圧倒的だった。
朦朧としていた意識が定まり、私が彼の姿をもう一度捉えたときには、既にそれは始まっていた。
まるで、己の巣にかかった獲物を弄ぶようだった。
彼の射る矢には彼の手に繋がる、見えない糸が存在する。
ここに来る途中、盗賊を吊し上げたときと、やっていることは変わらないように見えた。
けれど、その意味合いが違う。明らかに違う。
それはあまりにも冷たく研ぎ澄まされた殺意で、それはあまりにも風化してしまった諦観だ。
「この村の惨状はお前がやったものか?」
ライカが問うた。
「さて、な。この体の持ち主の記憶なぞない。」
男は口を歪めて答えた。その歯の隙間から紅いものが糸のように地面へ垂れる。
ぎり、と音が聞こえた。同時にその鋼のように思えた筋肉に筋が入る。目には見えない糸が、男を縛り上げたのだ。より強く、より鋭く。
「なら質問を変えよう。お前は亡霊か?それとも、このカルト集団の信仰対象か?」
「それを知って何になる。」
「・・・調査だ。」
男の首に、細く赤い線が走った。そこから染み出るように溢れるものがある。
「おお。怖い怖い。・・・そんな信仰対象、そもそも実在するとも思えん。」
言葉には好奇心と、呆れか。そんな感情が混じっている。ライカの表情は先程から見えない。ただ、声だけはとても冷たく感じられる。
「だろうな。・・・じゃあ、これで最後だ。」
ライカは右手を突きだし、その五指のうちの一本だけ、人差し指だけを虚空に向けた。
「そこの男は、お前の関係者か?」
その指先の示したものは、あの、私たちに寝床を提供した、地下の祠に隠れていた青年だった。
「・・・ふっ。」
堪えきれないというように、片足を引きずる青年は息を漏らした。
「あーあ。なんでバレるかなぁ。・・・もしかして、ピット器官でも持ってるのか?」
私たちに見せていたのとは別の表情で、悪戯がバレた子供のような表情で、ライカを見る。
「・・・・。」
「流石、希代の暗殺者様だ。」
その青年は、ライカを暗殺者と呼んだ。
瞬間、青年の姿が消えた。
そして数秒後にライカの右斜め後ろから彼は突如姿を現す。だがライカはそれを避けもしなかった。
「・・・言っただろう。ここは
青年の手には、鋭い刃の持ち手に布を巻いただけのような暗器が握られていた。恐らくは彼の武器だろう。姿を消したのは彼の眼の力か。だがその両者も虚しく、ライカの糸に捕まった。
武器を突き出した姿勢のまま、まるで人形を
「クソッ・・・!」
青年がもがきながら罵倒する。
「この状況はお前の計画か?」
「知るか。あの鬼が勝手にやったことだ。脚は痛いが、ここに巣食ってた盗賊団を皆殺しにしてくれたのは感謝してるさ。」
その言葉を聞いて、ライカの動きが止まった。
冷ややかな声が響く。
「君はあのときの生き残りか。」
青年の目が見開かれる。
「それが、わかってる、なら・・・!」
「なるほど、それなら君が僕に向ける殺意の意味もわかる。」
それは興味のない小説を読み上げるような声だった。
「ほぼ無人の村に盗賊が住み着いて、君は奪うものがないから生かされていた。運が良かったんだな。」
そしてライカは、少しだけ、口からつい息が漏れてしまったような、そんな笑い方をして、言った。
「僕を殺したいか?」
「ああ。」
青年が頷くと、"糸"が消えた。
つまり青年の体が自由を取り戻した。
「
ライカが言った。それに呼応するように、ライカの武器、木弓が肥大化したように見えた。
「
青年の受け答えで、彼の暗器が震えたように見えた。
「
ライカが問う。
「
青年が答える。
「
ライカが問う。
「
青年が答える。
一瞬だけ、時間の流れが遅くなったような気がした。
そして、本当に一瞬だったのだ。
よく考えれば勝てるはずはない。
遠距離武器である上に攻撃に数刻を要する弓矢と、おそらくは急所に当てれば一瞬で命を奪える道具。その武器のポテンシャルは圧倒的に違う。
けれども青年は一歩も動くことが許されなかった。
決闘とは、この世界において絶対であるという。
それは原初の呪いによく似た、相手と己に同じだけのものを背負わせるというそれだ。
そして彼らの武器が起こす奇跡はそれは紛れもなく、私のいた世界においての魔法に該当する。
現実へと干渉をし、理をねじ曲げる奇跡。
ライカの持つ奇跡は時間操作。
「・・・終わりだ。」
胸に一本の矢を受けた青年は、吐血して、膝から崩れ落ちた。
時の流れには誰も逆らうことはできない。ただ一人、彼だけを例外にして。
けれども。
その次の一刻。
ライカも同様に、口から血を吐いた。
青年を見ると、その瞳の色は煌々と紫色に輝いている。
そして、青年の掲げた指先は、ライカを指し示していた。
「頭を・・・狙えば、よかっ・・・」
少しだけ青年は笑って、倒れた。その瞳に既に輝きはない。
それは原初の呪いによく似た、相手と己に同じだけのものを背負わせるというそれだ。
カランと、ライカの弓が地面に落ちる。
「ライカ・・・!」
そこで私は我にかえった。
駄目だ。
倒れ込んだライカへ駆け寄り、胸の傷を見る。血が溢れている。どうにかして止めることはできないか。治癒魔法は使えない。私には適正が無かったから。ならばどうする。胸の傷はおそらく心臓を傷つけている。血を止めることができたとして、それに意味はあるのか?
やめろ。駄目だ。疑うな。私に何かできることがあると信じろ。この溢れて止まらない血を止め、私の恩人を助ける道がきっとあると。であればどうすればいい。火で傷口を焼き固める?却下。心臓まで焼いてしまう。では凍らせるか?却下だ。きっと意味がない。風は?光は?闇は?どれも私にできることはなかった。心臓に空いた穴を塞ぐ手段が私には無い。
結局、何もできないまま数秒が過ぎていく。
でも認めたくない。何かここで、何か・・・
ふと、髪に指が触れた。
血に溺れるような音が聞こえ、微かな声がする。
けれどもその声は聞こえなかった。手が落ちて、ぱしゃんと血溜まりを波立たせる。少しだけ、血が顔にかかった。
「あ・・・」
声は出なかった。突然のこと過ぎて思考が及ばない。
最期に彼は何を言ったのだろう。そのことが頭を過ったが、それを現実は許してくれはしなかった。
「愚かだな。」
私でもない、ライカでもない、ましてやライカでもない声がした。
忘れてしまっていたのだ。
けれど、忘却されたところでその存在が終わるわけではない。
既にその影は揺らぎ、半身が崩れ落ちた男がいる。
それは蜘蛛の巣から逃れ、息も絶え絶えに、それでもまだそこに存在していた。そして器が崩れた亡霊は、次の器を求めるのは道理。
「させない・・・ッ」
立ち上がり、右手を広げて陣を描く。
「
けれど、傷付いた手は魔方陣を描く為の魔力を通すことは叶わなかった。
気が付いたら、殴り飛ばされていた。背中に石の柱が激突し、声も出ない。
痛みから逃れようと、意識が沈んでいく。
霞む視界が最後に捉えたのは、一人の影が立ち上がり、歩いて祠を出ていく姿だった。
そして、私は絶望の実感も無いままに、闇に沈んだ。