桜洞城の戦いから数ヶ月後、熊野雷源は家臣である荒尾一義と宮崎長堯を自室に集めていた。
「お前達。よく来てくれたな。十年ぶりの軍属はさぞ疲れただろう。今日お前達を集めたのは我が家の戦略を定めるためだが、まず一杯いこうか」
そう言って雷源は小姓を呼びつけて一義、長堯の杯に酒を注がせた。
「「ありがたく」」
寡黙な一義と謹厳実直な長堯の声がハモる。雷源は苦笑した。
「越後時代より出世したというのに、部屋におっさんが三人とは……。あの頃の俺が知ればがっかりするだろうな」
「……そう思うのならば桜夜嬢を呼べばよろしかったのでは?」
一義がいかつい表情を変えずに言う。彼にとっては冗談のつもりなのだが、誰も笑いはしなかった。
「さて、戦略のことだが、今のところ俺は美濃の斎藤道三と組み、飛騨を統一することを考えている。梟雄と名高い男だが利に聡い分、為景よりは話が通じるだろう」
雷源は三木直頼のやり方に倣った形となる。このやり方は美濃に飛騨統一を邪魔させず、飛騨国内の勢力の天秤を熊野家有利に傾けることができる。
「しかし殿、それでは飛騨を統一した後は美濃への道を塞がれますぞ。美濃は肥沃な土地、諦めるのは少しもったいないかと」
反対したのは長堯だった。だが、一義がそれを制した。
「長堯、確かに美濃は惜しい。だが、あの地は兵家必争の地。しかるべき国力を得てからでなければ維持できぬ。統一した後は加能越を取ることを勧める」
一義は北陸一帯を支配することを提案した。
「お前らな……飛騨を統一する前にそんな後のことを考えてるんじゃねえよ……」
雷源がため息をつく。
(揃いも揃って強気なやつらめ……。まぁ、飛騨を獲る算段はつけてあるから、考えるだけ無駄ってわけじゃないがな)
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「親父、何かようがあるのか?」
「雷源様、ご命令ですか?」
一義達の次には昭武と桜夜が集められた。
「昭武、桜夜。お前たちに集まってもらった理由はわかるな?」
「いや、分からんよ」
昭武は心当たりがないのでややうんざりした表情を浮かべる。
しかし桜夜はそうではなく雷源の瞳を見つめていた。
「美濃斎藤家との同盟の話ですか?」
桜夜が言うと雷源は「そうだ」と頷いた。
「まぁ話がわかってるなら早い。お前たち二人には同盟の使者をしてもらうことにしたんだ」
雷源が手をぽんと打つと同時に小姓たちが積み上げられてきた小判の束を持ってきて桜夜の足元に差し出してきた。
「ここに五千貫がある。とりあえずこれと、……そうだなこれにしよう」
雷源が背後の刀架から一振りの刀を取り出す。
「同盟のためにこの名刀、勝定左文字と五千貫をお前らに預ける。相手は斎藤道三だ。相手にすると骨が折れるが利害関係さえ一致すればこれほど頼りになるやつはそうはいないだろうな。ともかくこの濃飛同盟が、熊野の家の未来を左右する。それだけは覚えてといてくれ」
「わかりました。行って参ります。昭武殿、わたしは南門で待ってますよ」
そう言うと桜夜はそそくさと天守を後にする。
「親父、別にオレいらなくねえか?」
話の展開にイマイチついていけなかった昭武はそうぼやくも雷源が耳を貸すわけがなかった。
米
飛騨の国は北を越中、西を加賀、東を信濃、南は美濃に隣接している。
とはいえ加賀、信濃は二千メートルを越える高山で隔てられているため、観光、湯治客は訪れても交易は行われていない。そんなわけで飛騨は越中、美濃との結びつきが強かった。
昭武達が今回訪れるのは美濃は今、天下三大悪人のうちの一人、斎藤道三によって治められていた。
「斎藤道三か……なんかな」
斎藤道三居城、稲葉山城の麓にある井ノ口の町の入り口で昭武はぼやいた。
斎藤道三の評判は美濃の隣国である飛騨でもよく聞く。
京の油売りから始まり、謀略を重ね最終的には守護土岐頼芸を美濃から追った一大の梟雄。
雷源と最終的に国を取ったというところは共通しているが昭武は道三に親近感は持ってなかった。
むしろ今、道三と手を組むのは危ういと警戒していた。
美濃と組むこと自体はいい、が背後が安全になるとは思えない。
「昭武殿、なにか浮かない顔をしてますね」
「ここまで来てまであれだが……オレはぶっちゃけ今回の盟は反対なんだよな……」
相手は梟雄と名高い人物。同盟と言っても決して信頼できるようなものであるとは限らない。それ以前に今の熊野家は石高では十万石に満たないのだ。これは斎藤家の五分の一にも満たない。
ここまで差があれば、下手したら謁見すらままならないかもしれない。
「気持ちはわかりますが、雷源様にもお考えがあるのでしょう。まずは斎藤道三様に会いに行ってみましょう」
「はあ、腹をくくるか……」
昭武一行はやや重い足取りで稲葉山城を登っていく。
斎藤道三の居城、稲葉山城は、金華山そのものを天然の要塞とした巨大な山城で、標高は約三百三十メートル。すぐ北には清流・長良川が流れ、東には恵那山と木曽御嶽山。さらに西には伊吹山・養老・鈴鹿といった山々。城下町の井ノ口から南に下ると急流・木曽川が尾張の兵を阻む。
「稲葉山城の防御力は凄まじいな。飛騨の城も堅いのは多いが、小城ばかりでこれほどの城はない」
「さすが道三様、といった具合でしょうか」
「ああ、ここまでの城を作り上げるとはな……やはり敵には回したくないな」
稲葉山城を登ることしばらく、昭武達は門に着いた。
「オレ達は飛騨熊野家の使者だ。道三様に取り継いでいただきたいのだが…」
「わざわざご足労いただき申し訳ありませぬ。ですが我が主は今、近江国境に出陣しているゆえおりませぬ。すいませんがお引き取りください」
「桜夜、道三公はいないってよ、どうする?」
問われて桜夜は考える。
(近江の戦なんて忍びのものからは聞いてませんね……。やはりまだわたしたちは侮られているのでしょうか…。もしわたしの読みがあっていればおそらく道三様は館にいらっしゃるのでしょう。このまま何もせずに引き返すという選択肢をとっては交渉を終わらせてしまう……せめて引き返すにしてもわたしたちに興味を抱かせねばなりませんね)
「昭武殿、勝定左文字はどこにありますか?」
「盗まれるとまずいからオレの腰に差してるぞ」
「門番さん。わたしたちは一度帰りますが、この刀を道三様にお届け願えますか?勝定左文字といってとても素晴らしい刀です。お喜び頂けるといいのですが」
「承りました」
「では昭武殿」
「おう」
門番に勝定左文字を手渡すと、昭武一行は稲葉山城を下って井ノ口の町に引き返す。
そんな昭武達を遠くから南蛮渡りの遠眼鏡で見ている者がいた。
「ふむ……飛騨の小倅共め。そなたたちが我が斎藤家の盟友たり得るのか確かめさせてもらうぞ」
稲葉山城
「道三様、飛騨の使者が道三様にと」
「うむ、大儀である」
道三は門番から勝定左文字を受け取ると、早速刀を見やる。
「なっ⁉︎これは……!」
道三は今は美濃の国主であるが、かつては商人である。その鑑定眼は濃尾近隣で右に出るものはいない。だが、その道三でもこの雷源の送った刀には驚かずにはいられなかった。
この勝定左文字は時の越後守護、上杉定実が雷源に恩賞として鍛冶屋に大枚叩いて打たせた刀だったのだ。
(どうやら、熊野家は本気のようじゃのう。姉小路を討った勢いのままに飛騨を平らげるつもりか)
「これだけのものを渡されては、無礼な真似は出来ぬのう……。門番よ!奴らを今すぐ追いかけてワシの前に連れてくるのじゃ!」
「はっ!」
(熊野雷源……熊野と聞いてもしやと思うたが、あの刀ではっきりした。十年前、飛騨に流れたと聞いてもう二度と表舞台に姿を現さぬと思うておったのだがな……。今更何のつもりであろうか?)
道三は雷源と直接の面識はない。しかし過去に雷源の活躍はよく聞いていた。
「あの頃はよく雷源殿に楽しませてもらったのう……」
道三が感慨深げに呟く。されど心は年甲斐もなく興奮していた。
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道三が興奮しているのと同刻、星崎一行の宿で昭武と桜夜は議論を重ねていた。
「この同盟は半端なものにしてはダメだ。道三と強固な同盟を組めれば、飛騨国内で熊野家が圧倒的に優位に立てる。そうすれば武田、上杉にさえ注意すれば飛騨は統一できるからな」
武田、上杉は度々川中島で干戈を交えている。だが、武田上杉両者の対立は信濃だけではない。飛騨では江馬親子が分かれて争い、越中では武田とにゃん向一揆衆、長尾と神保、椎名がそれぞれ手を結んでいる。
「確かにそうですね。しかしどうやって道三様をその気にさせるのですか?勝定左文字を携えて利を語るだけではやはり足りないような気がするのですが……」
桜夜が不安げな表情を浮かべる。
「それを今から考える。幸いにもオレは書物や行商人を通じて古今東西あらゆる知識を蓄えている。そしてお前もまた博覧強記として名高い教養を持っている。つまりだ。オレ達の持てる知識を使って道三をその気にさせる方法とついでに熊野家のこれからのことを考えようぜ」
話し合いは延々と続き、結論を出した時にはすでに朝日が昭武達を照らしている。昭武はその光を背中に受けつつ、口角を吊り上げていた。
(これが成れば熊野家は躍進できる。泰平を飛騨以外にももたらすことができるだろう)
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あと、活動報告にオリキャラのプロフィールを載せました。
7/9に次話に入れるにしては半端な部分を加筆しました。