武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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『生花』


第122話

 地底での夜は明けて、朝。

 

 火焔猫燐には予感があった。

 

 ほぼ一番に早く起きた燐はあの男が使っていた部屋をノックして返事がない事を確認して中に入る。

 

 誰も居なかった。

 

 お燐は館中を探して回る。いや探していたのでなく確認していたのだろう。彼女はすでに分かっている。

 

 あの猫はここには居つかなかった。

 

 やはり居ないのだと確認し終え、お燐が最後に立ち寄ったエントランスホール、そこにそれはあった。

 

 おそらく年の頃は二十代だろう、綺麗な顔立ちをした女性は襟元が血に染まっていた。色を失っているが眠っているような安らかな顔だった。

 

 おそらく地底に少数住む訳ありの人間か、お燐が確認すると首筋を断たれたのが死因のようだ。その刀疵をお燐が見間違える訳はない。

 

 紛れもないあの男からの感謝の念を形にしたもの。お燐は言い知れぬ激情に駆られて死体を後ろから抱き起こして強く掻き抱いた。

 

 衝動が喉の奥から溢れそうになりお燐は歯を食い縛る。やがて喉元を過ぎるとお燐は透明感のある無表情になった、無表情だが人間味のある綺麗な顔だった。

 

「……また、いつか」

 

 そう小さく呟いたお燐の言葉を聞いていたのは、彼女の腕の中の女性とエントランスホールの上で磔刑となった少女の屍だけだった。

 

 

 

 

 それは一カ月前の出来事。

 

 太陽の畑。

 

 その名の通り一面に向日葵(サンフラワー)が咲き誇る畑だった。

 

 夏らしい燦々とした日差しの中を一人の女性が歩いていた。

 

 肩より下程度の長さの癖のある緑髪。顔立ちは綺麗に整ったやや童顔の美人である。常に微笑みを湛えていたが真紅の瞳はやや鋭くきつさを感じさせた。

 

 白いカッターシャツ、首本には黄色のリボンを付け下は縁にフリルをあしらったチェック柄の赤いスカート。さらにスカートと同じ柄のベストを羽織っているという出で立ちであった。真夏の日差しを避けるように白い日傘を彼女は差していた。

 

 彼女は風見幽香と呼ばれる花を愛する妖怪であった。ただしその力量、妖力ともに有象無象の妖力のそれではない、大妖怪である。

 

 あまりにも強大すぎる己が故にその他大勢に何も感じる所がない。何処の組織にも属さぬ実力主義者であり個人主義者の妖怪らしい妖怪だ。

 

 ふと幽香は歩みを止める。

 

 一際背の高い向日葵の下。その生命力を見せつけるように太陽の下で咲く大輪の花を見上げる少女がいた。

 

 その向日葵の半分程度の背丈しかない赤と白のコントラストが眩しい巫女服の少女は博麗霊夢だった。

 

「お久しぶりね、霊夢」

 

 幽香は意外な所で会えた珍客に笑みを深めて霊夢に挨拶した。彼女はその他大勢には興味はなかったが逆に力あるものには関心を示す。

 

 博麗霊夢は幽香が執着を見せる珍しい人間だ。

 

「ええ、久しぶり……相変わらずあんたはこの花が好きなのね」

 

 霊夢は幽香に対して一瞥だけして、一輪の向日葵を見上げたままそう返した。

 

「えぇ、大好きよ。霊夢は好きじゃないの」

 

「どうかしらね、この花は私には少し眩し過ぎるわ」

 

 ふ、と霊夢は小さく笑ってそう言った。彼女らしいニヒリズムだと幽香は思ったが。

 

「そんな事ないわ、向日葵と貴女は絵になっているわ」

 

 幽香はそう言った。彼女は先程から見惚れていたのだ、一輪の向日葵を見上げる霊夢が絵画のように美しかった。

 

「その花の花言葉は知っている?」

 

「私は貴方だけを見つめる」

 

「あら、知っていたのね」

 

 幽香の問いかけに霊夢はすぐに答えた。少々意外な思いで幽香は霊夢を見つめる。

 

「ガラじゃないわね」

 

 その言葉は幽香に向けたものか、自身に向けたものか。霊夢は冷笑を浮かべて向日葵から視線を切った。何処か冷めた霊夢が幽香は好きだった。

 

「冷たいお茶でもどう?」

 

「頂くわ」

 

 そう言葉を交わして二人は共に歩き出した。

 

 

 

 ふと、そんな一カ月前の邂逅を思い出しながら風見幽香は日傘を差し歩いていた。もう初秋になる、しかし朝の日差しはまだまだ厳しさがあった。

 

 太陽の畑。

 

 かつては生命力に溢れた大輪の花を咲かせていた向日葵は枯れ、葉も茎も茶色く乾き、かつての大輪の花も花びらはとうに散り頭を垂れて成熟した種を零していた。しばらくしたら完全に朽ちるだろう。

 

 美しく咲いていた花が枯れゆく時、人は何を覚えるだろうか、美しいものが失われる寂しさか、無情さか、花が枯れるとき人はそれを見なければならない。

 

 幽香もまた同様だ、彼女は一年中花を求めて移動する。しかし彼女は自身が愛でてきた花が枯れゆく姿を見届けてからいつも次の花を求める。

 

 そろそろ、だろうかと幽香は思う。次は秋桜が良いだろうか。そんな事を思っていた時一カ月前、彼女が見上げていた向日葵、今は枯れて種を零すのみの枯れ花を見上げる一人の人間を見つけた。

 

「……霊夢?」

 

 まだ登り切らぬ日差しを背負いシルエットしか見えぬその人物に幽香は何故かそう呼びかけていた。一カ月前の彼女が被った。

 

 いや

 

 霊夢であるはずもなかった。向日葵の下にいたのは赤茶けた染みを至る所に付けた凄惨な礼服に身を包つみ、背に野太刀を背負った若い男だったからだ。

 

 如何に逆光とは言え、背格好も性別も違う相手を何故一瞬でも霊夢と勘違いしてしまったのか。幽香は思わずクスリと笑った。

 

「おはよう、知り合いに似ていたから間違えたの。失礼したわね」

 

「おはよう、構わない」

 

 幽香の挨拶と謝罪に川上は短く応じながら煙草を咥え、マッチを擦って着火した。

 

 二人はそれ以上は言葉を交わそうとはせずに、幽香は日傘を折り畳むとそのまま、朝日の方向に歩きだす。川上もまた日を背負ったまま歩み始めた。

 

 幽香は眼を動かさずに視点を動かし川上を観察した、相手に探りを入れてる事を気付かれないための技。幽香は血生臭い川上の姿に舌で一つ唇を舐めた。

 

 二人の距離は近づいていく、幽香は口元の笑みを深めた。

 

 間合いから僅かに外れた所まで両者の距離が詰まった瞬間、幽香は左手に提げていた日傘を踏み込みながら川上に向け横殴りに振るった。相手は長大な野太刀一口、しかも鞘の内で背にある。間合い、タイミングともに幽香だった。

 

 しかし、次の瞬間首から鮮血を溢しながら横に倒れいくのは幽香で……

 

 そんなイメージの前に幽香は結局何もせぬまま両者はすれ違った。

 

 軽い探り針程度に殺気を当てたが結果はイメージの通り川上に隙は無く、幽香は仕掛けられなかった。

 

「やるじゃない」

 

 すれ違い様愉快そうに幽香は対手にそう呟き、川上は何も答えなかった。

 

 二人はすれ違って行った。


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