武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『情欲』


第101話

 紅魔館大図書館

 

 その日の川上は咲夜の采配で図書館で司書である小悪魔の書物の管理を手伝っていた。

 

 本を抱えて目的の書架を探して川上は歩く。そして目録と本に貼られた番号を参照しながら本を所定の位置に戻していく。

 

 この膨大な図書館の様々な書物も流石に無秩序に書架に詰められてる訳もなく、小悪魔により理路整然と管理されていた。

 

 しかし、一見訳のわからない本が多いのに蔵書の管理方法に何故か日本十進分類方が採用されていた。

 

 ふと、本を戻しながら書架の本の中に欠けがある事に気付く。番号を見てもあるはずのものが抜けている。

 

 こういう欠けは曰く()()()()()()()()()()()らしい。気付いたらチェックするように言われているので川上は手元のノートに欠けた番号をメモした。

 

 また川上は残った書物の番号を見る、今度は番号500台が多かった。技術書であるが、この図書館は最近出版された外の世界のいわゆる外来本まで何でもありである、一体何処から仕入れているのか。

 

 しかし川上にはそんな瑣末ごとなどどうでもいいのか頭の中で500の書架の位置を思い出してそちらには歩み出した。

 

 

 粗方の整理を終えて川上は図書館の中心近くにあるパチュリーの定位置である所まで戻ってきてどかりとソファーに座った。

 

「ご苦労様」

 

 少し離れた机の前で椅子に座り本を広げながら羊皮紙に何か書き込んでいたパチュリーは眼を紙に落としたまま労いの言葉を掛けた。あまり感情が篭っていないがそれはパチュリーの性格によるもので特に川上に対する悪感情などではないのだろう。

 

 川上は軽く手を挙げて応じた。無意識に煙草を取り出しかけたがふと思い留まり、結局口淋しいので変わりに懐から干し肉を取り出し噛み始めた。

 

「川上さん、終わりましたか」

 

 そこに本を一抱えして現れたベストに身を包んだ赤髪の図書館司書の小悪魔が川上に声をかけた。川上は肯定を返す。

 

「じゃあ一休みしましょう、紅茶淹れますね」

 

 そう言って抱えていた本を机の上に置いて、一旦場を去ると手早く紅茶を三人分用意してパチュリーと川上の前に出し、自分は川上と同じソファーに座った。

 

 川上はカップを一口運んでやはり彼には熱かったのか、カップを置き干し肉を咥えて冷めるのを待った。

 

 ふと、小悪魔は川上がソファーに立てている刀に眼を向ける。小悪魔は川上が腕が立つらしい事を聞いてはいるが彼女は川上が刀を抜いた所を見た事がなかった。

 

 というか、そもそも日本刀剣の類いをちゃんと見た機会が無かった。ふと興味が湧いた。

 

「川上さんの刀は切れ味がいいのですか」

 

「良い」

 

 興味本位の質問は一言で返された。普通なら会話を続けるのを断念する所だが、川上の性格をある程度掴み、さらに攻める時は攻める小悪魔はさらに言った。

 

「私、刀を見た事ないんですよ。見せて頂けますか?」

 

 小悪魔の言葉に川上は肉を咀嚼しつつ懐から和紙を出した。そして刀を掴み鞘を払う。

 

刀身(はだ)には素手で触るな」

 

 そう一言言って、柄は抜かずに刀身の中程を懐紙越しに左手で持ち小悪魔に手渡した。

 

 小悪魔は懐紙を使い直接触れないよう刀を光に透かして見た。

 

 大和守安定。もう、大分人を斬ったそれはかつて野党の腰に差されていた時の疵一つなく綺麗に研ぎ上げられた状態からは大違いだった。

 

 物打ち付近は刃毀れなどはないが刀身は線のようなヒケ疵だらけである。化粧研ぎも血脂で大分剥げてしまい、刃中や地金の働きどころか刃文すら曖昧になっている。

 

 刀の美術的美しさは実の所研ぎ師による化粧による所が大きい。しかし、はばき元付近はまだ冴え渡る地金や刃文、湖面のような透き通ったような美しさが健在だ。

 

 それに見るに堪えない物打ちと総合してみても、刀が眩しい輝きを放ってるように小悪魔には感じられた。その輝きは野党の腰の飾りであった頃より、人を斬るようになってから増していたかも知れない。

 

「…綺麗」

 

 小悪魔はそう嘆息した。川上は干し肉を齧り、少し冷めた紅茶を啜った。干し肉に紅茶はおかしい気がするが彼は細かい事は気にしない。

 

「どんなに綺麗でも、それは人殺しの道具だ」

 

 そう川上はなんの熱も籠らない、事実を告げる口調でそう言った。

 

「そうですね」

 

 その言葉は果たして刀に対するものだけだったのだろうか、そう小悪魔は深読みしてしまう。

 

 

「でもただの人殺しの道具ならこんなに綺麗ではないと、そう思います」

 

 だから小悪魔は感じた事を言った。嘘は言わずに、相手に伝わるように。

 

 川上は何も言わずに小悪魔から刀を受け取り、一拭いだけして鞘に納めた。

 

 小悪魔はただ微笑んで言った。

 

「ありがとうございました」

 

「あぁ」

 

 川上はぼんやりと答えて色の変わらぬ眼で紅茶を口に運んだ。

 

 

 

 紅魔館の廊下を歩く一人の闖入者がいた。

 

 その女性は長身であり170㎝を少し超えるだろう、体型は女性的な肉感的でありながら大柄という印象ではない絶妙なバランスだった。

 

 ショートボブの細いが硬そうな質の金色の髪、眼はわかりやすい魔性を示す金眼。整い過ぎて人間離れしている済ました顔つきも魔的である。普段は帽子を被っている事が多いがその日は被っておらずに頭から獣耳がぴんと立っていた。

 

 服装は白いロングスカートにその上から、青い前掛けを重ねている。ゆったりした服だがそれでも豊かな胸元が隠しきれていない。左右の腕は互いの長い袖の中に入れており、格好や服装共に中華風である。

 

 しかし特筆すべきはその腰から伸びた獣の尾であろう。一かたまりの豊かな毛に覆われた巨大な尾に見えるそれは、良くみると柔らかそうな一本一本の尻尾が何本も纏めて生えておりさながら房になっている。

 

 その数およそ九本。妖獣の中でも最高位に位置する九尾の妖狐の証。

 

 彼女はスキマ妖怪である八雲紫の式神である八雲藍だった。

 

 式神とは術により対象を強化、制御して使役するものであるが、最強格の妖獣たる九尾の妖狐(ハード)式神(ソフト)を付けて自身の道具とする。そんな事を平然とやってのけるスキマ妖怪が如何程に規格外なのかが解る事実だ。

 

 そんな八雲藍は体重を感じさせない軽い歩調で廊下を進んでいたが、彼女の前に立ち塞がる一人のメイドがいた。

 

「いらっしゃいませ、お客様。しかし今日は主人からは来客があるとは言付かっておりません」

 

 十六夜咲夜であった。メイド長として来客の()()()()は彼女の大事な仕事の一つだ。

 

「それはそうだろうね、別に今日尋ねるとは伝えとないからね」

 

 対する八雲藍は口元に微笑さえ浮かべて、穏やかな物腰で答えた。彼女は無表情だと恐ろしさを感じる程の冷たい美人と見えたが、軽い笑みを浮かべただけで今度は邪気のない童女めいた愛らしさを感じる。表情一つで玉虫色に変わる不思議な印象。

 

「なら、相応のおもてなししか出来ませんが」

 

 その言葉とともにナイフの切っ先を突きつけられるような冷たい殺気が八雲藍に向けられたが、彼女は微笑を浮かべたまま平然としていた。

 

「いや、事のついでに寄っただけだったからね。それに君犬には用はないんだ」

 

 八雲藍の口調も物腰もあくまで穏やかだった。これは彼女の性格によるものであったが、しかし傲慢さと上から目線はあからさまに現れている。これは絶対的強者としての自覚によるものであり本人に悪気は無かった、ある意味より悪辣だとも言えるが。

 

「別に大した用事でもないんだよ。それでもここで闘るかい?」

 

 ふ、と咲夜は一つ息を吐いた。正直な所この怪物を自分一人でどうこう出来るとは思っていない、スペルカードルールに則っとらなければ勝負にもならないだろう。

 

 しかし、もし自身の主人(レミリア)を害するつもりなら咲夜は彼我の実力差など無関係に殺す。それだけの話である。

 

「では何の用なのよ?」

 

 咲夜は威圧するためにあえて取っていた慇懃な態度を止めて尋ねた。

 

「ここに川上と名乗る男がいるだろう。一度顔が見ておこうと思ってね、連れて来てくれるかな」

 

 咲夜は口を開きかけて何も言わずに閉じた。何故と問いたかったがおそらく八雲藍の主人のスキマ妖怪絡みだろうと思った、あの妖怪は何かしら川上に関心がある様子だった。

 

 そして咲夜の考察の通り、八雲藍は主人の八雲紫から軽く聞かされた剣客の事をふと仕事が終わった後に思い出して折角だから一度見ておこうと思いここにいる。本当に大した理由ではなかった。

 

「…ちょっと待ってなさい」

 

 そう言い残し咲夜は煙のようにその場から消えた、時間停止によるゼロ時間移動。八雲藍は動かず待っていると1分程で咲夜は先程と同じ立ち位置に現れた。

 

「今呼んだわ、近くにいたからすぐ来る」

 

「わざわざすまないね」

 

 咲夜の言葉に八雲藍は穏やかな表情で労いの言葉をかけるが——

 

 ——そのままの体勢で両者が待ってから10分ほどが経過してしまった。

 

 咲夜は懐中時計を開き見てため息を吐いた。

 

「少し失礼するわ」

 

 そう言って再び咲夜はその場から消えた。八雲藍はあくまで穏やかな微笑を浮かべたまま終始表情を変えなかった。

 

 二分程して咲夜は今度は歩いて廊下を戻ってきた、一人の男を連れて。

 

 170センチ台半ばの中肉中背で礼服に身を包み、無造作に切られた艶のある黒髪に前髪の奥で三白眼になった髪と同じ色の吸い込まれそうに昏い眼。腰のベルトには一振りの刀を鶺鴒差しにして、眠たげというか投げやりというか陰性の雰囲気をまとったその男。

 

 その男を見て藍の発光しているかの如く金眼が一際強く光った。

 

「連れてきたわよ」

 

 川上を連れてきた咲夜はそう簡潔に藍に告げた。

 

「あぁ、ありがとう」

 

 そう答えた藍の言葉は何処か上滑りしていた、それどころではなかった。

 

 直感で藍はわかったのである。()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 年甲斐もなく男を見てこんな気分にさせられるとは、藍はそう自嘲した。自分もまだ若いということか、ともかく藍は声を出した。

 

「初めましてだね、私は八雲藍。君も会ったと思うが八雲紫様の式神をしている者だよ、以後よろしく」

 

 二人が並ぶと身長差はあまり無かった。藍は川上に特徴的な紙巻煙草の匂いを感じた、それに紛れてしまっているのか彼自身の体臭は薄い。

 

「初めまして、紅魔館使用人の川上という。所で一つ聞いても?」

 

「なんだい?」

 

 穏やかに応じた藍に川上は大真面目な顔と口調で言った。

 

「八雲紫とは誰だ?」

 

 藍は吹き出しそうになりすぐ横を向き俯いた。川上の肩を叩き咲夜が何事か川上に耳打ちをした、おそらく神社で遭遇したスキマ妖怪だと伝えているのだろう。

 

 彼は名前には無頓着であり、それを覚える能力にも欠陥を持っていた。実はレミリアの名すら覚えていない。

 

「失礼、以後よろしく頼む」

 

 彼の記憶の一人の妖怪と八雲紫という名前が一致したのか、川上は形だけ非礼を詫びつつ改めてそう言った。

 

「うむ」

 

 とりあえず意味なく相槌を打ちつつ、藍は一歩歩み寄った。先程の直感の通りだった、一秒毎に愛おしさが募る。

 

 ただの自己紹介だけでズレた性格が分かる、そして陰鬱な雰囲気に惑わされず見ると眼に一切の邪気が無い。藍には川上がどこか幼気(いたいけ)にすら見えた。

 

 どうしたものか、持って帰りたい。藍は素でそう思った。自身の式であり溺愛する橙にも抱くのに近い愛おしさを覚える。しかし、攫ってしまうのはまずいだろうと理性が告げる。

 

 そもそもこの手の男は体だけ手に入れても意味がないタイプだという計算も働く。まず心を開かないこの手のタイプには搦め手は必要なし。

 

 とん、とさらに藍は一歩出し川上に対して超近接距離に入った。川上は藍に花の甘い香りの中にほんの僅かに生き物としての生臭さが混じった体臭を感じた。有り体に言えば雄を欲情させる雌の匂い。

 

 藍は凄いな、と思った。川上はこの距離から警戒しているだろうに全くそれを感じさせず脱力を保ったまま藍を見るともなく見ている。空間で掌握されている感覚を藍は感じる。

 

 それを見ている咲夜は内心ハラハラしている。大丈夫だろうか、川上を見る八雲藍の眼の色が明らかに変わっているのに咲夜は気がついた。どうやらまた変なのに好かれたのか。

 

 藍は相手を刺激しないように袖からゆっくり手を抜き左手を伸ばし川上の頬に持っていった。川上は動かない。

 

 何かされるか?大丈夫だろうか、川上が動かないから大丈夫か。咲夜は何か異常があれば即座に動けるように川上以上に身構えていた。

 

 すっ、と藍が上体を倒し顔を寄せた。藍は視界の端で川上の左手を見る、鯉口には伸びない、表情も動かない。行けるか。

 

 そのまま藍は最後の数瞬はままよと眼を瞑り、顔を傾けて川上に口付けをした。川上は一切動かない。

 

 キス、か?粘膜接触による何らかの術を使われ、いや、川上なら気付くはず、動かない、大丈夫そう、か?咲夜はそう連続的な思考の中でいつでも動けるつもりだが、身構え過ぎて全身が硬直しているのに気がつかない。

 

 唇同士の表面的な接触を二秒だけ続けて藍は離れた。どうやら妙な事はされなかったらしいと咲夜もホッと息をつく。

 

「ご馳走様」

 

「お粗末様」

 

 柔らかい笑顔で言った藍に川上は皮肉なのか真面目なのかわからない口調で返した。これで好意は示せただろうと藍は思う。全く表情を変えてくれないのが寂しいが。

 

「また会いにくるよ」

 

「構わないが、しかし」

 

 藍はしかし、なんだと構える。川上は手で藍の後ろの咲夜を示した。

 

「館の通行許可はメイド長か門番に」

 

 くっ、と藍は一つ笑って言った。案外に律儀なところが見れて得した気分だ。

 

「フリーパスだから大丈夫だ」

 

 川上がそうなのか、と咲夜に眼を向けるとそんな訳ないでしょう、と咲夜は首を振った。

 

「では失礼するよ」

 

 そう言い残し藍は踵を返して歩き去っていった。それを見送りながら咲夜はぼんやりと害意が無ければキスくらい出来るのかと思った。ちょっと自分もやってみたくなったが狐の後というのは癪だ。

 

「何もされなかった?」

 

 咲夜は念の為に川上に尋ねた。

 

「特には」

 

 川上は懐から煙草を取り出しながら一言で答えた。


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