グリモア~私立グリモワール魔法学園~ つなげる想い 届けたい言葉 作:春夏 冬
もしも彼と出会うことがなければ、自分はどのような人生を歩んでいたのだろうか。
他者を警戒し、級友たちとは距離を置いていたあの頃。
不要な隙を与えぬよう、同じく立場ある名家の人間とは決して交わらぬようにと心掛けて過ごしてきた私たちに、今の姿を見せたら彼女たちは一体何を思うのだろう。
何をしているのか、名家の生まれたる自覚を持ちなさい。きっとそんな言葉を投げかけてくるに違いない。
実際のところ、国を支える者として、人の上に立つ人間としてその心持は決して間違ったものではないと思う。
霧の魔物という人類の脅威を前に無用な争いを招く必要などない。そんな私事としたどうでもよいことで、大勢の人々を不安にさせることなどあってはならない。
だからこそ私は…私たちは三人だけで生きてきた。
生真面目な性格が特徴で腕の立つ護衛役。
主に対し臆面もなく物申す世話係。
そして矜持を胸に完璧を求める名家の少女。
つまらないことで言い争いをしたこともある。
世話係が余計なひと言を発し、主人たる少女がそれに反論し、護衛役はそれを窘めるかのように口をはさむ。
そんなありふれた光景を幾度となく繰り返し、そこから取っ組み合いの喧嘩に発展したことなど数えるだけでもキリがない。しばらく口もきかなかったことさえある。
だけど、そんなことすらも日常の一部であると納得してしまうほどに、私たち三人は家族であった。
友人を作ることは大切だが決して弱みを見せてはならない。どれだけ仲を深める友がいようとも決して一線を越えることなかれ。私たちはいずれ人々の上に立つ立場の人間なのだから……それが名家たる者の責務である。
寂しさなど感じない。例え孤独になろうとも、私たちはいつまでも三人一緒なのだから。そんな誓いにも似た何かを内に秘め、あの頃の私たちは何事も疑うことなくその日々が続いてゆくものだと信じており――――。
そして、私たちの前に彼が現れた。
転校生が珍しい学園ではなかったのだが、その立ち位置が少し前から学園中に広まっていたため、彼は初日から学園生たちの注目の的となっていた。…まぁ、正直に言って私もその中の一人である。
それから先は語るまでもない。彼を巡ったあちらこちらからの勧誘の嵐。
生徒会が、風紀委員が、あらゆる立場の人間が彼と接触し、しかし彼はどの勢力に属することもなくマイペースに学園生活になじみ始めていく。
もちろん私たちも黙ってはいない。
とある目的のため、彼の器を見定めようと主人が張り切って彼に会いに行く様を、護衛役と世話係は興味深そうに見つめていた。主人は果たしてどのような『答え』を得て帰ってくるのか。
「…よく分かりませんでしたわ」
主人が頭を捻る姿を見て、護衛役は驚いたように目を見開き、世話係はこと面白そうに目を細める。
人並み以上の洞察力を以てしてもいま一つ掴みかねる少年。実に面白い。
それならばと、翌日あらためて彼を見定めようと主人は決心する。もしも可能性を感じるのであれば、彼こそを生涯の伴侶へと仕立て上げて見せよう。
「…結婚? …えっと、ごめんなさい」
主人は口をポカンと開き、世話係は腹を抱えて笑い転げた。
こほんと咳をしながら息を整え、主人はもう一度彼に説明を始める。
自分は名家の生まれであること。その責務を果たすべく教養を身に付けるために学園に通い、また在学中に生涯の伴侶を見つけなければならないこと。
そして、その候補として転校生が選ばれた事。
「…えっと、ごめんなさい?」
主人はポカンと口を開き、笑い転げていた世話係の頭を目掛け、護衛役が力の限りこぶしを振るった。
それから先、私たちは変わり始めた。
彼を振り向かせようと行動し、その結果として私たちはこれまで関わることの無かった大勢の学園生たちと交流を深めていく事となった。
弱みなど見せるな。仲を深めるような友人など必要ない。そう言っていた頃を思い出せなくなるまでに、気が付けば私たちは学園生活を満喫していた。
街まで友人と出掛け、日が暮れるまでショッピングを楽しみ、門限ギリギリまでカラオケで遊び倒す。
名家の生まれとしての使命を忘れたことなど一度もない。だが、自分の中で何かが変わり始めているのを感じる。
人の上に立つとはどういう事なのか。私たちが本当に求めるものとは一体何なのか。
その答えはきっと、友人たちと、彼と過ごす中で見つけることが出来ると、そう私は確信していた。
だけど、人生はそう上手くは出来ていなかったらしい。
私たちは、同時に彼に恋をしてしまったようだ。
別に不思議なことではない。同じ男性を好きになった、ただそれだけのことだ。
だが、由々しき問題でもある。
将来の伴侶に相応しいと考える主人だが、その結果を引き換えに二人が悲しむ姿など見たくはない。
特に、世話係は目に見えて彼に好意を寄せていた。それを見て見ぬふりが出来るほどに、主人は非情になることなどできはしなかった。
どうすればいいのか、どうしたら私たち三人は傷つくことなく前へと進むことが出来るのか。
悩んでも、悩んでも、悩んでも、すべてが上手く収まる答えなど思いつくことはなく、楽しい学園生活は刻一刻と終わりの時へ近づいてゆく。
皮肉にも、彼と過ごす時間はとても楽しいものであった。放課後に街へと繰り出すことなどは日常で、長期休みには旅行にだって行ったことがある。本家で当代に挨拶をする時の彼の表情と言ったら、今でも目に浮かび笑ってしまいそうになる。
だが、いざとなった時の彼の立ち振る舞いは何度見ても私の心をつかんで離さない。本当に、ずるい人だ。
切り出したのは護衛役だった。
もう見て見ぬふりは出来ない、覚悟を決める時だと、護衛役は真剣な眼差しで訴えかける。
それは痛いほどに気持ちのこもった、優しくて強い言葉。
私は目を閉じ、彼女たちの言葉の心の内を胸に刻みながら思う。
もしも彼と出会うことがなければ、自分はどのような人生を歩んでいたのだろうか。
それはもう、今となっては分からない。だが一つ言えるのは、きっと今以上の幸せはないのだろうということ。
それでも誰かが傷つくことは避けられない。流れる涙を止めるすべなどない。
だから、私にできることはただ一つ。後悔などない、完璧な結末を迎えることだ。
なぜならば、私は――――。
あれから十数年、私は久々に届いた旧友からの便りを手に、昔を思い懐かしんでいた。
疎遠になったというわけではないが、それでもそれぞれの役目を果たすにはお互いに暇などなかなか作ることなど出来ない。
携帯電話など連絡手段はいくらでもあるのだが、それほど頻繁にやり取りをするような話題があるわけでもない。
だがそれでも、今でも私たちは紛れもなく『家族』である。
距離が離れようとも、あの頃過ごした時間は決してなくなるような薄っぺらいものではない。
今は会えなくてもいずれまた。いつ命を落とすかも分からぬ時代だが、若い者たちが育ち年老いた頃に、きっとまた顔を合わせることが出来るだろう。
だから、いまはこの懐かしい気持ちを便りに載せて、私の『家族』たちへと届けよう。私はいまも元気です…と。
「…あら、もう一通届いていたのね」
今度は大切な娘からの便りだ。
あの頃の私にそっくりの、少しお転婆だけど心の強い女の子。
幾分似なくてもいい部分も似てしまって心配なところもあるのだけれど、それでもしっかりとした子だからきっとうまくやっているのだろう。
「さて…気になる文の内容ですが……あらあら」
あの子の頼りには、いつもとある男の子の名前が記載されている。
嬉しかったこと、楽しかったこと、不満に思ったこと、相談したいことなどなど、本当いつまでたっても話題に事欠かないらしい。
話によれば学園の中でも人気者の男の子だそうで、他にもアプローチをかけている少女たちが複数人いるらしい。
…まったく、母娘揃って難儀なものだと小さく苦笑いする。
であれば、私から送る言葉は二つしかない。
まずは、婚礼の儀という既成事実さえ作ってしまえばいいのだからさっさと実家へ挨拶に連れてきなさい…もうこれしかないだろう。
そしてもう一つ、何よりも大事な言葉をあの子に送ろう。
私はその言葉を胸に、彼と添い遂げることが出来たのだから。
いいですか姫。野薔薇たるあなたにこの言葉を今一度送りましょう。
『野薔薇は完璧でなくてはなりません』
終
かれこれ久々の投稿となります。
執筆したり、しなかったり。そんな不定期な投稿を続けていくと思いますが、また気まぐれなタイミングで覗きに来て頂ければ幸いかと。
ちなみに、今回の物語は本編よりずっと昔の…きっと十数年前、な設定でした。ですので語り手は…。
春夏 冬