武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『道具』


第105話

 月が満ちた夜道、場所は知れない。

 

 白い着流しに身を包んだ男は咥え煙草で月を仰いだ。

 

 20代前半だろう、その男。艶のある黒髪だが無頓着に切られ、前髪の奥から覗く三白眼は夜の暗に瞳孔が開らいていつも以上に黒く昏い。顔立ちは割と整っていた、しかし全体として纏った雰囲気は深さと不吉さがあり彼の魅力を損なっていた。

 

 帯に一振りの刀を差し、さらに背に野太刀を紐で背負う。雪のように真っ白い着流に身を包んでおりながら発散する陰気故まるで幽鬼の如く感じられる。

 

 現在紅魔館、下っ端使用人の川上である。館を抜け出し今夜は何処へいくのか。

 

 無論決まってはいない。例によってただふらふらと散歩しているだけだ。何処へいくのか、いつ戻るのかといった事は川上すらわからない。

 

 彼は煙草を落とし踏み消すと歩き出した。

 

 暫し歩いた時茂みから一匹の山犬が姿を現した、気が立っているのか飢えているのか唸りを上げて川上の前に立ち塞がる。

 

 大きな赤毛の日本犬だ、しかし川上を見上げて牙を剥いて唸る様は飼いならされた犬ではなく狼を思わせる。背筋が冷たくなる殺気と迫力はたかが犬と馬鹿に出来たものではない。

 

 川上は無言で犬を見据えた。特に何をしたわけでもないが、自然と犬は唸るのをやめた。そして恐る恐るという風に歩みを進めて川上の足元にやってきた。

 

 川上はしゃがむ。すると大体目の高さが合うくらいには大きな犬だった。彼は手を伸ばして犬の首元を撫ぜた。

 

 短く、硬さとしなやかさのある毛皮は心地の良い手触りだ、犬も気持ちよそうに身を任せていた。暫し川上は手触りを楽しみ立ち上がる。犬は川上を見上げていたが川上は既に目線を切っていた。

 

 川上が歩き出すと犬はその場で動かず少しの川上の背を見送り、やがて自然と自身も川上とは逆方向に歩き出した。

 

 一人と一匹が交わり別れてから半刻程また川上が歩いたころ。

 

 小さな声がどこからか聞こえた気がした。細い、どこからとも響いたとも知れぬ女の声のような。

 

 川上は特に気にする様子もなく、歩みを止めない。だがその時。

 

「当たって…砕け…」

 

 今度の声は明瞭だった。

 

「うらめしやー!」

 

 元気よく木陰から川上の前に飛び出したのは青い影。川上は立ち止まった。

 

「うらめしやー!…あれ?」

 

 飛び出して来たのは、水色の髪と髪と同じ水色と赤色の虹彩異色の瞳。愛らしい顔に悪戯っぽい表情を浮かべている。服装も上は白いシャツの上から水色のベストを着込み、下も水色のミニスカート。素足に下駄を履き。手に大きな紫の傘を持つ。

 

 全体としての色合いが空を思わせる小柄な少女は付喪神、多々良小傘だった。

 

「今晩は」

 

 相手の求める所がわからない川上は取り敢えず挨拶し。

 

「今晩はー!…驚いてくれない?駄目かー」

 

 小傘は元気よく挨拶を返して、しかし相手を驚かすという目的が達成出来なかった事に息を吐いた。

 

「暗いし、夜道だからいけると思ったのにー」

 

 月が満ちているとは言え他に光源のない幻想郷の夜道は暗い。新月なら伸ばした腕の先が見えないくらいの闇に覆われる。確かにいきなり飛び出してくれば驚く人もいよう。もっとも驚かすという意図にしては爛漫過ぎたきらいはあるが。

 

「あれ、その刀、貴方お侍さん?」

 

 今夜は妙なのに出くわすものだと思い、しかし相手にもう用がないなら立ち去ろうと川上が思いかけた時、機先を制するように小傘が言った、何か興味を抱いたように。

 

「見せて」

 

 いきなり妙なのに絡まれて、差料を見せろと言う。夜盗かもわからぬ相手の言葉に応じる者などまずいまい。

 

 しかし川上は小傘の悪戯っ子のような顔の眼の光に何かを感じたのか。無言で鞘を払い、抜き身を懐紙で挟み小傘に手渡した。

 

 小傘を傘を折りたたみ下げると刀を受け取り、それを手に月明かりに翳した。この暗さでは鑑賞も何もあったものではないと思うが。

 

 まだ幼さが残る少女。武芸に長けてるとも見えない小傘が刀を掲げる姿。しかし川上は小傘に刀が妙に様になっていると感じた。

 

「金がいい、堅そうに見えて刃の粘りも悪くない。安定でも中々良い出来。いい刀を使っているね」

 

 この暗闇の中、一見で小傘はそう評した。驚くべき事だった。暗闇は妖怪故に夜目が効くのかも知れないが、しかし、中子を見たわけでもなく。化粧が落ちて見えにくくなった金を見ただけで刀工まで言い当てた。

 

 剣術使いには見えないが、おそらく刀剣の専門家。刀剣を取り扱う商人か、いや。

 

「刀工か」

 

 多々良小傘。鍛冶を得意とし、刃物を鍛造する腕は確かである。武具も、刀も彼女は打つ。

 

「貴方も凄い腕だね、この時代の刀の体配は癖があるのに。ここ最近だけで数人は斬って一切疵らしい疵も捻れもない。刃筋に一切の狂いがないとこうはいかないよ」

 

 刀を見るだけで使用状態と川上の技量を見抜く慧眼。

 

「自然に刃を通せばいいだけだ」

 

「ふうん、安定をこう使えるんだ。うん」

 

 事も無げに嘯く川上に、小傘は何か思いついたように頷いた。

 

「貴方私の工房に来て」

 

 

  案内された場所は二人が出会った所からほど近く。人気のない所に多々良小傘の工房があった。

 

「どーぞ、入って」

 

「お邪魔する」

 

 小傘に言われるがまま工房に立ち入る川上。川上は鍛冶場に興味を抱いたのであろうか、しかし小傘は何故人間をわざわざ仕事場に呼び寄せたのか。

 

 入って所は雑多な道具やらがいっぱいのごみごみした場所だった。隣はどうやらこの工房の心臓部である鍛冶場らしい、川上は申し訳程度に置かれていた椅子に腰を下ろした。

 

「お茶飲む?無いんだけどねー」

 

 冗談のつもりか爛漫に笑いながら傘を傍に自分も座った小傘に、川上は特に何も言わず煙草に火をつけた。

 

「見ないの?隣?」

 

 鍛冶場であろう、炉やふいご、金床やら水槽やら当然揃っており小傘の誇りだ。

 

「いや」

 

 川上はわざわざ鍛冶場を見学というつもりな無いようだ。おかしな事ではない、刀は道具だ。コンピュータがどう作るのか、製造工程を知らずともコンピュータという道具を使う事は出来る。彼は刀という道具を作る工程にはさしたる興味はない。

 

 

 しかし、鍛冶場は女人禁制では無かったかとどうでもいい事を考えていた。もっとも歴史上女人の刀鍛冶も居ないわけではなかった、この幻想郷で突っ込むべき事では無かっただろう。

 

「わざわざ鍛冶場の案内に呼んだ訳ではないだろう」

 

 紫煙を吐きつつそう低く抑えた越えで川上が言うと、小傘はちょっとむくれた。

 

「そうなんだけど、少しくらい興味持ってくれても」

 

 そうぶつくさといいつつ小傘は工房の一角を指差した。

 

 刀掛けに黒漆の無骨な天正拵が一振り掛かっていた。本身が入っている事を川上は見抜く。しかし何故工房に拵に納めた状態で置いてあるのか。

 

 川上は煙草の火を消すと立ち上がって歩みより、刀掛けから刀を取った。そのまま作法に則り刀を掲げ。

 

「刀礼はいいよ」

 

 頭を下げかけた川上を小傘は制した。それに思う所があったのか川上は首だけで振り返り、そこで初めて小傘をちゃんと見た。二秒程見据えて刀に向き直り、鞘を払った。

 

 言うまでもなく小傘自身の作刀だろうそれは、しかし奇しくも安定と同じ江戸前期に特徴的な体配、寛文新刀の姿をしていた。反りは目視で殆ど感じられないほど浅く直刀に近い。小切先になり元と先の身幅に開きがある。尺は二尺三寸六分といった所か。

 

 当然最近打ったものだろうが、しかし何故寛文新刀期の代配で打ち上げたのか。続けて金を見る。

 

 それは妖怪が鍛えたというにはあまりに健全な地金をしていた。健全といっても状態の事ではない、一箇所地金に膨らむような鍛え割れがあった。しかしあまりに丁寧に鍛錬し真摯に鍛え込んだ、そういう詰んだ板目肌をしていた。

 

 刃文は直刃だ、面白みはないが綺麗に真っ直ぐ刃文を焼くというのは相当の技量を伺わせる。刃中には匂いが付き、白い粒子が刃文に沿って走り二重刃のようになっており、雲をどこか思わせる。

 

 全体で見ると派手さや華やかさといったものは感じられない。ただこの刀に込められた思想は端的だ。強くあれ。粘り、切れろ。ただそれだけを思い叩き、鍛え、焼き、なましたのだ。

 

 その願いを一身に受けた刃は透き通っていた。川上はその刃に青空を感じる。

 

「銘は?」

 

「銘は切った事ないよ、必要?」

 

 川上の問いに小傘はそう返した。無銘。だが川上の腹にはストンと落ちた。この刀には、いやこのような刀を鍛える刀工にはふさわしくあった。

 

「寛文期の刀は特徴的だよね、無骨で。反りも浅いし突きに適して斬るには適さないと言われるけど」

 

「そうは思わない」

 

 小傘の言葉に川上は否定を返した。小傘は面白そうに笑って続けた。

 

「そう、同時期に試し切りが盛んに行われるようになったんだ。そして寛文新刀も沢山試された。その結果から私も貴方と同じように考えたの」

 

「癖はあるけど、単純に刃味だけでいうなら一番じゃないかって」

 

 そこまで言って小傘は川上の手の中の作刀を指した。

 

「だからここ最近工夫してみたの。出来が一番綺麗だったのは里の刀剣商が買っていったんだけどね、そのお金で拵えを作らせたんだ」

 

 つまりこの刀は影打ちに当たるという事だろう、おそらく大きな鍛え割れのせいで刀剣商の目には止まらなかったのだろう。しかしわざわざ拵えまで作ったのなら。

 

「疵はあれど出来は劣らないという訳か」

 

「それは違うね、それが()()()()()()なの、商人も見る目がないね」

 

 べ、と舌を出してそう言って小傘は笑った。彼女は機能を損なう訳ではない疵など何も鑑みないようだ。

 

「値は?」

 

「何せ一番の出来だからねー。でもまぁ、お値段の方は大勉強って事で」

 

 そういかにもな前口上で告げた値段は、しかし本当に安かった。妙だと川上は思った。刀は刀工一人居れば作れるというものではない。武器として設えるには研師、塗師、鞘師、柄巻師、白銀師、鐔師。刀工の他にざっと言ってこのくらいの職人が関わる。拵を作らせたと言っていた、質素だが実質剛健な拵に見える。当然他の職人に作らせ必要経費がかかった筈だ。

 

 刀一振りにちゃんとした拵えを作らせれば、ものにもよるが比較的安価な刀一振り分の値段がかかってもおかしくない。小傘の要求した値段ではどう考えても足が出る。

 

「随分安い」

 

「ははは。正直な所をいうと、この値段じゃ持ってけドロボーって感じに近いかな」

 

 川上の感想に小傘は爛漫に笑いながら言う。それはおそらく事実なのだろう。

 

「でも、その安定を見てわかったの。貴方はそれを使うに相応しいって」

 

 ふと、爛漫な笑みから何処か哀愁を感じさせる微笑に変えてポツリと小傘は言った。同じ寛文新刀を使っていたから、というでけではなさそうだ。

 

「私も今はこんなナリだけどね、もともとは物だったんだ」

 

 小傘は傍の毒々しい色をした傘を見やって言った。

 

「貴方は物を道具として正しく使ってくれる、大事に正しく、容赦なく使い潰す。道具に取ってはそれが一番嬉しいの」

 

 刀は——刀は武器である。道具である。物であり、消耗品だ。それが本質。ただ蔵に納めて代々守っていく事が大切にする事という訳ではない。元は同じ物であった小傘はそれが痛いほどわかった、そしてそうして物として使ってもらい、壊れる。小傘が切望ししかし得る事が出来なかったのだ。

 

「私は貴方にその刀を使って欲しい」

 

 もっとも、全くのタダっていうのは可哀想だからねと小傘は笑った。

 

 川上は刀を納めて、置くと懐から手持ちの金を全部出して小傘に渡した。

 

「前金だ。不足分は3日以内に払いに来る。俺は川上という、今は紅魔館に居る」

 

 川上が給金として貰っているのは大した額でもないが、死体から金を回収したりしてる事もあり充分払える範囲だ。

 

「私は多々良小傘、刀は持っていっていいよ」

 

 自身も遅れて名乗りながら、立ち上がり物置になってる一角を漁った。

 

「これ休め鞘。合わせものだからサービスね」

 

 買い上げた無銘刀を取った川上に、小傘が白鞘を差し出した。柄はない、必要ないのだ。

 

 小傘は刀袋に包む事すらしなかった。川上は刀をそのまま腰に安定と共に二本差しにして、結ばれていた下緒を解き帯の前で結ばずに軽く通した。

 

「新身だから、良く油を馴染ませてやってね」

 

「あぁ」

 

 打ち立ての刀は錆びやすいので頻繁に手入れが必要となる、川上は返答した後小傘に向き直った。

 

「確かに使わせて頂く」

 

 そう言って一礼をした。彼がいつも行う形式的な礼より幾分敬意が篭っているように見えたのは気のせいか。

 

「うん」

 

「ありがとう」

 

 小傘はただ嬉しそうにそう返し。川上は踵を返した。良い、良い物を手に入れたと充実感を胸に。


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