武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『悲恋』


第112話

 十六夜咲夜は最後まで人間である。

 

 咲夜は主のレミリア・スカーレットに紅茶を淹れていた。いつもの、かつては焦がれても得難かった日常。

 

 彼女の淹れた紅茶を一口飲み微笑む主、レミリアは愛らしく幼い少女の姿をした吸血鬼。十六夜咲夜にとって愛しい愛しい化物(あるじ)だ。

 

 かつて、まだ十六夜咲夜ではなかった一人の幼い化物がいた。

 

 幼きころから当たり前のように使えた時を操る奇術。生まれ持ってその少女には当たり前だった力。それが一般の大衆にとっての異常であると幼き少女には分別がつかなかったのは無理からぬ事だろう。

 

 少女が鬼子として扱われるのは必然だった。ありえない異能力を持つ化物、親にも捨てられ誰からも迫害される事となる。

 

 麗しい銀髪に整った顔立ち。しかしそれも見方によれば魔性と恐れられた。

 

 この世には事実として存在するのだ。常人の常識を全て覆す能力を持った人間が生まれてきてしまうという事は。

 

 もっともそのような異端の子供は生まれてきても大抵は生きる事が出来ずに、10人中9人は死ぬ。

 

 何故か?考えるまでもないだろう。周囲の人間がそんな異端者を見逃すわけはない。迫害により殺されるか、生きられずに死ぬか、自ら命を断つか。

 

 だが銀髪の少女はしぶとかった。迫害の中、世界から弾かれるような感覚の孤独の中で這い蹲り泥水を啜っても必死に生き延びたのだ。

 

 時を止める能力。この異能力さえなければ彼女は普通の人間として生きられたはずだ。こんなものがなければと思った。だがまともには生きられない少女が今日まで生きのびれたのも能力のおかげであった。二律背反。

 

 皆が自分を化物だと言う、ならば化物になってやろうじゃないか。

 

 少女の能力は殺人には非常に便利であった。彼女は当時正しく化物であったのだ。

 

 だが。

 

 十六夜咲夜は今でもはっきりとあの時の事を覚えている。

 

 大きな月を背にした紅い悪魔。本物の怪物を眼にした圧倒的な恐怖、同時に美しいと感じた少しの感動。衝撃だった。

 

 おそらく十六夜咲夜の身が朽ち果てるその時まであの時の光景が色合わせる事はないだろう。

 

 紅い悪魔は嗤って少女を有象無象の人間に過ぎぬと断じた。

 

 そして少女自身も本物を前にして一目で理解した。自分は化物なのだなどと悲劇のヒロインぶっていた、その驕り高ぶった鼻っ面を完膚なきまでにへし折られた。

 

 こうして少女は人間になれたのだ。

 

 十六夜咲夜は最後まで人間である。

 

 人間である事に拘り続けるのはかつて自身を人間扱いしなかった周囲に対する意趣返し、単なる意地でもある。人間である事は彼女の意地だ。

 

 そして何よりレミリア・スカーレットにより人として生きる事の許された十六夜咲夜の、レミリアと共に寄り添う決意だった。

 

 

 

 幻想郷、地底。

 

 川に架かる橋の上で黒い礼服姿で刀を帯びて野太刀を背負った男は川上である。

 

 立ち止まった川上の前には女性が一人。

 

 平均よりやや小柄な女性はあまり明るくはない金髪の少し癖のあるショートボブ。やや釣り目がちな緑眼は負の感情に囚われてるように暗い印象を与えるが不思議と澄んだ眼にも見える、少し幼さを残した綺麗な顔立ちだった。服装はペルシアンドレスにも似た特徴的なもので、服の縁には橋を模した意匠が凝らしてあった。

 

 橋姫であり、地底と地上を繋ぐ橋の番人の様な存在でもある水橋パルスィである。

 

「こんにちは」

 

 進行上に立ち塞がった相手を無視して横を通り過ぎる。とはせずにとりあえず川上は当たり障りない挨拶をした。

 

「人間がわざわざこのようなところに何の用?引き返して光差す地上に戻った方がいいわ……と言いたいところだけど」

 

 パルスィはただの人間である川上に親切にも忠告を与えた、と見せかけてスッ、と川上の昏く沈んだ眼を見て続けた。

 

「貴方は私達寄り、ね。光の下を歩くのではなく、光の差さない地の底を這い蹲るのがお似合いの文字通りの日陰者」

 

 川上は何も言わずに懐からゴールデンバットのパックを取り出し、一本咥えてマッチで着火した。

 

「誰からも認められる事が無かった、そういう眼をしているわ」

 

 川上は旨そうに紫煙を吐いた。地底は湿度が高いのか煙草がいい具合に甘くなった。

 

「そして、貴方自身誰も認めない。それでいいと、どうでもいいという眼」

 

 パルスィは川上を睨めつけながら苛ついたようにギリっと爪を噛んだ。

 

「妬ましい……どうしてそんな割り切った眼が出来るの、まるであの巫女のよう」

 

「それで、何がしたい?」

 

 川上は随分と一方的に捲したてるなと思いながら一服した、結局相手が何を求めているのか分からず言った。

 

「別に何もしたくないわ」

 

 それだけ言って、パルスィは道を開けてまた欄干に寄りかかった。川上は咥え煙草で歩き始める。

 

「貴方、名前は」

 

「川上」

 

 横から掛かった問いに川上は歩みを止めず、向き直りもせずに一言で返した。

 

「忘れるまでは覚えておくわ」

 

 パルスィの答えには応じずに川上はさっさと橋を渡り先へと進んだ。

 

 再び短い洞窟を通り、抜けた川上は周囲を仰ぎ感嘆した。

 

 地底、巨大都市の旧都。

 

 その名の通りまるで古の都を思わせる古い町並みだ。人里も古めかしかったがここはそれ以上。タイムスリップでもしたかのようだ。

 

 薄暗い地下の古い都。非常に味わいがあった。しかし驚くべきは広さであろう、上を仰いだ程度ではこの都の端は何処だか検討がつかない。地下都市だから所謂ジオフロントと言うべきか。

 

 川上は好奇心を刺激されたのか珍しく眼が光った。そして散策を始める。

 

 暫し歩くと繁華街のような場所に出た。地下世界とは言えかなり賑わっており活気がある。住人は大半はやはり妖怪のようだ、姿は人とは変わらないものから亜人じみたもの、完全に人型から外れた奇妙な存在まで出揃っている。

 

 人里は主に人間で賑わっていたが、ここはその逆か。

 

 ふと川上は立ち止まる、紅魔館を出てからだいぶ経つ、空腹を感じた。帰るにしても労力と時間が必要だ。

 

 川上は歩きながら眼を走らせる。一軒の食事処を見つけた、今は食事時としては中途半端な時間な為に客の入りは疎らなようだ。

 

 腹ごなしをする事を決めて川上は暖簾をくぐった。


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