武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第100話

 紅魔館、正門前。

 

 二人の男女が対峙していた。

 

 緑の変則的華人服に身を包んだ赤い髪の少女は紅魔館門番の紅美鈴。

 

 艶のない黒色の礼服を着込み、黒い髪の青年は紅魔館下級使用人の川上。

 

 川上の腰に刀はなく、少し離れた門の壁前に置かれていた。二人とも無手であった。

 

「一手お願いします」

 

「承知」

 

 二人はそう交わすと、三間の距離を取って構えた。

 

 散打である。しかし無手とはいえ実戦形式近い、目や耳、金的など急所狙いこそ禁じてあるが、相手にダメージを与えないようにするのもお互いの裁量と技量次第という危険なものだ。

 

 達人の四肢は武器など無くても簡単に人体を破壊するからだ、真剣で自由攻防するのに等しき無謀。

 

 美鈴は左手を前に出して肘を軽く曲げ掌を上に指も緩く上を向いて、左前の半身となり右腕は軽く胸の前に置いて、両足は肩幅で構える。

 

 川上は右前の半身で、肘を突っ張らずに刀の反りのように気持ち緩く曲げて指先を対敵の方に。左手は首筋を隠すように添える。両足のスタンスは広めで後ろ足重心で軽く腰を落とし構える。

 

 ズ、と美鈴が足の踵を前に入れて今度は爪先を入れるという足を浮かさない歩法でジワリジワリと距離を詰める。

 

 一気に距離を詰めるのではない。ゆっくりと詰めていくが、好機と見れば何時でも一瞬で踏みこめるように体勢を作っている。張り詰めた弓矢を向けられているような威圧感が川上の肌を刺す。

 

 しかしそれに対して川上はいきなり構えを解いた。両手を下げ棒立ちになりいきなり散歩でもするように美鈴に対して一歩歩みだした。

 

 美鈴は一瞬、虚を突かれた。いきなり無構えになり、歩き出した川上に踏み込むべきかの判断が遅れ。

 

 瞬間まだ一間以上あった距離が潰れ、川上の右の手刀が美鈴の首筋に襲いかかった。

 

 前の足を軸に後ろ回しで一回転して前に出る変則歩法。一見して危険だがある程度の距離なら普通に踏み込むより早い。

 

 一歩下がり危うく躱した美鈴はすぐさま後ろの足から踏み込んで右の頂肘を川上の右脇腹に叩き込む。

 

 これを川上は左半身になりながらアイトサイドに体で外すと同時に左掌底が鍵突きの要領で美鈴の右耳の後ろ、乳様突起を軽く打った。

 

 一瞬平衡感覚が狂い次の動作か遅れた美鈴の右手首を川上が掌握したが、美鈴は反射的に体を落として腰で握られた手を切った。そのまま自分の裏にいる川上に対して後ろ回しで左肘で川上の頭部を狙う。

 

 しかし肘は川上を捉えずに逆にその場で座構えになった川上の左の貫手が美鈴の空いた脇腹、肋骨側面の隙間に刺さる。

 

 骨の間から太い針を刺し込まれたような激痛が美鈴を襲い、その間にまた川上は美鈴の右腕の裏に回っていた。

 

 しかし、美鈴もこれに合わせて前足を開き川上に合わせて左の中段の逆突きを放ちとうとう川上に当てる、いや浅いか?と美鈴は思った。水月に当たったが瞬間化勁で逃がされた、手ごたえは少なからずあったが。

 

 川上は後ろに飛んで距離を取ったが、普段殆ど変わらない表情が小さく苦悶に歪み、続いて背中が丸まった。

 

 明らかにダメージがあった。好機と見て踏み込みかけた美鈴は川上の気の流れを視て、危うくその場にとどまり機を見送った。

 

 擬態であった。ダメージは確かにあったのだろう、しかしダメージを逆手に取り大袈裟に姿勢を崩し好機と見せ相手を誘う。

 

 しかし美鈴はくの字に折れた川上の足腰が即座に莫大なエネルギーを発生させられるように流れを作っていたのを見逃さなかった。安易に好機と踏み込めば後の先でやられていただろう、作られた好機ほど危険な物はない。

 

 踏み込んでこなかった美鈴に川上は小さく口元に笑みを浮かべて右半身で立ち軽く右手を上げて美鈴に向ける構えを取った。

 

 今度は先に仕掛けたのは美鈴だった。素直な左の崩拳を打ち抜くがこれを川上はやはり前に出ながら美鈴のアウトサイドに躱し同時に右の手刀が首筋を左手が美鈴の突き手を掌握した。

 

 そして美鈴は左肩を耳に付けるほど上げるショルダーブロックで川上の手刀を止め、左肘を極められる前に自ら飛びながら前返りをした。

 

 一瞬でも判断が遅れていれば美鈴は左肘を破壊されていただろう。前返りから即座に美鈴は即座に向き直るとそこに川上は居なかった、皮膚感覚を頼りに向き直る時間も惜しみ自身の右後ろに蹴りを放つと浅くだが手ごたえがあった。

 

 美鈴は飛んで距離を取り仕切り直す。先ほどの蹴りは脇腹に当たったようだがもう川上は大袈裟に痛がったりはしなかった。

 

 なんとも相手をしていて妙な感じだ、美鈴はそう思った。こちらの攻めはすかされる。常にこちらからは攻めにくい方へと位を取る、死角へと回る、虚実を入れこちらを疑心暗鬼に誘う。

 

 なるほど、こうしてみると初めて会った時の彼が自身を邪道と言った意味がわかる、言ってしまえばネチネチと陰湿なやり方だ。

 

 しかし本物だった。攻めれば必ずこちらが不利になる、こちらに合わせて優位へと変化していくやり方は勝ちへと自然と流れる水のような動きだ。

 

 攻めにくる相手に必ず勝つ。古流剣術の極意に交差法というものがあるが、川上が用いるのはそれに近い。

 

 ふ、と次の瞬間一瞬で距離を潰して川上の左の順突きが襲って来た。膝の抜きを用いた起りの分からない踏み込みからの突き。

 

 美鈴は右腕でとっさに突きを払うと、川上は払われたのを利用して前腕を畳んでそのまま深く踏み込み肘での当身に繋げてきた。

 

 美鈴も流石であり危うい所でそれも左肘で払ったが、なんとさらに川上は再三そのまま踏み込み今度は左肩口から背中を使った体での当身を体が開いた美鈴に入れた。

 

 もろに強い勁を喰らい吹き飛ばされた美鈴はそのまま後ろ返りをしてダメージを押して体制を維持する。今のは鉄山靠てつざんこう!美鈴はそう驚愕した。

 

 それに突きから払われたのを利用して同じ腕で頂肘、さらに鉄山靠と繋げるのはまるで近接戦を主体とする外家拳、八極拳のような攻め手。

 

 まるで美鈴のお株を奪いような攻め。美鈴は思った、盗まれたのか?あるいは元々持っていたのか?

 

 迷いは捨てそのまま川上を迎え討ち、二人は交錯した。

 

 川上の突きから変化して美鈴の首筋を襲った右の手刀は首筋の寸前で前に出た左肩越しに美鈴の右手で止められていた。

 

 同時に死角から浮き上がるように川上の顎を襲った美鈴の左拳もまた寸前で川上の左上腕に止められていた。

 

 二人はそこで攻めを止めそのまま互いの()を引いた。

 

 そのまま二人は数歩下がり、美鈴は合掌して礼をし、川上も返礼した。

 

「良い稽古になりました」

 

「こちらもだ」

 

 そうさっきまで互いの急所に牙を突き立てようとしてたとは思えぬ穏やかな声で——もっとも川上は普段の口調と判別するのが困難だが——言葉を交わした。

 

「一つ質問いいでしょうか」

 

「なんだ」

 

 美鈴の問いに川上は煙草を取り出しながら短く答えた。

 

「途中、私の使う拳法に似た攻めがありましたが、貴方はどこでそれを」

 

「師に学んだ」

 

 美鈴の質問の答えは極めて端的だった。

 

「もう少し言えば…俺の学んだ流派は大陸から渡った武術が元になっている所があるとされる。事実かわからんがその為かも知れん」

 

「確かにこの国の武にも少なからず影響を与えた、というのは知識としてはあります」

 

 川上は煙草を一服吸い込み紫煙を吐いて、補足を加えた。

 

「後は師が中国に渡っていた事がある、そこで学んだものかも知れん」

 

「貴方の使い方は似てはいますがこちらの基本とはまた違うものです」

 

「そうだろうな」

 

 それはそうだ、大陸渡りとて何百年。師が学んでそれを崩し、それをまた川上が崩した。原型オリジナルと同じ訳はない。

 

「では、また機会があったら」

 

「はい、是非またよろしくお願いします」

 

 川上は振り返りもそこそこにそう言って、刀を拾い門をくぐった。美鈴も引き止めはせずに背中に礼をして見送った。

 

 今の散打の振り返り、分析、反省は後は幾らでも一人でやればいい。だが今はそれより。

 

 美鈴は壁に寄りかかり苦痛に一つ呻くと体を抱くようにして、座り込んだ。

 

 モロに貰ったのは少ないのにまだ視界が揺れている、体が痛みを、悲鳴を上げている。門番が門で弱みを見せてはいけないのはわかってはいるのだが。

 

「今少し…誰もこない事を願うしかないか」

 

 美鈴は一人呟いた。

 

 

 

 ポトリと煙草が落ちた。

 

「ぐっ……げほ…っっ」

 

 川上は人気の無い庭の片隅で嘔吐した。服を汚さぬよう前のめりで吐瀉物を撒き散らす。

 

 内臓が暴れている、美鈴の攻撃は的確に点穴を狙い内臓にダメージを与える。

 

 しかし、川上は殆ど威力を殺した、まともに貰ったのは無いにも関わらずこれか、川上は内心笑った。

 

 全て吐きつくして、しばらく胃液を絞り出すように吐いた後ようやく内臓の痙攣が治まってきた。

 

 ザッ、と靴で砂をかけてぞんざいに吐瀉物を誤魔化し川上は歩き出した。しばらくダメージを抜くため休む必要がある。

 

 誰もこないどこかに向けて川上はまだ残るダメージを見せないように歩みを進めた。

 

 

 

 

 猫に好かれる人間というのは条件がある。

 

 猫は気紛れで、そして本質的に一匹なのだ。

 

 だから猫を気にし過ぎてはいけない、構い過ぎてはいけない。

 

 ——別に猫が居なくても構わないと思っている。

 

 しかし自然に面倒を見る、最低限を気にかける。

 

 ——別に猫が居てもいいと思っている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。その考え方ができる人間は少ない、だがそんな人間がいればどんな気難しい猫も懐いてしまうのかも知れない。

 

 

 十六夜咲夜は困惑していた。

 

 その男と知り合ってから一番の困惑だったろう。

 

 その困り方はちょうど小動物が膝に乗ってきて気持ち良さそうに寝てしまい動くに動けなくなる、そんな状況に似ていた。

 

 ソファーに座り衣装に針を通す作業をしていた咲夜、その肩に川上が寄りかかり無防備にも寝息を立てていた。

 

 嘘でしょう、と咲夜は思う。この男は確かに良く寝る、色んな所で寝ている姿を見る。しかしそれでも隙は見せず、無造作に近づいたりすれば即座に起きた。

 

 それが針を持っている自分の真横で、というか肩で、寝ている。気配と呼吸から見て狸寝入りではなく本当に熟睡していた。少しでも変な動きをしたら川上は起きるだろう。咲夜は動くに動けず混乱の中で何故こうなったと考える。

 

 ただラウンジで暇そうに本を読んでいた川上を見つけたから何気なくコーヒーを勧めた。飲むというので二人分淹れて川上にコーヒーを出し、他に誰もいないので自分も何気なく隣に座り針子仕事など始めた。

 

 それだけなのだ、そしたらいつの間にかこうなった。寄りかかられた瞬間ふざけるタイプでもなし一体何のつもりかと思ったら寝ていた。

 

 どうする?咲夜は思った。上手く自分が動いてソファーに横にさせて、いや無理だ、少し動けば絶対に起きる。

 

 時間停止と解除を慎重に連続して少しずつ調整すれば頭を膝に持っていけないだろうか?その考えを咲夜は却下した。能力使用のような不自然は絶対に気付かれて起きる。

 

 咲夜は進退窮まった。このまま川上が起きるまで身動き出来ないかと覚悟したところで、ガチャリとラウンジの扉が開いた。

 

「咲…や」

 

 入室してきたのは彼女の主、レミリアだった。彼女は自身の従者を見つけて呼びかけたところで川上に気付き、声に驚愕が現れた。

 

 そして咲夜はレミリアに対してではなく川上に意識が行っていた、あ、起きた。触れた肩から伝わる感覚で咲夜はそう確信した。

 

 川上の呼吸も覚醒時のそれに変わったがしかし彼は動かない。レミリアはどうすべきかと考えて忍び足で二人に近づいていった。

 

 5秒立った当たりで川上は自然と身を起こして、くっと伸びをした。レミリアが立ち止まる、川上はゆっくりといつもの蒙昧とした眼を開けた。

 

 咲夜もレミリアも動かなかった。川上は目の前にある飲みかけの冷めたコーヒーを取り飲み干すと立ち上がり、何も言わない二人を尻目にスタスタと退室した。

 

 パタリとドアが閉まった所で咲夜とレミリアは妙な緊張感から開放された。

 

「…お邪魔だったかしら」

 

「いえ、そういう訳では」

 

 レミリアの言葉に咲夜は落ち着きを取り繕い答える。レミリアが来て結果的には咲夜は下手に動けない状態を脱する事が出来た。

 

「…寝てたの?あの子」

 

「…はい」

 

「そう……貴女やっぱり凄いわね」

 

 レミリアは微笑んで感心したように言った。

 

 咲夜は身動きの取れない状態から自由になり助かったとホッとした反面、ほんの僅かな残念さを感じていた。


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