グリモア~私立グリモワール魔法学園~ つなげる想い 届けたい言葉   作:春夏 冬

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続・冬樹物語

 ひんやりとした風が肌を撫でる感触に、僕は寝惚け眼を擦りながら身体を起こす。

 ここが夢の中なのか現実なのか、起きているのかまだ寝ているのか。そんな風にいまだはっきりしない意識の中で、ふと窓から外を見れば昇り始めの朝日が目に刺さる。

 やけくそのような欠伸をしながら腕を伸ばし、まだ開き切らない瞳を部屋の壁に目を走らせれば、そこに見えるのは長年連れ添った愛用の掛け時計。そして、彼の長針と短針指し示す、『いつもの起床時間』の証。

 今日は特別予定もなく本当に久々の休日。大学も休み。友人たちとの約束もなし。

 つまるところ何も無し。ではどうするか?

 少しだけ…本当に少しだけ悩んだ末、僕は心のままにこの身を焦がす夢の世界へと今一度飛び込もうとふかふかのベッドへと身体を倒し…ふと気が付いたことがある。暖かさの塊である掛け布団がない。

 そりゃ寒いよね。そんなツッコミを誰に伝えるでもなく呟きながら、それではどこにいったのかとベッドに目を向けると、一目でその『原因』を見つけることが出来た。簡単である。奪い取った犯人がいたからだ。

 

 「もしも~し、起きてますか~?」

 

 返事なし。だけど僕には分かる。彼女は間違いなく起きている。

 寒さから身を守ろうとしているのだろう、文字通り僕の分まで掛け布団を手繰り寄せ、風の通り道を無くそうとばかりにその華奢な身体に巻き付けている様子。

 だが一方で息苦しくもあるのだろう。もぞもぞと布団の中で体勢を変えているようで、それはつまり起きていることに他ならないわけだ。

 

 「ねぇ…寒いんだけど。そして僕も寝たい」

 

 とりあえず意思を伝えてみる。そして反応なし。ただもぞもぞ動いているだけ。

 まぁ、だけど僕はこんな事で怒ったりなどしない。やはり彼氏たるもの、いつでも余裕を見せなくてはならないからだ。

 たとえどんな理不尽な仕打ちも受けても…どれだけ外面と内面のギャップに呆れさせられても…どんだけほぼほぼ皆無だった生活力の中さらにだらしなくなっていく姿を見せつけられても、それはきっと変わる事はない。大人になるとはきっとそういうことなのだ。正直に言えばもう目も覚めている。こうなれば爽やかな朝を迎える他にない。そうと決まれば行動あるのみだ。

 まずはこんな体験をプレゼントしてくれた彼女に微笑みかけ、そして空気を入れ替えるために窓を全開に開く。

 

 「…………!?」

 

 突き刺さる寒さに思わず身体を抱えるが、それ以上に心がぽかぽかしているのでさしたる問題ではない。さっきよりも布団の動きが激しくなったように見えるが気のせいだろう。

 もう一度腕を伸ばし、身体の空気を入れ替えるために大きく深呼吸。

 学園生の頃からの習慣で身体の調子を整えてから、何故か聞こえてくるうめき声を流しつつ朝食を作るためにキッチンへと向かう。

 電気ストーブで足元を温めつつメニューを考え始めた矢先、そういえば友人から頼まれごとをいたことを思い出す。そういえばライブで歌う新曲が出来たから聞いてほしいと言われていたんだっけ。

 せっかくだし料理のBGMとして聞いてみようと、机の上に置いてあるデバイスに手に取り送られてきたデータを開く。

 どうやらジャンルは例に違わずロックらしい。学園生の頃よく付き合わされたものだと思い返し、ほんの少しだけ懐かしい気持ちになる。

 あの頃から数年、今も変わらず楽しそうに音楽活動へ精を出す彼女の姿に想いを馳せながら、改めて曲を聞いてみようとデバイスを操作する。

 

 「…聞いてますか? 転校生さん。先ほどから寒いって言っているのが聞こえないのでしょうか?」

 

 布団のそばまで歩くと声が聞こえる気がするが、きっと気のせいだろう。さて、この辺ならよく聞こえるかな?

 ライブを想定しているなら少し距離を開けたところから聞いた方がいいよね。そこには決して他意などない。

 とりあえず最大音量でいいかな? ベッドの上にデバイスを置き、小さなイントロから流れ始める。

 

 「ちょっと転校生さん聞こえないんですか! 早く窓を閉め……え、なんですか…この音……?」

 

 直後唐突に叫び始める、開幕から凄まじいまでの大声量。

 何を言ってるのかよく分からないけど、こういうのがロックって言うのかな? そんな感想を抱きつつ、二つのシャウトを背に今朝のメニューへと手を付ける。

 

 それは、僕と彼女の過ごす二度目の冬の物語。

 

 

 

 

 

 続・冬樹物語

 

 

 

 

 彼との半同棲生活が始まり、そろそろ1年くらいになるだろうか。

 大変だった大学受験を乗り越えてから数ヶ月ほどしたある日、彼の口から伝えられた同棲生活の誘いは正直とても嬉しいものだった。元々マンションの隣同士の部屋という事もあるため、実はそれほど元の生活と比べて大きな変化があったというわけではない。ただそれでも、少しでも彼と二人で過ごす時間が長くなるというのであれば、それは願ってもない話だった…はずでした。

 最初は良かった。さすがの私でも緊張をしつつも彼と過ごす新しい時間に夢を抱いたものです。

 家事分担を曜日ごとに決め、あーだこーだと言い合いながらも彼と協力し合う時間はとても楽しかった。前から薄々感じていたことだったが、彼の生活力の高さを目の当たりにすることで嫉妬していたこともあったが、それすらもあの頃の私には愛おしく思えていました。

 だけど、しばらくすればそれが特に変わり映えの無い、なんてことの無い生活のただの一部でしかないと思えるようになってしまった。

 昔ノエルの部屋に合った少女漫画のような、あそこまで物語の脚色された「幸せ」などではないにしたって、もう少し刺激のある毎日を過ごす事になるのではないかと、かつての私は頭を悩ませていたのだが現実はそれほどまでに甘い世界などではなかったというだけの話。

 簡単なことだ。彼の良いところも、そして悪く見えてしまうところも昔に比べ多く気が付くようになってしまった。ただそれだけのことでした。

 

 「はぁ、なぜ私のささやかな願いを汲み取ることも出来ないのでしょうか。今日はいつもよりゆっくりと眠りたいとあなたに伝えていたはずなのですが」

 

 今朝のことだってそうです。久々にのんびりした朝を迎えられるという事もあり彼に要望を伝えたはずなのだが、どうにもそれを聞き入れてくれなかったらしい。しかも大音量の叫び声で眠りから覚めるというなんとも最悪な起こし方だ。もはや悪意しか感じない。

 

 「いや、何度も言うけど先に仕掛けてきたのはイヴさんだからね。まったく…僕の幸せな朝を返して欲しいよ」

 

 テーブルの反対側から、彼が料理に手を付けながら生意気にも反論してくる。

 責任を私に押し付けようというその考え方…なんとも気に入らないですね。それでも私の彼氏なのでしょうか。

 

 「そもそも、それなら布団を二人分用意していれば良かったんです。こうなることなど目に見えていたでしょう?」

 「ふ~ん。それを提案したのは僕だったんだけど。なに、忘れちゃったの?」

 「あら、まったく覚えていませんが。なにか?」

 

 まったくもって嘆かわしい。いつからこんな話の分からない人になったというのか。

 だいたい、布団の件はお互い合意した話だったはずです。たしかに2枚あった方が今朝みたいなときには便利かもしれないけれど部屋の大きさから考えて普段の仕舞う場所に困る可能性が高い。なにより一緒に寝るのだから1枚あれば十分ではないか。そう結論を出したのに今さら蒸し返すとはなんという器の小ささでしょう。

 

 「あ、そう。そういうこと言うんだ。それなら僕にも考えってものがあるよ」

 「奇遇ですね。私もです」

 

 ハッと小馬鹿にしたように鼻で笑う彼と、余裕の心持の笑みを浮かべる私。この際どちらが正しいのかはっきりさせようではないですか。

 ちょうど食事を終えた私は、先に食べ終わっていた彼と『ごちそうさまでした』と挨拶を交わした後、早速行動に移るためにデバイスを手に取る。まずはこの考えをまとめるための相談相手が必要だ。となれば一番適しているのは彼女しかいない。

 すでに勝ちを確信した私は、デバイスの電話帳で彼女の名前を見つけ連絡をとる。今日は予定がないとのことでお昼でも一緒にどうかという事だ。もちろん私の側に断る理由などない。

 

 「…そうです。私を蔑ろにするあなたが悪いんです…」

 

 キッチンで食器洗いをしている彼を尻目に、私は小さくそう呟いた。彼の隣に立たないこの瞬間に感じる、ほんの僅かな寂しさはきっと私の気のせいでしょう。

 

 

 

 

 「で? 何しに来たのよあんた。あたしは忙しいんだけど」

 

 風飛の街より少し外れの、あまり目立たない場所に位置する小さな喫茶店。

 場所が場所だけに知名度こそ高くはないが、一部からはレトロな雰囲気がオシャレだと評判の良いお店に、現在僕は足を運んでいた。

 ここには彼女と何度か食事に来たことがある。良心的な値段の上に料理がおいしいと彼女の評価も高く、月に数度訪れるリピーターとなっていたわけだが、今日の目的は食事ではなく、ある人に会うためだった。

 

 「忙しいって…僕以外誰もいないけど?」

 「は? あんた馬鹿なの? いいか良く聞け。あたしに暇な時間なんてものはない。客がいれば仕事はするし、客がいなければマイウルトラスイートエンジェル秋穂を全力で愛でなければならない。もちろん客がいても秋穂との時間が最優先なわけだが」

 「うん、相変わらずだね。瑠璃川さん」

 

 瑠璃川春乃、学園卒業後も定期的に連絡を取っている友人の一人だ。

 彼女がここでバイトをしていることを知った時は驚いたものだ。何かアルバイトをしているのは知っていたがまさか喫茶店だとは思わなかった。初めて訪れた時の「いらっしゃいませ~」と、作り笑顔を僕に向けた彼女との、何よりその後の惨状は未だに忘れることが出来ない。

 

 「それで用件って何よ。…あんた、冬樹のこととか言ったら店から追い出すわよ」

 「え? よく分かったね」

 「あ? お会計は千円よ。さっさと払って出ていきな!!」

 

 …いや、これでも友人…のはず。…まぁ友好的かはさておき、こと相談事なんかは彼女にすることが多かったりする。理由は色々あるけど…一番はやっぱり話しやすさだろう。他の友人たちとは違う独特の距離感だからこその、安心感みたいなものだ。

 

 「ちっ、ほらさっさと用件を話しなさいよ。どうせ今日は暇だろうし、少しくらいなら付き合ってやるわよ」

 

 さすが「秋穂が好きそうな店だから。ついでに暇そうだから」と喫茶店のマスターの前で堂々と言い張るほどに豪胆な人だ。

 僕が言うのもアレだが図々しいことこの上ない。

 

 「それじゃあコーヒー2つと、おすすめは?」

 「ベーコンレタスサンド。マスターは買い出しでいないからあたしが作るけどいい?」

 「お願いするよ。それじゃあそれ2つ。僕から奢らせて頂きます」

 「そんなの当たり前じゃない。少し待ってなさい。いま作るから」

 

 これでも料理は得意な方だと自負しているが、こういうお店の味にはなかなか勝てない。

 料理の腕なのか、材料なのか、はたまた創作アイデアの違いなのか。学園時代の瑠璃川さんの料理はとても美味しかったけれど、このお店で働き始めてからますます腕を上げた気がする。

 テーブルからでも見える料理場に入り、ウエイトレス姿で調理をしている瑠璃川さんを見ながら、悪態を吐きながらもやることはやってるんだなぁと小さく苦笑いしつつ、そして今朝の出来事を思い返す。

 

 「はぁ…なんでこうなるかなぁ…」

 

 たしかに1年前までは規則正しい生活を送っていたはずなのに、なぜか同棲生活を始めてから少しずつ彼女のだらしない姿が目に付くようになっていた。

 別にそれが悪いと言うことではない。

 人間誰しも良い部分だけ持っている人などいないし、実際僕だってそうだ。きっと僕自身気が付かない悪い部分を彼女は見てきているだろう。だからそういったことを僕は気にしない…はずだった。

 

 「…だけどそう上手くはいかないってことだよね」

 

 別に今朝の一件が特別だというわけではない。

 言ってしまえば似たような喧嘩は何度もあったわけで、その度に同じようなことで頭を悩ませる。

 どうして、こう上手くいかないのか。彼女と仲良くしていくためにはどうすればよいのか。人生で初めて得た一番大切な人とどう付き合っていけばいいのか。僕にはそれがよく分からなかった。

 

 

 

 

 「…ということがありまして。すみません、せっかくのお休みにこんな話を…」

 「い、いえ、わたしも特に予定はなかったので気にしないで下さい」 

 

 取り留めのない私の話を、嫌な顔ひとつせずに聞いていてくれた彼女は本当に良き友人だと思います。

 学園生だったころに比べれば共に過ごす時間こそ少なくはなりましたが、それでもこうして時折顔を合わせる程度に交友関係は続いている。

 妹のノエルとは違いそれほど交友関係が広いわけではなかった私の、数少ない信頼できる友人。それは、私にとって掛け替えのないとても大切なものでした。

 霧塚萌木さん。この人とはきっと長い付き合いになることだろう…いや、そうなって欲しいと心から願う。

 

 「それで、イヴちゃんのお話ですけど、つまり転校生さんを怒らせてしまった事を後悔してしまったということでしょうか?」

 

 話を一度聞き終えた彼女は薄く湯気の立ち昇るコーヒーを喉に通し、小さく息を吐いた後、落ち着いた表情で彼女は問いかける。ただの一度も後悔したなどと口にしていない私を、彼女はその物静かで深く澄んだ瞳で見据え、そうしてさらに言葉を紡ぐ。

 

 「…わたしにはお二人がどんな時間を過ごしてきたのか分かりませんけど…そんな簡単に相手を嫌いになるような関係性ではないと思っています」

 

 嫌いになる…か。そういえばそんなこと考えたこともありませんでした。

 彼女と喫茶店で待ち合わせと決めた後、あの後すぐに家を出たものの少しずつ、ほんの少しずつ心の中に罪悪感が生まれ始めた。

 冷静になって考えれば他愛もない些細な出来事でしかない。

 どちらが悪いとかそんなのはどうでも良くて、ごめんなさいと、ただその一言があっただけで丸く収まったに違いない。

 その一言だけで、きっと今日を共に過ごすことができたのでしょう。

 

 「…おかしな話ですよ。普段は何とも思えなくなっていた彼との時間をこんな風に望んでしまうなんて…本当に、おかしな話ですね」

 

 手元にあるティーカップを覗きこむと、まだ仄かに温かい紅茶が目に映る。

 そういえば一口も飲んでいなかったと、小さなミルクカップを手に取った時ふと彼のことを思い出した。

 いつかの喫茶店で紅茶にミルクを入れる私を見て、彼が小さく笑ったのだ。その表情が気に入らなくて、むっとした表情でなぜ笑ったのかと質問すると、彼は「変わらないね、冬樹さんは」と答えた。

 初めは意味が分からず眉をひそめた私だったが、それを見た彼が慌てた様子でこう告げた。

 

 『ごめん、怒らせるつもりはなかったんだよ。ただ、なんとなく懐かしいな…って。ほら、出会ったころに買ったミルクティを覚えてないかな?』

 

 何を言い出すのかと思えばなんてことの無い昔話でした。

 盛り上がることも、起承転結があるわけでもない、ただお互いを懐かしむ話。

 あの時を…いつかを思い返し、そんな話をいまするのかと呆れながら、それがどうしてか楽しく思えていたあの時間。それが今は、たまらなく愛おしかった。

 

 「…わたしは、イヴちゃんが羨ましいです」

 「え? それはどういう意味でしょうか…?」

 「い、いえ、大したことではないのですが…なんていうか、わたしにはないものをイヴさんは持っているんだなぁ…って思って」

 

 心なしか少し顔を赤くして、彼女は取り繕うようにぎこちない笑みを浮かべた。

 それはまるであの頃の、誰かに遠慮しながら過ごしていた頃の彼女の影が見えて、わたしにはなんだかそれが少しおかしく思えた。

 

 「萌木さんだって私にないものをたくさん持っているじゃないですか。与那嶺さんや七喜さん、他にも多くの友人たちに恵まれて、私からしてみればそちらの方が羨ましいです」

 「それはもう、大切な人達ですから…。でもイヴちゃんその中にはイヴちゃんもちゃんといるんですよ?」

 「…えぇ、分かってます。そうでなくては私が困ってしまいますから」

 

 本当に、彼女が友人で良かった。ありがとうございます、萌木さん。

 

 「…それで、その…行かなくていいんですか?」

 「えぇ、構いません。だって今日は、あなたとお話しをしに来たんですから。聞かせてください、萌木先生の新作がどんな絵本になるのかを」

 

 たまにはこういう日もいいでしょう。

 さて、彼は今頃何をしているのでしょうね。

 

 

 

 

 結局、瑠璃川さんとはあまり話が出来なかった。

 あの後悩んでいることをそのまま伝えると、彼女は言葉少なく問い返してきたのだ。

 

 『あんた、なにか勘違いしてんじゃないの? 聖人のつもり? ちょっとモテるからって調子に乗ってるんじゃないの?』

 

 いっそ笑ってしまう程に罵倒される。こういうところも昔から変わらないよね。

 

 『いいか、良く聞け。ずっと仲良しこよしでいられる人間なんてものはいない。いるとすれば、それはあたしと秋穂みたいな超絶相性の良いベスト神カップルくらいなもんだ』

 

 だけど、彼女の言葉は正しくあることを、僕は知っている。秋穂ちゃんが絡まなければ…だが。

 

 『だからあんたたちが喧嘩しようが、そんなのは大したことじゃない。いいか? それで別れることになったとかいうならここに来い、それ以外は来んな。何度も言うがあたしは暇じゃないんだ』

 

 そう言って、仕事の邪魔だから帰れと僕は店を追い出された。

 あまりの理不尽さに笑いがこみあげてくる。そうだね、瑠璃川さんの扱いに比べれば、彼女との喧嘩なんて些細なものでしかないのかもしれない。

 

 「…そういえば、食事代支払ってないよね」

 

 ふと思い返すと、瑠璃川さんに追い出されたせいでお金を渡すことが出来なかった。

 それならば今度、次の休みの日にでも遊びに行こう。きっとまた嫌な顔をされるだろうけど、それはまた別の話という事で。

 っと、そんなことを考えていた矢先、ポケットの中のデバイスが震える。

 なんとなく彼女の顔を浮かべながらそれを手に取り、浮かび上がっていたメッセージに思わず頬を緩める。

 

 『今日の夜ご飯は、私も手伝います』

 

 結局のところ、ただそれだけのことなのだ。笑ってしまう。こんな一言でどうでも良くなってしまう自分に。

 そしてそれはきっと、彼女も同じなのだろう。

 

 「さて、それならば僕はなんて言葉を贈ろうか」

 

 そうだ、さっき思い返したあの言葉にしよう。もしかしたら怒られるかもしれないけど、なんとなくこの言葉を選びたくなった。きっと今ならちゃんと伝わる、そんな気がしたから。

 

 

 

 

 薄暗い夕暮れの、静けさ漂う道を歩きながら私は帰路へ着く。

 

 「すっかり遅くなってしまいました。まさか萌木さんがあそこまで熱心に話を進めてくるとは」

 

 まぁ、それはそれで楽しい時間を過ごせたので良しとしましょう。たまにはこういう一日も悪くはない。

 先ほどの彼女の楽しそうな表情を思い出し、必然と私まで嬉しい気持ちにさせられる。そういうところがきっと彼女の魅力なのだと思う。

 

 「さて、そろそろ着きますし連絡でも入れましょうか」

 

 待ち合わせはいつか二人で訪れた商店街の入り口。彼も出掛けていたというのだから、それならば食材選びから一緒にしようという話になった。

 それ自体決して特別なことではないが不思議と心が躍る。

 ありふれた日常の中で、それでもそれが大切なものだと気付いたからだろうか。…断じて彼には言うことはありませんが。

 と、そんなことを考えているうちに彼の姿が見えてきました。

 まだこちらには気が付いていない様子。であれば、考えていたことを実行しようではありませんか。

 先ほど返された言葉に、私はこう返事を送り返すことにしました。

 

 

 

 

 『変わらないね、冬樹さんは』

 

 『あなたもですよ。転校生さん』

 

 

 

 

 それは私と彼が過ごす二度目の冬の物語。

 

 

 

 

 《続・冬樹物語 了》


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