高町ヴィヴィオの初恋   作:ごまさん

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親子のかたち

 

 

 

 

『ありがとうございました。さようなら。ごめんなさい』

 

 

 

ヴィヴィオから来た最初で最後のメールだった。

 

 

ルシウス・マリウスは疲れきっていた。

自分の気持ちに整理がつけられないのは始めてだった。

別に何てことはないはずだ、ただ朝にちょっと訓練を付けてやってた奴との縁が切れただけ。

何度自分にそう言い聞かせても、あの無邪気な笑顔が脳裏を過る。

 

ヴィヴィオの試合の日から早一週間ほど。ルシウスは今までのように毎朝公園に来ている。以前までは心地よかった静かな空気も、今ではただ空虚なだけ。心にあった何か大切なものが抜け落ちてしまったような感覚だ。こんな身勝手ばかりしやがって、次見かけたらとっちめてやる、とか考えようとして、それが空元気でしかない事に自分でも気がついていた。

少しでも思考に空きが出ると、あの太陽のような少女の事ばかり考えてしまう。何かあったのだろうか、と。否、考えようとしてそこで思考が止まるのだ。ヴィヴィオの事を何も知らない自分に気がついて。彼女の事情を考えるだけの要素を殆ど持っていなくて。

ヴィヴィオとの時間はひたすら心地よかった。けれど、その心地良い時間に浸るばかりで踏み込んだ話を殆どしてこなかった。別にそういった話題を避けてきた訳ではない。けれど、その必要が無いと思ってしまっていたのだ。あの時間がずっと続くものと勝手に思い込んで。ヴィヴィオも同じ気持ちだろうと高をくくって。思えば、アドレスの交換もヴィヴィオから言い出したことだ。もしかしたら彼女は、自分との距離を詰めようとしてくれていたのかもしれない。

 

まさかいきなり何の理由もなく連絡を断つような子ではないと分かっている。

何か事情があったのだろう。しかしその事情にまるで見当が付かない。ヴィヴィオの周りで何か起きたのだろう事だけしか分かることはない。

 

「どうしろってんだよ……」

 

そんな弱気な言葉を吐いた自分に苦笑する。

随分と参ってしまっているようだ。

ルシウスは近頃、学校の後にストライクアーツの練習ができる施設や高等科の学校をいくつか回っている。少しでも何かしないと落ち着かなかったのだ。

しかし、結局有力な情報は得られていない。

何か困ったことになっていないか。そうならば師匠として自分にできることはないのか。そんなことばかり考えてしまうのだ。

もう認めざるを得ないだろう。

ルシウスにとってヴィヴィオは、思いの外大きな存在になっていたのだと。

ヴィヴィオがそれを望んで居なかったとしても、このままずっと会わないままで終わるのが最善だとはルシウスには思えなかった。

聞きたい事がある。確かめたいことがある。会わなければ分からない事は沢山あるのだ。

例えば、自分の気持ちとか。

 

 

 

 

□■□■□■□■

 

 

 

 

「どうしよう、フェイトちゃん、どうしたらいいの?」

 

「落ち着いて、なのは。何があったの?」

 

「分からないの!」

 

「へ?」

 

「ヴィヴィオが、ヴィヴィオがっ!」

 

「な、なのはっ!?」

 

 

そんな連絡を受け取ったのが約一週間前のこと。フェイトは通常は三週間はかかる仕事を急ピッチで仕上げた。

車を飛ばして家に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなってきている。

フェイトは逸る気持ちを押さえて、玄関扉の前で一度深呼吸をした。なのはからの連絡は要領を得ていなくて、なのはにも何が何だか分かっていないことが伺えた。ただヴィヴィオに関する事で何かがあったのだろう事だけが分かる。そんな時に自分まで慌てていては分かるものも分からない。フェイトは執務官としての経験から、そう学んでいた。

家の扉を開けると、夕飯のいい匂いが。

普段の夕食より少し遅い時間だけれど、待っていてくれたみたいだ。

 

「ただいま、なのは、ヴィヴィオ」

 

「お、お帰りなさい、フェイトちゃん」

 

「……おかえり、フェイトママ」

 

リビングの扉を開けると、大好きな二人の顔が。すがるような目のなのはと、ニコニコ笑うヴィヴィオ。

 

 

ーーーーあぁ、これはなのはには無理かな。

 

 

フェイトは一目で何となく事情を理解した。

 

フェイトが帰ってすぐ夕飯の時間となった。フェイトは寝食を潰して仕事をしてきたので、正直お腹が空いていて、なのはの温かいご飯は嬉しい。今日のご飯はなのはの得意なハンバーグ。しかしお肉の質が何時もよりワンランク上だったり、付け合わせが多かったり、汁物の具がいつもより豪華だったり、デザートが手の込んだ物だったりした。

なのはの不器用だけれど細やかな努力を感じて、フェイトは微笑ましくなる。

 

「ね、ねぇヴィヴィオ。今日は学校どうだったの?」

 

「楽しかったよー、なのはママ」

 

「っ!」

 

ニコニコ笑うヴィヴィオを見て、なのはが目を伏せる。

しかし直ぐに気を取り直すように、

 

「そ、そうなんだ! 今日はどんな事を習ったのかな?」

 

「うーん、まずはねぇ……」

 

ニコニコしながら学校での出来事を語っていくヴィヴィオ。なのははその話を聞いて辛そうな表情をしているが、それを表に出すまいと必死に堪えてもいる。普段のヴィヴィオならそんななのはの様子に気がつくはずだけれど、今は気づいていないようだ。

 

ーーーーきっと自分の事でいっぱいなんだ。

 

そんなヴィヴィオとなのはのどこかぎこちない会話は食後のデザートの間もずっと続いていた。

フェイトはお腹が空いていたので、二人の様子を観察しつつ、もぐもぐと平らげていた。

食事を終えて、今度はお風呂の時間。

フェイトはヴィヴィオをお風呂に誘う。

 

「ヴィヴィオ、一緒に入ろうか」

 

「うん、フェイトママ」

 

「あ、じゃあ私も……」

 

「なのは」

 

「ん? フェイトちゃん?」

 

不思議そうななのはに、念話で伝える。

 

『なのはは今日は待ってて』

 

『え?』

 

『いいから』

 

「なのはは今日やることあったよね。だからヴィヴィオと先に入っちゃうね」

 

「う、うん……」

 

寂しそうななのはの表情を見て、後でこっちのフォローも必要かな、と苦笑いしたフェイトだった。

 

 

「……」

 

「……」

 

風呂ではヴィヴィオとは特に会話らしい会話は無かった。

その分頭と体をしっかり洗ってあげて、一緒に湯船に浸かる。

ただ、自分の温もりを伝えようと、貴女の味方はここにいるよと、その思いを伝えるようにフェイトはヴィヴィオの華奢な体をギュッと抱き締めた。

 

「……ねぇ、くるしいよ、フェイトママ」

 

「うん」

 

「……くるしいよ」

 

「そっか」

 

「……」

 

「大好きだよ、ヴィヴィオ」

 

「……」

 

「大好きだよ」

 

ヴィヴィオも無言でキュッと抱き締め返してきた。

フェイトの胸に埋めたヴィヴィオの顔はフェイトには見えなかった。

けれど、胸から離れたヴィヴィオの顔は、もう笑ってはいなかった。

 

 

夕飯が遅かったので、風呂を終えるともういい時間だ。

ヴィヴィオを部屋に上がらせると、なのはに向かい合う。

 

「なのは」

 

「フェイトちゃん……」

 

なのはは泣きそうだ。

しかし今はヴィヴィオが優先。なのはは大人でヴィヴィオは子供。フェイトは優先順位を間違えない大人だ。

 

「なのは、今日は待ってて」

 

「でも……」

 

「いいから」

 

「…………」

 

なのはは無言の涙目で上目遣いをする。

 

「……っ!…………いいから」

 

「……うん」

 

対フェイト必殺技でも動じないフェイトに、なのははついに諦めた。

実際フェイトは心の中でかなり葛藤しているが。

 

「フェイトちゃん、ヴィヴィオのこと、お願いね?」

 

「うん、任せて、なのは」

 

 

さてここからが正念場だと気合いを入れ直したフェイトは、ヴィヴィオの部屋をノックする。

 

「ヴィヴィオ、入っていいかな?」

 

「……」

 

すこし間をおいて、静かにヴィヴィオの部屋の扉が開いた。うつむいたヴィヴィオの顔は伺えないが、何となく想像はつく。

 

「ヴィヴィオ、今日はフェイトママと一緒に寝ようか」

 

「……うん」

 

「ほら、おいで」

 

「……うん」

 

フェイトが先に入ったベッドに、ヴィヴィオを誘う。

ヴィヴィオはおずおずと潜り込んできた。

フェイトはそんなヴィヴィオを、心底愛しいと言うように、ギュッと抱き締める。

ヴィヴィオはそんなフェイトに、少し笑った。

 

「……ふふっ」

 

「うん、やっと笑ったね」

 

「……」

 

「フェイトママはヴィヴィオが笑ってくれるから頑張れるんだ」

 

「……うん」

 

「何があったの、ヴィヴィオ」

 

「……っ」

 

躊躇うようなヴィヴィオ。

 

「ヴィヴィオに悪いようにはしないって約束する。それに、今日のことは誰にも言わない。なのはママにも」

 

「なのはママにも……?」

 

「うん、私とヴィヴィオだけの秘密だ」

 

「……うん」

 

そうしてポツポツと、ヴィヴィオは語ってくれた。

森林公園に隣接した魔法練習場で、男の人と出会ったこと。

すごく強いこと。

ストライクアーツの練習をつけてくれたこと。

練習の後に彼がくれるドリンクがおいしいこと。

彼のお陰でヴィヴィオは強くなれたこと。

悪戯してくるのには困ったこと。

武道家として大切な事を教わったこと。

アインハルトとの試合は彼のお陰で引き分けにできたこと。

ひとつひとつの大切な思い出を振り返るように、ヴィヴィオは語ってくれた。

時には嬉しそうに、時に楽しそうに、時に拗ねたように語るヴィヴィオの様子に、フェイトまで楽しくなってくる。

 

「そっか、ルシウスはヴィヴィオの大切な人(ともだち)なんだ」

 

「…………う、うん。大切な人(大好きな人)

 

ヴィヴィオは始め躊躇ったが、やがておずおずと恥ずかしそうに真っ赤になって言った。

フェイトは顔が赤らんだヴィヴィオを見て、まるで乙女の告白みたい、だなんて見当違いな事を考えていた。

 

「それで、どうしたの?」

 

「……」

 

フェイトの言葉に、ヴィヴィオはまた思い出したように落ち込んでしまう。

しかし、意を決したように話を進めた。

 

「フェイトママ……わたし、聞いちゃったの」

 

そうしてヴィヴィオが語るのは、アインハルトとの試合の夜のこと。

なのはとノーヴェの大人の話。

ヴィヴィオの周りには今、ヴィヴィオの出自も立場も、過去の事件も笑い飛ばして良くしてくれる人たちしか居ない。当然だ、他ならぬフェイトたちがヴィヴィオに気がつかせないようにしていたのだから。

しかしヴィヴィオは知ったのだ。

世の中は自分の味方だけでは無いことを。

自分を憎む人が居るかもしれないことを。

ヴィヴィオも自分の立場を分かっていなかった訳ではない。けれど、ハッキリと自覚できてはいなかった。

最近は自分がクローンだということも、JS事件のことも遠い昔の出来事のように感じていた。どこか他人事だった。

聖王教会に遊びに行くと、皆仲良くしてくれて、良くしてくれて、楽しい思い出ばかりの場所だ。けれど、そこは必ずしもヴィヴィオにとって楽しいだけの場所じゃないことを知った。まだ幼いヴィヴィオには、自分に害意があるかもしれない人間の存在がいるというだけでも恐ろしかった。

そして

 

ーーーーなのはがママじゃいられなくなるかもしれない

 

ヴィヴィオにとって考えたこともない事だった。考えたくもないことだった。

例え今すぐにどうこうという訳ではなくても、その可能性だけで怖かった。

ヴィヴィオはなのはを本当のお母さん(ママ)だと思っているし、なのはに本当の娘だと思われている自覚もある。

けれど、血の繋がった親子ではない。

今更ながらの事実を思い出させられた。

 

それを聞いてフェイトはヴィヴィオを抱き締める力を強めた。

 

「それで、ヴィヴィオは恐くなったんだ」

 

「……うん」

 

「それでルシウスと距離を取った?」

 

「……え?」

 

「分かるよ、ヴィヴィオの事は。私もヴィヴィオのママだから」

 

「フェイトママ……」

 

フェイトにはヴィヴィオの心が何となく分かった。

ルシウスと会いたいけれど、彼に迷惑をかけるかもしれない。

試合の後も練習に行くというルシウスとの約束を破ってしまった。

ルシウスと会うことで、ルシウスの立場によっては、なのはと親子でいられなくなるかもしれない。

なのは達の話を盗み聞きしてしまった罪悪感もある。

ヴィヴィオを取り巻く複雑な情況への恐怖もある。

そういった様々な情報や感情がごちゃ混ぜになって、ヴィヴィオの中でオーバーヒートしてしまっていたのだろう。

それでも誰にも言うに言えずに、この小さな体の中に一人で抱え込んでいたのだ。

それを思うと、フェイトにはたまらなくなった。

こんな小さな女の子が友達になった人とも好きに会えないなんてどうかしていると思った。

そして、どうしようもない程にヴィヴィオへの愛おしさが湧いてきて、その小さな頭に頬擦りしたり、額や頬に何度もキスをした。

 

「ふぇ、フェイトママ、くすぐったいよぉ……」

 

「いいでしょ、なのはばっかりずるいから。フェイトママだってなのはママと同じくらいヴィヴィオのことが大好きなんだよ」

 

「そ、それはうれしいのですが」

 

「いいでしょ、もうちょっとこうしていよ」

 

「……もう。しかたないなぁ」

 

そうしてしばらくヴィヴィオをちゅっちゅして堪能していたフェイトは、やがてヴィヴィオを抱き締める力を緩める。

 

「大変だったね。よく頑張ったね、ヴィヴィオ。もう我慢しなくていいから。フェイトママに任せて」

 

「……ぇ?」

 

「なのはとは離れ離れになったりしない。私がさせない。それに、きっとルシウスとも会えるようになるから」

 

「……ほんと?」

 

「うん。フェイトママとヴィヴィオの約束だ」

 

「そっか。えへへ。……ぐすっ……ううぅ……」

 

「…………」

 

フェイトは再びヴィヴィオを胸に抱きしめ、頭をゆるりと何度も撫でた。

くぐもって聞こえるすすり泣きの声は、それからも暫く続いた。

 

 

泣き疲れて眠ってしまったヴィヴィオに毛布をかけて、フェイトは部屋を出ると、シャーリーに連絡を取る。

ルシウス・マリウスの調査を翌朝までの期限で依頼して、リビングに降りた。

フェイトにはまだ一仕事残っている。

果たして、そこではソファに消沈したように座るなのはが。

 

「なのは」

 

「……フェイトちゃん」

 

「ヴィヴィオはもう大丈夫」

 

「そっか、よかった……ヴィヴィオに何があったの?」

 

「ごめん、なのは。話せない。ヴィヴィオとの約束なんだ」

 

「そっか……」

 

なのははまた落ち込んでしまう。

フェイトは二人掛けのソファに座るなのはの横に腰掛ける。

 

「フェイトちゃん、わたし、何もできなかった。ヴィヴィオが何に悩んでいるのかも分からないの。ヴィヴィオのママなのに……」

 

「なのは…… 」

 

「えへへ、おかしいよね、こんなの。もっとちゃんとママじゃなきゃいけないのに、どうしちゃったんだろ、わたし」

 

そう言って泣きそうに笑うなのはをフェイトは自分の胸に掻き抱いた。

そしてヴィヴィオにやったのと同じように、ゆっくり頭をなでる。

 

「フェイトちゃん……?」

 

「なのは、それでいいよ。なのははヴィヴィオのママで、ヴィヴィオにもそう思われてる。今回のことはなのはが大切だから言えなかっただけなんだ。だから、なのははママ失格じゃないよ」

 

「でも……」

 

「それに、私が何とかできた。それでいいんだ。役割の問題だよ。私もなのはもママだけど、なのははお母さん(ママ)で私はお父さん(ママ)。お母さんにしか話せないこともあるし、お父さんにしか話したくないこともある」

 

「……うん」

 

すると、フェイトがクスクス笑う。

 

「それに、ヴィヴィオとなのはは間違いなく親子だよ。一人で抱え込んで、無茶しようとする所なんて昔のなのはにそっくり」

 

「にゃ!?」

 

「似た者同士だから、どうにもならないこともあるんじゃないかな? 私となのは、二人で一人前の(ママ)。今はそれでいいんじゃない?」

 

「……そっか。そうだね」

 

そう言ってなのはは照れくさそうに笑った。

 

 

 

 

■□■□■□■□

 

 

 

 

その日の朝もまた、ルシウスはいつもの公園に行く。

今日もヴィヴィオが居ないことに落ち込んでいる自分に気がついて苦笑を浮かべつつ、誰もいない練習場で最早日課となっている練習を始める。

暫く練習を続けていると、ルシウスは自分に近づいてくる足音を聞きとった。

もしかするとヴィヴィオだろうか、という期待を抱きつつそちらを振り向くと、ヴィヴィオでは無く、目の覚めるような美女がいた。腰まで流れる金髪は朝日に照らされて淡く輝いており、その深い紅い目は彼女の思慮深さと優しさを写し出す鏡のようだ。ヴィヴィオの金髪が太陽のような輝きだとすると、彼女の金髪は月明かりのような神秘的な魅力がある。誰もが羨むようなルックスとスタイルの良さも相まって、まるで月の女神のような女性だった。

そんな絶世の、と枕詞が付いても何らおかしくない美女がルシウスに近づいてきている。彼としては心当たりが全く無く、困惑するばかりだ。

 

「……あの、どうしましたか?」

 

「なんでもないよ、私のことは気にしないで続けて?」

 

「いやいや、何でもない事はないですよね。何か用が有るんじゃないんですか?」

 

「用事……。強いていうなら君の事が知りたい、かな」

 

「はぁ……」

 

そうは言われましても……。

ルシウスの率直な思いである。それはそうだ、初めて会うこんな神秘的な美女がどこか楽しそうに微笑んで自分の練習を見つめてくる。このシチュエーションに慣れろという方が無茶だ。彼女程の美女に見つめられれば、男の性として自然とドギマギしてしまう。それ以前に知らない人に見つめられて落ち着いていられる人もそうはいまい。

 

「特に用がないなら見ないでもらえませんか? 気が散って仕方がないです」

 

「えっと、ごめんね、それはできないんだ」

 

「だから、何でです?」

 

「ごめんね」

 

彼女は此方から何を言っても小揺るぎもしない。仕方がないのでルシウスとしても努めて気にしない事にした。というか、するしか無かった。

 

さらに30分程練習を続けているが、依然として女性はそこにいる。優しげな微笑みを浮かべつつ、しかしその瞳に真剣な光を宿して。

ルシウスはそろそろ終わらせる時間だと、備え付けてあるベンチに座る。するといつの間にか近づいてきていた女性がルシウスに飲み物を差し出した。ルシウスが好きで、ヴィヴィオにも買ってやっていたものだ。

 

「はい。……おいしいね、これ」

 

そう言って女性はルシウスに渡した物と同じドリンクを両手で持ち、こくこくと嬉しそうに飲む。

ここまでされると普通は怪しいと感じるものだろうが、ルシウスは女性に不思議だという印象を抱いた。女性の優しげな雰囲気によるものか、美人は得と言うべきか。

すぐ側の自販機で買ったものであると分かっているので、迷惑料のつもりか、と思いつつルシウスもありがたく頂くことにした。

 

「それで、いい加減何の用か教えてくれないんですか?」

 

「うーん、そうだね。でも、まずは名前を教えて? 私はフェイト・テスタロッサ・ハラオウン。フェイトって呼んでね」

 

「はぁ、分かりました、フェイトさん。俺はルシウス・マリウスです」

 

「うん、ふふっ、ルシウスだね」

 

ルシウスの名前を呟いて嬉しそうに微笑むフェイト。その仕草についルシウスもドキリとする。何だか全方面で勘違いを誘発していそうな女性だ。

 

「ルシウス、実はもう私の用事って終わったんだ。君の事を知りたいっていうのは嘘じゃない」

 

「そうですか。じゃあ何故俺を?」

 

「そうだねぇ、うーん、そうだなぁ……うん。いつか分かるだろうから内緒、ね」

 

フェイトはその言葉に合わせてパチンとウインクした。

 

「いや、内緒って……」

 

「所で、ルシウスはそろそろ時間じゃない?」

 

「ええ、そうですが……」

 

「じゃあまたね、だ。あ、それと明日は絶対に同じ時間にここに来て。きっと良いことがあるから。君にとっても、君の大切な人にとっても」

 

「え? それってどういう……」

 

「ばいばい」

 

フェイトはスタスタと去ってしまった。

 

「なんだったんだよ……」

 

ルシウスの呟きが空しくその場に響いた。

 

結局、その日もヴィヴィオについての有力な手がかりは見つからなかった。ヴィヴィオがコーチだと言っていたノーヴェについて一応調べられたが、それも名前とストライクアーツ有段者であることが調べられたくらいだ。そもそも、名前と容姿しか知らない人間を見つけ出そうという時点で無理がある。

 

 

翌日もルシウスは自然公園に行く。

日課だからであって、昨日の女性に言われたからではない、とルシウスは心の中で誰に対してか分からない言い訳をしていた。

本日も日課のストライクアーツの練習をするかと支度をしていると、ふと人の気配を感じる。昨日に続いて今日は何だ、とルシウスが周囲を伺っていると、木の影から金色の髪の毛がチラリと見えた。

 

 

ドクン、と大きく鼓動がはねた。

 

 

フェイトのような淡い月明かりのような金ではなく、天で輝く太陽のような金。

ルシウスは駆け出した。一直線に、木の裏に隠れる少女のもとへ。

 

「……ヴィヴィオッ!!」

 

「へぁっ!?」

 

果たして、そこには金の髪と翠と紅の瞳を持つ太陽の落とし子のような少女がいた。

一応トレーニングをするつもりだったのか、いつものトレーニングウェアだ。

 

「ぁ……ルシウス、さん……」

 

「ヴィヴィオ、お前、なにやって、どうして……」

 

「るしうす、さんっ」

 

ふんわり、と暖かい感触。

きゅっと胴体を締められる感覚。

目の前には金のサラサラとした髪。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。るしうすさん、ごめんなさい」

 

色々と言いたい事はあったはずだけれど、言葉としては何も出てこなかった。

ただ、暖かい春の陽気と早朝の静けさ。

ぐずぐずと鼻を啜るような音と、湿る胸元。

そんな事実を事実とだけ認識して、ルシウスは微笑んだ。

自分の胸の内から沸き上がる気持ちを自覚しながら。

今はただ、愛しい少女とまた会えた事を喜ぼうと、胸元で泣いているヴィヴィオの頭をそっと撫でた。

 


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