武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第104話

「咲夜」

 

 深夜二時、スカーレット姉妹の食事が終わった後の片付けを厨房でしていた咲夜。その背中にいつのまにか入ってきたレミリアが声をかけた。

 

「なんでしょうか、お嬢様」

 

 咲夜はお嬢様が厨房に立ち入るなんて珍しいな、と思いながら作業の手を止めて問いかけた。その時気付く、いつものナイトキャップをしていない。

 

 レミリアは咲夜のエプロンの裾をくいと引き、甘えたニュアンスで言った。

 

「抱っこ」

 

「今日は甘えん坊ですのね」

 

 そういいながら咲夜はしゃがんで目線を合わせた。全く不思議な御人だと咲夜は思う。ついこの前のように王の風格を見せることもあれば、落ち着いた淑女のようにも振る舞う。時には見かけのまま、いや下手したら見かけ以上に幼い一面も見せる。

 

 咲夜はレミリアを両腕で引き寄せ抱き締めた。そしてしばし頭を撫でる。そしてそのまま横抱きにして立ち上がった。

 

 咲夜は慈しむようにレミリアを抱いた。

 

 いとしい、いとしい、私のお嬢様

 

 私は最後まで貴女と寄り添います。

 

 レミリアは腕の中で目を細めて咲夜の胸に顔を寄せた。穏やかな心音が伝わってくる。胸の大きな美鈴と違い、咲夜の胸は僅かな隆起がある程度の乳房とも言えぬ薄い胸だった、レミリアは咲夜のこの胸が落ち着いて好きだった。

 

 レミリアはしばし穏やかに咲夜の心音を聞いていたが、カチャと小さなな音を聞きふとそちらに目を向ける。

 

 川上がテーブルの上の銀食器を黙々と磨いていた。レミリアは固まった、厨房には咲夜以外メイド妖精も誰もいないと思っていたのだ。

 

 一部始終を見られていた事に気付いたレミリアの顔が真っ赤になった。それを見て怪訝に思い咲夜もレミリアの目線を追う。

 

「あ」

 

 咲夜は今思い出したという声を出した。そう言えば手伝いでいたのである。黙々と仕事をしている川上は存在感が路傍の石のようになってしまうため失念してしまった。

 

 どうも主人は見られたくなかったようだ。まだ川上に対してはちょっと見栄を張りたいのだろう。もっとも気にすべき相手では無いと咲夜は思った、どうみてもただ手元の作業だけにしか目を向けていないあの男はこちらに関してなんの感想も抱いてはいないだろう。

 

 とりあえず主人に気を利かせて、咲夜は何も言わず赤面したレミリアを抱っこしたまま厨房から出て行った。

 

 川上は一人、黙々とシルバーを磨き続けていた。

 

 

 

 フランドールは自室で紙に絵を描いていた。

 

 鉛筆を用いて画用紙に素描をしている、描いているのは紅魔館地下図書館の住人、パチュリーだった。

 

 本人がモデルとして目の前に居るわけでもなく、おそらく記憶をもとに描いているのだろう。椅子に座ったパチュリーの絵は妙に精巧に描かれており、陰の濃淡もつけられている。

 

 これは鉛筆を用いて描写するという作業を通じて力の加減を学ぶ為の、姉に言われて始めた訓練だった。しかし描き初めてみると段々と誰に教わったわけでもないのに妙に上手いデッサンを描いてみせてレミリアを驚かせた。

 

 フランドールの描くパチュリーの絵には何故か身体のところどころに黒く塗り潰した丸がいくつか書き込まれている。丸は中心の周りは塗り潰されてはおらず目の光彩を思わせる。

 

 フランドールの見る世界はそのように見えているのだろうか。

 

 フランドールの部屋は荒れていた。部屋の壁や天井に大小の抉れがいくつかあり、千切りられた熊のぬいぐるみの四肢や首が並べられている、上半身と下半身に分けられたアンティークドールが机の上に置かれている。

 

 しかし、ただ荒れているだけではない、何か奇妙な印象を抱かせる部屋でもあった。家具も新品のようなベッドもあれば半分が千切れとんだような壊れた机もある。

 

 しかも、家具の配置が無秩序だった。部屋の隅に本棚を置くとか、椅子とテーブルと向かい合わせるとかの普通なら誰でもそうするセオリーのようなものを無視し。何故かベッドがドアの前に置かれていたり、本棚が部屋の中心やや外れた所に置いてあったり、椅子は横倒しになっていたりした。

 

 千切られたぬいぐるみもよく見ると、妙に理路整然と並べられている。

 

 一見すると滅茶苦茶である。しかしこの部屋はフランドールにとっての聖域であり、彼女の中の決まった秩序に基づいている。この部屋のフランドールが決めた秩序を把握しているのは現状レミリアと咲夜だけだ、掃除は咲夜しか出来ない。

 

 この部屋に立ち入る者は殆どいない、不可侵の領域と館の者は認識している。昔、フランドールと意気投合し遊びに来たメイド妖精が何気なく並べられた千切れられたぬいぐるみの足を3センチ程ズラしてしまった結果、癇癪を起こしたフランドールに()()されてしまった事があった。

 

 この部屋は他の者からみると滅茶苦茶で意味不明、フランドール当人にとっても特に意味はない。しかし彼女にしかわからない収まりがある。

 

 そう意味不明といえば今はもう一つこの部屋に意味のわからないものが存在する。

 

 壁際に座って、床に置いた画用紙に眼を落とし、右手の鉛筆を迷いながら走らせている、自身の右手側に一振りの刀を置いた礼服の青年。

 

 川上である。何故彼がこの部屋にいるのか。

 

 簡単な話である、彼にとってはこの部屋に居てはいけない理由はない。つまり川上にとってここにいるのに意味はない。ただ足が向いた、などの理由だろう。

 

 フランドールも自身の部屋の無秩序な秩序を崩そうとはしない川上がいることを許していた。

 

 そうして川上はフランドールに何気なく絵を描く事を勧められて、共に絵を描いていた。

 

 なんとなしに部屋に横倒しになっていた椅子をモチーフとして描き始めたが、しかし彼の素描はフランドールのそれと比べると一見で素人のものと分かる粗末なものだった。

 

 武芸者の定義の一つに、芸の一文字が入るように武だけではなく芸事や遊芸をを嗜む者という考えがある。例えば書や絵画などを残している宮本武蔵などが有名であろう。

 

 その考え方からすれば、川上は武芸者としてはまだ未熟だったのかも知れない。遊芸の類いはあまり得意ではなかった。

 

 それにモチーフをありのまま観察するというのも難しかった。彼の視界はノイズがかかり過ぎるのだ。

 

 フランドールは一枚描き終わると紙の隅に数字を書き込んだ。059312147。サイン代わりなのか、これも全く意味のない数字の羅列であるがやはりフランドールのみに分かる秩序だった。

 

「描けた?」

 

 フランドールの問いかけに川上は頷いた、彼もとりあえず描きあげた。始めた事なので一応は形になるまではやった。

 

「見せて」

 

 言われて川上は歪んだ椅子の描き込まれた紙を手渡す。

 

「下手くそだね」

 

 しばしその絵を見つめてフランドールは一言で切って捨てた。川上も全くと追認する。逆に上手いと言われたら当惑する類いの絵なのだから。

 

 フランドールは自身の絵は見せる事はせずに壁際であぐらをかく川上の懐に背を預けてフランドールも座った。

 

 ふぅ、とフランドールは落ち着いたように一息ついた。

 

「最近ね」

 

 そして唐突にフランドールは語り出した。

 

「お姉様やパチュリーに、成長したね。偉くなったねって。言って貰えるようになったよ」

 

「でもね、悲しいって思った時も笑って。怒った時も出来るだけ我慢して」

 

 いつもより子供じみた口調でしかしどこか淡々としたフランドールに、川上はぼんやりとした眼で口を挟まず黙って聞いている、あるいは聞いていない。

 

「そうしないとみんなをガッカリさせちゃうから」

 

 そしてフランドールは寂しげに笑った。何かが足りないのだ。

 

「そんな時、私、嘘ついてる。私はこんなんじゃないのにって、嫌な気持ちになる」

 

「みんなそうなのかな」

 

 フランドールの問いかけともとれる言葉にも川上は何も言わない。彼にはそもそも答えなどわからない。

 

「貴方は」

 

「貴方は嘘を言わないのね」

 

 高く甘い、そして何処か冷たい声でフランドールは言った。フランドールは背を預けているため川上には彼女の表情は見えない。

 

「だけど多分本当の事も言わない」

 

「大変だな」

 

 そこで初めて川上は口を開いた、月並みな感想にフランドールの頭に疑問符が浮かぶ。

 

「誰かに期待するのも、期待されるのも」

 

 極めて抜き身な感想だった。ふふ、とフランドールは笑った。あぁ、そうか。

 

「貴方は楽に生きてるのね」

 

 フランドールは足りないのではない、きっと捨て切れないだけなのだ。

 

「私はそうはなれなかったな」

 

 そう実に495年。それだけたってしかし捨て切れない。

 

 だってみんな優しかったから。

 

 

 寂しげな少女が拠り所を求めるように背中を預けてきて、腕を回して抱きしめる事くらい簡単に出来る事だった。しかし川上という男は決してそれをしなかった。

 

 それはただ単に彼にとって意味がないからしないだけかも知れない。

 

 あるいは、理解していかからかも知れない。安易な優しさはどんな暴力よりも残忍な事だという事を。


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