「さて、と」
八雲紫が去り、微妙な空気が流れる中、レミリアは口を開いた。
「妙な横槍が入ったけど川上、貴方は」
レミリアは一つ間を置いて言った。
「あの女の戯言は一切忘れなさい」
川上は応じるように咥えた煙草を一つ上にピコリと上げた。
「あの女は何を企んでいるかわかったものではないわ」
レミリアは吐き捨てた。あの胡散臭いスキマ妖怪はここに介入してきて果たしてどんな意図があったかわかったものではない。
「あの女の言った事に惑わされては駄目。決定的にあの女の考え通りに踊らされる事になりかねないわ」
「貴方は私が認めた男。有象無象の人間となど私の中では比べ物にならない、ただ一人の人間」
すっ、とここで初めて川上がレミリアの眼を見た。レミリアも川上の昏い眼を見据えていう。
「貴方は貴方の思うがまま好きに斬りなさい、生きなさい。私の元で」
「おいで」
レミリアは川上に向けて手招きをした。川上は煙草を消してレミリアの近くに歩み寄った。
「しゃがんで」
レミリアの言葉に川上は右の膝をつき座した。それは自身の上役に対して害意のない事を示す礼法。
「貴方が斬りたければ今私を斬ってもいい」
「斬れるものならね」
レミリアは立ち上がりながら川上を肯定し、彼の頭を抱きしめた。
「貴方はここに居てもいいの、それを忘れないで」
レミリアは幼いその姿に似合わぬような母性すら感じさせる優しい笑みで告げた。
レミリアが川上を離すと川上はレミリアの手を静かに取った。
そして川上はその手の甲にたどたどしくキスをした。
相手への敬意を表する礼法であるが、無論西洋式である。川上が学んだ礼法にそんなものがあるわけも無ければ使った事もないはずだった。
「ありがとう」
川上は一言そう言って立ち上がると、一礼をして踵を返した。
「私も」
その川上の背に声をかけたのは咲夜であった。
「斬っていいわよ、出来るのなら」
その言葉を背で聴いて川上は退室した。
「何、咲夜。妬いたの?」
「いえ、そういう訳ではありませんが」
レミリアのからかうような言葉に咲夜は答える。冷静なようで、僅かに面白くなさそうにも思える態度。
「本当は?」
「少し」
レミリアが追求すると咲夜はあっさりと認めた。
「
「どちらにもです」
その咲夜の明け透けな言葉にくっくっとレミリアは面白そうに笑った。
その夜、川上はフランドールとチェスをした。
最初は手加減をしていた川上であったが、フランドールの飲み込みは早く、実力をどんどん上げていく故に川上も手加減していたレベルをどんどん引き上げなければならなかった。
その成長は、川上が手加減の程を見誤り負けるつもりでは無かったにも関わらずうっかり負けてしまう事も稀にある程だった。
その夜、川上はフランドールと本気で指した。
フランドールも実力を付けたが、川上はレミリアとも互角の実力者である。フランドールはかなり食い下がったが本気の川上には勝てなかった。
フランドールは連敗し、何度も挑むが勝てず。遂には癇癪を起こして川上の首に左手を伸ばし、投げ飛ばされた。
川上はそのままフランドールの襟首を左で掴み、壁に叩きつけるように押し付け左肘でフランドールの右肩の起点を抑え、右手で左腕に軽く触れて封じた。
「どうして……何度やっても勝てない」
フランドールはその状態で悔しげに涙を流して言った。
「勝ちたいか?」
川上は言った。
「ならば強くなれば良い」
「どうやって?」
フランドールの疑問に川上は一つ笑って言った。
「決まってる、研鑽すればいい。泣く暇があるなら練習だ」
「チェスで強くなりたければ、ただチェスの事だけをずっと考えて工夫し続ければいい」
「君の姉にだって勝てるようになるだろう」
そこに一切の淀み無く言い切る川上にフランドールは思う。
この人は何処か自分と似てて、でも自分とは決定的に違う。自分と同じく欠けているはずの川上をフランドールは眩しく思う。
川上はフランドールを壁から解放した。
「私は」
フランドールは絞り出すように言った。
「私はどうすれば貴方みたいに」
川上は懐から煙草を取り出して咥えた。
「永らえてもみるものだぞ」
フランドールはその言葉の意味がわからず顔を上げた。
「良いものだな」
その時の川上はフランドールが初めてみるような笑顔を浮かべていた。
「強くなれ」
その笑顔とその言葉はフランドールの心に強く残る事となる。
咲夜はその夜、いつものように仕事を終えた。
見回りで皆が困っていないか、問題はないか確認する。パチュリー、地下図書館で研究に没頭している様子。むしろ集中しているので、小悪魔が付いているし自分が邪魔をしない方が良いと判断する。
フランドールは疲れたように寝ていた。起こさないようにお休みなさいませと一言かける。
川上はラウンジでウイスキーを嗜んでいた。つまみが必要か聞いたが、干し肉があるから必要ないと言われた。
美鈴は門前で立ったまま寝ていた。深夜であろうがいつでも、大した文句一つ言わずいつも門も守ってくれる彼女に感謝を心の中で抱き、咲夜は去った。
メイド妖精達は相変わらずだ。各々好きなように眠っていたり、まだ仕事していたりはたまた遊んでいたりだ。ふと黒髪のセミロングの妖精が咲夜の目に止まった、彼女は深夜にも関わらずただひたすらに短い木剣で型と思わしきものを反復していた。彼女は確か川上に懐いている変わり者だ、そう言えば少し昔に怯えていた彼女をここに連れてきたのは自分であった事を思い出す。
くすりと、咲夜は笑った。昔は凄い臆病な印象だったのに、川上にすら物怖じせずに向かっていく。強くなったなと思った。
レミリアは私室でチェスプログラムで一人遊びをしていた。御用の申しつけはないかと尋ねると今日はもう休んだ方がと言われた。
休んだ方がいいという言い方に少し引っかかりを覚える。そんなに疲れて見えただろうかと気にしながら、咲夜は入浴して1日の汗を流した。
さっぱりとして咲夜は私室に戻り、ワイシャツ一枚の扇情的な姿で自身の少し癖のある銀髪の水気をタオルで切っていた。昔はこの如何にも人間離れした艶のある銀髪も嫌いで仕方なかった。だが、お嬢様が貴方は髪は綺麗だと言って髪にキスしてくれた、それから自身の髪を少し好きになれた。
ふとその時咲夜の部屋の扉を誰かがノックした。珍しい事もあるなと思い、続けて誰だろうと考えて、咲夜はピンと来た。
「川上?」
根拠は無かった、ノックのリズムとか音の具合から無意識化に判断したのかも知れない。ただ、意識的には咲夜は直感的に彼のような気がしただけだ。
ガチャリと扉を立てて入室してきたのは果たして、川上であった、彼は腰ではなく右手に鞘ぐるみの刀を持って佇んでいた。
川上が咲夜の私室に訪れるのは初めての事だった。
「どうしたの?」
咲夜はそう言いながらドレッサーの前から立ち上がり、川上に歩み寄っていった。その途中で思い出す、そう言えばお嬢様に対抗するように自分を斬れみたいに挑発とも取れる発言をした事を。
まさかと思い、しかし彼が右手に鞘の方を前に抜ける形ではない状態で握られた刀を見る、斬りに来たわけではない……?
少し咲夜が思案した瞬間が命取りだった。
川上は何気なく一歩の間合いを詰めると、咲夜の顎に手をかけ、口付けをした。
「!?!」
咲夜が驚愕した瞬間、キスをされたまま川上は咲夜の左手首を掌握し、右手で左肩軸を押して、そのまま流れるように咲夜を押して押して、すっとベッドに押し倒してしまった。咲夜が全く抵抗出来なかった辺り川上の体術が光る。
咲夜は混乱の極みに達していた、斬りに来た?斬りに来たのではない?犯しに来た?いや違う求められてる?つまり犯しに来た?
驚愕の中咲夜はかろうじて冷静さを取り戻す。普段はあまり自己主張をしない川上であったが、しかしどうやらこれは咲夜は雌として求められてる事は理解した。
川上は刀をベッドの脇に置くとちゅ、と咲夜にもう一つキスをすると隆起に乏しい咲夜の胸に顔をうずめて額を擦り付けるようにした。
その猫のような仕草は完全に咲夜に甘えていた。
あぁ、もう。
咲夜は思った。
不器用なんだと理解した、上手くは甘えられないのだと。自分もそうだから分かった。
斬れとまで言ってまでおきながら流石にここまで求められて拒絶など出来ないだろう。
いや、咲夜も欲しかった。この不器用で必死な猫が。愛おしくて愛おしくてたまらない。
「川上」
川上の頭を咲夜は優しく上げると今度は自分から彼にキスをした。
「来て」
そう言って咲夜は川上は受け入れる為に両腕を開いて彼に向けた。