「……あの、ウォルターいますか……」
控えめな声でレイフォンが医務室に入る。
医務室で武芸大会のための準備で医療品を揃えていたティアリスが気づき、荷物をまとめながら視線をあげた。
「なんだ、次から次へと」
「す、すみません……。……って、次?」
「おれっちが先客さ~」
「……ハイア……」
「お前たち本当にウォルターのことが好きだな」
「っぼ、僕は別に……! め、珍しく医務室で休んでるって聞いたので! 一応! た、隊員として、顔を見に来ただけで……!」
「分かった分かった。他の人間もいるから騒ぐな」
「は、……はい……」
普段のレイフォンとウォルター、そしてハイアのことを聞いているからか、ティアリスはレイフォンに強めに釘を刺し、荷物を抱えて医務室を出ていった。
先にウォルターのもとにいたハイアは立ち上がり、グッと伸びをする。
ハイアはいま、レイフォンと同じツェルニの戦闘衣を着ている。現在十七小隊としてツェルニに籍を置くハイアは、今回の武芸大会に参加する、という話をニーナからも聞いていたから、特段驚きはしなかった。
それよりも、すぐ近くで他人が会話したりしているにも拘らず、スヤッスヤに眠ったままのウォルターの方が気になった。
――――いつもなら、他人がそばに来たらすぐに起きるのに……
具合が悪そうな様子は見せていた。それでもいつものように「なんでもない」とはぐらかされてしまって、それ以上を追求出来なかったレイフォンは沈黙することを選んだ。
先程の招集で、ニーナからウォルターが医務室に行ったことを聞いた。
もちろん、緊急招集に応えるために錬金鋼の調整が必須であったことは事実だったが、それ以上に刀をまた持つことができる嬉しさ、サイハーデン刀争術を扱える喜び、自身の両親につながるペンダントが再び自分の手に戻ってきたことが嬉しくて、今日は朝からずっと浮かれていたと思う。
せっかく戻ってきたペンダントを木箱に入れて保管するのも忍びなくて、身につけることにしたこともあって……なんだか本当に、ずっと浮かれてしまっていたと思う。
伸びをしたハイアは戦闘衣を整え直し、剣帯に刺さったツェルニ支給の錬金鋼を軽く指先で叩いた。
「……この調子じゃ、ウォルターは今回参加難しそうさね。……お前、ちゃんとやれるのさ?」
ハイアの言葉は、サイハーデン刀争術を正しく扱えるのか、という問いかけだった。
いつもだったら大きな声を出してしまうところだったが、先程のティアリスの言葉を思い出して軽く咳払いをする。
「錆落としなら、武芸大会で充分です。調整の際にも軽く流しで技は確かめました。……あなたに遅れをとったりしない」
「口ではいくらでも言えるさ~。それが嘘じゃないことは、実際に戦って証明するといいさ」
表面的な挑発ではなく、発破をかけてきている、とレイフォンは直感的に思った。
現時点、レイフォンが刀術を使うことを選び、それが理由で浮かれている、ということをハイアも察したのだろう。だからこそ、油断するなという発破だった。
そもそも、ウォルターがいようといまいと、この武芸大会においてツェルニの勝利はほぼ確定している。
このツェルニには、グレンダンの元天剣授受者であるウォルターと、そしてレイフォンがいる。そしてそれに勝るとも劣らないハイアもいる。後方支援として、サリンバン教導傭兵団で実力を磨いていたミュンファもいる。
この面々がいる時点で、武芸大会という生死のかからない場において、すでに勝利は確約されているようなものだった。
レイフォンは他の小隊の実力までは正しく理解していないが、十七小隊の面々も実力を上げてきている。ニーナも未だに戦闘において突撃しがちな気質は抜けきらないが、それでもうまく立ち回れるように攻防どちらの技も、ウォルターとレイフォンから教えている。ナルキも自分なりの方法を練習し、武芸大会に挑もうとしている。
だからおそらく、レイフォンやハイアといった面々はむしろ過剰な戦力で、ここにウォルターが加わった場合、ツェルニ側の武力が飽和してしまう。
このところのツェルニの状況を考えると、ウォルターが体調不良だということを除けば、ウォルターが参加しないというのは、ツェルニにとっては悪くない……ような気もした。
「じゃ、おれっちは先に行くさ~。遅れんなさ」
レイフォンの返事を待つより早く、ハイアはその横を抜けて退室した。
静まり返った医務室で、レイフォンはほんの少し気まずく眠ったままのウォルターに視線を落とした。
「……前とは逆ですね」
鋼糸の練習を始めたばかりの大怪我のとき、ツェルニに来てからの入院のとき。
ウォルターがはっきり体調が悪いと言うほど体調が悪いのだろうか、と考えて、最近は態度がやわらかくなってきているから、ただ単にちゃんと自己申告してきているだけなのかも、と自分を安心させようとしたりもする。
いずれにせよ、レイフォンのやることは決まっている。
この武芸大会で勝つ。サイハーデン刀争術の勘を取り戻す。十七小隊に貢献する。
刀を使うことは、元々武芸者を辞めようと思ってツェルニに来たレイフォンにとって、いいことなのか悪いことなのかは分からない。
それでもいまのレイフォンにできることは、武芸者として戦うことだ。
一朝一夕でなにかが身につくなんて思っていない。それは武芸者として天剣授受者としての鍛錬で身に沁みて理解している。
だからこそ余計に、いまできることを精一杯やるしかないのだとレイフォンは思っている。
「僕ももう行きますね。……必ず、勝って戻ります」
剣帯に収まった錬金鋼の柄尻を強く掴み、レイフォンは踵を返した。
『箱』の中で様子を伺っていたルウは、腕を組んで大きくため息を吐いた。
「まあ、ウォルターが体調悪いなんて言うの、初めてだしね~……」
周囲の人間たちがざわつくのも分かる。正直なウォルターの態度が嬉しいのだろうな、とは察するに容易い。
ルウにとっても、ウォルターの味方が増えることはいいことだと思う。ルウはウォルターと一緒にいて、『箱』の中にいる。ウォルターのために尽力すると決めている。
けれど、いざなにかあったときに、結局精神体であるルウよりも物質としてともに存在している彼らの方が、対処が早い場合も多々ある。
そうなったときのために、ウォルターの味方が増えることはいいことだと思う。
が。
「馴れ馴れしくていいかどうかは別なんだよね~……!」
もう、どいつもこいつもウォルターが正直になってきて、嬉しくて浮かれて、キャイキャイして。
それがとにかくルウには鼻につく。
少しずつ、ウォルターの様子や態度がやわらかくなってきて、わざとらしい他人を避けつけないような雰囲気や言葉が減ってきて、なんだか
ルウにとっては嫌で嫌でしょうがないけれど……それが、これから大きな戦いに挑まなくてはならないウォルターには、きっと必要なのだろうと思う。
特に、レイフォン・アルセイフ。どれだけ運命に弾かれる因子を宿していたとしても、あれが武芸に前向きになることは、ルウもいいことだろうと思った。
「……ま、多少は……多少は、寛容な心で……」
致し方あるまい。ウォルターにとっては必要なことだ。
ルウにとってはどうしても嫌に思うが、ここは大好きなウォルターのためを思って。
我慢、我慢。脳内で言葉を反すうしつつ、ルウは頬杖をつきため息を吐いた。
とは言え、限界はあるので。
「これ以上はつけあがらないといいな~、消したくなるから……」
そう思いながら、『拒絶』で周囲の騒音とうっすら頭痛を消したことにより、すこやかに眠るウォルターを微笑ましく満足に見守っていた。
目を覚ましたら、武芸大会が開始していた。
薬も飲み、頭痛もルウが軽めの『拒絶』で軽減してくれたらしく、ほどよい睡眠を取れたことから、武芸大会の開始ブザーを聞き逃したのか……と思っていたら、どうもルウが『拒絶』で周囲の雑音を消してくれていたらしく、ブザーの音もそれに含まれてウォルターに届かなかったらしい。
もちろんルウには聞こえていたが、ウォルターが安心して眠れているのに起こすなんて、安眠優先、とウォルターを起こさなかった。ありがとうと言いつつ、できれば次は起こしてほしいな、と伝えるに留めた。
そもそもニーナも起こしに来なかった時点で、十七小隊としても今回の武芸大会はウォルター抜きで行うと決めたのだろう。
そのことに寂寥感があるかと言われれば――全然なかった。むしろそっちで頑張れるなら頑張れくらいの気持ちだった。むやみやたらに頼りにされたいわけでもない。
(まあ、特に今回はアルセイフとライア、ルファもいるしな……、アントークたちも実力はつけてきてるが、そこが一番でかい気がするな)
(そうだね~。前回のマイアス戦はまあ……ハイア・ライアがねぇ~……アハハ!)
(笑うの早いな)
(だって、ねえ、ふふふ! ……でもあの三人いれば、まあ。ウォルターがいた方がぜ~ったいにいいけど! なんとかなるだろうね)
(ああ。今回はあいつらにお任せということで。……オレたちは自由時間だ、見やすい位置に移動して、適当に観戦しながらだらだらしてようぜ……)
(屋根の上でぇ? ゆっくりするなら部屋帰ろうよ、身体休まないよ)
活剄で跳躍し、大きくあくびをしながらツェルニの建物の屋根の上に着地した。
ツェルニの向こう。今回の武芸大会の相手はのファルニールという名の都市らしい。知らない名前だ。ディクセリオと共にこのツェルニにいたときでも、そんな名前の都市とぶつかったことはなかった。自律型移動都市はそう容易く生まれるものではないため、ツェルニの活動範囲に新たな都市が生まれたとは考えにくい。ツェルニの活動範囲が変わって、新たな都市と接触することになった……と考えれば、おかしい話ではない、が。
「どう思う? ルッケンス」
「やあ、気づいていたんだね」
背後から現れた銀髪の男はへらりと笑った。ウォルターは屋根の上に腰を下ろし、ファルニールの方を見ながら膝に頬杖をついた。
「……自律型移動都市の活動範囲に関しては、僕の知るところではないかな。とは言え、レイフォンがようやく刀を持った。僕にとっては喜ばしいことだ。ようやく楽しみが出来た」
「お前な」
「もちろん、ウォルターとも全力で戦える機会があれば戦いたいけれど……、……欲張りはよくない。ウォルターとはこの三ヶ月間、たびたび手合わせしてもらったからね」
「オレからしたら、手合わせに付き合わされたの間違いなンだが」
呆れ顔で視線を向けると、サヴァリスは活剄で治癒されたばかりの傷跡を撫でた。
夏季帯の三ヶ月の間、サヴァリスはウォルターの居住区であるアパートの空き部屋を根城にしてツェルニのあちこちを回るだけではなく、ゴルネオの指導を行っていた。
その際、度々半ば拉致のように連れて行かれ、ゴルネオの指導の手伝いとサヴァリスの手合わせに付き合わされた。
全力を出せばレイフォンに気づかれる可能性もあるからか、ほとんどがただの体術での手合わせではあったが、毎回全力でぶつかってきたため、さすがに天剣授受者に手加減したまま叩き潰すことはウォルターも難しく、時折サヴァリスの敗北には怪我も伴った。
病院にはかかれないため、活剄での治癒で済む程度の怪我に留めたが、それでも怪我には代わりはない。
「それより、ずいぶんと同級生たちと馴染んでいるようじゃないか。やっぱり廃都市に行ったときになにかあったのかい? あのあとからかなり態度がやわらかくなったじゃないか」
「あン? ……否定は……しない」
「はぐらかさないあたり、本当に柔らかくなったねえ。僕としては、キミが錆びさえしなければ特に文句はないよ」
「錆びてないのは知ってンだろ、散々手合わせしたンだから……」
「はは! それもそうだ」
軽快に笑ってみせたサヴァリスは、屋根に腰掛けたウォルターに歩を進めて屋根を踏みしめる。
「キミがはぐらかさなくなったのは、大きな戦場が近いから? それともキミが言う目的が近いから?」
「……どっちでもない」
「……なんだ! 前者がいいと思って挙げたのに。ああ、つまらない。汚染獣に襲われるなり、騒動が起きるなりしてほしいものだよ、まったく!」
「ンだこいつ」
空を仰いで大仰に騒ぎ立てるサヴァリスを白けた表情で見つつ、ウォルターは剣帯から黒鋼錬金鋼を引き抜き、復元。引き金を引く。
「!」
銃口の先にいた男の胸に大きな風穴が開く。霧のように男の姿が消え、そして少し離れた位置に同じ男の姿が再び現れる。
「……本当にどこにでもいるな」
「お褒めに預かり……と言っておこうか」
「褒めてねぇよ。微塵もな」
呆れ混じりに視線は男から外したが、銃口は外さない。サヴァリスは怪訝な表情で男に視線を向け、軽くウォルターにも視線を向けた。
「狼面衆だ。向こう側のヤツだな」
「ああ、彼が。以前は……、……おや?」
「……なにが目的だ」
「目的などない。伝えておこうと思ってね」
男は灰色のスーツを身に着けていた。
一般的な中肉中背の男の容姿。顔は……いつものことだ、認識することが出来ない。
明らかに含みを持った男の言葉に、ウォルターは顔を顰める。銃口を男に向けたまま、ウォルターは腰をあげた。
「答えろ。ここでお前たちを潰してもいいンだぞ」
「そう急くな、“足掻くもの”。なに、すぐ分かる」
いままで遭遇したどの狼面衆よりも、人間のような話し方をする。
ますます顔を顰め、ウォルターはルウに声をかけようとして――それは来た。