武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

116 / 140
第116話

 川上は野太刀の鞘から長大な刀身を抜く。古刀然とした青味を帯びた刃が薄暗い地底の中で燐光を放っているかの如く錯覚を覚えた。

 

 からん、鞘が落ちる。

 

「鞘を捨てるとは小次郎破れたり、とでも言えばいいかい」

 

 勇儀は愉快そうに笑ってそう揶揄した。

 

「生きていたら、後で拾う」

 

 対して先程から普段以上に焦点が定かではない川上は至極まともな返答をした。もっとも彼は常に刀を抜く以上納める事など考えてはいないのかも知れない。

 

「さて、鬼退治には如何にもといった長刀だが。それでどうする?」

 

 勇儀は言った。如何に刀を変えても相手の攻撃手段が先程受けたので全部ならもう相手には何も出来ない。そう理解していた。

 

 しかし気になった。先程から相手の雰囲気が明確には言えないが変わったような気がする事が。

 

 すう、と川上は静かな呼吸を行う。ゆっくりと息を腹に落とすようにして臍下丹田に力を入れ。ゆっくりとした呼気とともに刀を上段に取り上げた。

 

 上段。五行の構えでは火の構えに当たる、守りを捨て攻めだけを考えた構え。身体をがら空きにする代わりに屹立した剣の上からの威圧で相手を押しつぶして火のような攻撃で倒す名人の位。

 

 が、しかし川上の屹立した剣には威圧感もなかった、剣気や殺気といったものすら感じられない。ただ蒙昧な眼をして上段に構える姿はただそこにあるだけの枯れ木めいていた。

 

 しかし、勇儀はその様に僅かな危機感を覚える。やはり先程までと違う。明らかに相手は次で終わりのつもりであろう。であるのになんなんだ、この自然な姿は。

 

 警戒心を高めた勇儀が今迄構えもせずに拳を振り回しているだけだったのが、左は下げたまま、右拳を上げて構えた。ギャラリーもお互いの空気が変わった事に気付き、小さくどよめいた。

 

 勇儀は川上の一挙手一投足を見逃さぬようにコンセントレーションを高める。途端

 

 ——自分が何と対峙しているのか分からなくなった

 

 ハッとして、勇儀は川上を認識する。何だ今のは、こいつは確かに此処にいるのか?何かに似ている、まるでこいし……いや?

 

 まずい、次で殺さないと。勇儀は直感し、もう遊びは無かった。最速最短、回避不能の渾身の右を放つ為勇儀は左足を踏み込み——

 

 ——全く気付く間もなく間合いに入った川上が目の前に居た。

 

 死

 

 勇儀の脳裏に浮かんだのはその一文字。勇儀が反射的に後ろに飛ぶ事が出来たのは、千年以上前の都で死を実感させられた経験のおかげだった。

 

 ギャラリーの誰も見る事の出来なかった一瞬の交錯。気がついたら川上は一太刀を終えており勇儀が後退していた。ギャラリーが戸惑ったようにどよめく、鬼が下がった(・・・・・・)のだ。

 

 勇儀は、惚けていた。私は生きてるのか?今、確かに勇儀は死を錯覚させられたのだ。

 

 何処も斬られていない、勇儀はそう確認し——直後に裏切られた。

 

 まずぽとりと彼女の右前腕が落ちた。勇儀は地面に転がった腕を見て一瞬これは誰の腕だと考えた。

 

 だが次の瞬間右肩から右胸にかけての切断面から血がしぶいた。斬、ら、れ、た、勇儀はそう気付いたと同時に膝をついた。

 

 

 勇儀は地面にかかる陰を見て我に返り、顔を上げた。川上は昏い眼で勇儀を見下して野太刀の剣先を突きつけていた。

 

 ギャラリーは目の前の光景を見て息も漏らせなかった。片方が膝を着き、片方は見下ろして武器を突きつけている。決着の光景である。

 

「くっ、ふふふ」

 

 勇儀の口から自然と笑いが溢れた。斬られる筈がないと思っていた、自分にとってはただの喧嘩。相手の刃が自身を傷付ける筈はないと驕っていた。先程膝を着いた瞬間の首を垂れていた時、もう一太刀さっきのを浴びていたら首を落とされていたのだ。焼きが回ったなと自嘲する。

 

「私の負けだ」

 

 勇儀の投了の声を聞いてギャラリー達から爆発的な歓声が上がった。全員勇儀の勝利、いや、力を見るために集まったのだ、誰も予想していなかった大番狂わせ。

 

「勇儀に勝っちまった!」

 

「人間じゃねぇ、バケモンだ!」

 

「鬼を斬った」

 

 そうあちこちから歓声とも悲鳴とも付かぬ声が上がる。

 

「首級が欲しければこのまま落とせ」

 

 勇儀はそう言って、うなじを差し出した。川上は周囲を伺う。厚い人垣から感じられるのは決して険悪な雰囲気ではない。しかしかなり名が知れた目の前の鬼の首を落とせばどうなるかはわからない。

 

 川上は剣を引いた。数歩歩いて鞘を拾う。刀は腕を落として胸腔まで斬り下げたはずにも関わらず血の一滴どころか、僅かな脂すら付着していない。川上は長大な刀身を器用に血振りだけして鞘に納めた。

 

「もう少し、か」

 

 最高の強敵に放った一刀の手ごたえに川上はポツリとそう呟き、懐からゴールデンバットを出して咥えた。

 

「私は星熊勇儀。あんたの名を聞かせてくれ」

 

 勇儀の問いに川上はマッチを擦り着火して。紫煙を一つ吐いてから答えた。

 

「川上」

 

 川上はそう一言で名乗り、折れた安定を拾う。しかし折れ目付近は手酷く捩じれておりもはや鞘にも納められそうにない。川上は腰の鞘を抜いて折れた安定と共に捨てた。

 

「その名前、死ぬまで忘れられそうにないよ」

 

 勇儀の言葉に川上は答えずに、右手に鞘ぐるみの野太刀を携えて歩き出した。川上が向かう先へと人垣が自然と割れた。歩みゆく川上に誰も彼もが、恐れ、畏怖の視線やあるい気味の悪いものでも見るような眼を向けていた。そして少しの確かな感動や敬意。

 

「綺麗…」

 

 その男の死体を欲しがった、しかし叶わなかった一匹の黒猫はしかし、溢れ落ちるように一言呟いた。

 

 川上は場を去った後、勇儀は大の字に倒れた。まだ続く出血が地面を濡らす。慌てて数人の妖怪が飛び出した。

 

「勇儀さん!」

 

「大丈夫ですか!?」

 

「くっ」

 

 そう声を掛けられた勇儀は小さく呻き、そして。

 

「あっはっはっはっはっ!」

 

 破顔して大声で笑った。実に愉快そうに笑った。気持ちよさそうに笑った。

 

「勇儀さん?」

 

「いやー、長生きはしてみるもんだなお前達」

 

 勇儀の身を案じた妖怪達は戸惑った様子だが、勇儀は最高の気分だった。死んだ仲間には悪いと思いつつもこんなに気分がいいのは久方ぶりだ。

 

「お前ら見たか!鬼を斬る人間だぞ!もう会えないと思ってた」

 

 勇儀はそう言って立ち上がった。未だ血を流す勇儀が取り巻き達が言う。

 

「手当を」

 

「こんなの唾でもつけときゃ治る!そんな事より郷太を埋めてやったら弔い酒と私の祝敗会だ!付き合え」

 

 その言葉に取り巻き達は顔を見合わせた。一人が肩を竦めて、他の皆が自然と笑った。

 

「もちろんのお供しますよ。浴びるほど呑みましょう」

 

 全く気持ちのいい人だと、皆思い笑った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。