よろしくお願いします。
「大好き」
詩羽の口から零れた純粋な愛の言葉。
「えっ………」
不意を突かれた倫也は顔を赤くし、固まってしまうが詩羽はそんな倫也に構わず彼の背中に手を回し、ぎゅう……っと抱きつく。
「うぇっ!?ちょっ!?う、詩羽先輩!?」
詩羽の身体の柔らかさにびっくりして慌ててしまう倫也であるが、すぐに彼女の異変に気づく。
震えているのだ。詩羽が。
そんな彼女を割れ物を扱うように優しく抱きしめ返す。
「会いたかったの……」
『好き』というたった一言をトリガーに詩羽の中の倫也に隠していた思いがあふれ出してくる。
「シナリオが上手くいかなくて…どうしようもなくて…紅坂朱音を倒すって倫也くんに約束したのに…私の書くものは彼女の琴線に触れることはなくて、罵倒されるだけ罵倒されて、そんな私とは逆に澤村さんはどんどんレベルを上げてって、年長者の私が彼女を守ってあげないといけないのに、私の方が足引っ張って…情けなくて…」
始めて語られる詩羽の苦悩、倫也に始めて見せた詩羽の弱み。
倫也はその間何も出来ない立場にあった自分に強く悔しさを感じながら彼女の言葉を最後まで黙って受け止める。
「作家としてのプライドもズタボロにされて、何を書けばいいのかも分からなくなって…もう私じゃ…『霞詩子』じゃあ『柏木エリ』には……『フィールズ・クロニクル』には釣り合わないのかもしれない……」
普段なら絶対言わないような弱音まで吐いてしまうほど、精神的に追い詰められ、作家としての自信を無くしてしまっている詩羽。
今自分が出来ること、安芸倫也にしか出来ないことはすぐに見つかった。
紅坂朱音に潰された詩羽のプライドを、取り戻させること。
「恋するメトロノームはさ……1巻の最後のほうでもう俺泣くの止めらんなかったんだよ」
「えっ?」
突然自分デビュー作の話をされて困惑する詩羽だが、間髪入れずに倫也は話し始める。
「初めてだったんだよ、あんなに物語に引き込まれたの。作家のサイン会も霞詩子の前にも何回か行ったことあるけど、本屋が開く前から『1番最初にサイン貰うんだ!!』って気持ちで並んだのも始めてだし、あの作品があんまし知られてないこと分かって自分でサイト作って作品の魅力まとめたのも始めて、ギャルゲー作って見たいって思うきっかけになったのも霞詩子がきっかけだよ。最終巻のエピローグ前30ページは暗唱できるし、何回読み返しても泣かないことなんて無かった。1巻の沙由香の…………」
そこから倫也は『恋するメトロノーム』の1巻から始まり、『純情ヘクトパスカル」の最新巻に至るまでの霞詩子が世の中に出してきた物語の全てを事細かに熱烈に褒めちぎった。
もちろん倫也の本心からのものであるが、それは端から見たらただの度の過ぎた『霞詩子』の布教活動そのものであった。
倫也が話を終えた頃には時計の長針が二周するほどの時間が経っていて、その間詩羽は口を挟まずに倫也の話をじっと聞いていた。
「でね………俺が何を言いたいかって言うと」
自分の背中に回っている詩羽の手を片手だけ外し、彼女がもたれかかっている下でふわりと両手で包み込む。
もう震えは、止まっていた。
「こんな凄い神作家が紅坂朱音に負けるわけないってこと」
重ねた手の上に雫が落ちてくる。
片手を詩羽の手から離し、彼女の肩を掴み、顔が見えるようにする。
不安そうな目からは涙が流れているが、その瞳の奥には僅かに光が戻り始めていた。
あとひと押し。
詩羽の目を見て、はっきりと告げる。
「大丈夫……霞詩子は…霞ヶ丘詩羽はこんなとこで潰れる作家じゃない。辛いことは全部俺に吐き出して、それでも自信がなくなったならもっかい俺が霞詩子どんなに凄い作家ってことを教えてあげる。絶対大丈夫。潰れそうなプレッシャーなら俺が一緒に背負う。詩羽先輩が紅坂朱音を倒すためならどんなことだってする。俺にできることはそんくらいしかないけど、絶対に詩羽先輩を支えてみせるよ。だから…さ…」
「…………」
「頑張れ」
「うん」
「頑張れ」
「うん…」
「頑張れ!」
「うん……!」
「霞詩子は最強だから!!」
「ゔん………!!」
泣きながら頷いた詩羽の瞳にはしっかりと光が灯っていた。
「でもね、倫也くん」
「なに?」
「涙が止まるまでは…さっきみたいに抱きしめてくれない?」
「もちろん」
詩羽が倫也の腕の中からするりと抜ける。
「もう大丈夫?」
自分の腕の中から無くなってしまった温もりに少しばかり寂しさを感じながら詩羽に声を掛ける倫也。
「何がかしら?倫理くん?」
ベットから降りた詩羽は長い黒髪をさらりとはためかせながら倫也のほうを見て言う。
意識して口調を変えているのはわかっているが、決して無理をしてるわけでもなく雰囲気は倫也の知る『いつもの霞ヶ丘詩羽』なっていて
「………なんでもないよ、詩羽先輩」
目頭が熱くなるのを倫也は堪えた。
詩羽は自分の鞄からノートPCを取り出すと、自分の机に座るのではなく、ベットに座っている倫也のところまで来る。
「さぁ……シナリオを書きましょうか」
「詩羽先輩……ホントにこの状態で書くの?」
「えぇ、もちろん。何か問題でも?」
今、ベットの上で足を開いた倫也の足の間に詩羽が収まっていて、その詩羽を後ろから手を回した倫也が抱きしめている状態である。
「こんなんじゃ集中できなくない?」
「いいえ、そんなことないわ、とてもいいシナリオが出来そうよ」
「そうですか……」
「じゃあ書くから、私の集中を切らすようなことはしないこと、いい?」
「りょ、了解です……」
倫也としてはさっき同じことを散々やってたとしても、詩羽を慰めるために自然に体が動いたことだったので、意識してやるととんでもなく恥ずかしいものがあり、詩羽の身体の柔らかさを再認識してしまい、いろいろとマズイものがあるわけだが
「あっ、シナリオに夢中で無防備な私を◯すのはいいからね?」
「しないよ!!」
倫也がドキドキしているのをわかっていながらこんなことを言ってくる先輩にゲンナリしつつもどこか嬉しさを感じる倫也だった。
「ふふふふ……………」
「………………………」
「きひっ……………うふふふふふふ……………」
「(ビクッ)……………」
「あはっ♪……………あはははははははっ♪」
「(ガタガタガタガタ)」
「愛してるぅ…………愛してるわぁ……だからぁ………殺してあげるぅ…………」
「ヒィッ………………」
完全にクリエイターの闇に堕ちながらキーボードを凄まじい勢いで叩く詩羽。
今まで何回か詩羽のこの状態を見てる倫也でもドン引きするくらい端から見たら酷いものだった。
そしてふとした時にキーボードを叩く音が止まる。
「ねぇ倫理くん」
「はいっ!!なんでしょうか!!」
「どうしたの?そんな怯えて」
「な、なんでもないです!!」
「?まぁいいわ、お腹空いたからコンビニでなんか買ってきて」
「はい!!」
作家モードの恐ろしさが尾を引き、思わず敬語になってしまう倫也は足早に玄関に向かう。それを詩羽はこてんと首を傾げながら見送るのだった。
倫也が外に出ると詩羽の家に来たのが夕方くらいだったのに、もう太陽が東の空から顔を出していて、相当な時間が経っていることに気づく。
片手間に素早く食べられるようパンなどを買って詩羽の部屋に戻った。
玄関を開けると聞こえてくるのはシャワーの音、ドギマギしながら風呂場の前を通るとシャワーの音が止まり
「おかえり、倫理くん」
玄関の音で気づいたのかシャワーを浴びていた詩羽から声を掛けられる。
「うぇっ!?た、ただいま。詩羽先輩」
変な声が出てしまう倫也、詩羽はくすりと笑う。
「私のお風呂姿想像して興奮しちゃった?」
「そんな事ないです」
「そうよね、夜な夜な取っ替え引っ替えいろんなタイプの女の子を部屋へ連れ込んでは熱い夜を過ごしている倫理くんにはこんなの慣れっこだものね」
「ただのサーク活動だから!!ゲーム制作に熱い夜を過ごしてるだけだから!!」
「ねぇ倫理君、部屋に着替え置いてきちゃったの、取ってきてくれる?じゃなきゃ裸のまんま扉の向こうにいる男の子の前に出なきゃいけないから」
倫也の反論を無視して更に追い討ちをかける詩羽。とても楽しそうな顔をしている。
「すぐ取ってくるから、絶対に目の前の扉は開けないで下さい」
詩羽の部屋に戻り、ベットの上に揃えられた詩羽の着替えを取り、彼女の元へ素早く戻る。
モコモコした女の子らしい部屋着の上に何か乗っていた気がするが気にしないことにした。
「詩羽先輩、ドアの前に置いてあるから。後ろ向いてる間に取ってね」
「あら?早かったのね。てっきりお風呂の妄想で溜まったものを私の下着で発散してくると思ったのだけど…あっ……倫理くんもしかして……ごめんなさい」
「ねぇ今何に対して謝ったの!?何もせずに着替え取ってきただけだから!!」
「さぁ倫理くんご飯食べたらすぐにシナリオに戻るわ。何してるの?早く部屋に戻りなさい」
「俺の意見は無視ですかそうですか……」
ため息を吐きながら倫也も詩羽に続いて部屋に戻っていく。
「そういえば倫理くん」
ふと倫也の前にいた詩羽が彼の方に振り返る。
倫也はまた何か弄られるのかと覚悟するが
「さっきの『おかえり』『ただいま』ってやりとり、夫婦みたいで凄く嬉しかったからまたやってね?」
とびっきりの笑顔でそんな事を言ってきた。
「そんなこと言われたら、余計しづらくなるんだけど」
恥ずかしさから顔をそらすが
「だめ?」
そらした方向に詩羽が回り込んで詩羽が迫る。
シャンプーのいい匂いと詩羽のシャワーを浴びたばかりのほんのり赤くなった顔が近くに来るので
「シナリオ書けたらね」
思わずそんな事を倫也は口走ってしまう。
それを聞いた詩羽はしてやったりと言わんばかりの顔をして
「そう?じゃあ一層頑張らないとね?倫也くんにも協力してもらうから。言質は取ったわよ?」
倫也の唇に人差し指を当て、可愛らしくウインクをしてくる。
そして踵を返すと軽くスキップをしながら部屋に戻っていった。
その後ろを顔を真っ赤にしながらも、幸福に頬を緩ませた倫也がついていく。
「今更だけど、ホントにとんでもない人を好きになっちゃったなぁ……俺」
詩羽に聞こえない声で倫也はそんな言葉を呟いた。
原作との違いはこのSSオリジナルと思って頂くとありがたいです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。