褒めて褒めてー。
第六話『飢えた狼を満たす腹』
その日、珍しく麻守鎮守府はピリピリとした緊張感に包まれていた。
南西方面に小規模ながら深海棲艦の拠点である棲地が形成されつつありとの情報がもたらされたのである。
これを放置すれば大規模反攻作戦時に背後を突かれる恐れがある。
この報に、大本営は比較的戦力と資源に余裕のある外地南方の鎮守府に出撃を命じた。
それに伴い、長距離を移動して来る艦隊に対する補給と一時の休養の為、麻守鎮守府に棲地攻略艦隊の受け入れ命令が発せられたのである。
棲地攻略艦隊の編成は重巡・四。妙高型重巡四姉妹である。
幾ら多少の余力があったとしても、事実上の最前線である外地南方鎮守府は航空戦力の投入までは難しく、その旨は麻守に早々に伝えられていた。
そこで、麻守は赤城と加賀を棲地攻略艦隊へ一時的に編入し、南方鎮守府との即席の聯合艦隊編成を提案する。
無論、南方鎮守府はこれを諸手を挙げて歓迎した。
更に、高雄が旗艦を務める長門、陸奥、北上、大井の水上打撃艦隊を支援艦隊として随伴させる事にした。
これに驚いたのは棲地攻略艦隊旗艦の妙高である。
麻守鎮守府への移動中に、これを聞かされた妙高の表情は正に鳩が対空機銃の掃射を食らったかのようだったという。
戦力的にみて、もはや麻守艦隊こそが棲地攻略艦隊の主力ではないか。
次女の那智は手柄を横取りされるのではと疑い出すし、四女の羽黒は突然の援軍に不安を感じつつもどこかホッとした様子だった。
予想外の展開に他の姉妹が多かれ少なかれ動揺するなか、三女の足柄は落ち着いていた。
「徹底的に勝つ気だわ!」
むしろ歓喜していたと言っていい。
足柄が事前に提督から聞いていた昼行灯やら臆病者やら平々凡々と言った麻守の人物評がガラガラと崩れていた。
もはや足柄の頭のなかでは、いつの間にやら麻守という提督は、兎にも角にも今回の棲地攻略戦に際して、徹底的に完膚なきまでに、ペンペン草の根っこひとつ残さない気でいる猛将というイメージにすり替わっていた。
足柄がそんな盛大な勘違いを抱いたまま、彼女達は麻守鎮守府へと到着したのだった。
海面から伸びる、緩やかな上り坂を思わせるスロープを上ると、高雄を先頭に麻守旗下の艦娘達が総出で出迎えくれていた。
僅か十名ほどとはいえ、そのメンバーをみる限り、かなり豪勢な歓迎ぶりである。
それぞれの鎮守府の艦娘が敬礼を交わすと赤城と加賀が進み出て、妙高へ着任の挨拶をする。
一航戦の二人とはそれぞれ指揮権を別にする事になると予測していた妙高がこれには面食らった様子だった。
一時的とはいえ、彼女達が南方鎮守府所属である妙高の指揮下に入るのだから、無理もない。
現状、海軍では自らの鎮守府の艦娘を他の鎮守府の艦娘の指揮下に置くのは非常識であり、提督として情けない事だとされているのである。
にも関わらず、那智と羽黒はこの思い切った麻守の判断に驚くばかりである。
しかし、これは赤城と加賀が指揮権を分けるより指揮下に入った方が効率が良いと麻守に進言し、それが了承されただけなのであるが、それを知らぬ二人にしてみれば、麻守の己の面子に拘らない大胆さに度肝を抜かれた格好となった。
そして、足柄の麻守に対する勘違いもまた壮絶になっていた。
(自身の面子より何よりも戦闘効率を優先するなんて!どれだけ勝利に貪欲なの!?)
本当はそこまで麻守の考えが回らなかったなどとは知る由もなく、足柄の気分は高揚していく。
麻守が多忙な為、挨拶は夕食時に行うこととなり、妙高と赤城、加賀、そして支援艦隊旗艦の高雄が作戦の打ち合わせの為、会議室へ向かった。
残された麻守旗下の艦娘達と那智、羽黒、足柄の三人は待機を命じられた。
それはつまり、多少の制限はあるが好きに過ごしてよいとの事である。
早速、那智と羽黒は妙にニコニコしている愛宕に連れられ、汗を流しにお風呂場へと向かった。
足柄はその誘いを断ると今夜泊まる部屋へと向かう事にした。
第二宿舎と呼ばれる建物はすぐに見つかった。何せ狭い島である。建物は身を寄せ合うように密集している。
建物に入ると二階へと続く階段へ向かう──向かおうとして、足柄はふと足を止めた。
人の気配を感じ、そちらの方へ向かう。
「食堂よね、ここ」
誰にと言うわけでも無く確認すると、足柄は食堂に足を踏み入れた。
僅かにゴリゴリと音が聞こえる。
夜であったら、それは怪談話の良いネタになったかも知れないが、今はおやつの時間が過ぎたあたりである。
窓から差し込む陽の光で食堂内は十分に明るい。整然と並ぶ机と椅子ばかりで人影はなかった。
(だったら調理場の方かしら)
そうして、足柄はそれを目にした。
ぽっこりお腹で割烹着をぱつんぱつんに張り詰めさせた怪しげな中年男がすり鉢とすりこぎ棒で何やらゴリゴリやってる姿を──
(……主計科の人かしら?)
調理場で、すり鉢・すりこぎ棒で作業しているとなれば、主計兵しかあるまい。
大方、夕食の用意をしているのであろう彼に何となく興味を引かれて足柄は調理場へ近づいた。
「こんなものですかな」
ふーっと息を吐くと中年の主計兵はうっすら滲む額の汗を手拭いで拭く。
そこで、足柄と目が合った。
「む、そちらは南方鎮守府のお嬢さんですかな?」
「重巡洋艦・妙高型三番艦の足柄よ。おじさんは主計科の方?」
足柄の問い掛けにすこし不思議な表情を浮かべて、考え込む中年男。
「うーん、主計科ではないのだが、まぁ……、何分人手が足りないので」
「そうなの、大変ね」
中年男本人に対する興味を失った足柄は、次にすり鉢の中身が気になった。
「ところで、これは何をしているのかしら」
鼻をひくひくさせ、生姜の匂いを嗅ぎながら訊いた。
(生姜を使うからには、魚かしらね)
少し、ガッカリする足柄。
せめて戦いの前は験担ぎにカツを食べたいのだ。まあ、南方鎮守府を発つ前にたらふく食べてはいたのだが。
「これですかな?これは鰯のすり身でしてな」
「やっぱり……」
つみれ汁にでもするかしらと足柄は目に見えて落ち込んだ。
その様子に気付かずに中年男は話を続ける。
「それをこう、こねて形を整えて……」
「鰯のハンバーグ……?」
「むう」と足柄は唸った。
「そして、溶き卵をくぐらせて──」
(魚肉ハンバーグでもない!?)
「パン粉をまぶして──」
(え、ちょっと待って。それって……)
「熱した油で揚げようかと」
そう身振り手振りで説明している割烹着の似合う中年男に足柄は詰め寄ると、力いっぱい叫んだ。
「カツね!カツを揚げるのね!!」
「………い、いわゆるフィッシュカツという奴ですな。本来なら豚肉をと思ったのですが何分……」
「そうね、そうと決まれば手伝うわよ、おじさん!」
もう、中年男の話など聞いちゃいない。
「いや、ちょっと……。貴女に手伝わせる訳には……」
あわあわしながら何とか止めようとする割烹着男を無視して、足柄は制服の上着を脱ぎ捨て、腕まくり。戦闘モードを起動します。
手早く、素早く、丁寧に指先から手首までを洗うと底の深いフライパンに油を注ぐ。
「これくらい深ければちゃんと揚がるわ!」
不安げな割烹着男を指差して足柄はテキパキ指示を下した。
「さあ、どんどん揚げるわよ!おじさんはすり身と卵とパン粉を切らさないで!!」
こうして、カツという単語によって、やる気スイッチがオンになった足柄の手で大量のフィッシュカツが爆誕したのだった。
夕食の時間、ヒトナナマルマル。
食堂のテーブルは食堂中央に密集隊形で待機。飛行甲板を思わせるそれは、大量のフィッシュカツとサラダ、大きな鍋いっぱいのつみれ汁、そしてお櫃の中で白く輝くご飯を満載させ、今や遅しと食事開始を待ちわびていた。
「またカツか……。悪くない、悪くないが……」
那智が胸を押さえて呻く。ぼそりと後で胃腸薬を用意せねばと呟いた。
「き、きつね色のお山……」
羽黒は羽黒で、余りに大量なカツの形作るエベレストに、口をあんぐりと開けて驚いていた。
「……足柄、後でお話しがあります」
妙高はこの光景の原因を厳しい目つきで見据えていた。
「いえ、これは主計科のおじさんの手伝いをしただけで……」
「何を言っているのですか、この鎮守府には人間の男性は麻守提督おひとりなのですよ?」
「……はい?」
まさか、あのおじさんが麻守提督なのだろうか。いやしかし……。
(それは……ないわよね?)
あのほんわかゆるふわなおじさんが、この度の作戦で数々の大胆かつ剛胆な提案をしている麻守提督とはとても思えない。
「それにしても提督、遅いですね。せっかくの食事が冷めてしまいます」
「赤城さん、気持ちは判るけれど箸と取り皿を置いてください。抜け駆けはNOなんだからねッ……!」
「加賀にmeのセリフ盗られたデース!?それはともかく、やっと洋風の食事にありつけマース!」
「ぱんぱかぱかぱかぱかぱかぱ~ん!」
「二人とも、落ち着きなさい。他の鎮守府の娘もいるのよ!」
ヒャッホーと叫ぶ金剛とそれに乗っかる愛宕を慌てて陸奥が宥める。
「あの……高雄、皆さん何時もこのような様子なのですか?」
「そうですね、お恥ずかしながら。そちらは違うのですか?」
「こちらは出撃前の食事ともなると、やはり……」
最前線で戦う以上、日々緊張を強いられているのだろう。妙高の表情には疲労の色が濃い。
「かつて、この鎮守府は最前線であったこともあります。そして内地を守る最後の砦であったことも──」
「……」
神妙な表情で妙高は高雄の言葉に耳を傾けた。
そんな妙高に微笑みを返し、高雄は視線である方向を指した。その先に──
「──それでもそんな苦しい時にも我々は笑顔を絶やさなかった」
白い、純白の軍装を纏った麻守の姿があった。
「何故ならば、我々は始めから勝利のみを確信していたからである」
気分が高揚しているのか頬を紅潮させ、麻守は言葉を続ける。
「今作戦もまた、現状に於いて最善といえるだけの準備を施した。策も練った、作戦海域の情報も精査した、投入出来うる限りの戦力を整えた」
まさに古兵というべき迫力に呑まれ、ごくりと誰しもが固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「残すは勝利のみである」
自然と挙がる歓声のなか、麻守はチラリと足柄を見ると人差し指を立て、唇にあてた。悪戯っぽく笑ってウィンクのオマケ付きだ。
(食堂での事は内密に……ということね)
足柄も小さく頷いて了解と伝える。
(それにしたって、完っ全にやられたわ!)
麻守に欺かれた格好になった足柄は内心、地団駄踏んで悔しがった。
(でも、悪い気はしない。思いっきりカツを揚げたからかしら)
足柄がそんな事を考えているうちに、麻守の挨拶は終わっていた。
「では、各々食事を始めてくれ」
そう言うと。
「あ、あの、乾杯とかは……」
恐る恐る羽黒が聞くとニヤリと麻守は笑った。
「乾杯は勝利のお祝いまでお預けですな。勝って、無事にここに戻って来てから思う存分なされるといい」
「む、では酒は……」
「那智、作戦行動中ですよ。お酒は禁止」
妙高の言葉を聞いてしょぼんと那智の眉が垂れた。
「あれがギャップ萌えか、胸が熱いな」
「うふふ、そのひと言でイメージ台無しね」
長門と愛宕がひょいひょいとそれぞれ自分の取り皿にカツを積み上げていく。
「那智殿、作戦終了後までに酒は用意しておきますぞ。ゆめゆめ、無駄にしてくださるなよ」
「了解した。それでこれは?」
那智が麻守からひょいと渡された包みを見ながら訊いた。
「酒は禁止でも、大根のビール漬けと奈良漬けは別でしょう」
「そ、そうか。ありがとう」
そのどこかズレた気遣いに那智は苦笑した。
皆から離れると麻守は少しふらつく足取りで壁際の椅子に腰掛けた。
首もとを緩めてふぅと息を吐く。
そこへ──
「少しお酒臭いけど酔ってるの?」
水を注いだ湯のみを手にした足柄がやって来た。
「む、すこし奈良漬けを味見しただけなのですがにゃ……」
「呂律も回ってないじゃない、どれだけお酒に弱いのよ」
「にゅぅ、申し訳にゃい」
「いいから、水よ。飲んで」
ゆっくりと麻守が湯のみを空にするのを見届けて、足柄も先ほど麻守の隣に運んで来た椅子に腰掛けた。
「どう?気持ち悪くない?」
「……胸がドキドキすりゅ」
「動悸ね、それ」
恋ではないのは確実である。むしろ、こんな恋など願い下げだ。
「ちょっと失礼するわ。姿勢を楽にしてね。そう、お腹を圧迫しないように」
麻守に寄り添うように隣に座ると麻守のベルトを緩めた。
そっとお腹に手を添えて軽く撫でる。
「悪酔いした那智姉さんならこれで治まるんだけど……」
しばらく撫でるうちに麻守の顔色は随分と良くなったように見える。
(それにしても、このお腹の柔らかさ。……いいわ、漲ってきたわ)
さわさわむにゅむにゅ、お腹を圧迫しないように気を付けながら、麻守のお腹を堪能する足柄の姿に、食事に夢中な艦娘達が遂に気付く事は無かった。
麻守のお腹のキラ付け効果も相変わらずの様子だったらしい。
翌日、妙にキラキラしながら出撃した足柄が張り切り過ぎて、文字通り敵棲地を島ごと粉砕する事になるとは、この時の足柄本人も想像できなかったのだった。
今回のメインは足柄さんでしたー。
足柄さんにお腹さすさすしてほしいわ!うにゃー!