桜洞城は現在の下呂市の小高い丘にある平城で構造としては主郭と四方に空堀がある。東と南の空堀は二重になってはいるものの城というよりは館に近い。西には松倉の町には遠く及ばないが城下町があった。
夜明け前に星崎隊は予定の場所に布陣することができた。
「凄い急斜面……。足を滑らしたらただじゃすまないね」
「そりゃそうだろ」
昭武たちが布陣しているのは桜洞城東方の山の斜面である。あまりに急峻で獣ぐらいしか通らないようなところだが、日頃から険しい山々の中で山菜などを取り生活してきた飛騨の民にはさして問題にならない。
「そういえばあたしたちは何をすればいいの?」
「おまえ軍議にいたのに覚えてなかったのかよ……。とりあえずオレらは城下町から戦ってる声が聞こえたら東から城内に進入して城門を開けるなり、館を攻めたりする。みなわかったな?」
「「おお〜」」
「おいこらまだ声出すな、隠れてる途中だろうが」
星崎隊八百、布陣完了。
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一方琴平桜夜率いる本軍三千二百は桜洞城西方の城下町の入り口付近の林に陣を敷いていた。
「……これから戦が始まりますか……」
桜夜もまた初陣なのだ。そしてその初陣が全軍を預かる総大将である。これで緊張しないほど桜夜の神経は図太くはない。
そんな桜夜に一人の少年が駆け寄ってきた。
「宗晴、どうかしましたか?」
少年の名は琴平宗晴。桜夜の弟である。
「姉上、星崎隊は無事に布陣できたようです」
「そうですか、ありがとうございます」
「……姉上、あまり思いつめるのはよろしくないですよ。こういうことをやる時は少し気持ちに余裕を持った方が良いと雷源様がおっしゃっていました」
「そうですよね」
宗晴に励まされるが桜夜の表情は暗いままだ。
(姉上は、尋常なものではない優しさを持っている。だからこれから自分が戦を始めることに引け目を抱いているのだろう)と宗晴は桜夜を慮った。
雲の隙間からすでに光を失った月が見える。もうそろそろ出陣する頃合いだった。
「琴平殿、出陣の好機ですぞ!」
村長格が促す。
(……ついにこの時が来てしまいましたか……)
「……わかりました。全軍桜洞城に突撃せよ!進まば極楽、引かば無間地獄、皆にお猫様の加護ぞあれ!」
「「「おおおおおお〜〜!!!」」」
琴平軍三千二百、桜洞城を目掛けて進撃。
桜洞城内
「報告!一揆勢三千二百がこの桜洞城に突撃して参りました」
「そうか、ご苦労」
「はは!」
「はぁ……、三千二百か」
伝令が去って男が一人ため息をつく。
男の名は姉小路良頼。飛騨最大の勢力である姉小路家の当主である。
「この桜洞城は城の造りはさほど硬くはない。四倍近くの兵ではひとたまりもないか」
現在桜洞城にいる兵の数は九百。斥候を通じてにゃん向一揆が起きることが知り、あらかじめ領民に動員令をかけたが、思いのほか集まらなかった。
「父上、そう悲観することもありますまい。相手は戦の素人であります。我が虎の子の騎馬隊五百を出せば数の差などくつがえせましょう」
良頼に対し強気な発言をしているのは良頼の嫡男、姉小路頼綱。何でもそつなくこなせる姉小路家の中核で、飛騨の鷹とあだ名されている。
「ふむ騎馬隊五百か、わしはちと出そうとは思わぬ。一揆勢が弱くとも、数は向こうが上だ。城の防備をおろそかにしたくない」
良頼は端的に言って臆病で控えめな性格であった。
戦ではまず先陣には出ず、もっぱら本陣に座り指揮をとるか補給を担当している。
「しかし父上、このまま手をこまねいていては大軍で圧されるだけにございまする」
そんな良頼に対して頼綱は獰猛な性格で積極的に前線に出てきて槍を振るう武将であった。
「しかしな」
良頼は沈思黙考する。
(確かに頼綱の策は理にかなっている。しかしわしの理屈もまちがってはいまい)
「父上、ご決断なされましたか」
「わかった。お前の言う通り騎馬隊を出そう。しかし五百ではなく三百だ。これ以上は城の防備に響く」
「はぁ……、父上は臆病に過ぎます。まぁそれが父上の美点にもなりますが」
頼綱はやれやれと肩をすくめながら、良頼の前を辞した。
そんな息子の後ろ姿を見て良頼は、
(送り出してしまったが、やけに嫌な予感がするな。杞憂であってくれればいいのだが……)
と一抹の不安を感じていた。
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ところかわって桜洞城東方、星崎隊。
「「「おおおおおお〜〜」」」
「どうやら桜夜殿が進撃を始めたようだな」
「じゃああたしたちも攻めるんだね」
「ああ。けど敵に気取られないようにな」
「うん、わかった!」
星崎隊は森林の影に隠れつつ進んでいくことにした。理由は二つ。高所からの狙撃を防ぐためと、空堀まで可能な限り近づくためである。
なにぶん星崎隊は八百いるものの、胴丸を着込んでいるものはそのうちの半分ぐらいでしかないので空堀で斉射されれば甚大な被害を受けてしまうのだ。
四半刻ほど森林を行軍すると第一の空堀が見えてきた。
(……これからが激戦になるな……。檄でも飛ばしておくかね)
「皆の者!これより我らは死線へと赴く!だが恐れることはない。いや恐れてはいけない。乱世では臆したものから死んでいくからだ。さあ八百の勇者たちよ!共に悪政を撃ち砕け!」
「「「おおおおおおおーー!!!」」」
昭武の檄は、一揆勢たちの心に火を灯した。
彼らは今まで飛騨三家の間で搾取され続けてきたのだ。それが彼らにとって当たり前だった。
しかし今、それがひっくり返ろうとしている。
飛騨に新しい未来が来ようとしている。
星崎昭武はそれを端的に示す存在であった。
「敵が来たぞー!」
「何、敵が来ただと⁉︎くっ!今城内には頼綱様がいないんだぞ⁉︎」
「殿!下知をば」
「決死隊に矢を射かけよ!奴らを城に上げるな!」
星崎隊の来襲は城内の姉小路軍に衝撃を与えた。
良頼も頼綱もまさか一揆勢が数で勝っておきながら奇策を用いてくるとは夢にも思わなかったのだ。
(くっ、嫌な予感とはこのことだったか。やはり頼綱を引きとめれば良かった)
だが良頼が後悔してももう遅い。
星崎隊は弓の斉射を浴び続け、相応の被害を出したが足を止めず、過半数の兵は第二の堀を突破することができた。
「優花、今の突撃でどれくらい味方がやられたんだ?」
「さっき、ちらっと後ろ見てみたけど、最初に比べたら随分減ってたよ。今戦えるのは六百ぐらいだと思う」
「やっぱり胴丸を半分が持ってないのが痛かったか……」
一揆勢は相手に肉薄することができれば、信仰心によって粘り強さと天を衝くような士気で相手を圧倒できるが、練度や装備が脆い。今回の突撃はその欠点がもろに出た恰好となった。
第二の堀を突破した星崎隊は東門を開け、城内に攻め入る。
「隊列を整えるぞ。具足、胴丸を持つ奴は前に、持ってない奴は後ろに下がれ。これ以上弓で被害を出すわけにはいかない」
流石に二度も同じ轍を踏むわけにはいかないので今度は防具を持つものを盾にして進んでいく。
そうして館前広場に進軍していくと数百人の守備兵が館の周りを固めていた。
「やっぱりここは固めてくるよな」
昭武は槍を構え、
「じゃあこっちも覚悟を固めなきゃね」
優花も、すでに弓を手にしている。
「皆のもの!殿を守るぞ!」
「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」
守備兵達が怒号を発しながら突撃してくる。
「オラたちもいくべ!」
星崎隊も士気は負けてない。
数百人同士の軍勢が入り乱れて戦い始める。 そんな光景はやはり初めてだが、昭武はどこか高ぶっていた。
「おりゃあ!」
昭武は納屋から適当に持ってきた十文字槍をこれでもかとふるってみせる。すると敵兵の首が三つほど宙を舞った。
(わりと前に習ったやつなのに全然なまってないぞ!偉いなオレ)
「………………」
昭武が奮戦している傍らで優花は無言で敵兵を的確に射抜き続けていた。戦う前の姿からはまったく想像出来ない勇戦だった。
「やっぱお前はすごいな」
「武兄い、今話しかけないで。すごい邪魔」
「……すいません」
優花の迫力に気圧されて、昭武は静々と槍働きに戻った。
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館前広場の守備兵が減ってきたのを見計らって昭武と優花は館に突入した。
館の内部は昭武達よりも先に突入した兵たちにより乱戦になっている。形勢は一揆勢が有利で守備隊をじりじりと押していた。
「もう一踏ん張りだ!」
槍を刀に持ち替え、檄を飛ばしつつ昭武は守備隊に斬り込む。
昭武の武力はなかなかのもので、ためらいさえしなければ敵兵を一太刀で葬り去る。歴戦の猛将を相手にするには足りないが、良頼の守備隊をまとめて相手にするには十分すぎるほどだった。
「オレを止めたいなら、今の二倍、兵を用意しろ!」
一歩足を進める度に敵兵に多大な流血を強いるこの少年は敵は絶望を、味方には尊崇と恐怖を与えた。
四半刻ほど殺戮の行進をした昭武はやけにガタイのいい兵が部屋の前で集まっているところを見つけた。彼らの足元を見るとそこには一揆勢の兵の死体がいくつも転がっている。
(多分ここに良頼か頼綱がいるな)
そう直感し、昭武は兵たちを斬り倒してその部屋に優花と共に押し入った。
部屋の中には茶器や屏風が飾られている。ここは誰かの書斎のようだ。
「武兄い!あれ!」
優花が書斎の片隅を指差す。
指差した方を見ると一人の男が茶を飲みながら静かに外の景色を眺めていた。
「……遅かったのう。貴殿らがこの決死隊の大将か?」
「そうだ。星崎昭武と申す。貴殿は?」
「姉小路良頼」
「………!」
敵の大将を前にして昭武達は体をこわばらせる。が良頼は逆に落ち着いていた。
「そう体を縮こまらせなくてもよい。それよりもわしは貴殿らと話をしたいのだ」
「話……だと?」
「ああそうだ。そのために今貴殿が倒した者ら以外には書斎には近づくなと厳命させている」
良頼はこれから自分を討たんとする者を相手に笑ってみせる。それは昭武達には底知れぬ迫力として映った。
(姉小路良頼、なんて人なんだ。なぜ貴方はこの状況で笑えるんだ)
「そうだな……まずわしの生い立ちから話そうか……」
良頼は静かに語り始める。それを昭武達は背筋を伸ばし正座して耳を傾けた。
「わしは元は姉小路ではなく三木姓を名乗っていた。わしの父は三木直頼。それぐらいは貴殿らも知っておろう?」
「ああ」
三木直頼はもともとは飛騨の一国人でしかなかったが、当時の美濃を支配していた土岐氏と手を組み、飛騨の南半分を征服した戦国飛騨屈指の英雄である。
「父は偉大だった。だがその分父が没した後の飛騨は混迷を極めた。江馬の輩との対立は再燃し、内ヶ島もまた兵を進めた。これまで父が抑えつけてきた者が父を失ったことで動き始めたのだ。……そして飛騨の民は塗炭の苦しみにあえぐこととなった」
ここで一度良頼は茶を啜る。
「わしはその現実を見て、一刻も早く飛騨を統一しなければならんと思った。……だが、わしには軍才がなく、争いでは却って飛騨を疲弊させるばかりだった。権威を傘に着れば、少しは統一に近づけられると思い、飛騨の国司たる姉小路家の名跡を継ぎ、中納言の官位を求めたが、それぐらいでは飛騨はまとめられなかった。やはりこの戦国の世は力を持たねばどうにもならなかったのだ」
昭武は「飛騨はわしではもうどうにもならぬ」と諦めたように笑う良頼を見てとても痛ましく思った。
「これがわしの足跡じゃ。だが別にわしは古老のようにただ伝えるために貴殿らに話したのではない。……貴殿らに問いたいことがある」
「何だ?」
昭武が良頼の目を見つめる。良頼もまた昭武の目を見つめ返す。
あまりの迫力に優花が「ひっ」と小さな悲鳴を漏らすが互いに気にも留めない。
「貴殿らには飛騨を統一する志はあるか?」
「それで、乱が治るのならば」
良頼の問いかけに昭武は毅然とした態度で答える。
「そうか。ならば星崎昭武。わしの首を持っていくがいい」
「良頼公⁉︎」
昭武は突然のことに動揺する。
「わしは飛騨から乱がなくなるのならば、姉小路の名跡も三木の血も絶やして構わぬ。なに心配するな。死んでも貴殿らを恨むなどということはない。むしろ感謝したいくらいだ」
そう笑って良頼は茶の横に置いていた脇差を抜き、それを自分の腹に突き立てた。
ずぶりと鈍い音が聞こえた。
良頼はさらに刀を上下左右に動かし続け、見事におのが腹を十文字にかききってみせた。
「うぐっ、む……」
「ああ、ああああ、嫌だ。嫌だ……!」
「ぐぅ…」
昭武も優花も武勇を持って数々の兵を屠ってきたものの、ここまで人の死をまざまざと見せつけられるのは初めてだった。
二人とも正視することは出来なくて良頼から顔を背ける。
良頼は荒い息を吐きながら「早く、早く」と懇願する。
(もう良頼公は十分に苦しんだ。なのにさらに苦しめていいのか……!)
昭武はその時、覚悟を決めた。
腰から刀を抜き、良頼の首に狙いを定めて大上段に構えた。
「武兄い⁉︎」
「優花、これからオレは良頼公の介錯をするッ!だから書斎から出て行け!」
「ううう…わかった!」
昭武が怒鳴りつけると優花は脇目もふらず書斎から出て行った。
そして昭武は良頼に優しく語りかける。
「良頼公。時間がかかってすまなかった。これから楽にしてやる」
「かたじけない」
「おおおおおおおおおああ!!」
昭武が悲痛な叫びと共に刀を振り下ろす。すると良頼の首が宙を舞った。
読んで頂きありがとうございました。
序章は次回で終わりになります。
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