武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『暴力』


第114話

 幻想郷、地底。

 

 旧都の一角にて人垣が出来つつあった。

 

「勇儀さん!」

 

 川上を狙い、お燐と対峙することになった三人組の一人が現れた人物の名を呼んだ。

 

 鬼の四天王の一角である力の勇儀こと星熊勇儀その人。

 

 恐らくは地底世界最強。四天王はもはや鬼というレベルではない。鬼神と呼ぶべき力量を持った怪物だ。

 

「お前らは下がってな。その男相手はお前らじゃ力不足だ」

 

 からん、と下駄の音を立て歩みよりながら勇儀は三人組に向けて言った。

 

 川上は勇儀をぼんやりとした眼で見ていた。

 

「お燐、死体を持っていく事は私が許さない」

 

「ただ、さとりの事を悪く言ったのは私から謝る。だからここは私の顔に免じてそいつらは勘弁してやってくれ」

 

 勇儀からそう声をかけられて、お燐は大きく息を吐いて怒気を抑えた。しかし顔はまだ不機嫌そうだ。謝罪なら三人組の方から欲しいのだろう。

 

 川上はスッと目線を動かした、勇儀の登場のせいか野次馬がどんどん集まり周囲の人垣が厚くなっていく。川上は誰にも聞こえぬように口の中だけで舌打ちをした。

 

「死んだのは……郷太か」

 

 勇儀は転がってる死体を一瞥してそう呟いた。

 

「馬鹿だねぇ、弱っちい癖に喧嘩ばかり売ってるからこうなるんだよ」

 

「本当に馬鹿だねぇ」

 

 勇儀はそう言って口元に寂しげな、慈しむような微笑を一つ浮かべ、大きな盃に注がれた酒を一息で空けた。

 

「さて、(もののふ)の兄さん」

 

 一転してどこか獣じみた笑みを浮かべて勇儀は川上に向き直る。

 

「士ではない」

 

「さて、どうかな。確かに頼光達とは違うようだが、眼が似ている。忌々しい(いとしい)眼付きだ」

 

 川上の訂正に勇儀は何処か遠くを見るような眼で勇儀は言った。彼女が今見つめるのは川上ではなく、千年以上前の在りし日か。

 

「そいつはね、私の飲み仲間なんだ。昔色々あったんだろうね、人間って奴を毛嫌いしていた。馬鹿な奴だったが、私はその馬鹿が好きだったよ」

 

 嘘を嫌うという鬼らしい、竹を割ったような気持ちのいい言い草だった。

 

「言っておくと私はあんたみたいな男も嫌いじゃあない。一度共に飲み明かしたいとすら思う」

 

「……」

 

 勇儀の言葉に川上は瞑目したまま答えなかった。何かを考えているのか、いや彼はもう理解していた。

 

「でもケジメってもんがある、私は飲み仲間を殺された。当然あんたも殺した理由があっただろう」

 

 自分が最悪を呼び寄せてしまった事に。

 

「ならば決まりだ、喧嘩をしよう」

 

 おぉぉ!と周囲の人垣がどよめいた。あの鬼の最強格たる星熊勇儀が人間相手に喧嘩を売ったのだ。それも明らかにごっこ遊びではない。ステゴロだ。

 

 川上は眼を開くと今一度周囲を見た。勇儀と交戦した場合、生還率は()()()()()だろう。そう冷静に判断した。生物としての格が違い過ぎるのは一目で分かった。

 

 交戦が駄目なら逃走、しかし周囲は人垣に囲まれてしまった。そもそも背中を向ければその時点で死を迎えるだろう。手持ちの手段で有効な時間稼ぎは…

 

「おい兄さん。腰の刀は飾りかい」

 

 川上が交戦を躊躇っているのを見越してか、勇儀が挑発した。だが挑発の意味も無く、必要も無かった。ちょうど川上が交戦意外の選択が面倒くさくなって来たところだからだ。

 

「分かった」

 

 川上が言った。食事は先程済ませたばかりだが彼は常に腹八分目までしか満たさない。動くのに支障はない。

 

「やろう」

 

 川上の返答を生きて人垣から歓声が上がった。この時、勇儀の喧嘩が決まったのだ。

 

「決まりだ。決着はあんたが死ねば私の勝ち。私が死ぬか私に負けを認めさせる事が出来ればあんたの勝ちだ」

 

 川上はその条件に頷いた。どうやら川上側にギブアップは認められないらしい。いよいよ持って川上が生還する確率が勇儀が手心を加えて命までは取らずに終えるくらいしか無くなってきた。

 

 そして、よりあり得ない確率として川上が勇儀を斃すか。

 

「始める前に一服いいだろうか」

 

 川上は懐から煙草のソフトパックを抜いてそう断った。最後の一服じみている。

 

「あぁ、いいよ」

 

 そう答えて勇儀は自身も盃に酒を注いだ。川上は紙巻を一本咥えてマッチを擦って着火して深くゆっくり一服して、旨そうに紫煙を吐いた。

 

「ちょいといいかい」

 

 その時お燐が勇儀に声を掛けた。彼女の顔にはもう人懐っこそうな笑みが戻っていた。

 

「なんだい?」

 

「このお兄さんの死体、予約していいかな?」

 

『構わない』

 

 答えは、問われた勇儀と、他ならぬ川上自身。二人から異口同音に放たれた。

 

 目を丸くしたお燐に勇儀は一つ笑って言った。

 

「だそうだよ」

 

 本人からも了解を取りお燐は笑みを咲かせた。

 

「お兄さんは身体付きが綺麗だからエントランスで飾られるとかどうだい?」

 

「好きにしてくれ」

 

 露悪的とも言えるお燐の問いかけに、川上は煙草を一服吸って投げ遣りに答えた。死んだ後の事など彼には全く持ってどうでもいい事なのだろう。

 

「待たせた」

 

 川上は煙草を一本吸い終えて、吸い殻を足元に落として踏み消した。周囲の野次馬達は加速度的に数を増している。ここ旧都にはあの勇儀の喧嘩が見れるとあっては、親の死に目でも駆けつけるという連中は沢山いた。そのくらいの一大イベントだ。

 

 そしてギャラリーに取っては川上はあくまでもその勇儀の喧嘩の犠牲者でしかない。無論勇儀が喧嘩を吹っ掛けたという事で弱い訳はないというのは皆も承知だ。ただ、求められているのはなるべくいい戦いをして勇儀の引き立て役として死ぬ事だけである。

 

 しかし、川上という男は競技者でも、客を喜ばせるプロでも、エンターテイナーでもなかった。彼にギャラリーの望む所など理解出来るはずもない。

 

 勇儀は大事な盃を置いた。これは酒を零さぬようにとハンデを付けてやるいつもの遊びではない。

 

「じゃあ始めるか。しかし、いいのかい?喧嘩を売った私が言うのもなんだが、私はそこらの奴とは違う本物の化物だよ」

 

 あまりにも絶望的な戦闘となるのは川上も十二分に理解している。

 

「俺も昔は良くそう言われた」

 

 

 挑発とも取れる勇儀の言葉に川上は抑揚なくそう答えて、腰の安定をおもむろに抜いた。刃を上に向けて顔の前に立てて改める。刃毀れ、曲がり、捻れ、無し。

 

 身体は十全。眼前の鬼を斬るのに一切の支障無し。

 

「我が胸に 剣術理念抱きしめて」

 

 川上は歌を詠んだ。ゆっくりと剣を八艘に掲げる。

 

「斬り征く今ぞ 楽しかりける」

 

 その様に野次馬達が皆一様に息を呑んだ。

 

 今、鬼神の前に相対しているのは何処までも透き通った一匹の剣鬼だった。


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