「やあ、ウォルター」
「……なンでお前オレの部屋にいるんだ……」
大きめのため息を吐く。目を覚ましてすぐさま視界に入るのが男女どちらでも構わないが、元同僚の戦闘狂が視界に入るのは――そもそも入室の許可も出していないし――さすがにため息が出る。
寝起き、状況、戦闘狂、そしてかなり強めの頭痛。
あらゆる要因に顔をしかめながら上体を起こし、頭を掻きながら窓の方を見て、若干白む空を見てさらにため息を零して項垂れた。
眼の前に立つ銀髪を揺らす男……サヴァリスは貼り付けた笑みを深めて見せる。
「ゴルを鍛えていたんだけどね。そろそろ全力で戦いたいんだ。あまりにも平穏で平穏で……ああ、まったく! 嫌になる!」
「大きな声を出すな。隣室のライアとルファに聞こえるだろうが……」
「……あの元傭兵団の人間たちも、レイフォンも。……キミもだ、ウォルター。この平穏に満足しているのかい? この三か月、汚染獣との戦いもなく、戦もなく」
「ああ別にな。お前と違って戦いが無きゃ死ぬタイプじゃないンだなこちとら」
「なんてつまらない……! ああ、退屈だ、退屈過ぎて死んでしまうよ。……だからウォルター、僕と手合わせしよう。できる限り全力の」
「しない。帰れ」
にべもなく断られたサヴァリスはわざとらしく嘆いた態度をみせる。
槍殻都市のように頻繁に戦いがなく退屈していて、ウォルターが戦ってくれないことを嘆いているのは事実だろうが、白々しく大げさな動きにウォルターは再度ため息を零す。
「もういいって……お前いま何時だと思ってンだよ。機関部清掃もしてたから、ただでさえ睡眠時間が短いって言うのに……」
昨夜は結局、レイフォンはかなり遅れて機関部清掃に戻ってきた。
用事が済んだらしいレイフォンはしっかりとした足取りで機関部清掃に戻ってきたかと思うと「先程はすみませんでした。解決しました」とウォルターに軽く頭を下げてきた。
それを軽く流しながら、ウォルターは……ほんの少しだけ安堵して、アルバイトを終えて自室に戻り、就寝した。
ところへの来訪だった。
サヴァリスはウォルターの言葉に頷く。
「知っているよ。この三か月間、あちこちを見て回っていたからね。キミたちの活動も見ていたよ」
「……時々感じてた気配はお前の気配か……」
「キミ、水が苦手だったんだね。有益な情報を得た、今度からは養殖湖付近で戦おうよ」
「弱体化した相手と戦って楽しいか?」
「……やめておこうか!」
「分かったら帰れ」
この夏の休みの期間中、マイアス戦のどさくさに紛れてツェルニにやってきたサヴァリスが殺剄をして都市のあちこちを回っていたことは知っていた。が、そうかなとは思いつつ、本当にサヴァリスだとは思っていなかった……というより、思いたくなかった。実力的にも状況的にも、どう考えてもサヴァリスしかいないのだが。
そしてサヴァリスが殺剄をしたまま、このアパートの空き部屋の一室を使っていたことも、共同食堂に作り置きしていた料理を勝手に持ち出していっていたことも知っていた。頻繁に作り置きの保存容器が消え、きれいな状態で返ってくる。
最初こそ、ハイアがこっそりつまみ食いをしている可能性も考えたが、実際につまみ食いの現場に遭遇した――偶然、殺剄はしていたが普通に見つけてしまった――際に、想定以上に狼狽えておろおろしながら陳謝してきたので、ああコイツじゃないな……と察した。
つまらないつまらないと言いながら、サヴァリスはウォルターのベッドの縁にボスンと腰掛けた。それを鬱陶しく思い、サヴァリスの腰を膝で蹴りながら、ウォルターは頭痛に顔をしかめつつじろりとサヴァリスを睨めつける。
「おいオレのベッドに座るな。座るならせめて向こうの椅子に座れ」
「いっそ僕が騒動を起こせばいいんじゃないかな?」
「やったら叩き出すぞ。とっととどけ」
「じゃあ騒動が起きたら乗じて戦ってもいいかい?」
「こっちの面々と戦ったら叩き出すぞ。とっととどけ」
「ウォルターは仲間思いだなあ……、じゃあ汚染獣が来たら戦ってもいいかい?」
「あーそっちは好きにしろ。とっととそこからどけって」
ウォルターにひたすら膝蹴りをいれられたサヴァリスは、渋々立ち上がり、「それじゃあ」と頷いた。
「その約束忘れないくださいね」
「オレが言ったことも忘れるなよ」
ウォルターの言葉は聞いた素振りもなくサヴァリスは窓から退室していく。開け放たれたままの窓から、朝とは言え熱気を含んだ風が部屋へと滑り込む。それをうんざりと見ながら、ウォルターは枕に頭を落とし、眉間を揉んだ。
(アイツ、しゃべりたいだけしゃべって帰っていったね)
「あ~……まあ、ああいうヤツらだしな……、……天剣授受者のヤツらは大体……、ふぁ……ふ、……おやすみ、ルウ……」
(うん、おやすみ。時間になったら起こしてあげるね)
「……うん……ありがとな……」
眠気でふやふやになってしまっているウォルター、いいな……と思いながら、ルウは“箱”の中で満足に笑った。
そうして数時間後、ルウがウォルターを起こすよりも早くアパートへ突撃してきたレイフォンに叩き起こされたウォルターは再びため息を吐き、ルウは消してもいいかな、と『箱』の中で思った。
機関部清掃をしてバタバタしたというのに、朝から元気いっぱいなレイフォンに大きなあくびをしながら着いていく。彼の行き先は、リーリンやニーナが居住している女子寮だった。
尋ねたレイフォンたちを迎えてくれたのはニーナで、レイフォンはニーナにリーリンの部屋にある箱を持ってきてほしいこと、リーリンの許可は得ている旨を伝え、彼女が玄関へ戻るまでを待つ。
「……てか、なンでオレ? いらんだろこれ」
「受け取りが済んだら、昨日言っていたお菓子の材料を買いに行くので」
「男手二つもいらんだろ……」
「あとはちゃんと責任持って見届けていただかないと困ります」
「式典かよ」
ふあ、とウォルターは再度大きなあくびをする。
そうして未だ続く頭痛にこめかみを押さえて顔をしかめる。こういった体調不良はほとんど経験したことがないので原因がよく分からなかった。確かに夜ふかしはしたが、連日徹夜が続いても頭痛を経験したことはない。
原因が判然としないことに内心苛立ちながら、ウォルターは息を吐いた。
「ウォルター、もしかして体調が悪い……ですか?」
誰だって顔をしかめてこめかみを押さえた人間を見て、どこかしらに不調があるのだろうと思う。レイフォンもそうだった。
息を吸い込み、こめかみから手を離しつつウォルターは頭を振る。
「いや、なンでもない……」
「……すみません……、今日はお休みだったのに」
「ああまあ、昼まで寝ようっていう計画は破綻したが」
「ぐ」
「受け取ったらいい、って言ったのはオレだしな。これが終わったらお前が菓子作ってる間にでも睡眠とるし……」
「……なに言ってるんですか、ちゃんと手伝ってください」
「オレへのお礼でオレ手伝わされンの……」
「お礼ではなく賭け事のようなものなので……」
「賭けだったンだァ……」
「だってウォルター、『賭けてもいい』って……」
「言ってないだろ適当言うな」
「あなたが言いますか」
キリリと表情を整えたレイフォンの言葉をウォルターが苦笑して否定すると、レイフォンは力を抜いて笑ってみせた。
――――ああ、やわらかく笑うようになったな……
グレンダンで天剣を渡したときは敵意の塊で、ツェルニで再び会ったときもそうだった。ずっと、ウォルターへは敵意と、日常生活では不安と虚しさで固められたような表情をしていたのに。
きっと、リーリン・マーフェスとのやりとりがレイフォンにとっていいものだったのだろう、と思う。ニーナやフェリとの会話も、きっといいものだったんだろう、と。
いいことだ。
レイフォンやニーナはそもそもウォルターとか関わっていて、この夏の間にディクセリオと関わってしまった。レイフォンはその時の記憶はないらしいが、ニーナはそうではない。
狼面衆とも関わってしまって、仮面の向こうを見てしまった。廃貴族も取り込んでいる。だからニーナは今後、間違いなくウォルターたちと同じものに狙われ、巻き込まれてしまう。
ニーナには、ウォルターから同じ鉄鞭使いであるディクセリオが使う雷迅を、レイフォンから金剛剄を伝えた。それでも戦力はあるに越したことはない。絶対に。
だからレイフォンが武芸に前向きになることも、彼の不安が解消されることも、とてもいいことだと思う。
この世界の人間が、ウォルターと関わった影響で変わり始めている、と狼面衆が言っていたことを思い出す。
自分の目的のための打算は大いにある。
自分だけですべて対処できればいいとは思っている。
だがそれがおおよそ、それがうまくいかないだろうことはこのところひしひしと感じている。事が大きくなりすぎていることもある。ニーナがディクセリオ、ひいては狼面衆と関わってしまったこともそうだった。だから、できる限り自身の手が届き、指示の届く実力のある人材は遅かれ早かれ必要だった。
それでも、それとはまったく関係なく、レイフォンの力の抜けた笑顔に、打算のないやわらかい感情が自分の中にできたことはわずかなりとも理解していた。
だから素直に、よかったなと思った。
(ウォルター大丈夫? 僕がその頭痛消そうか?)
(……いいや。ありがとう、それはいいよ。戦闘時の怪我は別として、体調不良に関してはな……)
(……そう……。してほかったらいつでも言ってね)
(ああ、ありがとな……)
『箱』の中で不安そうにするルウにこれ以上心配をかけたくなくて、ウォルターは内心でしっかりしろと自身に言い聞かせる。とはいえ、『箱』にいるルウには大概のことは筒抜けなので、単純な強がりなど無意味でしかなかったが、それはそれ。
「……あの、ウォルター……」
レイフォンがウォルターを呼んだのと同時、ニーナが戻ってきた。
その手には布に包まれた箱のようなものがあった。ウォルターはそれを初めて見る。
手早く布を取ると蓋を開き、中に収められていた握りの部分に柄糸が巻かれた鋼鉄錬金鋼を取り出した。
「……レイフォン、それが……」
「はい。サイハーデン流免許皆伝の証です」
懐かしそうに、嬉しそうにニーナの言葉に答えたレイフォンは、蓋の外れた木箱と布をウォルターに預け、庭に出て錬金鋼を復元する。
素振りをして錬金鋼の感触を確かめ、ニーナの言葉に答えるレイフォンの言葉に淀みはない。
唖然とした様子のニーナに、時折「知っていたか?」「そうなのか?」と問われ、知っていることは頷き、知らないことは頭を振った。
弾んだように錬金鋼に触れ、素振りを繰り返し、今後の方針を呟くレイフォンを見ながら、もう菓子のことは頭にないな、と思いながらウォルターは木箱の蓋をもとに戻そうと木箱を持ち直して気づく。
「アルセイフ、木箱にまだなンか入ってるぜ」
「えっ? なにが入ってるんですか?」
「さあ? 自分で見てみろよ」
あとは錬金鋼を包んでいた布だけが入っているはずの木箱の底で、木箱の側面に硬質ななにかがぶつかる音が度々聞こえた。
ウォルターから木箱を受け取ったレイフォンは、元々は錬金鋼を包んでいた布を取り出し、木箱の底を確認して、息を呑んだ。
「……これ……」
かすかに震える指先で、木箱の中から摘みあげたそれは、ていねいな職人の意匠が施された銀細工だった。
レイフォンの手の中にあるものを覗き込んだニーナが「ほう」と声を零す。
「良い品だな。きちんと腕利きの職人が作ったものに見える」
「……そう、なんですか?」
「ああ、わたしはそう見るな。……まあ、わたしはそういった目利きはからっきしだったがな……」
自嘲気味にから笑いをこぼして視線を逸らしたニーナに、レイフォンは軽く苦笑する。
しかし、元々貴族として都市の上層階級にいたニーナがひと目見てそう言うということは、少なくとも出来が良く質の良い細工であることは事実だった。
レイフォンは自身の手の中に視線を落とす。
ころりとした小さな丸いロケットの銀細工がついたペンダントだ。決して豪華な意匠ではないが、繊細で細やかな技法で植物と花が描かれている。
食い入るように銀細工を見入るレイフォンと同じように銀細工を見つめていたニーナは、ふむ、とレイフォンに視線を向けた。
「これが錬金鋼と一緒に収められていたということは、これもサイハーデンのものか?」
「……いいえ……、これは……僕の……、……僕の、両親につながるかもしれないもので……」
「そうなのか!? そうか、お前は……」
「はい。僕は孤児で、養父さんにリーリンと一緒にサイハーデン孤児院に迎えられたんですが……そのときに僕が持っていたものが、これで……。……でも、天剣授受者になって、サイハーデン刀争術を使わないと決めて……養父さんに渡してしまっていたんです」
「……そのネックレスが、お前の養父なりの……一番の許しの証なんだな」
「……そう、だと……思います」
このロケットにはなにも収まっていない。
養父もレイフォンを迎えたとき、レイフォンは物心ついて養父にロケットのギミックを教えてもらったとき、このロケットのギミックの中にレイフォンの親につながるものがあるのではないかと期待した。だがこのロケットには写真は収まっておらず落胆したものだ。
ロケットの側部にある爪を軽く引っ掛けるように蓋を開く。ロケットの中にはやはりなにも収まっておらず……受け皿側の内側に、意図的に傷つけられて刻まれた文字がある。
「この文字列は? ……パッと見たところは、読める文字列ではないが」
「そうなんです。そのままではあまりに意味が通らないので、アナグラムだろうって……リーリンに言われたんですが、それ以上は……調べられていなくて」
グレンダンはレイフォンが幼い頃に食糧危機に陥った。孤児院や周りの人間を助けるために奔走しなくてはならなくなった。戦い続け、天剣授受者になり、ペンダントを手放したことで、ますますこのペンダントのことを考える時間はなくなってしまった。だからこの文字列がなんの意味を示しているのか、レイフォンには分からずじまいだったのだ。
けれどいまは違う。学生であるレイフォンは、学業や十七小隊の訓練、アルバイトを除けば、時間を取ることができる。
「せっかくなので、……調べてみます。もしかしたら僕の……血のつながった父や母のことが分かるかもしれませんから……」
「……ああ、そうだな! わたしにできることがあれば言ってくれ。力になろう。そうだ、こういうことこそウォルターだろう! ウォルターは頭がいいし、ウォルターに手伝ってもらったら……いや、レイフォンにとってそれは嫌か……」
「……いえ……いえ、まあ、その……ええ、思うところはもちろん……んん、ありますが。この際です、焚き付けたのはウォルターですので、ガンガン尽力してもらおうと思います。よろしくお願いしま……、……ウォルター?」