武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第121話

 地霊殿、ラウンジ。

 

 お空の登場にすっかり目が覚めてしまった川上は体を起こし、足を組んで何処か横柄な格好で煙草を吹かしていた。

 

 紫煙を吐きつつ、川上はその昏く眠たげな眼付きでお空を観察した。座ったまま立っているお空を見るので、下から睨めつけるような不吉な目線となった。お空はそれに僅かに眉を顰めた。

 

「煙い!」

 

 煙草が嫌いなのか、川上の目付きが気に食わなかったのか、お空は煙草を吹かす川上に文句を言った。

 

「あぁ、すまない」

 

 川上はそう言って最後にもう一口だけ吸うつもりで煙草を咥えた。お空は川上が煙草を消す意思がないと思ったのかツカツカとローファーを鳴らして歩みより、川上の咥えた煙草に手を伸ばした。

 

 川上は伸びて来た手を左手に握った鞘ぐるみの野太刀の柄で払った。近づかれるとお空からウッディーさに果実のニュアンスが混じった甘い匂いがした。乳香(フランキンセンス)の香りだった。

 

「消すから、触るな」

 

 その川上の物言いも癇に障ったのかお空の目付きが険しくなる。

 

「はい、喧嘩しないの」

 

 少し険悪な空気になった、その二人の間にお燐が割って入る。

 

「私こいつ嫌い!」

 

 お空は言った。彼女は外見の割に精神年齢が幼めで人の好き嫌いも極めてハッキリしており、また態度も明け透けだ。川上は嫌いなタイプに分類されたらしい。

 

 川上は煙草を携帯灰皿でもみ消すと立ち上がった、流石に煩わしくなったのか。

 

「あっ、お兄さん!」

 

 気を悪くしたのかとお燐は川上に声を掛けたが、川上は背中越しにひらりと一つ手を振り、ラウンジから出て行った。

 

「どうしたんだい、お空?いきなりあんなに突っかかるなんて」

 

 お燐は少々困惑したように聞いた、態度が明け透けなお空にしても今回は少々過剰に思えた。

 

「だって眼付きが気持ち悪いし、それに何か偉そう」

 

 お空もまた感覚的な判断をするタイプなのか、一見で川上に嫌悪感を抱いたようだ。

 

「そうかねぇ、いい眼だと思うんだけどね」

 

「お燐あんなのがいいの?お婿さんは別の人にしなよ」

 

 お空の言葉に、お燐は既につがい扱いされてる事に思わず赤面しつつも笑みが零れた。何処か苦味のある笑みだった。

 

「あたいはあの人がいいんだよ、それに」

 

「それに?」

 

 お空の問いにお燐は笑って言った。

 

「どちらにせよ、相手にされてないくらいあたいでもわかってるから。大丈夫だよ」

 

 どこか悲しげなお燐の様子にお空もまた心を痛めたのか、憤った様子を一変させて言った。

 

「なんかそれ、寂しいよ」

 

「あたいはずっと死体を相手にしてきたからね、一方通行には慣れてるよ」

 

 お燐はそう言って、少し寂しそうに笑った。

 

 そして親友のお燐にこんな顔をさせる川上の事をお空はやはり好きにはなれそうに無かった。

 

 

 

 

 川上は眠りは妨げられてしまったので、改めて何処かの個室で休眠を取ろうと思ったが空腹を覚え、うろついていた。

 

 薄暗い館の中には猫だのオウムだの雑多な動物がポツポツと見られた、その割には館内は不衛生な様子は見受けられなかったが。

 

 ふと、川上はエントランスの死体(オブジェ)の事を思う。あれは良く館内の鳥に食べられないなと。

 

 暫しうろつき食堂、及びそこからつながるキッチンを見つけて勝手に中を漁った。

 

 硬くなったバケットがあった。後は生肉があった、どうやら人肉ではない、鹿肉か?肉の質感だけで人肉がわかるのは紅魔館住まいならではか。

 

 あるいは川上はそれより前に人肉の質感くらい見分けられたかもしれない。

 

 川上はナイフで肉を適当なサイズに切り塩や香辛料で簡単に下ごしらえだけすると火を通した。極めて簡易的なステーキ。

 

 バケットも炙り、フォークだけ借りる。食堂に一人で座りピッチャーからグラスに水を注ぐ。パンと肉と水だけという簡素な食事を始めた。

 

 川上は自前のフォールディングナイフで肉を切り口に運ぶ、最低限の味付けとぞんざいな調理の割には味は悪くない、肉の質と熟成具合が良かったのだろう。

 

 短時間で川上は食事を腹に納めてカン、とフォークを置いた。口を拭い、懐からゴールデンバットを取り出して咥える。最後の一本だったのか彼はソフトパックを握り潰した。もう一箱携帯していたのは幸いであった。

 

 川上が遠火で着火した所に食堂に入ってきた人物がいた。

 

 古明地さとりであった。彼女は眠たげな両の半眼と第三の眼で食卓に座った川上を一瞥した。

 

「食事中、いや食後でしたか」

 

「事後で悪いが食料と厨房は使わせて貰った」

 

 さとりの言葉に川上は紫煙を吐いてそう答えた。

 

「構いません、一応貴方もペットなのでこの館のものは勝手に食べて下さい。決まった時に餌をあげるわけではないので」

 

 動物を飼う姿勢としては問題がありすぎる言葉のように思えたが、川上はそこには突っ込まず礼を言って頭を下げただけだった。

 

「食後ならお茶でも飲みますか?紅茶ですが」

 

 さとりは茶を飲みに来たらしい。わざわざ自分で茶を淹れるとは館の主人らしくはないが、それについでとばかりに川上にも淹れてくれるつもりらしい。川上はふと一応現在の自分の主人の赤い悪魔を思い出した。

 

「いや、差し支えなければ俺が淹れてもいいだろうか?」

 

 川上の提案にさとりは眠たげな眼を僅かに見開いて少し驚きを示した。

 

「じゃあ、頼みます」

 

 川上は煙草を携帯灰皿でもみ消し立ち上がりキッチンに消えた。さとりは大人しく食卓につき小脇に抱えていたハードカバーの重そうな本を開いた。

 

 川上はキッチンを再びあさり茶器と茶葉を用意して、ケトルでグラグラにお湯を沸かして紅茶を淹れる。砂時計があったのでちゃんと抽出時間も測れる。

 

 川上はカップを三客用意して、十分な時間抽出すると茶こし(ストレーナー)を使いカップに均一に回し注ぐ。

 

 さとりは三客のカップを見て、次に第三の眼を川上に向け混線しまくった意識の中から情報を拾う。そして自分のすぐ隣の席に目を向けた。居るのだと分かって初めて認識出来た。

 

「こいし、いつの間に」

 

「うん、ずっといたよ」

 

 さとりの言葉に応じたのはこいしであった。彼女は川上が食事中からここにいた。さとりが来ると彼女に寄り添うように隣の席に移動した。

 

「お兄さん、こっちを一度も見ないから気付いてないのかと思った」

 

 こいしは爛漫な子供らしいとも感情を抑えた落ち着いた調子とも取れる不思議な声色で川上に言った。それに対して川上は特に答えなかった。

 

 こいしは自分を見てくれる稀有な存在に出会った。彼女を常に意識してくれる存在は貴重であり、例え認識して貰えてもすぐに忘れさられる。そんな自分を意識出来る相手に出会ったというのに、何故かこいし自身の心は対して動かなかった。

 

 彼女はまさに無意識で理解しているのかも知れない。目の前の男にとっては認識しようがしまいが、路傍の小石はあくまで小石以上でも以下でもないという事を。ただ躓かないように気をつけられるか否か程度の差。

 

 川上は二人の前に熱い紅茶を置いた。自分の分も手元に寄せる。

 

「ありがとう」

 

「頂きます」

 

 さとりとこいしは口々にそう言ってカップを取り上げた、こいしはカップを両手で包み込むようにして息を吹きかけ冷まし、さとりは熱い紅茶をゆっくりと口にした。川上はカップの縁に指で触れて熱さを見ると紅茶には口をつけず新しいゴールデンバットの封を切った、トントンとソフトパックを指で叩き一本取り出した。

 

「美味しいですね」

 

 一口飲んで甘みと僅かな渋み、爽やかな香りを楽しみさとりはそう感想を漏らした。目の前の男からは想像出来ない意外な腕前であったが、第三の眼で観察して納得する。

 

 なるほど、彼女(・・)の影響か。

 

「本当だ、美味しい味がする!」

 

 続けて少し冷ましてから口にしたこいしが少し妙な言い回しで感想を言った。

 

「なら良かった」

 

 川上はちっとも良いとは思ってなさげな口調で言って着火した煙草から一服した。

 

 さとりは第三の眼を川上から外して、本に目を落とした。こいしも特に喋らず笑顔で茶を楽しみ、川上も無言で喫煙していた。

 

 暫し三者三様に茶を楽しんでいた時、ふと趣にさとりが本のページを捲りながら口を開いた。

 

「この世でもっとも恐ろしい事は何だと思いますか?」

 

 その問いは川上に向けられていた。

 

 川上は考えるように目線を上に向けそこで初めて冷めてきた紅茶を口に運んだ。

 

「死ぬ事でしょうか?あるいは死ぬ程の責め苦を受けても死ねない事でしょうか?」

 

 川上の返答を聞かずにさとりは続けた。問いかける形であるがどうも彼女の中にすでに答えはあるようだ。

 

「君は何だと思う」

 

 川上は煙草をもみ消しながらその答えを尋ねた。さとりの答えはやはり決まっていた。

 

「自分が世界にとって、他人にとって、絶対的に無意味である事です」

 

 それは紛れもなく恐ろしい事であった。

 

 人間ならどんな者でも自身に何らかの価値があると考えなければ生きてはいけない。その為に人々は必死で周囲に他人に自身の価値を認めて貰おうとする。

 

 妖怪にしてもそれは同じなのだ、人を襲い人を喰う、なんの為か。そうして人に恐れられる事が彼らの存在価値だからだ。

 

 さとりも同様である。彼女は人の心に土足で入り込み暴き立てる。それはただ単純に命を取る妖怪以上に厄介で万人に等しく恐ろしい行為、当然嫌悪されて然るべきである。

 

 彼女も嫌われ者としての自分の在り方に思う所がないわけがない。辛くないわけがない。事実妹のこいしは嫌われ者としてのさとり妖怪の自身を厭み心を閉ざした。

 

 だが、さとりにはそれが出来ない。それだけは出来ない、何故か?

 

 簡単である。嫌われ者として生きる以上に、自身の嫌われ者としての価値を無くす方が余程恐ろしいからだ。

 

 だからさとりは嫌われ者としてあり続ける。自身の価値を無くしたくないがため。

 

 しかし……目の前のこの男は、ある意味で自身の存在価値を投げうち全てを無くしたこいしに似ている。似ているが似ているだけで絶対的な違いがある。

 

「貴方はそれを受け入れて、それでも生き続けているのですね」

 

 川上はその言葉に答えずに、冷笑を一つ浮かべて紅茶を一口飲んだだけだった。さとりの口元にも彼に似た笑みが浮かぶ。

 

 こいしは話に興味がないのか、川上が傍に置いた煙草を一本勝手にとり、紙を破いて葉をばらしていた。

 

 価値を見いだせもせず

 

 それでも何故

 

 生き続けているのですか

 

 さとりは両の目を瞑りカップの紅茶を飲み干した。




そろそろ最終章入ります

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