――何時かどこかで、そしてこれほど幸福な事が今まであっただろうか。
以前の私は、まだその幸福を理解出来なかった。幼く、弱く、如何程に練度を上げようともその幸せがずっと続くのだと慢心して、全てを失って初めてその幸福を理解したのだ。
そこに彼は居ない。吐き出す息の一つも無く、風は彼の映った画面を揺らす事もない。
笑顔が消えて、存在そのものが失われたのだ。何時か必ず帰って来ると信じていても、当たり前のように彼と会っていた昔の己は少し経てば呆気なく壊れていった。
何という馬鹿。何という愚か者。
失って気付く幸せがあるという言葉があるが、正しく体験したのはそれだった。
彼の温かく、全てを受け入れてくれる器は他の娘にも向けられていたが、最も信頼を込めた眼差しで見ていたのは常に自分である。だからこそケッコンカッコカリが出来なかった時は子供の如く怒りを露わにしたし、納得するのに酷く時間を必要とした。
昔の己は子供だったのだ、どうしようもなく。
今でもケッコンについてはその程度と切って捨てられる訳ではないが、それでも割り切るようにはなった。
そして地獄を経験して、悟ったのである。
彼は遍く全ての艦娘を愛していた。新しき子も、古い子も、例外無く褒め称え素晴らしいと称賛し、そしてそんな娘達を徒に沈めさせることが無いように常に装備選択は計算されたものとなっていた。
そうなのである。彼は艦娘に平等に愛を振り撒いていた。
ならばそんな彼に己は何を示していたのだろうか。ただ自己中心的に愛を欲し、邪魔立てする者を威嚇し、自分こそが最高であると彼に示そうとしていただけではないか。
愛は受け取っているだけで完結するものではない。共に愛し、愛されて初めて成立する環である。
それを放棄していた時点で崩壊は決定事項だったのだ。断じて、あのトラブルが原因であった訳ではない。
提督が別の世界線に移動していたのは単純にただの切っ掛けだ。己が一体どれほどに彼に対して愚かな行動をしていたのかを知る、一つの切っ掛けに過ぎない。
もう子供のように甘えるのは止めよう。もう子供のように怒るのも止めよう。
頭は壊れてしまっても、それだけは覆させない。でなければ、自分はもう一度彼を失うかもしれないのだから。
「――久し振りだな、金剛」
幼い声で、されど彼の口調で話は始まった。
場所は執務室。普段は彼の顔が映るのだが、現実的に目の前に居る以上画面が出現する事は無い。
差し出されたシンプルな白い茶器には緑の液体が入っている。それは金剛があまり飲まない緑茶であったが、それについて文句を言うような暇など彼女には残されはいなかった。
目の前に彼が居る。待ち焦がれた恋人が目前に存在するというのに、どうしてそんな些細な事に頓着する必要があるのだろう。
対面で椅子に座って向かい合う彼女の姿は、彼の目には非常に眩しく見える。
金剛型特有の改造されたかの如き巫女装束。肌は色白で、顔の作りは日本人らしくない。アニメ絵を基準とされている以上何処の人種とも被らないが、彼はそのお陰で金剛が一種神秘的な存在のようにも思えてしまった。
「誠に、お久し振りでございます」
「……普段通りで良いよ」
頭を下げて言葉を返す金剛に、彼は苦笑を混ぜてそう放つ。
それだけで柔和な笑みが彼女から出現し、全身から溢れる神々しさは増した。
成程、これで衣笠達を誘導させたのだな。と彼は内心で納得したように首を縦に振る。
水雷戦隊を出撃させて帰還した彼女達の姿は、率直に言って酷いものだった。金剛はまったくの無傷であるものの、衣笠達の中には大破艦が目立ち、装備品とて初期の物と何も変わらない。
直ぐに入渠施設をフル活動させたが、その修理時間も非常に短かった。
つまりは、あそこに居た全ての艦娘達の練度がとても低かったことになる。衣笠をして二時間も必要としなかったのだ。まるで戦場に出せるものではなかった。
しかしそれでも、彼女達は懸命に金剛に従って動いていたのだ。それはきっと金剛が定期的に希望を見せるような話をしたのだろうし、彼女自身の強さを示したのもあるだろう。
金剛には紛れもなく大規模部隊を運用出来るだけのカリスマがある。
それを解っていて、しかし彼は何も言わなかった。いや、言うべき情報が多過ぎて選択肢の中から排除したという方が正しいだろう。
「早速で悪いが、報告書の方は既に読んだ。これらは全て真実か?」
「Yes.相手は此方を補足した後に砲撃を開始しました」
衣笠達が修理している間に纏めたであろう報告書の内容は、彼の眉を顰めるには十分なものであった。
此処から南方向に位置する単冠湾泊地所属の艦娘からの砲撃。オリジンが多数出現していたからこそ、単艦で進む彼女をオリジンと認識して撃ってきた。
当然そうなった結果金剛も反撃を開始。地力は確実に彼女の方が高く、オリジン特有の現象により相手側の砲撃は命中したとしてもダメージにはならず、最終的には単冠湾泊地は八割の損傷を受けて機能が停止した。
その時点で離反を目論んでいた艦娘達が出現。このまま此処には居たくないとの頼みにより、こうして彼女がここまで引っ張ってきたのだと言う。
確認の為に衣笠達にも事前に聞いていたが、大体が合っている事は解っていた。
つまり報告書の内容は真実に近い。解っていた事であるが、やはり此方側にも攻撃を仕掛けてきたのである。
静かに報告書の紙を机に置き、緑茶を飲む。入れてくれた瑞鳳に内心で感謝しつつ、どうしたものかと呟いた。
「やっぱり直ぐには解決しないよな」
「そう、でしょうネ。 navyがそう簡単に方針を変える筈が無いでショウ」
「解ってた、解ってたよ。世の中全然上手くいかないことくらい。……だが、まだ皆が来てからそれほど時間は経ってない。全員とはいかないまでも、少しくらいは話を聞いてくれる奴が出て来るのを願うさ」
現状は資源回復を優先している。
そして資源回復を行いつつも、周辺の敵部隊も掃討を開始していた。今ならば四人一組になったとしても戦艦を容易に打倒出来るであろう。それに奥の手として応急修理要員も積んだ。これで完全な轟沈は回避出来る。
勿論それは発動しない方が良い代物だ。しかし、考えておくことは常にしなければならない。
さらに、ある一定の量まで資源が貯まれば次は海域の攻略である。
先ずは北方の全海域の制覇。そこで此処とは違う別の拠点を作り、そこを土台として海域の安定化を狙う。
そうしたら後は状況に合わせて決めるのみ。海軍が何処を狙うかも不明な今では、詳細な予定決めは逆に崩壊を招く事に繋がってしまう。
足場を固める事に尽力すれば良いのだ。それ以外はまだ、手を出すには尚早過ぎる。
海外についても思う所はあるのだが、そっちはそっちで戦ってもらうとしよう。仲間達が助けてほしいと通信が入れば、やがて集まるだろう潜水艦達で救援に向かわせるのも良いかもしれない。
「考える事は山積み。それに仲間も全員集まった訳じゃない。どれだけ強くても、現状はまだ油断出来ない。本当、面倒な世界だ。いっそ日本を自分の物にした方が良いくらいには、色々用意出来ない」
「なら落としますカ?」
「まさか」
共に笑いながら、言葉を返し合った。
互いに何の壁も無く、気軽に言い合える様は正しく友と言える。金剛は戦友として、彼は信頼を寄せられる親友として、邪魔に思う気持ちも当然ながら皆無であった。
金剛型はこれで残るは霧島のみ。しかし彼女が合流する前に、この鎮守府は更なる変革を周囲に見せつけるだろう。それはきっと他に無い特徴を持った、金剛のような特別のみが出来ることだ。
彼女達が話していた頃と同時刻。工廠に設置されていた艤装達が静かに発光した。
その光は直ぐに消え、誰の目にも留まる事無く静かに時間だけが過ぎる。――変化が起きるのはどんな場所でも一緒なのだ。
※reverse※
「はぁ、やっと終わったか……」
夜。
西の鎮守府の執務室では男の声が響いていた。
山のように積もった書類群は全て処理されており、今現在は他の艦娘達は就寝している。
時間も午前一時と遅く、早く寝なければ明日の業務に遅刻するだろう。それを知っている彼は早速とばかりに書類の山を崩れないように片付け、自身の手荷物を確認する。
当然誰も触れていない為に全ての荷物は揃っているので態々確認する必要はない。これは只日常に身についてしまった行動を自動的に行っているだけであり、ものの五分で全ての確認は終了した。
後は帰るのみ。この鎮守府での査察も全て終わったので、彼の行動を止める者は殆どいなくなった。
相変わらず非艦娘派の者達からは嫌悪を感じる視線が多く、嫌味も多数。特に艦娘を人扱いしている事に関しては遠回しに非難されたが、その全てに純朴な答えを返している。
向こうには彼の姿が艦娘を大事にするだけの普通の青年に見えていることだろう。
実際そうなるように動いているし、怪しまれないように他所との連絡に関しては別の端末を使用している。
六重のロックを解除し、彼はその端末を開いた。
メール欄の殆どは料理に使えるテクニック集や、異姓との友好関係の構築といった凡そ海軍色の無いモノばかりとなっているが、当然これらは全て暗号文である。
新しく入って来た情報や密かに細工された画像によって艦娘派の者達は活動しているのであり、その数は思いの外多い。中には海軍とは関係の無い者達まで入っているというのだから、彼女達を大事にしようとする者達の間には明確な壁というものが存在していなかった。
新着の情報は一件。
その相手は以前話し合った幌筵泊地の提督。今後の連携を密にする為にと密かに伝えておいたそれに、遂に相手側からの連絡が入った。
書かれている内容は日本の有名観光スポットについて。
この御時世に旅行に行ける筈も無く、正しく単なる嫌がらせにしか思えない文面ばかりがそこには並んでいる。
例えこれが暗号文だと解っていても、それでも送られてくる情報によって性格が見えてくるのだ。即ち、彼は随分と善良な活動をしようとする者達を嫌っていると。
機械提督。そう言われ恐れられているものの、実害自体はまったくの零。寧ろ逆に艦娘達の生還率は高く、決して只の非艦娘派でない事が解る。
霞の一件を知らなければ、彼もまた他と同じく不気味な提督の一人としてスルーしていただろう。
故に彼にとって最も良い餌を与えた。それは未だ誰も知らず、有しているのは二人だけ。
異常個体・霞の情報。軍内に僅かに残っていた彼女の情報を纏め、更には一つの推測も織り交ぜての交渉は恐ろしい程にスムーズに進み、本来であれば早速第一歩目を開始させようと思う頃合いだった。
その前に今回の事件が起きたのである。
迂闊な行動は制限され、まだ査察団が調査していない鎮守府群も多いだろう。
全てが終了するにはまだまだ時間が必要だ。そして、きっと向こうはそれを許さない。
「観測機からの信号が途絶。リアルタイム映像によって霞の姿を確認した。…………姿も異なっているだって?」
観測機は恐らく警備目的で出撃されたものだろう。
それが落ち、尚且つ霞の姿が確認出来たのであればあの海域でやはり彼女達は活動を開始している。
観測機だってそこまで長距離を飛ばしていない筈だ。遠くまで行って燃料切れを起こさないよう、何時も少しは余裕を残して帰還するように学生時代から教わっている。
その観測機が落とされたのであれば、霞達の姿は幌筵泊地の近くにあったという事だ。
それを知り、脳裏を過るのはやはり単冠湾泊地の件について。元よりあの一件については関与があると感じていたが、更に狙いを定めていたのだとすれば疑惑も強まる。
確定的な情報が無い現状で決め付けるのは非常に悪いことではあるが、今この海において深海棲艦を除けば海軍の施設をほぼ破壊出来るのは彼女達だけだ。
故にこそ、送られてきた情報群は無視出来ない。
幸いにして、査察団は艦娘との接触を嫌がりさっさと帰ってくれた。彼が
今なら行けるのだ、その海域に。真偽を確かめる事が出来る。
ならば、と彼は手元の携帯端末を操作した。
内容は極めて単純。しかし暗号文としての体裁を整える為に幾分か複雑にし、如何様にも解釈が行えるようにする為に少しの時間を要した。
完成した文面は旅行計画書なる極めて嫌味満載な代物だが、そこに書かれている本当に必要な部分はたった一行のみ。
即ち――――日取りを定め本格的に接触を行う。
何時にするか、どの艦娘に最初の接触を任せるか、接触したとしてどのように互いにとって有益となる関係を築けるか。
此方は艦娘との和平交渉を最重要視として、出来うる限りの援助を約束するつもりだ。
無人島ではそもそも食料不足は大きく響くものであり、いきなり大多数の艦娘が集まればそういった戦闘とは関係無い部分においても問題を生じやすい。
そういった無人島生活だからこそ困窮する要素を満たせてやれれば、多少なりとて彼女達も話を聞くのではないかと思うのだ。
現在異常個体群は周辺のどの海域からも
単体最強であるが故か、どうにも他と隔絶し過ぎて避けられやすいのだ。他に接触した者達の情報も合わせ、実際に組んでいる者は驚く程に少ない。
一人でも脅威の戦果を叩き出せる存在達だ。確かに格が違い過ぎれば、逃げてきたような子達は皆接触などしないだろう。
であるが為に、今まで何とか海軍側も被害を齎しつつも生き残ってこれたのだ。
憎悪の目をぶつけられても、大量の艦娘の死体を積み重ねても、それでも人類は単体最強に生き残ってきたのである。
悪足掻きも悪足掻きだ。
彼自身、その醜さには辟易としている。軍人たるもの何時かは死ぬし、そうなった時に彼女達を盾にするなど論外中の論外。……守ってもらっている自覚があまりにも薄いのである。
「カレンダーは……と。うわ、予定が三日後まで空いてねぇ。誰だよこんな時期に予定ぶち込んだの……俺だよチクショウ」
舌打ち一つ。
自分に苛立ちながら会うのは三日後と追加で文章を弄り直し、それを送った。
息を吐き出し、彼は外を見る。港に最も近い此処は、深海棲艦に被害を受けやすいエリアであるが為に人の姿など軍人以外殆ど存在していない。
スーパーや娯楽施設など以ての外、昔ながらの漁業組合すらもう居ないのだ。
鎮守府だけが高く存在している。まるで海軍こそが最後の砦と主張するようなその姿に、彼は唾を吐きたい気持ちを抑えた。
「独活の大木、木偶の坊。……本当に守っているのは、艦娘だろうが」
人間はサポートが限界だ。そのサポートですら、最早放棄している。
こんな国いっそ滅びてしまえば良い。そういった思いは昔から彼が抱えていた闇だが、現海軍の状況や艦娘達の惨たらしい姿を見る度に闇は彼の内から止めどなく溢れてくる。
艦娘を好いているからこそ思うのだ。どうしてお前達はこんな年端もいかぬ少女達に乱暴が出来るのかと。
返って来る答えは常に一緒。兵器だ、また量産出来る、所詮は道具なのだからと――――無知蒙昧がそうほざくのだ。
そうしてきたツケをいよいよ払わねばならない時が来ている。
異常個体はやがて日本を攻め落とすだろう。私達こそが日本を守ると宣言し、邪魔する人種全てを敵に回す筈だ。そしてそうなった時に、海軍所属であった者は例外無く殺される。
仮に殺されなかったとしても、彼女達の絶対零度に凍らされるのだ。
忘れてはならない、彼女達の力は本当の艦と同じなのだと。鎮守府一つが壊滅した事など、所詮は小さな爆発に過ぎないのだと。
早く動かなければならない。日本が本当に見切りをつけられる前に。
まだ少しだけで残る、日本の良心達の為に。
『面白そうな、内容ですねぇ。是非是非取材したいです!』
その時、彼の背後で聞き慣れた女の声が響いた。