「はぁ……」
大本営の応接間に叢雲の溜め息が零れた。
本日最後の訓練を施した後、艦隊旗艦である山城と共に、休む間もなく呼び出され、かれこれ三十分も参謀長の雑談に付き合わされた。
そうして、散々しゃべり倒した参謀長は二人に労いの言葉を掛けつつ、茶色の封筒を手渡すと、満足気に部屋を出て行ってしまったのだった。
すっかり取り残された叢雲と山城は、とりあえずこの封筒を開けてみることにしたのだが……。
「……次の任務の命令書?休暇も間宮券も無しなんて、不幸だわ」
封筒の中には、教導任務の終了のお知らせと、次の任務である前線鎮守府支援の内容の書類が入っていた。
任務内容は、拠点となる内地近海鎮守府へ進出し、待機。最前線の各鎮守府からの要請が有り次第出撃せよというものである。
実験や訓練じゃないだけマシなのかしらと、微妙にポジティブな山城の隣で困惑する叢雲。
「なんなのよ、これ」
もう一度、命令書に目を通す。
先ほど見たとおりの文章があるだけで何にも変化はない。当たり前だ。
「何度読んだって変わらないと思うけど?」
遂には山城に指摘されてしまう始末である。
「ああ、この内地近海鎮守府ってあなたが初期艦として着任したところだったわね」
「ええ、そうね」
「良かったじゃない。古巣に戻れて」
それに比べて……、なんてブツブツと身の不幸を嘆く山城は、叢雲が苦い顔で吐いた言葉に気付くことはなかった。
──なんなのよ、今更……。
叢雲にとって麻守宇麿という男の第一印象は、最悪だった。
提督候補との面談の場で、彼はまともに艦娘たちと目も合わせようとはしない。
ただ黙り込んでぼんやりとしている風にしか見えなかった彼と違って、他の四人の候補たちはよく喋ったのに。
横柄な態度の奴、ヘラヘラした軟派な奴、此方の機嫌をとろうと媚びる奴、くだらない事をダラダラと話す奴。
彼に限らず叢雲にとっては、どいつもこいつも最悪だった。
ただ、最悪ながらその彼が他と違ったのは、艦娘という存在を正しく艦と認識していたこと。
少女という見た目に騙されることなく、たどたどしく彼は艦娘たちに問いかけた。
「諸君らの航行時や戦闘行動時に何かしら癖がありますかな?」
それまでの浮ついた話題とは正反対の実務的な質問だ。
他の連中が白けた顔を晒すなかで、その男の表情は真面目だった。
「繰艦の癖ってこと?」
「まあ、そういうところですな」
「で、それを聞いてどうするのかしら?」
「運用時の参考になればと思いましてな」
それが叢雲と彼が初めて交わした会話だった。
結局、どの提督候補にも選ばれなかった叢雲と、どの艦娘にも選ばれなかった彼が、誰も着任する者が居なかった鎮守府へと向かう事になるのだから、人生──いや艦生というものはわからないものである。
(本当にわからないものね。もう戻る事は無いって覚悟してたのに)
特別防衛艦隊への異動、その後の教導任務を経て、再びあの鎮守府へと着任する事になるとは、夢にも思わなかった。
「そういえば、あのぽっちゃりした提督は元気かしらね?」
山城の問いかけで叢雲の意識が記憶の水底から浮上した。
「元気にやってるんじゃない?ま、電球を替えようとして椅子から転げ落ちるくらいには」
素っ気なく言葉を吐いて、叢雲は立ち上がる。
「さて、艦隊の皆に伝えないと。すぐにでも出るわよ」
「艦隊旗艦は私なのに、不幸だわ」
「いいから早くしなさい!」
山城の手を引いて叢雲は部屋を出た。
(素直じゃないわね)
そんな言葉の代わりに、山城は静かにため息を吐くのだった。
一方、内地近海鎮守府の麻守はといえば、執務室にて正座していた。
彼の目の前には、大本営の末席に名を連ねる海軍中将であり、舞鶴鎮守府の提督でもある女性が般若の如き形相で仁王立ちしていた。
「承服しかねるとはどういう事です?」
「いや、それは一身上の都合で」
「一身上の都合とは?まさか既にそういう事を為していたと?軍に無断で?」
そんな中将にアワアワと慌てふためいて言い訳をする麻守。そしてその麻守の言い訳を粉砕する中将。
「テートク……」
そんな二人のやりとりを泣き寸で見守る金剛という修羅場が絶賛展開中である。
「貴方の身辺を調査しましたが、全くの白!シミ一つ無い真っ白ではありませんか。それなのに何の問題があると言うのです」
「いや、ですから……」
「幸い、貴方を慕う艦娘も居るのですから、何の問題も無いでしょう」
グイグイと麻守のほっぺに一枚の紙と小さな箱を押し付けてくる中将。
「いやいや、そうは言われましても一生に関わる事ですので、暫くの猶予をですな……」
「必要なら数は増やせますので、気楽に決めてください。それに本当に夫婦になれと言っている訳ではないのですからね?」
そう、この中将が先ほどから麻守へ要請しているのは、ケッコンカッコカリのテスト運用である。
「わたくし、白樺千鶴と共にこの艦娘強化策の試験運用をするのがそんなにお嫌ですか!?」
「いや、ちづちゃんとどうこうは関係ないです」
「白樺中将とお呼びなさい。幾ら同期でも特別扱いはしませんからね!」
彼女もまた、艦娘運用の黎明期に提督となった五人のうちのひとりである。ちなみに叢雲は彼女を横柄な奴と評していた。
現在は提督業をしながら各鎮守府を統括する立場にある。
「ちづちゃんって提督さんの事かな?」
「そうみたいね、瑞鶴。なんだか可愛らしいわ」
麻守が呼んだ士官学校時代のあだ名を聞いて、白樺中将の後ろに待機していた翔鶴と瑞鶴がヒソヒソと小声で話す。
「でも、結構この鎮守府を特別扱いしてた気もするよね?」
「そうねえ、報酬の良い任務や民間業者との共同開発した商品のモニタリングなんかは、優先して紹介していたわね」
「そうそう、そして麻守さんが面倒みてる久蘇大尉の初期艦なんて、えこひいきもいいとこだよねー」
「うるさいですよ、そこの二人」
キッと鋭く千鶴の叱責の言葉が響く。
「はいはい、静かにしてますって」
「瑞鶴、はいはひとつよ?」
「はい!」
「くっ……!」
翔鶴に対しては素直な瑞鶴を千鶴がジロリと睨みつける。
舞鶴鎮守府の三羽鶴と称される彼女たちの日常の風景である。
「エー……それでデース。結論はどうなるデス?」
金剛が恐る恐る発言する。麻守に好意を寄せる彼女にとっては絶好の好機である。多少強引にでも、麻守とのケッコンカッコカリは達成したい。
(正攻法でダメならコレしかないデース)
しかし、千鶴の返答は残酷だった。
「麻守中佐の同意が無ければこの話は進まないですね」
ケッコンカッコカリ可能なのは練度が最高まで上がりきった艦娘だけである。けれども、そんな艦娘は多くはない。舞鶴鎮守府のエースである翔鶴・瑞鶴の他は特別防衛艦隊所属の叢雲、内地近海鎮守府の金剛くらいのものだ。
他の鎮守府でも練度が最高に到達寸前の艦娘がそれなりに居るが、彼女達の成長を待つ時間が惜しい。
安全性の確認の為にも、翔鶴と瑞鶴の他にもあと一人はケッコンカッコカリを試したい。
そんな大本営が目を付けた麻守はなんやかんやと理由を付けて、ケッコンカッコカリを固辞し続けていた。
このままでは埒があかない。だからこそ、こうして白樺千鶴中将が説得の為に内地近海鎮守府までやってきた次第なのだ。
「何故そこまでケッコンカッコカリを拒むのか、理由を説明なさい」
「ですから一身上の都合と申し上げておるわけで……」
先ほどから、この問答の繰り返しである。
「ですから、その一身上の都合とやらの中身を訊いているのです!」
もういい加減イライラが限界に達したのか千鶴が声を荒げる。
「プライベートな事なのでそれは……」
「きぃいいい!貴方も日本男児ならばはっきりきっぱりお言いなさいな!」
いつまでも煮え切らない麻守の態度に、ついに地団駄踏みだす千鶴。
「はい、どーどー。提督さん、落ち着いてってば」
「瑞鶴、馬じゃないんだから……」
千鶴を宥めながら、その場をなんとか収めようとする翔鶴と瑞鶴。
しかし、我慢の限界点を超えてしまった千鶴には効果なかった。
「だいたい何ですか、男の癖に上目づかいでチラチラチラチラと!」
「それは……しかしですな……」
千鶴のイライラがお説教に姿を変えて麻守へと降り注ぐ。
白樺千鶴、四十歳未婚。この悪癖こそ彼女が結婚できない理由である。
ただでさえ女性提督という理由で煙たがられているのに、何かと説教してしまうので、男性が近づいて来ないのである。
「──ですから、日頃から堂々としていればよいのです」
もっとも、彼女のお説教は期待の現れでもある。なので、見込みの無い者は無視されるだけだったりする。
千鶴本人は激励のつもりでいるのだが、いまいちそれが伝わらないのが現状だった。
「提督、皺が増えますよ?」
「う……」
翔鶴のそのひとことで千鶴のお説教がぴたりと止まる。
「麻守さん、うちのちづ姉がごめんね」
瑞鶴がすかさず、お説教されて凹んでいる麻守をフォローする。流石は姉妹艦、阿吽の呼吸である。
「いえ、ちづちゃんの説教は為に成りますからな。多少、落ち込みはしますが……」
「どうしよう、翔鶴姉。この人、すごく良い人過ぎて見てらんない」
「そうね、瑞鶴。皆が嫌がってる提督のお説教をこんな風に言ってくれるなんて、とても善い人かもしれないわね」
千鶴のお説教を迷惑がるどころか、きちんと受け止めようとする麻守の姿勢に、翔鶴と瑞鶴がそんな言葉を漏らした。
「ともかく、ケッコンカッコカリの試験運用を引き受けてくれるまで此処から動きませんからね!」
ビシッと麻守を指差した千鶴がそう宣言する。
「もう、ちづ姉ったら意地っ張りなんだから」
苦笑いしながらそう言う瑞鶴の隣では、翔鶴が眉を吊り上げる。
「駄目ですよ、提督。ご自分のお立場を考えてください!」
「でも~……!」
「でも~、じゃありません!あんまりわがまま言うと、お姉ちゃん怒りますよ」
腰に手をあててフンスと頬を膨らませる翔鶴の迫力に、流石の千鶴もたじたじだった。
「……あい」
しょぼんと肩を落とした千鶴の口から、か細い返事が洩れる。
(あ、ちづちゃんって次女ポジションなんだ……)
舞鶴鎮守府の序列を目の当たりした麻守であった。
「ひとまず、久蘇大尉の初期艦の娘たちの到着までを期限とします」
「だとすると、三日後まで?」
すぐに帰るだろうという麻守の予測を裏切る翔鶴の言葉に千鶴が諸手をあげて喜んだ。
「翔鶴お姉ちゃんありがとー」
「え?ちづちゃん?」
性格変わってない?なんて麻守の困惑など知ってか知らずか、ワイワイキャッキャとはしゃぐ舞鶴の三羽鶴たち。
そして、その陰ではせっせとケッコンカッコカリの書類へ自分の名前を書き込む金剛の姿。
執務室の混沌とした光景に、麻守は膝を抱えて涙するのだった。