精霊達の日常〜Another Story〜 作:Atlas_hikari
主人公の黒猫の魔法使い(男)が出ます。ご注意ください。
──どうしてこうなったんだろう。
後悔で埋め尽くされた胸にそんな思いが飛来する。
──魔法使いさん。
──私は、どうすればいいんでしょう?
これは、夏に別れを告げる前日譚。
◆
彼との出会いはとても単調だった。…その後行った状況説明に比べればの話だけれど。
「な──」
「──これが、この世界で起きていることです」
目の前には、昨日も見た祭りが準備されている。
もはや見慣れた光景だった。
隣のカヌエは慣れた──いや、そもそも人間ではないのだから、慣れる以前に感情を動かしてすらいないのかもしれないけれど──ようで、呑気そうに座っている。
「詳しいことはまだわかりません。なにが理由で、こうなっているのかも。ただ──」
「──1日が繰り返されている。何かの条件で」
「…はい」
今はまた朝、それも早朝に近い時間だ。流石に祭りと言えども、こんな時間から活動する人間は少ない。
「…このまま放置すれば?」
「いずれ”時”が死にます。そうなってしまえばこの異界ともども終わりです」
「……重い任務にゃ…」
魔法使いさんはまだ頭の整理が追いついていないようで、少し呆けたような顔をしている。
「繰り返しに巻き込まれる時、普通の人は記憶を失います。…が、カヌエの力を借りて作ったその手帳にその日の出来事を書くことで記憶を保持することが出来ます」
「…縁結びって、結構なんでもできるにゃ」
魔法使いさんの肩の上にいる猫──ウィズさんはある程度慣れているのか、冷静に状況を分析している。
「──どうして僕が?」
「知り合いからの推薦です。あなたなら、と」
「また勝手な…」
私は彼に向かって手を出す。
「重い使命なのは承知の上です。その上で──お願いします。どうか、私達を助けてください」
「──うん…うん。そう言われると、断れないね」
…彼なりに踏ん切りがついたのか、苦笑いを浮かべながらも、私の手を取ってくれた。
「──ありがとうございます」
◆
こうして、私達はともにこの状況を終わらせるために動いた。
流石に細かいところまでは覚えていないけれど、その中で、黒猫の魔法使いという存在に興味を持ち始めたのは確かだった。
人助けを好んで─もはや過剰と言えるほどに─する彼の姿は、今まで見てきたどんな異界の人とも違って見えた。
「魔法使いさんは、どうしてそんなに人を助けるんですか?」
そんな質問を、いつかした記憶がある。
彼は確か──
「魔導士は奉仕者であれって、昔教えられたからね」
そう答えた覚えがある。
それだけじゃないだろうとその時は考えたし、今だってそれだけじゃなかったのだろうと考えている。
その時は、彼をここに連れて正解だとも思ったし、彼は辛い思いをするだろうとも思った。
事実、彼は少しずつ疲弊していった。
何も変わらない現実に。
繰り返される毎日に。
散りばめられた矛盾に。
でも不思議なことに、そんな彼を見て心を痛めている私がいた。
今まである個人に対してそんな感情なんて持ったことがなかったから、驚いたものだ。
あの時は彼がいい人だからこそ、彼が傷つくのに罪悪感を抱いてるのだろうと考えていた。
けれど、おそらく──
──あの時から、私は彼に恋していたのだろう。
◇
──ごめんね、セティエ。
消えたくないと主張する自分を隅にやって、前を向く。
──でも僕はまだ諦めたくないから。
──だから──
◆
それからしばらくはいつも通りの日々があって。
恐らく、100を超えて5回ほどだっただろうか。
唐突に魔法使いが寝室から出てこなくなった。
「──そろそろ限界かもしれないねぇ」
「もとから抱え込む癖のある子にゃ。今は、ほんの少し休ませてあげて欲しいにゃ」
カヌエとウィズさんがそんなことを言っていた。
「では、今日は私1人で調査をしてきます。その間、カヌエは魔法使いさんを見ていてもらえますか?」
「無理はしないようにねぇ」
100日を超える──実際は一日だけれど──調査の結果として、様々な事が分かった。
ループしているという奇妙な状況下により、人間の状態や配置だけが元に戻るようになっている事。
環境が少しずつ変化したりするが、あまりに大きく変わると元に戻そうと力が働くこと。
そして、アリスという少女が様々な条件で死ぬ光景を見る事。
100回で知るにしては多くのことが知れた。これも魔法使いさんの努力の賜物だと言えるだろう。
──代償として、魔法使いさんの精神が擦り切れてしまいそうになったのは仕方の無いことだと思う。
だからこそ、魔法使いさんを休ませて、回復するまでは暫くはセティエ1人でやろうというのが、当時の方針だった。
「…魔法使いさん、入りますよ」
静かにドアを開けて、寝室に入る。
ベッドの隅に、何かに怯えるように、魔法使いさんは座っていた。
「…調子はどうですか?」
「……」
「…休めてますか?」
「……」
「…そうですか」
返事はない。
彼なりに耐えようとは頑張っていたのだろう。
それでも、あくまで常人の域を出ない彼の精神は、最後まで耐えられなかった。
「…セティエさん」
「…なんですか?」
彼の目がこちらに向けられる。怯えた、子供のような目だった。
「──僕は、あと何回、アリスを殺せばいい?」
「…魔法使いさんが殺した訳では無いでしょう?」
「見殺しにした。助けられるのに助けなかった。…それは、殺すのと同じじゃないのか?」
「──っ」
予想していたことだ。彼がアリスという少女の死に罪悪感を抱いていたのは見ればわかる。彼がお人好しだからこそそれが一番苦痛であることも。
「…セティエさん、お願いがあります」
「なんですか?」
「…僕を、元の世界に戻してもらえませんか?」
「…」
──これも予想していた。自分が使い物にならないと分かったからこそ、彼は自分を見捨てるのだ。
でも、その願いだけは、絶対に──
「………いえ。それはできません」
聞き入れることは出来なかった。
「どうして!?もうこれ以上使い物にはならないでしょう!?元の異界に帰すことはできないとしても、もう僕に構う必要はない!」
胸倉を掴まれる。彼は自分のためではなく、他の皆のために、見捨てられることを願っていた。カヌエがいたなら、元の世界に帰そうとしてくれたに違いない。
「──使い物にならないなんて言わないでください」
でも、それは私が許容できない。
「アリスさんの死にあなたが苦しむのは連れてきた私のせいです。…他の全ても全て私の責任です。全て」
「…っ」
魔法使いさんは止まっていた。いや、戸惑っていた。
……なぜ?
「…あなたは悪くありません。悪いのは全て私です。恨んでも、憎んでも、傷つけても構いません」
原因は私だった。
気が付かないうちに、大粒の涙を流して泣いていた。
魔法使いさんにいなくなって欲しくない。
初めての感情が溢れて。止められなくて。
「ですから、どうか。どうか───」
──知らないうちに、私も、限界だった。
「──私を置いていかないでください」
◆
──恋なんて、私は知らなかった。
時界での仕事の中で異界の人々の営みに愛しさや悲しさを覚えることはあったけど、それとは違う。
魔法使いさんとずっと一緒にいたくて。魔法使いさんの全てが愛しくて。
魔法使いさんと離れることが泣きだしそうになるほど怖くて。
「お願いします。どうか、私から離れないで──」
必死だった。先程の魔法使いさんにも劣らないほどに。
今魔法使いさんを失ったら自分が壊れてしまう自信があったから、ある意味生存本能だったのかもしれない。
そんな必死な私を──
「…うん」
彼は静かに抱きとめてくれた。
彼なりに少し落ち着いたのか、優しく頭を撫でてくれる。
「──あっ…あぁ…」
涙が止まらなかった。
嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。
「好きです。魔法使いさん。好き──」
愛の言葉一つ吐くだけで心の中に幸せが溢れて。
これが、愛情というものなのだと。これが人としての幸せだと。
やっと、知ることが出来た。
◆
「…落ち着いた?」
「…最初落ち着いて無かったのは魔法使いさんじゃありませんか?」
「…あはは、確かにそうだ」
2人でベッドに腰掛ける。魔法使いさんも私自身も、自分の感情を吐露できたからか、幾分か気分が楽になったようだった。
「アリスの死にいちいち責任を持っていても事態は進展しない。よく考えたら当たり前だ」
「…そうですね」
「…早くこの状況を打破することに集中しないとね」
「……そうですね」
そっと彼に抱きつく。まだ彼が無理しているのじゃないかと感じてしまう。気がつかないうちに彼が離れていってしまうのではないかと考えてしまう。
「──無理はしないでくださいね?助けが必要になったら、いつでもなんでも頼ってくれていいですから」
そういえば彼から返事を貰ってないな、と抱きつきながら思った。結局自分が滅茶苦茶に告白して終わっただけではないか。
「──魔法使いさんは、私のこと好きですか?」
「…急にどうしたの?」
「ほら、だって、返事貰ってません」
「…あぁ」
抱きとめてくれたのが返事みたいなものだと言われればそうなのだけど。むぅと膨れてアピールしてみる。
「そうか。仕方ないなぁ」
魔法使いさんは笑う。
「ほらこっち向いて。ちゃんと返事はするから」
「そうですか。それなら──」
上を向いた私の口が塞がれた。
──思考が止まる。
柔らかい感触が唇にある。
……どうして彼の顔が目の前にあるんだろうか?
……だんだんと顔が赤くなるのがわかる。これはキスなのだと、脳が理解していた。
私は今、彼と、キスをしている。
数時間のようにも、数秒のようにも感じられた。
唇が離れていくのがどうしようもなく惜しかった。
「…今のが返事って事で」
「……はい」
彼自身も恥ずかしそうだったのを見て、私と同じなのだと、とても嬉しかったのを覚えている。
◆
「…どう、ですか?これ、似合ってますか?」
「………うん。とても綺麗だよ」
魔法使いさんの前で新調したワンピースをお披露目する。彼の反応はとても良い。
「…もっと褒めてくださいよ」
「…正直に言うと、可愛すぎて目が離せない」
「…えへへ」
「──惚気だねぇ」
「完全に世界に入ってるにゃ」
魔法使いさんに褒められるだけで、幸せすぎて天に昇るような心地になってしまう。もう完全に虜になっているのだな、と感じた。
「迷ったかいがあったねぇ、セティエ」
「はい!」
カヌエの提案──なぜか告白したのもバレていたし、成功したのもバレていた──で、少しの間だけ休んで英気を養う、ということになって。
ならせっかく恋人同士になったのだからデートしよう、という思考になって──今に至る。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
2人で手を繋いで最初の1歩を踏み出しながら、私はこれから先の幸せに思いを馳せた。
◇
──2人で背負い込みすぎなんじゃないかい?
神として、されども2人の友人として、彼女は思う。
──あの2人が上手く行きますように。
──…私は誰に願ってるのかねぇ。
◆
あの後、暫くした後。
私達は、この異常事態の原因を突き止めた。
「なるほど、ソラが。そりゃあなんとでもなるねぇ」
「アリスが死んで、それに耐えられなかったサマーがソラに頼んだ、と」
原因はわかった。その上で考えれば対策は簡単だった。
「僕がサマーとアリスを魔法で保護する。その上で呪いを受ければ、ソラも納得するし、解決の方向に向かうんじゃないかな?」
「…確かに、問題はなさそうですね」
「…なーんか怪しいけどねぇ」
「一応、予想外な事に向けて準備はしておくにゃ」
後から考えれば、私はここで止めるべきだったけれど、その時の私には止める理由がなかった。なんだか嫌な予感がしても止められなかった。
「ぐっ」
「魔法使いさん!」
──だから、これは私に対する罰なのだろう。
サマーとアリスは魔法使いさんが守った。だから、これで終わるはずだったのに。
「────、───!」
無限回帰の法則。今まで死んだアリスの亡霊。それらがソラに取り憑いてからだった。
カヌエの力を合わせても3人では、2人を守りながらあの怪物を止めきれない。
私だって戦えないことはない。最低限、脅威を排除する力は持っていた。けれど、そんな力では彼を援護するのがやっとだった。
「どうすれば…」
その時、怪物と化したソラの目がこちらを向いた。
「──!」
避けられない。肥大化したソラの爪が振りかぶられて──
「──ガッ!?」
──何かがソラの顔にぶつかった。ソラはすぐさまそれを爪で切り裂く。
見たことのあるもの。
魔法使いさんの、手帳。
「何セティエに手出そうとしてるんだ」
カードを構えてソラと対峙する。
「お前の相手は…僕だ」
ボロボロなのに。もう立っていることすらやっとなはずなのに。
まだ立っている。
「二人とも!」
同時にカヌエが駆けつけてソラの前に対峙する。
「サマーとアリスは!?」
「安全なところに運んだから安心しなさいな!」
カヌエはそう言いながら暴れるソラの攻撃をひらりと躱す。
「後はソラを止めれば──」
因果関係がめちゃくちゃになっている今、このまま耐えるだけでは時間が輪を結んだという結果が変わらない。
だからこそ、ソラを今の状態から止める必要がある。
しかし──いや、良く考えれば当然なのか──
「───!」
「なっ──」
ソラの身体をした怪物は、何かに吸い込まれるように姿を消した。
──朝日が、昇り始めていた
「…時間切れだねぇ」
ポツリと、カヌエがつぶやく。
この場の誰にも、ここから巻き返すことは出来ない。
「──僕達の、負けか」
「…どう…して」
もう次はない。魔法使いさんが手帳を囮に使ったから。
次はもう、魔法使いさんがいないから。
どうして私はもっと戦えなかったんだろうか。
どうして自分を守る力すらなかったのだろうか。
後悔だけが、自分の胸を埋め尽くしていく。
魔法使いさんと、カヌエと、ウィズが会話してるのが聞こえるけれど、何を言ってるのかも、分からない。
──もう無理だと思った。
いっそこの事、魔法使いさんと一緒に記憶を失ってしまうことが出来ればよかった。でもできない。時の管理者なんていう身に合わない地位を持っているから。
私は、どうすればいいのだろうか。
少しの間を置いて、彼の足音が聞こえた。
「セティエ」
「…なん…ですか?」
「いいから。セティエ、顔上げて」
「え───」
懐かしい感触。彼の匂い。すぐに、彼に抱きしめられているのだと分かった。
少し心が落ち着く。後悔ばかりの胸が、少し楽になる。
「時間がないから、落ち着いて聞いて欲しい」
「…はい」
「僕は一旦、記憶を失うかもしれない。でも、だからこそ僕に出来ることがあると思ってる」
「…はい」
「僕は可能な限り理想的な状態でもう一度この状況を作れるようにしたい。セティエにも協力してほしいんだ」
私はただひたすらに今の後悔だけをしているのに、彼はもう、自分のいない未来のことを見ていた。
「…無理です」
「…どうして?」
「だって、魔法使いさんがいないじゃないですか。私は、あなたと一緒だから頑張れたのに」
「…」
「あなたといられないなら、いっそこのまま──」
「セティエ」
口を指で押さえられる。
こんな時でも、魔法使いさんは笑顔だった。
手は、魔法使いさんの手は震えているのに。
消えてしまうのが、怖いはずなのに。
「…なら」
「…?」
「一つだけ、約束してください」
勇気を振り絞った魔法使いさんに、私が出来ること。
「いつになっても構いません。だから、必ず、私の事を思い出してください。それだけです」
「…」
「魔法使いさんのために、なんだってしますから。それだけ、約束してください」
「そっか………」
魔法使いさんは少し困ったような苦笑で空を見上げる。愛情の重い女だと思われたのかもしれないけれど──
彼はしばらくすると一人で頷いて、こちらを向いた。
「わかった。必ず、君のことを思い出すから。それまで待ってて」
「はい。…約束ですよ?」
「うん、約束」
それを聞いた私はそのまま何も言わず。最後の瞬間まで、彼にしっかりと抱きついたまま──
──長い、一日を終えた。