武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『首級』


第111話

 かつん、かつん、と音が響く。

 

 まだ、目新しい鉄骨の階段を一人の男が降りていた。

 

 黒い礼服に身を包つみ、適当に切られた黒髪。顔立ちは比較的整ってはいるが、三白眼になりがちな坐った眼に陰性の雰囲気を発散して何処か近寄りがたい空気を纏った二十代前半と思わしき青年。

 

 紅魔館使用人の川上である。彼は腰のベルトに一振りの刀——大和守安定をたばさみ、無銘の野太刀は長寸ゆえ腰には差さず背負っていた。

 

 コツリ、と足元のローファーが音を立てて川上は地の底に降り立った。

 

 彼は今しがた自身が降りてきた鉄骨の組まれた大きな縦穴を見上げる。随分深くまで降りたらしい。何気なく散策していて見つけた大穴。降りられるようなので何気なく降りてみた。

 

 幻想郷の地下に広がる地底。そんな話を誰かに聞いたような気がした、おそらくここが入り口ではないかと川上は考えた。

 

 目線を上から戻す。洞窟になっているようだ。しかしここですら既に薄暗く洞窟の先は光源もなさそうだ、足場もおぼつかない中で暗闇の洞窟を行くなど準備がなければ論外だろう。

 

 川上の鋭敏な皮膚感覚と眼ならその限りではないがしかし彼でも光源があるに越した事はない。川上は懐中から小型のマグライトを取り出した、普段は外している電池を入れる。

 

 彼はライトを点けてしかし、体の前で構えずに体の軸から外した所でライトを構えて歩きだした。

 

 しばし歩く、非常に広いが中々に足場が悪い。川上は洞窟の天井にマグライトを向けた、所謂鍾乳洞という奴なのか氷柱状の鐘乳石が見受けられる。中々見事なものだ。

 

「嬉しいな」

 

 ふと、その時声が聞こえた。高く澄んだ、幼い女の子の声。

 

「どうしてこんな所を一人で歩いてるの」

 

 声は洞窟の中を反響するように聞こえた。まるで全ての方向から音がやってくるようで、何処から声が発せられてるのか全くわからない。川上のライトの光の範囲外は真っ暗で何も視認する事は出来なかった。

 

 しかし、川上は返答も、声の主を探す事もしなければ足も止めずに歩いていた。

 

「貴方の首、私に頂戴」

 

 その発言と共に濃密な殺気が川上に向けて殺到した。その途端マグライトが川上の手を離れたのか自由落下し、カツンと音を立てて地面に落ちて転がって止まった。

 

 洞窟内で見えるのは地面に落ちたマグライトが照らす僅かな範囲のみで、それ意外の空間は黒で塗り潰したような闇だ。辺りにはどろりとした殺気が漂うのみで音もせず、姿も見えずに川上もその対敵も伺いしれない。

 

 数秒の静寂の後にガッと硬い音と高い少女の鋭い悲鳴が上がった。ガンッと音がして丁度マグライトの光の範囲に悲鳴の主が倒れ込み、その姿が見えた。

 

 地面に倒れ込み右の腋より下、肋骨側面を押さえているのは、まだ7歳以上ではないだろうというような幼い体躯とまだ綺麗というより可愛らしい印象の強い顔立ちの女の子だった。白い襦袢に身を包み、緑の髪をツインテールにしている。

 

 傍らには桶が転がっていた、それごと貫かれたのだろう桶には細い穴が空いており、傷は深く急所をやられたのか押さえた手の下から血が壊れた蛇口のように溢れていた。

 

 洞窟や井戸を縄張りとする釣瓶落としのキスメであった。彼女は人を見ればとりあえず殺すという可愛い顔をして割と残忍な性格の妖怪らしい妖怪だ。

 

 キスメは咄嗟に転がる桶を右手で掴み投げると、すぐさま地を蹴って飛んだ。ほぼ同時にガンと桶が硬い何かにぶつかった音がして同じくライトの範囲に入った黒衣の川上が剣を振るう、キスメの右腕が上腕の半ばで落ちたが僅かに離脱のほうが速かった。

 

 トッと音を立てて川上も飛び技でまたライトの範囲外へと消えた。二、三軽い地面を踏む音と共にパシンという小気味よい音が聞こえたがもう悲鳴は聞こえてこない。

 

 軽い足音を立てて光の中に戻ってきたのは血刀を引っさげた川上だった。襟口にポツポツと返り血が付いていた。川上は地面に転がる小さなキスメの腕を剣で刺して、重くなった剣先を持ち上げ串刺しになった腕を観察した。

 

 仕損じたか、とぼんやりと川上は思う。三太刀目は首筋に打ち込んだがそれでも仕留めきれず逃してしまった。

 

 まだまだ未熟だなと川上は痛感した。しかし客観的に見て幻想郷に来てからの彼の剣の冴えは明らかに凄味を増してきている。三太刀共に致命傷を与えており恐るるべきは妖怪の生命力か。

 

 川上は自嘲気味に小さく笑みを浮かべて剣を血振りして刺さった腕を飛ばすと、懐から取り出した紙で丁寧に拭い鞘に納めた。頬に付いた血を手の甲でぐしりと拭う、猫が顔を洗うかのような仕草だった。

 

 そして、落としたマグライトを拾い上げると、コツリコツリとゆっくりと再び歩き出した。

 

 暫し歩くと洞窟を抜け、途端に視界と空間が広がった。明るい、とまでは行かず少々薄暗いが充分な光量がある。驚くべきは空間の広さか、地下にこんな世界があるとはと川上は少々感心した。

 

 川上はマグライトから電池を抜き取り懐に納めた。技術力に極端な歪みがあるらしい幻想郷においては電池一つも入手するのは難しいだろう、温存するに越したことは無い。

 

 改めて目の前の光景に身を向ける、取り敢えず眼前にあるのは河だった、地下にこれ程のと思える程度に川幅がある。しかし檜造りの古い和的な味わいのある橋が架かっている、であれば特に問題ないだろう橋を渡れば先に進める。わざわざ何がいるか深さもわからぬ川を横断する選択をするものはまずいないだろう。

 

 少々気になる点を述べれば橋の上、欄干に寄りかかって佇んでいる女性が川上の方を見ているくらいか。

 

 川上はその人物に眼を合わせて眼を細めた、2秒程の観察で興味を失ったように視線を切った。彼は躊躇なく橋を渡る。

 

 が、しかしというかやはりというかその女は身を起こすと川上の進行方向に立ち塞がった。


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