武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『嫌悪』


第119話

 武術には一つの境地とされる場所がある。

 

 武において教えられる重要な概念は捨てる事(・・・・)である。

 

 例えば、いざ外敵に襲われる。逃げる手段もなく、交戦しか手段がないとする。この時どう心得れば良いだろうか?

 

 死んでたまるか、絶対に負けない。と意気込む事だろうか?

 

 違う

 

 生に執着する心は確実に緊張を起す。自然と身体は固まり、居つく。結果迎えるのは死だ。

 

 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあり

 

 この言葉の通り、負ければ死の戦いにおいては生への執着を捨てる必要がある。交戦しか手段が無くなった時点でもうだめだと諦めて死ぬのだ。

 

 生を捨てたその時身体は脱力を得られる。自由に動けるようになりその先に光がある。結果死ぬつもりが案外生き残れてしまう。

 

 皮肉にも死を避けようと戦うより死を受け入れて戦う者が生き残るのである。

 

 これが、捨てる事が肝要と言われる所以の一つである。武においては技を掛けようとする心を捨て、剣も捨て、執着を捨て、こだわりを捨て、身を捨て、その先に得られる境地。

 

 無我である。

 

 しかしこの境地に達した武人が過去果たして何人いたであろうか。

 

 しかしその境地に立った稀有な事例が川上の前に紛れもなく立っていた。

 

 古明地こいし

 

 文字通り自分を捨てた結果あっさりと無我の境地に立った怪物である。川上は最初から認識する事が出来た。しかし川上をしてそれしか出来ないのだ。

 

 覚妖怪とは人の心を読み、嫌悪や恐怖を買う妖怪だ。その性質故に本来は戦闘向きではない種族であるが、こいしは高い戦闘力を見せる。無我はその戦闘能力の骨子なのかも知れない。

 

 最初にこいしがおもむろに川上に手を伸ばして来た時、川上はその動きの気配や起こりなどを全く捉えられなかった。慌てて手を取り反射的に投げてしまった。

 

 こいし自身の気配も視認しないと全く捉えらない。こいし自身を視ても、また彼女の周囲から入る情報も少なく彼の武器が活かせない。

 

 こいしは川上にとってこれまで会ってきた強力な力を持つ妖怪達とは異質の脅威を感じさせた。仮にこいしが川上を殺す気になれば十中八九、川上は死ぬだろう。

 

 そんなこいしに手を引かれつつ彼女の姉の所に歩き出した川上に、お燐は追いすがりさりげなく川上の右腕の袖を取り、注意を引いた。

 

「ちょっとお兄さん」

 

 川上はお燐の方に耳を傾けて、お燐は知らせておくべきだと思い一言だけ耳打ちした。

 

 ——さとり様は心を読む事が出来る。

 

 こいしと違い姉の古明地さとりは読心能力を使う。彼女が嫌われ者が多い地底の住人にすら嫌われ、恐れられているのはひとえにこの能力故である。

 

 文字通り心を読むのである。表面的なものではなく深層心理すら読む。果たして、そんな相手の前に立ちたいと思う者がいるだろうか。

 

 居ない、と断言してしていいだろう。心に秘するもの、知らせては絶対にいけない弱味。それらが無い者などいない。それらを全て丸裸にする相手と付き合えるなどとその恐ろしさを知らないから言える綺麗事であろう。ある意味では覚妖怪とは他のどんな妖怪よりも恐ろしいものなのだ。

 

 しかし、川上は

 

 分かった

 

 と、小さくお燐に返すだけだった。

 

 やがてこいしは一つの扉の前に立つと、ノックすらせずに扉を開け放ち中に入った。ここが古明地さとりの部屋なのだろう、川上は引っ張られるように入室した。扉を潜る際に非礼にならぬよう一応、失礼する。と彼は言った。

 

 室内は壁一面に本棚が並び書物だらけ。窓すらなく埃っぽい空気で薄暗かった。

 

「この人だよお姉ちゃん!飼っていい?」

 

「貴方が、勇儀さんを斬ったという人間ですか」

 

 机の前の椅子に腰掛けた古明地さとりはこいしの言葉には応じずに言った。なおこいしは川上が勇儀と交戦している時観戦していた。さとりは先程鬼を斬った人間にお燐が恋したから私が飼うとか、こいしから支離滅裂な説明を受けた所だ。こいしと川上に遅れてお燐も入室してきた、色々心配だったのだろう。

 

 古明地さとりは薄く紫がかったくせっ毛であり、長さは肩にかかるかかからないか程度で無造作に切られていた。ヘアバンドをしている。顔立ちは姉妹らしく、こいしに似通った所のある幼くも綺麗に整っていたが、浮かべてる表情はこいしとは似つかない。

 

 深い紅の瞳は半眼になっており、無表情も相まって眠たげにも見える。身体付きなどは違うが本の量といいパチュリーを連想させる。

 

 フリルをあしらった水色の上着に、ピンクのスカートにはバラの意匠が凝らされている。

 

 こいしと同じく読心能力の要となる第三の眼とそれに繋がる管は身体にまとわりついていた。こいしと違うのは第三の眼が赤い事と閉じているこいしに対して開かれておりギョロリとした黒目が見える。

 

 さとりは自身の膝に顎を乗せて甘える一匹の大きな犬を撫でつつ、お燐に目を向けた。鬼の四天王を斬ったなどと信じ難かったのだが、お燐から読み込めるイメージでどうやら事実らしいと分かった。

 

「はじめまして。川上という、以後宜しくお願いする」

 

「はい、はじめまして。私は地霊殿の主の古明地さとりと申します。ウチのペットがお世話になったようで」

 

 川上はこいしの手から離れ二歩程下がりつつ挨拶をする。さとりも返礼しつついつものように出方を考えようとして川上を第三の眼で見据えて、顔に当惑が浮かんだ。

 

 何なのこれ

 

 川上は読心能力の程を見ようとしているのか、さとりを観察するような眼で見ていた。しかし逆にさとりは第三の眼を背けたくなった。

 

 煩過ぎる

 

 川上の意識から入ってくるのは凄まじい情報量だった。周囲の環境から雑多に支離滅裂に無差別に彼は情報を取り入れまくっており。いや、彼自身コントロール出来ず情報を拾ってしまうのだろう。無茶苦茶だ、人間より遥かに優れた感覚を持った猫でもこんな意識をしていない。

 

 まるで混線しまくっているラジオである。見ているさとりの頭が痛くなる情報の氾濫。川上は繋がってしまっている(・・・・・・・・・・)以上仕方ないとはいえ良くオーバーフローを起こさないものだ。

 

 これでは彼自身の言語での思考を拾い上げるのは困難だった、何となくイメージは捉えられるが。

 

「……どうやら私の力を見たいみたいですが、申し訳ないですが、口での会話でいいでしょうか?貴方の思考は酷く読みにくいのです」

 

「承知した」

 

 さとりの言葉には苦渋が滲んでいた。当然だろう、人の心を暴き、秘すべき思いに土足で踏み込み相手に疎まれ、忌われるのがさとりのアイデンティティなのだ。それが活かせないとあっては。

 

 さとりにわかるのは川上が色々な意味で人として破綻している事だ。

 

 いや、さとりは思い直す。表面的な意識は読み切れなければより深い深層心理。無意識と言ったレベルに踏み込む方法がある。得てしてトラウマと言われるものの原因はそこに封印されている事が多いのだ、もっとも本人も大抵は自覚していないレベルのモノなのがさとりにとっては使いにくいが。

 

「失礼」

 

 さとりは一言だけ、断って両の眼を閉じて第三の眼に集中して川上のより深い所に潜る。

 

 意識を超え前意識へと。さらに潜り無意識へと。そこでも異常を感じる、普通意識の情報量は少なく。無意識は膨大な情報が支離滅裂に存在しているのに、この男はまるで逆だった、むしろ無意識に異様に何もないのだ。

 

 だが、さとりは深い深い地点に一つのイメージを見つけた。恐らくこれがこの男の原風景(トラウマ)だ。さとりはイメージを覗く。

 

 低い視点だった。どこかの家のダイニングだろうか、椅子が一脚転がっていた、前には女性が一人倒れていた。手元を見る。血塗れの果物ナイフをやはり血塗れの小さな手が握っていた、ポタポタと血が落ちるのは果物ナイフからだけではない。この腕自身からも出血しているのか。

 

 女性は頭から血を流し、喉笛にも刺傷を負って夥しい血を流していた。ヒュー、ヒュー、と傷から漏れる呼吸音が聞こえた。女性は必死に顔を上げる、何故かその女性がどんな顔をしているのかは見えなかった、認識を阻害されてるかのように。

 

 ただ口元は見えた、血を零す口が動き

 

「—— ……」

 

 何かを言った。

 

 そこでさとりは両眼を開き戻ってきた。こいしは相変わらず何が楽しいのかわからないがさとりを見て笑っており、お燐は困惑と心配が入り混じった様子で川上とさとりを見ていた。

 

「……母親を」

 

 さとりのその一言に川上は表情も変えなかった。それで思う、やはり自覚出来ていないのだ。

 

 さとりは珍しく少しの同情の混じった眼で川上を見た。彼女は正しく理解したのだ。

 

 川上はもう終わってしまっている事を。


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