武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第123話

 紅魔館

 

 咲夜は朝食の給仕を終えて、清掃でもしようと廊下を歩いていた。仕事にもかかわらず案外のんびりした様子だが、彼女は必要ならいくらでも時間を作る事が出来る。

 

 歩きつつ咲夜は物思いに耽っていた。

 

 昨日から川上の姿は知れず、一晩中帰って来なかった。なんだかんだ行方知れずに一日中居なくなる事は初めてに近い。

 

 彼は元気だろうか、帰ってくるだろうか。

 

 レミリアは懐いている相手の元からは離れないと言っていたが、咲夜自身はそれについてはあまり信じられないところがあった。

 

 懐かれている、というのは、まぁ、咲夜自身も、そうなのかも程度に自覚していた。しかし、咲夜にはあの男はやはり根無し草に思えるのだ。

 

 何処にも帰る場所などなく、故に何処にいても良い。

 

 何故そう思えるか、簡単だ、咲夜自身がかつてそうなのだったのだから。迫害され続けた咲夜には世界の何処にも居場所などなく、故に何処にでも存在出来た。

 

 それに離れないといっても、死んでしまえば離れないも何もないのだ。

 

 彼は異常者かも知れない、化け物かも知れない。しかし咲夜は思う、川上も自分となんら変わらない人間なのだ、死ぬ人間だ。

 

 あれを自分とは別物と考えれば、それは咲夜自身を迫害してきたおぞましい人々と同じになる。咲夜にはそんな事が認められる訳がない。

 

 そんな事を考える咲夜だが、川上も自分と同じ人間であるとするのなら、そのおぞましい人々もまた咲夜となんら変わりない人間であることに彼女は気付いているだろうか?

 

 ふと物思いに耽って伏せていた目線を上げるとそこに彼はいた。

 

 どんな修羅場を潜り抜けてきたのだろうか、川上は髪はボサボサになり僅か一日でくたびれた礼服は赤茶けた血痕塗れになっており、刀も喪失したのか野太刀一口だけしか身に帯びてなかった。

 

「今戻った」

 

 そんな姿で彼は火の点いてない煙草を咥え、いつもと同じ澱んだ眼に涼しげな表情で何でもないように言った。

 

 咲夜は口を開き、しかし何を言うべきか迷った。館の管理職としては一応使用人でありながら無断で職場を一日放棄した事を追求すべきだったか。

 

 しかしもしかしたらもう帰ってこないと思っていた男を前にかけるべき言葉が見つからずに結局口を閉じた。

 

 彼女はツカツカと川上に歩み寄った、歩みを止めずそのまま零距離まで入り込み前から背に腕を回し川上を掻き抱いた。

 

「……お帰りなさい」

 

 そうしてその状態で掛けた言葉は結局これだった。川上は動かない。彼からは血生臭と死臭、ヤニの匂いが混じっていた。咲夜は背に回した腕で強めにぎゅっとして川上の状態を確認する、痛そうな様子はなかった。咲夜からはレモンに僅かに若草のニュアンスが混じったメリッサの匂いがした。

 

「怪我はない?」

 

「無い」

 

 咲夜の確認に川上は短く答えた。幸いに彼は怪我らしい怪我はない。良かった。咲夜は背に回した手で川上の背中を優しく撫でて言った。

 

「そう、じゃあ着替えて。身支度を整えたら仕事して」

 

「わかった」

 

 川上の了承の声を聞いて咲夜は川上を解放した。川上はいつもと変わらぬ温度の篭らぬ眼で咲夜の顔を一瞥だけして、そのまま私室へ向け歩み去って行った。

 

 咲夜は思う、あれでも同じ人間なのだ。顔には出なくても戸惑いや疑問もあるはずだ。

 

 咲夜も踵を返しかけ、床に落ちてるモノを見つけて思わずクスリと笑った。

 

 落ちていたのは先程まで川上が咥えていた煙草だった。

 

 

 

 川上は私室に入って一息ついた。しかし彼は一人では無く一人のメイドを引き連れていた。

 

 川上により名を与えられた紅魔館の使用人の一人、メイドである妖精アニスだった。

 

 今日はアニスがいつものように勝手についてきたのではない。珍しい事に廊下ですれ違ったアニスを川上が引っ張ってきた。

 

「先生。服汚れてるよー」

 

「着替える。少しまっていてくれ」

 

 アニスの指摘に川上は内ポケットや懐に入れていた煙草やナイフなど暗器の類いをテーブルに並べた。

 

 川上はクローゼットを開け野太刀を納めると乾いた血で汚れた服を脱ぐ。下着まで脱ぎ去り全裸になる。彼の身体は必要以上の肉付きでは無く、もちろん不足した肉付きでもないしなやかさを感じさせる無駄のない身体付きだった、左の肩口から胸にかけて刀疵が一つ走っていた。

 

 川上は新しい下着とカッターシャツ、礼服などを取り出して着替える。最後にノーネクタイで上着に袖を通した。

 

 そして再びクローゼットに向き直る。安定が折れた今別の差料を使わなくてはいけない。幸いにして予備の刀はまだあり全て刀剣としての水準は上々だ。

 

 新々刀、固山宗次作。裁断名『二ツ胴土壇入リ』

 

 古刀、青江派次吉作。

 

 新身、多々良小傘作。『無銘』

 

 川上が少し考えて手にしたのは固山宗次だった。尋常のものより重ね厚く、身幅も広く。まるで合戦期に打たれた戦場刀といった体配の刀はゴリっとして手持ちが重く頼もしさを感じさせる。

 

 川上は柄は半太刀拵のを付けたまま白鞘に入れて休めていた宗次の鞘を払い改めると半太刀拵の鞘に納めて腰に差した。

 

 そしてクローゼットに納めていた、もう一振りの刀剣を手にした。

 

 川上は誰かも知らないが、切った相手から頂戴した脇差。

 

 刃長、一尺四寸強。肥後守秦光代の作刀だった。重ね、身幅尋常の落ち着いた肌をした綺麗に焼けた直刃の新刀だった。

 

 川上はアニスに眼を向けた。暇そうにベットに座り足をブラブラしていたアニスはそれに気付き欄とした眼線で応じる。

 

「これをやる」

 

 川上はアニスにその脇差を押しつけた。

 

「切れるの?」

 

 刀を抱いて爛々とした眼で川上を見てアニスは言った。

 

 川上は頷き、スペアの手入れ用具も渡して取扱と手入れを教えた。

 

「それは人殺しの道具だ」

 

「うん」

 

 それが終わった後にそう告げた川上にアニスは頷いた。軽んじるのでもなく、重くみるでもない顔付きだった。

 

「だから必要ならそれで斬り殺せ」

 

 川上の言葉と刀を受け取り

 

「うん。ありがとう、先生」

 

 アニスはそう答えた。

 

 川上は立ち上がりアニスの頭にポンと一つ手を乗せた。

 

「強くなれ」

 

 最後にそう言って川上は煙草を咥えて自室を出て行った。


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