武芸者が幻想入り   作:ㅤ ْ

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第135話

 さくさく、と一人の男が一条の光も射さぬ夜道を歩いていた。

 

 りーん、りーん。りりり。ぎー、ぎー。と虫達が騒がしくない程度の音量で澄んだ演奏を奏でる。

 

 闇にすら浮きそうな地味な黒衣。男の容姿は艶のある黒髪に比較的整ってはいるが、冷たく昏く沈んだ三白眼が近付き難い陰性の雰囲気を発散している。

 

 川上は腰に多々良小傘作、無銘を一口差し。背中に南北朝時代、作者不明の無銘の野太刀を一口背負っていた。その名の無い刀は彼に相応しくもあったかも知れない。

 

 刀に必要なのは銘ではない。美しさではない。謂れではない。逸話ではない。ただ、必要なのは殺傷の為の機能である。

 

 さくりと、いつか来たような初めての道を彼は歩く。

 

 世界とは残酷なものである。

 

 きっと何処かで誰かが思った。

 

 この世界はおぞましいと。こんな世界壊れてしまえと行動にも移した。

 

 きっと何処かで誰かが思った。

 

 この世界は素晴らしいと。この世界に祝福をと行動にも移した。

 

 でも沢山いたであろう誰かの願いや行動が世界を変える事はなく。

 

 個人の願いも行動もさしたる意味はなくただ全てを受け入れあるがままの、あまりに残酷な世界。

 

 個人の行為に意味などなく。

 

 故に全てが許される。

 

 川上という男は特に意味もなく生きて、意味もなく武術などを練磨して。無意味に殺し。無意味に一太刀を工夫し続けた。

 

 その行為に理由はない。ただ、純粋にやりたかったではいけないのだろうか。

 

 そんな馬鹿な理由で工夫した剣は、今宵、完成を見ようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人里から紅魔館に進行する一団があった。

 

 紅魔館を落とすために行動をいよいよ起こした反妖怪派の者らはありったけの戦力を集めてリーダーの立見も含め総勢62名の大人数となった。両手の指で数えられる少数しかいない一つの拠点を制圧には充分な戦力。

 

 移動中も慎重だった。野良妖怪などの攻撃もあり得るし、何より紅魔館側がこちらの行動を掴んで待ち伏せ、襲撃してくるという可能性もある。

 

 彼らは一網打尽にされるリスクより各個撃破されるリスクを避け、皆固まって隊列を組んだ、そして移動しながら隊列の外側にいる人員が前後左右、斜め方向に常に敵襲を警戒しつつ移動していた。

 

 森の中を移動していた時にそれは起こった。

 

 隊列の斜め後ろで哨戒していた二人が声も無く倒れた。

 

「皆、止まれ!異常発生!警戒しろ!」

 

 気付いた近くの者が声を張り上げた。三人が慎重に倒れた二人の仲間に歩みより、しゃがんで様子を見ていた時。闇夜に紛れ近づいた一つの陰が飛び掛った。

 

 一人は倒れた仲間の様子を伺おうと首を垂れた姿勢で首を落とされ。一人は首を突かれ。一人は袈裟懸けに切り倒され倒れた。

 

 三人が倒れる様と即座にその場を離れる黒い影を目撃した者が声を上げた。

 

「敵襲!皆抜刀しろ!」

 

 その号令に皆が動揺しつつも臨戦態勢を整える。後方で上がった怒号に最前列近くにいた者達も刀を抜き、提灯を上げて周囲を照らした。

 

 その提灯を提げていた一人がいきなり上から降ってきた陰に切り下ろされた。木の枝を利用したのだろうか?

 

 頭頂部から正中線を抜かれたその一人は頭頂部から股間まで文字通り真っ二つになり逆の八文字に分かれて地面に落ちた。

 

 その様を見て驚愕する暇もなく周囲の人間は斬られて倒れていく。陰は巧みに位取りしながら相手に抵抗する余地すら与えず相手の死角から死角へと斬り抜いて行く。

 

 周囲の人間が人影を視認して、襲い掛かろうとした時にはもう、影は逃げ木々の間に消えていた。今何処にいるか全く気配が掴めない。

 

 闇の中を移動して様々な角度から不意打ちしてすぐ逃げるヒットアンドアウェイを用いたゲリラ戦術。

 

「刀による不意打ち!」

 

「ヤツだ!」

 

 皆そのやり口で確信する、これは妖怪などではない。人間の用いる兵法、すなわち狙いの一人、敵は清水その人だと。

 

 前方の木々の枝が折れる音が響き、皆そちらに警戒したところに左サイドから強襲した川上が二秒で三人を斬り倒すと、また木々の中に消えた。到底反応出来ず、追い切れない。

 

「呪札用意。索敵、対人札使用しろ」

 

 リーダーの立見が側に控えていた側近の呪術士に敵に悟られぬように小さく指示をした。呪術士は頷き、札を翳した。

 

「四時の方向です」

 

「行け、相手は何処かに強襲してくる。そこを狙え」

 

 呪術士の言葉に立見は指示を出した、呪術士は頷いて団員の間を縫って移動した。

 

 次の強襲は真後ろから来た。警戒していた男達は一人は反応出来ず真下から股間から鳩尾まで割られて凄まじい断末魔の叫びをあげた。

 

 そのおぞましい悲鳴に当てられて身体が硬直した一人は刀を構えていたにも関わらず首を払い落とされた。実戦において闘争逃走反応を律せない者の当然の末路。

 

 もう一人は果敢に川上に剣を振るった。八相から深く頭を狙う斬撃は、川上が後の先で振るった剣に右小手を捉えられた、川上は斬り下ろしながら即座に転身して相手の刀が降りてきた所から身を交わす。相手は右小手に食い込んだ川上の刀に掛けられた重みで大きく体制を崩し、即座に向き直りながら突き込まれた刀で喉を貫かれて死んだ。新陰流における斬釘截鉄。

 

 三人斬った川上は離脱を選択したが、それより一瞬早く2メートル程手前に札が投げられた。

 

 一瞬川上は全身が痺れて動けなくなった。隠形札により気配を消していた呪術士が放った捕縛札だった。

 

 続けてもう一枚の札を放ち呪術士は印を切った。それで対人用の霊力封じの札は起動した。

 

 がくり、と川上は膝をついた。ごっそりと身体中のエネルギーを持っていかれた。目の前がグニャリと歪み、意識が混濁する。

 

「勝負有り、だな」

 

 呪術士が呟いた。これを食らった以上人間はもう満足には動くことは出来ない。川上の不覚であり、事実上の詰みである。

 

 川上の意識はフワフワとして強い眠気に襲われていた。気持ちが良かった。この心地良さに身を任せて何も考えずに目を瞑りたかった。

 

 彼は寝る事が好きなのだから。

 

 周囲の人間はまだ恐れがあるのか川上を囲み、構えたまま様子を見ていた。川上が刀を手放さない以上下手に近づけば斬られると思ったのか。

 

 正しい判断ではあったが今回の場合それが仇となる。

 

 川上に猶予を与えてしまったのだ。懐からペン型注射器を取り出し首に打つ、その僅かな猶予を。

 

「ぐっ……つっ!」

 

 川上は小さく、しかし鋭い苦しげな声を出して仰向けに倒れた。周囲の人々が戸惑いを見せる。

 

「自害…か?」

 

 暗闇でも相手が首に何かしら突き立てたのは見えた。万事休すと悟り自決したのかと、呪術士は考えた。しかし、妙に潔すぎるのではないかと違和感を感じた。

 

 一人が慎重に川上に近づき、死んでいるかどうか確かめる為腹を狙い刀を突き出した。

 

 ガッと音がして刀は腹ではなく地面に突き立っていた。上から刀身を叩かれ軌道を変えられたのだ。

 

 ヒュっと川上の腕が伸び刀を持つ手を掌握すると男は半回転して頭頂部から地面に叩きつけられた。

 

 同時に呪術士が投げ打たれた男が使った刀に胸を貫かれて死に、二人の男の足元の死角にいつの間にか移動していた川上が下から一人の脇の下から右の刀で腕を落とし、一人の鳩尾を下から左拳で突き上げて死亡させた。

 

 川上に用いられた札は確かに効力を発揮した。その効力は不可逆的であり、もはや術士を倒しても札を破っても封じられた霊力は戻らない。

 

 しかし、何故川上がは尚も動けるのか。それは先程打った薬師八意永琳に製作して貰った薬物による。

 

 外の世界では軍用に限定的に用いられる薬物であった。筋肉の潜在能力をほぼ引き出し、関節や筋の柔軟性も高める。本来なら勝てない相手を体力の続く限り何人でも倒せるようになるほど人間を一時的に強化する。

 

 しかし、禁断症状が強すぎる為に通常はまず使われる事はない。個人差はあるが、効果が切れた後は下痢、嘔吐、吐き気、貧血、酸欠や全身のこむら返り、関節の痛み。

 

 有り体に言って死んだ方がマシというような地獄の苦しみである。

 

 川上は昔から危険度の高い現場ではこれを躊躇わず使ってきた。潜在能力を引き出す事により川上は今も倒れたがる身体を無理矢理動かす事に成功した。

 

 勝つ為なら何でもする。兵法の基礎である。

 

 三人が刀と槍を振り上げ川上に波状攻撃を仕掛けたが、川上は全ての攻撃、相手をすり抜けるように皆一太刀で斬った。鮮血が辺りを染めた。

 

 返り血を浴び、口元に笑みを湛え、剣を西岸に構える川上の闇夜より尚昏い三白眼に、周囲の人々は背筋を凍らせた。


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