ツェルニ上空に、真円の真っ黒な大穴が開いた。
それを目撃したとき、状況は理解できなかったが、ハイアは念威繰者を通じて各部隊に撤退と身の安全を取るようにと指示した。
あれは汚染獣に関わりのある類ではない。
直感的に、あれはウォルターの待っているものだと考えたからだ。
雄生体はほとんど片付いている。あとは死にかけが数体、ハイアたちが労力を割かずとも、じきに死骸となって転がるだろう。
問題は空に開いた大穴だ。
ハイアはミュンファを引き連れてヴィートたちの方へと合流するべく移動しつつ……錬金鋼を復元し、足を止める。
上空から降り注いだものは、明らかに汚染獣とは違った。
五メルトルもある体長、ひとに似た四肢、尖った歯を蓄えた口、胸部に並ぶ六つの赤い珠。
それは汚染獣というよりは、映画や物語で語られるような……巨人と呼ぶにふさわしいように見えた。
「ミュン、構えるさ。合流を最優先に。タイミング見て速攻撤退。深追いはすんなさ~」
「う、うん。ハイアちゃん、じゅうぶん気をつけて」
「分かってるさ~」
錬金鋼を握り込む。
ウォルターはまだ真下に出た老生体の対応に追われているだろうか。
念威繰者たちは必要ないとウォルターに断られ、真下の汚染獣に関しては必要最低限の情報収集のみに絞っていた。念威端子はそばにいるが、巨人の正体や空の大穴、真下の汚染獣に関しても動揺で情報が錯綜していて、フェルマウスが対応に追われているためこちらへのサポートを頼むのは負担だろう。
息を吸い込み、吐き出し切る。
まだレイフォンもツェルニに帰還していない。
フェルマウスから報告があった、いつの間にか傭兵団の拠点にいた天剣授受者、サヴァリスが戻ったという話も届いていない。
真下の汚染獣の対応に向かったウォルターも、未だ戻っていない。
眼の前のことをやり切るしかない。
全身に活剄を巡らせる。剄を奔らせる。剄を練り上げ、強く踏み出した。
同時刻、レイフォンも外縁部にすでにたどり着いていた。
百五十キルメル先の老生体を、なぜかいたサヴァリスと撃破した。そこまではよかった。
槍殻都市グレンダンが、学園都市ツェルニへ迫っている。そう告げたサヴァリスは、そのままランドローラーへと乗り込み……そしてそもそもの目的は廃貴族だと口にし、レイフォンを挑発する。剄技の応酬を伴うランドローラーでの追走劇を行いながら、ツェルニへとたどり着き、そして軍配はレイフォンに上がった。サヴァリスの右腕が老生体との戦いで使えなくなっていたからこそ、レイフォンは勝てた。そう思うしかないほど、かすかな勝ち筋だった。けれどレイフォンは勝利した。
ずっとレイフォンのサポートをしてくれていたフェリから、サリンバン教導傭兵団とツェルニの小隊が協力して都市の雄生体に対応していることを伝えてくれていた。そして、ツェルニの上空に大穴が開き、そこから巨人が降り注いだことを。
サリンバン教導傭兵団が対応してくれていたところへ、ついに学園都市ツェルニに接触した槍殻都市グレンダンから現れた天剣授受者が、巨人たちの対応に当たっているということも。
そしてその中に、あの男がいるということも。
全身に活剄を奔らせる。剄脈は問題なく剄を奔らせている。だが身体の方は老生体とサヴァリスとの戦いですでに限界だった。けれど戦わなくてはならない。
真下の老生体の対応に当たっていたウォルターの方も終わったと聞いた。しかしフェリの念威網からは外れているらしく、状況を補足できないそうだ。
レイフォンは戦わなければ。戦って、……そして、そうだ、大切なものを。大切なものたちを、守らなければ。
奪われないように。
レイフォンは混沌と化した学園都市の内部へ、走り出した。
ツェルニの尖塔の上へ登る。大穴を見上げれば、かすかに七色の粒子がちらついていて……その光は間違いなくかつて見慣れたオーロラ・フィールドだった。
しかし都市に降り注いだ巨人の数は少ない。あの巨人はおそらく、かつてイグナシスとの戦いでナノセルロイドたちから生み出されたポーンと同じものだろうが、形状は見覚えのないものだ。
ツェルニの真下から飛び出してきたウォルターは、上空に向けて弓を引き絞り、放つ。
外力系衝剄を変化、
尖塔の上から放たれた美しい放物線は、天剣授受者たちの手が及んでいなかった巨人たちを一撃で貫き鎮圧する。
二撃目、三撃目を続けて放つ。都市のあちこちで天剣授受者たちの剄が一瞬乱れるが、それも一瞬だ。学生と傭兵団の面々は、これを好機とばかりに撤退していく。
巨人たちのおおよその数が減ったこと、学生と傭兵団の面々の撤退を確認し、ウォルターは息を吐く。
「まだ生きてたのか、あれ……」
「というよりは、狼面衆の策略で新たに生み出された可能性が高いわね」
背後から白魚のような手が伸び、腕が伸びる。ウォルターの首筋を撫で、舐めるような動きでウォルターの視界にその姿が映る。
なめらかで艷やかな黒い髪が、陶磁器のように白い肌の上を滑る。傾げられた線の細い首すじ、蠱惑的に釣り上がる赤い唇。柔らかく歪められた眦が、蕩けるようにウォルターを見ていた。
闇を背後に従え、宙に浮かぶその姿にウォルターは息を吐く。
「ニルフィリア。……出てきたのか」
「……もう、本当におもしろくないわね」
「身体の方は」
「もうほぼ元通り。……あの子のおかげよ」
「ツェルニは人が良すぎる。お前のことといい、ディックのことといい……オレのことも合わせてな」
「ふふ、だからわたしにとってあの子は特別なのよ。イグナシスを下す以外のことはどうでもいいけれど……あの子はね。分かっていると思うけれど、あなたにも働いてもらうわ」
アイレインが月になる前、ニルフィリアはイグナシスの策略に嵌まった。そしてルウと同じくゼロ領域で解けてしまい、身体を治す必要があった。直前にゼロ領域に漂っていた、サヤが集められていなかった魂たちを率いていたニルフィリアは、それを存在証明に、ツェルニで眠りにつき、時を待っていた。
「どうせオレの目的も同じだ。それに関して文句はない」
「……あなた、結局受け入れたのね。ずいぶんとやさしくなって」
ニルフィリアの言葉には侮蔑のような、嘲笑のような色があった。
「……馴れ合いが過ぎた自覚はある。それに慣らされた自覚もある。だが、戦うのはオレ自身だ。オレの意志で戦う。……だから、やり方に口を出される筋合いはないぜ、ニルフィリア」
「そう。……まあいいわ、わたしとしても、イグナシスを下せればあなたがどうなろうとも、興味のないことだもの。あの犬がちょうど来ているわ。あの影もね。兄さんの因子を継いだ人間もそこにいる。……ついに発現させたわよ」
「そうか。……オーロラ・フィールドのせい……か。……そのために開けたと思うか?」
「……どうかしら。いくらあの出来損ないたちでも、わざわざ反乱分子を増やすような真似をするかしら? 別件で開いた結果、影響を受けてそうなったと考える方が妥当よ」
「それもそうか……。……ま、ほどほどにやりますかね、オレらの方もな」
「……たまに兄さんみたいな話し方するの、やめてくれる?」
「少し参考にしてたところは認めるが、そうでもないと思うがな」
ウォルターの言葉に柳眉を顰めたニルフィリアは、しばしじっとりとした視線でウォルターを睨めつけると、ため息を吐いてウォルターの眼の前へと移動し、どすんとウォルターに自身を抱えさせた。
そうして緩慢な動きでウォルターの顎を白魚のような指先で撫で、ぐっと顔を近づける。
「まあいいわ、どうでも。ええ、どうでもいいわ。巨人へのおおまかな対応も、守護者でほとんど終わっているし、あなたの攻撃とグレンダンからの人間が対応している。あと、こちらの対応はあの大穴への対応と……兄さんの因子を持った人間を回収していることへの対応くらいかしら?」
「ああ、アルモニスがもう来てるのか。あれはグレンダンの方にいて正解だ。……大穴の対応はディックに任せる。お前もすぐ行くンだろ?」
「ええ、そうよ。こちら側での対応はあなたに任せるわ。あなた結局、真下の対応をしていて重要なときにいないんだもの。時間かかりすぎよ。……こちらでのあちら側の仕事はもう終わり。行っていいわよ」
「気分屋さん過ぎるだろ。……じゃあオレ、移動するから下ろすぞ」
「ちょっと、ここに下ろす気? 信じられない、ちゃんと下ろして」
「下ろすもなにも、お前地に足つかないだろうが」
(そうだよ、とっとと降りて、離れて」
ウォルターの横から腕が伸びる。ニルフィリアの細い肩を掴み、押しのけるようにして腕と胴がウォルターの前に現れる。
強引にウォルターの腕からニルフィリアを下ろしたのは、ウォルターの『箱』に収容されていたルウだ。滑り降りるようにニルフィリアが降りて開いたウォルターの腕の中へ、ルウはぼすんと収まった。
「お、……出て来れるようになったのか? よかったよかった」
「まあまあ? 完全にとはいかないけど……ニルフィリア・ガーフィートの態度が癪に障って嫌すぎて出てきちゃった」
「そうか、よしよし」
頭を撫でられ、ルウは満足そうに目を細める。ルウの身体はところどころ解けたままだ。足の先はまだほとんど形を取り戻していない。ルウの言葉通り、完全に戻ったわけではないのだろう。
二人のやり取りに心底鬱陶しそうな表情で頭を振ったニルフィリアは、踵を返すように身を翻して姿を消してしまった。
もたついている間に鋼殻のレギオス20周年おめでとうございます。
キャラファイングラフの発売嬉しいですね。買いました。