その晩。ミラは園芸部の活動を終え、女子寮へと帰ってきた。
「もやしが、もやっしー! もやしは、もやっしー!」
「ミラ殿。ボンジュールでござる。今日もご機嫌でござるね!」
寮のエントランスで意味不明な歌を歌いながら玄関から入ってきたミラを、風呂場に向かっていたフランとカモメは出迎えた。変な歌を歌いながら帰ってくることはさして珍しくもないので、二人は普段通りの振る舞いをする。
「あら、フランにカモメ。これからお風呂? あぁお腹すいたわ」
「ミラさん! 早く食べないと食堂閉まっちゃいますよー!」
カモメは慌てた様子で言った。
「そうね。速攻で食べるとするわ」
ミラはそう言い残し、鼻歌まじりに自室へと向かった。荷物を置いて着替えてから食堂
に向かうのはいつものこと。大概は時間ギリギリで、早く食べちゃいなさいと女将は口癖のように言う。
「あら?」
部屋の前までたどり着くと、ドアの下の隙間に何かが挟まっているのを発見する。
かがんでそれを引っ張ってみると簡単に抜けた。どうやら一通の手紙のようだ。
封の表には『ミラへ』とだけ書かれている。
ミラは頭上にハテナマークを浮かべながら、自室のベッドに座り、封を開けて読み始めた。
読み進めるにつれて段々とミラの表情が曇っていく。
手紙を読み終える頃には額にうっすらと汗を浮かべ、不安と焦りの表情を作っていた。
「こうしちゃいられないわ!」
ミラはすぐさま立ち上がり数分で用意を済ませ、バタバタと部屋を出て鍵もかけず、食事も取らず、凄い勢いで寮を飛び出した。
「ミラ様?」
お隣であるソフィは激しい物音に気づいたのか、ドアから顔をのぞかせる。不思議に思ったソフィはミラの部屋の前に立ちノックをしてからドアを開けるが、そこはもぬけの殻であった。
「鍵もかけず、こんな時間にいったい何処に?」
ミラはその日から行方不明となった。
「あいつ、また休みか?」
「心配でござる。寮にもいないでござる」
「休暇でもとったんじゃないのか?」
「それなら良いのでござるが、皆に一言もなにも言ってないでござる。おかしいでござる」
ミラの行方不明はほどなく学園中に広まり、特別生のクラスではミラの身を案じていた。
無断欠席となった1日目は特に気にすることは無かったが、2日目も欠席となった際に、たまらずソフィがカムイ学長に相談したところ、やはり休暇の申請はでていなかった。
カムイ学長は冒険者ギルドに依頼を出し、各国の知人に捜索を頼んだ。
また、島のどこかで倒れている可能性もあったが、ヴィルフリートに協力を要請し、
「あの悪魔のソウルは感じぬ」
その発言により、島内にはいないと判断した。一応、風紀委員のクライヴと極限まで分身したフランで島内を散策したが見当たらなかった。
ミラが行方不明となってから三日目。
カモメの、「そういえば、園芸部室のほうはどうなっているのでしょうか?」という発言から、放課後、ヴィルフリートも含め全員園芸部室へと集まることに。部員はミラ一人のため誰もいないはずである。
ヴィルフリートの発言を信じていたため、園芸部室は探していなかった。
盲点だったかもしれない。誰もが心の隅でそう思わざるを得なかった。
一同は園芸部室の前にたどり着き、代表してソウマがノックをする。しかし返事はない。
「シスターさん! いたら返事をしてくれ! ま、いないよなぁ」
ソウマは扉に手をかけ、ドアを開けようとするが開かない。鍵がかかっている。
「教員室からとってこないとな。それじゃあちょっくら行って――」
ソウマがそう言いかけた時、ソフィがドアに近寄ってきた。
「ソウマ様、万が一ということがありますので、ここは私のソウルですぐに開けてしまいましょう」
ソフィは中でミラが倒れている可能性を疑っての申し出だった。
「開けられるのか? それじゃあ頼む」
ソウマが促すと、ソフィは鍵穴に手をあてソウルを流し込む。ソウルは冷気を帯び急速に固まりだし、氷の鍵が一瞬で完成した。
(便利だな……)
ソウマは心の中で感心していた。
「それでは、開けますね」
ソフィは緊張気味に言い、鍵を回した。
乾いた音がして、解錠を確認後、ドアをゆっくりと開ける。
中はやや薄暗く、見回してもやはり、誰もいなかった。
一同はとりあえず園芸部室へと入り、辺りを見回す。見たところ特に異常はない。
もやしが栽培されている広口の瓶が5、6個並んでいるだけだ。
「おい、これ、見てみろよ、もやしの芽が枯れそうだぜ」
ザックはもの珍しそうに瓶を眺めている。
「本当ですね。芽に元気がないというか、水分不足?」
カモメも瓶に顔を近づける。
「ここ最近はお手入れがされていないようですね」
「やっぱり、シスターさんがいなくなってから、そのままなんだな」
もやしの芽は3センチほど伸びている。手入れをしないとそのまま枯れてしまいそうだ。
ソウマは少し考え込んだあと口を開く。
「それじゃあ、一旦園芸部は俺が引き受けるよ」
「大丈夫なのか? ソウマ」
「ああ。俺はまだなにも部活には入ってないしな。時間はあるし、もやしくらい育ててみせるよ。皆もそろそろ部活に戻ってくれ」
「それでは、宜しくお願いしますね。ソウマ様」
一同は園芸部室を出てそれぞれの部活動に戻った。ソフィは再び氷の鍵を使って鍵を閉めてから体育館へと向かった。
「さてと……」
とは言ったものの。もやしの栽培方法なんてわからないソウマは、まず図書館に足を運んだ。ピンポイントで、もやしの栽培方法の本なんて見つからないかもしれないが、それに近い資料を探してヒントを得ようと考えていた。
図書館に到着したソウマは早速目的の書籍を探し始めた。
しかし、背後に異様な空気を感じ取ったソウマは、あわてて振り返る。
いつのまにか、ソウマの背後にヴィルフリートが立っていた。
「うおぁ! ……って、帝王さんか。驚かさないでくれよ。帝王さんはどうしてここに?」
「うむ。我も探し物よ」
「そ、そうか」
その後、しばらくして、無言でなんとなく居づらい雰囲気の中、ソウマは農作物に関しての本を見つけ、図書館内のテーブルで読み始めた。
(――もやしは豆から栽培する。豆も種類が色々あるのか。確かシスターさんは外に小豆の畑を作ってたな。ということは小豆を収穫して、もやしにしているのか。
――朝晩に水を取り替えなきゃいけない。これは今日中にやらないとまずそうだな)
ソウマは自分の中で、知識が増えていくのを楽しんでいた。
もやしの栽培方法という、普段はなんの役にも立たない知識であったが、学園生活を通じて意外な出来事から、意外な知識を得る。今回のことを言えばミラがいなくなったゆえ、ソウマにもやしに関する知識が増えたことになる。そういう部分でもソウマは楽しさを感じていた。
ソウマは夢中でページをめくっている。
目の前にヴィルフリートが座っていても気づかないほどに。
一通りもやしについて理解を深め終わると、ソウマはそこで初めてヴィルフリートに気付いた。
「て、帝王さん……。いたのか」
「うむ」
ヴィルフリートは会話をするでもなく、本を読むでもなく、じっとソウマをみつめる。
「帝王さん……。俺なんか見つめても、なにも面白くないぜ。それとも俺の顔になにか書いてあるのか?」
「うむ」
ヴィルフリートは真顔で頷く。
「な、なんて書いてあるんだ?」
「この学び舎の長になってみたい。とな」
「なっ」
その言葉は、考えるまでもなく生徒会長の件だ。
実際に顔に書いてあるわけではないが、ヴィルフリートの言葉は確かにソウマの心の一部にあった思いだった。
「ぬしは、迷っているのだろう?」
ソウマはもやしのことから一旦離れ、生徒会長について思考を移動させる。
確かに生徒会長というものに興味はあった。しかし、踏み出せずにいた。
なぜか? それはソウマ自身にもわからない類のものだった。
人間の器の問題か。それともクライアントとの問題か。
生徒会長の決定会議まで時間はない。いずれ、答えを出さなければいけない問題だ。
生徒会長になってみたいが、踏み出せない。
ソウマは記憶力が良すぎるゆえ、様々な情報を処理しきれないのだ。計算力、記憶力は良いが、決断力にいまひとつなソウマである。
「ぬしは、教師になりたいのだろう?」
ソウマは息を詰まらせた。
自分の夢。それは確かに教師になることだった。だが、ヴィルフリートに話した覚えはない。
誰かから聞いたか、それとも帝王であるがゆえの所業か。
「ふ、帝王でなくとも、ぬしの様子を見ればおのずとわかるものよ」
ソウマの考えていることは筒抜けだった。
「大衆のまえで演説することもあろう。長であるがゆえ、困難に迫られた決断も時として必要になるであろう。それらは教師となるに良き訓練となるのではないか?」
スクール時代ではそういった訓練は無かった。生徒会長になれば自分に足りないものが補えるかもしれない。
ヴィルフリートは一呼吸おいて、さらに続けた。
「それに、ぬしは生徒を調査しているのであろう?」
「……。知ってたのか?」
これには驚きを隠せなかった。調査の件は誰にも話していない。これこそが帝王の所業か。帝王の前ではごまかしはきかないことをソウマは悟った。
「学び舎の長ともなれば、調査も容易にできるであろうな」
ヴィルフリートはそれだけ言い残し、落語部があるからと、図書室を去っていった。
ソウマは図書室に一人取り残される。
まさか帝王に背中を押されるとは思ってもいなかったが、心の内で気持ちが固まっていくのをソウマは感じていた。
(ま、とりあえずは、もやしの世話だな)