げられた。あまりにも自然で驚いてしまうほどに。

 他の皆も足を止めている。彼女を見て待っていた。

 

 些細なことでも、胸が熱くなる。

 そうまで言われて後悔はない。迷いは消え、ただ強い意志だけが胸の内に残っている。

 ナミは真剣な顔で頷いた。

 

 「うん!」

 

 小走りで彼らへ追いついてキリとシルクの間に入った。

 今度こそ六人で歩き出し、ゲンゾウとノジコはその背をじっと見つめる。

 

 自分から望んで肩を並べた。あれは彼女の意志であり本心。そう思わずにはいられない。

 涙を堪えて、強がって、肩に刺青を入れて海賊の仲間になったあの日とは違う。

 ナミは今、彼らの傍で笑っていた。

 

 「あの子の笑顔を、久しぶりに見た気がする……」

 「私たち、救われるんだよ。あの子が信じた奴らなんだ。この村は解放されて自由になる」

 「ああ……」

 

 信じられない想いで彼らが遠ざかる様を見ていた。

 村人たちは倒れた魚人を縛るために動き出しており、ヨサクとジョニーも手伝っている。辺りは騒がしくて、今や遅しと自由がやって来る瞬間を待っていた。

 

 笑顔を堪え切れないノジコの隣で、ゲンゾウはふと夜空を見上げた。

 雲は消え去り、真ん丸な月が見えて、数多くの星が負けじと輝いている。今日は満天の星空だ。

 

 「ベルメール、見えているか……今日、我々の戦いが終わる」

 

 身を襲う興奮と喜びを抑え切れず、彼も熱くなりそうな目を閉じる。

 もう疑ってはいない。ナミの態度でわかった。

 ココヤシ村は今日、自由を得る。

 


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