上位者がファミリアを創るのは間違っているだろうか 作:gulf0205
あれは嘘だ。
なにはともあれ、わずか4話(プロローグを入れると5話)にしてお気に入り件数は500を超えました。
評価も赤色に染まるほどに皆様方に応援を頂きまして本当に感謝しております。
興味本位でこの作品名をググってみたところ、2ちゃんねるのハーメルンを語るスレにて宣伝までしていただいた方もいらっしゃいました。
ありがとうございます。
しかしいくら「ありがとう」連呼したところで正確には伝わらないかもしれないのでまあわかりやすく表現しますと
あ ぁ ぁ い し て る ん だ ぁ ぁ ぁ ぁ 君 た ち を ぉ ぉ ぉ ぉ !
_人人 人人 人_
> 突然の主任 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄
後ろめたい人間というのは往々にして人目に触れることを嫌がる。
それは己の醜悪さを隠すためであったり、邪な一面を隠すためであったり、誰かから逃れるためであったり……。
そういうスネに傷を持つ者たちや、貧困によりまともな場所に住めない者たちにとって、ダイダロス通りというのは絶好の住処だった。
奇人として知られた建築技師、ダイダロスによる無計画ともとれる増改築のせいで、細い道路は複雑に交差し、塞がれ、もう一つの迷宮と言われるまでになったのだ。
事実、迷ってしまえば自力での脱出は不可能とされている。
そのダイダロス通りにある宿泊所の三階に、ノコギリのエンブレムがかけられた隣り合う二つの部屋がある。
このエンブレムはヤーナムファミリアを示すものであり、二つの部屋は一部の狩人が自分たちで買い取った部屋だ。
隣り合う部屋を遮る壁はぶち破られ、一つの大部屋へと改築されていた。
ファミリアの異端とされるヤーナムファミリアだが、その中でもさらに異端の狩人たちの溜まり場として、この部屋は機能している。
テーブルでタバコをふかしながら札遊びに興じる者たち、血酒を片手に椅子でぐったりする者、床に座ってギターを軽やかに弾く者、ダンジョンに潜るための仲間を探す者……。
「旦那、血酒をお持ちしやしたぜ」
禿頭の狩人、パッチは両手にそれぞれ鉄のコップを持ち、窓際のテーブルへと歩いてコップを置く。
赤黒く、ドロリとした粘性の高い液体がコップの中で揺れ、匂い立つ香りがグリッグス鼻をくすぐる。
グリッグスはパッチを労わることなどせず、さも当然というようにその鉄のコップを手に取って一口呷る。
「……普通だな」
狩人は酒では酔わない。
酒を飲めば確かに平衡感覚を失い、ろれつが回らなくなるが……それだけだ。
狩人が酒を飲んでも船酔いのような吐き気と不快感に襲われるだけで、世間一般でいうところの “酔っ払う” ことはできない。
狩人は血でなくては酔わないのだ。
ただし鮮血だと人を失い怪物へと成り果ててしまうので、時間がたって異臭を放つ腐った血でなくてはならない。
「ようパッチ、こっちもいれてくれ」
「へい、ただいま」
札遊びの一団がコップを掲げ、パッチはそちらへ小走りで行く。
そして鉄のコップを取り、壁際の樽へと移動して、樽の蛇口をひねって血酒を注いだ。
「……調子はどうだ?」
グリッグスのテーブルの反対側で、両足を窓枠に乗せた大柄な男が問いかけ、コップを手にとって一口飲む。
筋骨隆々、黒い短髪をした岩のような壮年の男だ。
名前を
「いつもと変わりゃしないさ。ダンジョンに入ってモンスターと冒険者を殺る……だがあれだな、深層まで行かなきゃまるで歯ごたえがない。モンスターも、冒険者も」
言って、グリッグスも血酒を一気にあおった。
グリッグスの頭に生えた狼のような耳と腰から生える尾が動き回って、その口からは熱い息を吐きだす。
「だったら深層まで行けばいいじゃねえか」
「一人で深層までは潜れない。かといって、深層まで冒険者を殺さない自信もない」
「はっ」
ドランは鼻で笑い、グリッグスは背もたれに背中を乗せて、天井を見上げるように体を伸ばした。
「あー……深層まで行けるのは俺とお前と、あとはリンクス、それにシャミアとスタルカくらいか? スレイの野郎とロイにウィンディ、アルフレートはグダグダうるせーからナシだとして、残りはーー」
グリッグスは部屋をぐるりと見回して、諦めたように言う。
「ーーいないな」
血酒をぐいっと飲む。
ドランは血酒の匂いを楽しみながら提案した。
「呼べる奴らを連れて、大所帯で行ってみるか。深層に近づいたら他の連中と別れて、行ける奴だけ進めばいい。 “リザ” も血を欲しがってることだしな」
「ああ。……スレイの野郎、エミーリアの血を独り占めしやがって」
ざらつき、かすれた声で吐き捨てるように言い、グリッグスは残りの血酒を飲み干した。
モンスターの血を誰かが飲み残した安物ワインだとするなら、エミーリアの血は仰々しくショーケースに飾ってあるような高級ワインだ。
いまごろ、スレイは本拠で飲んだくれていることだろう。
「
「狩りに酔ってるって気づいてんだろ」
ふと、ドアを三回、一回、二回の間隔で叩かれた。
パッチはドアへと近づき、ドアの覗き窓を開く。
「要件を言いな」
「血を売りたいんだ。ここで血を買ってくれるって聞いた」
「誰に?」
「無所属の労働者から」
無所属の労働者……どのファミリアにも所属できなかった、あるいは所属しないことを選んだ人々だ。
冒険者やそれ以外のものたちを相手に働く彼らの賃金は安く、零細ファミリア並みに生活が厳しい者が多い。
そして彼らを気にとめるのは皆無だった。
ファミリアに所属できない、あるいは所属しないのは、なにか後ろめたいことがあるからだろうか。
そういう持たない者にとって、ここに血を売るのはごく普通の選択肢でもある。
「そうか。入りな」
パッチは鍵を開けて、その男を中に入れた。ドアのすぐ隣にある採血用の椅子に座らせ、テーブルの下から道具箱を取り出す。
「で? どれくらい売るよ?」
「その前にいくらで買ってくれるんだ?」
男のもっともな質問に、パッチは箱からぶっとい針がついたチューブ、ビーカーを取り出して答えた。
「このビーカーに線が引いてあるだろ? ここまでで二千、こっちは三千、これが四千になるぜ?」
「いっそのこと一万ヴァリス分頼むよ」
「おいおいおい、そんなに抜いたらおめえ、へへ、間違いなく死ぬぜ? いいのかよ?」
当たり前だが血を抜きすぎると失血死する。
この男が一万ヴァリスなんてまとまった金額を何に使うのか、それはパッチの知ったことではない。
男は死ぬという言葉にためらい、小さく首を振った。
「……わかった。なら四千ヴァリスで頼むよ」
「おうよ」
男は右腕の裾をめくり、テーブルの上に乗せた。
パッチは慣れた手つきで静脈のあたりと針を消毒し、針を刺す。
男は痛みに一瞬顔をしかめ、チューブの中を血が通り、ビーカーへと注がれていった。
グリッグスはその光景から外へと顔を向ける。
「新しい血だ」
「だな」
ふと、遠くから爆竹が破裂する音が聞こえてきた。
今日は怪物際だ。
グリッグスやドランのような者たちには無縁だが、それでも雰囲気だけは楽しもうとこうして溜まり場に集まっている。
「へへへ、次もよろしく頼むぜ」
「ああ……うぅ、クラクラする」
採血が終わったらしく、男は顔色を悪くして四千ヴァリスを受け取った。
「転んで頭なんか打たないでくれよ?」
男はふらついた足取りで部屋を出て行った。
パッチは施錠すると、採血した血を血酒の樽へと移す。そして備え付けの棒で混ぜ合わせた。
わざわざ買わなくても、そこらの浮浪者を捕まえて首を切ればいいのでは?
と、思う者もいるかもしれないが、過去に人さらいを行っていたヤハグル兄弟はスレイによって粛清され、見せしめとしてこの部屋に生首を飾られたものだ。
それ以降はこうして血を買っている。
「……あ?」
不意に窓の外が騒がしくなる。
何かが壊れる音と、短い悲鳴や叫び声。
グリッグスは立ち上がり、窓の外に頭を出した。
下はちょっとした広場になっているのだが、蜘蛛の子を散らすように人々が建物の中に逃げ込んで、面倒はごめんだとばかりに木板の窓を閉ざす。
やや遅れて、白髪の少年が広場に駆け込んできた。あの少年は数日前、スレイがサポーターとして雇っていたはずだ。
その少年を追いかけるように白い大猿のモンスター……シルバーバックがやってきた。
少年はナイフを抜いて、あろうことかシルバーバックに戦いを挑む。
「見ろよ、モンスターが下にいるぞ」
言うと、これは面白いものが見られそうだと狩人はこぞって窓に集まる。
「シルバーバック?」
「なんで?」
「会場から逃げたんだろ」
「あのガキけっこうやるな」
「どっちに賭ける?」
「シルバーバックに五百」
「じゃあガキに五百」
窓から両者の死闘を楽しげに観察する狩人たちだが、わざわざ助けに行くつもりはなく、勝手に賭けを始めた。
血酒に酔った彼らにとって、無関係な他人の死は酒の肴でしかない。
賭け率としてはシルバーバックの方が配当が低く、少年の方が高い。つまりシルバーバックの勝ちに賭けた方が多い。
少年は賭けの対象にされていることなどつゆ知らず、死闘を繰り広げた。
シルバーバックの両手の拳を少年はすんでのところでかわし続け、ついに懐へと飛び込む。
「終わりだ!」
気迫の雄叫びと共に、少年はナイフをシルバーバックの胸に突き刺した。ちょうど魔石のあたりだ。
シルバーバックは大きく叫び、どうと倒れた。
「マジかよ、あのガキ勝ちやがった」
「俺の勝ちだな。ほらよこせ」
「あーくそ」
狩人は賭け金をやりとりして、下の広場では少年とおっぱい、もとい女神が抱き合っていた。
その両者を讃え、歓声を向けるのは無所属の労働者たち。
「おっ?」
パッチは気づく。
三階という高さにいながら、少年のナイフの鞘に刻まれた『ヘファイス』の銘を、ハイエナのような嗅覚で見つけ出したのだ。
「へへへ……」
パッチはじーっと見つめて、口元を歪め、笑う。
※ ※ ※ ※ ※
怪物際にて初の試みである『モンスター公開討伐』という『サプライズイベント』の熱気と興奮も、数日たてば冷めてしまい、人々は再び元の日常に戻る。
だがベルの気分はまだ高揚の中にあり、顔はいまの実力を試したくてうずうずしていた。
理由としてはやはりヘスティアにもらったこのナイフと、シルバーバックを倒したという自信だ。
サポーターの仕事で得たお金で『ヴェルフ・クロッゾ』のライトアーマーを購入し、スレイの忠告に従って小剣を購入。
以前から使っていたナイフと合わせて武器は三つだ。
エイナにもらった籠手にナイフを取り付け、腰には購入した小剣と “ヘスティアナイフ” をさげていた。
その “ヘスティアナイフ” の黒い鞘をなで回しながら、鼻歌まじりに道を歩く。
女神の名前が冠された武器で、刀身に神語が刻まれた大業物だ。
こんなものをどうやって手に入れたのか、ヘスティアはついに教えてくれなかったが……ともあれ、これのおかげでベルはシルバーバックを倒すことができたのだ。
もっと使い心地を知りたくてたまらず、ベルの心がはやる。
「ん……」
ある路地の入口に差し掛かった。
先日、この路地の奥で小人族の少女を暴漢から助けたーーというか『豊穣の女主人』の店員、エルフのリューに助けられたーーのだが、その小人族の少女のことが少し気になった。
あの子はいまどうしているだろう? と思ったとき、背後から声をかけられた。
「やあ少年、これからダンジョンですかい?」
「え?」
振り返ると、いつか見た男性が気さくな笑顔を向けてきた。
特徴的な鷲鼻と禿頭をして、背中には大きなリュック。左手には木の大楯、腰には短い槍とも剣ともとれる変わった武器をさげている。
一週間ほど前、ダンジョンの十八階層で出会った禿頭の狩人だ。
明言こそしなかったが、死んだ冒険者から荷物を奪っている疑いのある人だった。
「あ、えーっと確か……十八階層でお会いしましたね」
「へへへ、パッチって名前ですぜ」
「どうも……僕は、ベル・クラネルです」
「そうかそうか、よろしくな、ベルの旦那」
笑顔のまま握手を求められて、ベルもそれに答える。
「は、はあ、どうも……」
三十路を過ぎていそうなパッチに『旦那』呼ばわりされて、ベルは妙な気分になる。
「これからダンジョンですかい? もしそうなら、あっしをサポーターとして連れて行って欲しいんですがねえ?」
「サポーターって……いやでも、僕のサポーターにですか?」
戸惑った。
ベルをサポーターにしたい、というのであればまだわかるが、ベルのサポーターになりたいというのはどういうことだろうか。
「いやー、恥ずかしながらあっしには冒険者としての才能がなくてですね、この歳でもいまだにレベル1のまんまで、へへへ……それに見てやしたよ? ベルの旦那、一人であのシルバーバックを倒したでしょう? その若さで本当、大したもんですよ」
「そ、そうですか?」
褒められて、ベルの顔が思わずほころぶ。
「もちろんですよ! 旦那はきっと将来大物になること間違いなし! きっとアイズ・ヴァレンシュタインと並び称されるほどの人物になりやすぜ?」
アイズと同等の存在になれる。その言葉がベルの胸を打った。
アイズと背中を合わせて、強敵をばったばったと薙ぎ払う姿を想像し、顔がにやけてしまう。
パッチはさらに媚びるような笑顔となり、続けた。
「でもって……へへへ、大物になって有名人になった暁には、是非ともあっしのことを贔屓してもらいたいんですよ。このパッチのおかげでここまでこれたんだぞ、ってね。だからまあ、あっしとしては先行投資みたいなもんですよ。是非ともお供させてくだせえ」
ベルは生まれて十四歳の少年だ。ここまで褒めちぎられると悪い気はしない。
「そこまで言うなら、じゃあ、よろしくお願いします」
「へへへ、よろしくな、旦那」
「あ、でも僕、見ての通りのソロで、まだそんなに稼げないと思うんですけど……」
「なんのなんの。先行投資って言ったでしょう? 報酬は稼ぎの二割で充分ですよ」
「二割なんてそんな……サポーターの大変さなら僕も知ってますから、折半にしましょうよ」
「折半? つまり半分? くぅーなんて慈悲深いんだ」
パッチはおどけて泣き真似をしてみせる。
「はは、じゃあ、そろそろ行きましょう」
「一生ついていきますぜ、へへへへへ……」
ベルは自分の背後で、パッチが厭らしく笑ったことに気付くことはなかった。
ダンジョン八階層。
キラーアントやニードルラビットの群れを、ベルはたやすく薙ぎ払う。
右手に握る “ヘスティアナイフ” の切れ味は凄まじく、キラーアントの堅い外殻ごと簡単に肉を切り裂いた。
左手の持つナイフは防御と、急所である胸元への一撃に使う。
だが、なによりベルが感心したのは戦いやすさだ。
「よっ、と」
パッチはモンスターの死骸を通路の端に寄せ、慣れた手つきで瞬く間に魔石を回収していく。
以前は死骸を踏んづけて足を滑らせてしまうそうことがあるが、いまは足元を気にせず動き回れた。
以前、ヤーナムファミリアの二人と同行したときはモンスターの死骸はそのままにしていたのだが、ああして片付けておけばよかったかもしれない。
それにパッチはパッチで、自分の身は自分で守っていた。
木の大楯でニードルラビットの突進を防ぎ、中途半端な長さの槍で突き刺す。
さすがにキラーアントはベルの担当だが……パッチも言っていたように、ベルはただ目の前のモンスターを倒すことだけに集中できる。
背後で小さな物音。
「っ!?」
ベルは意識をパッチから背後へと移す。
即座に振り向き、飛びかかってくるニードルラビットの胴体を両断した。
そうだ、いまは戦っているのだ。戦闘に集中する。
いまはとにかくモンスターを倒す。特に仲間を呼び寄せるキラーアントだが……これは残り一匹。
奥にいるキラーアントへと走った。
途中にいるニードルラビットはすれ違いざまに切りつけ、倒したかどうかなど確認せず、本命のキラーアントへ。
突き出してきた前脚を、左手のナイフで斬りとばし、右手の “ヘスティアナイフ” でキラーアントの首を刎ね飛ばした。
「よし!」
残りはニードルラビットだけだ。
小型で数は多いが、いまのベルの敵ではない。
切って、薙いで、刺す。
それを繰り返して、最後のニードルラビットの胸にナイフを突き立てた。
ドサリと地面に落ちたニードルラビットを見やり、ベルは「ふう」と一息をついた。
パッチを見やると、そちらはそちらでさっさと魔石を回収してしまっていた。
ずいぶん手慣れているらしく、あっという間に終わってしまった。
二人は並んで、再び通路を行く。
「いやはや、流石ですねえ旦那」
「いえ、パッチさんのおかげで僕も助かっていますよ」
「へへ、謙虚なことで。もっと胸をはっていいんですよ? あっしなんざただのサポーターなんですからね」
見上げるその横顔には、自分を卑下して他人に媚びる、そんな笑顔が張り付いていた。
ベルはその表情を見るたびに複雑な気分になる。
年下の自分にどうしてそこまでへつらうのだろう? と。
「それにしても旦那……そのナイフ、大した切れ味ですねえ。いったいどこで手に入れたんですかい?」
パッチが “ヘスティアナイフ” を見つめて言った。
「これですか? これは神様にもらったんです。でもどうやって買ったのか、結局、教えてくれませんでしたよ」
「神様から直接……ずいぶん気に入られているみたいで」
「はは……」
苦笑いした。
気に入られている、といえばそうなのだろう。
女神ヘスティアが、自前のたわわに実った禁断の果実を押しつけるように抱きついてきたり、朝起きたらベルの上で寝ていたりして、ベルに宿る下半身の獣が暴れそうになることは、まあよくある。
それは置いといて。
「眷属が僕だけ、っていうのもあるんでしょうけど」
「あー、あー、あー、だからソロなんですねえ。だったら……へへ、経験値稼ぎのためにも、もうちょい下に行ってみましょうや」
「下って……うーん……」
歩きながら悩んだ。
エイナにも言われたことだが、冒険者が冒険をするのはあまり褒められたことではない。
上級冒険者とてわずかな不幸で命を落とすこともある。
しかし、だ。
危険を犯すことなく高みを目指すこともまた不可能なのだ。上層の弱いモンスターばかりを倒していてもステータスの伸び率は低い。
アイズはどうだろう? とベルは思った。
彼女は果たして楽な道を選んであの高みに立ったのだろうか?
……きっと、違うだろう。
生まれついての才能もあるかもしれないが、それだけで高嶺の花になれるはずがない。
「旦那ならやれますよ。なんたってシルバーバックをその年で倒したんですから」
パッチの言葉が、ベルの背中を押した。
そうだ、僕ならやれる。いや、やって見せたではないか。いまさら何を恐れるというのか。
「わかりました。行きましょう」
「へへへへ……そうこなくっちゃあ……」
パッチは歩く速度を少しだけ落とした。
前を歩くベルが、いまのパッチがどんな表情をしているかなど、知るはずもない。
岩肌の多い通路をしばし進むと、パッチが声を出した。
「えーっと……近道は……こっちですぜ」
「近道?」
「ええ。ここいらの壁には亀裂が入ってるでしょう? たまにでかい大穴が開いて、一気に下の層に降りられる場所があるんですよ。まあ来てくだせえや」
パッチはいくつかに分かれた通路のうちの一つを進み、そして壁の亀裂に体を押しこんだ。
大楯と荷物を持ったパッチが通れるのだから、軽装で子供のベルは楽に通れる。そんな亀裂だ。
抜け出ると、そこには大きな穴がぽっかりと口を開けている。
ベルには巨大なモンスターが大口を開けているように見えた。
「へへ本当なら通航料を取るんですがね、まあ旦那なら教えやすよ。ささ、あそこの足場に降りてくだせえ」
言って、パッチは大穴の中を指差した。
「足場?」
ベルは大穴に近づいて下を覗き込んだ。
しかし薄暗い闇が沈んでいるだけで、降りられそうな場所はない。
穴は切り立った崖のようで、底がうっすらと見える。降りたらよじ登るのは無理だろう。
「足場ってどこに……っ!?」
突如としてベルの背中を悪寒が駆け抜ける。
背中が泡立ち、生存本能が叫ぶ。
逃げろ!
振り返った時にはもう手遅れだった。
大楯を背後に放ったパッチは、両手でベルの “ヘスティアナイフ” のベルトをつかむ。
そしてあまりにも手馴れた早技でベルトの留め具を外した。もはや泥棒のスキルとしか言いようがないほどの早さ。
「なにをーー」
パッチはベルの腹に右足を乗せて、蹴り飛ばした。
つまり、ベルの背後の、大穴の方へ。
「うわっ、あっ、あああああああああああああ!?」
とっさに頭を両手でかばうことができたのはもはや奇跡のようなものだ。
短い浮遊感。
それから。
衝撃。
「かはっ……!」
肺の空気が一気に絞り出される。
背中や腕が悲鳴をあげ、視界がぐらぐらと揺れ動き、耳障りな笑い声が聞こえてきた。
「ひゃははははははぁーははははは! お前みたいな世間知らずの間抜けが、アイズ・ヴァレンシュタインの隣に立てるわけないだろ、ぶぁーか!」
「なに、を……っく……」
全身が軋み、ベルは体を起こすのがやっとだった。
見上げた先には嘲りの顔をしたパッチの顔があり、愕然とした。
いまさら嫌な予感が沸き起こってきて、何かの悪い冗談であってくれと願わずにはいられない。
「お前が悪いんだぜ? ガキのくせに『ヘファイストス』の武器なんざ見せびらかしやがってよ、鴨が葱背負って歩いてるようなもんだぜ、へへへへへへ」
パッチの手には “ヘスティアナイフ” があり、それを見せつけるようにひらひらさせる。
慌ててベルは自分の腰を見て手を回すが、当然ながらそこにはなにもない。奪われた。
「なっ!? か、返せ!」
「返すわけねーだろバーカバーカ。このナイフは高ーく売り払ってやるからよ、安心してくたばってくれや。あひゃ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」
耳障りな笑い声を残して、パッチの姿は消えていく。
「パッチィイイイイイ!!!」
怒りが叫び声となって噴き出した。
全部、最初からこのつもりだったのだ。
パッチが話しかけてきたのも、サポーターにしてくれなんて言ったのも、おだて続けたのも、この場所まで誘い込むための罠だったのだ。
“ヘスティアナイフ” を奪う。そのための。
『旦那はきっと将来大物になること間違いなし! きっとアイズ・ヴァレンシュタインと並び称されるほどの人物になりやすぜ?』
バカか僕は!? あんな言葉に乗せられるなんて!
「くそっ、くそっ、くそぉ!」
ベルは自分を罵った。
もっと注意すべきだったのだ。以前の顔見知りだからといって親切にしてくれる保証などどこにもない。
いまになってそのことを思い知った。
ベルは両足に力を込め、どこも折れていないことを確認した。
とにかく上に行かなければならない。パッチがどこかの誰かに売ってしまえば、もう戻ってくることはないだろう。
ここをよじ登ろうにも壁はもはや絶壁と言っていい。
だが幸いにも亀裂のような通路がある。閉じ込められたわけではない。
「くっ……」
背中の鈍痛をこらえて壁の亀裂に体を押しこむ。
亀裂はちゃんとした通路へと続いており、そこに出た。左右に顔を向け、どちらへ進めばいいのか逡巡した。
来た道を戻るという選択肢がない以上、いつまでも悩み続けるわけにはいかない。
ベルは意を決して右へと進む。
背中の痛みも次第に和らいできて、小走りになって通路を行く。
焦りがベルの足を急がせる。
「っ!?」
前方の薄暗がりの中に赤い目が爛々と輝き、こちらへと近づいてくる。
「こんなときに!」
小剣とナイフを抜いた。
本当に体に異常がなくてよかった。捻挫や脱臼、骨折をしていたらと思うとぞっとする。
暗がりの中から現れたのはコボルト……なのだが、全身が赤く濡れぼそり、ベルの知っているコボルトよりも二回りは大きい。
「強化種……」
苦虫を噛み潰した。
モンスターが別のモンスターを喰らい、その魔石を取り込むことでより強力な個体になることがある。
よりによって “ヘスティアナイフ” を失ったいま遭遇するとは、最悪に過ぎる。
焦燥と怒りの中でベルは歯ぎしりし、強化コボルトを観察した。
コボルトはこちらへとじりじりと歩み寄ってくる。全身を濡らしているのは返り血だろうか。
いや、返り血だけではない。
コボルトは左足を引きずっていた。それによくよく見ると胸と左の太もものあたりが特にドス黒い。
間違いなく冒険者と一度戦っている。
冒険者を斃したか、逃れてきたかのどちらかだ。いずれにせよ弱っていることに変わりはない。
戦わずに逃げたほうがいいかもしれない。
ベルがそう思った時、コボルトはゾロリと並ぶ牙を剥き出しにして吠えた。
『アオオオオオオオオオオォォォン!!』
その遠吠えにも似た
速い。
足の負傷など気にしていないかのようだ。
ベルはかつて聞いた、手負いの獣ほど恐ろしいという話を思い出した。
他者に傷つけられ、生命の危機に瀕した猛獣は凶暴性や攻撃性が増すものだと。
背中を向ければ間違いなく背後からやられる。ベルから逃亡という選択肢がなくなった。
右手に小剣、左手にナイフを構える。
「やるしかーー」
コボルトは両手を広げ、よだれを撒き散らしながら大口を開けて迫る。
ベルに抱きついて頭からかじって腹に入れてしまおうという腹積もりだろうか。
「ーーない!」
ベルはコボルトの脇腹へと飛びこんだ。頭上をコボルトの手がかすめ、がら空きとなった脇腹をナイフで切りつける。
浅く皮膚を切る感触。しかし。
いつかのスキャッチと同じだ。体毛に刃が阻まれて、深く入らない。
『アァアアア!』
コボルトが背後へ蹴りを見舞った。
それはベルの背中を打ち付け、ベルは壁に頭から突っ込む。
岩壁の尖っている部分が見えた。
額をしたたかに打ち、星が飛んだような気がした。
それでもとっさにしゃがむ。
直後、ベルの頭があった場所をコボルトの爪が通り過ぎる。
ベルはしゃがんだままコボルトを見上げた。
コボルトの足が、いまにもベルを踏み潰そうと高々と上げられているではないか。
「うわっ!?」
地面を転がった。ズシンとコボルトの足が落ちる。
ーー距離を取りたいなら飛び退くと同時に何かを投げつけろ。そこらの石でもいいーー
不意に……本当に意図せずして、ベルの頭にスレイの言葉が浮き上がった。
そしてベルは立ち上がると同時にコボルトの顔を目がけ、左手のナイフを投げつけた。
そのナイフは振り返ったコボルトの右目に的確に命中した。
好機!
ベルはコボルトへと駆ける。
コボルトは残る左目でベルを睨みつけ、ナイフが刺さったまま右腕を薙ぎ払った。
ーー爪が邪魔なら指ごと切り落としてやれ。すばしっこいようなら足を潰せ。まずは弱らせろーー
「ここ!」
その横なぐりのコボルトの右手を狙って、右手に持つ小剣を振るう。
コボルトの五本指が血しぶきを上げて宙を舞う。怯み、後ろへとたたらを踏んだ。
ベルはさらに踏みこみ、コボルトは吠える。
『ガアアアアァァァァァ!!」
コボルトは大口を開けて迫った。
この距離ではもう避けられない。
ベルはとっさに左手をかざし、コボルトの嚙みつきを左手で受けた。
二の腕にはエイナにもらった籠手を装着している。
籠手が、コボルトの牙を防いだ。ギチチと軋む。
「終わり、だっ!」
コボルトの頭に小剣を突き刺そうと振り上げた。
コボルトの左目が、ベルの小剣を見た。そして突き出される小剣の刃を左手で握りしめ、止めた。
コボルトの手のひらに刃が食い込み、血がつうと流れる。
ベルはこのまま押し込んでやろうとするが、コボルトの握力が凄まじい。
ミシ、と噛みつかれているベルの左腕が悲鳴を上げた。このままでは噛み潰される。
至近距離でベルとコボルトはにらみ合う。
両者の殺意のこもった視線が交わり……ベルは気づいた。
コボルトの右目にはナイフが刺さったままではないか。
ベルは小剣を手放してナイフをつかみ、えぐる。
『ガアアアア!』
たまらずコボルトは悲鳴を上げてベルの左腕と剣を手放した。
ベルはコボルトの眼球ごとナイフを引き抜いて、コボルトの喉を目がけてナイフを突き出す。
今度こそ決まった。
ナイフは食道を切断し、動脈と静脈を引き裂き、脊椎を破壊。
ビチャチャッとおびただしい血がベルに降りかかる。
新雪のようなベルの髪の毛を、赤いまだら模様に染めあげて、コボルトはようやく倒れた。
肩で息をつきながら、小剣とナイフを鞘に収める。
本来なら飛び上がるほど喜ぶところだが、いまは時間が惜しかった。
魔石を回収する時間も惜しみ、ベルは足をふらつかせながら通路を行く。
ズキン
「うっ……」
額に突き刺さる痛みを感じ、そこを撫でる。
その手は真っ赤に濡れた。
これは返り血だけではない。あの時……壁に叩きつけられたとき、深く切ってしまったらしい。
額はわずかな傷でさえも派手に出血するものだ。急がないと本格的にまずい。
そういえばと思い返した。
あの強化コボルトはすでに冒険者と戦っていたはずだ。
そうだとしたらこのコボルトが残した血痕をたどっていけば、その冒険者のところにたどり着けるはず。
コボルトが生きていたのであれば、冒険者が死んだか、コボルトが逃げ出したかのどちらかだ。
冒険者が生きているなら助けてもらうしかない。
そう願ったのだが……結論は前者だった。
通路に横たわる五人の冒険者の亡骸。
頭があらぬ方向にねじ曲がっていた。
腹部から臓腑が飛び出していた。
喉が噛み切られていた。
全身が引き裂かれていた。
肩の肉が大きく抉れていた。
その周囲にはいくつもの魔石が散らばり、まるで亡骸を宝石で飾っているように見えた。
強化コボルトとモンスターの群れに遭遇し、ここで全滅したのだろう。
「う……」
冒険者はいつも死と隣り合わせだ。そんなことは理解しているつもりだった。
しかしまざまざと見せつけられる。
これが死だ。
ダンジョンで死ぬとはこういうことだ。
ベルの中で、何かが切れそうになる。
人としての理性、正気、希望、そういったものがいまにもぷっつりと切れそうになるが、すんでのところでとどまっていた。
アイズ・ヴァレンシュタイン。
美しく、清らかな、剣の姫君。
彼女に認めてほしいという強い想いが、ベルの正気をかろうじて繋ぎ留めていた。
まだだ。まだ、絶望はしていない。
「あ……」
その五人の冒険者はみんな若い。
年齢で言えばベルとそう変わらないかもしれない。いやむしろベルよりも幼いような少年もいる。
夢、希望、野心、将来の目標、それらを失った彼らの表情には、深い絶望の色があった。
もしかしたらベルもこうなっていた。
いや下手をすると今日中にこうなってしまうかもしれない。
ズキン
額が痛む。
その痛みが、ベルの視線を動かし、地面に転がる荷物袋に止まった。
その荷物袋からはみ出しているものは……あれはポーションだ。
ズキン
血が、ベルの顔を赤く汚す。
命が少しづつ、確実に流れ出していく。
だからーー。
「……さい……ごめん、なさい……ごめんなさい……」
やってはいけないこと。
それはわかっている。しかしもう綺麗事を言っている余裕はなかった。
「ごめんなさい」
もうここに彼らの魂は残っていないだろう。
ここにあるのはただの抜け殻。
ただの肉の体。
それでも、謝った。
謝って、荷物袋を拾い上げた。
中にはライフポーションの他にもスタミナポーション、そしてモンスター除けの臭い袋が残っていた。
ベルはそれらを抜き取って、二つのポーションを一気に飲み干した。
痛みが和らぎ、足に力が入る。
出血も少しはおさまった。
「……」
罪滅ぼし。
ベルは自分にそう言い聞かせて、五人の遺体からドッグタグを外した。
この人たちの帰りを待っている人もいるだろう。
もう帰ってくることはないとしても、せめて結末だけは知らせてあげたかった。
ベルは帰ってこない人を待ち続ける苦しみを知っている。だから……タグだけは届けてあげたかった。
「ごめんなさい……必ず、届けますから、許してください」
遺体に深く頭を下げて、ベルは臭い袋を使った。
※ ※ ※ ※ ※
パッチは上機嫌にオラリオの通りを歩いていた。
なにしろ今回の獲物は『ヘファイストス』の銘が刻まれた業物だ。
武器や防具に『ヘファイストス』と刻むことが許されるのは一級品の証拠でもある。
一級品の武器ともなれば七桁はくだらないだろう。いやひょっとすると億の値打ちがついてもおかしくない。
「ふへ、へへへへへ……」
こらえようにも笑いがこみ上げてきてしまう。周囲から「なんだこいつ?」というような視線が注がれるが、知ったことではない。
売り払った後のことを考えると笑いも出るというものだ。
まずは歓楽街に行って極上の美女とハーレムと洒落込み、タマが痛くなるまでやることやって全財産を叩いて宝石に換金、オラリオを出て行く。
そして遠い街で家を買って残りの人生を遊んで過ごそう。
いつまでもヤーナムファミリアの使い走りなんてごめんだ。
そんな夢想を描き、パッチが向かったのは裏路地にある『看板のない商店』だった。
なぜ店なのに看板がないのか?
それは取り扱っている品に色々と問題があるからだ。
盗品から人間まで様々なものを買い取り、販売している。
どのようなルートを持って売りさばいているのか知らないが、きっと『看板のない商店』もなにかの神様の恩恵を受けている大規模な組織なのだろう。
パッチはドアを開けて中に入った。
廊下が奥へと続き、その右側には上にのぼるための階段がある。一見すると安宿のような作りだ。
「すいませんお客さん、現在満室となっております」
左のカウンターにいる老人が告げた。
「三階にある一◯五号室に行きたい」
「入りな」
合言葉を告げると、老人は後ろのドアをを親指でさした。
「へへへ……今日は大物だぜ?」
「そうか、よかったな」
老人は興味なさげに返事をして、カウンターの下からパイプを取り出し、火をつけるのだった。
パッチは老人の後ろのドアから中に入る。ここが鑑定所だ。
買い取ったものは別の場所に移しているのだろう、ここにはカウンターと、天秤や虫眼鏡などの器具が置いてあるだけだった。
「見てくれ。ヘファイストスの武器だ」
ベルから奪ったナイフをカウンターに置いた。
羊皮紙に何かを記入していた鑑定人のドワーフは手を止めて、ナイフ手にとってまじまじと見つめる。
「ふむん?……ヘファイストスの銘柄はたしかに本物だな。中身は……神語の刻まれた刀身、か。初めて見る」
パッチは胸の高まりを感じながら、査定額が出るのを待った。
ドワーフの鑑定人は刃をじーっと、舐め回すように観察し、「ふん」と鼻を鳴らす。
「ここはガキのオモチャ持ってくるところじゃねえぞ」
ガラクタでもそうするように、ポイとカウンターに投げやったではないか。
これにはパッチも食ってかかる。
「おいふざけんなよ! てめえいまヘファイストスの銘は本物だって言ったじゃねえか!」
「鞘は確かに本物だ。だが見ろ」
ドワーフは面倒臭そうに羊皮紙を取り出して、ナイフで切ろうとする。が、切れない。
「刃研ぎすらされちゃいない。こんな羊皮紙一枚切れないものになんの価値があるっていうんだ? ヘファイストスの銘が刻んである鞘にオモチャ突っ込んであるだけだろ」
「そんな馬鹿なわけあるかよ! 俺は確かにこいつでキラーアントをぶった切るところを見たんだぜ!?」
「おまえさんが見ようが見まいが関係ないね。さっさと持って帰んな」
話は終わりだとでもいうように鑑定人は背中を向け、再び羊皮紙になにを書き始めた。
パッチは歯ぎしりしながらその背中を睨みつけて、ナイフと鞘を奪うように握って部屋を出る。
「どうだった?」
「うるせえ!」
受付の老人を怒鳴って飛び出す。
こいつがガキのオモチャ!? そんなことありえるか!
誰彼かまわず怒鳴りつけて蹴り飛ばしたい気分だ。
だがあの鑑定人は嘘をいっていないだろう。
嘘をつくなら売り手であるパッチがギリギリ我慢できるかできないかの瀬戸際の安値をつけるだろう。
決して持って帰れとは言わないはずだ。
「あああああああくっそ、わけわかんねえぞ」
自分の禿頭をガリガリとかいた。
こうなったら片端から鑑定してもらうしかない。
もしかしたら別の店が高値をつけるかもしれない。
狭い裏路地から大通りに出て、とにかくあちこちに見せて回ったが……結果は同じだった。
「なにがどうなってんだよくそったれが……」
悪態をつきたくもなる。
どの店も三十だの五十だのそんな値打ちしかつけない。
そんなこと絶対にありえない。パッチは自分の目でたしかにこの切れ味を見ているのだから。
ダイダロス通りに入った。今日はもう歩き疲れた。さっさと寝てしまいたかった。
「待ちなさい」
後ろから女性に声をかけられ、パッチは振り返った。
どこかの店の従業員なのか、制服を身につけたエルフの女性と猫人の少女がいた。
買い出しの帰りなのか、大きな籠を持っている。
「んだよ?」
「そのナイフ……少し見せてもらいたい」
女エルフはパッチの持つナイフを指差し、嫌な予感がした。
「てめえには関係ねーだろ」
「待て」
背中を向けて立ち去ろうとした時、ゾッとした。
殺気とでもいうのか背筋が凍る。
慌てて振り返ると、エルフは恐ろしく冷たい目線を向けてきていた。
エルフの隣にいる猫人でさえもたじろぐほどの。
「そのナイフは私の知り合いのものとよく似ている……見せたくない理由でもあるのですか?」
「う、うっせーんだよ!」
パッチは自分でも気づかないうちに冷や汗を流していた。それでも目一杯の強がりを見せる。
パッチにだってちっぽけなプライドがある。
脅しとはったりだけでいままで生きてこられたのだ。押し切られまいと声を荒げた。
「こいつは拾ったんだよ! 拾ったもんをどうしようと俺の勝手じゃねーか!」
「ではなおさら確認させてもらいたい。拾っただけのものならやましいことなどないはず。それに知り合いのものでしたら、ファミリアの元へ返すべき」
「うるせー、うるせーよ……だいたいおめえとあのガキが知り合いだっつー証拠でもあんのかよ、ああん?」
「あのガキ?」
「っ……!」
しまった。
そう思った時にはもはや手遅れだった。
「拾ったものなのに、なぜ少年のものだと?」
エルフは目にも留まらぬ速さで小太刀を抜き、それをパッチに向ける。
「力づくで、確認するしかありませんね」
パッチは即座に踵を返して走った。
もう逃げるしかない。
「クロエは先に戻ってて」
走りながら振り返ると、女エルフは籠を猫人に渡して走り出した。しかも恐ろしく速い。
パッチは腰の道具入れから紐付きの火炎瓶を取り出した。
油の染み込んだ紐を壁でこする。
摩擦熱で火がついた。それを背後に投げつける。
バリン! と音を立ててパッチの背後で火が起こる。
「うっ!?」
エルフは思わず立ち尽くした。
パッチその隙に右へ左へと交差路を曲がる。
ダイダロス通りはパッチにとって庭のようなものだ。複雑に絡んだ逃亡経路なら熟知していた。
ひとしきり奥へと逃げ込んで、ちょっとした広場でふーっと息をついた。
「あーあーあー……面倒くせーのに見つかっちまった」
ほとぼりが冷めるまでは昼間に出歩かない方がいいかもしれない。
そう思った時だ。
「パッチイイイイイ!」
聞き覚えのある声。
まさかと思い通路を振り返ると、血で全身を汚した少年、ベルがそこにいた。
白かった髪の毛は赤いすだれとなって固まっているし、鈍色のライトアーマーもまだら模様に染まっている。
ダンジョンから戻るまでになにがあったか、容易に想像がついた。
「またかよ。っつーまだ生きてたのかよ?」
「ナイフを、返せ!」
ベルは一直線に駆け抜けてきた。
パッチは奪ったナイフを道具入れの中に突っ込み、木の大楯を構えて身を隠した。
「しつけーんだよ。だいたいーー」
大楯で身を隠したまま、パッチは “銃槍” を腰のホルスターから取り出す。
そして槍を引き延ばした。
短い状態ならば片手で扱える剣として。伸ばせば散弾銃と槍を組み合わせた武器として機能する。
ベルが近づく。
散弾の有効殺傷範囲に近づく。
「ーーてめーみたいなションベンくせーガキにまで舐められてたまるかってんだよコラァ!」
大楯から身を乗り出して銃口を向けた。
ベルはといえば “銃槍” の刃の上にある穴の正体に気づく。
パッチが引き金を引くのとベルが右へ飛ぶのは同時だった。
ドン!
銃口から乾いた音とともに粒のような鉛玉が吹き出すものの、それらはベルの背後にある壁にめり込むだけだった。
パッチは舌打ちして大楯を左手で構える。
「
大楯をベルに向けたまま接近。
ベルから奪ったナイフならば大楯ごと切り裂いたかもしれないが、それはいまパッチの手元にある。
大楯は木製だが、普通のナイフや剣を防ぐくらいわけないのだ。
「っの!」
ベルは大楯などかまわずに小剣を振った。
だがそれは大楯に傷をつけるだけに終わり、パッチは大楯上から “銃槍” を突き出す。
ベルはとびのき、様子を見るように距離をとった。攻めあぐねているのが手に取るようにわかる。
パッチは大楯を地面に置き、肩に乗せて身を隠す。そのまま空いた左手で “銃槍” から空の実包を捨て、新たな実包を込めた。
再びベルは突っ込んできた。
頭に血が上っているのか、ベルの表情には朝のような甘さは感じられない。
「何回も同じ手がーー」
パッチは足に力をこめて踏みこみ、
「ーーきくかっての!」
「うあっ!」
弾き飛ばされたベルは地面に転がった。どうやら脚にかなりきているらしい。
立ち上がれずにパッチを睨む。
「くたばれ」
パッチは銃口をベルに向け、撃った。
だが “銃槍” は衝撃と共に明後日の方向へと向けさせられ、銃弾もまったくの別方向に飛んでいった。
なにが起こったかと思えば、 “銃槍” につい先刻見た小太刀が突き刺さっているではないか。
飛んできた方を見ると、さっきの女エルフだ。銃声を聞きつけたのだ。
「やはりそういうことですか」
冷徹な眼差しがパッチを見据える。
「リューさん?」
「無事……ではなさそうですね。私も手伝います」
このリューという女エルフとベルは知り合いらしい。
二対一だ。部が悪い。悪すぎる。
「くそったれが……」
おまけにこのリューというエルフの気配は只者ではない。
下手をするとレベル3か、あるいは4はあるかもしれない。
リューは素手だが勝てる気がしない。
パッチの冷や汗が止まらない。
火炎瓶は一つしか持ってないし、今度こそ逃げられない。
「くそぅ……」
だからと言ってパッチは諦めない。最期の最期、心臓が止まるその直前まで往生際の悪いやつが生き残るのだ。
思考が高速で動き回り蛇に睨まれたカエルのように足が動かない。
その間にもベルは立ち上がる。
「こうなったらしゃあねえ……」
最後の手段を選んだ。
パッチは大楯と “銃槍” を放り捨ててベルに向き直る。
ベルはとっさに武器を構え、リューもまた戦闘態勢に入った。
そしてパッチは両膝を地面につき、さらに両手と額を地面に押し付け、あらん限りの大声で叫ぶ。
「すいませんでしたああああああああああああああ!!!」
「…………」
「…………」
間。
間。
間。
「……は?」
ベルもリューもそろって唖然とした。
パッチは叫ぶように許しをこう。
「ほんっっっとおおおうに、申し訳ありませんでしたああああああ!」
「…………」
「…………」
ベルが顔を引きつらせているうちに、パッチは続けて言う。
「実はそのお、あっしには病気のお袋がいて、その治療のためにはどうしてもお金が必要だったんです! それでその、ベルの旦那のナイフを売りさばいて、薬の足しにしたかったんです! 本当に、本当にすみませんでしたああああ!!」
パッチは額を地面に押し付けたまま、器用にベルのナイフを取り出し、それを差し出した。
「どうかお命だけは許してくださいいいぃぃぃ……」
「えーっと……」
「ああもちろん今回の魔石の報酬です。どうかこれも差し上げますから」
言って、換金した財布袋も取り出してナイフの横に置く。
「それからその、あっしのせいで怪我もしてしまったみたいですので、どうかこれも使ってくだせえ」
で、今度はライフポーションを三つ取り出し、それも差し出す。
「……」
※ ※ ※ ※ ※
ベルはどうしたものかと悩んだ。
パッチの態度の変わりっぷりに、怒りも憎悪も消し飛んでしまう。
パッチがしているカエルのモノマネのようなこの姿勢は、たしか土下座というそうだ。
なんでもタケミカヅチの国に伝わる最大級の謝罪と嘆願の姿勢だとか。
「それで、どうするおつもりですか?」
リューが歩いてきた。
「直接の被害者はあなたですから、あなたの判断に委ねますが……」
リューはそう言い、銃だか槍だかわからない武器から小太刀を引き抜いた。
パッチは額を地面に押し付けたまま微動だにしない。
この姿を見ているの憐れみさえ覚える。
ひとまず “ヘスティアナイフ” を拾い上げて鞘を抜いた。
神語の刻まれた刃は光を放ち、これが本物であることを証明する。
「……もう、いいですよ。ナイフも戻ってきましたから」
生殺与奪権はたしかにベルが握っている。
しかしだからと言って、冷静になったいまパッチに手をかけることなどできなかった。
パッチはゆっくりと顔を上げた。
「へ、へへ……いや本当に、すみま……」
ザクッ
リューはパッチの眼前に、パッチの槍を突き刺した。
パッチの体はビクリと震え、リューは淡々と、死刑宣告に等しい冷たい声で告げる。
「あなた……次はありませんので、そのつもりで」
「へ、へい……」
「行きなさい。そして二度と姿を見せないように」
「は、はひいっ」
パッチは立ち上がると、武器と大楯を持ってダイダロス通りの路地へと消えていった。
リューはベルへと向き直ると、先ほどとは変わって小さく笑みを向ける。
「手酷くやられましたね」
「はは……でも、なんとか……」
ズキン
安堵するとともに、頭を割るような痛みが再び戻ってきて……ベルはもう、自分が立っているかどうかもわからなくなった。
※ ※ ※ ※ ※
「……あれ?」
気がついた時、ベルは見知らぬ天井を見上げていた。
木目の板が並ぶ天井だ。
体を起こそうとして、妙な弾力が体に押し付けられていることに気づく。
この理性を奪う禁断の弾力には一つ身に覚えがあり、なんかいやな予感がして体にかかっているシーツを剥がした。
そこには黒いツインテールの女神様がいたわけだが……裸。
一糸まとわぬ生まれたままの姿。神様が下界に降りてくる時も裸なのか? という疑問はこのさい捨てるとしよう。
問題なのは非常にけしからん格好の少女がベルの体にぴったりと密着させていることなのだ。
「あ、やっ、ちょ……」
顔まで真っ赤にして下半身の獣がいまにも鎌首をもたげそうになり、ベルは、
「うおわあああああああああああああ!」
と叫んでベッドから転がり落ちるのだった。
その叫び声で少女、もといヘスティアが目を開けた。
「ベル君! 起きたんだね! 平気かい! どこか痛いところは!?」
「っていうか神様! 服! 服着てくださいよ!」
たまらずベルは背中を向けて顔を両手で隠した。
だがヘスティアはお構い無しにその背中に抱きついて自慢のOPPAIをぐいぐい押しつける。
「ベルくうううん! 君もう二日は寝てたんだよ!? 体も氷みたいに冷たくなってたしもう本当に死んじゃうんじゃないかとおおおおお!」
「大丈夫ですから! 僕もう大丈夫ですから! だから服着てください!」
この騒々しいやりとりを聞きつけてかバタバタと足音が響いてきてばたーんとドアが開いた。
「ベルさん! 起きたんですか!?」
入ってきたのはシルだった。
のだが、裸のヘスティアが抱きついている姿を見て硬直する。
「シツレイシマシター」
片言の言葉を残してシルは去っていき、ベルはとりあえず途方にくれるのだった。
助けてくれた『豊穣の女主人』の人たちにひとしきり感謝して回り、パッチが残したお金で二日ぶりの食事をお腹に詰めて、ようやっとベルはヘスティアファミリアの本拠へと戻ってこられた。
ことの顛末を聞く限りでは、ベルはリューによって『豊穣の女主人』へと運び込まれ、そこで手当てを受けたのだった。
特に額からの出血が予想よりひどく、ヘスティアのいうようにベルの体温は冷たくなっていたそうだ。
だから人肌で温めようというのはまあわかるとして、なぜ裸?
「だってその方が直接熱が伝わるじゃないか」
と、いうことなのでもう何も言わないことにした。
ベルはいつもベッド代わりにしているソファに座り、大きくため息をつく。
「今回ばかりは、もうダメかと……」
「まっっったくだよ、ボクのことを心配させてばかりで!」
ヘスティアは隣に座って頬を膨らませ、ベルから顔を背けた。
「いったい何があったんだい?」
ベルはうつむき、ポツポツと話した。
「前に話した……ヤーナムファミリアの、別の人に、サポーターとして雇って欲しいと言われたんです。それでーー」
「騙されてナイフをとられそうになったと」
「はい……少なくとも、あの時の二人はいい人でした。でもパッチって人は、そうじゃなかった」
パッチは病気の母親のためだと言っていたが、だからといってベルが代わりに犠牲になる筋合いはない。
スレイやファナは、ベルの感想で言えばいい人だ。
スレイの助言がなければ赤いコボルトに殺されていたかもしれない。
……赤いコボルト。
あの五人の亡骸を思い出してしまい、より一層表情が暗くなる。
「……ダンジョンで……亡くなった冒険者を見つけました」
「君が持っていた、あの五人のタグだね?」
「……僕と、歳が同じくらいの人たちで……みんな、死にたくないって顔をしてて……」
思い出すと涙がこみ上げてくる。
涙が流れる前に拭った。
「べ、ベル君が気にすることじゃないよ。そういうこともあるさ」
ヘスティアはつとめて明るい声で言う。
「……それで、僕は……その人たちの荷物から、その、ポーションを、盗んだんです」
「そう、か……」
これは懺悔だ。
罪の告白。
二人きりだから言いたかった。
「僕は……ぼくは、死ぬのが自分じゃなくて、良かったって、いま、そう思ってます……」
涙が止まらない。
爪が食いこむほどに強く手を握りしめた。
「ぼくは……最低だ……」
「ベルくん!」
ヘスティアはベルに抱きついて、雪のような髪の毛を撫で回す。
「ボクは君が生きて戻ってくれて嬉しいよ! 君はボクを一人っきりにしないって約束したじゃないか! 自分のことを最低だなんて言わないでおくれ!」
「う、うぅ……」
生還した嬉しさ。
生還するための浅ましさ。
人間のいやらしい一面はベルにもある。
それを自覚するのは、とても辛いものだった。
ヘスティアの腕の中で、ベルは年相応に泣きじゃくった。
みんな大好きパッチさんとベルくんのお話でした。
このベルくん、ソウル傾向が黒くなりそうで怖い。